CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

Interior

日々の内側
copyright sumigon all rights reserved
3年経って・・・

18-0930.jpg

3年前に他界した元同僚の墓参りに行ってきた。生き残っている2人(私とT)で。もう、あれから3年・・・1周忌の時に行って以来2度目の墓参りだ。あれこれ彼の思い出話をしながら、記憶の中ではいつまでもあの年齢のままでいいよねぇ、なんて。

前にも書いたことがあるかと思うが、夏という季節は死者を身近に感じる季節だ。少なくとも私にとっては。そのためか今年も何人か、すでにこの世の人ではない人たちが夢に出てきた。父、伯母、そしてNも。Nについては今まで3回書いているのでご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。「同志たち」(2014.11.20)、「死を想え」(同12.31)、「春は、来る」(2015.2.23)。思い出話をすれば、あの愛すべき人柄と小太りの癖に運動神経抜群のヒゲ面が鮮やかに目に浮かぶ。そして会う度に「もっと太りなよ」と言われたことも。

お互いに思い出話をしている中、私はふと無人島の話を思い出してTに話してみた。いつだったかNに今の仕事を辞めたら何がしたいか、現実的なことは一切無視して、夢のようなことでもいいから何がしたいか、と聞いたことがある。彼の答えは「無人島に行って一人で暮す」だった。

子供が4人もいて、家族仲もいいNが一人で無人島というのは意外だった。そこで家族はどうするの?と聞くと、家族たちは自分がいなくてもちゃんとやっていけるから、と。一緒にスキーに行ったりコンサートに行ったりしていたのに、彼なりに孤立感を感じていたのだろうか。それとも、もっと単純な理由、たとえばよく言う「男のロマン」のようなものなのか。よく判らなかったが、器用で運動神経もいいから、彼なら無人島暮らしも可能であるような気がした。ランニングシャツに短パンで素足で海岸をスタスタ歩いているNの姿を想像すると、案外しっくり来るのがおかしかった。

加えて聞いてみた。もし私が行ったらどうする?と。すると彼はこう言った。「○○ちゃん(私)1人くらい、食わせてあげるのは簡単!」。ふーん・・・食わせてくれるのか。私は彼と違って不器用だし力はないし、もしそうなったら“おんぶにだっこ”だなぁ。「私、なにもできないよ」「いいの、いいの。何でもしてやるから」だって。いい年齢をしてそんな話をしているおかしなオジサン、オバサンだった。

NはTともそんな馬鹿馬鹿しいけれど楽しい話をしていたのだろうか。それが知りたいと前から思っていたので聞いてみたのだが、全くそういうことはなかったようだ。もっと現実的なこと、たとえば仕事、給料のこと、趣味、私には言わないけれど女のこと。そんな話をしていたらしい。男同士ってそのようなものなのだろうか。

今さらながらおもしろい3人組だったと思う。普通3人というのはうまくいかないというけれど、私たち3人は3人だからこそ楽しい関係だったのかもしれないと思える。男2人と女1人という組み合せがよかったのかもしれないし、それぞれの性格、相性がよかったのかもしれない。2人になってしまったら、どこかぎこちないというか、何かが足りないっていうか、ちょっと妙な感じ。

まあそれも素面の時で(^^;)、帰りに「献杯しよう」ということになり酒が入ったら昔のように話をすることができた。昔のような会話をしながら、空の上からNが見ていたら何というだろう、と思った。おまえら、いいかげんにしろ、と言うのか。オレもいれてほしいと言うのか。去る者日々に疎しというが、それは否定しないものの私たちは決してNのことは忘れない。遅かれ早かれあっちで会えるかもしれないしね。

 

*ああ、9月が台風とともに去っていく・・・

*なんだかんだと、いろいろあった9月でした。詳しいことは、ナイショ!

| - | 05:15 | comments(0) | - |
健康管理アプリ

18-0929.jpg

サプリじゃないよアプリだよ・・・なんちゃって(^^;) 私は日頃あまり健康管理に気を配らないというか、神経質にならないようにしている。どこか不具合があれば、自分の身体がそれをまず教えてくれるはずで(ガンの初期など無症状で進行している場合は除く)、検査の数値を必要以上に気にしたり、あれこれ調べたりすることは、かえって気苦労の種を作っているようなものだと思っている。

が、ここに来て2つほど健康管理関連のアプリをiPhoneに入れた。これまでは知らないうちに入っていた(!OSのアップデートの時に入ったのか?)「ヘルスケア」というアプリしかなかったのだが。「ヘルスケア」は万歩計みたいなものでiPhoneを持ち歩いていればその日何歩歩いたかがわかり、けっこう便利に使っている。

最近入れたアプリは「頭痛ーる」と「ストレススキャン」。「頭痛ーる」はラジオで“知ったアプリで気象病”についての話題の中に出てきて興味を持った頭痛とは中学生のころからのお付き合いなので、対応の仕方は慣れたものなのだが、多くのケースがそうであるように原因はなかなか特定できない。ただ、天気が急変する時に起きることが多いので、気圧の変化によって具合が悪くなる“気象病”に似ていると思う。

「頭痛ーる」は気圧の予測を折れ線グラフで表示するもので、と「通常」「注意」「警戒」などのアラートが記される。「注意」や「警戒」が予測される時はお知らせもしてくれる。ちなみに今現在は「通常」だが、夕方から「注意」になり、明日いっぱい「警戒」である。ああ、憂鬱。というか、すでに今朝起きた時から頭が痛いんですけど!これ以上ひどくなったら困るんですけど!ってアプリに文句言っても始まらない。昨日鎮痛剤を買っておいてよかったわ。明日はどこかに行く予定もないし。

「ストレススキャン」はちょっと画期的なアプリで、iPhoneのカメラが指先の色の変化を読み取り、それによって心拍数を計るもの。1分間計り、平均値が表示される。ストレスだけが心拍数に関わっているわけではないと思うので、ストレスのことは横に置いておいて心拍数の推移や傾向を知る参考にしたいと思っている。

また、自分の感覚と実際の数値とのギャップもある程度知っておきたい。動悸が気になって計ってもさほど心拍数は普段と違いないこともあるし、その逆もあるから。

このアプリ、ただ計るだけでなく、計測している時の状況(食後、飲酒、休憩などなど)も選ぶことができ、データを保存すればカレンダーにマーク付きで表示される。私の場合、食後に心拍数が多くなる傾向があることも判ってきた。もしかしたら「食後低血圧」なのかもしれない。血圧もついでに測ってくれればいいのに、なんて贅沢なことを考えたりして(^^;)

健康管理アプリはけっこうたくさんあるようだが、今のところこでだけで十分。それより少し運動しないと。軽い筋トレでもするか。あまりに非力で情けないし。

*おいおいおい!「頭痛ーる」のリンク先では、東京エリアは「超警戒」になってるじゃないか。

*やめてー!勘弁してー!

| - | 10:47 | comments(0) | - |
「強さ」と「優しさ」

18-0928.jpg

一昨日、LINEにMちゃんから連絡が入った。「NHK総合、今、樹木希林さんの番組」という連絡。私がほとんどテレビを見ないことを知っている彼女は、こうして時々連絡をくれる。このブログを読んでくれているので、私の好みや興味の対象を知っているから、彼女からの情報は本当にありがたい。頼ってるわけではないのだが、結果的に恩恵を受ける一方だ。急いでテレビがある部屋に行き番組を見た。

NHKスペシャル“樹木希林”を生きる」・・・73分の特別番組である。希林さんが亡くなってから、様々な場で彼女への追悼が行われ、動画サイトなどにも関連動画が盛んにアップされている。天下のNHKも同様、と言いたいところだが、昨年6月から取材を続けてきたこと、希林さんご自身から「私を撮ってもいいわよ」と直接許可を得ての番組であること、などを鑑みると、やはり「特別な」番組なのかもしれないとも思う。

番組は希林さんの日常・・・車を運転しているところ、自宅、撮影現場などに“密着”取材し、希林さんの言葉を拾っていく。担当ディレクターとの会話の中からその生き方を掬い取ろうというのが目的なのかもしれないが、なかなかそれは難しかったようだ。

撮影を許可し取材を受けつづける中で、希林さんはそうしていることの意味を掴みかねるようになり、ディレクターにそれを伝える。まず、このようなことで番組が成り立つのか、ということを懸念してのことだと思う。彼女に比べたらかなり若いディレクター自身もそれは感じていたらしいが、どうすることもできずにいる。希林さんから問われても的確にこたえることができず、自分の生活の愚痴めいたことを言いだす始末。

誰だって自分の生活に他人が密着するのは嫌なものだろう。俳優だからといって、仕事だからといって、愉快なことより不愉快なことの方が多いのは最初からわかっていたはずだ。それなのに取材を許可したのは何故か・・・希林さんは語らないが、やはり全身ガンの自分の最晩年を撮らせることに何らかの意味を見出したからこそだと推測する。「同じような病気と闘っている人のために」などというセンチメンタリズムは存在しない。ただ単に、自分がどう生きているかを確認したかったのかもしれないし、俳優としてやりがいのある仕事だと思ったからかもしれない。実のところはご本人しかわからないような気がする。

番組を見終わってまず思ったのは、樹木希林という女性はとても優しい人だったということだ。傍若無人、歯に衣着せぬ物言いなどから人間としての「強さ」は容易に想像できるが、その「強さ」がなければ存在しえないような「優しさ」を感じた。

担当ディレクターにも率直に物申す。あまり意味のない質問にはいたってそっけない。ダメなものはダメ、という態度は変わらず、余計な手は差し伸べない。しかし、たぶんその裏で希林さんは彼の気持ちを考え、なんとかいい番組にしたいと思い、適切な対応をしている。

取材が行き詰まりの感を見せはじめ、しばらく連絡が途絶えていた頃。突然の呼び出しにスタッフは駆けつける。そこで希林さんが採りだしたのは、自分の身体に転移したガンがどれくらい進行しているかを示す検査画像(PET-CT?)だ。数年前に比べて恐ろしいほどガンが全身に広がっていることが一目瞭然の画像・・・それを見せながら、これでなんとか番組のキモができるんじゃない?なんて軽く言う希林さん。

こんなにひどくなっても仕事をしている自分を知らしめるため、ではもちろんない。話題としていいと思っただけなのか、それとも・・・いずれにしろ、自分のためにやったことではないことだけは確かだ。

媚びない。奢らない。おもねらない。頼らない。頼らせない。そんな生き方の中で希林さんが身に付けていった彼女だけの「強さ」。そして、それは何気なく、さりげなく相手に向けらる「優しさ」の源にもなっている。そう感じつつ、ああいう人は稀有だなぁと改めて思った。結果的に番組としては見ごたえのあるものになっていると思う。素知らぬ顔をして、後からじわじわ効いてくる「優しさ」を残して、希林さんは旅立った、ああいう生き方は誰にもできないかもしれない。

 

*10月2日(火)23:55に再放送。見逃した方はぜひ。

*久々の晴れ!よーし、がんがん洗濯するぞ!

| - | 08:37 | comments(2) | - |
黄昏時

18-0927.jpg

わが家の最長老猫・みかんは16才。正確に言うと16才と5ヶ月。人間の年齢に換算すると、80才を越えた老人である。3年前に失ったゴンは16才になったばかりであの世に行ってしまったが、やはり猫も女の方がしぶといとみえる。2年前から週1回ペットクリニックに通う生活をしており、体重が徐々に減ってきてはいるが今のところなんとか元気で過ごしている。

ゴンの時もそうだったが、みかんもこのところかなり甘えん坊になってきた。以前なら膝に乗ることも少なかったのに、私の顔を見ると膝に乗ろうとし、私が横になっていれば隣にきてゴロゴロ言いはじめる。用事がある時は可愛いと思いつつ鬱陶しくもあるのだが、老齢を迎えた心細さがそうさせるのではないかと思えば健気で、哀しい。

若い頃はおなか周りにボリューム感があったのに、今は上から見ると腰のあたりの肉がげっそり落ちている。2年前の検査で腎臓の片方はほとんど機能しておらず、もう片方も変形しはじめているとのこと。腎臓病は猫にとって宿痾のようなもので、なかなか避けて通れない病気だがケア次第で小康を保つことができると聞いている。それで週1回通院し点滴している。食事も腎臓病に対応したものにし、最も悪かった時の数値に比べたらかなり穏やかな数字になっている。数ヶ月に1度血液検査をし、その都度対応を獣医と相談しながら残りの人生(猫生)を全うさせてやらなければと思っている。

私がこのところ、そんなみかんに共感をもって接しているのは、自分自身にも衰えを実感することが多く、お互い人生(あるいは猫生)の黄昏時を迎えているんだなぁと思うことが多くなっているからだろうか。みかんの黄昏はどんどん暗くなる一方だが、私の方はまだ黄昏時になったばかりという感じか。それでも、自分自身が頼りなかったり心細かったりすることはよくわかるから、お互い労り合いながら生きていくしかないと思う。

人間に比べたら、猫は文句も愚痴も言わず立派なものだ。具合が悪かったりどこか痛かったりすることもあるだろうに。与えられた命を淡々と生きる姿にはいつも感動すら覚える。人間は体の具合が悪くなると気持ちまで弱くなってしまうものだが、猫もそういうところがあるのかもしれない。そう思えば、甘えたい気持ちはできるだけ尊重してやらねばと思う。

今年は夏の異常な猛暑、気温の乱高下などもあって「秋バテ」する人が多いそうだ。いわゆる自律神経の乱れによる倦怠感、頭痛、食欲減退、睡眠障害など症状は多岐に亘るらしい。もともと自律神経が乱れがちな体質であるせいか、私もこのところ体調がいいとはいえず、気温や天気に振り回されている感がある。深く考え込んでもどうなるものではなし、「食べられる時に食べる」「眠れる時に眠る」というアバウトなことしか考えていないが、天気や気温が落ち着いてくればなんとかなると期待している。

今日の夕方もみかんが膝に乗ってきた。スキあればという調子なので、することがある時は乗れないような体勢をとったりもしているのだが、この度は私も少しボーっとしていて乗られてしまった。腿と腿の間にすき間のある私の膝など居心地が悪いだろうにと思うのだが、一端乗るとなんとか体勢をととのえて居座ることが多い。

あれこれやることはあったのだが、私の腕に頭をぐっとくっつけてゴロゴロ言っているのを見ているうちに、後回しできることはそのままにしてしばらく付き合おうと思った。腿から膝に伝わる微かなぬくもり、腕に伝わるゴロゴロ音。ああ、生きているなぁ、みかんも私も、なんて思う。頼りなさ、心細さを共有しつつ、黄昏時の者同士だねと思いながら雨の音を聞いていた。

*「黄昏」は「たそかれ(誰そ彼)」=誰ですか?あなたは、から。

*日没直後、空に夕焼けの名残である赤みが残る時間帯、が定義のよう。

*対語に「かたわれどき(彼は誰時)」があるんだって。これは夜明け前のこと。

*黄昏時は「逢魔時」ともいうらしい。どうりで・・・

*あっ!!今月「猫に語らせる日」を忘れていた!今気づいた。なんともかんとも。

| - | 06:17 | comments(2) | - |
「渋南」

18-0926-1.jpg

渋谷ストリーム2回の通路には線路のレールが。

あいにくのお天気だったが、前から予定していたので散歩の友・Mちゃんと渋谷に行ってきた。目的地を渋谷にするなんて・・・何十年ぶりだろうか。ヒカリエが出来、東横線が地下深く深くもぐってしまって以来、できるだけ渋谷を経由しないことを念頭におきつつ出かけていたというのに。

どういう風の吹き回しか、単なる気まぐれか。東横線の月刊PRツールである「HOTほっとTOKYU」9月号が、“この秋、渋谷〜代官山が変わる!渋谷南”という特集を組んだ。渋谷川に沿ったエリアが変わる、というのだ。また、「Tokyo Walker」と連動したPR誌でも「ニューフロンティア渋南」を特集している。

若い頃はよく渋谷に行ったものだが、恵比寿方面に向かう明治通りはほとんど歩いたことがない。1度知り合いの個展を見に行った記憶はあるが、なんだかどこにでもあるような、心惹かれるものもこれといってないという印象だったと思う。それが今後「渋南」の名のもとに注目されていくのだろうか。

そのエリアに9月13日、「渋谷ストリーム」が誕生した。商業施設(飲食のみ)、ホテル、オフィスの複合ビルで、地上35階地下4階。高さ180mに及ぶ大規模なビルである。そこを皮切りに渋谷川沿いを歩き、途中で右折して代官山をめざす・・・これがモデルコースのようだ。途中、「渋谷ストリーム」と同じ日に誕生した「渋谷ブリッジ」なるビルもある。外観は「ストリーム」とは対照的だが、こちらも大きな施設。

昨日はもう少し天気がよければこのモデルコースを歩いてみたかったのだが、途中から雨足が強くなってきたので引き返して渋谷に戻った。残念。今度行く時には天気がいい日を選んで、のんびり歩いてみたいと思う。

渋谷川は川といっていいのか?と思えるほど細い川だ。昔はいくつか源流を持っていたらしいが、現在それらほぼ全てか暗渠化され下水道として使われているらしい。そして、渋谷川は大雨時をのぞき水が流れていない状況だが、清流復活事業のひとつとして新並木橋のところで下水を高度処理した水を流している、とのこと(wiki)。昨日私が見た水はそれなのだろう。

それにしても渋谷は変わった。行きはじめてから40年以上経っているのだから変わって当然なのだが、昨日はあらためてそれを実感した。西武百貨店、パルコ、公園通り・・・セゾンの天下を知る者もどんどん少なくなる。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も対にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

18-0926-2.jpg昔の東横線渋谷駅を知る人にはなつかしいカタチ。

| - | 09:32 | comments(0) | - |
In Other Words

18-0925-1.jpg

昨夜は中秋の名月、まんまるお月さんが見える日だった。が、予想された天気は曇りで日中のラジオでも気象予報士のお姉さんが「残念ながら今日は・・・」なぁんて言っていた。あまり期待はしていなかったのだが、ちょっと空が気になって時々ベランダに出たりしていたら、何時ごろだったろうか、少し離れた山(というより丘?)の上が明るくなっており、月のアタマがでかかっているところだった。少し待ってからもう一度見ると、ぽっかり!やったー!10時近くに友人から月がきれいだとの連絡あり。慌てて外に出て月を探す。ざっと見まわしたが見つからないので、階段をトントンとあがって見通しがいいところまで出てみると・・・おお、いたいた。きれいな満月。

SNSなどで月の写真を公開している人も多いかと思う。午前中のラジオでは月にまつわる曲を流していた。主にジャズ・ボーカルで、その中にアストラッド・ジルベルトの「Fly Me To The Moon」があり、あの透明感のある声が曲とよく合っていると思った。ちょっと無愛想な歌い方もけっこう好き。

この曲はスタンダードとして多くの人に歌われている。聞いた事がないという方が珍しいと思われるくらい有名な曲である。が、歌詞を気にしたことがなかったのだが、よく聞いてみるとラブソングなんざますね。すぐ気がつきそうなものなのに・・・

 

Fly me to the moon, and let me play among the stars.

Let me set what spring is like on Jupiter and Mars.

In other words hold my hand!

In other words darling kiss me!

 

Fill my heart with song,and let me sing forever more.

You are all I long for all I worship and adore.

In other words please be true!

In other words I love you!

 

歌詞だけ読んでみると、なんとも可愛い愛の告白という感じなのだが、歌う人によって意訳は違ってくるような気がする。動画サイトで聴き比べがアップされていて、ひととおり聴いてみた。男性が歌うのと女性とでは違うし、アレンジや歌い方などによっても感じが違う。

繰り返される「In other words」がキモだ。それもそのはず、当初タイトルはこれだったというから。日本語に訳すと「言い換えれば」になるが、歌詞としては硬い感じがする。歌全体の流れとして「つまり」「だからね」と訳した方が良さそうだ。なかなか言いだせないことを言おうとする心の中にある、もどかしさ、ためらい、決意などがこめられている感じがする。タイトルとしてはちょっと弱いが、歌に込められた思いという意味では最も注目したい言葉だ。

 

「月に連れていって」とか「星たちと遊びたい」とか子供っぽいことを言ってはいるが、つまり手をつないでほしいと思っている。「心を歌でいっぱいにして」と言いながら、本当は「I love you」なんだとわかってほしい。うひょー!気恥ずかしくなっちゃうなぁ。

 

宇多田ヒカルさんは、このあたりを「つまり、手をつないで!だからキスして」「つまりどうか裏切らないで!」「だから、ホレてるんだってばさ!」と非常にカジュアルな(?)言葉を使い、女の気持ちをなかなか察しない男に軽く腹をたてつつ可愛らしく告白する女性の雰囲気にしている。

同じ歌でもこれほど違うか、と思うとなかなかおもしろい。これができるのもスタンダードならではだろう。

*ナット・キング・コールもいいですなぁ。

 

18-0925-2.jpg

| - | 06:18 | comments(0) | - |
アクロニム

18-0924.jpg

デスク右側の壁。モノクロの写真や絵が無造作に。BAWO(Black And White Only)ってとこ?

少し前、毎日新聞朝刊1面の「余禄」で、“アクロニム”という言葉を知った。アクロニムは頭字語ともいい、複数の単語の頭文字をつなげた言葉。「余禄」では、先日来大騒ぎになっているテニスの大坂なおみさんが「OMG(Oh My God)」とツイートしたことを挙げている。

アクロニムというとなにやら難しく思いがちだが、私たちの生活の中にはごく自然に溶け込んでいるものも多い。企業名なども正式な名前の頭文字だけつなげて通称としているところもあるし、AIDS、OPECなどもアクロニムだ。

調べてみると、似たものに“イニシャリズム”というのがあり、読み方がアクロニムとは違う。イニシャリズムは頭文字をつなげてそのまま読むもの。たとえばFBI(エフヒーアイ)、WHO(ダブリューエイチオー)など。対してアクロニムは普通の単語のように読ませるもの。AIDS(エイズ)、OPEC(オペック)、NATO(ナトー)などだ。

最近SNSなどを見るとアクロニムが席巻しているように思うこともある。オバサンには意味不明のアクロニムが当然のように使われていて、日本語はどうなってしまうんだ!と言いたくなることもある。意味を知ればなるほどと思うものもあるが、だからといって自分が使うかというと・・・一応言葉を扱う仕事を長年してきているので、安易なアクロニム(あるいはイニシャリズム)に迎合したくはない、などと思う。

思うに、若者が多用するアクロニムは、対象が不在の場で使われることが多いのではないだろうか。一昔前流行ったKYにしろ、空気を読まない本人を目の前にして「あんた、KYだよね」とはまず言わない。その人がいないところで、「あの人ってさぁ、KYだよね」「うんうん、KY!」などと使いがちであるような気がする。いわゆる陰口だが、アクロニムにしてしまうことで陰で悪口を言う後ろめたさが軽減されるのだろうか?いや、これは考えすぎか。

先日「DQN」なる言葉を見かけて、どう読むのか、何を意味するのか全くわからず調べてみた。この言葉は(例によって?)2チャンネルで生まれた言葉らしく、「ドキュン」と読むそうな。ははは(力ない笑い)。

子供の名前についての話題の中で、あまりにもおかしな名前を蔑む意味で「DQNネーム」という使われ方をしているようだ。キラキラネームとどこが違うのかわからないが、奇抜な名前を揶揄したくなる気持ちはわかるような気がする。

「DQN」そのものは「常識を逸脱した人、非常識な人」を意味するそうだが、果たしてこれがアクロニムなのかどうかわからない。何かの略だとすると正式名称は何?そうでないとすると、「非常識」と「ドキュン」はどう関連づけされているんだろう?分かる方いらっしゃったらご教示を。

| - | 07:07 | comments(7) | - |
ボトルインク

18-0923.jpg

カランダッシュのボトルインク。ペーパーウエイトになりそうなくらい、ずっしり。

 

万年筆を常用するようになったのは、10年くらい前からか。そもそも手書き文字を書く機会が昔よりずっと減ってしまったので、手帳に書き込みをする時か手紙を書く時くらいしか筆記具を使わなくなってしまった。筆まめで通っていた私なのに、「メール」という便利といえば便利なものが登場して以来その手軽さに逆らえずにいる。今でもこれはという人への便りは封書やカードで出しているが、たいていの遣り取りはメール、LINEなどになってしまっている。

子供の頃、万年筆は大人の象徴だった。無闇に力を入れて書くとペン先を傷めるということもあるが、まず雰囲気からして大人っぽいと感じていた。中学校に入る時、「中一時代」「中一コース」という雑誌の定期購読をすると万年筆がもらえる!というのがあって、本を読みたいというより万年筆が欲しくて定期購読した記憶がある。親戚の人からもお祝いにいただいたが、さてその万年筆はどうなったのかと記憶をたどっても全く「記憶喪失」状態だ(^^;)

流行っていたのかどうかわからないが、当時はキャップが長い「ショートサイズ」というのだろうか、そんなものが多かったと思う。雑誌のオマケでもらったのもそういったタイプだった。今ではほとんど見かけなくなってしまったが、あれはどういった需要があってのデザインだったのだろう。

中学生の時に出会った万年筆はカートリッジタイプのものだった。今でもそれはいくらでもあるが、大人になってから使うのであれば、ぜひ吸入式にしたいと思った。結果的にペリカンを愛用することになって、現在3本持っている。

こういう万年筆の楽しみのひとつにインク選びがある。昔とは比べ物にならないほどインクの種類が豊富で、そんなに万年筆愛用者がいるのか!と疑問に思うほど。もしかしたら、愛用者は限られるが、その人たちがあれこれ品揃えの豊富さを求めており、その需要に各メーカー応えているのかもしれない。

色も昔はブラック、ブルーブラックくらいだったと思うが、今では色とりどり。色の名前もオシャレというか凝ったものにになっていて、ボトルデザインも個性豊かだ。インクの色見本とボトルデザイン、それらを比較しながらインクを選ぶのは楽しい。

あれこれ検討しつつ現在手元にあるのは、パイロット(日本)、モンブラン(ドイツ)、カランダッシュ(スイス)、ヤンセン(ドイツ)だ。パイロットは「色彩雫(いろしずく)」シリーズのもので、「山栗(焦げ茶)」と「山葡萄(葡萄色)」、「孔雀(ターコイズブルー)を。ボトルの形がユニークなモンブランは「バーガンディレッド(茶色がかったワインレッド」、カランダッシュは「ブルーナイト(濃いめの青)」と「ブルースカイ(淡めの青)」を、偉人の名前が付けられたヤンセンは「ウイリアム・シェークスピア(茶)」を選んだ。それ以外に先日紹介したモンブランのラブレターインクと今は手元にないエルバン(フランス)の「ワスレナグサ色」、そしてペリカンの「ロイヤルブルー」がある。

同じブルーでも実に様々なブルーがあり、その中からこれは!と思うものを選ぶのは楽しいが難しくもある。専門店に行けば試し書きさせてくれるところもあるが、見本だけで選んでいざ使ってみるとイメージと違うものもある。インク選びも奥が深い。

ボトルで気に入っているのは、カランダッシュ。なんとなく香水のボトルを思わせる贅沢な作りで、見た目の大きさに比べて入っているインクの量は少ない。多用する場合はコストが気になるかもしれないが、私のようにさほど頻繁に使わなければ問題なし。

まだまだインクは残っているので、当分新しいインクは買うつもりはないが、いつかまたインク選びを楽しみたい。それには・・・もっと手書きする機会を作らないとね!

| - | 09:46 | comments(0) | - |
オパールセント〜ムーンストーン

18-0922.jpg

以前ほんの一時だがガラスに凝った時があり、いくつかのビンテージガラス製品が手元にある。バザーなどに寄付したものもけっこうあったので残っているのはほんのわずかだ。キャニスターなどの食器類とペーパーウエイトがいくつか。

その中で最近あらためて魅せられているものがある。乳白色のガラスで作られたペーパーウエイトだ。ガラスのペーパーウエイトにもいろいろあるが、私が持っているのは非常にシンプル。ガラスの丸っこい塊なのだが、その繊細な色に心惹かれる。

「オパールセント」と呼ばれるこのガラスは、ランプシェードや食器類によく使われている。光によって微妙に色が変わり、その名の通り宝石のオパールを思い起こさせる。そして青みを帯びた乳白色が月をイメージさせ神秘的でもある。

本棚の片隅にそっと置いたままになっていたのだが、最近デスクの上において愛でている。ペーパーウエイトのまわりだけ気のせいか仄かに明るくなったように見え、もし月の雫というものがあるとすればその雫が集まるとこのようになるのではないか・・・などと想像したりしている。

月といえば、ムーンストーンという石がある。宝石というよりもパワーストーンとして知られているのかもしれない。オパールセントのガラスを見ていたらムーンストーンに似ているな、と思った。そしてムーンストーンが私の誕生月である6月の誕生石であることを思いだした。6月の誕生石といえば真珠が一般的に知られている。が、考えてみれば真珠は石ではない。そこであとから考えだされたのかもしれない。

ムーンストーンは月長石とも呼ばれ神秘的な力を秘めた石として愛されてきた、そうな。月は女性性の象徴であり、女性をサポートしてくれる石だという。ふーん・・・

私はピアス以外のアクセサリーをあまりつけないが、自分のお守りとしてムーンストーンのリングを身に付けるのもいいかもしれない、と思った。真珠の指輪は気を使うので普段使いにはならないがムーンストーンであれば常時身に付けていられそうな気がする。少し探してみようかな?

ムーンストーンは悪霊を祓い予知能力を高めストレスを和らげる石とのことだ。お守りにふさわしいではないか。で、石言葉(っていうのがあるんですね)は・・・「恋の予感」「純粋な恋」だって。ちょっとこちらは私に似つかわしくはないけどなぁ。まあいいか。

| - | 12:44 | comments(0) | - |
露と答へて消えなましものを・・・恋男・業平

18-0921.jpg

在原業平・・・今となっては若い人など知らない名前なのかもしれないが、昔からプレイボーイの喩えとされてきたイイ男である。学校でも習ったことがある「伊勢物語」(作者不詳)の主人公は業平だと言われており、物語中展開される様々な恋愛もまた業平を彷彿とさせる。それほど当時は目立つ存在であり、動向が注目されれていたということだろう。

業平は外見がよかっただけでなく、出自もかなりのものだった。父親は平城天皇の第一皇子である阿保親王、母親は桓武天皇の皇女である伊都内親王。母方をたどれば桓武天皇の孫になり、皇族の中で最も高貴な身分ということになろう。しかし、父が臣籍降下したことにより「在平」姓を名乗ることになった。こういうところなども光源氏を思わせ、女性たちの憧れでもあったのだろう。

「日本三代実録」によると、「業平、体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌」とされている。つまり、外見は雅びやかで麗しく、性格は自由奔放。漢学にはほとんど通じていないが、見事な和歌を作る、ということだ。当時の学問は漢学で貴族の基礎的な教養とされていたようだが、そのようなことには関心を示さず歌を詠みつづけた自由人、ということになろうか。しかも絶世の美男が。

以前にも書いたことがあるが、古今集の選者である紀貫之は、その仮名序の中で六歌仙を評価しており、業平は「その心あまりて、言葉足らず」であり「しぼめる花の色なくて、にほひ残れるがごとし」とされており、その例として私が好きな「月やあらぬ春やむかしの春らなぬわが身ひとつはもとの身にして」が挙げられている。

言葉を武器とする歌詠みに「言葉足らず」といい、色つやもなくなったしおれた花の香りだけが残っているようだ、と。これはある意味で的を射ているとは思うが、前々から私は不満であった。「思い」を「言葉」に託すには限界があると思うからだ。ましてや恋歌となれば、思いが強すぎて言葉が追いついてこないというのは、その思いの切実さが伝わってきて私には欠点だとは思えない。

愛読コミックのひとつである「陰陽師」(岡野玲子)の中で、業平に触れる部分がある。伊勢物語に出てくる下記の歌が話題の発端だ。

白玉かなにぞと人の問いし時 露と答えて消えなましものを

これは、ある男が高嶺の花ともいうべき女性と恋に落ち、彼女をさらって逃げる話に出てくる。女は深窓の令嬢で、世間のことはほとんど知らない。逃げる途中、芥川という川のほとりで草の葉に露がたまっていた。輝く露を見て女は「あれは真珠かしら。何でしょう」と無邪気に訊ねた。逃げるのに必死だった男は何も答えなかった。やがて、二人は荒れ果てた倉にたどり着き、男は女を中に入れて戸口に立ち見張りをしていた。しかし、倉には鬼が住んでおり、女は鬼に食われてしまった。男はそれをいたく悲しみ、あの時「あれは露というものだよ」と答えて姿を消していれば、こんなに悲しい思いをせずにすんだものを、と嘆いた。そんな歌である。

物語なのでこれはもちろん創作ではあるが、やはり業平の人生で起きたひとつの事件を題材にしているようだ。実際、業平は高貴な身分の女性と駆け落ちしており、その女性は鬼に食われたわけではなく取り戻しにきた者たちに奪われてしまったのだ。

「陰陽師」では、安倍晴明の友である源博雅がこの歌をそのままに受け取り感動している。博雅は高貴な出自の男だが楽器を演奏することが大好きで恋愛についてはオクテだ。単純といえば単純だが、その純粋さは当人が知らない間に人を救ったりしている。

涙を流しながらこの歌とその背景にある物語への感動を言う博雅に、清明は業平の事件のことを教える。鬼に食われたというのは全くのフィクションであり、実際は取り戻されてさぞ悔しかったことだろう、と。そして、業平について「器量もよく、偉丈夫で頭も切れて、歌の才能は抜群とくれば並ぶ者なしの八重苦」を背負った男であり、「万葉の流れを継いだアーティスト」だと言う。そして貫之の批評を挙げて、業物差しが違う貫之には業平の歌は理解できないのさ、と。

腑に落ちる見解である。貫之はたしかに教養もあり、和歌に秀で、着実に出世の階段を上りつづけた人だが、どちらかというと学者タイプだというイメージを私はもっている。学者に芸術家を理解することは難しい。

プレイボーイだろうが、漢学の才がなかろうが、実際の恋にも架空の恋にも身を焦がすように生きた恋男・業平。私は好きだな、あんな男。

| - | 09:09 | comments(0) | - |
SPONSORED LINKS