・・・毛並はバサバサだが、けっこう肥えていらっしゃいますなぁ・・・
昨日の朝日新聞DIGITALに「この国民にしてこの政府」という英国の警句をとりあげた記事が出ていた。有料会員でないと記事のすべてを読むことができなかったので全部を読んだわけではないのだが、最近立て続けに露呈している官僚の不祥事やいかにもうさんくさい政府の対応について、またそのような輩をのさばりつづけさせている国民全体への苦言だったのではないかと思う。耳が痛い。
記事冒頭に小津安二郎監督の言葉が紹介されていた。「人間は少しくらい品行は悪くてもいいが、品性は良くなければならないよ」というものだ。たしかに監督が語ったように「品行は直せても品性は直せない」。「品行」は自らの意思でどうにでもなる・・・というか、どのように行動するか選択できる。一方「品性」は生まれ持ってのものもあるし、その人の生き方が意思とは関係なく反映される。何気ない会話やちょっとした対応に現れたり、ここぞという時の判断などにも現れるがあくまでも他人が感じるもので、本人が意識して演出するものではないだろう。
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私は子どものころから目の前の物事や人々の態度をナナメに見る、可愛げのないところがあった。今思うと本当に可愛げのない子どもだったと思う。大人たちが子どもに押し付ける「・・・・べきだ」の裏には、それは私のためにではなく自分のために言っているエゴのようなものを感じ、なかなか素直に受け取ることができなかった。
「・・・べきだ」を子どもに教える大人の中で最も身近なのは親と教師だ。親には遠慮なく反発していたと思うが、教師に対しては反発したことがない。だから、学校ではおとなしくて手のかからない、どちらかというと優等生の類いであった。しかし、内心では大人たちのエゴを軽蔑し、彼らが「不良」と決めつけている同級生にどこか憧れを持ち、目立たない存在として日々を過ごしていた。
今どきの子どもはちょっと違うかもしれないが、私の時代の小学生、中学生の「不良」はさほどの不良ではないと思う。親や教師の思い通りにならない子ども、世間の常識からはずれたことをする子ども、程度のものだったのではないだろうか。親の中には、「あの子と遊んではいけない」などという者もいたようだが、私の親はそういったことは一切言わなかった。今でもそれをありがたいことだったと思っている。
彼らは大人からみたら確かに「品行」はよろしくなかったかもしれない。が、ひとたびうちとけて話してみると意外に優しかったり正義感が強かったりした。「品性」が悪いわけではないのだ。親の言うことを真に受けてそれらの子どもたちをまるで汚いものを見るような目で見たり、避けて通ろうとしたりする同級生たちの方が私にとっては軽蔑の対象だった。
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こんなことがあった。息子が中学生の時のことだ。当時息子が乗っている自転車がかなり古くなり新しいものを欲しがったが、まだ乗れるし懐具合があまりよくないので少し待つように言ってあった。母子家庭の経済状況をよく知っている息子はそれ以上ねだることはなかったが、ある日クラスメートから自転車をもらったと嬉しそうに告げた。なんでも、その子は自転車を2台持っているのでひとつくれたということだった。
私は忙しさにかまけてその子の親に連絡するのを怠っていた。子ども同士のことにあまり口を挟むべきではないと思っていたということもあるが、今思えば連絡していた方がよかったのかもしれない。
息子はもらった自転車を乗り回していた。そして地元の警ら中の警官に職務質問を受け、その自転車が盗まれたものであることがわかって交番に連れていかれた。なんでもそのころ自転車の盗難が相次ぎ、こまめに警らしていたようだった。
会社を出て、さてこれから買い物をして夕食の支度をしなくては・・・と駅へ急ぎ足で歩いていた時に携帯電話が鳴り、出るとしれは地元の警察署だった。息子を迎えにきてほしいという。詳しい事情がわからないまま自宅の最寄り駅を通り越して警察署まで駆けつけると、担当者がおおまかな事情を説明してくれた。息子は事情聴取されている最中で廊下で待つように、とのことだった。
一人で待っていると、息子に自転車をくれたという子どもの両親が青ざめた顔をしてやってきた。2人とも身なりがよく、父親は「エリート」という言葉を連想させるような人だった。母親が私のところにきて丁寧に謝罪した。母親の口からは聞かなかったが、ものを盗むのはこれがはじめてではなかったようだ。今までにも何度かこういうことがあったのかもしれない。意外なほど丁寧な謝罪からそんなことを想像した。
その時息子は14歳だったが、盗んだ本人はまだ13歳。少年法に従い、盗んだ本人はあっさり帰宅できたが息子は長々と事情聴取されていた、というわけだ。盗難自転車とは知らないでいたとしても14歳は14歳、ということだ。
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息子が聴取から解放されて警官に連れられてきた。さすがに元気がなかったが、担当の警官はむしろ息子を気の毒だと思っていたような態度だった。「はい、ごくろうさん」と言って息子を送りだした。帰り道、少しずつ事情を聞き、息子もはじめてその友だちが盗みの常習者だったことを知りショックを受けたようだった。
その子は勉強もよくでき、品行方正な生徒だったという。それでも盗みをするとは、盗んだものを人に渡すとは、と私は腹が立ってきた。しかし息子は腹をたてている素振りを見せない。「あいつもオレに罪をなすりつけようと思ってしたことではないと思う」「いいところもあるんだ」などと言うので、人がいいにも程がある、馬鹿正直にもほどがある、と思った・・・が、それ以上は言わなかった。
息子のそういうところは幼いころからで、いじめられても決して悪口を言わない。こちらが相手を責めるようなことを言うとかばう。ひとが良すぎる馬鹿とも言われかねないのだが、私は息子の美点のひとつだとも思いそのままにしていたのだ。いずれ世の中に出ればいろいろ辛い思いもして考え方も変わって行くだろう、それまでこのままにしておこうと思った。
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自転車を盗んだ子どもはしばらくして私立の中学校に転校していった。親の配慮だったのだろう。息子いわく「あいつは頭がいいからいい中学に入れたみたいだよ」だと。まあいい。もう忘れよう。息子には不用意に人からものをもらわないよう言うに留めた。世の中には善意の人もいればそうでない人もいるということを、中学生くらいになれば知っていてもいい。
その子がそれからどうなったかは知らない。態度をあらためてまっとうに生きていればいいと思うが。親馬鹿から言っていると思われても仕方ないが、私はその子より息子の方が「品性」はあったと今でも思っている。少なくとも私の前では息子はいまだに人の悪口を口にしない。
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昨今の官僚やら政権をもつ人たちの態度を見ていると、こういう人たちは子どものころから「品性」がなかったんだろうなぁと思ってしまう。「品行」の良さを利用して「品性」の悪さを隠してきたのだろう、と。それがまかり通る世知辛い世の中が情けないが、だからこそ「品性」は大切なのだ。人のことを言えるような私ではないのだが・・・・これからでも遅くないので自身に恥じないように生きなければなぁ、と思う。
*昨日の天皇賞、いいレースでした。
*が、勝った馬が故障した模様。ずっと心配だったが・・・
*今後はわからぬが生死にかかわるものではなかったようでよかった。ほっ。