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「品行」と「品性」

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・・・毛並はバサバサだが、けっこう肥えていらっしゃいますなぁ・・・

 

昨日の朝日新聞DIGITALに「この国民にしてこの政府」という英国の警句をとりあげた記事が出ていた。有料会員でないと記事のすべてを読むことができなかったので全部を読んだわけではないのだが、最近立て続けに露呈している官僚の不祥事やいかにもうさんくさい政府の対応について、またそのような輩をのさばりつづけさせている国民全体への苦言だったのではないかと思う。耳が痛い。

記事冒頭に小津安二郎監督の言葉が紹介されていた。「人間は少しくらい品行は悪くてもいいが、品性は良くなければならないよ」というものだ。たしかに監督が語ったように「品行は直せても品性は直せない」。「品行」は自らの意思でどうにでもなる・・・というか、どのように行動するか選択できる。一方「品性」は生まれ持ってのものもあるし、その人の生き方が意思とは関係なく反映される。何気ない会話やちょっとした対応に現れたり、ここぞという時の判断などにも現れるがあくまでも他人が感じるもので、本人が意識して演出するものではないだろう。

私は子どものころから目の前の物事や人々の態度をナナメに見る、可愛げのないところがあった。今思うと本当に可愛げのない子どもだったと思う。大人たちが子どもに押し付ける「・・・・べきだ」の裏には、それは私のためにではなく自分のために言っているエゴのようなものを感じ、なかなか素直に受け取ることができなかった。

「・・・べきだ」を子どもに教える大人の中で最も身近なのは親と教師だ。親には遠慮なく反発していたと思うが、教師に対しては反発したことがない。だから、学校ではおとなしくて手のかからない、どちらかというと優等生の類いであった。しかし、内心では大人たちのエゴを軽蔑し、彼らが「不良」と決めつけている同級生にどこか憧れを持ち、目立たない存在として日々を過ごしていた。

今どきの子どもはちょっと違うかもしれないが、私の時代の小学生、中学生の「不良」はさほどの不良ではないと思う。親や教師の思い通りにならない子ども、世間の常識からはずれたことをする子ども、程度のものだったのではないだろうか。親の中には、「あの子と遊んではいけない」などという者もいたようだが、私の親はそういったことは一切言わなかった。今でもそれをありがたいことだったと思っている。

彼らは大人からみたら確かに「品行」はよろしくなかったかもしれない。が、ひとたびうちとけて話してみると意外に優しかったり正義感が強かったりした。「品性」が悪いわけではないのだ。親の言うことを真に受けてそれらの子どもたちをまるで汚いものを見るような目で見たり、避けて通ろうとしたりする同級生たちの方が私にとっては軽蔑の対象だった。

こんなことがあった。息子が中学生の時のことだ。当時息子が乗っている自転車がかなり古くなり新しいものを欲しがったが、まだ乗れるし懐具合があまりよくないので少し待つように言ってあった。母子家庭の経済状況をよく知っている息子はそれ以上ねだることはなかったが、ある日クラスメートから自転車をもらったと嬉しそうに告げた。なんでも、その子は自転車を2台持っているのでひとつくれたということだった。

私は忙しさにかまけてその子の親に連絡するのを怠っていた。子ども同士のことにあまり口を挟むべきではないと思っていたということもあるが、今思えば連絡していた方がよかったのかもしれない。

息子はもらった自転車を乗り回していた。そして地元の警ら中の警官に職務質問を受け、その自転車が盗まれたものであることがわかって交番に連れていかれた。なんでもそのころ自転車の盗難が相次ぎ、こまめに警らしていたようだった。

会社を出て、さてこれから買い物をして夕食の支度をしなくては・・・と駅へ急ぎ足で歩いていた時に携帯電話が鳴り、出るとしれは地元の警察署だった。息子を迎えにきてほしいという。詳しい事情がわからないまま自宅の最寄り駅を通り越して警察署まで駆けつけると、担当者がおおまかな事情を説明してくれた。息子は事情聴取されている最中で廊下で待つように、とのことだった。

一人で待っていると、息子に自転車をくれたという子どもの両親が青ざめた顔をしてやってきた。2人とも身なりがよく、父親は「エリート」という言葉を連想させるような人だった。母親が私のところにきて丁寧に謝罪した。母親の口からは聞かなかったが、ものを盗むのはこれがはじめてではなかったようだ。今までにも何度かこういうことがあったのかもしれない。意外なほど丁寧な謝罪からそんなことを想像した。

その時息子は14歳だったが、盗んだ本人はまだ13歳。少年法に従い、盗んだ本人はあっさり帰宅できたが息子は長々と事情聴取されていた、というわけだ。盗難自転車とは知らないでいたとしても14歳は14歳、ということだ。

息子が聴取から解放されて警官に連れられてきた。さすがに元気がなかったが、担当の警官はむしろ息子を気の毒だと思っていたような態度だった。「はい、ごくろうさん」と言って息子を送りだした。帰り道、少しずつ事情を聞き、息子もはじめてその友だちが盗みの常習者だったことを知りショックを受けたようだった。

その子は勉強もよくでき、品行方正な生徒だったという。それでも盗みをするとは、盗んだものを人に渡すとは、と私は腹が立ってきた。しかし息子は腹をたてている素振りを見せない。「あいつもオレに罪をなすりつけようと思ってしたことではないと思う」「いいところもあるんだ」などと言うので、人がいいにも程がある、馬鹿正直にもほどがある、と思った・・・が、それ以上は言わなかった。

息子のそういうところは幼いころからで、いじめられても決して悪口を言わない。こちらが相手を責めるようなことを言うとかばう。ひとが良すぎる馬鹿とも言われかねないのだが、私は息子の美点のひとつだとも思いそのままにしていたのだ。いずれ世の中に出ればいろいろ辛い思いもして考え方も変わって行くだろう、それまでこのままにしておこうと思った。

自転車を盗んだ子どもはしばらくして私立の中学校に転校していった。親の配慮だったのだろう。息子いわく「あいつは頭がいいからいい中学に入れたみたいだよ」だと。まあいい。もう忘れよう。息子には不用意に人からものをもらわないよう言うに留めた。世の中には善意の人もいればそうでない人もいるということを、中学生くらいになれば知っていてもいい。

その子がそれからどうなったかは知らない。態度をあらためてまっとうに生きていればいいと思うが。親馬鹿から言っていると思われても仕方ないが、私はその子より息子の方が「品性」はあったと今でも思っている。少なくとも私の前では息子はいまだに人の悪口を口にしない。

昨今の官僚やら政権をもつ人たちの態度を見ていると、こういう人たちは子どものころから「品性」がなかったんだろうなぁと思ってしまう。「品行」の良さを利用して「品性」の悪さを隠してきたのだろう、と。それがまかり通る世知辛い世の中が情けないが、だからこそ「品性」は大切なのだ。人のことを言えるような私ではないのだが・・・・これからでも遅くないので自身に恥じないように生きなければなぁ、と思う。

 

*昨日の天皇賞、いいレースでした。

*が、勝った馬が故障した模様。ずっと心配だったが・・・

*今後はわからぬが生死にかかわるものではなかったようでよかった。ほっ。

| - | 07:04 | comments(2) | - |
アルコール依存症

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・・・夕焼けだんだんの近くで。少し離れたところにもう1匹猫がいた・・・

 

アイドル系グループのタレント(もういい年齢なのでアイドル云々はいかがなものかと思うが)が強制わいせつ罪で書類送検されたニュースが流れた。涙ながらの記者会見も見ている方はどちらかというとしらけていたのではないかと思う。本人は心から謝罪の気持ちを表しているのだろうから気の毒といえば気の毒だが、自己管理できなかったことのツケは大きい。

本人は否定しているようだが、アルコール依存症であることは顕かに思える。飲んだ酒の量も半端ではない。酒は青年に達すれば誰でも買って飲めるから、薬物依存よりも対応が遅れて人生を棒に振ってしまう人が多いのではないだろうか。同じ「依存症」でも薬物の場合「こりゃ、大事だ!」となり、酒だと「本人がだらしないから」と受け取られがちのような気がする。が、「依存症」と名がついているように、自分の意思ではもうどうにもならない「病気」であることをこの際多くの人が認識した方がいいと思う。

アルコール依存症は自分とは関係ないものだと穏やかに暮す人たちは思っているのかもしれない。が、けっこうこれは身近な問題になりやすいと思っている。前述したが酒は成年なら誰でも帰るし飲み方をあれこれうるさく言われるべきものでもない。心の中のうっ積を一時でも忘れたいと思う時、酒に手を出す人は多い。依存症になるまで飲みつづける人は少ないが、可能性は潜在しているということになると思う。

私も以前、けっこう身近なところにいた人がアルコール依存症になった。なった、というよりずいぶん後になって依存症であったことを知った。長年の飲酒がたたって肝硬変になり入院し、酒についてはドクターストップがかかった。妻には酒をやめると約束した。しかし、結局やめられず家族に隠れて酒を飲みつづけ、肝硬変はとりかえしのつかないところまで進んでしまった。その後大腸ガンになりある日突然腸が破裂。緊急入院したものの肝硬変であるため最善の治療ができず、人工肛門をつけて退院。その後1年もしないうちに亡くなった。

妻の介護、献身はたいへんなもので、私にはできないと思った。それと同時に、夫が妻に依存しているだけでなく妻もまた夫への献身に依存していたという思いを抱いた。依存症を家族だけで対処するのは困難だと思うのだが、妻は自分一人でなんとかしてあげたいという思いで世話をしつづけたのだろう。それ自体は悪いことではないが、結果的に夫の死を早めたと思う。残酷だが、やはりそう思う。

もし、もっと早く知っていれば、嫌われたりなじられたりしても専門施設への入院を勧めたと思う。が、私が知った時はもう手遅れの状態だった。なぜ専門施設に入院させなかったのか、そもそも夫婦の間でそういう話が出たのか、聞きたかったが未だに聞いていない。

アルコールだけでなく「依存症」と名のつくものは「病気」である。専門施設に入院して薬や酒をやめられたとしても、退院してきてからも強い意志をもってそれらを避けつづけていかなくてはならない。決して簡単なことではないと思う。周囲の人たちをも不幸にしてしまう「依存症」は、ガンなどと同じくらい怖い病気なのかもしれない。

私は毎日酒を飲むが、昼間から飲み続けることはないし酒量もだんだん減ってきた。もはや体力が低下して依存症になるエネルギーもないといったところか(冗談半分)。酒は楽しく飲むものだ。苦しさを紛らわすために飲みたいという気持ちは重々わかるが、それで問題が解決するものでもない。そのようなことはみな分かっているのだろう。それでも依存してしまうのが人間だ。怖い、怖い。

| - | 12:54 | comments(2) | - |
谷根千うろうろ

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中学、高校の同級生と谷根千あたりを歩いてきた。彼女ははじめてということなので、私の中での基本コースである日暮里〜谷中〜根津あたりを。

曇りがちであったこと、ゴールデンウイーク直前であったことなどが理由なのか定かではないが、思っていたより人が少なくてよかった。最近は外国人観光客にも人気があると聞いていたので、ちょっと心配していたのだ。実際何人も外国の人たちを見たが、不思議なことに中国や韓国の人だちはほとんどおらず、欧米系の人が多かった。

お昼は前々から行きたかった「鷹匠」という蕎麦屋でとりたかったのだが時間が合わず。通り掛かりの魚介類専門をうたう小さな店でランチを頼んだのだが、これがなかなか!カウンターだけの小さな店なのだが隣が鮮魚店で経営者が同じなのかもしれない。魚介類は冷凍を使わないとのことで、寿司屋ではないのにガラスケースの中にイキがよさそうな魚が・・・私は三色丼(刺し身3種)、友人は一番人気の三昧定食(刺し身、フライ、煮付け)を注文。煮付けを少し食べさせてもらったが、薄味でおいしかった。リピートしそう。

「乱歩」(老舗の喫茶店)や「ル・プリーベ」(猫がいる喫茶店)が休みだったのが残念だったが、「いせ辰」「ビスケット」「猫町ギャラリー」などを巡り「芋甚」で休憩。また日暮里に戻って帰路についた。以前はあれほど猫がいた夕焼けだんだんからも猫の姿が消えてしまったが、かろうじて3匹の猫に出会えた。谷根千散策の大きな楽しみのひとつに猫との出会いがあったのだが、最近は出会えればラッキー!になってしまって淋しい。

最近、どんな店でも店員の人と話すようにしているのだが、昨日は洒落た小物を扱う店でいろいろ話し込んだ。アクセサリー類やファッション小物を中心に扱う店で、今は「きのこ」をテーマに細々としたものを揃えていたが、夏には私の好物である妖怪関連のグッズが揃うという。全生庵の幽霊画展に合わせてやるらしい。幽霊画展は昨年行ってなかなかおもしろかったので今年も行こうと思っていた。帰りに立ちよってみたいと思う。

| - | 06:31 | comments(0) | - |
かつて私のものだった薔薇たちよ

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・・・マンションの敷地でのびのびと花を咲かせるローザ・湖南・・・

今年は桜の開花が早いとは聞いていたが、薔薇もまた例年より早い開花のようだ。まだ4月だというのに、いつもは5月にならないと咲かないオールドローズがすでに咲いている。わが家では早咲きのロサ・プリムラはすでに散り、スコッチローズ系統(ロサ・スピノシッシマの仲間たち)のシングル・チェリーと我が最愛の薔薇スタンウェル・パーペチュアルが咲いている。アリスター・ステラ・グレイも咲いている。

思えばベランダの薔薇もずいぶんと少なくなったものだ。薔薇に対する熱意が以前より薄れたことは否めないが、それでも薔薇は私にとって特別な植物であることに変わりはない。とくに原種や原種のハイブリッド、オールドローズの中でも古いものに関しては。

時々、去年の今ごろは、3年前の今ごろは、どうしていたのだろうかと「PHOTO」フォルダをのぞいたりする。なんでもすぐに忘れがちになって久しく、思いだしてもそれが1年前なのか2年前なのかそれとももっと以前のことなのかはっきり思いだせなくなっている。それを確かめるために調べたりすることもある。

そうしている時、私が最も薔薇に夢中になっていたころの写真群に遭遇することがある。自分が感じた感動をいかに写真で表現するかに心を砕いていたころでもあり、その美しさ、その個性は鮮やかだ。そしてその鮮やかさは私の心を揺さぶり、切なさが込み上げてくる。

狭いベランダで無理やり育てていた。それを承知で増やしていた。限界を超えているのを知りつつ。それを続けているうちに私は疲れてきた。鉢をあちこち移動させたり、植え替えの時にかなり手間取ったりすることに対して疲れていたということもあるが、本来であればのびのびと育つはずの薔薇を狭い場所に押し込めていることが心苦しく、またこのような場所ではいくら大切にしてもその薔薇の魅力の半分くらいしか知ることはできないという思いが日に日に強くなってきた。

私が今までどれくらいの薔薇を育ててきたのか・・・数えていないのでわからないが、薔薇に夢中になっていた時期は5年間ほどだったと思うので、その割には多いのではないかと思う。今目の前にある薔薇以外は、枯れてしまったり、完全に枯れる前に処分してしまったり、知人に送ったりした。もらう方も半分は迷惑だったのではないかとも思うが、里親さんがかつて私のものだった薔薇の写真をブログなどにアップしてくれると、なつかしくてなつかしくて。

過去の写真の中に里子に出した薔薇を見つけるたび、ああこの薔薇は今ごろどうしているだろうかと思う。自分の勝手で手放したのだから、もうその消息を知ろうとする権利は私にはない。行き先で枯れてしまっても、それはそれで仕方ないことだ。だからこそ、元気な姿、美しい花を咲かせている姿を見せてもらった喜びは大きい。

先日、マンションの敷地内でいつも通らない場所を遠目で見ていたら、ピンクの花らしきものが見えた。その場所は以前私が自分で育てていた薔薇をこっそり植えたところだ。しかし、遠目で見えるほど大きくなったとは思っていなかった。ぐんぐん育っていることは確認していたが、共有スペースということもあり、いつ刈られてしまうかわからないと覚悟もしていた。

ピンクの花の正体を見るため近づいていくと、まさしくそれはかつて私のものだった薔薇だった。予想をはるかに超えて大きくなっており、無数の花を咲かせていた。ゆるりとカーブを描いて伸びる枝はまさしくシュラブローズの正しいかたちであり、花というよりも全体の姿がとてもいい。人の手が入らないとこれだけ薔薇はのびのびと育つのか・・・ふと、かつて感動した花鳥渓谷の薔薇たちを思いだした。

ミドルピンクの花は私の好みからははずれている。しかし、そのようなことは関係ないと思えるほど立派な姿だった。たしか手に入れた時の名前は「ローザ湖南」。たぶんいいかげんな命名で似た名前を持つ全く別の薔薇があることを私は知っている。

薔薇を育てるなら、このような姿で成長できるよう育てたいと改めて思った。たぶん広い土地がないと無理なのでそれは夢に終わるだろう。それはそれでいいのだ。立派に育った「ローザ湖南」の前で目を閉じ、かつて私のものだった薔薇たちへ私は懺悔に似た気持ちを持ちつつ、彼ら(彼女ら?)を決して忘れまいと思う。

18-0427-2.jpgフェンスを越えて伸び邦題!

18-0427-3.jpg無邪気なピンクから青みを帯びて褪色していく花。

| - | 07:24 | comments(4) | - |
おかいものチャネル

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「チャネル」であって、「チャンネル」ではない。いや、なんとかチャンネルという買い物に特化した放送があるみたいなので念のため。もともとは同じ「channel」なのだが読み方(表記のしかた)によって違う意味に使われている。「チャネル」はコンピュータ・通信分野ではデータを転送する時の「経路」、マーケティング分野では「流通経路」を表す。

理屈っぽい前置きはこれくらいにして、買い物の「チャネル」についてつらつらと。一昔前までは、欲しいものがあればそれを販売している店に行って買う、というのが一般的だった。通信販売などが出てくる以前は、それが遠い店でもどうしても欲しいものであれば出かけていく人もいたはずだ。

雑誌などを見て気に入ったものがあれば、それを扱っている店の名前や住所、電話番号を控えておく。そして、しばし迷った後で意気揚々と(?)買いに行く。大学生のころだったか、ファッション雑誌で「Lee」というアメリカブランドのデニム(当時はGパン?ジーンズ?)が紹介されていた。なんだかとてもかっこよく見えた。中学生のころからデニムは私のユニフォームみたいなものなので気になって仕方なかった。

販売店は六本木にある輸入衣料を扱う店だった。自宅から行きやすい場所だったが、六本木など行ったことがない。服を買うなら渋谷や新宿で六本木は違う世界に住む人たちの街といった印象だった。しかし、欲しいという欲望からはじめて六本木に行き、件のデニムを買ったのだ。今思えばなんの変哲もないストレートデニムだったが、かなり嬉しかったと記憶している。

通信販売が一般的になり、各社分厚いいカタログやカテゴリー別のカタログなどを発行するようになると、わざわざ出かけていかなくても買い物ができる便利さは急速に受け入れられるようになった。一度買い物をすると年に何回かカタログが送られてきてリピートを促していく。その手法はある程度成功したといえるだろう。

そこにもってきて、インターネットという巨人が現れた。当初は不安から手をださずにいた人たちも多かったと思うが、今や「ネットでは一切買い物をしない」という人の方が少数派になった感がある。ネットにまつわる様々な問題が提起されるたび不安を感じて考えたりするのだが、便利さという魅力に抗えない人も多い。

かくいう私もネットで買い物をするのが日常茶飯事になってしまった。高額なもの、色や素材感が要であるもの、などは自分の目で見て手で触れて買いたいという思いはもちろんある。が、わざわざ出かけていくところまで行かないことが多い。商品説明が丁寧なものはけっこう安心して買う。そうでないものは・・・不安を感じつつえいやっと買う。いずれにしろ、見ないで買うというのは一種の賭けであり、商品が届いた時に「こんなはずでは・・・」と思ったら自分が賭けに負けたということだと思うようにしている。

私は手工芸品が好きで、ひとつひとつ念入りに作られたものには目がない。そういったものは絶対といっていいほど自分で見て買わなければ満足できなかったのだが、最近はたまにネットで購入したりしている。よくよく考えてのことだし、「賭け」だと覚悟はしているが。

数年前から、いわゆる「ものづくり」をする人たちの作品を集めたショッピングサイトがあることをご存知の方も多いと思う。私もいくつか知っており、時々様子を見たりしている。そして、いわゆる「素人」が作ったものも決して馬鹿にはできないぞ!という思いを深めている。ハイレベルの作品が増えてきて、商業ベースに乗って売られているものよりもリーズナブルに手に入れることもできるようになってきたなぁ、と思う。

私が今のところ一番好きなハンドメイドサイトは「iichi」というところ。ここは何度か利用しており、届いたものにも満足している。写真の帯留もそのうちのひとつで、丁寧な日本刺繍が魅力的だ。これをたとえば名の通ったきもの関連サイトで買ったらたぶんそれなりのお値段だと思う。

こういったサイトは会員登録をすると気に入った作家の新作が出たらDMが届くし、作品個々もお気に入りの登録をしておくことができる。ものを買うというのは一つの楽しみであり、自分の中のイベントでもあるので、買うまでの過程をできれば楽しみたいものだ。実際に自分が見られるものには限りがあるので、足を運んで見たりすることに加えてネットで様々なものを見て、総合的に判断して買うのがよろしい・・・と今は思っている。まあ、けっこうな時間とエネルギーは必要かもしれないが。

買い物のチャネルはどんどん広がっている。私のようなブツヨクの強い人間にとっては楽しいことでもあるが、そうでもない人たちにとっては鬱陶しいだけなのかもしれない。そう思いつつ、今日もあれこれ見回ることだろう(^^;)

*あ、オークションというチャネルもあった。はい、時々利用してますです。

| - | 07:12 | comments(0) | - |
川越散策

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雨が降りそうな天気だったが、友人と川越に行ってきた。だいぶ前から「江戸めぐり」の地として候補にあげていたのだが、少し遠いこともあり互いの事情もありで先延ばしになっていたのだった。

友人は川越がはじめてだったが、私は3回目。が、ある程度歩き回ったのは10年以上前に一度だけ。あとは仕事で行ったのと知人の実家を訪ねた帰りに食事をしに立ち寄っただけだ。なんとなく雰囲気はわかっていたが、なにせかなり前のことだったので楽しみにしていた。

街は大幅に変わったということはなかった。10年以上前に行ったころから観光客で賑わっていたが、最近では海外からの観光客も多いと聞いていたのでちょっと心配だったが、天気が今一つで肌寒かったからなのか、ほどほどの人出で快適に街歩きができた。

川越といえば蔵が並ぶ街並みが有名だ。江戸時代には川越藩の城下町として栄えたとのことで「小江戸」とも呼ばれている。川越藩は武蔵国の大藩として幕府から重要視され、商工業や学問が盛んだったとのこと。農産物、絹織物、工芸品などの特産品開発がなされた、とwikiは伝えている。

商人の力が強かったのか、2階部分が蔵で1階部分が店舗といった作りの立派な建物が並んでいる。黒漆喰の重厚感のある建物が多く、観光案内所や資料館になっていたり手厚く保存されているようだ。蔵造り資料館は残念ながら現在耐震化工事のため休館中(来年の3月までの予定)なので、また行って資料館をじっくり見てみたい。

メインストリートを歩き、菓子屋横丁をひやかし、おいしい蕎麦を食べ(酒も1合ほど)、小さな土産を買い、と充実した一日だった。

川越唐桟という織物があることはごく最近知った。唐桟というのは江戸時代オランダ船によって輸入された織物「サントメ」(インドのものらしい)を唐(=外国)のサントメという意味の「唐桟留」と呼ばれ、それが短くなって「唐桟」となった。最初は輸入品だったが、川越で織られるようになり「川唐」と呼ばれていたようだ。

きものを着始めてから各地の織物をできるだけ見たいと思うようになり、昨日もたまたま見かけた呉服店に入ってみた。呉服店はちょっと敷居が高いのだが店の人に話を聞くことも勉強のひとつ。私は地厚のしっかりした縞模様の木綿をイメージしていたのだが、織り方によるのかかなりなめらかで薄いものもありなかなかいい感じであった。いつか1枚!(^^;)

最近とみに木綿のきものに心惹かれる。手入れが簡単だし帯などでかなり自由に遊べそうだ。もちろん、正絹の紬や小紋も好きなのだが、「カジュアル」と言われているもののやはり着るには気を張る。その点もめんきものは気楽でいい。今のところ片貝木綿(新潟)と久留米木綿(福岡)くらいしか着たことがないが、川越唐桟も心の中の「欲しいものリスト」に入れておこう。

そうそう、帰り際にふと通りかかった水上製本所のお面がかなり気になる。きつねのお面で、なかなかよくできている。今度行ったときは忘れずにゲットしたい。店構えもなかなか渋くて私好み。お面以外にもおもしろそうなものがあった。店の中に入ってみればよかったなぁ。

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18-0425-3.jpg埼玉りそな銀行

| - | 06:32 | comments(0) | - |
情熱・好奇心・挑戦

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先週の月曜日、北杜市(山梨県)にある萬屋酒造のギャラリーで開催されている流郷由紀子さんの個展に行ってきた。この蔵元の酒「春鴬囀(しゅんのうてん)」が好みだということもあるが、久しぶりに流郷さんの元気な顔とDMに描かれた作品を見たかったし。

絵も陶芸も書もやる流郷さんだが、今回はなんといっても新境地といっていいくらい今までとは作風が違う陶芸作品がいくつか並んでいた。これまでは、白い磁器に呉須で絵付けした繊細な感じのものが多かったが、今回はその中に手びねりの大胆な作品が目を引いた。登り窯を使って焼いたそうで、予想以上に大きいそれらの作品を見ていると流郷さんの尽きないエネルギーを感じた。

流郷さんがおいくつなのか正確なところは知らない。しかし、私より一回りとはいわずともある程度先輩である。人間、年齢を重ねるごとに新しいものに挑戦するのが億劫になりがちだが、流郷さんに限ってはそのようなことはないらしい。今日のタイトルはDMに書かれた文章からの引用である。

いつも元気で様々なものへの情熱を話してくれる流郷さんだが、疲れがたまっていたのか数日前から体調を崩し、私たちがギャラリーに着いた時はのれんで仕切られた控えのスペースで横になっていた。熱があって医者に薬を届けてもらっているという。今回の展示が終わっても山梨県内で5月、7月と個展を開催。その後九州に向かわれるとのこと。早く回復していつもの流郷さんに戻っていただけるといいのだが・・・

私はどちらかというと磁器よりも陶器が好きだ。土と火を感じる器が若いころから好きなのである。一時はそのような器を求めてあちこち見て歩いたりしていたが、このところだいぶご無沙汰している。作者自らが「自信作」と言った3作品はガラスの扉があるキャビネットに納まっていたがさすがにいい感じ。懐具合がもう少しよければ1つ欲しいくらいだった。

流郷さんは数年前から北杜市大泉町に住まわれていた。ガラス作家だったか工芸をやる人が立てたアトリエをかねた家には何度かお邪魔したことがある。寒い季節は日本を離れて世界中あちこち旅をしながらスケッチし、帰国してから作品展を開く。そんな感じだったと思う。しかし、事情があって本拠地を神戸に移したので、以来お会いする機会が減ってしまった。住まいは神戸だが、個展や作品づくりでほとんど自宅にいることはないようで、先日は珍しく弱気な感じで「いったい私はどこに住んでいるのやら・・・」などという言葉が出てきた。旅から旅へ、の暮らしはご自身によく合っていることは当然ご存知なのだろうが、年齢的にも少し疲れが出てきているのかもしれない。

18-0424-2.jpg行きがけに寄った道の駅で牡丹をみつけたのでお土産に。

18-0424-1.jpg流郷さんには珍しい鉄釉の絵付け

18-0424-3.jpgもちろんお酒も買いました(^.^)

次はいつお会いできるかわからないが、以前のような笑顔を見られたらと思う。「情熱・好奇心・挑戦、」は生涯持ち続けていらっしゃるだろうから。

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右側に悪魔!?

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スマホカメラのスイッチを間違えて押してしまうことあり。時々おもしろい写真になることあり。

 

それは楽しい夜であった。夕方から始めて聞く落語家の会に行き、久しぶりに真剣勝負のような芸を見た。そこで15年ぶりくらいに会うご夫婦に会い、以前住んでいた街で飲むことになった。そのご夫婦の地元で日本酒の取りそろえがいい店に行き、あれこれ数種類の酒を閉店までおいしくいただいた。気温は下がり気味だったが、きものを着ていたこともあって全く寒いとは思わず、ほろ酔いを少しオーバーしたくらいの酔い方で気分よくご帰還!となるはずであった。

わが家は最寄り駅から向かうと坂の連続である。けっこうな急坂をぐんぐんぐんと登り、第一の頂点に達する。そこからしばらくだらだらと下る。そしてさらに急になった坂をひーひー登る。まっすぐな坂を上り終えておしまいかと思いきや、左に曲がってさらに登る。すると向こう側の空が見えてきてやっと平らな道になる。

事件(!)は平らな道に出る1メートルくらい手前で起きた。私の右側にいた悪魔が私の足を掬ったのだ!あれ?と思ったらすでに道に転がっていた。酔っていたせいもあって、転んだのはわかっているが痛みはさほど感じなかった。膝を打ったらしく膝のあたりが痛いなぁと漠然と思った程度である。しかし・・・

一緒にいた家人が顔を押さえろと言う。なんと、転んだ時に顔の右側を擦ったらしく、眉毛のあたりから出血していたのだ。首から上の傷は思いの他出血が多いとは聞いていたが、それを自ら経験するとは・・・バッグから手ぬぐいを出して顔に当て、よろよろと自宅に戻ってみて驚いた。外は暗いのでよくわからなかったが、傷に当てた手ぬぐいが血だらけ。ついでに半襟も血だらけ。とりあえず傷に傷テープを貼ってもらってきものを脱ぎ、血で汚れた長襦袢とその下に来ていたスリップを洗濯(真夜中の洗濯ではた迷惑だったが仕方ない)。化繊の襦袢(従って半襟も)でよかった・・・すぐに洗ったのできれいに落ちていたから。

その夜はそのままおとなしく寝た(あたりまえ)。翌朝傷を見てみると、ちょうど眉毛の中で2〜3センチくらいだった。すでに血は止っていたので、しばらくのあいだこのままにしておけばいいや、と思ったが家人は「医者に診てもらった方がいいんじゃないの?けっこうな血だまりができていたぞ」と。たまたまLINEで連絡が来た妹に告白すると、やはり診てもらったほうがいいと言う。

いきなり不安になって病院を探したが、一番いいのは形成外科らしいことがわかった。しかし、形成外科の開業医は少ない。じゃ、外科か。ということで地元の外科もやっている小規模病院に電話して聞いたら、傷が顔なので形成外科か皮膚科に行ってくれと言われた。何度か診てもらったことがある皮膚科に電話すると、傷を縫ったりはできないので形成外科を紹介することしかできないと言われた。うーん、傷を診てもらうだけで治療ができないということなら行く意味があまりない。困った・・・

病院といえば、家人が月1回通っている自転車で行ける距離の総合病院があったことを思いだし、電話で聞いてみた。形成外科もあるが週1回しか医師がこないと言う。仕方ないから予約しようと思いはじめたら、電話に出た人がなるべく早く診てもらった方がいいので、外科に診てもらったらどうかと提案してくれた。私もその方が安心なのでさっそく自転車をとばして行ってきた。

さほど待たずに診てもらったところ、傷はさほど深くはないのでそのままにしておいても大丈夫だが、縫った方が傷跡は目立たなくなるという。傷に1〜2mmの幅があるので縫わないと傷の幅が広くなるというのだ。仕方ない。こんな顔でもこれ以上悲惨にはなりたくないので、縫ってもらうことにして3針縫ってガーゼをあてて絆創膏を貼って・・・いかにも「顔面を傷つけました!」てな顔になって病院を出た。その足で、レンズに大きな傷をつけてしまった眼鏡の修理をしてもらいに行き、一張羅の眼鏡を預けてきた。片方のレンズだけなのだが、両方替えた方がいいという。バランスが悪くなるらしい。前に入れてあったレンズはそれなりにお高いレンズだったのだが仕方ない。お手ごろ価格のレンズに交換してもらうことにした。ケガってお金がかかるわぁ。

顔は眉の傷だけでなく、頬にも軽い擦過傷ができており、誰がみても転んで顔を打ちました!と分かる顔になっている。顔をぶつける前に膝をついたらしく、両膝にけっこうな痣ができている。気づかなかったが右肩もぶつけたらしく傷がある。自転車に乗れるくらいだからたいしたことはないのだが、こんな状態で人に会うのもかえって気を使わせてしまうと思い、約束を2つキャンセル。そのうちのひとつは伯母の一周忌だった。とほほ。

ケガをしたのが水曜日。で、木曜日以降はしぶしぶおとなしくしていることにしたが、今週からは活動を再開する。みっともない顔になっているが(眉に傷テープ)、明日と金曜日に友人たちと約束しているので、出かける予定。木曜日には抜糸するので少しはマシになるかも?

3日後、地元蕎麦屋に飲みに行くため(懲りない・・・)転んだあたりを通って現場検証。坂道によくある丸いデコボコの印(?)に躓いたのかと思っていたがそうではなく、けっこうな深さの小さな穴が道路にできており、草履の先がそこにひっかかったと思われる。よく通道だが、今まで一度もこういうことはなかったので穴があることなんぞ知らなかったぞ!「酔っていた」「きものを着ていたので小股すり足気味になっていた」「暗くて穴が見えなかった」等々悪条件が重なったのだ!と思うことにした。

それにしても、ここ数年身体の右側ばかりに不具合が出る。右腕にテニス肘。右足首の炎症2回。右手の軽い手根幹症候群。猫傷も右に集中・・・うーん、右半身になにかよからぬものが取りついているのでは?と思ってしまう。そういえば、わが家は布団を並べて寝ているのだが、家人は私の右側。寝ている間に邪悪な念を送っているのでは?と冗談で聞いてみたら、「あーバレたか」だって。

顔をケガしたら女性としては落ち込みがちになると思う。しかし、女も60年以上生きていると図々しくなるのか、気分はさほど落ち込んでいない。傷は残るらしいが、ちょうど眉毛の中なのでなんとかごまかせるだろう、なんて楽観的に考えてしまう。きものを着て酒を飲んだら足元に十分な注意を払わなくてはいけないということを学習するいい機会だったと思うことにした。痛い学習ではあったが。ちなみに、出血はけっこうひどかったが強く打ち付けたわけではなかったようで、腫れるということはなかった。お岩さんのようにならなくてよかったわ、ほんと。転んだ翌日から右の肘から肩にかけて筋肉痛のようなものがあったがそれもほとんど消えたし、あとは抜糸を待つのみ!

不思議なのは、きものが無傷だったこと。いったいどんな体勢で転んだのか。翌日じっくり点検したが、擦れた跡も血の跡もなし。ラッキー!なんてことを言っているヤツだからこんな目に遭うのだろうが。ご心配おかけした関係者各位、申し訳ありませんでした。年齢なりに回復はゆっくりだと思うけれど、出かける予定をがんがん入れて意欲満々なので大丈夫です。どうぞ、笑ってやってくださいまし。

 

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22日は猫に語らせる日・・・4月担当:ダイスケ

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みなさん、おはようございます。ダイスケだよ。ボクたち、あいかわらずげんきだよ。げんきすぎるのもいるけど(ふくちゃん)。

ボクはさいきん、けっこうひょうばんがいいよ。とくに、おっさんがとってもかわいがってくれるの。「おとこどうし」だからなのかな。「だいちゃん、かわいい、かわいい」ってよくいってくれるの。でもね、そうすると、ちょっとむこうのほうで、くろいおばちゃんがじとーーーっていうめでボクをにらんでいるの。あのおばちゃん、「へんくつ」で「やきもちやき」だとボクはおもうの。

それからね、ボク、くびわをかえてもらったよ。まえのはみどりいろの「ちりめん」だったけど、すみごんが「だいちゃんに、いまいちにあわないなぁ」っていって、まえにいたゴンさんがつかっていた「こうきゅうくびわ」をボクにつけてくれたの。「てぃふぁにーぶるー」の「ほんがわ」で、すずがついているの。

ちゃしろのおばちゃんが「あんた、それゴンのだったのよ!ゴンのいひんをすみごんたら!」っていうの。くろっぽいおばちゃんはかげで「あんたなんかにもったいないよ。ゴンとはおおちがいなんだから」っていうの。ボク、このくびわをつけていていいのかな・・・ってすこしおちこんじゃったの。

すみごんは、「ゴンくんは、きもちがやさしくておおらかだから、きっとダイスケにあげてもいいよ、っていっているよ」って。「やっぱり、ちゃしろだんしにはこのくびわがいちばんにあうね!」って。だから、ボク、なにをいわれてもきにしないことにしたの。

ボクはとってもはやおきだよ。まいあさ5じまえになると、おなかがすいてがまんできなくなっておおきなこえでないてすみごんをおこすの。「だいちゃん、うるさーい!」って、まいにちいわれているけど、がまんできないからしかたないの。ふくちゃんは、「あんた、いくらないたって6じすぎないともらえないもんね。えねるぎーのむだづかいだもんね」っていうの。

ふくちゃんは、ときどきすみごんのへやにいれてもらっているの。じぶんでどあをあけちゃうから、すみごんが「こんまけ」したんだって。ボクもちょっとはいってみたいから、ふくちゃんのあとからそーっとはいったことがなんどかあるの。でも、「2ひきになると、なにをするかわからないから、だいちゃん、ごめんね」っていわれちゃうの。ボクもびくびくしながらはいるから、なにかいわれるとすぐにそとにでるよ。

ふくちゃんは、ますますおおきくなって、ボクとおなじとしにはみえないの。「たいじゅう」はボクとおなじくらいだけど、かおがでっかくて「まるでそとにいるボスねこみたい」ってすみごんがいっているよ。とっくみあいをしても、いつもボクがまけるの。すみごんが「ケンカはきあいだよ。だいちゃん、きあいまけしてるだけだよ」っていうけど、ふくちゃんのかおみているとこわいんだもん。

ちゃしろのおばちゃんは、あいかわらず1しゅうかんにいちど、クリニックにいっているよ。もうなれてしまったみたいにみえるけど、かえってくるとちいさなこえで「くわばら、くわばら」っていっているの。「くわばら」ってなに?ボク、わかんないの。

くろっぽいおばちゃんは、どこかでねていても、すみごんがへやにはいってくるとでてきて「なでてー!かわいがってー!」って、しつこく「ようきゅう」しているの。ときどき、「まーちゃん、しつこいぞー」っていわれているけど、ぜんぜんきにしていないみたいなの。ボクのかおをみるとさっとにげるくせに。

らいげつは、ちゃしろのおばちゃんのばんだよ。このごろ、ときどきだけど、ボクのちかくにいたりして、すみごんが「いいねー!ちゃしろが2ひきよりそっているのって。むかしをおもいだすねー」っていってるの。ゴンさんとちゃしろのおばちゃんのことだよね。ボク、もっとおばちゃんとなかよくなれたらいいなっておもっているの。おしまい。

18-0422-3.jpgいつも、「あしがながい!」ってほめられるよ。

18-0422-2.jpgかおのしろいところが「にんにく」みたいだって。

| - | 06:05 | comments(2) | - |
PHOTO WEEK・・・風薫る<7>

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「風情」という点ではちょっと・・・なハナミズキだが、晩春から初夏にかけての軽やかな気分にはよく似合う。あれは花びらじゃないよ、などと無粋なことはもう言うまい。

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