先週、青山の蔦サロンで開催されている「東北の手仕事」(暮らしのクラフトゆずりは)に行ってきた。きものを着て行きたかったが雨の予報が出ていたので仕方なく洋服で。予報どおり午後から雨が降りはじめ、帰宅する時間には本格的な降りになっていた。しかし、胸の中にはなにかあたたかいものがあり、それを感じながら雨の中を早足で歩いて帰った。
*
「ゆずりは」という店については今までにも何度か書いている。ブログにはじめて書いたのは、検索する限り2013年5月17日だ。ひとりで十和田湖畔休屋にある店に行き、買ってきた黒猫の張り子を紹介している。次は2014年9月30日。友人と蔦サロンの展示会に行き、オレオレカンバのジャムスプーンを買ったことを書いている。直近は2017年5月19日でラオスの布製品を見てきたことを記録している。
毎年、東京では同じ場所(蔦サロン)で展示会が開かれているが、私にとっての「ゆずりは」はやはり十和田湖畔の店である。2010年、今は亡き花鳥渓谷の木村暢子さんに連れていってもらったのがはじめてだったが、それ以来2013年くらいまでは毎年行っていたと思う。ストールやカゴなど欲しいものはたくさんあったが手を出せる値段ではなかったので、張り子の猫やら作家物の一輪挿し、ぐい呑みなどを買ってきた。
何度か店に行ってはいたが、店主の田中優子さんには会えずじまいだった。田中さんとお会いしたのは昨年青山の展示会がはじめて。今年もお会いできてよかったと思っている。
十和田湖畔の店でなかなかお会いできなかった理由がなんとなくわかってきた。田中さんは東北の手仕事を広く伝えていくために、日本全国だけでなく昨年はフランスにまで出かけている。十和田に帰って少しゆっくりできるのは一年の中でも半分あるかないかなのではないだろうか。田中さんについては、2017年の記事にリンクしているところを読んでいただければと思うが、ご自分が生まれた青森をはじめとする東北の手仕事のすばらしさ、職人さんたちの思いなどを伝えることを使命として活動され続けている。
その思いが並大抵のものではないことを実際にお話しているとよくわかる。「ゆずりは」は今年で開業30年だそうだが、その間に出会った職人さんたちのことをよく覚えていらっしゃって、懐かしげに、時には少し悲しげに、静かに語ってくれるひとである。
今回も平日に出かけたのだが、日曜日には田中さんのお話し会が予定されていた。電車の混雑などを避けたくて平日にしたのだが、お話し会はやはり行くべきであったと後悔している。次回はぜひお話し会にも参加したい。
*
存在は知っていたのだが、田中さんには一冊の著書がある。「ゆずりはの詩」という本で2007年に主婦と生活社から出されている本で、2013年9月の時点で第4冊となっている。その本を今回は展示会場で買ってきて、帰りの電車の中で読みはじめた。
そこには、たぶん選ぶのに苦労したであろう何人かの職人さんたちとの思いでが綴られている。まだおつき合いのある人もいれば、すでに故人になられた人もいて原稿を書きながら田中さんは泣いていたのではないかと思われる部分もあった。
東北の自然を写したきれいな写真や職人さんたちの作品の写真がところどころに掲載されている。帯、桜皮細工、菱刺し、曲げわっぱ、あけび細工、籠作り、馬具バッグ・・・全て素晴らしい仕事であり、職人さんたち一人一人の人間性がにじみ出ているように思えてくる。
その中に、柴田市郎さん・吉田重太さんという“おじいちゃんコンビ”が出てくる。お二人は岩手で仲良く籠を作っていた職人さんだ。岩手の内陸の集落に暮らし、幼いころから親とともに山に入って木々と触れ合ってきた。木の皮やぶどうづるの皮は一年のうち一ヶ月しか採る時期がないという。その時期をはずすと、材料として籠に向かなくなるのだそうだ。
田中さんは彼らに同行して山に入り、材料を採るところを実際に見てきたという。採集された皮は乾かしたり濡らしたりを何度か繰り返し、幅や厚みを整えてる。そこまでの方が編む作業よりずっと時間もかかり、苦労も多いらしい。
*
田中さんがこの本を書いた時点で柴田さんは81才、吉田さんは85才。作れる籠の数はさすがに減ったようだがまだ現役で仕事をされていたようだ。吉田さんは自宅が火事にあった時、籠の編み方が書かれている本だけは焼くまいと炎の中からなんとか取り出して雪の中に投げたという。四隅がまる焦げになった本を大事そうにめくっている吉田さんの姿を田中さんは見ている。
そんな柴田さん、吉田さんに田中さんは書類鞄のような幅の狭い平らな籠を注文した。平らな籠は中に手を入れにくく編みにくいものだったがお客様にはとても好評で待ってもいっから欲しいという注文が相次いだらしい。
そのような注文に応えるため、吉田さんは作った籠を背負い、一日に2本しかないバスに乗って最寄りの町まで出かけ、郵便局から送ってきたという。到着するころには段ボール箱が変形して籠が飛び出しそうになっていたりしており、籠の中に詰め物をしてかたちを整えてから店に出していたそうだ。
本に掲載されていた幅の薄い籠がそれだと思う。そして今回、私は「お蔵だし」として田中さんが蔦サロンに持ち込んでいたこの籠に出会った。安いものではない。欲しいが・・・どうしよう・・・かなり迷った。しかし、ひとつだけ残しておいた最後の1つだと聞き、吉田さんの人となりを聞き、それらを語る田中さんの表情を見ているうちに、この一期一会は逃してはならないと思えてきた。そして思い切って買うことにしたのだった。
田中さんはとても喜んでくれた。そして籠と一緒に写真を撮らせてくれないかと。籠だけでいいのではと思ったが、私も一緒に撮りたいというご要望だ。どのような人のところに籠が買われていったのか、覚えておきたかったのかもしれない。
「本当は・・・売りたくなかったんです」と田中さんは静かにおっしゃった。「でも、自分の仕事を考えると、それではだめだと思って今回思い切って持ってきたんです。買っていただけてよかった」と。田中さんにとっても思いで深い籠だったのだろう。幅は薄いがB4サイズのものも入るくらい大きな籠である。面倒な包装は遠慮して籠のまま抱くようにして持ち帰ってきた。
*
モノとの出会いは千差万別である。「出会ってしまったんだから」などと強引に理由づけして高価なものを買ったことも何度かあった。しかし肉体的にも精神的にも、そして経済的にも衰えを感じざるをえない年齢になってからは、そういうこともめっきり減った。
今回入手した籠は久しぶりに心から出合いを喜べるものだった。大切に使わせていただこうと思う。そしていつか、きものを着てこの籠を持ち田中さんにお会いしたい。スマートな印象の籠なので洋服にも無理なく合うのだが、やはりきもので。
*
「ゆずりは」には不思議な縁を感じている。二度しかお会いしていないが故・木村暢子さんが無意識にしろ私にくれた縁のような気がする。「ゆずりはの詩」の裏表紙に印刷されている発行年月日を見て驚いた。2007年6月18日第一刷発行。私の誕生日である。
最後に「ゆずりはの詩」の冒頭で田中さんが引用されていた詩を私も引用させていただく。河井酔茗という詩人は知らなかったが、いい詩だと思う。田中さんはこの詩を知らずに店の名を「ゆずりは」にしたのだが、後になってお父さまからこの詩のことを教えられたという。そしてあらためてご自分がなすべきことを確認されたのだろう。そして、田中さんご自身がいつか“ゆずりは”の1枚になれればと思っていらっしゃるのではないか、そんな気がする。
ゆずりは
こどもたちよ、
これはゆずりはの木です。
このゆずりはは
新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる、
新しい葉にいのちを譲って―。
こどもたちよ、
おまえたちは何をほしがらないでも
すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
太陽のまわるかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そっくりおまえたちが譲り受けるものです、
読みきれないほどの書物も。
みんなおまえたちの手に受け取るのです、
幸福なるこどもたちよ、
おまえたちの手はまだ小さいけれど―。
世のおとうさんおかあさんたちは
何一つ持っていかない。
みんなおまえたちに譲っていくために、
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命に造っています。
今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちは伸びる。
鳥のように歌い花のように笑っている間に
気がついてきます。
そしたらこどもたちよ、
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう。
(「花鎮抄」より。河井酔茗)