・・・手元にあるのは昭和62年5月30日発行の第6刷。猪熊弦一郎さんの絵がいい・・・
先日はるばる栃木の那珂川馬頭広重美術館まで行ったのは、開催されている「大佛次郎と501匹のねこ」展を見るためだった。もちろん、美術館そのものを見るのも楽しみにしていたが。
大佛次郎といえば、猫好きな作家としてよく紹介されている。「作家と猫」といったテーマの本や特集には必ずといっていいほど登場し、自宅で猫とくつろぐ作家の写真が掲載されていたりする。「大佛次郎賞」などがあるくらいの大作家だが、私は小説としての作品は読んだことがない。エッセイ集である「猫のいる日々」をかなり昔に買って読んだきりだ。今回美術館に行く前に久しぶりに再読してみた。
この一冊だけでも、大佛がかなり猫好きだったことがわかる。猫かわいがりするというよりも、付かず離れずの距離をとりながら温かい目を猫たちに向けていたように思える。夫人は結婚前まで猫が嫌いだったのに、夫の猫好きに感化されてしまいには夫より猫好きになったとか。
大佛の猫好きは周辺でも有名だったようで、庭先に猫を捨てていく人が後を絶たなかったという話もエッセイに出てきて、今も昔もそのような不埒な輩はいるんだと改めて思った。どんどん猫が増えていったので、家の中は人間より猫の数の方が格段に多くなり、ついに大佛は15匹以上になったら自分は出ていく。猫に家を明け渡すと宣言する。そしてある日・・・そろって食事をしている猫たちの数を数えたら16匹いた。すかさず「オレは出て行く」と言うと、夫人が中の1匹を指して「それはお客様です。御飯を食べたら帰ることになっています」と宣ったとか。夫人の方が一枚上手である。
エッセイの中でもとくに好きな話が「ここに人あり」だ。またしても大佛家に猫を捨てていった人がおり、作家は終日沈んだ気持ちでいた。バスケットに猫を入れ、しっかりした女文字で「「この猫をあなたの御家族にしてお飼いください。お願いします」と画用紙に書かれた手紙がついていた。猫の絵まで描かれていた。自分の手に余るからといって人の迷惑を顧みず猫を捨てていく人の心根に作家は腹を断てながらも猫には罪がないから捨てられない。
多くの猫を飼うには餌代だけでもかなりのものになる。「猫がいないと蔵が立つな」などといいつつ夫婦はがっかりしている自分たちを慰め合っていた。平然と猫を捨てる人たちは生活に困っているような人たちではない。「苦しい生活をして働いているひとなら、こうはしない。紳士淑女のしっぽのやつらで高級の方でないことは確実である」「だから、私はその見てくれの偽善を忌まわしいと思う」と。
そんな時、鈴をつけた小猫がよく庭に遊びにきた。いつの間にか姿を消し、またやってくる。どこから来たのかと思い、ある日首輪に「君ハドコノネコデスカ」と書いた荷札を付けてみた。3日ほどしてやってきた時にまだ荷札をつけているのでかわいそうに思い、とってやろうとすると・・・そこには返事が書かれていた。「カドノ湯屋の玉デス、ドウゾ、ヨロシク」と。エッセイの最後を作家はこう締めくくっている。
君子の交わり、いや、この世に生きる人間の作法、かくありたい。私はインテリ家庭の人道主義を信用しない。猫を捨てるなら、こそこそしないで名前を名乗る勇気をお持ちなさい。
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「猫のいる日々」には童話もいくつか収録されており、中でも作家自身が上出来としているのが「スイッチョ猫」である。小猫のしろきちがあくびをした拍子にスイッチョ(ウマオイ)を飲み込んでしまい、お腹の中でスイッチョが鳴き続けるというアクシデントに見舞われる。兄弟たちからはうるさいといって仲間はずれにされ、自分でも何が何だかわからずに戸惑い続ける。おなかの中は暗いからスイッチョはいつでもよく鳴くのだ。
しろきちはおかあさんに訴える。おかあさん猫はしろきちを医者(大きなとらねこ)に連れていくが、よくわからない。とりあえず虫下しを飲まされたがスイッチョはまだ鳴き続けている。しろきちは一人秋の虫が鳴く庭に出る。しろきちのおなかの中のスイッチョがきれいな声で鳴くので、周りの虫たちも一斉に鳴く。きれいな虫の声の中、しろきちは「なくむしなんてもうたべないや」とつくづく考える。
ある晩、目が覚めるともうスイッチョの声はしなくなっていた。しろきちは元気に兄弟たちと遊ぶようになった。スイッチョ騒動などなかったかのように無邪気に遊ぶ小猫たちの様子を描いて物語は終わる。絵本にもなっていて、1975年初版、2016年1月時点で第50刷というから立派なロングセラーである。
大佛次郎の文章もいいが、安泰(やす たい)さんという方の絵がまたいいのだ。小猫特有の表情がいきいきと描かれていて、この人もまた猫好きだったんだろうなぁと想像する。調べてみると猫を描いた絵本作品がいくつかあって、どれも一度は手にとってみたくなる。調べてみたが、1903年福島の三春に生まれ、日本画を学び、生活のために数々のアルバイトをし、子どもの絵雑誌「コドモノクニ」の挿絵の仕事などもし、いわさきちひろさんなどと「童画ぐるーぷ車」を結成し、1979年に亡くなった・・・ことくらいしか分からなかった。
絵本「スイッチョねこ」のあとがきに安泰さんが「猫のことば」というタイトルで文を書かれている。そこには猫だけでなく動物にもそれぞれことばというものがあるが、それらは単純だが微妙なはたらきがあるのでよく観察しないと理解できない、とある。かつて物置小屋の周辺で暮していた6匹のノラ猫親子とのつきあいを通し、安さんは猫どうしのいろいろな語らいを知ったそうだ。「人間の保護を受けないノラ猫のくらしは厳しく表情も豊かで親子の愛情も細やかです」という文章が印象的だ。
なるほど人間に飼われている猫たちよりも、親猫は小猫を様々なものから守らなくてはいけないだろう。親猫は小猫を守りつつ、小猫は親猫を慕いつつ、猫のことばでいろいろな会話をしているのだろう。安さんの絵から温かく猫たちを見つめる目線を感じるのは、猫たちとのそのような付き合いがあったからだと思った。今後は意識して安さんの作品を探してみたい。