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日々の内側
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「猫のいる日々」そして安泰

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・・・手元にあるのは昭和62年5月30日発行の第6刷。猪熊弦一郎さんの絵がいい・・・

先日はるばる栃木の那珂川馬頭広重美術館まで行ったのは、開催されている「大佛次郎と501匹のねこ」展を見るためだった。もちろん、美術館そのものを見るのも楽しみにしていたが。

大佛次郎といえば、猫好きな作家としてよく紹介されている。「作家と猫」といったテーマの本や特集には必ずといっていいほど登場し、自宅で猫とくつろぐ作家の写真が掲載されていたりする。「大佛次郎賞」などがあるくらいの大作家だが、私は小説としての作品は読んだことがない。エッセイ集である「猫のいる日々」をかなり昔に買って読んだきりだ。今回美術館に行く前に久しぶりに再読してみた。

この一冊だけでも、大佛がかなり猫好きだったことがわかる。猫かわいがりするというよりも、付かず離れずの距離をとりながら温かい目を猫たちに向けていたように思える。夫人は結婚前まで猫が嫌いだったのに、夫の猫好きに感化されてしまいには夫より猫好きになったとか。

大佛の猫好きは周辺でも有名だったようで、庭先に猫を捨てていく人が後を絶たなかったという話もエッセイに出てきて、今も昔もそのような不埒な輩はいるんだと改めて思った。どんどん猫が増えていったので、家の中は人間より猫の数の方が格段に多くなり、ついに大佛は15匹以上になったら自分は出ていく。猫に家を明け渡すと宣言する。そしてある日・・・そろって食事をしている猫たちの数を数えたら16匹いた。すかさず「オレは出て行く」と言うと、夫人が中の1匹を指して「それはお客様です。御飯を食べたら帰ることになっています」と宣ったとか。夫人の方が一枚上手である。

エッセイの中でもとくに好きな話が「ここに人あり」だ。またしても大佛家に猫を捨てていった人がおり、作家は終日沈んだ気持ちでいた。バスケットに猫を入れ、しっかりした女文字で「「この猫をあなたの御家族にしてお飼いください。お願いします」と画用紙に書かれた手紙がついていた。猫の絵まで描かれていた。自分の手に余るからといって人の迷惑を顧みず猫を捨てていく人の心根に作家は腹を断てながらも猫には罪がないから捨てられない。

多くの猫を飼うには餌代だけでもかなりのものになる。「猫がいないと蔵が立つな」などといいつつ夫婦はがっかりしている自分たちを慰め合っていた。平然と猫を捨てる人たちは生活に困っているような人たちではない。「苦しい生活をして働いているひとなら、こうはしない。紳士淑女のしっぽのやつらで高級の方でないことは確実である」「だから、私はその見てくれの偽善を忌まわしいと思う」と。

そんな時、鈴をつけた小猫がよく庭に遊びにきた。いつの間にか姿を消し、またやってくる。どこから来たのかと思い、ある日首輪に「君ハドコノネコデスカ」と書いた荷札を付けてみた。3日ほどしてやってきた時にまだ荷札をつけているのでかわいそうに思い、とってやろうとすると・・・そこには返事が書かれていた。「カドノ湯屋の玉デス、ドウゾ、ヨロシク」と。エッセイの最後を作家はこう締めくくっている。

君子の交わり、いや、この世に生きる人間の作法、かくありたい。私はインテリ家庭の人道主義を信用しない。猫を捨てるなら、こそこそしないで名前を名乗る勇気をお持ちなさい。

「猫のいる日々」には童話もいくつか収録されており、中でも作家自身が上出来としているのが「スイッチョ猫」である。小猫のしろきちがあくびをした拍子にスイッチョ(ウマオイ)を飲み込んでしまい、お腹の中でスイッチョが鳴き続けるというアクシデントに見舞われる。兄弟たちからはうるさいといって仲間はずれにされ、自分でも何が何だかわからずに戸惑い続ける。おなかの中は暗いからスイッチョはいつでもよく鳴くのだ。

しろきちはおかあさんに訴える。おかあさん猫はしろきちを医者(大きなとらねこ)に連れていくが、よくわからない。とりあえず虫下しを飲まされたがスイッチョはまだ鳴き続けている。しろきちは一人秋の虫が鳴く庭に出る。しろきちのおなかの中のスイッチョがきれいな声で鳴くので、周りの虫たちも一斉に鳴く。きれいな虫の声の中、しろきちは「なくむしなんてもうたべないや」とつくづく考える。

ある晩、目が覚めるともうスイッチョの声はしなくなっていた。しろきちは元気に兄弟たちと遊ぶようになった。スイッチョ騒動などなかったかのように無邪気に遊ぶ小猫たちの様子を描いて物語は終わる。絵本にもなっていて、1975年初版、2016年1月時点で第50刷というから立派なロングセラーである。

大佛次郎の文章もいいが、安泰(やす たい)さんという方の絵がまたいいのだ。小猫特有の表情がいきいきと描かれていて、この人もまた猫好きだったんだろうなぁと想像する。調べてみると猫を描いた絵本作品がいくつかあって、どれも一度は手にとってみたくなる。調べてみたが、1903年福島の三春に生まれ、日本画を学び、生活のために数々のアルバイトをし、子どもの絵雑誌「コドモノクニ」の挿絵の仕事などもし、いわさきちひろさんなどと「童画ぐるーぷ車」を結成し、1979年に亡くなった・・・ことくらいしか分からなかった。

絵本「スイッチョねこ」のあとがきに安泰さんが「猫のことば」というタイトルで文を書かれている。そこには猫だけでなく動物にもそれぞれことばというものがあるが、それらは単純だが微妙なはたらきがあるのでよく観察しないと理解できない、とある。かつて物置小屋の周辺で暮していた6匹のノラ猫親子とのつきあいを通し、安さんは猫どうしのいろいろな語らいを知ったそうだ。「人間の保護を受けないノラ猫のくらしは厳しく表情も豊かで親子の愛情も細やかです」という文章が印象的だ。

なるほど人間に飼われている猫たちよりも、親猫は小猫を様々なものから守らなくてはいけないだろう。親猫は小猫を守りつつ、小猫は親猫を慕いつつ、猫のことばでいろいろな会話をしているのだろう。安さんの絵から温かく猫たちを見つめる目線を感じるのは、猫たちとのそのような付き合いがあったからだと思った。今後は意識して安さんの作品を探してみたい。

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語彙

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・・・谷中の老舗喫茶店「乱歩」のドア内側。外側から見るよりこちらの方がよい・・・

数日前の新聞に小学生の問題行動調査の結果が掲載されていた。いじめの認知件数が年々増加していることは知っていたが、暴力行為件数や不登校の児童数も過去最多となった、とあり子供たちの世界もなかなか厳しいと改めて思った次第だ。

暴力行為は学年が上がるにしたがって件数が増えるが、増加率で見ると1年が’58.5%、2年が38.0%、3年が41.6%と低学年での増加が目立つとのこと。内容としては児童間の暴力が69.2%と最も多いという。続いて対教師が15.9%、器物損壊が13.5%。文科省によると、暴力行為のきっかけは「休み時間の遊びで口論になった」「授業やテストの間違いをからかわれた」などさほど深刻なものではないらしく、「感情のコントロールができず、言葉より先に手が出てしまう児童が増えた」と都内の校長が指摘しているとか。

いわゆる「キレやすい」子供たちが増えているということだろうか。これについては以前から指摘されており、原因を探る動きもあったと記憶する。が、しつけや生活習慣などの他にも、今回の調査で指摘されているような「語彙の不足」が背景にあるというのは私にもなんとなく納得できるものがある。

子どもたちの語彙の不足はけっこう前からあったのではないだろうか。その原因はいくつかあるだろうが、やはりケータイやスマートフォンの普及が大きく影響しているのは間違いないだろう。面と向かって話をすることが減り、できるだけ短い言葉で表面的なコミュニケーションをすることが習慣となってしまえば、語彙は自然と少なくなる。見えない相手の気持ちを思いやるのは難しく、「テキトー」に当たり障りのない単語を発することでかろうじて繋がっている関係・・・それは今の若い人たちにも言えることだと思う。

それは私自身、息子との会話でも感じてきた。なにか問いかけると、「フツー」という言葉が返ってきた時などに。「フツーって何よ。どういうふうにフツーなのよ。」と問い直すと、面倒臭そうに「だから、フツーにいいってことだよ」ときた。「フツーにいいって何?まあまあ、っていうこと?」と私もしつこい。

何かの感想を求められた時、「フツー」という答えはないでしょう、と思う。どのようにいいのか、どこがよくてどこがよろしくないのか、ここは気に入っている、全体評価としてはまあまあっていうところ、など様々な答え方があるではないか。

「フツー」だけでなく、「ウソー!」「ヤバッ!」「いいんじゃね?」などなど気になる単語はいろいろあるが、私が知らない単語もたくさんありそうだ。「カワイイ」もそのひとつか。褒め言葉の代名詞的に使われているようだが、何に対しても「カワイイ」と表現されるとこちらは戸惑う。

言葉は人間にとってたいせつなコミュニケーションの道具である。言葉以外にも表情や身振り手振りなどでコミュニケーションをとることもあるけれど、やはり言葉が最も重要な要素だろう。その言葉がどんどん貧しくなっている状況はとても淋しく、それ以上に危なさを感じる。

私は長年言葉を道具とする仕事をしてきたので、言葉のたいせつさも難しさも一般的な人よりも知っているつもりだ。日常的に言葉については敏感になりがちだしそうあるべきなのだが、年々その感覚が鈍くなってきていることに危機感のようなものを感じている。このブログを続けているのも、衰えていく自分の文章力に気づき、反省し、できる範囲で努力していくためといっては格好つけすぎか。

なにかを表現しようとする。それにふさわしい言葉を頭の中でさがす。すぐに思い当たることもあれば、なかなかふさわしい言葉がでてこなくてもどかしくなることもある。それが年々増えている。本を読んでいて語彙の豊かさを感じる時、うちのめされるような気がすることもある。

語彙が貧しくなってきた原因はスマホなどだけではないだろう。面と向かって人と話す機会の減少もあると思う。友人関係においてだけでなく家庭でも会話が減っているのではないだろうか。仕事を持って忙しい親は子どもと話すことをなおざりにしがちなのではないだろうか。私自身反省するところはたくさんある。

小さい子どもを持つ親たちには、できるだけ子どもと話す時間をたいせつにしてほしいと思う。きちんと顔を見て話す。言葉が出てこなくても待つ。先回りして何か言わない。子どもたちは迷いながらもきっと言葉を探しているはずなのだから。そして出てきた言葉をきちんと受け止めてあげてほしい。

会話は人間関係の基本だ。そして会話は言葉から生まれてくる。語彙の貧弱な人間にならぬよう努めるのは大人たちの責任だと思う。

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「猫百態」展

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・・・「朝倉文夫 猫の本」より。猫の美しい姿態を存分に楽しめる・・・

9月から朝倉彫塑館で開催されている「猫百態」展に行ってきた。今までにも何度か行ったことがあるが、猫の彫刻はいつも「蘭の間」と呼ばれるサンルームのような場所にまとまって展示されており、数はさほどでもなかった。今回の展覧会は朝倉文夫が生前望んでいて実現しなかった「猫百態」を彫塑館所蔵作品のみで試みたもの。朝倉はたぶん自作のみならず猫をテーマとした作品を一同に集めた企画展を望んでいたのだろうが、それが本当に実現したらさぞ見ごたえのあるものになっただろう。

それでも、普段は猫の作品が置かれていない部屋に猫、猫、猫である。あちこちの部屋を巡りながら様々な表情の猫たちを見ることができて満足!猫を多い時には19匹飼い、身体の動きが顔の表情をつぶさに観察した朝倉ならではの作品をまとめて見ることができてよかったと思った。「たま(好日)」はいかにも飼い猫然としたふっくらしたいい姿。かたまって何かを見つめる子猫たちのあどけない表情。一番印象的だったのは「愛猫病めり」で、痩せこけた顔やごつごつした背中に病んだ愛猫を凝視する朝倉の芸術家としての視線を感じた。

今回は、しばらくお会いしていない長年の猫友Kさんを誘った。行くのが猫に関する展覧会、場所が猫まみれの谷中とあっては、一人より猫好きと一緒の方が楽しいと思ったからだ。Kさんにも行きたいところがいくつかあり、雨模様の中二人してよく歩いた。帰宅して歩数計(iPhoneの)を見たら11,510歩(8.1キロ)だった。

昼少し前に待ち合わせたので、早めの昼を蕎麦屋で、ということにした。日暮里駅に近い「手打ちそば遠山」をKさんが探しておいてくれたので、そこへ直行!二人ともヤクザな商売をやっているのでさっそく昼酒となり、あなごの天ぷら、焼き味噌などを肴に2合ずつ。その後私はせいろ、Kさんは花巻そば。ほろよい気分で展覧会へ。

展覧会を観た後は、根津方面へ。夕焼けだんだんには猫の姿はほとんどなく(黒猫をちらりと見た程度)、よみせ通りをひやかしながら歩き三崎坂へ。以前二度ほど入れなかった「乱歩」が営業中だったのでそそっくさと入って休憩。お隣の「ビスケット」をのぞき、「GALLERY猫町」に寄り、私が行きたかった「ひるねこBOOKS」に行き、丁字屋で家人のお土産(合切袋)を飼い、千駄木の「古書ほうろう」にたどりついたころはもう暗くなりかけていた。けっこう歩いたのでさすがに二人とも疲れたので通りかかりのカフェでピザトースト&コーヒー、そして帰路へ。

一日にこれほどの店を見て歩くのは本当に久しぶりだったが、あらためて谷根千には本屋が多いこと(古書店がとくに)を知り、まだ行っていないいくつかの店にはいつか行ってみたいと思った。「不忍ぐっくすとリートMAP」も手に入れたので次回はこれを片手に歩きまわりたい。

*11月3日に「しのばずくんの本の縁日」が開催される。これ行きたいなぁ。

*古書、リトルプレスの店がたくさんありそう。祭日かぁ・・・

*丁字屋の隣の「鷹匠」(蕎麦屋)には前々から行きたいと思っているのだが。

17-1029-2.jpg朝倉彫塑館の蘭の間。普段はこんな感じ。

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あえて、いい気になってみる。

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・・・松元ヒロさんのトークライブに行く時に、マンション敷地内で・・・

今週は水曜日を除いて何やかにやと外出が続いた。今日もまた出かける。月曜日は高校時代の友人たちとランチ、火曜日は西麻布の「桃居」へ、木曜日は松元ヒロさんのソロライブ、昨日は久しぶりにRさんと会うため自由が丘へ、今日はこれまた久しぶりにKさんと谷中方面へ。

ああ、すべて私用というか、遊びというか、人に会ったり好きなものを見たりといった用事で、世の中の人たちが懸命に仕事をしている時になんと情けないと思いつつ、「いやいや、遊びをせむとや生まれけむ、だよね、やっぱり」と嘯きつつ1週間が終わろうとしている。

やっと暑い暑い8月が終わり、やっときものを着て歩けるぞ!と思ったのに9月から天候不順が続いている。それでも合間を縫って単衣のきものを着てちょっと出かけてみたりはしていた。10月になっても天気は落ち着かず、出かける用事が出来ても雨だったりしてなかなか思うようにいかなかった。今週になって漸く天気が落ち着いてきたが、来週からはまた雨模様とか。ここは集中的に!と思い、火曜、木曜、金曜ときものを着て出かけてみた。

前にも書いたかもしれないが、家の中で着付けの練習をしてみてもわからないことがある。ある程度の時間をきものを着て過ごさなければ、問題点がなかなかわからない。苦しくなった、着崩れした、など動かねばわからないことがたくさんある。だから、結果的にみっともない着付けになっていたとしても、とにかく着て出かける・・・これが目下のところ私が最もたいせつに思っていることだ。

また、出かけることを前提に着付けをすると、時間を意識するようになる。余裕をもって着付けをはじめるが、最終的な締め切り時間はある。そんな緊張感も修業する者にとっては必要だろう。回数をこなすことにより、きものを着る過程を身体で覚えることにもなる・・・と思っている。

火曜日。「桃居」で陶芸家の長谷川さんときものを着るきっかけになった帯留展について話をした。長谷川さんの仕事場は帯留展が開催されたstudio fujinoの近くであり、同展にも行かれたそうだ。オオカミの帯留を手に入れたことがきっかけとなりきものにはまりこんだことを言うとかなり驚かれていた。そりゃそうだよね・・・ははは。

で、それ以降、いつかは自分で着たいと思い6月あたりから着付けの練習をしはじめた、と言ったらまた驚かれてしまった。とてもそうは見えない、長年着てきた人に見える、と。普段からきものを着慣れている人が見れば欠点だらけだと思うが、そうでない人から見るとまあまあなのかなぁ・・・まあ、やさしい人のようなので思いやりからなのかなぁ、でも嘘はつきそうな人には見えないなぁ・・・などと思いつつもやはり嬉しかった。着て行ったのは紺の紬に伯母の遺品である帯。帯は銀座結び。

木曜日。ヒロさんの独演会は家人と行ったのだが、きものを着た私を見ても何のお言葉もなし。まあ、そんなもんかな。帰りにいつも行く地元の蕎麦屋に行ったのだが、そこのご主人が驚いた顔をして「今日はまあ、おきれいで」と。和服姿ははじめてだったかな?浴衣で行ったことが一度あったけれど。これは営業トークだろうが、お世辞100%でもないような気もするのだが・・・コーディネートは灰色地の縞模様の片貝木綿に野蚕の昼夜帯(こげ茶色を表にした)。銀座結び。

そして昨日の金曜日。以前からきものの話をよくしていたRさんに褒めてもらったのも嬉しかったが、一緒に行った「藍印花布ギャラリーわたなべ」の福原さんや偶然いらっしゃった常連さんにも居心地が不確かになるほど褒められてニヤニヤ。首が長くなで肩というところはきもの向きかもしれないが、着付けは別問題。なのにいろいろ言っていただいちゃって・・・ほくほく。紺の紬、茶系の博多帯を銀座結び。

私はまだまだきもの初心者であり、知らないことも多く着付けに関しても未熟者だと自覚している。その自覚をひとつひとう明らかにするために、できるだけ出かけることにしているのだ。失敗も勉強のひとつと思って。歩き方もまだまだぎこちないし、座る姿勢にもちょっと無理があるような気がしている。

しかし。ここはあえて褒めてもらったことを素直に受け取り、「いい気になってみる」のもいいかなと思うことにした。それをこれからのモチベーションアップにつなげるために。自分で、これでまあまあマシになったかなと思える日に近づくために。

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トークフリーデー

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・・・那珂川馬頭広重美術館の廊下。木と紙と光のハーモニーが美しい・・・

昨日の朝のラジオを聞いていて「トークフリーデー」なるものを導入する美術館が少しずつ増えている、ということを知った。「トークフリーデー」とは、会話することを気にせず気軽におしゃべりしながら展示を鑑賞できる日、ということで、子ども連れでも気軽に美術を楽しんでほしいという意図があるらしい。

「トークフリーデー」そのものについては私も賛成である。展示の内容や展示スペースにもよるが、まったっくおしゃべりしないで黙々と鑑賞するだけが美術鑑賞ではないし、小さな子どもを持っているからといって美術館への足が遠のくのは残念だからだ。

しかしこれで、時折美術館に行くと感じる私の不愉快は解消するのであろうか。私が気になるのは、子ども連れの人たちよりもグループで来ているオバサマたちや、得意げに長々と解説をしているオジサマたちの方なのである。彼らは一様に声のトーンを落とす気遣いをせず、静かな美術館内で自分たちが浮いた存在になっていることにも気づかず、時として美術館の係員に声をかけられたりしている。これらの人たちが「トークフリーデー」を選んで行くとは思えない。

子連れの人たち(ほとんどが母親たち)はけっこう気を使っていると思う。子どもはいくらたしなめても思うようにはいかないことがあるから、気遣いを感じればさほど不愉快ではない。それに対して、小声で話すことさえしないいい大人には正直言ってうんざりする。長々とおしゃべりしたいなら、美術館を出てからにしてほしい。

実際、美術館の方でも苦慮しているらしい。来館者からのクレームで最も多いのが音についてのものらしく、話し声だけでなく撮影可の展示会でのシャッター音、学芸員のギャラリートークまで不愉快に思う人がけっこういるらしいのだ。「トークフリーデー」はそういったクレームへの対策という意味合いもあるようだが、果たして・・・

私は基本的に美術館へは1人で行く(映画館も)。気兼ねなく一人で鑑賞するのが一番気楽だからだ。しかし、気の置けない友人と2人で行くのも好きだ。お互いに気づいたことや感想などを話しながら(もちろんできるだけ小声で、簡潔に)展示物を観て回るのも楽しい。また、全く声が聞こえない、シーンとした美術館内を想像すると・・・ちょっと怖い(^^;)

いつだったか、確か三井記念美術館あたりだったと思うが、展示会場でケータイで話しつづけている女性がいた。普通の声で。ケータイの呼びだし音がした時点で顰蹙モノなのだが、その後延々と話しつづけているあの神経には驚いた。慌てて駆けつけた係員にうながされて展示会場外に出ていったが、たしなめられていることに対して不思議そうな顔をしていた。そんなヤツは来るな!と胸の内で思った。

また、展示と全く関係のない話をしている人たちもいる。きっかけは展示されているものかもしれないが、そこから話が飛んで、それを井戸端会議のように続けているマダム連。あなたたちも来なくてよろしい。この間どこそこの百貨店の展覧会に行っただの、その時着ていったお召し物がステキだっただの、ランチが思ったよりおいしくなかっただの・・・そんな話は聞きたくないわい。

「トークフリーデー」もいいが、もしかしたら「ノートークデー」とか「サイレントデー」とかを設ける方がクレーム対策としては有効なのではないだろうか。そういった日なら係員も対処しやすいと思うし、注意された人もしぶしぶでも納得するのではないか。美術の鑑賞の仕方はいろいろあっていいと思うが、公共の場での気遣いができない人たちと同じ空間にいると不快さがつのって集中できなくなる。だからといって、図々しい輩はいつまでも図々しいままであるような気もする。困った、困った。

17-1027-2.jpg入り口へのアプローチ。床は大谷石?

117-1027-3.jpgアプローチの突き当たりに飾られていた草物盆栽

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エミリ・ディキンスン

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先週のことになるが、「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」を観てきた。名前だけはかなり昔から知っている、しかし彼女の詩は一篇も読んだことがない、そんな詩人の生涯を描いた映画だ。

エミリ・ディキンスンの名を知ったのは中学生のころ。当時夢中になって聴いていたサイモンとガーファンクルの曲に「The Dangling Conversation」という曲があって、その中に彼女の名前があった。「宙ぶらりんな会話」と訳されているこの曲は、もう終わりかけている男女の間に流れる虚しい空気を歌った作品。

And you read your Emily Dickinson 

And I my Robert Frost 

And we note our place with bookmarkers 

That measure what we've lost 

この歌を知って、エミリ・ディキンスンやロバート・フロストが詩人であることを知った。が、それ以上追求することをせず彼らの作品を読もうと思ったことは今まで一度もなかった。もっとも、詩というのはひとつひとつの言葉の選び方、響き、リズムなどがとてもたいせつなので、外国の詩を読む時には書かれた言語で読むのが理想であり、私が英語で綴られた詩にとりくむ意識がなかったというのが正直なところだ。

エミリ・ディキンスンは1886年、マサチューセッツ州のアマストという街で生まれた。父は弁護士で祖父は地元の大学の創設者という名家ともいえる家柄だ。厳格な清教徒の家庭に育ち、生前は10篇の詩を発表したのみでほとんど知られていなかったが、死後残された膨大な詩の存在が明らかにされると一躍注目され「アメリカ文学史上の奇跡」とまで言われるようになった。

厳しい家庭の中で詩作を続け、発表の場も限られていたことは間違いないだろう。しかし、それ以上に彼女の性格、生き方が「隠遁」ともいえる暮らしを選んできたように思う。自分自身に正直でごまかすということを嫌う。それは強い意志として讃えるべき資質でもあるのだが、ともすると頑なで融通のきかない性格として表面化し、人間関係をぎくしゃくさせがちになる。

そんなエミリが一番愛したのは家族だ。「結婚しないの?」と問われても家族とともにいたい、と答えている。愛する家族とともに暮し、夜は詩作に没頭する。それがエミリが選んだ道だったが、家族も友人もいつまでも彼女のそばにいるわけではない。ある者は死に、ある者は離れていく。彼女は孤独を深め、「何もかも思うようにならない」と嘆きながら詩作を続けていく。

映画で描かれたエミリ・ディキンスンの姿はひとつの解釈にすぎないのだろう。実際のところは分からない。が、自分の内面へ、内面へと向かう性格や根強いコンプレックスを持っていたことは事実だったような気がする。それをバネにして、というわけではないがその孤独が数々の名作を生んだことは間違いないだろう。

1冊くらいは詩集を読んでみたいと思っている。対訳にするか、和訳のみのものにするか・・・ちょっと迷っているが。

*観たい映画がこれから目白押し。うーん。

*とりあえず「米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー」は必須。

*好きな女優であるロミー・シュナイダーの「追想」がリバイバル上映。

*以前観た「ヨコハマメリー」はポレポレ東中野で。おすすめ。

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やさしいフォルム〜長谷川奈津 陶展

西麻布の「桃居」に長谷川奈津さんの個展を見にいってきた。「桃居」は昔から一度は行きたいと思っていた趣味のいい店で、器に凝っていたころ(20年以上前かな)から名前だけは知っていた。長谷川さんの器を見るのははじめてだが、やさしいフォルムと釉薬の妙が溶け合うような作品が多く、好きな作家の一人となった。

この個展には、私のきものの師匠でもあるsakiさんも協力している。お茶道具を包む様々な袋・・・「仕覆」の制作というかたちで。見た目には普通の巾着のように見えても、お茶の道具にはいろいろな決まりごとがあり、和裁のプロであるsakiさんも教室に習いに行かねば作れないほど難しいもののようだ。それぞれの道具のサイズにぴったり合わせなくてはいけないし、布と布の間に薄く綿をい入れなければならないし、紐の結び方は複雑だし・・・布質によってはかなり苦労したとのことだ。

昨日は個展の最終日で、料理と器のコラボ企画があるようでスタッフが何人か来ていて器の写真を撮ったり、長谷川さんに取材したりしていた。シンプルな器ばかりなので、どんな料理にも似あいそうだ。長谷川さんと話すこともでき、作品同様穏やかなお人柄とお見受けした。

心惹かれた器がいくつかあった。小降りの花器(上の写真)も欲しかったし、皿や茶碗も気に入ったものがあった。が、昨日はたまたま家人の誕生日だったので、一緒に酒を飲む時に使えそうな片口を選んだ。大きめのものと小さめのものがあったが、小さい方は売約済み。大きい方は2合くらい入りそうだが、それに決定!内側が微かにピンク色を帯びているのが特に気に入った。

このピンク色は林檎の木を燃やして出来た灰によるものだという。松の灰だと黄色や緑色が出るのだが、林檎はピンク。少し青みを帯びたピンク色は上品な色気を感じさせる。ふと、ルーシー・リーの器を思い浮かべた。

片口は昨夜さっそく使った。家人が鍋を用意し、先日白州で買ってきた七賢の純米酒をば。見た目だけでは使い勝手はわからないが、この片口は使いやすい。手に馴染む。日常的に使う器は手に馴染むことがたいせつだと思っているので、いい買い物をしたと思っている。

李朝の壺のようなかたちをした花器も機会があったら入手したいものだ。理想は大きいものと小さいもの2つ。並べて季節の枝物をそっと活けてみたい。今はそれを活かす環境にないから急ぐつもりはなく、いろいろ想像して楽しむことにする。

茶箱を包み込んだ仕覆。こちらもほっこりやさしいかたち。個展DMより。

茶箱は小林慎二さんの漆。中にこう収まっている。個展DMより。

 

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あらためて、清志郎の声が聴きたい。

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よく拝見している「まろの人生いっぱい&いっぱい!」で、2014年5月に放映された「ラストデイズ 誰にも歌えない歌 忌野清志郎×太田光」が紹介されていた。例によって私は見逃しており、それをとても残念に思ったのでさっそく検索!動画を見つけたので見てみた。

私はRCサクセションのファンでもなく、忌野清志郎の歌をそれほど知っているわけでもない。が、偶然タイマーズの動画を見つけて以来、この人が送り続けていたメッセージに共感し続けてきた。その清志郎が爆笑問題の太田光に「文句がある」とのことで対談を申し込んだ、というのだ。

きっかけは太田が雑誌に連載していたコラム。「今この日本で政治がどれほどの影響力を持っているというのだろうか。自分が投票してもあるいはしなくても普段の生活に変わりがないとハッキリ言いきれるならば・・・選挙に行かない我々の態度は正解なのではないだろうか」(番組で紹介されていたコラムの一部)等々の言葉に清志郎は強く違和感を持ったのだろう。

爆笑問題は当時気鋭の漫才コンビとして活躍していたという。政治を皮肉った、軽快なテンポの彼らの漫才は清志郎も注目しており好きだったようだ。しかし、太田のコラムを読んで清志郎はがっかりし、対談を申し込んだらしい。

番組は、終始しっくりしない対談の様子に触れながら、何故清志郎はある時点から政治的なメッセージソング(?)にこだわり続けたのかという太田自身も持っていた疑問を追いかける構成になっている。対談で清志郎は、「政治に無関心でいいなんて言ってると、君の息子なんかが戦争に行っちゃうわけよ」と語った。画面に映る素顔の清志郎は優しげな表情で、私は前からこの人の素顔が好きだったんだなぁと思いだした。

不良というわけではないけれど、授業をサボってばかりだった学生時代の清志郎。当時を知る仲間たち。新たに発見された「風に吹かれて」のテープ・・・「カバーズ」というアルバムが発売禁止になったこと。それに対する清志郎の怒りと、タイマーズとしての活動・・・あらためて、平和ボケした日本と日本人に変わってほしいという清志郎の強い願いを感じた。

タイマーズについては、2009年9月1日の記事でとりあげている。が、その活動の発端となった「カバーズ」については、断片的に動画サイトで聴いただけでアルバムとしては聴いていない。近いうちに手に入れてじっくり聴いてみたいと思っている。昨今の政界の成り行きや有権者の態度に絶望しかけている今こそ、もう一度清志郎の声が聴きたいと思う。

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さまざまな風の中で

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今日午前7時現在、台風21号は関東地方を通過しようとしている。つい今し方、スマホに入れている「東急線アプリ」が“綱島駅付近で10月23日7時頃に大雨・嵐警報”を知らせてきた。が、窓から見ると外は小雨程度。これから昼にかけて徐々に雨は止んでいくことだろう。

大型台風上陸が予想さていたので、今回の選挙は期日前投票が全有権者の2割に達したそうだ。それを聞いて微かではあるが投票率への期待を持ったのだが、やはり・・・残念ながら投票率は53.6%で戦後2番目に低い水準となった。

選挙結果はおおむね予想どおりだったが、与党「圧勝」という伝え方は適切ではないと思う。他に選択肢がないからという理由で消極的に自民党を選んだ人が多いという話も耳にしたし、最終的な議席数を見てみないとわからないが、与党からすると現状維持といったところではないだろうか。その現状が困ったものであるわけだが。

私が住むエリアは神奈川7区になるのだが、投票日前日の21日にはすぐ近くの日吉駅前で最後の街頭演説が活発に行われたようだ。7区は自民、立憲、希望の三つ巴だったが、まず立憲民主党議員の応援に代表である枝野氏が登場。私は行けなかったのだが、写真を見る限りすごい人だかりとなっており、twitterのフォロー数を物語る雰囲気だったようだ。その少し後で自民党候補応援に副総理が駆けつけたとのこと。いやはや、各党かなりの力の入れようだった。結果は自民党候補が小選挙区で当選、比例で立憲候補が当選となった。

希望の党の失速ぶりは目に見えて顕かで、あの旋風もしばらくの間収まるのではないかと思う。台風には「雨台風」と「風台風」があると聞いたことがあるが、まるで「風台風」のような党首は自らが発した“排除”のひとことで惨敗という現実に直面している。まあ、あの人のことだからそのうちまた何やらやらかしそうな気がしないでもないが。

これで憲法改正への道筋はさらにはっきり定まってきたと思うと、今後の成り行きがとても心配だ。7月11日の記事にも書いたが、私は現時点では憲法改正に反対の立場を取っている。なにがなんでも憲法を変えてはならないとは思わないが、少なくとも自民党の改正草案には大反対である。あれがまかり通る時代に生きなくてはならないのはイヤなのである。

選挙に先立つ10月20日、皇后陛下が83回目の誕生日を迎えられた。宮内記者会の質問に対して文書による回答があり、その全内容を各新聞社が公開している。それを読み、天皇陛下とともに常に弱者へのいたわりを示し続けてこられた道程を思い、政治の世界のどろどろした穢れた空気の中に一瞬ではあるのかもしれないが、清々しい風を送り込んでくださった気がした。

皇后陛下といえば、4年前の2013年のお誕生日に際し記者会に送られた回答文が今さらながら注目に値すると思う。昨今憲法改正をめぐり様々な議論が交わされていることを前置きとして、五日市(あきる野市)をご訪問になった時にご覧になった「五日市憲法草案」に触れ、「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民族意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と記されている。

皇族の方々は、この国で最も言動を制限されている人たちだと思う。私たち一般人とは桁違いに制限されている中から生まれた言葉は、さっと読んだだけでは意図を理解できないだろう。文脈の中に、言葉と言葉の間に真意が存在すると思われる。五日市憲法草案は見た事がないのでわからないが、それは大きな問題ではないだろう。皇后陛下は、その憲法草案にあった基本的人権の尊重、法の下の平等、言論の自由などの素晴らしさをおっしゃりたかった・・・裏を返せば、それらを統制していこうとする政権への危懼をお持ちになっていた、と察せられる。抑えに抑えられた表現の中に強い意志が感じられ、皇室そのものには興味がほとんどない私ではあるが、一種救われるような気持ちになる。

今週は、松元ヒロさんのソロライブに行く予定がある。永六輔氏に「九条をよろしく」と言われたヒロさんのこと、今回の選挙の話が出ないわけはない。会場に集まった人たちとともに、しばしヒロさんの言葉から流れる風に身をまかせてみたいと思っている。

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22日は猫に語らせる日・・・10月担当:まめこ

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おはよう。まめこなの。まめこは、もう13さいだから、おとしよりのなかまなの。だから、さむがりになって、さいきんずっとずっとさむいの。なのに、まだ「あんか」をだしてもらえないの。みかんだけは、だしてもらっているの。ずるいの!きょうこそは、まめこにも「あんか」をだしてほしいの!

あのね、さいきん、まめこの「とりで」だった「たんす」のうえに、あのデブ(ふく)がのぼってくるの。いすのうえはまんいんだし、テーブルのしたにはまめこがきらいなあいつ(だいすけ)がいるし、まめこはいるところがなくなってうろうろしちゃうの。そうすると、すみごんが「まーちゃん、おちつかないね。うろうろしているから、だいちゃんにねらわれるんだよ」ってゆうの。だから、すみごんのいすでねることにしたのに、こんどは「まーちゃん、いすはつかうからどいて!」ってゆうの。まめこはいるところがないの!

そいでね、すこししたらデブがでてきたんだけど、まめこ、ほかのやつのにおいがついているところはいやなの。それなのにさ、すみごんたらさ、「まーちゃん、まーちゃんのばしょ、あいたよ。どうぞ」ってへいきなかおでゆうの。すみごんとは、13ねんもおつきあいしているのに、まめこのせいかくをわかってないの。ぷんぷん。だから、まめこはもうれつあぴーるしたの。そしたら、きょうからあんかをつかわせてくれるって。あたりまえなの!

きょうは、「せんきょ」っていうのがあるんだって。まめこ、なんだかしらないけど、たいせつなんだって。ちかくのがっこうまで「とうひょう」っていうのをしにいくんだって。でも、「たいふう」がきていて、おそとはあめがじゃんじゃんふってるよ。かぜもつよいよ。すみごんなんか、ペラペラしてるからとばされちゃうんじゃないかと、まめこはちょっとしんぱいなの。おっさんとてをつないでいれば、「おもり」になっていいとゆったけど、すみごんは「やだやだー」だって。とばされてもしらないよーだ。

そうだそうだ。まめこはとっても「ふまん」なことがあるの。さいきん、すみごんとおっさんはよくおでかけするの。で、かえってくるのがとってもおそいの。すみごんとおっさんがいないと、うちは「むほうちたい」になるの。とくに、わかいあいつら(だいふくコンビ)はやりたいほうだいなの。みかんは、だまってみてるしさ、まめこは「はやくかえってこないかなー」ってかんがえながら、じっとまってるの。とくに、おっさんがかえってくれば、「まーちゃんをいじめちゃだめ!」ってみんなをしかってくれるの。おっさんだけでも、はやくかえってきてほしいの!できたら、すみごんがあいつらをつれていっておそくまでかえってこなければもっといいの!

あーあ。ゴンがいてくれたらなって、まめこ、なんどもおもうの。8がつにゴンがうえのほうからおりてきて、「ひさしぶりだにゃー!」ってゆったの。まめこ、うれしかったから、「ずっとこっちにいて!」ってゆったけど、ゴンは「それはだめだにゃ。まめこもがんばってながいきすれば、オイラとおなじとこにこれるにゃ。」だって。そいでもって、「ばいばいにゃ!またくるにゃ!」って、またうえのほうにいってしまったの。ち!

すみごんが「みんなの“きんきょう”」をかけってゆうから、すこしだけかくの。みかんは、まいしゅう「ぺっとくりにっく」にかよっているよ。でも、しょくよくおうせいで、まめこのごはんをちらちらみてほしそうなかおをしているの。ふくはあいかわらずデブで、だいすけはあいかわらずまめこをいじめるの。でも、あいつの「ぱんち」はへなちょこだから、まめこにあたらないもんねーだ。ふくは、さむくなったとたん、すみごんのふとんのなかでねるようになったの。で、ねぞうがわるから、ねているあいだに、すみごんをどんどんおしているらしいの。すみごんのふとんのはんぶんはつかっているんだって。なまいきなの!

らいげつは、そのふくのばんだよ。おいかけっこじゃ、だいすけにまけるけど、とっくみあいだったら100ぱーせんと、かつよ。あるいみ、たいしたやつだって、まめこもみとめるの。でも、このうちでは、まめこのほうがえらいの!おしまい。

| - | 10:07 | comments(2) | - |
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