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「男と女の部屋」

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本棚を整理していて「男と女の部屋」を見つけた。コミックはさほど読まないが、たとえばガロ系の作家は割と好きで何冊か持っている。上村一夫といえば「同棲時代」が代表作だと思うが、それは持っていないのに「マリア」(上下)とこの本はなぜか持っている。買った時(いつだったか忘れたが、発行は2007年)以来だからずいぶん久しぶりに読んだ。

上村作品とえば、眉の細い、暗い目をした美人をイメージする。それぞれ人にはあまり言えない過去を持ち、ある時は男にすがっては捨てられ、ある時は居直って見栄を張り、罪を犯したり逃げたり・・・それでいてどこか凛とした魅力がある女が多く登場する。

そして、やはり「昭和」そのものであるような気がする。昨今「昭和な」等々となつかしき昭和をふり返る番組やらなにやらが目に付くが、上村一夫の作品には昭和のど真ん中を感じさせるものがあると思う。そして、阿久悠。この希代の作詞家もまた「昭和」の作詞家であり、多くの傑作を残している。

上村一夫と阿久悠は若いころからの知りあいらしい。巻末の随想「我が友 阿久悠」によると、上村がフリーのイラストレーターとして仕事をしていたころ、阿久悠から連絡があったという。知らない名前なので戸惑ったらしいが、実は昔同じ会社で働いていたことがあった深田という人が阿久悠であることを知ったとのことだ。久しぶりの再会を経て誕生したのがこの「男と恩なの部屋」ということになろうか。

「男と女の部屋」は十一の話からなる。第一話「月見草の女」から第十一話「湖畔の女」まで様々な女が出てくるが、常に話の中に歌が挿入されている。「男と女の部屋」という歌で、上村一夫のファンであった山崎ハコが曲をつけて歌っており、今まで気づかなかったが付録としてCDが付いていた!

 

「男と女の部屋」 (詞:阿久悠 曲・歌:山崎ハコ)

 

見てはいけない 人並みの

夢を見るたび むなしさに

生きているのが いやになる

男と女の部屋の中

 

恋という字が にくらしい

そんなおいしい お話は

きいているだけ しゃくの種

男と女の部屋の中

 

情もないのに 抱かれて

情もないのに 世辞を云い

情もないのに すがりつく

男と女の部屋の中

 

昔々は 捨てました

明日もついでに 捨てました

今日という日が あるだけの

男と女の部屋の中

 

何がそもそも 間違いか

どこでこの道 迷ったか

気がつく時が 遅すぎた

男と女の部屋の中

 

うーん、やっぱり「昭和」だなぁ!実際に曲を聴いてみたくてCDをMacのスロットに入れてみたけれど読み込めず。仕様が違うのだろうか。山崎ハコというと「暗い」というイメージしか持っておらずほとんど聞いたことがなかったのだが、これはちょっと聴きたいと思っていたのに・・・でも、動画がちゃんとあったので解決。うーん、やっぱり「昭和」! 

*動画(音源)は、こちら

*今日で9月も終わり。ああああああ〜!

| - | 06:54 | comments(4) | - |
きものに教えてもらうこと

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5月にはじめてきものを着て、着付けの基本をざっと習って、夏の間は汗をかきながら練習して・・・コツを掴むのが下手なのか、まだまだまともに着ることができないでいる。が、家で着る練習をしているだけではわからないこともあると思い、今月は二度ほど(恐る恐る)きものを着て出かけてみた。

外に出て数時間きものを着たまま動くことで、自分の着付けの欠点は明らかになる。いろいろあるので具体的には書かないが、ひとつひとつを課題と心得て解決していく努力をしていくつもりだ。身近に着られる人がいればちょっと聞いたりできるのだが、いまのところネットや本などを参考にあれこれ試行錯誤中。

きちんと格好よく着られるのが理想でそれをめざしているわけだが、きものを着て一定時間を過ごしてみると着付けの善し悪しとは別に気づくことがある。それは主に自分の身体についてで、いかに普段ラクな格好をしているか、姿勢が悪いか、等々を思い知らされる。

着付けの方法は人それぞれで使う道具も一概にこれ、とはいえないと思う。しかし、基本的にきものは紐類(腰紐、伊達紐、帯揚げ、帯〆など)を使って襦袢、長着、帯を固定したり締めることによって成り立つ衣服だ。

つまり、自ずと胴回りを締めることになるわけだが、普段締めつけることなくだらけていた胴回りを締めるとどうなるか・・・締める位置が悪いと苦しくなるが、そうでなければ苦しさはあまり感じない。しかし、時間が経つにつれて腰あたりが痛くなってくる。姿勢を保つために普段は使わない筋肉を使い、腹や腰あたりの緊張が持続するからだと思う。

椅子に座るにしても、帯をつぶさないよう背に寄りかからないから常に腹筋・背筋は緊張したままだ。ちゃんと筋肉を鍛えてあれば痛くも痒くもないのだろうが、普段が普段なので腰が痛くなるものと思われる。背筋を伸ばし、お腹をひっこめて胸を張る姿勢をしていれば、いくら紐できっちり締めていても苦しくはない。自分の身体の脆弱さをきものに教えてもらったというわけだ。

足元の同様だ。草履や下駄は前に重心をおいて歩くようにできている。スニーカーなどを常用し踵から地面に足を下ろす歩き方をしていると、前に重心をおきながら小股で歩くことには慣れが必要のようだ。それでなくても大股でがっぱがっぱと歩いているので(^^;)、小股で軽やかに歩けるまでは時間がかかりそうだ。足の筋肉もいつもと違うところを使うとみえて、草履を履いた翌日は軽く筋肉痛を感じたりする。とほほ。

草履はまだいいのだが、素足で下駄を何度か履いたら親指の腹の皮がむけた!それだけ親指に重心がかかるということなのだろうが、これもまた普段いかにクッション性がある靴を履いているかを知らされる。足の裏もまた知らないうちに軟弱になっているのだ。

今は普段から意識して姿勢をよくし、立ち方や座り方に気をつけていかないといけないな、と思っているところだ。きものから教えてもらうことは多い。年を重ねると、身体も気持ちもラクな方へ、ラクな方へと向かいがちだ。もともと試練とか根性とかは避けて通りたい私なので、放っておくとラクチン生活にどっぷりつかりそうである。きものを格好よく着たいと思う気持ちを持ち続けることにより、少しは緊張感のある生活ができるかも??

| - | 09:59 | comments(4) | - |
水の都

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「水の都」と聞くとどこを連想するだろうか。まずはヴェニス?国内だったらどこだろう。都ではないが水郷の町・柳川あたり?それとも・・・

先日久しぶりに江戸東京博物館に行った。企画展はやっていなかったが、常設展だけでも十分みごたえがあり、何度行っても楽しい場所だと思う。とくにあのジオラマは見れば見るほど見事でため息さえ出てくる。

6階の「江戸ゾーン」にはいくつかのジオラマがあるが、江戸城周辺や大名屋敷のものより町人の町を再現した日本橋界隈のジオラマは圧巻というほかない。一体何人の人がいるのかわからないくらい人で溢れており、当時の賑わいぶりが詳細に再現されている。行き交う人々の身分や服装も様々で、いつまでも見ていたいくらいだ。

川辺の風景も再現されていて、猪牙舟や屋形船などが行き交っていた江戸はまさに「水の都」であったと気づかされる。今は先日私が参加したクルーズや花見、花火の時期の屋形船など観光目的に利用されるのがせいぜいなところだろうが、かつて川は江戸庶民にとってなくてはならない存在だったと思われる。商人がものを運ぶのも、普請のための木材を運ぶのも、遊興に出かけるのも、川なくしてはできなかったことに違いない。

落語(江戸落語)を聞いていると、人々と川が密接な関係をもっていたことがよくわかる。たとえば、「文七元結」。博打好きの父親が賭けに負けて家に帰ってくると娘がいなくなっている。方々探しても見つからず途方にくれていると吉原の遊廓から使いが来て、娘が身を寄せていることを知る。娘は父親に改心してもらいたいと思い、身を売って金を作ろうとしていたのだ。慌てて迎えに行った父親に店の女将はひとしきり説教し、大晦日までという期限をつけて50両の金を貸す。大晦日までは娘を店には出さないが、それを過ぎたら遊女として店に出すという約束だ。腕のいい左官であった父親は、借金を返して真人間になろうと心に誓って家に戻る途中、吾妻橋で身投げしようとしている若者に出会う・・・

「船徳」では、大店の若旦那が勘当されて船宿の居候になっている。ヒマを持て余して船頭になりたいと言いだすがなかなか出番がない。浅草の四万六千日の日、他の船頭が出払っていたためやっと出番がやってくる。若旦那、意気揚々と大川(隅田川)に漕ぎだしていくが・・・

「たが屋」は両国の川開きの日の一両国橋での一悶着が語られ、「唐茄子屋政談」では勘当された若旦那が吾妻橋から身投げしようとし、「しじみ売り」では厳寒の雪の日にしじみを売り歩く少年が船宿で一休みしている男と出会う。その男、実は・・・

一昨年あたりから、「江戸」を感じたくていろいろなところに出かけている。そして気づけばそこにはいつも隅田川やその支流があるような気がする。先日も船の上から柳橋を見たが、橋のすぐそばにある佃煮屋に行ったのはいつのことだったろう。深川の資料館もおもしろかった。

川を見るとわくわくするのは、私にも少しだけ江戸っ子の血が入っているということなのだろうか。日本橋の上の首都高が地下移設されるという話もあるが、本当に実現するのか。もしあの鬱陶しい道路がなくなったら、あのあたりの風景はかなり変わると思う。橋から見下ろす日本橋川はいつも暗く濁っていて舟に乗る気持ちになれないのだが、晴れやかに空が見えるのならぜひ舟の上から日本橋を見てみたいものだ。

*「隅田川馬石」という名跡があるんですね。

四代目の「名人長二」を聴いてみた。

*うーん、やっぱり志ん生さんと比べちゃうとなぁ。志ん生さん大好き。

| - | 12:24 | comments(2) | - |
「耳の人」

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以前にちらっと触れたが、先日七月堂に行った時に「耳の人」という小さな詩集を買った。詩集を買うことはめったにないのだが、古書部担当のSさんがお気に入りということでパラパラとページを繰ってみると、どこか気持ちに添うところがあった。作者は西尾勝彦さんという方で、もちろん(!)存じ上げない。

まず、「耳の人」というタイトルが気になった。それは、作者である「私」が出会った耳たぶの長い人のことなのだが、単に耳のかたちだけを言っているのではないと思う。耳は音を感じ取るための器官で、「耳の人」は様々な音に敏感であり、静けさを愛する人なのだ。

 

小鳥も眠る

朝まだき

耳の人は

家を出る

 

そして

午後三時過ぎには

帰ってくる

 

その人は

深呼吸をしている

静けさを

すいこんで

 

ほっとした顔をしている

 

(「西尾勝彦「耳の人」6番目の詩『帰宅』)

 

西尾さんという方は、奈良あたりのあまり便利ではないところにお住まいだと聞いた。そしてけっこうな時間をかけて通勤している、とも。「耳の人」はそんな西尾さんの想像上の知りあいというだけではなく、西尾さんの分身なのかもしれない・・・そう思いながら、私は“静けさをすいこんでほっとした顔をしている”耳の人にいたく共感を覚える。

年齢を重ねるごとに耳が遠くなるということはよくある。が、耳が若いころより鋭敏になるという話は聞かない。だから、これは私の錯覚か神経的なものによると思うのだが、ここ数年やたらと音が気になってしかたない。

たしかに耳は悪くはない。50代の時に聴覚検査を受けたが30代の聴覚だと言われた。ヘッドホンをつけて音が聞こえたらボタンを押す、というような検査だったと思う。しかし、だからといって異常に聴覚が発達しているはずはなく、このところ音が気になるのはやはり音に対して神経質になっているからだと思う。気にしなければ聞こえない音も、気にしはじめるとやけに耳障りになるという経験は誰しもがもっているのではないだろうか。

私が気になるのは主に人工的な音だ。工事の音。車のクラクション。テレビやラジオの音などなど。マンションのどこかで日曜大工をしている人が使っているとおぼしきドリルの音や、敷地内の植栽を整えるための機械(剪定バリカンというものか?)の音、1階住民が時々使う芝刈り機の音、夕方になるときまって聞こえてくる単調で下手なピアノの練習曲・・・悩ましい音はそこいらじゅうにある。

生活する上で発せられる、いわゆる生活音はあって当然のもの。それにいちいち目くじらを立てる方がおかしい、というのが世間一般の考え方だろう。私もそう思う。しかし、それらの音に悩まされている人たちの気持ちもまたわかる。頭で考えて納得できることではないのだ。感覚が、身体が、「不愉快」だと感じてしまう。こればかりはどうしようもない。

普段は気を紛らわせるとか、少しでも音が小さく聞こえる場所に移動するとか、どうしてもダメなら外に出てしまうとかいろいろやってはいる。しかし、頭痛がする時はどうにもならない。音は普段よりさらに大きく、鋭く入ってきて困る。布団をかぶって耳をふさぎ音が止むのを待つか自分が眠ってしまうほか対処のしようがない。

そのような音がふっと途絶えた時・・・一瞬でも音がなくなった時・・・その時の清々しい気持ちはたとえようもなく、「耳の人」が静けさを深呼吸しほっとしている時の感覚がよくわかるような気がする。

「耳の人」に感じるもうひとつの親近感。それは、どんぐり。耳の人はポケットにどんぐりを入れていて、「私」にお守りだと言ってくれたりする。「耳の人」も「私」も、どんぐりが好きなのだ。そして「耳の人」はどんぐりを拾ってポケットに入れておいたことを忘れている。たぶん、なにげなくポケットに手を入れた時にどんぐりの存在に気づき、「あ。」と思うのだ。

どんぐりが好きで見かけるとつい拾ってしまい、ポケットに入れておいて忘れる私。翌年の秋になって久しぶりに着たジャケットのポケットに手を入れたらどんぐりが・・・なぁんてことは一度や二度ではない。「耳の人」と同じなのだが、お守りだと言って人にあげたことはない。

どんぐりの、あのかたち。艶やかなあの色。あれは思わず手に取りたくなる魅力がある。先日の台風一過の後、裏の林にあるコナラやシイが風にあおられてどんぐりをたくさん落とした。まだ緑色のものもあった。茶色いものを選んでポケットに入れ、翌日拾ったことを思いだし、今デスクの上にある。

市民の森へ続く細い道はこれからどんどんドングリだらけになるだろう。踏まずに歩くのが難しいくらいに。どんぐりを踏んでしまった時の音や感覚はいやなものだ。どんぐりを除けながら、時には拾いながら駅に向かう日々はもうすぐそこに。

 

耳の人の考察によると

大いなるものは

まるい

 

例えば

太陽

どんぐり(?)

 

さらに

大いなるものは

めぐる

 

例えば

星座

季節

どんぐり(!)

 

耳の人は

まるく

めぐる

どんぐりに

惹かれている

 

いくつか

形のいいものを

山で拾い

ポケットに

入れている

 

さらに

その存在を

忘れている

 

(「西尾勝彦「耳の人」9番目の詩『どんぐり』)

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| - | 08:16 | comments(0) | - |
月百姿

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これは絶対に見逃さないぞ!と思っていた「月百姿」を見に行ってきた。前回の「妖怪百物語」に引き続き、月岡芳年ワールドにどっぷりつかって大満足!

「月百姿」は、芳年最晩年の作品で月にまつわる様々な物語がテーマになっている。平安の貴婦人あり、戦国時代の勇猛な武将あり、江戸の庶民あり、幽霊や妖怪あり・・・よくもまあ、月をテーマにこれだけ題材を考えられたものだと感嘆する。

多くは画面のどこかに月が描かれているが、月そのものを描かず想像させるものもあって深い余韻を残す作品が多い。たとえば源平盛衰記を題材にとった「はかなしや波の下にも入ぬべしつきの都の人や見るとて 有子」では、平安時代後期の公家・徳大寺実定に愛された琵琶の上手、有子が身分の差を憂えて海に身を投げる物語を描いているのだが、舟に乗って琵琶を抱えて泣く有子の背景に、月の光に輝く波が描かれている。水面に照り輝く月の光が有子の悲しみを鮮やかに表現しているといえるだろう。

ポスターやフライヤーになっている「大物海上月 弁慶」はカッコいい!に尽きる。兄である頼朝に疎まれ都落ちを決意した義経が大物裏から船出するとにわかに暴風雨となり、壇ノ浦で滅ぼされた平家の怨霊たちが襲ってくる・・・舳先に立つ弁慶は数珠を持ち経文を唱えると怨霊は去っていった・・・そんな物語。怨霊はあえて描かれていないが、今にも襲ってきそうな波と、その向こうの月と、目を閉じた弁慶の静かな表情が印象的だ。

月岡芳年が語られる時、若いころ師事していた歌川国芳の名前がよく出てくる。弁慶を描いた作品などを見ると、その大胆な構図に思わず国芳を連想するが、侠客のような国芳の凄まじさとはまた違ったものを私は感じる。芳年の他の作品を見れば判るように、繊細で洗練されたセンスが感じられるのだ。大胆な構図も神経を研ぎ澄ませて練ったものに違いないと思える。

図録によると芳年はかなり神経質な人だったようで、若いころ(35才前後)に強度の神経衰弱を煩ったそうだ。その後回復したが晩年になって再発。「月百姿」は明治18年(1885年)から同23年(1890年)にかけて89点が刊行されていたが、あと少しという明治24年5月ごろに「脳充血」「鬱憂狂」「癩狂病」などと言われる病に倒れる。版下絵があったので芳年が入院中も制作は続けられ、明治25年4月までに全百点が刊行された。しかし、回復の兆しを見せていた芳年は余病を得て同年6月9日に没する。数え年54才という若さだったという。

一度行ったことがあるのに気づかなかったのだが、向島百花園に「月岡芳年翁之碑」があるそうだ。今度行く時にはぜひ拝見したい。

あくまでも結果的にではあるのだが、ここ数ヶ月浮世絵がマイブームになっている感がある。先月の「妖怪百物語」に続いて岡田美術館の「雪月花」、今回の「月百姿」、その後に「すみだ北斎美術館」へ。「春画入門」(車浮代)というおもしろい本も読んだ。

北斎は世間でもブームなのか、このところテレビでもよく取上げられている。大田記念美術館では今月30日から富嶽三十六景が一挙公開(「富嶽三十六景 奇想のカラクリ」)され、北斎の娘である葛飾応為の「吉原格子先之図」が特別公開される。三十六景もいいが、私は光と影を巧みに描いた応為の代表作が見たい。また行くことになりそうだ。

*「月百姿」、ここでもどうぞ。

*世田谷線が「招き猫電車」を走らせることに(昨日から来年3月まで)

吊り手も招き猫なんだって!こりゃ、乗らなくちゃ。混むだろうなぁ。

*昨日はお江戸日本橋亭の「遊馬の会」へ。今輔、鶴光、遊馬師匠の噺を堪能!

| - | 07:22 | comments(0) | - |
信じがたい事実

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・・・PHOTO WEEKは終わったけれど、しばらく川の写真が続くかも?・・・

先週はPHOTO WEEKだったので少し前のことになってしまうが、これは心に留め文章にしておかないと、と思ったことを。例によって、いいことではない。残念ながら。

(またまた)例によってテレビ番組には全くもって疎い私。見ておけばよかたっという番組を事後に知ることは珍しくない。そんな私を知っている友人たちは「今夜○○の番組やるよ!」と知らせてくれたりする。先日も北斎関連の番組(このところ多い)を教えてもらって無事見ることができた。

しかしたいていは見逃す。見逃したことを知った時点でとりあえず検索してみる。運が良ければ動画がアップされているからだ。違法なのかもしれないが、私のような人間にはちょっとありがたい。先日も、このところ冴えているNHKのスクープドキュメント「沖縄と核」を一日遅れで見ることができた。

ここ数ヶ月、NHKの特集番組はかなりレベルの高いものが多い。少し見直した。違法動画をアップされても、イメージアップになるなら安いものだと思ってくれるといいのだが・・・まあ、これはこちらの勝手な論理。

いくつかの優れたドキュメンタリーの中でも、今回の「沖縄と核」については最も腹立たしさを感じた。「ひどい!」と少なくとも2度は口に出した。思っているだけでは済まず、つい口に出てしまうほどひどい事実、信じがたい事実だったからだろう。

番組では、戦後アメリカの占領下にあった沖縄が「核の島」になっていた事実を綿密な調査で明らかにしている。数年がかりの調査だと思う。

米ソの核開発競争が激化する中で、アメリカは極東の核ミサイル基地として沖縄の基地を拡大、最大1300発もの核弾頭が沖縄にはあったという。伊江島では核戦争に備える訓練のため住民を強制的に立ち退かせ、畑を焼き大きな訓練施設を建設した。こういった事実の背景には、軍人であったアイゼンハワーが大統領に就任し、核兵器の積極利用へとシフトしたことがあるというい。

当時台湾は中国と険悪になっており、アメリカも北朝鮮と戦っていた。中国、北朝鮮、そしてソ連などの共産圏に対するには、日本はうってつけの場所にあったということだろう。当初は日本本土にオネスト・ジョンという核ロケット砲を配備するつもりだったらしいが、ビキニ環礁での核実験で第五福竜丸が被爆。反核運動が激化してやむなく本土での配備はあきらめた。そこで、沖縄となる。

嘉手納空軍基地8ヶ所ににナイキ・ハーキュリーズという迎撃用ミサイルが設置され、核によって核を防衛する体勢が整えられた。極秘裏に行われていたから、住民たちは全く知るよしもない。那覇空港となっている元基地では点火事故により兵士が一人死亡しているが、それも今はじめて明らかにされた事実である。アメリカ軍は沖縄住民に知らせることなく、ひそかに海に沈んだ核爆弾を引き上げたという。広島に投下されたものと同程度の爆弾だったらしい。1959年6月19日のことだった。

そのころ、本土は高度経済成長でイケイケドンドン状態だった。私も妹もすでに生まれていたころに、そのようなことが沖縄であったとは・・・

そのころ、日米の間で交わされたのが「日米安保条約」である。正式な名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」というらしい。恥ずかしながら知らなかったが、こんな長い名前は覚えられないぞ。

この条約が巻き起こした数々の運動や事件については触れない。あまりに多くて複雑だし、今日のテーマからはずれるからだ。核兵器持ち込みについては日米の間で事前協議するということになっているというが、今回の取材で発見された内部文書によると、条約の対象に「沖縄は含まない」となっていたという。本土返還を見すえていたにもかかわらず。

ご存知のように、この条約を締結したのは当時首相であった岸信介である。そう、誰かさんのおじーちゃんである。アメリカの核の傘に入ることをよしとした血脈は今でも私たちの目の前にある、ということだ。「抑止力」の名のもとに、私たちはずっと長い間沖縄を犠牲にしつづけてきたことを改めて思い、事実を知ろうともせずにのほほんと生きてきたことを申し訳なく思う。

私が最も腹立たしかったこと。それは当時外務大臣であった小坂善太郎がラスク国務長官との会見で口にした言葉である。そのころアメリカはメースBという広島の原爆の70倍の威力をもつ核ミサイル配備を計画していたという。それについて、小坂は「事後に判明する場合には今さら騒いでも仕方ないということで議論は割合起きない。事前に発表されるとなぜ止めないかといって日本政府は責められる結果になる」とほざいたらしい。ラスクはそれでも、アメリカの手続きとして発表は必要だとしたという。そりゃそうでしょ。どう見ても。

このいかにも国民をバカにした態度もまた、今の政治家を見れば変わりないことがわかる。戦後70年以上が経過してもこのような政治家が大手を振っているとは・・・日本国民は世界で一番だましやすい国民なのだろうか。腹立たしさがやや収まると今度は情けなくてしかたなくなってくる。日本が戦争をする国、戦争ができる国になったとしても、政府だけが悪いのではなく国民全体の自業自得でもあるのか。

気持ちは暗くなるが、過去のこととはいえ見逃せない事実であることに変わりはない。今になってやっと明らかになったことも、将来のために活かすことだってできるかもしれないのだ。目を逸らさずにいたい。

| - | 08:51 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・川を往く〜いちにちゆらり旅〜<7>

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船旅の〆はやはりこうなる(^^;) 稼働中の様子は、陸からではなかなか見ることができない。スーパーガントリークレーン、最高!

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PHOTO WEEK・・・川を往く〜いちにちゆらり旅〜<6>

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東京ゲートブリッジの方へ進んでいく船。海にも川にも、いろいろな船が往き来している。ヨット、巡視船、観光船、漁船、コンテナ船・・・船を見るのもまた好き。

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22日は猫に語らせる日・・・9月担当:みかん

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みなさん、おはようございます。みかんです。9月ももうすぐ終わりですね。これからどんどん寒くなると思うと少し憂鬱です。あたしはもう「年より」の域に達していますから(15才。人間なら70代後半)、寒いのはイヤなんですよね・・・

先月はゴンがお盆に里帰りしてきて、久しぶりに会いました。こっちはどんどん年をとって体も衰えてきているというのに、ゴンは元気いっぱいでした。羽根がピカピカ光っていたので褒めると、「オイラの羽根はあっちの世界でもかなり評判にゃ!」と自慢していました。相変わらずノーテンキでのほほんとしていましたが、帰る時に「体をたいせつにして、もっともっとがんばって生きるにゃ!」と柄にもなく励ましてくれました。あっちの世界に行くと少しは成長するのかしら。でも嬉しかったです。

あたし、今年の春あたりからちょっと調子が悪くて病院に行ったら、腎臓が悪いって言われました。ふたつある腎臓のうち、ひとつはほとんど役割を果たしていなくて、残りの方も弱っているとか。ちょっとショックでした。食欲もなくて脱水してきたので入院することになりました。点滴をずっとつけたまま5日間入院したんですよ。生まれてはじめての経験なので心細かったけれど、隣のケージにアメショの男の子がいていろいろおしゃべりできました。淋しくてたまらないらしく、ちょくちょく「おばちゃーん!」と呼びかけてくるの。眠い時はちょっと鬱陶しかったけれど、かわいかったわ。

入院して点滴を続けたからか、だいぶよくなりました。でも、元には戻らないから、今では腎臓病用のカリカリをメインに食べています。腎臓病用のはけっこうおいしくて、今迄のカリカリ(便秘用)より気に入っています。座布団みたいな形をしていて、なかにおいしいのが入っているんです。ふくが「ふくにもちょうだい」って時々言うけど、ふくに分けていたらすぐになくなってしまうので断っています。ふくは食べられそうなものなら何でも欲しがるから断ってもちっともふてくされたりしません。すみごんは、そんな素直なところがいいって言っていますけど、どうなのかしら。

まめこは相変わらずですが、少しずつダイスケに攻撃に慣れてきて、時々反撃できるようになりました。そのせいか、ダイスケったら時々腹いせに私にちょっかい出してくるのよ。あたしは細かいことはあまり気にしない方なので仕方ないなぁと思うくらいですが、ダイスケももう少し大人になればいいのにって思います。

ふくも相変わらずです。相変わらずデカくてまっしぐらです。少し涼しくなったので、エアコンが効いている部屋より階段でよく寝ています。体が大きいので階段一段分を全部使ってしまうので、夜中にすみごんがトイレに起きた時など踏みそうになるって言っていました。ふくなら踏まれても大丈夫でしょう。どっちかっていうと踏んだ方が階段から落ちてしまいそうです。

時々、「後足びろーん」をやってすみごんを嬉しがらせています。ゴンの得意技だったから。でも、ふくのはまだまだ美しくないです。体形の違いもあるけど、ゴンのびろーんはすらりとしてきれいだったし、持続時間が長かったです。ふくはすぐに止めてしまうので、すみごんは残念がっています。でも、なんでふくがびろーんするのか・・・妙なところがゴンに似ているもんです。

最近わが家では、すみごんとおっさんが「グラン(大きい)」と「プチ(小さい)」で猫の性格を言ったりしています。あたしは、体はプチで心はグラン。まめこは体も心もプチ。ふくは、体も心もグラン。ダイスケは体はグランで心がプチ。よくもまあ、みんな違っていること!でも、だからおもしろいんですよね。

来月は最近おっさんにもすり寄っているまめこの番です。おっさんは(っていうか男のひとってそうだと思うんですが)ツンデレに弱いのよね。今日も「今朝はまーちゃんが、オレの隣でくねくね、ごろんごろんした!」と嬉しそうに報告していました。まめこは、自分だけいつもかわいがってもらいたいので、すみごんだけでは物足りなくなってきたのかもしれません。まめこはけっこう欲張りだとあたしは思いました。

ついこの間、すみごんのお友だちの家にいた「ハナさん」が23才で亡くなったと聞きました。23才!すごいですね。とてもやさしくておっとりした猫だったとすみごんが言っていました。毛色はあたしと同じ茶白です。「茶白の猫はみーんないい子だよね」ってすみごんがそっと言っていました。そしてあたしに、「みかんもハナちゃんくらい長生きしてね」って。あたし自信ないなぁ。でも、ゴンにも励まされたし、わが家の猫のリーダーとしてできるだけ長生きしようと思っています。

そろそろ気温が下がってくるので、みなさんも風邪に気をつけてお元気で。みかんでした。

| - | 06:17 | comments(4) | - |
PHOTO WEEK・・・川を往く〜いちにちゆらり旅〜<5>

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雲といい、鴎といい、まるで真夏のように明るい風景。かなり暑いが、船旅日和だったのは間違いない。

| - | 06:50 | comments(2) | - |
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