たしか昨年の8月31日も「月末所感」だったような。8月は戦争やら原爆やら人々の死やらを思う日が多く、体調も不安定になりがちで月末ともなると疲労感を覚える。とりたてて忙しいわけでもないのだが、いろいろなモヤモヤが身につき纏い、そこに秋を感じさせる風がふっと通り過ぎたりしている。今日は雨。
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昨日の毎日新聞夕刊1面に「谷口稜曄(すみてる)さん死去」の見出しがあった。例によって人の名前を覚えるのが苦手なので写真がなければ記事すべてを読まなくてはわからなかったと思うが、写真が掲載されていたので、あああの方が・・・と思った。
谷口さんは長崎で被爆し、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員として活動されていた。私は先に紹介した「ヒロシマ・ナガサキ」に出ておられるところを見ている。被爆直後背中のほとんどを焼かれた無残な状態や、映画撮影時カメラの前で衣服を脱いで見せたすさまじい手術跡も強く印象に残っている。88才での逝去だが、あの日目の前で斃れていった人々のために核廃絶運動の最前線に立ち続けた人生だった、という。
戦争を経験した人が減り続けている。いつか全くいなくなる。私を含めて戦争を知らない子供たちであった人たちが今後語り継いでいくことはひとつの義務ではないだろうか・・昨夜「この空の花」を見ながらそんなことを考えた
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ミサイルで大騒ぎ。揶揄ではなく、Jアラートが鳴り響いた地域の方々にとっては青天の霹靂であり、漠然とした不安が一気に鮮やかになった出来事だったのだろうと思う。アラートがなったところでどうしたらいいのかわからない。地下や頑丈な建物に避難せよと言われても近くにそうのような場所はない。一体どうしたらいいの?という戸惑いは当然のことだと思う。
しかし、こういう時だからこそ冷静になって少し距離をもって事態を見守った方がいいように思う。北朝鮮にはイライラしがちだが、見方を変えればなかなかしたたかである。アメリカ、中国、ロシア(日本はオマケみたいなものだからあまり眼中にはないかも)の決して一致しないであろう思惑をうまく利用し、からかっているのか?とさえ思える。
たしかに重大事だろうが、それを利用してまた支持率アップを図ろうとしているような誰かさん及びその周辺の動きもきちんと見ておくべきだろう。厳重に抗議しても中国やロシアを動かすことができなければ事態は変わらないような気がするのだが・・・
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明日から9月。9月1日は自殺する子どもたちが多いということが数日前から盛んに話題にされている。「無理して学校に行くことはないんだよ」という優しげな語りかけもあるが、それではとりあえず1日の自殺は食い止めることができるくらいなのではないだろうか。
いじめが原因の自殺は珍しいことではなくなった。明らかになる度に様々な分析や提案がなされるが、決定的な解決方法はいまだ見当たらず、「学校側は把握していない」ととぼけた言い逃れが常套句になっている。
前にも書いたと思うが、現代のいじめは私たちが子どものころのいじめとは全く違うように思う。学校、家庭、地域社会、国・・・様々な環境が与えている影響もあると思うし、子育てや家族についての思いもまたより複雑になっている。もちろんいじめはよろしくないことなのだが、「いじめられた側=善 いじめた側=悪」という単純な公式は当てはめて解決することではないだろう。
子どもたちには、自分で考え、自分で自分を守る方策を見つける力を身に付けてほしい。つらくてつらくて仕方なければ学校に行かないというのもひとつの方策である。身の回りの大人たちが信用できなければ、信用できそうな大人を探すのも方策である。まず自分自身を信じ、考え、しあわせになるための道を探してほしい。
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炎症を越していた右足首はほとんど完治した(と思う)。足首を曲げても痛くないし、赤みもなくなった。しかし、痛かった間に妙な歩き方をしていたのか今度は筋肉痛(^^;) あまり動かなかったので血行が悪くなったのか頭痛。いつどのような不具合が出てくるかわからない年齢になったと先日も書いたが、それに加えて不具合の連鎖が起きる年齢にもなったことを知る。この間買った崎陽軒の「シウマイ」に入っていた“ひょうちゃん”は今の私にぴったりだ。