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フルーティー侍!

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先月だったか、実家に行った時に妹から「フルーティー侍って知ってる?」と聞かれた。全く知らなかった。実家ではなんでも時代劇チャンネルを契約しており、そこで見たらしい。1分程度の短いショートアニメなのだが、なかなか面白いという。帰ってきて検索してみたら、第3話までが動画サイトにアップされていた。

うーん、なかなか面白い。まあ、時代劇が好きだからかもしれないが、キャラクターといいストーリーといいよく出来ているアニメだと思う。先日また実家に行き、全編を見せてもらってきた。確か14話まであるようだが1話がとても短いので全編みるのもあっという間。ぜひ、10〜15分程度のものを何話か作ってもらいたいものだ。割当られた時間により構成がかなり変わってくるので簡単ではないと思うが。

フルーティー侍」とは、文字通り様々な果物頭の侍たちが登場する物語で、主役級は赤林檎侍と青林檎侍。青林檎侍の道場に赤林檎侍が来て試合を申し込み、青林檎侍は弟子たちの前で負けてしまう。その悔しさを胸に青林檎侍は赤林檎侍をつけ回すのだが・・・

脇を固めるのは、実芭蕉侍(バナナ)、椰子侍(ココナッツ)、鰐梨侍(アボガド)、鳳梨侍(パイナップル)、流蓮侍(ドリアン)、桜桃侍(さくらんぼ)、西瓜侍、甘栗侍・・・オフィシャルサイトにはそれぞれのキャラクター紹介がされており、みな個性豊かで楽しい。

制作されたのはけっこう前のようで、2010年から11年にかけて国内外の様々な賞を受賞しているようだ。侍と果物という意外性のある組み合せがユニークで、一度頭を真っ二つに着られた青林檎侍が包帯を巻いてまた出てくるところなんぞなかなか・・・桃、蜜柑、梨、苺など私たちが日ごろから親しんでいる果物よりも、エスニックな果物が多く登場するあたりはなにか意図があったのか・・・

案の定というか、すでにLINEのスタンプも2種類出ており、さっそく購入して妹との会話に使っている。現在のところ一番気に入っているスタンプだ。DVD、書籍もすでに出ており、迷った末に本の方をポチッてしまった・・・やれやれ、こうしてまた本が増えていきますとさ!

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ガブリエル・バンサン

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今でこそ絵本は滅多に買わなくなってしまったが、息子が小さいころから・・・いや、自分が子どものころから絵本は好きだった。書店に行くことも昔に比べたらかなり少なくなってしまったが、行けばたいてい絵本のコーナーはざっと見ることにしている。図書館でも同様。絵本というと子どものためのものだと思っている人もいるかもしれないが、さにあらず。絵本は子どもも大人も楽しめる、時には大人の方が楽しんでしまえる本だと思っている。

息子が小さいころ買った絵本がまだいくらか家に残っている。近所の絵本専門店に連れて行き、興味を持った本を買うこともあったが、基本的に私は自分が見たい、読みたいと思う絵本を買ってきた。自分の価値観を子どもに押し付ける気は毛頭ないが、上質なものがどのようなものであるかは大人の方がわかる。それに、最初は一緒に読んで楽しもうと思っていたので、それなら私も楽しめるものの方がよいではないか。

息子が溺愛した(!)絵本も数冊残してあるが、今日は別の本の話。どちらかというと、こどもより大人受けしそうな本かもしれない。そして、迷った揚げ句に私が最も好きな一冊として挙げたいと思う本。それが、「アンジュール〜ある犬の物語」(ガブリエル・バンサン)だ。

一昨年亡くなった児童文学作家の今江祥智さんは、「真っ白な表紙の上で一匹の犬が振り向いている。その眼と、眼が合ったとき、それきり眼を話せなくなってその本を取上げ、一頁一頁、追われるように見ていった」とバンサンの「たまご」の後記に書いている。そうなのだ。私も書店でこの本に出会った時、表紙の犬と目が合ってしまったクチなのであった。

有名な本なので内容をあらためて書く必要はないと思う。とにかく圧倒的なデッサン力に感嘆しながら、文章が全くないのに犬の哀切な心持ちがストレートに伝わってきて(文章がないからなのかも)、胸が痛くなるほどだった。以来、バンサンの作品をいくつか購入して今でも大切に持ち続けている。

たまご」も絵のみの作品で不思議な雰囲気を漂わせている。砂漠のようなところに大きな卵が現れ、人々が集まり、街を作り、果ては卵にも階段をつけたり天辺に登るケーブルカーを設置したりする。しかし、ある時その卵が割れて中から巨鳥の雛が出てくる・・・どこか人間社会に対する警告とも示唆ともえるものを含む作品だ。

対照的にほんわかした雰囲気を持っているのが「マリオネット」。淋しげな少年を見かけた人形使いが女の子の人形を使って少年を楽しませる。が、オオカミの人形が出てきた時に少年はおののき、女の子の人形を助けようと奪って逃げる。追いかける人形使い・・・この本も文章は一切ないが、少年の心の微妙な心の動きが手に取るように感じられる優れた作品だ。

4冊持っている中で唯一文章が入っているのが「15ひきのおしかけねこ」だ。他の3冊がモノクロのデッサンのみであるのに対してこちらは水彩で淡く色付けされている。「テディ・ベアのおいしゃさん」という作品の続編のような位置づけらしい。この作品は読んだことがないのだが、往く先々で壊れたテディ・ベアと出会ってしまうおじいさんがそれを持ち帰っていつくしみ、それぞれの身の上話を聞いてやる、という話らしい。

ひとまずテディ・ベアの一件が片づいたと思ったら、今度は野良猫がどんどん集まってくる。なんで自分の家に・・・と最初は困っていたのだが・・・デティ・ベアであろうと野良猫であろうと、困っている者たちを見かけたら無視できないおじいさんの優しさ、集まってきた猫たちの個性的な姿、など猫好きにはたまらない絵本でもある。

調べてみると、ガブリエル・バンサン作品はまだまだたくさんあるようだ。2000年に亡くなったようだが、遺作となった「ヴァイオリニスト」はぜひ見てみたいと思っている。

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| - | 08:18 | comments(4) | - |
松崎煎餅

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・・・松崎煎餅本店の地下。「三味胴」がきれいにディスプレイされている・・・

先日銀座に出た時、ふと久しぶりに松崎煎餅でなにか買って帰ろうと思い行ってみると・・・ビルは工事中で移転のお知らせが・・・4丁目並木通りに間口の広い本店を構えていたのだが、今年2月以降は今までフラッグシップ店として営業していた銀座すずらん通り店が本店になったらしい。

松崎煎餅を知ったのはもうだいぶ前。たぶん子どものころだったと思う。社会人になって自分であちこち出歩くようになり、銀座に出た時はときどき家族への土産を買いに立ち寄った。「煎餅」というとしょうゆ煎餅や塩煎餅を思い浮かべるが、私が一番好きだったのは「三味胴」という名前の瓦煎餅。あのほんのり甘いやさしい味が大好きなのだ。

そういえば、今年のはじめころのニュース番組で松崎煎餅を取材していたことを思い出した。6代目店主へのインタビューだったが、息子に暖簾をゆずる話が中心だったと思う。今は本店になっているすずらん通り店は息子が任されている店として話題にされ、「三味胴」のディスプレイ(上の写真)などが紹介されていた。今は若き7代目が店主となり、松蔭神社前にカフェ併設の店も出したようだ。

ニュースを見ていて、いかにも老舗の店主らしい温厚で上品な先代と、いかにも現代青年の面影のある当代のバトンタッチがスムースに行われているらしいことを知り、安堵の気持ちを持ったことを覚えている。老舗を引継ぐということは覚悟がいることだと思うが、息子である当代は現代的なセンスを生かしてのびのびやらせてもらっているように見えた。「好きなようにやってくれればいいんです」と先代はさりげなく言っていたが、銀座の老舗となるとやはり受け渡す方にも覚悟は必要だっただろう。

すずらん通りに移った本店は前の店よりも狭く茶房がないが、現代的なインテリアデザインで地下には「三味胴」がきれいにディスプレイされていた。季節に合わせた図柄が並び、ちょっとしたプレゼントにしても洒落ていると思った次第。デパ地下にも入っているが、やはり本店はいいなぁ。

松蔭神社前の店は、「街のおせんべい屋さん」として気軽に立ち寄れる店として営業しているらしいが、世田谷線を選んだあたりが銀座の老舗の若き当代らしいと思う。久しく世田谷線にも乗っていないが、気になる本屋もあるし招き猫も見たいし・・・近いうちに行ってみようかな。

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| - | 07:21 | comments(0) | - |
海北友松

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つい先頃まで、京都国立博物館で「海北友松展」が開催されていた。行きたかった・・・が、諸般の事情により行くことができず、せめてもと思って図録を注文した。

海北友松の名をテレビの美術番組で見て、「あれ?」と思った。私が知っているのは「海北」は「海北」でも「海北紹益」なのだ。「海北」は「かいほう」と読む。ちょっと調べればわかることで、むろん同一人物である。桃山時代の絵師だが、狩野永徳や長谷川等伯に比べて知名度はかなり低いと思われる。しかし、図録からでさえ感じる気迫と独特の構図(とくに空間の使い方)は見事でやはりただ者ではない。

私が海北紹益(友松)を知ったのは、「嵯峨野明月記」(辻邦生)においてであった。それほど前のことではない。笑ってしまうのだがこの本、藤原定家の「明月記」について書かれた本だと思い違いをして入手したもので、読みはじめたらすぐに全く違うテーマの本だということがわかった。ネットで購入したのだが、簡単な紹介文があったはずなのに、全くもってそそっかしいことである。

しかし、その粗忽さも時には「吉」となる。この本は今までその存在を知らなかった「嵯峨本」について書かれたもので、その制作に携わった3人の人物の独白で構成されている。「嵯峨本」とは日本の印刷史の最初期に登場した活版印刷本で非常に豪華な装幀が特長だ。それもそのはず、この印刷に携わったのが俵屋宗達と本阿弥光悦だったのだから。

「嵯峨野明月記」は、光悦、宗達、そして「嵯峨本」制作において中心的存在であった角倉素庵の3人が、それぞれの人生を振り返りながら「嵯峨本」と呼ばれる本を作るまでに至る道程が描かれいる。「角倉本」「光悦本」とも呼ばれているようだ。内容は古典文学が中心で、「伊勢物語」「源氏物語」「徒然草」「方丈記」や謡曲の本が残されているとのことだ(Wikiによると、「源氏」は疑問視されており、「伝嵯峨本源氏物語」と呼ばれているらしい)。

「嵯峨野明月記」の中の本阿弥光悦の独白の中に、海北紹益が登場する。そこに描かれている彼の性格は絵師というよりも武士に近く、どこか近寄りがたい厳しさを持つ人だ。それもそのはず、紹益の父は浅井家の重臣であった海北綱親で(紹益は5男、あるいは3男)、父が戦死したのち禅門に入り東福寺で修業、その後狩野派に入門して絵を学んだ。「嵯峨野明月記」では、浅井を滅ぼした織田信長を強烈に憎み、明智光秀の参謀であった斎藤利三(のちの春日の局は利三の娘)と親しくしていた。

本能寺の変のあと、利三もとらえられて処刑され刑場に首が曝されていることに憤りを感じ、槍を持って首を奪い返し真如堂(真正極楽寺)に手厚く葬られた、と歴史は記している。「嵯峨野明月記」では、紹益が東福寺の禅僧・東尋坊とともに利三の首を奪い返しに行くとき、茶会をしていたというアリバイ作りのために呼び出されたのが本阿弥光悦、ということになっている。

その後の光悦の独白にも何度か紹益が登場し、この古武士然とした絵師について私は興味を抱いた。辻邦生の文章で表現されている絵を想像するだけでは、なにか物足りないような気がしていた時に美術番組で実物を見たというわけだ。

狩野派では元信か永徳を師としたと言われていたようだが、最近の研究で永徳であった可能性が高いことがわかっているようだ。なるほど初期の作品を見ると岩の描き方などに永徳の技法に似たものを見る。しかし、その後は独自の道を歩んだようで、龍の絵を得意としたらしい。

私が好きなのは、「松竹梅図」(慶長2年・1597年・京都禅居庵)や最晩年の最高傑作と言われている「月下渓流図屏風」だろうか。激しさは鳴りをひそめ、ひたすら静かで幽玄な世界がそこにはある。「月下・・・」は昭和33年にアメリカのナルソン・アトキンズ美術館の所蔵になって以来はじめての里帰りとのこと。こうした名画が海外に流出してしまって残念だが、今回の展覧会で広く知られるようになったことはせめてもの慰みである。

持ち重りのする図録は届いたばかりでまだざっと目を通しただけだ。これからゆっくり絵を見たり解説を読んだりしたいと思っている。また、海北友松とは直接関係ないが、「嵯峨本」が気になって仕方ないので、そのうち図書館に行って調べたいと思う。まあ次から次へと興味の対象が出てきて気ぜわしい今日このごろである。

*明日、TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」に注目!

*前川前文科省次官が生出演するらしいぞ。

| - | 11:16 | comments(0) | - |
「たほいや」

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・・・高木によじのぼり、するすると伸びてと枝垂れるヤマイバラ。いい姿だ・・・

「たほいや」なるものをご存知の方はおられるだろうか。私は全くご存知なかった。少し前ネットでその話題を見かけて、なんじゃらほい?と思った。妙に間抜けた語感が気になって読んでみると、なんでも広辞苑を使って行うゲームで20年以上前にテレビの深夜枠で放映されていたとのこと。それが今年の2月に復活しニコ生(ニコニコ動画の生放送?)が流したらしい。Wikipediaにも「たほいや」はある。以下簡単な説明とルール。

●プレイ人数は、4〜7人程度

●必要な用具は、筆記用具、大きな辞書(普段使わないような言葉が多く収録されている辞書) 、チップ

●ゲーム内容

(1)親を決める。親は1人1回とする。

(2)親は辞書の中から誰も知らないと思われる単語を探し、それをひらがなで書いて他の人(子)に提示する。

(3)子は提示された言葉の意味を考えて書き出し、親に渡す。

(4)親は辞書に載っている正しい意味を含めた解答例を番号をつけて読み出す。

(5)子は読み上げられた解答のうち正しいと思われるものに1〜3枚のチップを賭ける。

(6)親は正解を発表し、精算する。

(7)全員が親を務めたら1ゲーム終了。

人数が揃わないとできないゲームだが、なかなかおもしろそうだと思った。どれだけ言葉を知っているかも問われるが、子がそれぞれ書く解答がたぶんおもしろいのだと思う。想像力の方向性は人それぞれなので、知らない言葉の意味の探り方もかなり人によって違うのではないだろうか。

Wikiに出ている例を見るとそれがよくわかる。お題は「おねげる」だ。子は4人でそれぞれ考えた答えを親に渡し、親が発表したのが以下の5つ。

 (1)キク科の多年草

 (2)フランス近代の作曲家

 (3)礼を尽して依頼するこ

 (4)神輿を担ぐ時の掛け声

 (5)トルコ料理に使用されるスパイス

さて、正解はどれだ!?調べればすぐにわかるので書かないが、なかなか楽しそうではないか。ある程度人数がいるし、大きな辞書を持っている人がどれくらいいるかわからないので実際に自分が参加することはないと思うが、もしあったら楽しいだろうなぁと思う。

そういえば、中学校の時、地図帳を使ったゲームをやったことがある。同じ経験をしたことがある方は多いのではないだろうか。地図帳の見開きページの中から目立たない、わかりにくい地名を探し出して問題として出す、というやつ。すぐに見つけられたら残念だが、なかなか見つけられないと「ふふふ」と腹の中で笑える。単純だがけっこう飽きずにやったものだ。

単純な情報量や知識量を問うクイズ番組よりも、こんなゲームの方がユーモラスで楽しいと思うのだがどうだろう。ちなみに「たほいや」とは本来イノシシを追い込む小屋(遣小屋・やらいごや)のことらしい。これまたおもしろい。

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バラ園に望むこと

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バラ園に行く度にちらっと頭を過ることがある。けっこう前からのことなので、一度くらいブログ記事に書いたのかもしれないが、このところひどく忘れっぽいので。

バラのハイシーズンになると、各地のバラ園で様々なイベントが催される。先日行った京成バラ園でも、連日「ガイドツアー」やバラの世界では有名なゲスト(バラの専門家であったりフラワーアーティストであったり、等々)を招いてのトークショーのようなものを開催しているようだ。それを目当てにバラ園を訪れる人も多いらしいことは想像できるし、バラの楽しみ方はいろいろあっていいと思っている。

しかし、現実的にはそうせざるをえないのかもしれないと思いつつ、商売に徹しすぎていると感じることも多く、本当にバラのことを知りたい人々(とりあえず私もその1人)にとってはもどかしいというか、物足りない状況もまたある。

どのようにしてより多く集客するか、は重要だ。民間企業の事業である以上、利益追求は基本中の基本だろう。しかし、それと同時にバラを文化としてとらえた活動もしてほしいと願う。

まず、基本はバラの名前の正確な表記。カタカナ表記をしないと読めない人が多いからそれはそれでいいのだが、それと一緒に学名(ラテン語)の表記も載せるべきだと思う。可能であれば作出年、作出者、作出国も。京成バラ園ではほぼこれがクリアされているが、肝腎のネームプレートが見づらいものが多い。

また、すべてのバラ園に求めるものではないが、わからないことを質問できるシステムを確立してほしいといつも思う。すべてのバラについて把握することはかなり難しいと思うが、そのバラを選んで植えた以上選んだ人がおり、選んだ理由があるはずだ。来園者が知りたいのはバラの名前や育て方だけではなく、系統についてだったり由来についてだったりすることだってあるのだ。そういったニーズは少ないのかもしれないが、それに応えるよう努力してほしいと思う。

バラ歴が長いとはいえない私ではあるが、バラが好きだという人たちの中には少数ながらプロ並の知識を持っている人がちもいる。各種の書籍や資料を探して自分なりに分析したり、種を蒔き、育てながらきめ細かい観察を続けている人たちもいる。彼らは所詮「素人」ではあるが、いわゆる専門家や研究者が見落としがちなことに気づいたり、全く違う視点を持っていたりもする。

そんな人たちも、何かあれば専門家の意見を聞き、知識を得たいと思うに違いない。しかし、私が知る範囲においては、専門家とそういう人たちを結ぶネットワークもなく、窓口さえない。いわゆる「バラ会」というものが存在しそれぞれ活動しているが、ともするとサロン的な雰囲気が漂いやすいような気がして避ける人も一定数存在する。そういった特定のグループの中でではなく、バラに関する開かれた情報共有が望ましいと私は思っている。

昨日の記事に書いたが、パークス・イエロー・ティー・センテッド・チャイナかもしれない(今まで「パークス」とされていたバラは本当のパークスではなく、本物はすでに失われているのではないかという説が主流になりつつあるようだ)と思われるバラを京成が植えたらしい。

昨晩ふと、それは「ブライトサイド・クリーム」というバラではないか、と思った。今までにも、もしかしたらこれが真正のパークスではないかと言われたバラはいくつかあったように思うが、私の記憶にあるのは「ブライトサイド・クリーム」である。いわゆるバミューダ・ミステリーローズとして、「アンティーク・ローズ・ガーデン」という個人経営のナーサリーが2007年に紹介している。

このナーサリーは、販売手段をオークションという形にしたため批判もかなりあったと記憶しているが、当時知られていないバラを見つけて紹介し、商品化したという点は見逃せないことだと思う。個人だからできたことで、会社組織の中ではなかなかできないことなのかもしれない。私もいくつか苗を購入したことがあるが、とりたてて問題視するようなことはなかった。

現在このナーサリーは運営されていないか、別の販売方法をとっていると思われる。オーナーが身体をこわした、という話をちらりと目にした記憶はあるが、その後については全く知らない。ちょっと気になってはいるのだが。

もしかしたら京成が導入したのは「ブライトサイド・クリーム」かもしれないと思ったものの、確認する手だてがない。京成バラ園のサイトを丹念に探してみたが、バラ園のイベントや育て方などについて問い合わせをすることができても、個別のバラについて聞けるような窓口はないようだ。聞きたいとこが聞けないもどかしさ・・・どうしてくれるのだ!!(^^;)

すべてのバラ園で、とは言わない。京成バラ園など全国的に知名度が高く原種を植えているバラ園や、草ぶえの丘のように「バラ文化」を標榜しているバラ園に限ってでもいいから、聞きたいことを聞けるようなシステムを早く作ってほしいと切に願う。

もう一つ願うのは、自分たちのバラ園に植えられているバラについて、きちんと把握してほしいと思う。スタッフ全員が把握する必要はないが、植えられるまでの経緯や出所をきちんと把握している人がおり、問い合わせがあれば応えるという体勢をとってほしい。

というのも、昨年注文して今年草ぶえの丘で受け取ったバラが謎だらけで困っているからだ。苗作りや販売を取り仕切っていると思われる方に聞いてもわからないとのこと。でも、植えた以上誰かがどこからか仕入れたのであり、植えた理由もまたあるはずなのだ。

草ぶえの丘バラ園は、前身を「ローズガーデン・アルバ」といい「NPOバラ文化研究所」が主体となって運営されている。国際ヘリテージ・ローズ会議への参加など国際的な活動もしており、バラを「文化」としてとらえようとしている団体だ。それゆえ、商業主義の経営とは別の活動もできるはずだと思われる。

一時に比べたらずいぶんバラから離れてしまったので、当時の知り合いとはほとんど遣り取りもしなくなってしまった。たったひとつのバラを見るために毎週のように出掛けて行った人、棘のかたちや付き方までじっくり観察していた人、同じ名前のバラなのに様子が違うことに気づき、現地に行ってみた人・・・みなさんそれぞれ自分たちの発見をきかっけに、「知りたい」という一念で熱心に動いていたことを思い出す。

そういう人たちがいることをバラ関係者たちにはぜひ知ってほしいし彼らとのネットワークづくりを考えてほしい。花の美しさを愛でるだけが「バラを愛する」ことではないのだから。

*涼しいですなー これくらいの気温がいいなー

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5年ぶりの京成バラ園

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昨日はRさんと京成バラ園に行く予定にしていたのだが、急遽キャンセルになり1人で行こうかなと思っていた。が、家人が車で行ってくれると言うので、ありがたく連れていってもらうことにした。毎度思うことだが、バラにほとんど興味がないのに連れて行ってくれ、また私があれこれ見回っている間じっと待っていてくれて・・・本当にありがたや。いびきがうるさくても足で蹴るのはやめようかな。

2、3年ぶりかと思っていたが帰宅して調べてみたらなんと5年ぶりであった。それもそのはず、なんだか知らないバラがたくさんあって戸惑うことも多々あった。残念だったこともあるが、それ以上に知らないバラの存在を知ったり、好きなバラが見事に咲いているところを見たりする喜びの方が大きく、暑さの中出掛けていってよかったと思う。

今はバラのハイシーズン中のハイシーズン。平日でも大混雑で駐車場に入るまでかなり手間取った。千葉県内のナンバーが多かったが、福島ナンバーもあって京成バラ園の全国的な知名度が計り知れた。草ぶえの丘のバラ園は少しマニアックなところがあるが、京成はバラの名前や系統、由緒などに興味はないがきれいに咲くバラは見たいといった一般的なバラ好きたちには魅力的なのだろう。

まず、残念だったこと。京成バラ園に行くとまず見に向かうのが、ルゴサのコーナー。中央のハイブリッド・ティはまず見ないので左にそれてイングリッシュローズのコーナーの端を通ってアーチをくぐると左に折れる小径がある。その小径にそってルゴサ系のバラがいくつか植えられており、マイカイ(玫瑰)がある。かなりの大株で見ごたえがあるのだ。やや日陰になったところに、陰りのある赤紫色の花が咲いているところはなんともいえない雰囲気があった。

マイカイは何かと話題になるバラで、中国でいう「玫瑰」と日本の「マイカイ」は違うことはわかっている。また、「マイカイ=ハマナス」ではないことも。この辺りについての詳しいことは、バラ友であるpotatoさんが詳しく調べて書かれているので、そちらを参考にしていただきたい。

で、京成のマイカイだが、なんだか枝数が少なくなってしまって花もまばら。かつての姿を知っているだけにけっこうショックだった。今後の様子を見なくては!と思いつつ、ルゴサ系にしては細くて華奢な感じがする葉やしなやかな枝ぶりはやはりいいなぁと感じた次第。

もうひとつ残念だったのか・・・これは致し方ないことなのだが、バラの枝が奔放に伸びているのでネームプレートが見にくいこと。とくに「シュラブ」という樹型が多いオールドローズ(アルバ、ガリカ、ダマスクなどはとくに)の枝が奔放に伸びて何が何やらわからなくなってしまっている。

自然樹型を見ることができるのは魅力でもあり、ある意味で見本園のようになっている草ぶえの丘にはない良さが京成にはある。それを知りつつ、とにかく名前だけははっきり認識したい私にとっては若干残念なことだと言わざるをえない。

嬉しかったこと。いろいろな発見があった。たとえば、マイカイと同じルゴサ系のバラで深い紫色が魅力的なBasye"s Purple Rose(ベイシーズパープルローズ・HRg・1968)はブッシュ型の樹型(自立する比較的コンパクトな樹型)だと思っていたのだが、高いポールに誘引されていた。調べてみたら枝の伸びは2.5メートル(姫野バラ園)となっているのでおかしな話ではない。草ぶえの丘では1メートルに満たない樹型だったように記憶しているが、やはり別のバラ園で様子を見るのは大切だなと思った。

またこれも同じルゴサ系のバラで「Snowdon」(スノードン)というバラがある。咲き終わりにややピンクが入るがほぼ純白のバラで、バラの大先輩であるTさんが長年愛培していると思う。このバラはイングリッシュローズのリストには入っていないがデビッド・オースチンが作出したもので、前々から着にはなっていたのだがじっくり見たことがなかった。京成にスノードンがあるのを知らなかったので、昨日見られてとても嬉しかった。ルゴサ系のバラは花びらが薄紙のように薄くて儚げだが、白い花はとくにそんな感じが強い。かなり大きく育っており、今後が楽しみだ。

知らなかったバラをいくつか見ることができたことも嬉しい経験だった。ノワゼットのコーナーはやや花が終わりかけていたものが多かったが、植えられてあまり年月が経過していないと思われる小さめの株に咲いた花がなんとも繊細。ネームプレートがなかったので根元あたりを見ると「Marie Accary・仏・Guillot 1872」のタグがあった。Guillot(ギヨー)はフランスの老舗ナーサリーで、初代はティーローズの名花「マダム・ブラビィ」を作出したJean-Baptiste Guillot(1803-1882)だ。ややこしいのは息子も同じ名前であることで、名前の後に“Flis”がつけば息子のことを指す。

息子の方のギヨーは、諸説あるがハイブリッド・ティの第1号として有名なラ・フランスを作出したことで有名で(1867年)、「Marie Accary」は調べてみるとその息子の作品のようだ。作出年もラ・フランスから5年後ということになる。ラ・フランスは非常に香りがいいバラで花も大きく好きな人が多いと思うが、「Marie Accary」の繊細な感じも捨てがたいと私は思う。これも今後の観察リストに載せておかねばー

もうひとつ、そろそろ帰ろうかと思った矢先に見つけたのが「Ping Dong Yue Ji」(ピン・ドン・ユー・ジー)という奇妙な名前のバラ。ファウンド・ティとのことで、これは植えられてからまだそう日が経過していないものと思われる。というのも、ティーローズのコーナーとはほど遠いところの、これまた目立たない場所にあったからだ。ティーローズのコーナーは年々数が増え続けもやは新しく導入したバラを植える場所がなくなってしまったのだろう。最近導入されたものは思いがけないところに植えられていたりするので、やはり1年に一度は行っておかないとわけわからん状態になりそうだ。

ファウンドローズだということは、作出者や作出された時期がわからない状態で発見された、ということだ。名前からして中国で発見されたのではないかと思うが、ネームプレートに記載されているのは「2007年 Brichet」。Brichetという人が発見者だということか。しかし、こちらで調べてみると、1930年ごろになんと日本人のビジネスマンが台湾の家族に贈り、それがKun Wangという台湾の人によって集められ、イギリスにもたらされ、Kim Rupertという人の手に渡ったという説明がある。ヨーロッパ由来のバラではないか、「Cels Multflora」「Spice」「Odee Pink」と似ている、とも。

「Cels Multflora」もファウンドだと思っていたら、どうやら作出者などがわかっているようで、フランスのFrancis Celsにより1836年以前に作られたようだ。「Spice」はファウンドで、ヒュームズブラッシュ・ティーセンテッド・チャイナと同じだという説とそうでない説があるようだが出所はわかっていない。「Odee Pink」もファインドティーで、なるほどよく似ている。

バラの魅力は様々だが、私にとってはこうして由来や系統を調べることも大きな魅力となっている。バラからだいぶ離れたと思っていたが、やはりバラ園に行くと焼けぼっくいに火がついて夢中になってしまうところがある。

もうひとつ、忘れないでおかないとけいないことがあった。帰り間際のことだが、聞き捨てならない話を耳にしてしまった。このシーズンは毎日ローズガーデンツアーを開催しているようで、昨日は京成バラ園芸グロアーマネージャー(ってどんな職種だ?)の入谷伸一郎氏のツアーだった。がやがやとうるさいので避けて歩いていたのだが、ティーローズのコーナーあたりで「フォー・スタッド・ローズ」(中国からヨーロッパに渡りバラに四季咲き性をもたらした4つの種馬バラ)の話をしていたようだった。うるさいなぁと思いつつ写真をとっていたのだが、話がパークスイエローについてになり、これが本当のパークスではないかと言われているバラを今年植えたらしいことを知った。植えたばかりだし、花はすでに散っているとのことだったので、来年はぜひ確認しなければと思う。

ご存知の方も多いと思うが、「フォー・スタッド・ローズ(・オブ・チャイナ)」とは、「スレイターズ・クリムソン・チャイナ(ロサ・キネンシス‘センパフローレンス’)」「パーソンズ・ピンク・チャイナ(ロサ・キネンシス‘オールドブラッシュ’)」、「ヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センテッド・チャイナ」、そして「パークス・イエロー・ティー・センテッド・チャイナ」の4つだ。

しかし、この中でパークス・イエローだけが一季咲きでつる性という性質を持ち、淡黄色の花色と花びらが反り返る性質をもたらしたという説もあるようだが、その一方で本当のパークス(四季咲き性の黄色っぽいバラ)は別にあるのではないかという説も耳にしたことがある。それを特定するのはかなり難しいことだと思うが、京成バラ園が導入したということは可能性としてはあり得ることだと思う。これまた来年のお楽しみ。

曇りがちでラッキー!と思って出掛けたら、現地はかなりの陽射し。いた時間帯が調度晴れ上がった時間帯だったようで、まあ暑いこと。文句もいわず待っていてくれるとはいえ、人を待たせてじっくりゆっくりもしていられないので、正味1時間強で広大なバラ園を回った。見るだけでなく写真も撮りたいので駆け足状態(^^;)シャッターを切る回数は1種類について基本的に1〜2回。見逃したものも多いと思うが、あの暑さではどの道じっくり見ていることはできなかったかもしれない。様々な発見や喜びを経験できたことだけで十分だと思っている。

facebookにアルバムをアップ。こちらは備忘録として。

*「木と草と花と・・・」更新。こちらは少し感想を。

*コメント欄を復活させたので、あちらの方がコメントしやすい方はどうぞ。

*この記事を含めるとけっこうな作業量ざんした。ちかれた〜

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芍薬忌

今月に入ってから花屋の店先で芍薬の花を見かけることが多い。私は例外(蓮、牡丹)をのぞいて大きな花は苦手な方で、芍薬も嫌いではないものの特段好きな花というわけではない。が、芍薬には個人的な思い出があり、そういった意味で特別な花と言えなくもないと思う。

子どものころ、わが家には庭と言っては恥ずかしくなるような小さな庭があった。小さな一戸建てが立て込んでおり、日当たりもさほどよくはなかった。しかし、祖父母の影響か花好きだった母は、様々な植物の種を蒔いたり苗を植えたりしていた。勝手口の横のわずかなスペースに百日草を植えた。もともと丈夫な植物だったからだと思うが、夏になると無事花を咲かせ、その名の通り長い間咲き続けていた。私は今でも、その微かに褪せたような桃色の花の色を脳裏に浮かべることができる。

朝顔の種を直まきしていた。隣家との間にあった垣根の内側に、五月になると種を蒔いた。八十八夜が過ぎたら朝顔の種を蒔く・・・母の口癖だった。本葉が出始めると、父が細目の竹を買ってきて朝顔の蔓をからませられるようトレリスのようなものを作った。とりたてて世話をしなくても、毎年朝顔はその竹をよじのぼり、色とりどりの花を咲かせた。夏の朝、まず最初に朝顔の花を数えるのが私の日課になった。

狭いスペースの一番日当たりがいいと思われるところに、ある日母は芍薬の苗を植えた。誰かにもらったのかもしれない。大きな花が咲くと聞いたが、子ども心に果たして自分の家の庭で咲くのが疑問だった。他の植物より多めに肥料をやったのかどうかは知らないが、芍薬はつぼみを持ち、見事に桃色の花を咲かせた。数は少なかったが、学校で作った薄紙の花のように大きな花を咲かせた。その花の色もいまだに鮮やかに覚えている。

数年前の5月、先日亡くなった伯母のところに行くときに私は芍薬を買っていった。芍薬でなくてもよかったのだが、たまたま花屋の店先に数種類があり、華やかな花を持っていって伯母の目を楽しませてあげたいと思った。

少し濃いめの桃色の花だった。それを5本ほど買って持っていった。伯母に渡すと、「ああ、芍薬ね。きれいね、なつかしいわ」と言った。伯母にとって芍薬はなつかしい花だったのか、なにか特別な思い出がある花なのかもしれないと思い、芍薬を選んでよかったと思った。

伯母はその芍薬をすぐに花瓶に活けて、自分の部屋の棚の上に置いた。芍薬の周囲には伯母と縁があった人たち、すでにこの世の人ではない者たちの写真がきちんと写真立てに収まって並んでいた。かつて伯母の夫であった人の写真もあった。愛人を作って離婚にまで追いやられたというのに、伯母はその人の写真を飾っていた。自分より早く亡くなった妹の写真。母親と父親の写真。仏壇も位牌も持たぬ伯母は写真を飾ることしかできなかったのだろう。それでも、故人を偲ぶ気持ちは他の親類縁者に勝るとも劣らなかったと思う。

少し暗い部屋の、棚の上にしつらえられたささやかなスペース。そこで咲く大きく華やかな芍薬の花。その光景が忘れられず、今年の母の日には伯母に芍薬を贈ろうかと考えていたのだったが・・・

伯母が特別芍薬を愛していたとは思わない。が、今年になって訪れた時に小さなブーケを持って行ったら、「ああ、花を見るなんてずいぶん久しぶりだわ」と喜んでくれたことも忘れ難い。数年前のように芍薬は持っていけなかったが、伯母と芍薬は何故か切り離せない関係性を私の中で築いている。

今日出掛けた帰りに、白い芍薬を3本買ってきてデスクの上に飾ってみた。白い花は2種類あったが、どちらかというと花が小さく葉がきゃしゃな方を選んだ。ふんわりゆったりした存在感で今私の目の前にある。伯母の命日・・・5月6日を私の中では「芍薬忌」としよう。ふとそう思った。5月はバラのシーズンでもあるが、私はバラの切り花を買ったことがない(少なくともバラを育てるようになってからは)。これからは毎年5月が来る度に白い芍薬を飾って伯母を偲びたいと思う。

| - | 06:07 | comments(2) | - |
奢㶚都舘

昨年あたりから少しずつ本の整理をし、少しずつ手放している。雑誌などは新聞と一緒にゴミとして出すことが多いが、それ以外はほとんど明大前にある七月堂古書部に送っている。もうかれこれ3回か4回送ったと思うので、少しは本が減ったか・・・と見回してみたが、数としては確かに減っているはずなのに見た目は全く変わっていないように思える。なぜだ!?

整理をしながら、送ろうかどうか迷う本もある。私は比較的処分すると決めたら思いきって処分できる方なのだが、それでも中には数冊迷う本が出てくる。今後読み直す可能性があるかどうか、が処分非処分の基準なのだが、なにせ気分で本を読む私のこと、ある日突然処分してしまった本が読みたくなることだってありうるからだ。

けっこう迷ったが古書店に持っていこうと決めた本が2冊ある。ちょっとマイナーな分野の本だが、本としてなかなか美しい本でもあるので、内容を含めて興味を持っていそうな古書店に。一軒思い当たる店があるので、そのうち持っていって買い取りできるかどうか聞いてみようと思う。

その2冊とは、「ダンディズムー栄光と悲惨ー」(生田耕作)と「閉ざされた城の中で語る英吉利人」(ピエール・モリオン/生田耕作訳)。発行は奢㶚都舘という読み方がわからない出版社だ。社名からして凝りに凝っているが、フランス文学者・生田耕作のプライベートプレスだと知れば不思議さは感じないだろう。どうやら「サバト舘」と読むらしいことがわかった。

生田耕作についてはさほど知らないが、私の中ではまず「異端」という言葉がイメージされる。wikiでも、「フランス異端文学の紹介に努め・・・」とあるし、図書目録に掲載されているマンティアリング、ワイルド、バタイユ、などの名前を見ればなるほどと思ってもらえるのではないだろうか。

この2冊(実はもう少し奢㶚都舘の本は持っていたかも)を入手したのは20代中ごろか。最近は絵画の分野で「奇想」流行りだが、若いころから「異端」にも心惹かれていたことを今さらながら確認した次第。売る前に読んでみるか、とページを繰ると図書目録(写真)がはさまれていて、目録さえもどこか神秘的な印象を与える。表紙には、以下の文章が印刷されている。

低俗と量産の時代に、敢えて問う誇り高き少数者の声。瓦礫文化の底から、埋もれた結晶群の美を探る、<反時代的>コレクション。細心の編集と瀟洒な造本で贈る。

そうなのだ。奢㶚都舘の本の魅力はその内容だけでなく、「本」としての美しさを追求しているところにあるのだ。私が魅かれて入手したのも、内容を読んでみたいと思っただけでなく、本を手に取り装幀や紙質などを確かめてみたかったからなのだ。先に挙げた「閉ざされた・・・」など箱も本体表紙もほとんど真っ黒で背表紙の題名は金色で押してある。うーん、オシャレというにはあまりに洗練されているし、読まずとも持っていたいところは山々なれど・・・(また迷う(^^;))

奢㶚都舘は今でもあるのだろうか。そう思って調べてみたが確かなことはわからなかった。ただ、生田耕作氏亡き後仕事を引き継いだ夫人もなくなり、今は出版社としての営業はしていないようだ。ただ、「サバト本」を扱う古書店はいくつかあることがわかった。ごく少数かもしれないが、熱心なファンはいるのだろう。

さて手元にある2冊の本。読んでから売るか。読まずに売るか。とりあえず読まないまま持ち続けるか。読んでから決めるか。うーん、また迷いはじめてしまった(^^;)

*今日も暑くなりそう。今って何月?

*暑さに慣れるまで、けっこうつらい日々が続くのだー(T.T)

| - | 08:13 | comments(0) | - |
22日は猫に語らせる日・・・5月担当:まめこ

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おはよう。まめこなの。あいかわらずの、まめこなの。あいかわらず「びじん」だってゆわれているし、あいかわらず「ごきげんななめ」なまめこなの。

まめこはさいきん、たんすのうえの、くらーいところ(「やねうらべや」ってよばれてる)にひそんでいることがおおいの。いままでは、いすのうえにおかれた「ねこべっど」のなかにいて、うえから「もうふ」をかけてもらっていたけど、あるひとつぜん、そのばしょがいやになったの。でも、どこにいってもほかのねこがいるです。まめこは、ひとりでゆっくりできて、ひとりでゆっくりかわいがってもらいたいの。

だから、しかたなく、くらいところにいったです。でも、ここは、まえからおきにいりのばしょで、ときどきひそんでいたからだいじょうぶなの。ごはんのじかんになってもでていかないと、ごはんをそこまで「はいたつ」してくれるし。「いたれりつくせり」だって、すみごんがゆってたの。

でもね、ときどき、ダイスケがこっちをみあげてねらっているの。あいつはからだがおおきいから、のぼるのにちょっとてまどるけど、たまーにのぼってくるです。なんだってあいつは、まめこをおそうのかな。すみごんは、「あのね、まーちゃんのことがすきなんだよ、ほんとは」ってゆうけどさ、まめこはちがうとおもうです。

そんなこんなで「ごきげんななめ」なまいにちだけど、たべるものはしっかりたべているの。だから、けづやはピカピカだよ。たまになでてもらいたくてすみごんのところにいくと、「まーちゃん、あいかわらずびじんでつやつやだね」ってゆうもん。でも、まめこがなでてもらっていると、きまってダイスケがやってきて、すぐちかくでまめこをみはるんだよ。ちかづくとすみごんにしかられるから、すこしはなれたところで、まめこのことをじーーーってみているの。こっちくるな!しっ!しっ!

みかんもまめことおなじで、いままでくつろいでいたばしょがきゅうにいやになったらしいの。それで、すみごんのいすでねていることがおおくて、「みーくん、わるいけどどいて」なんてゆわれているの。それでも、すみごんのひざのうえにのったりしているよ。まめこよりおばーちゃんなのに、あまえんぼうになったみたいなの。

ふく・・・あいつはあいかわらずでかくて、あいかわらずよくたべているの。ごはんのじかんになると、すみごんのへやのどあをあけてさいそくするから、そのてんはえらいっておもっているの。これまでは、「けーじ」のうえでひるねしていることがおおかったけど、あつくなってきたら「かいだん」かすみごんのへやのまえでねていることがおおいんだって。へやのまえにいると、どあからかぜがはいってきてすずしいらしいの。かいだんもすずしいらしいけど、ふくがねているとすごくじゃまなんだって。そういわれても、へいきでどどーんとねているよ。

ねこは「あつさ」につよいってゆわれているみたいだけど、よわいこもいるみたいなの。まめこがきらいなダイスケはもともと「のらねこ」だったから、さむさにはつよくてあついのにはよわいみたいなの。これからはつらいきせつだよ。ざまーみろ、ってまめこはないしんおもっているです。でも、すみごんもあついのがにがてみたいで、2、3にちまえからぐったりしているの。まめこは「えあこん」がきらいなので、もっとあつくなったらますます「やねうらべや」にいることがおおくなりそうなの。

こないだ、ひさしぶりに「まぐろ」をたべたの。ほかのこたちは、「ささみ」と「まぐろ」のみっくすだったけど、まめこは「ささみ」がきらいなので「まぐろ」だけ。でも、いっぱいもらったから「だいまんぞく」だったの。これからは、1しゅうかんに1どは「まぐろまつり」をかいさいしてほしいとおもうです。

らいげつは、きのうひさびさに「うしろあしびろーん」をやって、すみごんをよろこばせた、ふくのばんなの。「びろーん」はゴンのとくいわざだったけど、ふくはでぶだから、ゴンみたいにかっこよくきまらないの。でも、すみごんがよろこぶから、もっと「びろーん」したほうがいいと、やさしいまめこはおもっているです。おしまい。

| - | 09:33 | comments(2) | - |
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