なんだかとらえどころのない本である。その気になれば数時間で読み終えてしまえるほどのボリュームなのだが、読んでいる最中も読み終えてからも、この「とらえどころのなさ」が解消されず、この本について書こうと思いつつ時間が経ってしまった。
この本はどうやら自主企画ではなく、出版社からの依頼で書かれたいくつかの文章(エッセイ?)を改めて1冊の本に編集したもののようだ。著者自身、第六章「琉球旅行」の冒頭で「この作文を私は出版社の注文に従って書きはじめています」と書いている。その注文というのは「ぼくのおとうさんだということになっている、物書きという文章を書いて収入を得る、不思議な職業を生涯の友とした島尾敏雄についての思い出を、何か書かなければならないのですが・・・」ということらしい。またそれに続いて、自発的に書きたいと思っているわけではなく、収入を得たいからというだけだということもすんなりと書いてしまっている。
私の中には「なるほど」と納得できそうな感覚と、たぶん自分には理解できそうにないという感覚がないまぜになったような状態で存在しており、どこか居心地がよろしくないというか妙な気分を感じている・・・としか今は言えない。
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ただ、これだけは言えると思えるのは、著者が幼いころから受け続けてきたであろう様々な精神的な傷は相当根深いということだろうか。また、当たり前のことだが著者は両親からその気質、性質・・・考えようによってはどこか狂っていると思われてもしかたない性質・・・を確実に受け継いでいるであろうと感じる。それらから生まれたものだと思えば、この本から受ける「とらえどころのなさ」もある程度納得できそうな気もしている。
「死の棘」を読めばわかることだが、著者とその妹は二人の異常な夫婦の子として幼いころからさんざんな目に遭ってきた。幼い者は幼いなりに自分を守ろうとする。自分を守るためには、現実からあえて目をそらすことも必要だっただろう。目の前で父と母がとっくみあいをし、父が首を吊ろうとすれば母が寝ている子どもたちを呼んで「お父さまが死のうとしている」とそれを見せ、怒鳴ったり喚いたり泣いたりしている両親の姿を日常的に見せられれば・・・それは大きなトラウマとして残るであろうことは容易に想像できる。
著者は両親を憎みつづけたであろう。親を憎まねばならないというのは残酷なことだ。しかし子どもは親を完全に憎みきることはできないだろう。心のどこかで求め、愛されたいと願うだろう。憎しみと愛情の相克を幼いうちに知ってしまった、ということはひとつの悲劇だと思う。
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最も印象的だったのは最終章である「骨」だろうか。島尾敏雄が死んだ時、著者は友人の結婚披露宴に出るため香港にいたという。そこに父の臨終を知らせる電報が届き、母の様子やあまり身体の自由がきかない妹の様子などを想像し心配する。が、電話で母の声を聞きながら、葬儀が終わるころに到着する方が面倒でなくて良さそうだと思う。
披露宴を終えて帰国、鹿児島・宇宿の家へ向かう。父は書庫で本の整理をしていた時に倒れたといい、母はその時の様子を真似てみせる。その時は父の書庫であったところに母が着物を入れてあるタンスを置きたいといいだしたので、父が寒い場所へ本を移動させていたらしい。その家に引っ越してきた時から、「おとうさんとおかあさんの世界が混同しないように」一階にはおかあさんのものだけ、二階にはおとうさんと妹のものだけ、というように分別していたのに、一階には着物だけ置いておける六畳の部屋だって確保してあったのにそこはゴミ箱みたいになっていた。著者は「おかあさんの侵食力が無限大であること」をあらためて知らされることになった。
家に代えれば、母の命令には絶対に服従しなくてはいけなかったようだ。頭に包帯を巻かれた父の鼻の穴から血が出てくれば、母は拭けと命令する。「お父様、伸三ですよ」と父に語りかけ、「伸三、何か言いなさい」と命令する。しかし著者は何も言えず父を見ているだけしかできない。父の顔に絶望の気配が漂っているのが分かったという。脳内出血で倒れたらしいが、母が執拗に頭蓋骨を開ける手術を望んだため死ななくてもいいのに死んでしまったという人もいたらしい。父の最後の言葉は、「ミホ、もういやだよ」だったそうだ。
父の様子があまりに痛々しく惨殺されたように見えたので、母はだれにも見せてはいけないといい、その言いつけに従って著者、著者の妻である「登久子さん」、娘のマホの3人で棺を見張った。血がついたティッシュは母の監視下、台所のガスコンロで焼いたが1枚だけこっそりポケットに隠し、数年後福島の記念文学資料館に渡したという。
葬儀が終わって遺骨を持ち帰ってきてからも母の命令は続く。畳の居間に新聞紙を敷き、ふたつの骨壷から焼いた骨をそこに広げる。なぜ骨壷がふたつかというと、きれいに残った骨とそうでないものを別々にするため母が希望したからだ。骨を壺に入れる時も母は係の人に「あの骨を入れろ」「もっと大きいのが残っている」などと細かく命令していたらしい。そしてもう一つ骨壷が必要だと言い出し、葬儀社の人に持ってきてもらったのだ。
新聞紙に骨を広げると、著者はかたちのいいものだけを綺麗な骨壷に入れ、悲しんでいるふりをして大きな骨をガリガリと食べて見せる。妹も迷わず泣きながら食べる。母は一瞬ギクッとした表情を見せた後、嫌そうに小さな骨を食べる。かくして綺麗な骨壷は「おかあさんのもの」になり、粉々の骨が入った白い骨壷は墓に入れるものとなった。著者は白い方の骨壷を持って福島県相馬郡にある「小高駅」に降り立つことになった。
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骨の整理をした後も母の命令は続くのだが、もう書くの飽きてしまった。とにかく異様な母親である。その異様さは、たとえば若いころであれはある意味で美しく見えることもあったのかもしれない。しかし、葬儀後の行動を見る限りただ単に異様であるとしか思えない。そしてまた思う。異様でありつづけるにもエネルギーが必要であり、たとえば先に書いた「ドルチェ」に出てくる衰えた姿はすでにエネルギーが枯渇してきたことによるのかもしれない、などと。
父も母も妹ももうこの世にはいない。著者にとっての家族は、優しい登久子さんと娘のまほだけだ。現在はどのような暮らしをされているのだろうか。写真家としての活動は続けられているのだろうか。娘である「しまおまほ」さんは漫画家になったらしいがまだ作品は見ていない。それにしても、母「みほ」と妹「マヤ」から一字ずつもらったとしか思えないその名前のことを思うと、やはり著者は家族からの呪縛から解き放たれてはいないのかもしれない、いや自らその呪縛を選んだのかもしれないと思えてくる。
*釜飯、食べる前に写真を撮っておこうと思っていたのにー
*気づいたらもう半分くらい食べていた。これだもんなー
*昨日、iPhoneの写真の焦点が合わなくなってしまいやや焦った。
*サポートの電話予約をしたのだが、何度目かの再起動で元に戻った。
*とりあえずよかったが、新しいものってこれだもんなー