今日で3月も終わり・・・なんとなんと早いことか。今度の土曜日に地元の公園で「さくら祭り」が開催さされる予定だが、天気はあまりよくないようだ。が、この日のために準備してきた人たちにとってはたいせつなイベントなのだろうから、雨が降らねばいいなと思っている。ここまで聞えてくるカラオケ大会の音にももう慣れてしまったし。
それはさておき。もう話題にするのも半分は鬱陶しくなってきたのだが、マスコミは一体どうなっちゃってるの?と思うことが相次いでいる。今にはじまったことではないが、必要以上にひとつの案件を伝え続けているのを見ていると、やっぱり何かを隠したいからなんだな、きっと!などという憶測が浮かんでくる。
なんとか劇場とか言っみたり、知ったかぶり顔のタレントに物を言わせてみたり・・・出来事の本質を知ることから無理やり眼を逸らさせようとしていると思われても仕方ないではないか。
高校生たちが雪崩の事故で亡くなったのは痛ましい出来事だった。「なぜ」という疑問は当然上がるし、原因を究明しなくてはならないのはもちろんのことだが、何日も何日も時間をかけて追求することだろうか?昼のワイドショーはそれほど話題に困っているのか?いや、そうではあるまい、きっと。追求しやすい案件だからしつこくやっている・・・つまり安易に視聴率を稼げる道を選んでいる、ように思えてならない。
もはやテレビや新聞など大手マスコミはほとんど当てにはならないという思いを年々強くしている。「全く」ではないにしろ、一部をのぞき「ほとんど」だ。リアルな情報を得るためには、海外メディアや記者クラブに属さないジャーナリストの発言などを探した方がいいように思う。
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そんなこんなを感じながら、あまり知られていないかもしれないニュースを2つ。一つは毎日新聞夕刊(29日)に掲載されていたので他紙でも伝えられているかもしれないが、ニューヨークで27日から始まっている核兵器禁止条約交渉会議に日本は不参加を表明した。「核保有国が参加しない形で条約を作ることは国際社会の分断を一層強め、核兵器のない世界を遠ざける」というのが高見沢軍縮大使の言い分らしいが、私にはなにやらそれは詭弁のように思える。
確かに核保有国が参加せずに作られた条約は現実的ではないかもしれない。が、核というものに対するその国のスタンスを表明するためには参加することが重要であったのではないか。
新聞に掲載されていたのは、会議に参加したカナダ在住の被爆者・サーロー節子さんのスピーチについてだった。広島で被爆した彼女は自らの被爆体験を語り、各国から大きな拍手を送られたという。そして、語り続けていくことのつらさを述べ、日本の不参加について「悲しい以上に怒りを感じる」「被爆者は母国に見捨てられたという思いを深めた」と語ったという。
確かに被爆者の数そのものは減っている。しかし残された彼らやその家族たちは今でも懸命に生きている。そして彼らはまぎれもなく日本人だ。彼女のスピーチをどれくらい重く受け止めるか・・・新聞に一度掲載されただけで忘れられていく話題のひとつにしていいのだろうか・・・
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話は変わるが、IWJ(INDEPENDENT WEB JOURNAL)をつらつら見ていたら、築地市場の豊洲移転問題について、「築地女将さん会」の女性たちが石原元都知事に反論した、というニュースに目が留まった。
私はあの百条委員会の模様を逐一見てはいないが、その後のニュースで度々とりあげられているのを見て、いささか呆れてはいた。強気が鳴りを潜めてボケ老人ぶりを自ら告白しているように見えたかと思えば、突然現知事を鋭く批判したりして。もちろん責任は元知事だけにあるわけではないが、知事というヒエラルキーの頂上にいた人間はすべての責任を最終的にとらねばならないだろうに何を女々しく・・・なぁんてね。
で、石原発言の中で小池都知事が築地市場の人たちを生殺しにしている、というのがあったそうだが、それに対して築地で仕事をしている女性たちは「生殺しにしているのは石原さん」だと抗議したという。豊洲移転については、築地市場の老朽化問題もあるので是非を簡単に言うことはできないし、現在に至るまでのいきさつもすべて明らかになっているわけではないから、移転すべきではないと明言することはできない。
が、豊洲はいかがなものだろうか。地上部分は安全、といっても、その「安全」が頼りにならないということを私たちは東日本大震災でいやというほど知ってしまったではないか。女将さんたちも、東日本大震災の時、築地市場は問題がなかったのに豊洲では100ヶ所以上が液状化したことから、そんなところで生鮮食品は扱えないと言っている。また仮に現在安全でも発生が確実視されている首都直下型地震で豊洲が再び液状化する可能性は否めず、将来的にも大きな不安を抱えることになる、と。女将さんたちの言い分の方が元知事よりよっぽどすっきりしているように思うのは私だけだろうか。
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日本はなんだかんだ言っても未だに男性社会である。私自身それをいやというほど実感してきたし、まわりを見回してみてもそう感じる。しかし、その一方で目立たないかもしれないが、したたかに、しなやかに社会と繋がっている女性たちは増えてきていると思う。女性は現実的である。「男のロマン」はあっても「女のロマン」はあまり聞かないのは、女性が現実的であり、穏やかに暮らし子孫を残すというのが「女」という性の根本にあるからではないかと思う。日本だけについて言えることではないが、もっと女性たちの声が行き届くようになれば、世界はもう少し平和になるような気がする。