CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

Interior

日々の内側
copyright sumigon all rights reserved
女たちの声を聞け!

17-0331.jpg

今日で3月も終わり・・・なんとなんと早いことか。今度の土曜日に地元の公園で「さくら祭り」が開催さされる予定だが、天気はあまりよくないようだ。が、この日のために準備してきた人たちにとってはたいせつなイベントなのだろうから、雨が降らねばいいなと思っている。ここまで聞えてくるカラオケ大会の音にももう慣れてしまったし。

それはさておき。もう話題にするのも半分は鬱陶しくなってきたのだが、マスコミは一体どうなっちゃってるの?と思うことが相次いでいる。今にはじまったことではないが、必要以上にひとつの案件を伝え続けているのを見ていると、やっぱり何かを隠したいからなんだな、きっと!などという憶測が浮かんでくる。

なんとか劇場とか言っみたり、知ったかぶり顔のタレントに物を言わせてみたり・・・出来事の本質を知ることから無理やり眼を逸らさせようとしていると思われても仕方ないではないか。

高校生たちが雪崩の事故で亡くなったのは痛ましい出来事だった。「なぜ」という疑問は当然上がるし、原因を究明しなくてはならないのはもちろんのことだが、何日も何日も時間をかけて追求することだろうか?昼のワイドショーはそれほど話題に困っているのか?いや、そうではあるまい、きっと。追求しやすい案件だからしつこくやっている・・・つまり安易に視聴率を稼げる道を選んでいる、ように思えてならない。

もはやテレビや新聞など大手マスコミはほとんど当てにはならないという思いを年々強くしている。「全く」ではないにしろ、一部をのぞき「ほとんど」だ。リアルな情報を得るためには、海外メディアや記者クラブに属さないジャーナリストの発言などを探した方がいいように思う。

そんなこんなを感じながら、あまり知られていないかもしれないニュースを2つ。一つは毎日新聞夕刊(29日)に掲載されていたので他紙でも伝えられているかもしれないが、ニューヨークで27日から始まっている核兵器禁止条約交渉会議に日本は不参加を表明した。「核保有国が参加しない形で条約を作ることは国際社会の分断を一層強め、核兵器のない世界を遠ざける」というのが高見沢軍縮大使の言い分らしいが、私にはなにやらそれは詭弁のように思える。

確かに核保有国が参加せずに作られた条約は現実的ではないかもしれない。が、核というものに対するその国のスタンスを表明するためには参加することが重要であったのではないか。

新聞に掲載されていたのは、会議に参加したカナダ在住の被爆者・サーロー節子さんのスピーチについてだった。広島で被爆した彼女は自らの被爆体験を語り、各国から大きな拍手を送られたという。そして、語り続けていくことのつらさを述べ、日本の不参加について「悲しい以上に怒りを感じる」「被爆者は母国に見捨てられたという思いを深めた」と語ったという。

確かに被爆者の数そのものは減っている。しかし残された彼らやその家族たちは今でも懸命に生きている。そして彼らはまぎれもなく日本人だ。彼女のスピーチをどれくらい重く受け止めるか・・・新聞に一度掲載されただけで忘れられていく話題のひとつにしていいのだろうか・・・

話は変わるが、IWJ(INDEPENDENT WEB JOURNAL)をつらつら見ていたら、築地市場の豊洲移転問題について、「築地女将さん会」の女性たちが石原元都知事に反論した、というニュースに目が留まった。

私はあの百条委員会の模様を逐一見てはいないが、その後のニュースで度々とりあげられているのを見て、いささか呆れてはいた。強気が鳴りを潜めてボケ老人ぶりを自ら告白しているように見えたかと思えば、突然現知事を鋭く批判したりして。もちろん責任は元知事だけにあるわけではないが、知事というヒエラルキーの頂上にいた人間はすべての責任を最終的にとらねばならないだろうに何を女々しく・・・なぁんてね。

で、石原発言の中で小池都知事が築地市場の人たちを生殺しにしている、というのがあったそうだが、それに対して築地で仕事をしている女性たちは「生殺しにしているのは石原さん」だと抗議したという。豊洲移転については、築地市場の老朽化問題もあるので是非を簡単に言うことはできないし、現在に至るまでのいきさつもすべて明らかになっているわけではないから、移転すべきではないと明言することはできない。

が、豊洲はいかがなものだろうか。地上部分は安全、といっても、その「安全」が頼りにならないということを私たちは東日本大震災でいやというほど知ってしまったではないか。女将さんたちも、東日本大震災の時、築地市場は問題がなかったのに豊洲では100ヶ所以上が液状化したことから、そんなところで生鮮食品は扱えないと言っている。また仮に現在安全でも発生が確実視されている首都直下型地震で豊洲が再び液状化する可能性は否めず、将来的にも大きな不安を抱えることになる、と。女将さんたちの言い分の方が元知事よりよっぽどすっきりしているように思うのは私だけだろうか。

日本はなんだかんだ言っても未だに男性社会である。私自身それをいやというほど実感してきたし、まわりを見回してみてもそう感じる。しかし、その一方で目立たないかもしれないが、したたかに、しなやかに社会と繋がっている女性たちは増えてきていると思う。女性は現実的である。「男のロマン」はあっても「女のロマン」はあまり聞かないのは、女性が現実的であり、穏やかに暮らし子孫を残すというのが「女」という性の根本にあるからではないかと思う。日本だけについて言えることではないが、もっと女性たちの声が行き届くようになれば、世界はもう少し平和になるような気がする。

| - | 09:12 | comments(2) | - |
悪い種子

17-0330.jpg

以前から興味がありブログの話題にもしてきたが、このところ「サイコパス」関連の本を立て続けに読んでいる。「サイコパス」という言葉はごく最近になってよく使われるようになったと思う。脳科学者の中野信子さんが「サイコパス」という本を出し(文藝新書)、書店で平積みになっているくらいだ。

興味があったのでその本も読んでみたが、今ひとつピンとこなかった。内容がよくないというよりも、なんとなくだが自分が求めている内容ではなかっただけだと思う。「サイコパス」に関する様々な研究が紹介されており、最近の動向を知りたい向きにはいいのかもしれない。

中野さんの本の中にも出てくるが、私はだいぶ前に「診断名サイコパス」(ロバート・D・ヘア)という本を読んでいる。まだあるかな?と探してみたがないので、たぶん処分してしまったらしい。文庫判になっているのでそれを再び入手し読んでみた。

この本の副題は“身近にひそむ異常人格者たち”だ。サイコパスだと思われる犯罪者を例にとり、サイコパスは決して稀な存在ではない、また犯罪者になる確立は高いものの犯罪を犯さず社会的に成功しているサイコパスも思っている以上に多いことなどが書かれている。サイコパスが登場する映画もいくつか挙げられており、かの「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士(私は彼のファン!?)も出てくる。1993年に出版されたようなので、すでに20年以上が経過しているが、今になって読んでみるとより現実的なものとして「サイコパス」の存在を感じられるように思う。

さて、ここからが本題。「診断名サイコパス」の中に出てくる「悪い種子(たね)」(ウイリアム・マーチ著)がとても気になった。この本はサイコパスだと思われる子どもを持った母親の苦悩を描いた作品。近年の子どもの犯罪を見ているとどう考えても犯人はサイコパスではないかと思われることが多いことが気になっていたこと、私も人の親であること、などの理由からとても読みたくなったのだった。

翻訳版は早川書房から1956年に発行されている。なんと私が生まれた年!翻訳をしたのは、「荒地」の同人である詩人の北村太郎さん。当時の詩人は詩を書くだけでは生活していけなかったので、翻訳の仕事をしていた人が多かったらしい。北村さんがミステリーなどの翻訳をしていたことは「荒地の恋」を読んで知ってはいたが、まさかこの作品もそうだったとは、となにか縁のようなものを感じた。

読みたいと思ったものの、検索しても古い本(初版本)しか出てこない。1956年に240円で売られていた本が今では古書価格17000円以上。なんとなんと。早川書房は今でもあるし、重版されてはいないのか、文庫化されていないのか、としばし探したがない。仕方ないので図書館を調べてみると、神奈川県立図書館にあることが判明。さっそく行って借りてきた。

書庫から出してきてもらった本は、なるほど60年以上前の本という感じでかなり傷んでいた。が、シンプルな装丁といい、紙質といい、なかなか味のある本だと思った。こういう本は今探してもなかなかない。さっそく読み始めたら面白いのなんの。あっという間に読み終えた。なんでこんなに面白い本が埋もれているのか・・・早川さん、なんとかして!と言いたい。面白さは翻訳の妙にもあると思う。海外の作品は翻訳の腕次第というところがあると思うので、あらためて北村太郎さんの実力を見る思いがした。

内容はもったいないので(!)書かないが、「診断名・・・」の著者であるヘア博士の見解と非常に近いものがあると思った。つまり、サイコパスとは何らかの理由で(遺伝的なものプラスαというのがヘア博士の見解)他人に共感する能力が欠けてしまった人間、ひたすら自分の所有欲(モノ、金、地位、などなどの)だけで動く人間、罪悪感を感じない人間、だからどんな残酷なことも平気の平左でやってのける人間、のことがよく分かる。

主人公はローダという娘をもつごくごく普通の主婦である。地域においては上流に属する人で、美人で優しく誰からも好かれている。夫は単身で赴任しているが、家主の女性などとのつき合いもあり平穏な暮らしをしている。娘も念願の学校に入れることができ、彼女の人生は順風満帆・・・だったはずなのだが、ひとつの事件をきっかけにそれがいきなり暗転する。娘の学校の生徒が死んだのだ。綴り方の授業で最も努力した生徒に送られるメダルをもらった男の子が遠足の最中行方不明になり、死体で発見されたのだ。ローダはそのメダルが欲しくて欲しくてならず、ずっと自分がもらうべきものだと言って譲らなかったから、母親は微かな不安を感じた。そして過去にもあった不吉な出来事を思い出した・・・

母親、ローダ、上階に住む大家の女性(地元の名士)、学校を運営する老嬢たち、家の周辺の雑事をしている下品な男・・・様々な登場人物の人間性も見事に描かれている。中でも母親の苦悩ぶりには身につまされるところがあり、男性の作家なのによくここまで書けたなと感動した。

たぶん数年後にまた読みたくなるだろう。が、その時図書館にまだあるだろうか。かなり傷んでいるし。かといって高価な古書を買うというのも・・・再販を多いに期待する。

*「悪い種子」は映画にもなっている。見たいかも。

*「サイコパス 冷淡な脳」という本も読みたい。

| - | 08:07 | comments(3) | - |
「徹底」のひと〜花森安治の仕事展

17-0329.jpg

昨日、世田谷美術館で開催されている「花森安治の仕事〜デザインする手・編集長の眼」に行ってきた。某局の朝のドラマで扱われたせいか、会場は平日だというのにけっこうな人だったが気になるほどでもなく、ゆっくり見ることができた(といっても私はけっこう見て回るのが早い。解説などをひとつひとつ読まないので)。

花森安治といえば「暮しの手帖」だろう。一緒に行ったMちゃんは母上が購読していたので子どものころ見た記憶があると言っていたが、我が母はあまり雑誌などを読む人ではなかった。この雑誌を手に取ったのは、大人になってからだと思う。他の女性雑誌とは一線を画したデザイン、編集方針、文章、などに作り手の意思が強く感じられ、ごくたまにだが買って拾い読みしていた。

「暮らしの手帖」は広告を一切掲載しない。クライアントの意向に左右されるような誌面づくりはしない、できない、という理由からだろう。広告業界に身を置く事になったからこそ、私はこの雑誌のスタンスが好きだった。

展覧会ではタイトルどおり花森安治の仕事を総覧できる。松江高等学校時代の校友会雑誌の、東京帝国大學に入学し「帝国大學新聞」の編集に携わり卒業後は化粧品メーカーの宣伝部に入社。そこで「手書き文字で顧客に語りかける」というスタイルを確立し、「暮らしの手帖」において踏襲している。

「暮らしの手帖」では長年表紙の絵を描き、写真を撮り、徹底した商品テストを行った。トースターの商品テストで使った食パンが天井まで積み上げられている写真(確か4万枚以上だったと思う)も展示されていた。石油ストーブの時は実際に倒し、火を出し、「毛布を使った場合」「水をかけた場合」など様々なシチュエーションでテストし、それまで定説となっていた「水をかけてはいけない」を否定。石油ストーブの火事は水で消せることを証明してみせた。何事も徹底している、というのが展覧会を見終わった時の印象だった。

この商品テストだが、消費者のためにやっているわけではないという。「暮らしの手帖」100号において、商品テストとは何か、どうあるべきか、をはっきりさせる目的で「商品テスト入門」が特集されたとのことだ。24ページにわたる特集の見出しは以下の8つ。

1 商品テストは消費者のためではない

2 ヒモつきでは商品テストが歪められる

3 暮らしの愛情といささかの勇気と根気のよさと

4 何でもテストするわけにはいかない

5 商品のとんな点をしらべるか

6 どんな方法でテストするかを自分たちで考える

7 商品のよしあしを見分けるメドは何だろうか

8 商品テストを<商品>にしてはいけない

うーん、ちょっと内容を読んでみたくなってしまった。ドラマでも見出しの1と2は取り上げられていたようだが、一見消費者のためのように思われる(商品を選ぶ際の参考になるため)テストはさて何を目的になされたのであろうか。

「なにも賢い消費者でなくとも、店にならんでいるのが、ちゃんとした品質と性能を持っているものばかりなら、あとは、自分のふところや趣味と相談して、買うか買わないかを決めればよいのである。そんなふうに世の中がなるために、作る人や売る人が、そんなふうに考え、努力してくれるようになるたけに、そのために<商品テスト>はあるのである」

なるほどねぇ。消費者は「賢い消費者にならねば」と思いがちだが、よい商品を作ることはメーカーの使命であり、よい商品を選んで売るのが販売会社の責任である、そのためのテストというわけか。よく消費者の立場に立って云々という言葉をメーカーなどから聞くが、花森安治のとった立場こそ消費者の立場なんだろうなぁ・・・と感服した。

書きたいことはまだまだあるが、あまり長くなってもナニなのでこの辺りで。図録も欲しかったのだが、昨日はちょっと荷物もあったのでパス。次に行く時に残っていますように。挿絵がとてもかわいいなぁと思っていたら、挿絵シールが商品化されていた。それと猫のイラストの付せんを自分用に。

*世田谷美術館は通販もやっている模様。さっそく図録の問い合わせをした。

*「暮らしの手帖」100号は古書店で見つけたぞ!さっそく注文。

*こういうことは早いのよね、私(^^;) 

| - | 15:16 | comments(0) | - |
銭湯に行ってみた。

17-0328.jpg

・・・例によって内容と全く関係なし。ドーム型爪研ぎでモチ化する“ふく”・・・

一昨日の夜、風呂に入ろうと思ったら湯が出なくなっていた。あららん?このところ寒い日が続いているから、ゆっくりつかって温まろうと思っていたのに・・・

わが家はオール電化マンションの草分け(ということは設備にしろ何にしろ古いってこと)で、湯は深夜電力で沸かしてあるものが出るしくみになっている。大掃除の時など昼間大量の湯を使ってしまうと、夜になって水しか出なくなる・・・ということを2〜3回経験しているが、そのようなこともないのに湯が出ないというのははじめてだ。

とりあえず管理会社に家人が電話することになったが、すぐに対応してくれるかどうかわからない。事によると、復旧まで長引くかもしれない。湯が出ないだけで他の電気は使えるが、食器を洗うにしても不便&手がかじかんでしまう。ひえー!

しかし、今さらぶつぶつ言っていても仕方ないので、昨日は昼間から銭湯に行くことにした。午後2時からということなので、雨も上がった3時過ぎに自転車でレッツラゴー!(ふ、ふ、古い!)

考えてみれば、旅館やホテルの大浴場にはたまに入るが、「銭湯」ってもしかしたら子どもの時に行って以来かもしれない。たぶん、小学生の時が最後。家に風呂はあったが、友だちと誘い合わせて行ったことが何度かあったと思うので、それが最後だ。ということは50年近くぶり?

昔は番台というものがあったが、今はカウンターだ。そこに行っておばちゃんに入浴料を払おうとしたら、券売機で買ってくれとのこと。そりゃそうよね、今どきはそうよね。おばちゃんに顕を渡していざ女湯へ。平日の昼間だが数人の女性がいた。1人で来て黙々と身体を洗っている人が多かったが、近所の知り合いらしき女性同士も。

超久しぶりの銭湯だったが、広くて明るくて気持ちよかった。シャワーヘッドが固定されているのがちょっと不便だったが(髪を洗う時)、それ以外は快適。湯加減も調度いい。サウナだの超音波風呂だの電気風呂だのがあったがどんなものなのか予備知識がないのでとりあえずやめておいたが、ちょっと興味あり。屋外に露店風呂もあったが昨日は寒かったのでパス。露店風呂は天然ラジウム温泉とのことで黒い湯らしい。

ゆっくり湯に浸かって出てきたら身体はぽかぽか。外に出たらいい天気。自転車に乗って家まで帰ったが、寒さを全く感じなかった。うーん、たまには銭湯もいいかも。

その後メーカーから電話があった。漏電遮断器が作動していたことは確認済みだったのだが元に戻していいかどうかわからなかったので家人が聞いたらしい。漏電している場合レバーを元にもどしてもすぐに降りるということなので様子見。問題なければ翌朝は湯が出るはず・・・とのことなので先ほど恐る恐る湯を出してみたら出た!よかった、よかった。が、何故漏電遮断器が作動したのか分からない。おかしいなぁ。

ともあれとりあえずは解決してよかった、ということにしておこう。風呂に入れないのは多いに不服だったが、禍転じて福となす?久しぶりに銭湯に行けたし。あ、福はもう家にいるわ。相変わらずバリバリに元気な“ふく”が。

| - | 06:43 | comments(2) | - |
カラスの死

17-0327.jpg

あまり気にしている人はいないのかもしれないが、数日前ニュースで流れたカラスの大量死が気になっている。都内の公園での出来事らしいので、人間にもかかわることはもちろんだが、私はカラスが気になる(^^;)

カラスといえば人間が出したゴミを漁る鳥というイメージが強い。「ゴミ出しは決められた曜日に」などと書かれたプレートにカラスの絵が書かれている。真っ黒な身体は不気味にも思えるから、どちらかというと嫌われ者である。

しかし、私は前にも書いたがカラスが嫌いではない。いや、むしろ好きだ。真っ黒でかっこいいと思うし、よくよく見るとなかなか愛嬌がある顔をしている。真夏に嘴をぽかんと開けてフェンスにとまっているところなど見れば、黒い身体は熱を吸収してさぞ暑かろうと思う。最近はゴミ出しルールも厳しくなり、以前のように無造作にゴミ袋が置かれていることも少なくなった。ネットのすき間から苦労してゴミを引っ張り出している時もあるが、カラスにとってはますます生きにくい環境になっているのだろうと思うと同情さえ感じる。

思えば、カラスは私が最もよく目にする鳥なのかもしれない。木が多い場所に住んでいるということもあるが、こうしてディスプレイに向かっていても開けた北の空を飛び交うカラスを何度も見る。隣の棟の屋上で羽を休めながらきょろきょろしている姿も日常的に見る。さきほども雨の中を2羽のカラスが空を横切り、目で追いかけているとそれが3羽になり、4羽になり、もつれるように飛んでいった。そろそろ繁殖期に入ってくるのかもしれない。

カラスが人を襲う、という話をよく聞く。賢い鳥なので、ラクに美味しいものが食べられれば当然狙う。私も一度公園のベンチでおにぎりかなにかを食べている時に狙われかけた。背後に気配を感じたので何気なく振り向いたら、すぐ近くにカラスがいたのだ。少しくらいなら分けてやってもいいと思ったが、カラスの方が突然振り向いた私に驚いて飛び去ってしまった。

繁殖期のカラスは卵や雛を守ろうとして近くを通る人間を攻撃するらしい。あんたたちの卵や雛には興味ないよ!と人間が思っていても、本能的に危険を感じるのだろう。たいていは、頭上すれすれに飛んできて威嚇する程度だと思うので、ことさら騒ぐことでもないような気がする。嘴でつつくことはほとんどないらしいので、無闇に騒げば逆効果にもなりかねない。さっさと立ち去ればそれでいいのではないだろうか。

数日前、公園の桜の開花具合を確かめようと久しぶりにいつもとは違うコースで家に帰った。入り口近くに立派なカラスが一羽。ハシブトガラスだろう。太くて頑丈そうな嘴だ。頭がもりあがっているオデコちゃんで、なかなかいい面構えをしていた。「よお!」と声をかけたら、「へ?」というように頭を少し傾けてしばらくこちらを見ていたが、さっと飛び去っていった。なかなか、かわいい。

カラスは自分を嫌っている人を襲うという話も聞いたことがあるが、本当だろうか。野良猫もそうだが、そういった感覚は人間より数倍鋭いと思う。自分に危害を加える者なのかそうでないのか・・・それを本能的にかぎ分ける能力は確かにあるだろう。

公園のカラスが大量死した原因は何だったのだろう。誰かが意図的にカラスを狙って毒をしかけたとなると、これはもう犯罪である。「鳥獣保護管理法」という法律に違反していることになるから。人間は何故、自分が不愉快だと感じる生きものを殺そうとするのだろう。ホームレス襲撃だって、その延長線上にあるに違いない。

いつだったか、海外のトピックスとしてカラスと女の子の交流の話題を読んだことがある。庭に来るカラスと仲良くなりたい女の子は、決まった場所に餌を置くようになった。しばらくすると、カラスは餌を食べた後「たからもの」を置いていくようになった。カラスの「たからもの」なので、ボタンだったりリボンだったり何かのフタだったりするのだが、女の子はそれを大切にとっておき、母親に手伝ってもらって標本のように整理している、という話題だ。標本箱には「たからもの」がずらりと並び、それぞれに日付が付けられていた。キラキラ光るものが多く、キラキラ好きなカラスにとってそれらはやはり「たからもの」であり、女の子へのプレゼントであったのだと思う。

なんでみんなカラスを嫌うのかなぁ。あ、また目の前をカラスが横切っていった。

un filもあと数日で閉店。ちょいと淋しいけれど。

*数人だが注文してくれる方々が・・・とても嬉しい(^.^)

| - | 08:51 | comments(5) | - |
“男前”で行こう!

17-0326.jpg

「きものじごく」に落ちてから3ヶ月が経過した。当初は炎にまみれて周囲も自分もよく見えない状態だったが、ここにきて少しは落ち着いてきたように思う。が、「じごく」は「じごく」なので、油断すると思わぬ禍(つまりは、買い物の失敗)をしてしまいかねないので、気を引き締めなくてはいけない。

が、「じごく」は誘惑が多い。見聞を広げるためと言い訳しつつ毎日眺めているヤフオクにも誘惑はあるし、先だって買い物をした銀座・青木は頻繁に更新してくれちゃって。なおかつ来月早々には銀座の松屋できもの関係のイベント(七緒の「和トセトラ」)がある。見なけりゃいい、行かなけりゃいい、のだが、そこはね、「じごく」だからね。

何でもそうだが、方向性をきちんと定めたりターゲットを絞り込んだりしないでいると、道に迷ったり大きな損害を受けたり無駄な時間、体力、金を使うことになる。私はモノに関してはけっこう好みがはっきりしている方だが、その一方で浮気心というか目移りというか気が多いというか、そんな困った性質も併せ持っている。それをきっちり自覚しないといけない。

もともと私は洋服もシンプルなものが好きだ。デザインも色柄も。持っているものを見ても、柄物より無地の方が断然多いし、柄物はストライプかチェックのみといってもいいと思う。時として気が狂ったのか!?と思うような大柄に手を出すことがあるが、それはあくまでも例外。

きものについても、この好みは同じで無地に近いものだけを着るようにしたいと思っている。完全な無地もいずれは欲しいが、とりあえず遠目には無地に見える程度にしておこう。帯も無地に近いものか、無地にワンポイント柄が入っているものがいいので、「染め」の帯より「織り」の帯の方がいいかもしれない。

そのくらいの基準はできていたが、あと一歩つっこんだ方がいいと思う。これではまだまだ甘い。自分の性格を考えるとあれこれ手を出してしまいそうだ。ということで、あれこれ考えてとりあえず結論を出してみた。

“男前”で行こう!と。

“男前”というと普通は「いい男」を意味するが、もちろん私は男ではないからにして単なる雰囲気のことだ。一頃“ハンサム”なスタイルというのが女性ファッション誌で流行していたと思う。あれに近いといえば近いかもしれない。男性のきものスタイルをそのまま真似するわけではないが、色使いなどはどちらかというと女性のものより男性のものに近くしたい。きものも帯も黒、グレー、茶、ベージュ、紺を基本とする。帯上げ、帯〆も同様。あまりに味気ない時は帯〆や帯留で少し工夫する。

この基準からはずれるものは、いくらいいものであっても、気持ちがそそられても手を出さない。いいなぁと思いながら見ているだけにする・・・つもり(^^;) 髪はショートカットにするつもりはないので、今のままで結い髪にする。頭だけは女っぽく、ね。顔はまあ、どうしようもないわな。

そんなこんな偉そうなことを書いてはみたが、自分で着られないことにはどうしようもない。もう少しあたたかくなって腕が動くようになったら着付けを習いに行く段取りをしたい。とりあえずきちんと着られるようになるまである程度時間はかかると思うし、先は長い(たぶん)からゆっくり、ゆっくり、とせっかちな自分に言い聞かせているところだ。

幸か不幸か手ごろな値段で手に入るリサイクルきもの(仕立て済みの新品を含む)で自分に合うサイズのものがほとんどないことがわかった。きものはある程度サイズにも自由度があるが、裄丈だけは調整がきかない。身幅もあまり広いと皺がよったりしてかっこよくないだろう。帯も既製品は長すぎるので締めにくいと思う。

オークションには未仕立てのものもたくさん出ていて油断ならないのだが、仕立てサービスをやっているといっても技術がわからない。基本的に、きもの(長着)は師匠に仕立ててもらいたいと思っているのだが、我が師匠、腕を買われて現在超多忙。私もすでに長襦袢以外に2つ3つ頼んでいるものがあるので、しばらくは頼めない。頼んでいるものができ上がったら、次を考えるくらいの方がお互いのためかもしれないと思っている。

次に頼みたいのは・・・(もうこれだ!)、江戸小紋かな。黒の万筋をきりっと着こなすのがささやかな夢だ。「鮫」や「行儀柄」もいいが、やっぱり“男前”なら万筋のような気がする。へへへ。

| - | 08:11 | comments(0) | - |
サヨナラ、ソニプラ!

17-0325-1.jpg

・・・50年を振り返るコーナーも。あれもこれも懐かしい!!・・・

銀座・数寄屋橋交差点にあるソニービルが今月末で営業を終了する。その後ビルは解体されて地上は公園になり、地下5階の商業施設になるらしい。公園は2020年のオリンピックが終わるまでで、その後はまた地上にビルが建つ予定とのこと。

先日銀座に出たついでに、「これでソニープラザも見納め」との思いを胸に立ち寄ってみた。だいぶ前から「ソニープラザ」ではなく「プラザ」という名称になったと思うが、私にとってはやはり「ソニープラザ」なのだ。小学生のころから親しんできた者にとっては。

銀座のソニープラザ(正しくは「 PLAZA GINZA」)のオープンは1966年。小学校高学年の時に妹と行った記憶があるので、オープンして1〜2年後ということになる。当時地下2階の売場中央にはソーダファウンテンがあり、そこでコーラを飲んだりホットドッグを食べたりするのが楽しみだった。

今でこそ様々な輸入品が街に溢れているが、当時はまだアメリカに対する憧れのようなものがあったと思う。ノートひとつとってみても日本では見かけないデザイン、色、紙質のものばかり。カラフルなクリップ、愉しいデザインのメモ、かっこいいボールペン・・・私たち小学生が興味を持ったのは主に文房具類だった。それほど頻繁に行ったというわけではないが、年に数回お年玉や貯金していた小遣いを持って銀座に行くことは私たちにとって特別なイベントだった。

以来50年・・・銀座という街は私にとってやはり特別な街、東京で一番好きな街であり続けている。海外ブランドのビルがどんどん立ち並び、旧き良き銀座の面影はどんどん薄れてきているにも関わらず。たぶんそれは、子どものころの思い出がそうさせているのだと思う。

ソニープラザは「プラザ」と名を変えて、首都圏の商業ビルにテナントとして数多く出店するようになった。私にとって一番近いのは横浜のルミネやジョイナスに入っている店だが、やはり銀座店が一番好きだった。銀座に出ることがあれば、最後に立ちよりそのまま地下鉄に乗る・・・これが50年続いた私の習慣でもあった。

今の店は今月末で閉店するが、すぐに2店舗が銀座に出来る予定だ。5丁目のEXITMELSAには「PLAZA銀座」、6丁目のGINZA SIX(松坂屋の跡地に建ったやつね)には「#0107 PLAZA」ができる。オープンしてしばらくしたら行ってみようと思っているが、私の記憶の中に残っている「ソニープラザ」はもうどこにもなくなっているだろう。それはそれでよい。楽しい思いでをありがとう!ソニプラ!

*閉店に伴うキャンペーンなのか、キャンディーのおまけをもらったぞ。

*papabubble風のオシャレなやつ。ポリポリポリ・・・

17-0325-3.jpg

| - | 08:36 | comments(0) | - |
足袋選びでも苦労するわたくし

17-0324.jpg

着物を着るとなると絶対に必要となる足袋。靴選びではかなり苦労したが、今度は足袋選びの難しさを経験している。靴下なら大きささえ合っていればどうということもないのだが、足袋はそうもいかぬ。長さが合っていても幅が合わなければ皺が寄って見た目がよろしくない。できれば、履きやすく見た目もすっきりした足袋を・・・と思っているがこれがなかなか。

足袋を求めて最初に行ったのが、銀座にある大野屋である。歌舞伎座の斜向かい、角地にあるこの店は何度か前を通っているので知っていた。古い和装用品の店だと思っていたが足袋のサイズを取りそろえ、試着もできるというのでいそいそと。

「足幅がないので」というと奥から2種類持ってきてくれた。足袋は靴のサイズよりひとつ小さめのものがいいといわれている。靴の場合私は23.5か24.0なのでまず23.5を。指の先が当るような気がして24.0も履いてみる。こちらは前より当らない。が、いかんせん皺がけっこう寄る。うーん・・・少し当るけど23.5の方がいいかなと思いつつ、もっと幅が狭いものはないか聞いてみた。が、試着したものが一番幅が狭いものだとのこと。しかたなく、23.5を購入。

やっぱりダメなのかなぁ、私の足って。とネットでいろいろ調べてみたら、福助からストレッチ性のある足袋が出ていることを知った。サイズも4サイズある。そこで「ほそ型」よりさらに細い「ささ型」を1足ご注文。届いたらすぐ履いてみたら、多少皺は寄るがまずまず。これで妥協するしかないかな・・・と思った。

後日、草履を買いに浅草の長谷川商店に行った時、店の女性に足袋のことを聞いてみた。「めうがや」ならサイズもいろいろあると教えてもらったが、その日は調度定休日。「めうがや」ってどこかで聞いた事があるぞ、と思いそのうち行ってみようと思った。足元は大切だ。できるならすっきり足袋を履きたいのである。

昨日出る用事があったので、浅草まで回って「めうがや」に行ってきた。ウェブサイトだと「祭り用品専門店」となっていて少々不安だったが・・・いざ行ってみたら店構えといい応対に出た人の雰囲気といいなかなかのもの。

店に入ると奥から「いらっしゃいまし」との声。「いらっしゃいませ」ではなく「いらっしゃいまし」だ。その声の後から小柄なご老人が静かに出てきた。「足袋が欲しいんですけど、合うのがなかなかなくて」と言うと、まずサイズを測りましょうということで裸足に。定規で足の長さを測り、奥から一足持ってきてくれた。履いてみると少し親指が当るような気がするが悪くはない。皺はやはり多少寄る。

「この皺が気になっちゃうんですよね。でも、ぴったりするのはないかもしれませんね」と言うと、「そうですねぇ。ここまで細いとなかなか・・・」。やっぱりね。

着物の日常的に着る人なら誂えるという手もある。が、私はそこまでではないし、誂えるにはそれなりに費用もかかる。ここでも妥協することにした。ただ、「めうがや」は気に入った!履き方のコツ(最後のこはぜをかける時は膝を前に出すような体勢をとり、足の甲の部分にすき間がなくなるように履く)や手入れの仕方まで教えてくれたし。

手元には3種類の足袋が集まってしまった。とりあえずこれらを何度か履いてみて、一番いいものを足して行こうかと思っている。靴選びでも相当ベテランのシューフィッターに「お客様のような方は、本当は型を作ってオーダーした方がいいんですけどね」と言われた。金に余裕があるならそうしたいところだが、そうもいかない。履物選びには苦労する運命にあるとしか思えないが、こちとら半分くらいは江戸っ子だい!履物にはこだわるぞ!

ところで、草履を頼んだ長谷川商店はとてもいい店だと思った。なにせ種類が豊富だし、対応もきめ細かい。専門は卸だとのことだが小売もしてくれる。気に入った台と鼻緒を選ぶのだが、それがまた楽しい。値段も良心的で評判もよい。ただし、支払いは現金のみで、仕上がりは現在のところ3週間後。職人が減って仕事をこなすのに苦労している様子だ。なんとか職人が増えるといいなと思う。

下駄が置いて合ったので履かせてもらった。店のおすすめはサンダルのような下駄ではなく、昔からある桐の駒下駄。歩くとカランと乾いた音がしていい感じだ。慣れるまで少し苦労するかもしれないが、いつかは1つ欲しいものだ。メンテナンスもやってくれるから、鼻緒を取り換えながら履き続けられるだろう。

4月に入ったら連絡が来ると思うので、次に行く時には足袋を持って行く。鼻緒の微調整をしてくれるのだろう。選んだのは藤色を帯びたグレーの台にアイボリーに少し金が入った皮の鼻緒。黒っぽいのも欲しいなぁと欲にはキリがなくて困る(^^;)

*世間で起きていることが気にならないわけではない。

*とくになんとか学園の件とか。証人喚問の件とか。

*ありゃ、もらっているね、たぶん。

*マスコミ各社の扱いが違っていて、それぞれのスタンスがよくわかるな。

| - | 07:50 | comments(0) | - |
試しにチクチクやってみた。

17-0323-1.jpg

・・・展示会で見たものはもっと縫い目が細かく揃っていた。まだまだですな!・・・

 

「BORO」展で刺子の技術に感動した弾みで、刺子をやってみよう!と思い立った。なにも「菱刺し」や「こぎん」をやろうというわけではない。ただひたすらちくちくと縫っていくだけ。当時の女性たちがどれくらいの労力をかけて刺していたか、また刺子をすることによりどれくらい布がしっかりするのか、自分で試してみたくなったのだ。何事もやってみないとわからない。

展示会場で見た刺子は、照明の関係もあると思うが非常に細かかった。布と色が違う糸で刺されていればわかりやすいのだが、布を織った時に使ったのと同じ糸ではないかと思えるほど似た色で刺してあると、顔をぐっと近づけてもほとんど縫い目が見えない。触ってみると確かに刺子が施されているのだが、なかなか見えないのだ。それでもなんとか確かめてみたが、縫い目がかなり細かいことに驚いた。

前述の「ドンジャ」ではかなり荒く布が縫い合わされていた。けっこうアバウトに、しかし次から次へと小さな布を重ねていったという感じだった。が、もう少しあとの時代のものだろうか、野良着を補強したりオシャレに見せたりするために施された刺子は非常に細かい。

風合いを確かめたくて入手してあった遠州木綿の端切れを使ってみた。薄手の紺色を2枚合わせ、まず1センチ間隔でステッチ。糸は手元にあった刺繍糸(25番。2本どり)。次に生地と最も似ていると思われる糸でその間を埋めるように刺してみた。結果的に約2ミリ間隔になった。ステッチすることにより布にはわずかなシワが寄り、全体として見ると波模様のように見えてなかなかよい。そして、薄手の生地2枚合わせただけよりもずっとしっかりしたものになった。なるほど、なるほど、こういうことだったのね、と納得した次第だ。

こういうことをやりはじめると止らなくなる性分なのだが、わずかな面積を刺しただけで腕が・・・(T.T)あまり手を使わないよう言われていたのに夢中になってやっていたものだから、右腕をまっすぐ伸ばそうとするとかなり痛い!泣く泣く今回はこれでお終いにするが、もう少し腕がよくなったら今度は麻布で試してみたいと思っている。

| - | 08:04 | comments(0) | - |
22日は猫に語らせる日・・・のはずが・・・・・強行飛び入り担当:カメタロウ

17-0322.jpg

オッス!超久しぶりのカメタロウだぜ!猫が出てこなくてガッカリしているヤツには悪いけど、今日はオレだよ。知っているヤツいるかなぁ。その昔すみごんが「猫ブログ」なるものをやっていて(今でもみっともなく一部が残っているらしい)、オレが突然登場したわけよ。けっこう評判よかったみたいだから、またオレを出せ!ってさんざん言ってきたけど、“22日だし”とか“猫に語らせる日だし”とかいいやがってよ、全然オレを出してくれないわけよ。カメは寿命も長いけど気も長いよ。でもな、いくらなんでもひどいと思うだろ?だろ?

で、オレは今日担当のはずだった茶白のオバチャン猫に言ってみたわけよ。オレを入れてくれないかなーってさ。そしたら、やっぱ猫も年をとると思慮深くなるね。「いいわよ。あたし、来月誕生日があるし、1ヶ月遅れても」だってさ。へへへ。

はじめてのヤツが多いと思うから一応言っておくけど、オレはこの家で一番の古株よ。ずっとオレの世話をしてくれている(といってもなかなか水を替えてくれないが)オッサンより古いぜ。すみごんの息子が小学生の時に“カメ欲しい、カメ欲しい”とねだりにねだってオレを選んだんだぜ。それなのに、当の息子はさっさといなくなっちまってよ、すみごんは猫たちにかまけるし、オレの立場はいったいどうなっているのよ!といつも思っているわけよ。

急にブログに出ることになったら、すみごんがオッサンに“写真撮るからカメタロウを洗ってやってね”って命令していたよ。偉そうに!オッサンとオレとのカメの甲羅みたいに硬い絆については前も書いたけど、あの一件があってからオレとオッサンは運命共同体だとオレは思っているわけよ。だからオッサンも素直にオレを洗ってくれたっていうわけよ。あの一件って?めんどくさいなぁ、説明するの。ま、いっか。

ずいぶん前のことになるけどよ、すみごんが出かける時に、“カメタロウの水槽洗っておいてね”ってオッサンに頼んだのよ。オレの家はさ、なんでも「メゾネット」っていうやつらしくてよ、水槽(っていうほど高級じゃないぜ。プラスティックの安物だぜ)を洗う風呂場に行くためには階段を下りなくちゃなんないわけよ。オレと水と甲羅干し用の島が入った水槽を持って階段を下りる途中で、オッサンが足を踏み外した!・・・さて、どうなる!

普段は偉そうにしているオッサンだけどよ、根はマジメなんだな。手を離したら水槽ごと落ちると思ったらしく、ずっと持っていたわけ。で、オレは水槽から放り出されることもなく無事だったんだけどよ、おっさんは足をくじいてしまったんだぜ。しかも!オレの糞尿(朝からスマン!)がたっぷり入った汚水を顔に浴びたんだぜ。しかもしかも!その水が口に入ってしまったんだぜ!それでも水槽を放さなかったオジサンをオレは好きになったというわけよ。感動して目が「うるうる目」になってしまったよ。

それに引き換えすみごんといえば、夜に帰ってきて事の顛末を聞いたら、涙を流して笑いやがったよ。“ひゃー!それはそれはご愁傷様!”なんて言いながらよ。全くもって冷たい女だよ。だから、それ以来オレはすみごんがたまーにオレに向かって“カメタロウ、元気?”なんて話しかけても、甲羅の中から顔を出さないことにしているのよ。それによ、オレ自身はわからんけど、あの一件以来オレの目がかわいい目になったと言われているんだぜ。感動して「うるうる目」になったのが定着したんだな、きっと。愛を知ったらカメの目もかわいくなるっていうことなのかもしれないな。

そてにしても!カメタロウっていう名前、どう思うよ。どうよ?一番後に来た猫には“大介”なんてかっこいい名前を付けているくせによ、カメタロウだぜ、カメタロウ。カメだからって安易すぎるってもんだぜ。キンタロウとかモモタロウの方がまだいいような気がするよ、オレは。小学生のガキがつけた名前だから仕方ないけどよ。

そうそう。若かりしころの(今でも十分若いけど)オレのワイルドな一面をみんなに教えてやるよ。夏のことだったと思うけど、すみごんが息子を連れて祭りに行ったんだな。で、金魚すくいならぬ「おたますくい」をやってきたんだわ。おたまじゃくしをすくうってやつみたいよ。その「おたま」、アマガエルとかの「おたま」じゃないぜ。ウシガエルの「おたま」だぜ。そりゃ、でっかいぜ!

やりたくてすくってきたはいいけど、家にかえってきて「おたま」を入れるものがないっていうことに気づいたすみごんと息子は、よりによってオレの水槽に「おたま」を入れやがったさ。ふふふ。カメってよ、草食じゃないぜ。雑食だぜ。ってことは・・・ふふふ。もうわかっただろ?オレはよ、みんなが寝静まった夜を待って「おたま」をむしゃぶり喰ってやったぜ。いつもはカメ用のカリカリしたやつしかくれないから、そりゃもう新鮮な「ナマモノ」はうまいのなんのって!

翌日の朝起きてきて水槽をみたすみごんはびっくりしていたさ。息子なんぞ泣きそうな顔してたさ。自慢じゃないけど、オレの食い方はワイルドだぜ。きれいに食べるなんて上品ぶったところなんぞ微塵もないぜ。食い残しがあちこちにあって、それを見た二人はショックを受けていたよ。ざまみろ!カメをバカにしちゃいけないってわかったか!とオレは内心ウハウハよ。

ま、それ以来オレは「ナマモノ」を喰っていないな。つまんないな。猫たちには時々刺し身を買ってくるくせによ、オレにおすそ分けしようっていう気にもならないらしいよ。たまにはメダカでもくれないかなぁってオレはひそかに思っているけど、無理だろうなぁ。

さて、オレに語らせるとカメだから延々と長くなるからそろそろやめろってさ。次に出てくるのはいつになるかわからないけど、みんなオレのこと覚えていてくれよな!すみごんに「もっとカメ出せ!」って言ってくれるとありがたいぜ。じゃあな!

| - | 06:10 | comments(8) | - |
SPONSORED LINKS