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独酌 三四郎

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・・・主手書きの箸袋。いつも持ち帰ってしまう・・・

家人が北海道に一人旅をするようになってからかれこれ8年が経過したことになる。確か旅を始めたのは2008年。前年に胃ガンの手術をし(胃、脾臓、周囲のリンパ節の摘出)、大きな手術を無事に乗り越え生き残った・・・それを確認し実感する旅であるような気がしている。最初はスーパーカブで行っていたが、Volkswagen Type2を手に入れてからは車の旅となった。短くて1週間、長いと2週間近くの旅だが、本拠地を旭川に置くことは毎年恒例になっている。

なにゆえ旭川か・・・北海道の真ん中あたりなのでどこへ行くにも便利といえば便利だが、それにしても・・・と思うこともあるが、たぶんいろいろな言い訳の背後には「独酌 三四郎」があるような気がしている。

すでに様々なメディアで取り上げられているし、今年はあの「孤独のグルメお正月スペシャル〜真冬の北海道・旭川出張編」に登場した。地元はもとより全国的に名を知られるようになって、昔からの常連さんたちはちょっと残念に思っているのかもしれない。

家人は8年前はじめて旭川に行った時にこの店を見つけた。ネットで見つけたと聞いた記憶があるがすでに定かではない(確認すればわかるが)。その頃は初夏に旅行を計画していて、確か6月に行っていたと思う。風通しのいい店の中で食べた野菜がとてもおいしく、酒ももちろんおいしく、店の雰囲気もいい。以来毎年顔を出すようになっており、私が一緒の時も必ず2人で行く。

最近発行された「旭川昭和ノスタルジー」という本が「福吉カフェ」に置いてあったのでパラパラめくっていたら、「独酌 三四郎」が出ていた。先代が店をやっていたころの写真、現在の写真ともに掲載されていて思わずじっくり読んでしまった。昭和21年創業ということで、“北海道で一番有名な居酒屋”という人もいるようだ。名物は「新子焼き」。井之頭五郎さんも舌鼓をうつ美味しさらしい。

私は数年に一度くらいしか行くことはできなかったが、寡黙な主(西岡奛さん)と女将(美子さん)の組み合せがステキで、美味しいものを食べたり飲んだりするだけでない特別な店だといえる。特に女将さんがステキな女性で前々から憧れているので今回もお会いできて嬉しかった。

西岡美子さんについては以前にも書いたことがあると思うが、北海道ではじめて利き酒師となり日本酒学講師も務める日本酒のプロである。20年間全国各地の酒蔵を巡り、地元の酒米を使った正真正銘旭川の地酒といえる「風のささやき」をプロデュースした。そんな女将さんが選んだ酒が並ぶのだから、美味しくないわけはない。

女将さんは雰囲気がとてもステキなのである。着物の上に割烹着を着て凛とした雰囲気なのに気さくでおおらかだ。女将さん目当ての常連さんはかなり多いと私はひそかに思っている。前回お会いした時は髪を後ろでまとめていらしたと記憶していたが、今回はショートカットになっていた。毎朝ウォーキングをするとのことなのでラクなのだろう。「髪、切られたんですね」と聞くと「そうなのよぉ。ラクだしねぇ」

2日目に行った時、きりっとしめた前掛けに目が留まった。もしかしたら、と思って聞いてみるとやはり大島だった。お友だちが作ってくれたとのことで地味ながら上品な光沢があり見ただけで上質な大島だとわかる。大島の前掛けなんてなんとも粋ではないか。

女将さんはオシャレな人である。店でしかお会いしたことはないが、絶対にオシャレだと思う。以前行った時に私が巻いていたストールを見て「あらぁ、きれいな赤ね。そういう赤はめったに見かけないわ」と一言嬉しいことをおっしゃる。この度は私が着ていたベスト(ジムフレックスのボアベスト)を見て、「昨日から気になっていたんだけど、そのベストいいわねぇ。どこの?」と聞かれた。ブランド名をいうとすかさずメモ。若い子にネットで探してもらうとのこと。暖かくてデザインも気の利いたベストだと私も気に入っているのでちょっと嬉しかった。

次に行けるのはいつになるか全くわからないが、まだまだお二人ともお元気なので再会を楽しみにしている。男が男に惚れるということがあるように、女だって女に惚れる。「独酌 三四郎」の女将さんは私がはじめて惚れた女性かもしれない。

*11月も今日で終わり・・・明日から12月かぁ。いやだなぁ。

*わが家はクリスマスなど関係ないし、慌ただしくて世間の世知辛さがいつにも増して感じる月。

| - | 09:28 | comments(0) | - |
旅の土産あれこれ

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旅行に出ると土産物を売る店やホテルの土産物コーナーは必ず立ち寄る。これはというものがあれば買うが、その前にどんなものがあるか見るのが楽しみなのだ。菓子などはご当地のものであっても日もちするものはどれも似たり寄ったり。海産物の加工品も同様。そういう場所ではなかなか欲しいものが見当たらない。

私たち交際範囲が広いわけでもなく、社会的にも半分引退したようなものである。誰かへの土産といっても互いの実家や限られた友人たちに負担感のない程度のものを買うくらいだ。時には全く土産というものを買わないこともある。自分たちへの土産もまた然りで、家人は酒くらいしか買わないし、私は売っていないもの・・・気の利いたフリーペーパーとか松ぼっくりとか河原の石とか・・・そんなものを自分用の土産にすることが多い。

上の写真はナナカマドの実である。旭川の町では街路樹にナナカマドがよく植えられていて、気候によく合うのだろうきれいに色づいている。いつも見事だなぁと眺めているのだが、今回はよく歩き回ったご褒美とばかりに歩道にたくさん落ちている実を見つけた。その中で見栄えがよさそうなものを拾って、つぶれないようそっと持ち帰ったものである。今はデスクの上に置いているが、そのうち実はしぼんで硬くなり今の色を失うだろう。その前に写真を撮っておいた。

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今回の旅では売っているものもいくつか自分用に買った。1日目に立ち寄った増毛の国稀酒造の売店には、酒以外にも様々なものがあって楽しい。あれこれ見ていたら、魚のぬいぐるみがあった。ニシン(大・小)とカレイがあり、どれも白地に藍色で模様が描かれている。大きなニシンの口には麻紐が通してあり、売店内では何匹かをまとめて吊るしてあった。なかなか見かけるものではないし、値段も手ごろだし、色もいいし・・・ということでニシンを2匹購入。カレイもなかなかだったが、やはり北海道といえばニシンでしょ。

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2日目、旭橋の少し手前を歩いていると、商店のシャッターにかわいらしいイラストが描かれているのが目に入った。描かれているのは象だったりクマだったりするのだが、同じ人が描いた絵が並んでいる。商店会で統一しようと決めたのかな、などと話ながら歩いていたが、親子のクマの絵が複数あって少し気になっていた。

ある商店の壁にポスターが貼られており、この親子クマの絵柄の手ぬぐいがあることを知った。なかなかいい感じの絵なので欲しいと思ったがどこで売っているのか皆目見当がつかない。ざっと見回してみても手ぬぐいを売っていそうな店はなかった。

とりあえず忘れることにし、旭橋を往復して町中に戻る途中、先にも書いた「福吉カフェ」を見つけて入ってみた。するとレジ横に手ぬぐいがあるではないか!手ぬぐい、冊子(「我等ときわ人〜常盤物語II」)、ポストカードのセットで1200円。手ぬぐいが手染めであることを思うとけっこうお安い。臙脂色のものを迷わずゲットしてきた。

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前々から欲しいものがあり、それを探し回って買うのも楽しい経験だと思う。が、今回のように偶然いいものを見つけた歓びもまた大きい。とくに、「ときわ通り」というのだろうか、何の変哲もない商店街のことや旭川のことを知ることができる冊子を得たことは大きな収穫だったと思う。なぜ手ぬぐいに親子クマの絵が採用されたのか・・・長くなってしまうので、機会があったら書こうと思う。

*今日は「いいにく」の日なんですってね。

*肉はほとんど食べない私には関係ないなぁ・・・

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歩かなければ出会えないものもある。

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以前に比べて散歩をすることが少なくなった。理由はいろいろあるが、億劫さが好奇心を抑えこんでしまうことが多くなったということか。これではいかん!と常々思ってはいるのだが・・・

旅行に出かけると、通過地点であろうが宿泊地であろうが時間があれば町の中を歩き回るのが好きだ。宿でゆっくりするよりも見知らぬ町を彷徨う方が楽しい。いわゆる観光地にはあまり興味がないのでほとんど行かず、ひたすらその地で暮らす人たちの生活ぶりがわかるような場所を選びたいと思っている。

金沢に行った時も、広島に行った時も町歩きを楽しんだ。北海道でも・・・といきたいところなのだが、たいていタイトなスケジュールで動いているのでなかなか町歩きができない。移動手段が主に車になってしまうので、歩く機会も少なくなってしまう。が、今回の旅の2日目は久しぶりによく歩いた。

留萌本線に乗った1日目が終わり、主な目的を達して一安心した2日目。とくに予定は立てていなかったので、どこに行こうか家人とあれこれ相談した。車を借りて博物館などに行くという案もあったのだが、結局旭川の町を歩くことにした。今まで旭川には何度も宿泊しているが、「買物通り」と呼ばれる商店街くらいしか歩き回っていない。

16-1128-2.jpgホテル近くの銭湯?たたずまいがなんともかんとも。

 

「旭橋が見たい!」急に思い立った。以前、1月に行った時はレンタカーでこの橋を渡り、適当なところで停めてもらって徒歩でも歩いてみた。石狩川をまたぐゆったりとして雰囲気の旭橋は、「美しい」には違いないがそれより「頑健」なイメージが強いと思った。旭川がかつて軍需都市として栄えた歴史を知れば、なるほどと頷ける。北海道遺産にも選ばれているこの橋はまぎれもなく旭川のシンボルで、夕刻からはライトアップされていると聞いた。それが見られなかったのはとても残念!

橋好きな私ではあるが、川も大好きだ。旭橋に行き石狩川を見る・・・この二重の楽しみをじっくり味わってきた。流域面積は全国で2位、長さは3位という堂々たる一級河川・石狩川。いかにも北海道の川といった雰囲気が大好きな私である。1月に行った時ほど雪は積もっていなかったが、白く静かな風景がそこにあった。土手から下に降りて間近で川を見たかったのだが、階段が・・・もはや階段の体を為しておらず滑って転ぶのは目に見えているので断念。これまた残念だが、いつか降りてやるぞ!とひそかに決心した。

16-1128-6.jpg旭橋から見た石狩川。遠く連なる山々も望める。

 

旭橋を往復して町の中心部に戻る途中で、ちょっと洒落た店を発見した。「カフェ」らしい・・・一休みしてみようか、と中に入ってみると古民家風のインテリアでなかなかいい感じである。ストーブが2つあって暖かすぎるほど暖かい(北海道ってたいていそんな感じだが)。「福吉カフェ」という名前で今流行りのカフェ風ドリンクや汁粉、名物?「ときわ焼き」などがある。「ときわ焼き」は見た目は鯛焼き風なのだが、生地が軽くさくっとした歯ごたえがいい。クリーム、餡など中味がいろいろ選べて、私はシナモンアップルを注文した。

店の女性(店長かな?)に聞いたところ、この建物は古民家を移築したのではなく、もともと建っていたもの。1924年建築ということだから100年近く前の建物ということになる。以前は和菓子屋「常盤商店」のものだったが、取り壊しが検討されていたという。それを惜しんだ現オーナーが買い取り内装を整えてカフェとしてオープンしたのが今年3月とのことだ。

ファサードだけ見て入ったので気づかなかったが、店を出てサイドから見てびっくり。重厚な石作りの外観を見て、壊されずに残っていてよかったと思った。店内にはさりげなく絵本や写真集などが置かれていて、甘いものを飲みながらじっくり楽しむには最適な店だと思った。

16-1128-7.jpg「福吉カフェ」の建物側面。重厚そのものの外観。

 

福吉カフェを出た後は駅の方に向かってひたすら歩いた。行きと帰りは違う道で、が私のポリシーなので(^^;)、観光客はあまり通らないであろう道を好んで歩いてみた。思ったより古い建物がまだ残っていると感じ、私が好きなトタン物件や剥落物件も見つけることができた。

ゆっくり駅に向かい、ジュンク堂(旭川にもあるんですぞ)に入った。前夜寝る前に読む本がなくて困ったので、そこであれこれ物色。できるだけコンパクトなものを、と思い新書を1冊ゲット。イオンモールのフードコートで早めのお昼をゆっくり取り、いざ高砂酒造へ!

高砂酒造には今まで何度か行ったことがあるが、正式な名称は「高砂明治酒造」というらしい。その名のとおり明治42年に誕生した酒蔵で、「国士無双」が代表的な酒だと思う。私は家人行きつけの「独酌・三四郎」の女将さんがプロデュースした「風のささやき」が好きで毎年土産を楽しみにしているが、今回も宅急便で送る手配をしていたので当分飲めるぞ!と内心ホクホク。お土産用に旭山動物園とタイアップしたかわいいワンカップセットや国士無双Tシャツを買ってもらいさらにホクホク。

16-1128-8.jpg家人ご贔屓の高砂酒造。パイロンがちょっと邪魔!

 

ホクホクしたのはいいのだが、高砂酒造からホテルまでの道のりがけっこう長くて参ってしまった。歩いているから身体は動かしているのだが、徐々に冷えてくる。歩道も雪かきしているところとそうでないところがあるので、手をポケットに入れたままだと危ない。手袋はしているものの外に出した手がかじかんで痛いくらいでしもやけになりはしないかと心配しつつ歩いた。

疲れたなぁ、でも歩かなくてはホテルに着かないしなぁ・・・と思いつつ通りかかった「旭川銀座商店街」がなかなか面白かった。古いのである。古くて寂れているのである。そういう商店街が好きな私ではあったが、もはやゆっくり見て歩く気力がない・・・うーん、これまた残念。ひときわ目立つ建物の前に虎の大きなぬいぐるみが置いてあり、季節柄クリスマスの帽子をかぶっていた。かなりインパクトがあるディスプレイだったが、店の名前や業種を確認しなかった。残念・・・が、帰宅してから調べたら、その店は「丸善三番舘」という衣料品専門店らしい。社長が熱烈な阪神タイガースファンとのことで、虎のぬいぐるみは常時展示されているようだ。まさか旭川で大阪風味のベタな店を見ることになろうとは・・・面白いなぁ。

16-1128-5.jpgこのインパクトを見よ!ここは大阪か!?

 

ホテルに着いて一休みした後、前日もお邪魔した「独酌・三四郎」へ向かった。この日は旭川在住のpotatoさんと会う約束をしており、混み合う金曜日なのにカウンターを3人分リザーブしておいてくれた。飲んで食べて楽しいひとときを過ごした後、二次会へ。potatoさんのお兄さんがやっているピアノバーに行き、リクエストしたり話をしたり・・・ああ、楽しかった。

店を出たらどこにいるのか判らなくなり危うく氷点下の旭川を彷徨うハメになりそうだった。が、子どもを産んでから方向音痴が劇的に解消した私はとにかく賑やかな方へ向かうことにした。連れの酔っ払いは逆方向に行くことを主張したが(翌日にはそんなこと忘れているのである。いつものこと〜)、強引に自分が思う方句に向かうとやがてホテルが見えてきた。やれやれ・・・部屋に着いてiPhoneの万歩計を見たらなんとその日1日で11キロ歩いていた。11月とはいえマイナス5度くらいの中を、である。疲れるはずだわ。

それでもやはり、歩かなければ見られないもの、出会えないものが多いと実感した。またいつか歩くぞ、旭川!

| - | 09:47 | comments(0) | - |
留萌本線冬景色

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・・・曇った車窓から見た「礼受」の海・・・

 

今月の10日過ぎだっただろうか。家人が突然「留萌本線、来月4日に廃線になるらしいぞ」と言い出した。ネットニュースか何かで知ったのだと思われる。留萌本線はJR北海道の「深川」から「留萌」を経て「増毛」に至る路線で、「本線」を名乗る路線としては全国で2番目に短いらしい。来月廃線になるのは、「留萌」と「増毛」の間だが、前々から全線の廃線が検討されているので近い将来「深川」ー「留萌」間も廃線になるのではないかと思う。

留萌本線の廃線については「本年度中に廃線」だということは既に知っていた。知ってはいたが、具体的な日程は知らなかったので新たな驚きとともに、そこはかとない淋しさを感じた。時折どこそこの路線が廃線になり鉄道ファンが押し掛けている、というニュースを見聞きするが、留萌本線は私にとってちょっと特別な路線だからだ。

「えーっ!来月4日?がーん」と言う私に、家人は行こうかと言った。「計画を立てみろ」というので、慌てて(喜び勇んで?)計画を立て今回それが実現とあいなった次第だ。まず留萌本線の時刻表をチェック。それに合わせて函館本線の時刻表をチェック。そして飛行機の時間をチェック。計画が出来た翌日には旅行会社に行って手続きをした。なんとまあスピーディな!(^^;)。記録の残すため第1日目の行動を記しておく。

 

A.M.5:15   自宅からタクシーで羽田空港へ。

A.M.7:40   羽田発旭川空港JAL0551便に乗る。

A.M.9:20   旭川空港着。タクシーで旭川駅へ。食事をし荷物をロッカーに預ける。

P.M.12:00  旭川駅からスーパーカムイに乗り深川駅へ

P.M.12:18  深川駅着。乗り継ぎのため1時間待つ。

P.M.13:23  留萌本線に乗車。

P.M.14:51  増毛駅着。国稀酒造と駅の間を往復する。

P.M.15:41  増毛駅発。

P.M.17:11  深川駅着。

P.M.17:36  深川駅発。

P.M.17:55  旭川駅着。タクシーでホテルへ。その後(もちろん)「独酌・三四郎」へ。

 

私が留萌本線に特別な想いを持つのは亡父が「礼受」という小さな町(村か)の出身だからだ。「礼受」は「留萌」から「増毛」に向かう途中に小さな駅を持つ。数年前の秋にはじめて訪れ、車両を利用した駅舎の小ささに驚いた記憶がある。もちろん無人で自由に入れるので駅舎の中に入って海を見たり、ホームにあがって線路を見たりしてきた。

父は中学校を卒業してからすぐに「礼受」を出て東京にやってきた。実家はどれほどの規模かはわからないが漁船を持っていたらしいので一応網元ということになるのだろうか。ニシン景気の時はそこそこ潤っていたのかもしれないが、当時すでに若者が働くところではなくなっていたのかもしれない。以来父は親兄弟の葬式の時に単独で帰るのみで家族を連れて行くことはなかった。連れていっても見せるべきものがないと思ったのかもしれないが、それ以前に家族4人分の交通費がかなり嵩むからだったと思う。

父は自分の故郷の話をあまりしなかったから、「礼受」がどんなところか想像することもなかった。が、記憶に残ることが2つだけある。

ひとつは父の母が亡くなった日の話だ。父の母(私にとっては祖母にあたる人)は、父が子どものころに亡くなっている。身体が弱かったらしく寝たり起きたりの生活をしていたようだが、その日もいつも通り父たちは船を海に出す手伝いをしていた。浜にある船を皆で押して海に出すという仕事は、子どもたちにも手伝えるものだったのだろう。その日も兄弟など数人で船を押していたのだが、いつもなら簡単に海に出せる船が重くて重くて動かない。どうしたのだろう、こんなはずではないのに、と思いながら一生懸命船を押していると、家の方から誰かが走ってきて母親の容体が急変したと告げた。慌てて帰るとすでに母は臨終状態で、すぐに息をひきとったという。不思議なことがあるもんだ、母が自分たちを呼んだのかもしれない、と父が酒の酔いに任せて語ったのはいつのことだったか。

もうひとつの記憶はその父が他界する前日のことだ。肺ガンで余命いくばくもなかった父は入院先から時々許可を得て自宅に帰ってきていた。やはり家が一番よかったのだろう。和室に折畳み式の医療ベッドを起きほとんどの時間を寝て過ごしていたが、家族の声や気配を感じることが父の一番の望みだったのかもしれない。一駅先の町に住んでいたこともあり、私は父が帰ってきていると聞くと息子を連れて会いに行っていた。父は息子をとてもかわいがってくれており、息子も父が大好きで何かにつけて「じーちゃん、じーちゃん」となついていた。

その日は私1人で行った。実家に行く前に園芸店に立ち寄ったのだが、そこでハマナスの鉢植えがあるのを見つけた。花が一輪咲いていて、つぼみもいくつかあった。当時私はバラに興味を持っていたわけではないし、園芸店に行ったのも自分用のものを見るためだった。が、ハマナスのあの無邪気なピンク色の花を見た時、いつだったか父が自分が生まれたところでは浜辺にたくさんハマナスがあったと言っていたことを思い出し、その鉢植えを買ってから実家に行った。

父はハマナスの花を見て感慨深い様子だった。そして、「きれいだなぁ、きれいだなぁ」と繰り返した。「お父さんの田舎では、夏になるとこの花が辺り一面咲いていたんだ」とも。実家に行くまえに園芸店にたまたま行き、たまたまハマナスを見つけたことを私は心からよかった、と思った。病人に負担をかけたくないので少し話をして帰ることにしたのだが、帰り際父は少し離れたところに置いてあったハマナスをもう一度持ってきてくれと言った。ベッドの近くまで持っていくとまた「きれいだなぁ」と言った。私はまた持ってきて良かったと思い、「じゃ、また来るからね」と言い自分の家に帰った。それが私と父の最後の会話になった。

今回の旅で車窓から留萌本線沿線の景色を眺め、「礼受」は留萌本線沿線でもことさら淋しげなところのように思えた。人家が少なく眠っているような、すでに死んでいるような印象を受けたからかもしれない。少し目を遠くにやれば、暗く荒涼とした海が広がっている・・・礼受はそんなところだ。そして、私はそういう風景がとても好きなのだと改めて思った。父への想いとは別に、私の中にある荒涼とした風景に対する憧れのような感覚は父から受け継いだ血のせいなのか。そこに暮らす人たちにとってみれば、そんなものは旅人の気まぐれな感傷に過ぎないだろう。が、初めて礼受に行った時から、私はあの風景に焦がれるような想いを持ち続けている。

車窓から風景を見るといっても、二重窓になっている上に車内の温度が高いため窓は常に曇っている。少しはがゆかったが、乗らなければ見られない風景を存分に見ることができて満足。車でやってきたのか、ホームで待ち受ける人たちもいて、「ああ、廃線になってしまうんだなぁ」と思い知らされもした。廃線が決まると全国から鉄道ファンが押し掛けるらしくトラブルも多発しているらしい。好きだからこそのことだとは思うが、廃線を惜しみながら静かに景色を見たりしている人も多いのだから、卑しい行為は慎んでもらいたいものだ。

留萌本線は通常1両編成らしいが、今回乗ったのは2両編成になっていた。気動車キハ54形。空知管内(深川市、雨竜郡・秩父別町と沼田町、留萌市、増毛郡増毛町を通る全20駅。増毛に着いた時は雪が降り始めていた。折り返しの列車が出るまでの50分間増毛の町を歩き、宿泊地である旭川に向かった第1日目。もう留萌本線に乗ることはないだろうが、礼受にはまた行きたい。小さな港を車窓から認めたので、その港も見てみたい。あのまま放置されるかもしれない駅舎の中にまた入ってみたい。駅舎の窓から海が見たい。いつか、きっと。

*なにはともあれ、今回の旅を実現させてくれた家人に感謝

*旅の話はあと何回か続きます。

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いつか着物を着る日のために。

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前にも書いたが、私は着物とはとんと縁のない生活をしてきた。着物らしき着物を着たのは、今までに2回しかない。一度目は結婚式の時。神前の式だったので、あの重たい打ち掛けにさらに重たい鬘をかぶったが、残っている印象はひたすら「重い!」のみであった。二度目はその翌年、義父の葬儀で喪服を着た時。洋装でもよかったのだが、結婚して間も無い喪主の妻という立場を考えて(少々気張っていたんだと思う)あえて和装を選んだ。もちろん貸衣装である。義母が着物を着慣れた人で手際よく着せてくれた。

8月の半ば近く、猛暑の日だった。前日のお通夜は近くの公民館で行われたが、運悪く備え付けのエアコンが故障していて暑いのなんのって。それでも、ぼつぼつと訪れる親戚の方々に挨拶をしなくてはならず、疲れを隠してじっと我慢していた。義父は危篤と言われてから数日間持ちこたえていたので、通夜までの間は病院へ行ったり来たりしておりそれだけでも疲れていたのだが。

そんなこんなで葬儀当日はかなり疲れていたと思う。が、帯をきつめに締めてもらうと、何故か気持ちがキリッと引き締まるような気がした。不思議なことに暑さをあまり感じなくなり、むしろ意外なほどここちよさを感じた。着物ってこんなに着心地がいいんだ、と貸衣装の喪服を着て思うのもおかしい話なのだがそう思ったのは事実である。

最近友人にこの話をしたら、それは着付けが上手だからなのではないかということだった。義母は我欲のない本当にやさしい人で、子どもの頃から苦労続きの人生を歩んできた人。長男の嫁としてとても大切にしてくれたのを今でもありがたく思っている。義父が体を壊して家にいたので近くの建設会社に経理担当として勤めており、着物は滅多に着なくなっていたと思う。それでもタオルを何本か用意してさっさと着せてくれたところを見ると、子どものころから気慣れていたことを思わせた。暑い季節なので特に帯をきつく締めてくれたのではないかと今更思うに至り、もっと何かしてあげられたのではなかったのか、とこれまた今更ながらの後悔を感じている。

とにもかくにも、二回しか着物をきてこなかったが、着物はなかなかいいものだということは知っていた。が、いかんせん自分のライフスタイルや財布の事情と着物は縁がなかった。着たいともあまり思ってこなかったが、着たいとは思うものの着る機会はないだろうと半ば諦めていたというのが本当のところだったのかもしれない。

縁がないとは思っていたが興味がなかったわけではない。着物をいい感じて着ている人を見れば(たいていはご高齢のご婦人)、ああステキだなぁと思う。通りすがりの呉服店のショーウインドーにも一応目を向ける。最近あまり行かなくなったが、以前は1週間に一度は人形町の取引先まで行っていた。甘酒横丁を通り抜けるのだが、いくつかある呉服店の中で1軒、いつも気にしているところがある。小さくて古そうな店なのだが、いつも私の目を引く着物や帯が飾られているのだ。先日久しぶりに店の前を通ったが、やはりいい感じのものが展示されていた。

ふと思い出したのだが、けっこう前に横浜のシルクセンターで開催されていた古渡り更紗展を見に行っていたく感動した。そしてオークションで手ごろな更紗の小布を入手して小さな袋物などを作ったりした。その時はあまり意識していなかったが、着物に通じる「織り」や「染め」については潜在的に興味を持っていたのだと思われる。

ということで(^^;)、狼の帯留を入手してから着物について勉強しようと思いはじめた。勉強というのは堅苦しいが、ほとんど知らない身としては「真剣に学ぼう」という姿勢が必要だと思っている。

とりあえず本などにより知識を得ること。実物を見て目を養うこと。着物の達人からいろいろな話を聞くこと。それらから始めたいと思う。

本といってもいろいろあるが、着付けの仕方や具体的な選び方は後回しにする。それらは着物が手に入る目処が立ってからでも遅くはないと思うからだ。今は、着物の本質のようなもの、着る人や作る人のこころ、のようなものについて学びたい。

見るならできるだけいいものを数多く見るに限ると思っている。自分が買えるかどうかは別問題で、目を養うとはそういうことだと考えている。いいものはどこに行けば見られるのか、それを探すのが悩みのタネだがそこいらへんの勘所はけっこういい方なのでこれからじっくり探していく。アドバイスしてくれそうな人もいるので、機を見て相談したい。

ただいまのところ、図書館で借りてきた「白洲正子のきもの」と友人が勧めてくれた「」着物あとさき」(青木玉著)は読んだ。今白洲さんの「きもの美」を読んでいるところだが、学べるものが多くてちょっと興奮気味である。白洲さんにしろ幸田文さんにしろ青木玉さんにしろ、私にとっては雲の上の人ともいえる着物の達人だ。恐れ多いが、学ぶならそういう人から学びたいと思っている。

全く関係ないのだが、明日から急遽北海道に行ってくる。2泊3日なのですぐに帰ってくるけれど。旅の目的は後のお楽しみに・・・

明日は関東地方に雪が降るという予報が出ている。気温も1桁だとか。11月に雪が降るのは54年ぶりとのことだが本当に降るのかなぁ。北海道(旭川)も雪の予報で、あちらの気温は零下だろう。出掛ける日に雪が降るなんて縁起のいいお見送りか!?

朝一番の飛行機に乗るため、明日は4時起き。今日のうちに支度を完璧にしておき、早寝しなくちゃ。

16-1123-2.jpg日本橋で見かけたステキなご婦人2人。

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22日は猫に語らせる日・・・11月担当:みかん

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おはようございます。7月以来お久しぶりのみかんです。寒くなってきましたね。

あたしは、先月にはもう「電気あんか」を出してもらって使っています。肉球柄の猫ベッドに入れてもらい、ふかふかぽかぽかです。あたしも人間でいうならもう70代ですから冷えは禁物ですもんね。まめこも一日のほとんどを「電気あんか」の上で過ごしています。あの子には別の理由もあるんですけどね。

今月はゴンの命日がありました。14日です。もう1年経ったなんて早いなぁと思います。すみごんは、11月になった途端「今月はゴンの命日があるから、多いに盛り上がろう!」なんて言っていました。命日に盛り上がるって・・・ちょっと違うんじゃない?とあたしは思いましたが、「だって、しんみりするより、その方がゴンは喜ぶと思うよ」と言われてみて、もしかしたらそうかもしれないと思いました。

当日は、ゴンの写真をテーブルに置き、おっさんが買ってきた刺し身の盛り合わせの中からゴンが好きだったものをお供えしていました。あたしたちもご相伴にあずかりました。すみごんとおっさんは、ゴンの思い出話をしながら酔っぱらっていました(特におっさん)。空の上からこれを見てゴンはどう思ったでしょうね。「いつもと同じだにゃ。仕方ないけど、ま、いいかにゃー」なんて言っているような気がしました。

ゴンがいなくなってから、あたしは一緒に寝る相手がいなくなったことを実感しています。何といってもあたしが一番ゴンと一緒にくっついて(「猫だんご」というらしいです)寝ていましたから。「道祖神みたい」と言われるほど仲が良かったんですよ!すみごんは、「毛色が似ているから、そのうちダイスケと一緒に寝たらどう?」なんてお気楽に言いますが、ゴンとダイスケでは大違いです。ダイスケはすでにゴンより身体は大きくなっていますが、雰囲気というかスケール感というかがまだまだ小さい!

あたしは相変わらず1週間に1度ペットックリニックに連れていかれています。いやなんだけど・・・自分でも努力しているので、時々自力で押し出す(何を、と言わないでね)ことができるようになりましたが、まだ完全ではないということで。それ以外は食欲もあり元気にしています。が・・・まめこがますます神経質になっていて、このごろはダイスケが少しだけ近づいたり目線が合ったりしただけでピキピキしています。時々、ダイスケが近くにくるとパニックになっておもらししてしまうようになってしまいました。あ、いけない!ヒミツにしておいてって言われていたんだった・・・おっさんやすみごんができるだけかばうようにはしているんですけど、まめこも意固地になっていて「面倒くさいやつ」と言われています。困ったものです。

ふくは・・・言うまでもなくあいつは相変わらずです。ますます大きくなって(身体も態度も)、ある意味存在感たっぷりです。最近洋服タンスの上に上るようになり、時々そこでのびのび寝ています。寒くなってきたので、夜はすみごんの布団の中に入って寝ているようです。あたしは昨日の夜、久しぶりにおっさんの布団の中に入って寝ました。あったかかったけど・・・少しあったかすぎるかなぁ。

ふくは、すみごんに言わせると性格的には強いけれど図々しくはない、とのことです。「まっしぐらなだけで、全然ひねくれていないところがいいね」だって。まめこが聞いたら僻むと思うわ。また、「ふくは賢い!」と最近よく褒められています。確かにあたしもそう思うけど、賢いんだったらもう少し空気を読めばいいのに、とも思います。

それにしても、ダイスケはいつまでたってもお子ちゃまです。朝方(5時過ぎ)になると毎日うるさく鳴いてすみごんを起こしています。「ダイちゃん、うるさーい!」と呼ばれても平気。寝ているすみごんの上を鳴きながら行ったり来たりするので、結局すみごんが負けて起き出します。でも、6時過ぎないと朝ごはんはもらえません。騒ぐだけ無駄だっていうのに、それがわかっていないんです。ふくはその点しっかりしていて、じっくり構えてもらえるまで待っています。でも、6時過ぎてもすみごんが自分の部屋から出てこないと、ドアに飛びつき開けてアピールします。やっぱり賢いのかもしれません。

来月は面倒臭いやつと言われているまめこの番です。今年一年を締めくくる月だから、愚痴ばかりこぼさないといいなと思っていますがどうなりますことやら。

ではみなさん、寒くなってきましたがお元気で。みかんでした。

16-1122-4.jpgゴンとはこんなに仲が良かったんですよ!

16-1122-2.jpgダイスケとの珍しい2ショットです。

16-1122-3.jpg「ゴン祭り」ですって。こんな感じでした。ワイン供えたってねぇ。

 

| - | 06:48 | comments(2) | - |
井月さん

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2日ほど前だっただろうか。朝日新聞のニュースサイトを何気なく見ていて“「無能の人」に登場した俳人”という文章が目に入った。つげ義春氏の代表作「無能の人」に出てくる俳人といえば・・・井上井月(いのうえせいげつ)だと思うが、なにゆえ今どき?・・・とよくよく見れば、「みちものがたり」という連載で伊那路を取り上げ、かつてそこに流れ着きそこで死んだ伝説の俳人を取り上げたのだとわかった。

改めて調べてみると井上井月に関する本は思っていたより多く、もしかしたら年々評価が高くなっているのかもしれないと思った。芭蕉、一茶、蕪村に続く俳人だとする人もいるようだ。それにしてはあまりに他の3人に比べて知名度は低いが。

井上井月は幕末の安政5年ころ、突然伊那に現れたという。以来行き倒れて死ぬまでおよそ30年間を彼の地で過ごした。過ごしたというより彷徨ったといった方がいいかもしれない。どこかに定住することなく、知り合った村の人たちなどの家を転々とし、その間に約1800の俳句や書を残した、という。

私はもちろん「無能の人」で初めて井月さんのことを知ったのだが、その飄々とした風貌と生き方をつげ義春氏は実に見事に描いていた。画風に合っているということもあるが、断然興味を持って「井上井月伝説」(江宮隆之著)を買って読んだ。WEB日記にも書いたと思うのだが、このブログではないようだ(サイト内検索したがヒットしなかった)。ということは、おそらく10年以上前のことになる (2002年に注文していた。Amazonって親切ね・・・?)。

井月さんは自分の過去をほとんど語らなかったというから、伊那に来るまでのことはほとんど謎のままだ。越後長岡藩の武士だったらしいというのが定説のようだが、どんな事情があって伊那に流れついたのだろうか。当時は伊那のような田舎でも俳諧をたしなむ人たちが多くいたようで、そのような人の招きを度々得てしばらく滞在、求められれば俳句の指導や添削を行ったり書の揮毫をしたという。「姿は乞食、書はお公家さん」と言う人もいるほど達筆だったらしい。

 

落栗の 座を定めるや 窪溜まり

 

「乞食井月」「しらみ井月」などと蔑まれたり子どもたちに石を投げられたりすることもあったが、自分を招き食べものや酒をふるまってくれる人たちもいる。自分の話を真剣に聞き、俳諧を学ぼうとする人たちがいる。伊那は井月さんにとって「座を定める」にふさわしい地だったのだろう。周囲の人々も見た目は汚くむさくるしいが穏やかで怒ることのない井月さんの中に人間としての尊厳のようなものを見たのかもしれない。酔っぱらうと「千両千両」が口癖で、芭蕉をこよなく尊敬し、欲得を捨て去ってさすらいつづけた井月さん。

 

何処やらに 鶴(たず)の声聞く 霞かな

 

糞尿にまみれて倒れているところを村の人が見つけ、戸板に乗せて運ばれた先で残した句である。辞世の句のつもりだったのかどうかもわからないが、つげ義春氏はこの句を「漂白俳人井上井月」という本で知り“死の世界で詠まれている”と感じて惹きつけられたという。

はじめて井月さんの句を世に出したのは、下島空谷(本名・勲)という人らしい。伊那の出身で幼いころ井月さんが自分の家や親戚の家に出入りしていたことを記憶していた。吹雪の寒い夜に酒を買いにやらされて閉口したが、父から「井月は阿呆のように見えてその実案外学者で俳道はもとより書がなかなか優れている」と聞かされていた。昭和5年(1930年)に高津才次郎という人と共著で「井月全集」を出版、親交があった芥川龍之介が跋文を寄せ「入神と称するを妨げない」と書いたという。

今回調べ直してみて、「ほかいびと」という井月さんを扱った映画が作られていたのを知った。「井上井月顕彰会」という組織があり、そこが主体となって作られたようだ。2011年の作品らしいが私は全く知らなかった。見たいと思ったがレンタルにはなく、買うしかないかとAmazonを見たが扱っていない。どうやら「井上井月顕彰会」に直接申し込まないと手に入らないようだ。樹木希林さんがナレーションを務めているとのことで、やはり一度は見てみたい。買うか・・・もう少し待つか・・・

それとは別に、岩波文庫から「井月句集」が出ているのでそちらを先にしようと思っている。「井上井月伝説」も再読したいし・・・ああ、読むべき本が多すぎる!!

| - | 07:36 | comments(2) | - |
ゴッホとゴーギャン

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・・・PHOTO WEEKは終わったけどもう1枚。レインボーブリッジ・・・

先週、毎度のことながらありがたく無料チケットをいただいて「ゴッホとゴーギャン展」に行ってきた。著名な画家2人の展覧会とあって混み合うことが予想されたが、さほど不愉快な思いをすることなく見て回ることができた。

ゴッホとゴーギャン。いわゆる「印象派」の代表的な画家として有名だが、画風にしろ(たぶん)性格にしろ大きく違う2人だ。自分と違うもの、自分にはないものに強く魅かれるということもあるが、時としてそれは絶望的なほどの溝を作る。この2人はそれらを両方とも経験したのではないかと思う。

ゴッホとゴーギャンについては、2009年7月26日の記事で書いている。まさかその時はこのように2人の画家の絵がひとつの展示会場に並べられるとは思ってもみなかったのだが、どちらの画家を語るにしても必ずといっていいほど彼らの関係に触れざるを得なくなるということだろう。

展覧会を観て、人物画がいいなと思った。ゴッホもゴーギャンも画集はもとより本物も過去に観ているが、今回はとくに人物画に目が行った。とくにゴッホの人物画は風景画より好きかもしれない。自画像はもとより親しい友人や子どもの肖像にはゴッホの率直な愛情が感じられた。

印象的だったのは、今回の展覧会の目玉ともいえるゴッホの「ゴーギャンの椅子」とゴーギャンの「ひじ掛け椅子のひまわり」。「ゴーギャンの椅子」はゴッホが夢にまで見たゴーギャンとの共同生活のさなかに描かれた絵で、ゴーギャンのために用意した椅子には本と燭台が乗っている。以前にも書いたように、ゴーギャンは決して素直に喜んでゴッホの元に来たわけではなかった。ゴッホの弟であるテオの熱心な依頼、テオへの義理、その他いろいろな理由があって迷いながら来たといった方がいいのかもしれない。しかし、ゴッホはおそらく手放しで喜び、記念としてこの絵を描いたのかもしれない。

一方ゴーギャンの「ひじ掛け椅子のひまわり」は、ゴッホの死後11年経過してから描かれた絵。この時彼はタヒチで暮らしており、ヨーロッパからひまわりの種を取り寄せ自分で育てたひまわりを描いた。ゴーギャンは、ゴッホがゴーギャンを思うような愛し方はできなかったにしろ、ゴーギャンなりに友人を大切に思っていたのだろうと想像させる絵である。

ゴッホとゴーギャン。どちらが好きかと問われれば私はゴーギャンを選ぶ。それは彼の絵(とくにタヒチに行ってからの)にプリミティブなものを感じるからだろう。私は原始的なものの魅力(時には魔力)につい心惹かれてしまうのだ。ゴーギャンはヨーロッパの文化に背を向けるようにタヒチへ旅立ち、そこで人生を終えている。自らを「野蛮人」と称し、「オヴィリ〜野蛮人の記録」を著した。以前行った展覧会で観たプリミティブな彫刻の印象がとても強い。確か図録を買ったはずなので、あとで本棚を探してもう一度観てみようと思う。それと・・・買ったまま読んでいない「オヴィリ」も読まなくちゃ!

| - | 08:38 | comments(2) | - |
PHOTO WEEK・・・いちにちゆらり旅<7>

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車に乗っていると遠くにガントリークレーンの群れを見ることがある。近くで見たい!!いつもそう思っていたが、まさか「いちにちゆらり旅」で見られるとは。一気にテンションがあがった私であった。できるなら・・・もっとゆっくり見たい(^^;)

*頭痛やら眩暈やら仕事やら猫もめ事やら・・・今度は一気にテンション・ダウン(T.T)

| - | 07:27 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・いちにちゆらり旅<6>

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はじめて見る東京ゲートブリッジ。ゆったりしていて、なかなか良い橋ではないか。私の「好きな橋リスト」に加えておこう。すぐ近くに例の「海の森水上競技場」がある。

*集中力が続くのは6時間が限度(少なくとも仕事では)。

| - | 09:44 | comments(0) | - |
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