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アドバンスト・モード

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数週間前、ネットで「アドバンスト・モード」なる言葉と美しく装った樹木希林さんの写真に出会った。西武・そごうが熟年世代に向けたプロモーションのようで、コンセプトは「年齢を脱ぐ。冒険を着る。」だそうである。

樹木希林さんは独特の存在感ときっぱりした物言いが魅力的で好きな女優である。今年はじめ、「死ぬときぐらい、好きにさせてよ」のキャッチフレーズの広告(宝島社)に登場されたことは記憶に新しい。今回は、カラフルなツイードのロングジャケットに真っ赤なワイドパンツといったいでたちで、頭にはスカーフをターバン風に巻き、ネックレスとブレスレットをじゃらじゃら付けている。もちろんスタイリストがついてのコーディネートだろうが、ひとつ間違えれば下品で異様になってしまうスタイリングをそうでなく見せているところはさすがだと思う。服やアクセサリーが上質なこともあるだろうが、なにより着ている本人が上質な人だからなのではないだろうか。

人から何と言われようと、どう見られようと着たいものを自由に着る。もう○歳なんだから、などという考え方は捨てて年齢にどらわれない1人の人間として装う。ステキなことだと思うし、できれば自分もそうありたいとは思う。しかし・・・現実的にはなかなか難しい。たぶん「難しい」と思っているうちは実行できないのだ。60年も生きた人間の意識を変えるのは、そうたやすいことではない。

私はどちらかというとエイジレスな服を着ていると思う。たいてはデニムスタイルが中心でシンプルな組み合せが多い。ストールやバッグなどでアクセントはつけるが、アクセサリーはピアスだけのこともある。できるだけ上質なものをシンプルに、と思いつつ姿勢がまだまだ定まらず中途半端だなぁと思う。自由に憧れながら自由になりきれない・・・そんなところだろうか。

先日、元同僚が還暦の誕生日を迎えてfacebookに赤いジャケットを着た写真を投稿していた。なんでも若いころ友人の結婚式に着ていったKENZOのジャケットらしく、きれいな赤だった。思わず「今度会う時に着てきて!」とリクエストしたら、「いいけどすごいぜ!」だって。真っ赤なジャケットくらいで驚く私ではないのである。

ふと、そういえば私も若いころ買ったKENZOのシャツをまだ持っていたなと思い出した。KENZOらしい鮮やかなフラワープリントでもはや着ることもないかと思いつつ処分できずにいたものだ。黄色みを帯びた茶、ベージュ、カーキ、山吹色、赤、ショッキングピンク・・・私が持っている服の中でも一番派手な類いだろう。

出してきてまじまじと見てみた。薄手のウール100%でサイズ感はゆったりめ。今まで気づかなかったが、ボタンは赤く染色された貝ボタンだった。細かいところに凝っているところはさすがである。そして思った。そうだ、今年の秋冬はこれを着てみよう、と。あまり凝ったことはできないが、シャツ自体に存在感があるのでいつものシンプルスタイルで。少しはアドバンスト・モードに近づけるかな。

「アドバンスト(advanced)」は上級の、高度な、先進的な、という意味のほかに時が進んだ、老いた、という意味もある。広告のコーディネートは百貨店らしく高価なブランドものばかりだろうが、言葉の意味を知れば決して高価なものを着るということではないことがわかる(かといって安っぽいものは論外というところだろうが)。年齢を重ねたからこそできる上級な着こなし・・・言葉で言うのは簡単だが、よく考えるとそれはその人の生き方が問われることなのだということに気づく。

白髪、顔のシミ・しわ・たるみ、衰えたプロポーション・・・もちろん世間も目なども。それらのものから解放されるには、自分自身の生き方に自信を持てるかどうかが問われる。解放されたいと願いつつ自分を解放できないのは、どこか中途半端な生き方をしてきたからだろう。

還暦を迎え、今年から自分を解放する方向でいこうと思っている。が、それはそれとして、少しは自分に自信がもてるようすべきことをきちんとしていかなくては、とも思う。「アドバンスト・モード」がどうのと書き始めたが、結局こんなところに落ち着いてしまうのがちょっと情けなし(^^;)

| - | 15:10 | comments(2) | - |
写真集「DEDICATED」

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2012年、2014年と見てきた首藤康之さんの舞台「DEDICATED」。次回も、と思っていたのにうっかりチケットを取り損ねた。会場であるKAAT(神奈川芸術劇場)から上演が予定されている作品のフライヤーが送られてくるのだが、たぶん見ないで処分してしまったと思われる。10月1日・2日の公演なので春には知っているべきだったのにーーーー!!今月中ごろに気づき、もはや席はないだろうなぁと諦めた。

舞台「DEDICATED」については今までも書いているので割愛するが、首藤さんがシリーズとして取り組んでいる作品で今年のテーマは「“DEATH”HAMLET」だ。KAATから再度送られてきたフライヤーには骸骨を持った首藤さんの写真が使われており、なおさら見たくなった。逃した獲物?は大きい。

せめてもの慰めに、ステージとは全く別物だと思いつつ写真集「DEDICATED」(撮影:操上和美)を買った。S席の半額くらいで買えるコンパクトな本だが、中は迫力満点である。

すべてモノクロームの写真でダンサー・首藤康之の全身の表情をとらえた作品ばかりだ。奇抜な衣装を羽織った写真、半裸の写真、そしてオールヌード。男性のバレエダンサーは舞台で半裸になることが珍しくないから見慣れているというほどではないが驚くに値しない。が、首藤さんの身体は今まで見たどんな男性の身体よりもすさまじく存在感がある。

すでに40歳は過ぎているはずだ。先日思いがけず午前中のラジオ番組に出演されていたが、話し声は以外と若々しい。「40歳になっても踊っているなんて若いころは思いもしなかった」とのことだが、もはや踊るために生まれ、死ぬまで踊り続けるのではないかと思えるほど存在感である。

“コミュニケーション”というと普通言葉による会話、対話、ふれあいをイメージするが、身体前身を使ってコミュニケートしようとする試みをこの人は生涯追求し続けるような気がする。それにしても・・・やっぱりチケットを取り損なったのは残念。次回は忘れないようにしないと!

| - | 17:27 | comments(2) | - |
新しい靴を履いて・・・

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ユーミンの曲には好きなものが多いが、「So long long ago」もそのひとつ。愛を失った悲しさ、つらさも時間とともに変容していき、自分もまた変わっていくだろうことを予感しつつ静かに今を見つめる歌だ。歌詞の中に以下のフレーズがある。

止ったままだった時計と

新しい靴と いつもの電車で

私は何を卒業してくの

ドアが開く 風の中へ

新しい服を着る時もワクワクするが、靴好きの私は新しい靴をおろす時の方がさらにワクワクする。台風がまた発生したようでちょっと心配だが、来月は先日家人が買ってくれたおニューの靴を履いていろいろ出掛けたいと思う。

まず10日から16日まで、絵画教室を主催している友人の教室展が世田谷美術館で開催されている。忙しい人なのでなかなか会えないので、出掛けていって近況などを交換したい。ちょうど「志村ふくみ〜母衣(ぼろ)への回帰」展が催されているので、ついでに(ということにしておく)こちらも見たい。志村ふくみ作品は前々から見たいと思いつつ機会がなかったので、とても楽しみである。

いつも江戸巡りツアーを一緒にしているMちゃんとも何回目かになる江戸巡りを予定している。10月は湯島・本郷あたりを、11月は水上バスに長々と乗る予定。天気次第だが、気楽なおしゃべりをしながら江戸を巡る楽しみは多い。

ごく個人的には、鎌倉の仏像巡りをしようかと考えている。先日北鎌倉に久しぶりに行ったが(20年以上「北鎌倉」駅には下車していない)雨の平日とあってとてもいい雰囲気だった。先月「TV見仏記」を見て鎌倉の仏像もなかなかいいなぁと感じたので、こりゃ出掛けねば!と思った次第だ。

北鎌倉、鎌倉は割と近いのだが昨今足が遠のきがちだ。主に人の多さが気になってのことである。行くとしても材木座海岸に行くくらいで寺を訪れるということはほとんどしていない。奈良や京都の仏像を見たいというのは長年の希望だがなかなか行けずにいる。が、近場でもいい仏像がたくさんあるではないか!

屈託の多かった若いころ、1人でふらりと鎌倉に行き寺を巡ったことがある。母と一緒に行った寺はどこだったか・・・鎌倉の駅からだいぶ歩いたことは覚えているが竹林があったので報国寺だったか。そうそう、ヤマアジサイを見に長谷の光則寺にも行ったっけ。

思い出すとけっこう鎌倉には行っているのであった。が、仏像目的は本当に久しぶりなのでちょっと緊張してしまう。一人旅にはなかなか出られないでいるが、1人鎌倉をふらふらするのも悪くない。うーん、10月が楽しみになってきたぞー!

un fil日記、更新。

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| - | 13:01 | comments(0) | - |

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「はららご」と読むらしいが、読めなかった。読みを知っていたとしても意味がわからなかった。俳句をやっている方ならご存知なのだろうか。スマホゲーム「ねこあつめ」の合言葉に出てきたのだが、いやぁゲームもバカになりませんな。毎日変わる合言葉はけっこう勉強になる(^^;)

「はららご」とは、魚類の産卵前の卵のことだそうな。とくにサケの卵巣、その塩蔵品を指すことが多いとのこと、つまり「すじこ」のことらしい。“産卵前”だから“腹(はら)”がつかわれているのだろう。そういえば「はらこ」という言葉は耳にしたことがある。

一般的にはどうかわからないが、同じサケの卵でも「すじこ」より「イクラ」の方がよく知られているのではないだろうか。本物かどうかは別にしてスーパーで売られている寿司にも使われているから子どもでも名前くらい知っていると思う。しかし私は、「イクラ」よりはるか前に「すじこ」を知っていた。

父は北海道の漁村の生まれだった。詳しいことは全く知らないのだが、子ども時代の話を聞いた記憶があり、たぶん実家は漁師だったようだ。ニシン景気のころはそこそこ収入もあったのだろうが、以後漁業だけで生計を立てるには難しく、半農半漁だったのではないかと思われる。父と兄(双子だったらしい)は中学校を卒業してすぐ東京に出てきたというから、若者が携わる仕事も当時は(今も?)ほとんどなかったのではないだろうか。母と結婚し子ども2人をもうけても家族で北海道に行く余裕はなかったから、私は父の実家を知らない。祖母に当る人は父が子どものころに死んだと聞いていたが、祖父はまだ健在だったと思う。が、その祖父にも会わずじまいだった。祖父が死んだ時、父が1人で帰省したのをかすかに覚えている。

実家に帰ることなどほとんどない父ではあったが、親類縁者に漁業関係者はまだいたようだ。子どもの頃、暮になるとサケがまるごと1匹どーんと送られてきた。台所に立つことなどない父が、新聞紙を広げて器用にサケをさばいたのを見て少し驚いたものだった。もっと驚いたのは、ある年送られてきたサケの腹を父が裂いたら生々しいくらい赤い「すじこ」が出てきたことだ。

それまで私が知っている魚卵といったら「たらこ」くらいだったから、全体(卵巣)も粒も格段に大きい「すじこ」はちょっと気味悪くもあった。が、父はそれを手早くぶつ切りにし醤油漬けにして美味しそうに食べていた。ご相伴に与ったが、なんだか生臭いような感じがしてあまり好きになれなかった。父にとってはなつかしい故郷の味だったのかもしれない。

だいぶ後になってから「イクラ」を知った。こちらは「すじこ」を1粒ずつバラバラにして味をつけたものなので、比べれば「すじこ」より上品な味だったといえるだろう。口の中でプツプツはじける食感も「すじこ」とは違っていて、「イクラ」の方が抵抗なく食べられた。

中年を過ぎるころになってからは、「イクラ」でさえ濃厚さが気になってほとんど食べない。魚卵そのものもさほど食べないが、たまに「たらこ」「めんたいこ」を朝食に食べる程度だ。「かずのこ」は正月の食卓には付き物だが、わが家では2人ともさほど好きではないので買わない。

こんなことを言っている自分を省みて、現代人は贅沢だなぁと思う。父が子どもだったころ、「はららご」は貴重な栄養源としてたいせつに食されていたのではないだろうか。身の回りにあるもの、自分の力で手に入れられるものだけを食べなさい・・・母親学級で真弓先生(真弓定夫氏)が話されていたことを思い出す。そういうものが一番身体にはいいのだとつくづく感じているが、私たちの目の前には日本はもとより世界中から集まってくる食べもので溢れている。贅沢だと書いたが、これが本当の贅沢かというとそうでないような気もする。

| - | 06:30 | comments(2) | - |
ナカヤマシキカイユキ

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わが家にある唯一といっていい健康器具、それが「ナカヤマシキカイユキ」である。「中山式快癒器」と書くのだが、最初この名前を聞いた時全く漢字が思い浮かばなかった。というのも、これは私が子どものころから実家にあり、小さな子どもは「快癒」などという言葉は知らなかったからだ。

父母のどちらが買ったのか、それとも誰かからもらったのかわからない。何に使うかというと首筋や腰のコリをほぐすために使うもので、頚椎用の2つ玉と腰椎用の4つ玉がある。今は単独でも販売しているようだが、昔はセットになっていたようだ。

私がもっているものは木製で、立派な木箱に入っていた。赤く塗られた木箱の蓋とその内側にはシンプルなイラストでいかにも気持ちよさそうに快癒器を使っている人の絵が描かれていたと記憶する。結婚する時にもってきたほど私はこれを愛用していた・・・いや、今でも愛用している。

中山式産業株式会社のサイトを見ると、第1号中山式快癒器の写真が掲載されている。誕生は昭和22年で私が生まれる10年以上前である。よく見ると本体にネジか釘で付けられたラベル(米・英・仏・専売特許/中山式「快癒器」○○用○型/MADE IN TOKYO JAPAN)の色が違うので、わが家のは第1号ではないと思われる。が、ラベル以外はとてもよく似ているのでたぶん私が生まれる前に買ったものではないかと思う。

使い方は簡単で、横になって首筋や腰のあたりに挟み込み体重をかけるだけ。自分の体重を利用して指圧するしくみだ。自由に動かせるので、気持ちいい(時には少し痛い)と思われる場所に置いてしばらくじっとしているとコリがほぐれるような気がする。頭痛持ちで肩凝りの私は頚椎用の方を特に愛用しているが、時々腰椎用を背中からオシリまで満遍なく動かして使うとけっこう気持ちいい。

アイボリーホワイトに塗られていたのだが、頚椎用の方は身体が当る玉(グリグリ)の部分はすでにペイントが剥げて木地が出ている。腰椎用はまだペイントが残っているので、たぶん素肌に触れることが多かったので汗や油分によりペイントが落ちたのだと思う。

玉は可動式になっており土台?の中で動くようになっている。身体を微妙に動かすことで指圧効果を高めるためのものだと思われるが、製品化する前の原形からよくここまで開発したものだと思う。開発者であり創業者である中山武欧氏は幼いころから病弱で兵役検査を3回も失格となった人だったらしく、それだけに健康に対する意識は高かったのだろう。自分を実験台として研究開発したものだけのことはある、と愛用者である私は思っている。

最近おもしろいことに気づいた。頚椎用の2玉を見せるといつも強気の「ふく」が怖がるのだ。塗装が剥げた玉が大きな目に見えるのか・・・かたかた揺すって少しずつ近づけていくと慌てて逃げる。「ふく」にも苦手があるんだ、と家人と大笑いしてしまった。よく見ればロボットの顔に見えなくもないから、「ふく」の気持ちもわかるような気がする。

朝起きるとなんだか首筋が凝っているように感じることがあって、今朝も起き上がる前にちょいとコレを首筋に当てて指圧していた。私より年配なのにまだまだ働き盛りの「ナカヤマシキカイユキ」、たぶんずっと愛用すると思われる。私が持ってきてしまったので、実家ではプラスティック製のものを買ったらしいが、どうも使い心地が今一つだったようだ。私も使わせてもらったが、やはり木製の古いタイプの方がいい。気のせいかもしれないが、もはや歴史を語るかのような古い快癒器に親近感と愛着を感じる私なのである。

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今日世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない

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今月6日の記事でリニューアルした東京都写真美術館に行ったことを書いた。映画の後で見た「杉本博司 ロスト・ヒューマン 」はとても重いテーマを扱ったものであり、様々に考えさせられることが多く感想をすぐに書ける状態ではなかった。映画を観た後だったので疲れており(映画でも展覧会でも内容が濃いとかなり疲れる)、日を改めて行けばよかったと今では思っている。

展覧は大きく分けて3つに別れていた。33のシナリオによるインスタレーション、廃虚劇場」、そして「仏の海」だ。33のシナリオとは、理想主義者、比較宗教学者、宇宙物理学者など33人の専門家が残した原稿と展示物からなるもので、すべての原稿の出だしは同じ文章になっている。

「今日世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」

様々な分野において高度な発展を遂げてきた人類が今直面しているのは「滅亡」なのではないか。この33のシナリオは滅びの予見としてのシナリオなのではないか。そう思わせる展示である。漠然と危機感を感じる人たちがいる一方で、現世の満足を求めてひた走る人たちもいる。そうして人類は、なし崩し的に破滅へと向かっていく・・・錆びたトタンでしきられた各ブースを見て回るたびにこの予見は正しい、というよりももっともだと思われる。

「廃虚劇場」はかつてアメリカで栄え今では廃虚になっている映画館で撮影された展示。大きなスクリーンには何も映っておらず煌々とした白い明かりとなっている。そしてかつては豪華絢爛だったであろう劇場の内側を照らしている。

「仏の海」ではおびただしい数の仏たちの大きな写真が並ぶ。三十三間堂で撮影された仏たちは薄暗い堂の中で金色に輝き無限に存在するかのように見える。とても広いスペースを使った展示で、さすが写真美術館だと思った。

こうして振り返ると、もっとじっくり見てくればよかったと悔やまれる。11月3日までやっているので、機会を作ってまた行けたらいいなぁ。

*やっと晴れ間が出たので慌てて洗濯!

*東北や関東で白血病が激増しているらしい。やっぱりね。

*それでもこの国はどんどん原発を動かすんだろうなぁ。

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PHOTO WEEK・・・OISO 2016.September<7>

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灯台近くには巨大テトラポットの群れが。無機的な人工物の集合体は、なにやら生きものめいて見える。

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PHOTO WEEK・・・OISO 2016.September<6>

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路地裏の住宅脇にうち捨てられていたカタカタ(?)・・・雨と潮風に曝された姿は、独特の存在感があるように思う。

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22日は猫に語らせる日・・・9月担当:ふく

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おはよう。ふくだよ。みんながおまちかねの、ふくちゃんだよ。やっと、じゅんばんがまわってきたもんね。

このごろ、ちょっとすずしくなってきたね。もうちょっとすずしくなったら、ふくはねるばしょをかえるもんね。あついころは、すみごんのへやのどあのまえでねていたもんね。すきまから、えあこんのきもちいいかぜがはいってくるので、ぴったりくっついているときもちいいもんねー。ちょっとひえすぎたら、かいだんにいどうして、1だんぶんせんりょうしてねていたもんね。すみごんやおっさんがとおるとき、「ふくちゃん、じゃまだよ」っていうけど、ふくがさきにねたんだもんね。じゃまだったら、1だんぬかしてのぼったりおりたりすればいいんだもんね。それができないなら、それは「おとしより」になったしょうこだもんねー!

ふくがさいきんいちばんきにいっているのは、からくさもようの「ねこてんと」だもんね。なかにはいってひるねすることもあるけど、ひそんでいてとつぜんとびかかったり、てをだしてひっかいたりするのがおもしろいんだもんね。おもちゃをなかにいれてあそんでもおもしろいんだよ。あいようしているから、「てんと」はもうびりびりになっちゃったもんね。もうすぐあたらしいのをかってくれるかもしれないけど、すぐにびりびりにしちゃうもんね。ふくの「つめ」と「わんりょく」をつかったら、あんなの「へ」でもないもんねーだ。

ふくは、このごろすみごんにほめられるもんね。「ふくちゃん、かしこい!」とか「ふくちゃん、うごきにむだがない」とか「ふくちゃん、けがやわらかくてさわりごこちがいい」とか。みーんなあたりまえのことだけど、やっぱりほめられるときぶんがいいから、こんどからすみごんをひっかくときは、すこしてかげんしてやるもんね。

「だいすけ」とはいまでもよく「とっくみあい」をしているもんね。いつも、ふくがかつもんね。「だいすけ」はていこうしてふくのおなかをけろうとするけど、そうはさせないもんね。さいごは、「だいすけ」がにげておしまいになるもんね。「だいすけ」はちょっと「いくじなし」だもんね。すみごんは、「おとこのこはみんなそうかもしれないよ。やさしいんだよ。」っていうけど、ただよわっちいだけだとおもうもんね。でも、いちばんよくあそぶから、きらいじゃないよ。あそんでいるだけだもんね。

このあいだ、くろっぽいオババ(まめこ)が、ふくのそばにやってきて、ちいさなこえで「だいすけを、もっとやっつけちゃえ!」っていったもんね。オババは「だいすけ」がきらいだけど、じぶんじゃできないからふくにやらせようとしたらしいもんね。でも、ふくはそんなことしないもんね。ふくがあそびたいときだけ、「だいすけ」をやっつけるだけだもんね。オババはちょっと「ひきょう」だとふくはおもうもんね。ごはんも「けーじ」のなかでいっしょにたべているし、ときどきくっついて「ないしょばなし」しているから、ふくと「だいすけ」はあんがいなかよしだもんねー

「だいすけ」はあいかわらず、すみごんにべったりだもんね。あと、あさごはんの「さいそく」がうるさいもんね。まいあさ、すみごんに「だいちゃん、うるさーい!」といわれているもんね。どんなにうるさくないても、ごはんのじかんにならないともらえないって、ふくはちゃんとしってるもんね。だから、「けーじ」のなかでしずかにまっているもんね。そうすると、すみごんが「ふくちゃん、えらい。かしこい。だいちゃん、ふくちゃんをみならいなさい」っていうもんね。「だいすけ」はむだなうごきがおおすぎるとふくはおもうもんねー

らいげつは、むだなうごきがおおい「だいすけ」のばんだよ。すみごんが、「しっかりもののおねえさん(ふく)ときよわなおとうと(だいすけ)みたいだね」っていうから、「あね」としてすこしはやさしくしてあげよう・・・なんて、ふくはおもわないもんねー これからも、「とっくみあい」や「おいかけっこ」をして、「だいすけ」にかちつづけるもんねーだ!おしまい。

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PHOTO WEEK・・・OISO 2016.September<5>

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海辺の町には、カンナがよく似合う。数年前夏の終わりに行った城ケ島でもカンナが咲いていたっけ。あと似合うのは、思いきり放置されたアロエかな。

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