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日々の内側
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京東都の和片

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先日庭園美術館に行った時にショップでかわいいワッペン(アップリケ?)とブローチを見かけて買ってきた。キノコのワッペンなんて珍しい!そしてかわいい!&お値段手ごろ。こういうセンスは大好きなので、帰宅してから販売元を調べてみた。

京東都」というブランドである。サイトの説明によると、ニッポンの伝統(=京都)とニッポンの今(=東京)を掛け合わせたブランドで、京都の刺繍工房が文化を踏まえながら新しい刺繍の可能性を探る「京都発、東京経由〜世界行き」のブランド、だそうだ。

あまり今まで気にしていなかったが、美術館のミュージアムショップなどで見かけた商品もある。ちょっとユーモラスなデザインが楽しいが、その基礎となっているのは確かな技術と鋭い感覚だと思う。手を出したくなるものが多くて困るくらいだ。

中でも「和片(ワッペン)」はかなり品揃えも豊富で魅惑的(^^;) 。キノコシリーズの種類も多いが、京野菜もなかなかいい。国芳の「猫飼好五十三匹」の猫たち、若冲の鶏、妖怪シリーズ、など私の好みをどどーんと突いてくるものが多く集めたくなってしまう。

あまりに好みのものが多いと選べなくなる。だからしばらくは買わないで済みそうだ。てへ。

*ドゥラメンテ、引退!好きな馬だっったので残念だー

*パドックでのあの歩き方がもう見られないなんて・・・

| - | 19:37 | comments(0) | - |
石内さんの写真

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私が石内都さんの写真を好んでいることを知っている友人が、石内さんと詩人の伊藤比呂美さんの対談が掲載されている月刊誌(「現代詩手帖)のコピーをくれた。手に取ることもない本なので、こういうことがなければ知ることはなかっただろう。

「写真の中の身体をめぐって」と題された対談で、ある意味で対照的な2人のやり取りがなかなかおもしろい。互いの仕事に関心をもちつつ会ったことがなかった2人はアラーキーを介して出会い、伊藤さんは石内さんにヌードを撮ってもらったらしい。そんなこともあっての「身体」をテーマとした対談だったのだろう。

ざっくりとではあるがその対談を読んで、私が石内さんの写真に惹かれる理由がわかったような気がした。理由という言葉は適切ではないかもしれない。好き嫌いに理由はない、あるいはあったとしても言葉では説明できないことが多いから。が、何故惹かれるのかの答えのようなものを私は感じたのも事実だ。

伊藤さんを撮った写真は「SWITCH」に連載され、「手・足・肉・体ーHiromi1955」として出版されたが、その時伊藤さんは詩人たちにひどく批判されたという。石内さんはそれを覚えていたが、当人の伊藤さんは思い出せないらしい。

そこで石内さんは言う。「悪いことは全部忘れてるんだね」と。そして「私と逆だね。悪いことしか覚えていない。いいことは全部忘れてる」。「なんで?」という伊藤さんの問いに対して石内さんはこう答えている。「わかんない。だって、私の写真がそういう写真だもの。いいことは何もない」。

この部分を読んだ時、私はなるほど、と思った。だから私は石内さんの写真が好きなんだ、と。

「悪いこと」には魅力がある。石内さんだって、だからこそ写真を撮るのだろう。悪い事しか覚えていないのは、悪いことに惹かれるからだろう。そして、痛みを感じながら撮り続けてきたのだろうと思う。そんなところに私は自分との共通性を感じる。

思えば私は、悪い事・・・と一言ではくくれないかもしれないが、「負」のイメージを持たれがちな物事に惹かれ続けてきた。善悪なら悪、明暗なら暗、運不運なら不運、生死なら死・・・というように。それらは実に多様で幻惑的でさえある。

もうひとつ印象的だったのは、石内さんの「私はもともと美しいものしか撮らない。だって、傷跡だって美しいし、手と足も美しいし、美しくなれければシャッターが切れない」という言葉だ。石内さんの写真の対象物は一般的に言って「美しい」と思う人は少数派だと思う。が、撮る人にとってはそこに「美しさ」を発見できたからこそのものだ。

ある意味で残酷ともいえるものに「美しさ」を感じる感覚。それが私にはよくわかるような気がする。誰もが「美しい」と感じるものを見れば私も「美しい」と感じるかもしれない。が、それはのっぺらとした、平凡な美しさだと言えなくもないことが多い。それよりも、鋭く自分を突いてくるようなものに感じる美しさを私は信じたいと思うのだ。

| - | 20:58 | comments(0) | - |
ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン!

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♪雨雨降れ降れすみごんが、おニューの長靴嬉しいな♪

というわけで、今日も長靴を履いてお出かけ。出かけるころはほとんど雨が止んでいたが、今日は「降ったり止んだり」の予報。たとえ帰宅時まで降らないとしても、朝方の降り方から長靴を履いている人はけっこう多いと思うし。

ここ5年ほど、私は何かにつけて長靴を履いている。台風時や大雨の時はもちろん、小降りの時やいずれ止むだろうと思われる時でも履く。革靴やスニーカーを傷めたくないという理由もあるが、長靴を履いていると楽しいのだ。水たまりを気にすることなく(わざと水たまりに入ったりもするし)歩けるし、子どものころに戻ったようななつかしさも感じる。

今までは膝下までの長靴を愛用してきた。黒と茶の2足持っている。膝下まであればどんな土砂降りも怖くないし、寒い季節はあたたかくもある。が、さすがに今ごろから秋まではちょっと暑苦しい。足元は冷やさないようにしているのでそれもいいかと思うようにしてきたが、やはり暑いものは暑い(^^;) もう少し軽やかに歩ける「短い長靴」(妙な表現だが)が欲しいと思っていた。

しかし、長靴を3足も持つというのはいかながものか、とも思った。なにせ収納するにも場所をとるし、晴れている日には絶対に履かないだろうし。納得のいくものはそれなりのお値段だし。うーん、長いヤツで我慢しとくか・・・ということになり2〜3年が過ぎた。

そんな私ではあったが、今年はめでたく「短い長靴」を履くことができた。誕生日のプレゼントに家人が買ってくれたのだ。買わせた・・・とは口が裂けても言わないでおく(^^;)

選んだのは前々から狙いをつけていたAIGLEの「シャンテブーツ」のショートタイプ。色はワイン。ネイビーにしようか迷ったがこれにした。家人曰く「羊羹のような色」だが、今日会った友人は「どちらかというと外郎?」だった。くすんだ紫系の色でベルトは黒。うふふん。色も気に入っているが、とにかく履き心地がいい。大きめを選んだので中敷を入れたが、それでも大きい。で、とりあえず靴下を2枚重ねて履いて調度いい感じ。いつかAIGLEのショップに行って相談し、純正の中敷を検討してもいいかなと思っている。

脱ぎ履きラクラク。靴下2枚履いてもあまり蒸れる感じもなくてナイス。AIGLEの回し者ではないが、誰にでもお勧めできると思う。これで、私の長靴着用率はさらに上がること間違いなし!だろう。うふふん。

| - | 21:12 | comments(0) | - |
悩むが花?〜人生相談のおもしろさ

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新聞や雑誌誌上の「人生相談」がけっこう好きである。一昔前なら、相当真面目くさった人生相談があったように思うが、最近のものは「読み物」的な要素が強いような気がする。真面目な相談に対する生真面目な回答にはあまり興味はないが、さほど珍しくない、しかし相談者にとっては深刻な悩みに対する回答がおもしろいことがあって、目にすると一応読んでみたりする。

いつだったか、本を持って出るのを忘れて買った週刊文春の人生相談が面白かった。相談者は女性で、祖母、母、自分と3代にわたって男で苦労している、ダメ男・ダメ夫に振り回されている悩みを相談していた。回答者である伊集院静氏のお答えが奮っていて印象的だった。

回答者曰く、悩む必要など全くない。なぜなら、女に依存し迷惑ばかりかけるような男たちをあなた方が好きだからだ、でなければそんな男たちを選ぶはずはないのだから。というようなものだったと思う。全くその通りだと思い痛快さを感じた。

週刊誌誌上のことゆえ「やらせ」的な要素はあるのかもしれない。が、実際のところ我が身の不幸の原因を他人のせいにし、嘆くばかりの人を私も何人か見てきた。そんな時、それほどイヤなら縁を切ればいいじゃないかと思ったけれど、縁を切る様子は全く見られなかった。つまり、自分の不幸の大本に執着しているのである。そして、そんな自分を認めようともせずだた嘆いているだけなのである。それなら、いっそのことその嘆きを一生続けていくしかないのではないかと私はついつい思ってしまう。

今朝、某新聞のニュースサイトを見ていたら愚痴ばかりこぼす友人との付き合いを止めたいのだが迷っている云々という相談が掲載されていた。相談者の友人は精神的にも病んでいるようなのだが、そんな人との付合いに疲れてしまい止めたいのだが自殺されたらと思うと不安・・・というもの。回答者は美輪明宏さんで、美輪さんらしくきっぱり「もう連絡する必要はありません」と答えている。相談者の友人は「聴いてもらえるのはあなたしかいない。私はあなたより体もつらいし・・・」等々、苦しむ自分のことばかりあげて相談者に付き合いを迫っているらしいが、「この友人の方は、友だちがいないのはご自身に理由があるということを、まだ分かっていないのでしょう」と美輪さんはズバリ指摘し、方法はある程度考える必要はあるもののきっぱり縁を切った方がいいとしている。

これもまた、納得のいく回答だ。私自身はそういう経験はないが、似たような経験を持つ知人がいる。もしその人に相談者と同様の悩みを打ち明けられたら、美輪さんと似たようなことを言っていると思う。

人生は悩みで満ちている。悩みのない人生なんてない。そして自分の悩みを完全に理解できる他人はいないし、その逆もまた然りだと思う。ヒントを求めるくらいならいいが、決定的な悩みの解決を他人に求めてもうまくいくとは思えない。自分の悩みを解決できるのは自分だけ、というのが私のスタンスだ。

もちろん、誰にも打ち明けず自分に篭ってしまってタコ壺状態になるのはよろしくない。そんな時はそこから出て行くために人と話す。自分とは違う視点を得ることで道が開けていくこともあるだろう。

伊集院氏の人生相談が面白かったので単行本「悩むが花」を買ってみた。軽く読むにはなかなか面白い本だと思う。

| - | 20:35 | comments(0) | - |
猫には猫の「理由」があり・・・

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・・・「ボクなんにもわるいことしてないもん」と甘えるダイスケ・・・

「君には君の夢があり僕には僕の夢がある」という流行歌が昔あった。最近の私はこの歌の歌詞を変えて「猫には猫の理由(わけ)があり人には人の理由がある」を頭の中に浮かべる。時には軽く口ずさんだりもする。

猫でも犬でもいいのだが、多頭飼いをしている家庭なら決して珍しくない出来事が最近勃発。新入りのダイスケが「不適切な排便行為」をするようになってしまったのだ。今までトイレに関しては何の問題もなかったので、ダイスケにはダイスケの「理由」がちゃんとあるのだと思う。

今までこうした問題にあまり直面してこなかったのはラッキーだったかもしれない。昨年ふくが来てから少々不穏な動き(^^;)はあったのだが、猫同士の年齢差、性差、性格などにより多かれ少なかれ誰もがストレスを持つ生活なのだろう。それはそれで仕方のないことなので、時間の経過とともになんとか折り合いをつけてほしいと人間は願うのであるが、やはり猫には猫の「理由」はあるのだろう。

トイレの位置も変えていないし砂も変えていない。掃除はこまめにしている。そして「不適切な排便行為」をする場所が決まっている(まだ2回だが)。それを考え合わせると、どうも最近険悪になりつつある「まめこ」との確執めいたものが原因なのではないかと推測される。

「まめこ」はもともととても臆病な性格で来客などがあると奥に潜んで全く顔を見せない。それどころか、スーパーの袋が大嫌いで、少しでもガサガサという音がすると近くにいてもさっさと逃げてしまうほどだ。幼いころのトラウマがあるのではないかと思う。そして臆病でありながら、「まめこ」は頑固でもある。嫌なものは徹底的に嫌で妥協しない。「ふく」が来た時遊んでほしくて近寄っていくと、途端に素早い猫パンチを連打しており、それが何度か続くと「ふく」も「まめこ」にはあまり不用意に近づかなくなった。

これで万事オーライ・・・とはいかないところがなんともかんともな現実である。ダイスケは基本的に素直な性格で「ふく」のように「撫でようとしたら噛みつく」というようなこともない。撫でてもらうのが大好きで私が顔を見せると寄ってきてすり寄りごろごろ、すりすりの繰り返しである。が、やはり男子。太っているとは決して思えない体形だが、力がある。ぐっとすり寄られた時、こちらがのほほんとしていると体の体勢がくずれることがあり、さすが男子!と思っていた。

そのダイスケ、やはり子どもなので「まめこ」にも近づいたり飛びかかったりしていたが、「まめこ」に猫パンチされても諦めない。「まめこ」は「まめこ」で「ふく」に対しては徹底して強気だったのに、相手がダイスケだと形勢不利に見える。逃げまくる「まめこ」をダイスケが追いつめ、「まめこ」が威嚇とも悲鳴ともいえない声をあげることが時々あり、そこまでくると人間が介入して「まめこ」を逃がす。以来「まめこ」にとってダイスケは天敵のような存在になってしまったのか、近くを通っただけで猫パンチしたりするようになった。

そうなるとダイスケもおもしろくない。単に遊んでほしかっただけなのに。ただ近くを通っただけなのに。「このクソババァ!」と思っているかどうかはわからないが、追いつめ方が厳しくなってきた。方や満1歳になったばかりの若猫。方やもうすぐ12歳になろうとする老嬢。力の差は目に見えているから、できるだけ「まめこ」に味方することにしているが、ダイスケを叱ることもしない。ダイスケにはダイスケの「理由」があり、動物が持つ「理由」は正当だと私は思っているからだ。

ダイスケが「不適切な排便行為」をするのは、家人の布団の右側である。先日私が不在の時に、家人の目の前でそこにオシッコを長々とやらかしたらしい。敷布団やタオルケット、近くに置いてあった家人の服などが被害にあった。洗えるものは洗えばいいが、布団は古くなっていたこともあり廃棄することにした。で、昨日新しい布団が届いたら・・・今朝方またやらかしてしまった(^^;)

家人の布団右側にはタンスがあり、その上にカラーボックスを積み上げてある。ボックスと天井の間にはわずかなすき間があり、そこはなんと「まめこ」の秘密基地なのだ。何かあるとそこに篭り、出てこないとそこまで食事を運んでやったりしている。この聖域への侵入をダイスケは何度か試みていることからも、ダイスケは気にくわないババァへのアピールとして自分の匂いを付けることにしたのではないか。

そこまでくると、こちらもやはり困る。人には人の「理由」もあるからである。今回布団はほとんど被害を受けていなかったのだが、今日は洗濯が大変なことになっている。畳を丁寧にふき掃除、消毒し、布団には濡れないような工夫をしなくてはと思っているところだ。また、しばらくの間ダイスケは夜間ケージに入ってもらうことにした。トイレを入れておけば問題はないと思う。

そんなこんなでバタバタしている時に限ってさらなる不幸(!)が訪れるものだ。昨日、ダイスケと「ふく」に昼ごはんをあげようとしていた時・・・ダイスケが私の足に強烈にからまり、両手にキャットフードを保存している大きめの容器を持っていた私は落とさないようバランスをとるため膝を捻ってしまった。あ、捻った!と思った瞬間から痛みが出て、しばらく立ち上がれなかった。

夕方出かけたついでに湿布薬を買ってきて貼っているが、先ほど見たらけっこう腫れている。ゆっくりなら歩けるが、ああ、わが家はメゾネット。一日何度も階段を上り下りしなくてはならず、「うううう」と低く唸りながら歩いている。やれやれである。

| - | 11:34 | comments(0) | - |
東大の建造物

 

昨日も少し書いたが、弥生美術館に行った後目の前にある東大キャンパスをぶらぶらしてみた。東大といえば安田講堂・・・とくに団塊の世代にとっては象徴的な建物だと思うが、実物を見たのはこれがはじめて。赤門を外からちらっと見たことがあるくらいで、キャンパスの中がどうなっているか全く知らないでいた。

行った感想を一言で言えば、いやはや立派な建物がたくさんあるわ、に尽きる。とくに古い校舎は見どころが多く、レトロな建物好きとして内心興奮してしまったのだった。

多くの建物が関東大震災や東京大空襲などによる被害を免れた、とのこと。登録有形文化財に指定されている建築物も多いと知り、遅ればせながら多いに納得した次第である。今回は本当にざっとしか歩いていないのだが、調べてみると「内田祥三」という名前に突き当たる。関東大震災後の大学構内復旧を主導し、手がけた建造物は「内田ゴシック」と呼ばれているという。1943年、東京帝国大学総長に就任。戦争中、帝都防衛司令部を東京帝大に置きたいという軍部の申し出を断固として断り、戦後アメリカ軍の接収要求も退けている。その気骨たるや大変なものだったに違いない。

先日見た中で私がとくに気に入ったのが、「回廊」とでも呼びたくなるようなアーケード。ギリシア風の柱がなんともステキだった。たぶん法文一号館だと思う建物もいい。図書館もかなりよさそうだが今回は見逃してしまった。

雨模様だったのでカメラを持たずに出かけたから撮った写真はすべてiPhoneのもの。次回はちゃんとカメラを持ち、時間をかけてキャンパスを歩いてみたい。歴史ある大学らしく植栽されている木々も大きく、安田講堂前のクスノキがとても立派だった。食堂にもぜひ入ってみたい。本郷あたりはまだほとんど歩いていないので、「江戸巡りツアー」に組み入れようかな。

 

| - | 15:58 | comments(0) | - |
弥生美術館

 

ほぼ突きに一度計画していたMちゃんとの「江戸巡りツアー」、今月は懸案の隅田川クルーズの予定だったが生憎の天気。クルーズするならスカッと晴れている日がいいよね、ということで急遽目的地を変更し、弥生美術館に行くことにした。

弥生美術館は挿し絵専門の美術館として名を知られている。現在は竹下夢二美術館を併設し、挿し絵を中心にイラスト、漫画、雑誌などの出版美術をテーマとする企画展示を開催。ご年配(私もか・・・)にはなつかしい絵に出会える場所だ。

こじんまりしているのは、ここが個人美術館ということもあると思う。美術館サイトによると、創設は昭和59年(1984年)。挿絵画家・高畠華宵の絵を愛する弁護士・鹿野琢見による。少年時代、華宵の「さらば故郷!」に感銘を受けた鹿野が36年後画家の消息を偶然知り、明石の愛老園(老人福祉施設)を訪ねたことから2人の交流は始まり、自宅に招いたり展覧会を企画したり華宵作品の発表に尽力した。

戦前まで華々しい活躍をしていた華宵。絵だけでなく着物や洋服のデザインまで手がけ、「華宵好み」という言葉が生まれるほどの人気を博したという。しかし戦後は鳴かず飛ばずとなり、絶縁していた兄を頼って施設に入所するなど落ちぶれていた。鹿野と出会い、再び作品が脚光を浴びるようになったのを見届けて1966年にその生涯を閉じている。鹿野との出会いがなければ失意のままうずもれてしまったかもしれないと思うと、縁とは不思議なものだとあらためて思わざるを得ない。

現在開催されているのは、『谷崎潤一郎文学の着物を見る』谷崎潤一郎文学の着物を見る(弥生)と『大正時代の「かわいい」展』(夢二)で、大正ロマンという言葉がぴったりの着物の数々を見てきた。谷崎作品に登場する着物のコーディネートはモダンにして過剰、そして退廃的。まさにその作品イメージどおりのものだった。着物に興味のある人にとってはなかなか見ごたえがある企画だろう。昨日も着物の団体、グループがいくつか来ていて雨模様の平日とは思えない盛況ぶりであった。

美術館を出た後、すぐ近くにある東大構内を散策。東大の中に入ったのははじめてだったが、さすが日本の最高学府(アジアの大学ランキングでは順位を大きく下げたらしいが)、歴史を感じさせる建築物と大きく育った樹木が印象的で、いつか写真を撮りにまた行きたいと思うほどだった。

根津周辺は今まで何度も行っているが、まだまだ見るべきところ、行くべきところが多いことを実感した一日。見て、食べて、歩いて、おしゃべりして・・・梅雨の晴れ間のような時間を過ごした。

 

*遅めのランチを食べに行った「ことぶき」がなかなかでした。

*八丈島の郷土料理風。自然なやさしい味付けでお値段もリーズナブル。

*子連れママ3人組がちょっと鬱陶しかったけどね。

| - | 16:50 | comments(0) | - |
22日は猫に語らせる日・・・6月担当:ダイスケ(大介)

・・・すみごんのあしにスリスリ。かわいがってほしいボクなの・・・

 

お、おはようございます。あ、は、はじめまして。ボク、ダイスケです。4がつにこのうちにきて、「いえねこしゅぎょう」をやってきたよ。さいしょはとってもふあんだったけど、もうりっぱな「すみごんち」のねこになったよ。

ボクは、せいご10かげつまでかあさんといっしょに「のらねこ」してたの。そしたら、あるひどこかのにんげんのおばちゃんがきて、ボクたちをつかまえたの。「ほご」っていうらしいけど、ボクはすごくこわかったの。つかまったボクたちはべつべつにされて、ボクはねこがいっぱいいるおうちにつれてこられたの。せまい「けーじ」にいれられてこわかったけど、ごはんはたくさんもらえたよ。

「ケージ」のなかにだんぼーるのはこをいれてくれたので、「ごはん」と「といれ」のときいがいは、はこのなかにこもっていたの。2かいくらい、おそとにつれていかれて、「じゅういさん」のところで「ちゅうしゃ」されたり、ねているあいだになにかされたの。いつまでこんなせまいとこにいるのかな、とおもっていたら、すみごんたちがきたの。

すみごんちには、まえに「ゴン」さんていうねこがいたんだけど、きょねんおそらにいっちゃったんだって。でも、すみごんは、「ゴン」さんがとってもすきだったので、「ゴン」さんとおなじ「ちゃしろ」のおとこのこをさがしていたらしいの。ボク、「ちゃしろ」なので、「このこにします」って、すみごんたちがきめたらしいの。

すみごんちにつれてこられても、ボクこわかったよ。まえよりおおきな「ケージ」にいれられたら、だんぼーるのはこがあったから、そこにこもっていたよ。ときどき、ほかのねこさんたちがボクをみにきたけど、こわいからでていかなかったよ。ごはんはいっぱいもらえたから、「ほご」されるまえみたいにおなかがすいてしにそうにならなくなったよ。

あるひ、ボクはゆうきをふりしぼって、「ケージ」からでてみたの。だれもおいかけてこなかったけど、やっぱりこわいから、ふだんはだれもはいらないへやの、はしっこのほうにはいってじっとしていたの。でも、ごはんのじかんになるとがまんできなくて、でていってごはんをもらったよ。「といれ」もおいてあったので、ちゃんと「といれ」をつかったよ。すみごんは、はなれたとこからボクにいろいろおはなししていたよ。「もう、こわいことないからね」って。でも、ボクはやっぱりこわかったの。

だんだんボクはこのいえになれてきたよ。すこしずつ、にんげんやほかのねこさんがいるへやにいくようになって、「ここは、こわいとこじゃないんだ」っておもうようになったの。ここには、「ちゃしろ」のおばちゃんと、くろっぽいおばちゃんと、しろくろのふくちゃんがいるよ。ふくちゃんは、ボクとほとんどおなじころうまれたらしいけど、ボクよりずっとふとっていておおきかったよ。さいしょにボクとめがあったとき、ふくちゃんは「あんた、だれよ」ってにらんだよ。ボクはこわくてへんじができなかったの。

でも、いまじゃ、ふくちゃんと1にち1かいはとっくみあいのバトルをしているよ。ふくちゃんのほうがたいじゅうがおもいので、のしかかられるとまけそうになるけど、ボクのほうが「みがる」なのでしょうぶは「ごぶごぶ」だよ。ふくちゃんは、ボクのことを「ダイスケ」ってよびすてにするよ。すみごんたちは、「ダイちゃん」っていうのにな。でも、このいえではふくちゃんのほうが「せんぱい」なので、ボクはきにしないよ。

すみごんは、ボクのこと「あまえんぼう」っていうよ。すみごんがくると、すりすりしてぴったりくっつくのがすきだからかな。かおがちいさくて、すまーとだからやせっぽちにみえるけど、たいじゅうだってもう4.5きろくらいあるよ。じまんは、ながーいしっぽだよ。なでてもらうのがだいすきになったので、ボクももうりっぱな「いえねこ」になったんじゃないかっておもってるの。

こないだ、ねむくてうとうとしていたら、どこからかこえがきこえてきたの。「オイラみたいに、こまかいこときにしないでのんびりまったりするにゃ!」っていってたよ。うすめをあけてうえをみたら、せなかに「はね」をつけた「ちゃしろ」のねこさんがふわふわしていたよ。きっとあれは「ゴン」さんだったとボクはおもってるの。ボクのこと、うえからみていてくれるんだとおもって、ボクはゆうき100ばいになったよ。

「のらねこ」を10かげつもしていたから、いまでもボクはたべるのはやいよ。たくさんたべるよ。だって、「のらねこ」のときは、たべられるときにたべないとつぎはいつたべられるかわかんなかったんだもん。でも、さいきん、たべすぎだということでごはんをすこしへらされちゃったよ。それがちょっと、ふまんだよ。でも、ときどき「ささみ」や「さしみ」をもらえるよ。こんなにおいしいものがあったんだって、ボクはそのたびにびっくりするよ。

これからは、「すみごんち」のねことして、ボクはがんばるよ。みなさん、おうえんしてね。らいげつは、このいえで「さいちょうろう」のみかんさんのばんだよ。みかんさんは、しずかでやさしいおばちゃんだけど、もう「おとしより」なので、ボクとあそんでくれないの。でも、ふくちゃんがいるからだいじょうぶだよ。ボク、もっとおおきくなって、バトルでふくちゃんをまかせてやろうとおもっているよ。できるかなぁ。

「けりぐるみ」がだいすきなの。ボロボロにしちゃったよ。

 

 

| - | 10:28 | comments(2) | - |
首から上が踏んだり蹴ったり・・・

・・・動物に「頭痛」ってあるのかな? 油壷マリンパークにて・・・

 

ここ1年くらいだろうか。朝目覚めた瞬間に「あ、頭が痛い」と感じることが時々ある。天気が急変した時などに多いので気圧が関係しているのかもしれないと思うが、アレルギー性鼻炎のせいかもしれないし、目を使いすぎたからかもしれないし、とにかく頭痛というのは原因を特定しにくい。

若いころから頭痛持ちだったので頭痛との付き合いは長い。が、子どもを産んでからぱたっと頭痛を経験しなくなって体質が変わったのかなと思っていた。しかし、その子どもが成長して手を離れるころになったらまた復活。また体調が変わったのか?

鎮痛剤も以前は常用していたが、この10年くらいはできるだけ使わないようにしている。無理やり痛みを抑えるというのはやはり不自然なことだし身体にいいとは思えないからだ。が、頭痛というのはひどくなってから薬を飲んでも効かないことが多いことは経験済み。どのタイミングで飲むかがなかなか難しい。

今朝もまた頭痛で目覚めた。ああ、またかと思いつつしばらくじっとしていたが、猫がハラヘリを訴えてうるさいし、とりあえず起きて白湯で鎮痛剤を飲んだ。何も食べていないのでよくないとは思ったが、頭痛もある程度ひどくなってくると食欲がほとんどなくなる。朝食はなんとかいつも通り食べたが、昼食時は全く食べる意欲なし。首から肩にかけてもなんだか凝っているような痛いような感じだし、咽喉も痛いし、鼻の奥の方も痛い。おまけに口内炎がいくつかできて口の中まで痛い。首から上が踏んだり蹴ったりの状態になっている。

結局、4時間以上あけて3回鎮痛剤を飲んだが、強い痛みこそ感じないもののやはり痛いというか思いというか不愉快な状態が続いている。一日中家にいたので血行不良にもなっているのかもしれない。風呂にでも入れば変わるかなと思うが、果たして効果はあるのか。緊張性頭痛の場合は効果があるらしいが、片頭痛の場合は逆効果になるらしい。

幸いなことに(?)こういう状態は長く続かないので、明日は気分よく目覚められるよう願っている。やりたいこと、すべきことが山積みなのでテキパキと気持ちよく動ける一日になりますように。

| - | 19:56 | comments(0) | - |
知恵比べ

写真のブツは一体何でしょう。サイズは10.6×3.2×15.7cm。重さは32g。材質はEVA発泡というもの。軽くてある程度しなやか。と言われても想像するのは難しいかもしれない。

これは「ノブロック」という製品。ドアノブをロックして開けられないようにするためのお道具である。ドアは開け閉めするものだが、時には開けたくない・・・というか自分がいない時に開けてほしくないこともある。開けてほしくない時に開けるのだ誰だ!猫である。

私の部屋は一応「猫立ち入り禁止」となっている。細々としたものがあるということもあるが、やはり怖いのはたくさんあるケーブルで遊ばれること。窓を開けていればベランダから外に出てしまうということも全く考えられなくもない。だから禁止。

今まではドアさえしっかり閉めておけば猫が入ることはなかった。こちらがちょっと油断してわずかなすき間を残したまま部屋を離れると、猫たちが入っていたということはある。が、閉めておけば大丈夫だった。しかし、ここに来てノブに飛びいて開けてしまうヤツが出てきた。今月1歳を迎えた大柄な娘、ふくである。

今までの経験から、猫(猫だけではないかな?)に関して言えばオス猫よりメス猫の方が賢い。賢さにもいろいろあって、たとえば長女みかんの場合は思慮深い賢さである。が、ふくの賢さは実際的な知恵というか、自分が欲することをするためによく頭を働かせる。

若猫2匹は食欲旺盛で食べるのも早く、老嬢のごはんを奪い取ってしまう。そこで別の部屋に若者を閉じこめ、おばさま猫たちが食べ終わったら出してやることにしていた。しかし、安心して別のことをしていてふと見ると若者2匹が出てきていてすでに奪い取っていた。ごはんをもっと食べたい、という欲求から知恵を働かせ、内側に開くドアノブも開けてしまえるようになってしまったのだった。弟分のダイスケはふくの後ろに控えていて、ふくが開けると一緒にホイホイ出てきて老嬢たちのごはんを奪う。

ドアノブを開ける猫は決して珍しくないと思ったのでネットで調べてみた。「ドア、猫、ロック」だったかキーワードで検索したら出てきたのが写真の「ノブロック」。簡単に使えて場所もとらないので便利に使っている。

しかし、そこは常に強気にふくである。最初のうちはこの「ノブロック」さえ強引に外そうとしたらしくツメだかキバだかの跡がいくつかついている。何度かトライして無理だとわかったのか、以後全くはずそうとしない。見切りが早いところもたいしたものである。

以前このブログでわが家の「困ったちゃん」としてふくを紹介したことがあるが、最近は何をやられてもあまり腹が立たない。「やられた」「負けた」と思い、「手強いなぁ」と妙に感心してしまう。そして、次は思うようにさせないもんね!と思う。そう、ふくとの知恵くらべを楽しめるようになったということだ。

猫と知恵比べして何がおもしろいのかと思う人もいるかもしれないが、私にとってはおもしろいのである。こんなことできるはずがないと思っていたことを猫がやらかすと、だから猫はおもしろい、手放せないと思う。そういう意味でわが家の「困ったちゃん」あらため「知恵者」は魅力的な猫。これからもせいぜい仲良く知恵比べをしていこうと思っているところ。

ふくに「かった!」とおもったらおおまちがいだもんね。ふくには「ちえ」がまだまだあるもんねーだ。

| - | 16:35 | comments(0) | - |
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