家人と外を歩いていると時々「これ何?」「あれは?」と花の名前を聞かれる。たいていは答えることができるが、それはたぶん私が子どものころから植物に親しみ、あれこれ自分で調べてきたからだと思う。しかし、「ガーデニング」という言葉が盛んに使われるようになってから登場してきた新しい園芸品種については、「○○の仲間だと思う」くらいしか答えられないものが多い。昔に比べてあまりに多くの品種が周りに溢れ、調べるのさえ面倒になっているからだろう。
私は人の名より花(植物)の名前の方がよく覚える。たぶんそれは自分で調べ、見かけると観察してきたからだろう。人から聞いただけの花の名は忘れてしまうことも多々あることを考えると、自発的な行為=何らかの興味を持ったから調べた、いうことがキーポイントなのかもしれない。この「調べる」という行為を億劫がっていてはいけないと思っているのだが・・・
以上のような状態なので自分のことを棚に上げてと突っ込まれそうだが、世の中を見回してみると花の名を知らない・・・というか覚えようとしない人がとても多いことに気づき残念に思う。「きれいな花、でいいじゃん。何も調べなくたって。小うるさいヤツ!」と思う人もいるだろう。ごもっとも。ただ、私がそこに感じるのは、「名前なんてどうだっていいじゃん、たかが花なんだから」という意識で、その「たかが」に私はひっかかってしまうのだ。
私は時折思うのだ。たとえば、埃と排気ガスをかぶりながら瑞々しい緑の葉を繁らせているスズメノカタビラを見た時。今は誰も見向きもしないけれど、世の中から草木の緑という緑が消えうせてしまう一大事が起きたと想像してみる。ふと足元を見たらスズメノカタビラがあったとしよう。その時も今と同じようにどうでもいい草だと思うのだろうか。その緑を非常に貴重なものに思い、その名を知りたいと思わないだろうか。
私が草や木を身近に感じられるところに住みたいと思い続けているのは、彼らとともに生きているということを毎日実感したいからだと思う。寡黙でしたたかで健気で儚い彼らと。
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昔から庭などで栽培されている植物の名については、人より多く知っていると思う私ではあるが、どうしても覚えられない・・・一度や二度は調べているのにいざというと名前が頭に浮かんでこない、というものがある。たとえば現在きれいに咲いている金糸梅や春先に見かける黄梅がそれだ。今気づいたが両方とも「梅」の字が使われているのだが、両方とも「梅」を思わせる雰囲気は全くない。だからなのか?毎年気になって調べ、「ああ、そうだった。なんで覚えられないんだ?」と情けなく思う。
植物の名を調べるのは楽しい。インターネットがこれだけ普及していると、昔より調べるのはずっと楽である。キーワードで検索すれば、お目当ての植物が見つかるかもしれないのだ。植物図鑑をめくって当てもなく調べるよりずっと手軽である。
「黄梅」なら「春、黄色、花、低木」で画像検索してみると出てくるだろう。「金糸梅」なら、「5月 6月 開花 黄色 低木」で出てきそうだ。もっと確実なのは植物の「科」を指定する検索で、「金糸梅」なら「オトギリソウ科 低木」で検索すれば一発で候補が出てくる。植物の「科」に見当をつけられるかどうかで検索にかかる手間は大幅に違ってくるかもしれない。つけた「見当」が大外れのこともあるけれど(^^;)
今回この記事を書くに当って、確認の意味もあり「黄梅」を調べてみたら「モクセイ科」だった。キンモクセイやライラック、そしてジャスミンも同じ「モクセイ科」だが、「黄梅」にはほとんど香りがないという。ふーん・・・知っているつもりでも知らないことはやはり多いなぁ。
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小うるさいついでに言ってしまうと、花の名前で検索していてヒットしたブログなどを見ていて、あきらかに間違っているものがかなりあるのはいただけない。中には間違えてもいたしかたないかもしれないと思うものもあるが(見分けがつけにくい植物はたくさんあるし)、どう見ても思い込みのみで調べようともしないから間違っているというケースもある。「山田花子」という名前なのに「この人が木村花子さんです」と紹介されたら当人は不愉快だろう。失礼なことである。花だって同じ・・・というのが私の植物に対するスタンスだ。
今日覚えた花の名前・・・写真の花「クラウンベッチ」。草ぶえの丘でたくさん咲いていて、以前誰かに名前を教えてもらったが忘れてしまった。で、「レンゲ 似ている グランドカバー」で検索。忘れないようにしよう・・・と思うが・・・(スタコラサッサ!)