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日々の内側
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花の名は。
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家人と外を歩いていると時々「これ何?」「あれは?」と花の名前を聞かれる。たいていは答えることができるが、それはたぶん私が子どものころから植物に親しみ、あれこれ自分で調べてきたからだと思う。しかし、「ガーデニング」という言葉が盛んに使われるようになってから登場してきた新しい園芸品種については、「○○の仲間だと思う」くらいしか答えられないものが多い。昔に比べてあまりに多くの品種が周りに溢れ、調べるのさえ面倒になっているからだろう。

私は人の名より花(植物)の名前の方がよく覚える。たぶんそれは自分で調べ、見かけると観察してきたからだろう。人から聞いただけの花の名は忘れてしまうことも多々あることを考えると、自発的な行為=何らかの興味を持ったから調べた、いうことがキーポイントなのかもしれない。この「調べる」という行為を億劫がっていてはいけないと思っているのだが・・・

以上のような状態なので自分のことを棚に上げてと突っ込まれそうだが、世の中を見回してみると花の名を知らない・・・というか覚えようとしない人がとても多いことに気づき残念に思う。「きれいな花、でいいじゃん。何も調べなくたって。小うるさいヤツ!」と思う人もいるだろう。ごもっとも。ただ、私がそこに感じるのは、「名前なんてどうだっていいじゃん、たかが花なんだから」という意識で、その「たかが」に私はひっかかってしまうのだ。

私は時折思うのだ。たとえば、埃と排気ガスをかぶりながら瑞々しい緑の葉を繁らせているスズメノカタビラを見た時。今は誰も見向きもしないけれど、世の中から草木の緑という緑が消えうせてしまう一大事が起きたと想像してみる。ふと足元を見たらスズメノカタビラがあったとしよう。その時も今と同じようにどうでもいい草だと思うのだろうか。その緑を非常に貴重なものに思い、その名を知りたいと思わないだろうか。

私が草や木を身近に感じられるところに住みたいと思い続けているのは、彼らとともに生きているということを毎日実感したいからだと思う。寡黙でしたたかで健気で儚い彼らと。

昔から庭などで栽培されている植物の名については、人より多く知っていると思う私ではあるが、どうしても覚えられない・・・一度や二度は調べているのにいざというと名前が頭に浮かんでこない、というものがある。たとえば現在きれいに咲いている金糸梅や春先に見かける黄梅がそれだ。今気づいたが両方とも「梅」の字が使われているのだが、両方とも「梅」を思わせる雰囲気は全くない。だからなのか?毎年気になって調べ、「ああ、そうだった。なんで覚えられないんだ?」と情けなく思う。

植物の名を調べるのは楽しい。インターネットがこれだけ普及していると、昔より調べるのはずっと楽である。キーワードで検索すれば、お目当ての植物が見つかるかもしれないのだ。植物図鑑をめくって当てもなく調べるよりずっと手軽である。

「黄梅」なら「春、黄色、花、低木」で画像検索してみると出てくるだろう。「金糸梅」なら、「5月 6月 開花 黄色 低木」で出てきそうだ。もっと確実なのは植物の「科」を指定する検索で、「金糸梅」なら「オトギリソウ科 低木」で検索すれば一発で候補が出てくる。植物の「科」に見当をつけられるかどうかで検索にかかる手間は大幅に違ってくるかもしれない。つけた「見当」が大外れのこともあるけれど(^^;)

今回この記事を書くに当って、確認の意味もあり「黄梅」を調べてみたら「モクセイ科」だった。キンモクセイやライラック、そしてジャスミンも同じ「モクセイ科」だが、「黄梅」にはほとんど香りがないという。ふーん・・・知っているつもりでも知らないことはやはり多いなぁ。

小うるさいついでに言ってしまうと、花の名前で検索していてヒットしたブログなどを見ていて、あきらかに間違っているものがかなりあるのはいただけない。中には間違えてもいたしかたないかもしれないと思うものもあるが(見分けがつけにくい植物はたくさんあるし)、どう見ても思い込みのみで調べようともしないから間違っているというケースもある。「山田花子」という名前なのに「この人が木村花子さんです」と紹介されたら当人は不愉快だろう。失礼なことである。花だって同じ・・・というのが私の植物に対するスタンスだ。

今日覚えた花の名前・・・写真の花「クラウンベッチ」。草ぶえの丘でたくさん咲いていて、以前誰かに名前を教えてもらったが忘れてしまった。で、「レンゲ 似ている グランドカバー」で検索。忘れないようにしよう・・・と思うが・・・(スタコラサッサ!)

| - | 14:01 | comments(0) | - |
大興奮のジロ・デ・イタリア
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・・・現地映像の動画をスマホで撮っているのでこんな写真(^^;)・・・
 

3週間に及ぶジロ・デ・イタリアが終わった。オンデマンド契約をしているので最初のうちは各ステージをずっと見ていたが途中からレースレポートだけを読むようになってしまった。が、最終局面の19ステージ(全21ステージ)から繰り返して見るほど夢中になってしまった。

途中で気が抜けてしまったのは、応援している選手の調子があまりよくなくて歯がゆいというか・・・本当のサイクルロードレースファンならこんなことはないのだろうが、見ていられないような気持ちになってしまったから。そしてまだ見始めたのは、その選手が調子を戻しドラマティックな逆転劇で総合優勝を果たしたからである。全くもって幼稚な楽しみ方だと自分でも感じている。

応援していたのは、2014年のツール・ド・フランスで圧倒的な強さを見せて優勝したヴィンツェンツォ・ニーバリである。このブログにも何度か書いたことがあるが、去年のニーバリはぱっとしなかった。ブエルタ・デ・エスパーニャでチームカーに長時間つかまっていたことによる失格処分を受け、3大ツールを制覇した選手らしからぬ失態を見せてしまった。

今年はリオのオリンピックに出る予定とのことだが、ニーバリが所属するアスタナというチームにはエース級の選手が多く、ツールは若きエースであるファビオ・アルが出ることになったようだ。ニーバリもツールに出たかったという話もあるが、結局ジロ出場となったらしい。

今回の優勝候補は、去年までニーバリと同じアスタナにいたミケル・ランダ(チーム・スカイ)、コロンビア出身のエステバン・チャベス(オリカ・グリーンエッジ)、36歳のベテランアレハンドロ・バルベルデ、そしてニーバリの4人。しかし、ランダが途中で体調不良でリタイアしてしまい、残り3人に注目が集まった。

ニーバリの持ち味は「メッシーナのサメ」というニックネームからもわかるように、大胆不敵でアグレッシブな攻撃力にある。2014年のツールではそれが遺憾なく発揮され2位以下を圧倒した。しかし、その後それが影を潜めた感があり、もどかしさを感じていたファンも多かったのではないかと思う。私もその1人だ。

今回のジロで彼の持ち味を見られると思いきや、体調が今ひとつなのか勘が冴えないのかどこかもたもたした感じがして正直なところ「こりゃ、無理かな」と思ってしまった。山岳ステージで行われた個人タイムトライアルではメカトラブルに遭ってタイムを失い、「こりゃ、運にも見放されてしまったのか」とも思った。

ところがどっこい、である。ニーバリ自身第3週目に体調のピークを合わせると言っていたらしいが、もうこの後はないとも言える19ステージで彼らしさが炸裂。18ステージ終了時点で4位だったのだが、ステージ優勝をして一気に2位に躍り出た(1位はチャベス)。そして20ステージ、強力なアシストの力を借りながら鋭いアタックでチャベスを振りきり実質上の総合優勝を決めた。

18ステージまで総合リーダージャージ(ピンク色のマリア・ローザ)を守っていたステファン・クルイスウィクが19ステージで落車して遅れるというアクシデントがあったとはいえ、いざという時に実力を発揮できるのはやはり並外れた能力だと思う。実際のレースを見ていないと分かりづらいとは思うが、解説者も言っていたようにジロ史上記録に残るような劇的な逆転劇を演じたニーバリであった。

印象的だったのは、19ステージで優勝した後の姿だ。イタリアで開催される大きな大会は国をあげての熱狂ぶりである。イタリア人選手への注目も半端ではなく、多いに期待されているのに結果を出せないでいたニーバリに対してはマスコミのバッシングがかなり激しかったらしい。コースに詰めかけたファンからも応援だけでなく非難の言葉も聞かれたのではないだろうか。そんな状況を振り切るように勝った喜びはひとしおだったのだろう。ゴール後自転車のハンドルに顔をつけたニーバリの背中が小刻みに震えていた。泣いていたのだ。彼がかかえていたプレッシャーや憤りは想像できないほどであったのだろうと思わせる姿だった。

ニーバリの強さはもちろんのことだが、あらためてアスタナというチームの層の厚さを実感した。最終アシストとしてニーバリを常に支えてきたミケーレ・スカルポーニが素晴らしくて惚れてしまいそう。自身もかつてジロの総合優勝を果たしているのだが、自分がステージ優勝を狙える状況にあってもエースを支え、エースの勝利を心から喜んでいる姿を見ると感動を隠せない。

チャベスという選手にも好感を持った。小柄ながらコロンビアの選手らしく山岳に強く、インタビューの言葉からプロとしての高い意識や謙虚さが感じられた。間違いなく今後が楽しみな選手の1人だろう。ベテランのバルベルデも面白い選手だ。高い山が苦手だとのことで遅れがちになるが、自分のペースで淡々と走りながら結局表彰台に乗れる成績を収める。したたかでどこかとぼけた感じがおもしろい。なによりも36歳という年齢を考えるとやはりすごい選手だと思わざるをえない。

さて、ジロが終わって一段落ついたが、7月に入るとすぐにツールが始まる。この興奮をクールダウンしながら、ゆっくり待つことにしよう。

*半年ぶりで美容院へ。すっきりふわふわ(パーマをかけた)。
*なんなんだ、この気温差は!っていう感じですなぁ。
| - | 20:59 | comments(0) | - |
一年ぶりの「草笛の丘バラ園」
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昨日はRさんのお誘いを受け、ほぼ1年ぶりに佐倉にある草ぶえの丘バラ園に行ってきた。バラから距離を置くようになってからというもの自分から出向くということがなくなっていたが、行けば来てよかったとやはり思うのだった。昨日はお名前だけは前々から知っている方ともお会いでき、二重の喜びがあった。

土曜日、しかも「ローズフェスティバル」開催中とあってそこそこの人出だった。が、人が鬱陶しいというほどではなく、写真を撮るにもほとんど問題はなかった。園内ではアコーディオンの演奏会なども行われており、曇りがちではあったが明るい雰囲気に満ちていた。

佐倉方面では昨日の朝も雨が降ったらしい。雨に打たれてしおれた花が多かったのが少し残念ではあったが、バラに夢中になっていたころをなつかしく思い出しながら園内を歩いた。

思えば「ローズガーデンアルバ」が今の地・草ぶえの丘に移転したころに比べ、当初から植えられていたと思われるバラはかなり立派になった。そのせいでネームプレートがみづらくなりもしたが、ボランティアさんたちが熱心に手入れをされているからこそ今のバラ園があるのだと思う。原種のバラを一度に見られる貴重な場として今後もできれば年に2回は行きたいと思う。

専門的な知識がある人たちが手入れをしていても、弱っているバラ、枯れてしまったバラもあった。数が数だけに目が行き届かないということもあるだろうし、いきものなので仕方ないのかもしれない。行く度に新しく植えられたバラを見つけるが、昨日はちょっと気になるバラを発見してしまった。発見しただけでなく、新苗を作ってもらえるか聞いてしまい、とりあえず注文してしまった(^^;)

もうバラは増やさないと決心し、実際のところわが家のバラは全盛期(?)に比べてかなり減っている。バラを見る機会はあっても、欲しいと思うことはほとんどなくなっていたというのに・・・自分の好みに合い、しかも正体不明のバラに出会うと好奇心がむくむくと・・・全く懲りないヤツである。

売店のYさんに「スロー・デス」の話を聞いた。耳で聞いていても何のことかわからなかったが、「Slow Death」の文字と丁寧な説明を聞けば納得。昨日はカミキリ虫対策についてだったが、バラのかすかな異変を見逃しているうちにバラは徐々に死に向かっているという話だ。身に覚えがある人も多いことだろう。

バラだけを見て暮らせる人は稀だろうから、ある程度は仕方ないことだと思う。きめ細かい観察ができない理由はいろいろあるだろうし。が、バラに限らず植物は手をかければそれに応えてくれることを知っている身としては、少し考え方をあらためないといけないかもしれないと思った次第だ。

*写真はfacebookのアルバムに・・・
*久しぶりに100枚以上撮りましたわー
*それにしても、京成電鉄の冷房のきつさといったら!!病気になりそう(^^;)

| - | 07:59 | comments(0) | - |
ネットトロール
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「ネットトロール」という言葉を最近目にした。いわゆる「荒し」のことらしい。「荒し」といえば昔はネット掲示板などで見かけ、「荒し」をきっかけに「炎上」したりしていたようだが、今は昔よりずっとタチが悪そうだ。

ネット上でのコミュニケーション手段が増えるに従って、どう見ても理不尽な書き込み、悪意あるコメントの数も急激に増加しているのではないかと思う。もはや「書き込み」「コメント」と言うことさえ馬鹿馬鹿しくなるような雑言は、まともな感覚を持つ人たちを不愉快にすることこの上ない。

この「トロール」たちの内部にはサディズム・・・他人に痛みを与えて快感を覚えるという心理が潜んでいると指摘する向きもある。「荒し」や「炎上」の現場が公開されているのを見てみると、なるほどと思わせる。サディズムがサディズムを呼び起こし、相手が立ち直れなくなるまでそれは続く。実に卑怯なやり口ではあるが、ネットという暗闇は彼らの素顔を隠し彼ら自身も自らの醜さに気付くこともない。

私はこのブログをはじめる前に自分の掲示板を持っており、ネット上でのコミュニケーションをかれこれ15年以上続けている。幸いなことに、今まで「荒し」に遭ったことはないが、突然意味不明のコメントがあったり、いきなりぶち切れたコメントを寄せられたりしたことは何度かある。とりあえず一度は真剣に返事をするが、一度書いたらすっきりしたのかそれ以上会話は進まなかった。まあ、その程度のことなので未だに続けていられるのだが、「荒し」に遭ってしまったためネットから遠ざかった人の話も何度か耳にしている。

せっかく続けていたブログをトロールごときのために止めてしまうのはもったいないと思うが、言葉の暴力に曝されるということはそれほど衝撃的なことなのだろう。運が悪かったとも言えるが、それと同時にこの邪悪ともいえる行為の根にある邪悪さは存外誰にでもあるのではないか、と性悪説をとる私は考える。

あまり快く思っていない人が自ら苦境に陥っている様を見た時、心の中でそっと「ざまみろ!」と呟いたりしたことはないだろうか。誰でもそういう面はありそうに思う。むしろ、「私は精練潔白で邪悪なところなど全くない」と明言する人がいるとするなら、私はそういう人の方が信用できぬ。

トロールにならない人たちは、自分の邪悪さを心の奥底にきちんとしまいこんでいるのではないだろうか。意識しているにしろしていないにしろ、人間社会に生きる者としての道徳観や倫理観を働かせているのではないだろうか。時には自分の邪悪さに気付いて自己嫌悪に陥ったりしながら、時には当たり障りのない場で邪悪さを少し解放してガス抜きをしながら。

言うまでもなく、トロールに対抗する一番の方法は「無視」だろう。彼らは苦しむ様子が見たいのである。苦しさゆえの言葉を彼らは待っており、さらに苦しめるための準備もしているのである。彼らにとって一番怖いのは無反応であることは明らかだろう。さっさと発言を削除してしまうか、返事を全くしないこと。それが一番いいと思う。

全く関係ないが、「トロール」と聞いてすぐ「三びきのやぎのがらがらどん」を思い起こした。息子と一緒に読んだ(見た)絵本で、北欧の民話に基づいた話だ。小さいヤギ、中くらいのヤギ、大きいヤギが力を合わせて橋の下にひそむ「トロル」をやっつけ、美味しい草がある山に登っていく。「トロル」(「トロール」)は北欧の国々の伝承に出てくる妖精とのことだが、国によって描かれ方が違うようだ。当初は悪意に満ちた毛むくじゃらの巨人として描かれていたらしく、「がらがらどん」の「トロル」もそんな感じ。

なつかしくなって本棚を探し引っ張り出してきた。訳文も絵もよく、世代を超えて愛される絵本であることが頷ける。

チョキン、パチン、ストン。はなしは、おしまい。

| - | 05:53 | comments(0) | - |
怒れる母親たち
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・・・リビングの照明。ベトナム風帽子をかぶり頬をふくらませている人に見える(^^;)・・・
 

雨模様のベランダで、ようやく朝顔の種まきをした。ここ2年ほど蒔いている白い朝顔に加えて、今年はいただいた変化朝顔の種を持っていたので早く蒔かねばと焦っていたのだがやっと。ちゃんと芽が出てきれいに咲きますように・・・

ベランダで作業していた時、またまた聞えてきた。隣のママの怒り声が。どう考えても非常識だった一家が引っ越した後にやってきた一家は夫婦に男の子2人。小学校低学年と幼稚園くらいのわんぱく盛りである。きちんと挨拶に来られたし、顔を合わせれば明るく挨拶を交わすのでさほど不快には思っていないが、時折聞えてくる子どもを怒る声がすさまじくてびっくりすることが多い。

男の子は女の子より予想外の行動をすることが多く、遊び方もダイナミックになりがちだ。しかも年齢が近い2人となると大変だろうなと思う。集合住宅の場合、飛んだり跳ねたりする音が問題になりがちだし、性格にもよるが利かん気の強い子だとどうしても母親は子どもを叱ることが多くなるのもわかる。

しかし、何度かそれを聞いていると「叱っている」というより「怒っている」ように聞える。同じことを何度も繰り返し延々と怒声をあげているのを聞いていると、かなりストレスがたまっているのではないかと想像する。

子どもを叱りながら外階段をのぼってくることもあり、仕事部屋にいる私は聞きたくなくても聞えてしまう。いつも非常に感情的な叱り方なのがちょっと気になる。他所の家のことだからどうでもいいといえばどうでもいいのだが、聞いている方の血圧まで上がってしまいそうな勢いである。

隣家のママだけでなく、時々外出時に似たような叱り方をするママを見かけ、感情むきだしの叱り方に驚くこともある。「叱る」は相手のため。「怒る」は自分のため。という話もあるようだが、そんな時のママはあきらかに自分のストレスを発散させるために怒っているように見える。もちろんご自身はそんなこと意識していないだろう。しかし、延々と子どもを責め続けるようなやり方は果たして子どものためになっているのだろうかと思ってしまう。

私とて感情に任せて息子を怒鳴ったことはある。いけない、いけないと思いつつひとつの怒りをきっかけとしてそれまで抑えていた怒りが連鎖して現れるのだ。私はしつこくされるのも、しつこくするのも嫌いなので長々とではないけれど。そして、そんな時は必ず後味が悪く自分がいやになったものだ。

最近どこかで「子どもは親が思うようには育たないが、親のように育つ」という言葉を見かけてなるほどと思った。突然ヒステリックに叫ぶ子どもに驚くことがあるが、その子どもを叱る親もまたヒステリックであることが多いし、良くも悪くも子どもは親をよく見ていて似たようなことをすると日ごろから感じてきた。子どもの性格は多様なので、どのような叱り方がいいかは一概に言えないが子どものために叱るのであれば親はやはり冷静でないといけないと思う。

隣のママのエネルギッシュな怒り声にも少し慣れてきて、家人と「やれやれ、また始まったよ」と言うくらいだからさほど迷惑しているわけではない。しかし隣家にそのように思われているって・・・ま、いいか!

| - | 17:24 | comments(0) | - |
ネコにまつわるあれこれ。
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以前クラウドファンディングのサポーターになったこともある「ネコリパブリック」が、今度はビルまるごと1棟を「ネコビル」にするというプロジェクトを立ち上げた。大阪心斎橋には以前から店があったが、別の場所のビルを買い取り「ビルが丸ごと保護ネコのための空間」を作ろうというもの。今回もクラウドファンディングでサポーターを募集し、目標金額の1000万円は軽く達成、5階と屋上の改装を可能にするストレッチゴール1800万円もギリギリではあるが達成した。集まった金額は18,496,170円。サポーター数1,430人である。

今や「ネコカフェ」は珍しくもないが、「ネコリパブリック」は保護されたネコたちだけのカフェで、しかも『自走型』(営業的に成り立つということかと)である。保護されたネコたちだけなので、子猫は基本的にいないし、お高い純血種のネコもほとんどいないと思われる。どこにでもいる、かつては「野良猫」と呼ばれ苦労していたネコたちばかりだ。希望すれば審査を経て里親にもなれる。

数ある「ネコカフェ」でも際立つ存在だと思うが、それを支えているのは「2022年までにネコの殺処分0をめざす」という信念と、それに共鳴する多くのネコ好きたちと、そして企画の上手さにあると思う。クラウドファンディングという手法を選んだのも大当たりなのではないだろうか。ネコ好きたちはみなネコの殺処分をどうにかしたいという気持ちを持っている。その気持ちを「サポーターになる」ことで具体的な行動に移せる・・・機会を提示しながら目標を達成する手法を選んだことが成功の要因のひとつだと思う。

プロジェクトの進行状況もきめ細かく報告され、以前サポーターになった私にもDMが来ていた。多くのボランティアがその任に当ったのではないかと思う。サポーターの特典(金額に応じて選べるモノやサービス)の選び方もネコ好きゴコロをくすぐる。

大阪に行くことがあったら、ぜひ行ってみたい・・・そう思っているところだ。

毎日ではないが、時々チェックしていたネコブログに「アメショっす!」がある。タイトル通りアメリカンショートヘアの「銀」くんと雑種の「らむ」ちゃんの2匹の姿を追ったブログでファンも多い。性格が全く違う2匹の行動がおもしろく、伝え方も上手いので読んでいて楽しくなるブログだ。

先日久しぶりに見に行ってみたら、銀くんの写真がない。あれれ?と過去を遡ると3月13日に亡くなっていたことが判明。熱心な読者がいるブログなので翌日の報告記事には1000件のコメントが寄せられていた。前日までいつもどおり元気だったらしいのだが、飼い主の方が気づいた時にはすでに息はなかったという。獣医によると急性心筋梗塞か脳梗塞なのではないかとのことだったらしい。

これはきついだろうなぁ、と思う。大切な存在である猫が死ぬのはいつでもつらいが、知らない間にというのがきつい。わが家のゴンの場合は具合が悪くなって約2週間で旅立ち、しかも最期を看取ることができた。虫の息になりながら私が起きるのを待っていたかのような最期だったが、看取れたことは救いにもなる。銀くんは2005年7月生まれということだから11歳になる前に旅立ってしまった。人間でもいつ何がわるかわからないけれど、実際にそのような状況に直面するのはたいそうつらいことだと思う。残ったらむちゃんが銀くんの分まで飼い主孝行(元気で長生き)してくれることを祈っている。

さて、最後にわが家の猫たちのこと。先日ゴンに降臨してもらい(^^;)新入りの紹介をしてもらったが、やはり飼い主として書いておかねばー

新入りの「だいすけ(大介)」がわが家に来て、かれこれ1ヶ月半になる。当初はやはりビクビクおびえておりケージから出しても部屋の奥にひそんでいることが多かった。が、5月に入って自分からリビングの出入り口まで来てくつろぐようになり、今はふくと追いかけっこをしたり取っ組み合いをしたり、リビングの椅子の上で寝たり、とだいぶ落ち着いてきた。

「だいすけ」は保護猫の里親探し活動をしているYさんのところから引き取った。ペット用品をいつも買っている店先の貼り紙に茶白猫がいたので連絡をとってみるとすでに里親が決まったという。が、知り合いに茶白猫を保護している人がいるということでYさんを紹介してもらった。電話しておおまかな話をし、後日家人と会いに行った。

車で20分くらいのところにあるYさん宅は猫だらけ!少し前まで犬もいたそうだ。「ねこのようちえん」として飼い猫を預かったり留守宅で猫の世話をするペットシッターとしての活動もされているようだ。同じ活動をしている人たちとのネットワークも広いらしく、常に情報交換をしているのではないかと思われる。

一戸建ての1階に通してもらったが、いやはやケージだらけ。ケージとケージのすき間を人間が通るといった感じだ。ケージから出て棚の上などで自由にくつろいでいる猫たちもいたが、彼らは古参なのかもしれない。何匹くらいいるんですか?と聞くと、2階を合わせて80匹以上いるようでびっくり!個人が面倒を見る限界を超えているのではとも思ったが、手伝う人がいるのかもしれない。

「だいすけ」の他にも茶白がもう1匹いたが、兄弟で保護されたとのこと。そういう場合2匹一緒に引き取った方がいいのは私もわかっていたし、Yさんも同じ考えのようだ。「だいすけ」は保護されたばかりで生後10ヶ月ほど。各種検査を終え、近いうちに去勢手術をすることになっていた。

受け入れるこちらにも準備(ケージの用意など)が必要なので、1週間くらい経ってから連れてきてもらった。「シッポが長くてかわいい顔をしている」とほめられて里子に出された「だいすけ」は元気な様子だがガリガリに痩せており、保護されるまでけっこうつらい生活をしていたのではないかと思われた。

食べ物にも苦労していたのだろう。ビクビクしながらも食べることだけについてはがむしゃらだった。それは今でも同じで、食べ物に対する執着がとても強く食べるのも早い。強気で通っている「ふく」のごはんも横取りする勢いである。

自分から寄ってくるまで少し離れて様子を見守ろうと思っていたが、案外早く慣れてきた。10ヶ月まで野良猫であったということは、警戒心もかなり強いと思われた。今でも近くを人が通ると驚いてさっと逃げるが、すぐに戻ってくる。寝ている時などは頭をもたげて眠そうにこちらを見るが、そのまま寝続けていることが多くなった。

同じ野良猫出身である「まめこ」は「だいすけ」よりずっと小さいころに保護したのだが、未だに警戒心バリバリである。私や家人に対してはそうでもないのだが、息子が来たらさっと逃げて出てこない。お客様などには顔もみせない。メス猫はオス猫より野生を残し警戒心が強いこと、もって生まれた性格、などによるのだろう。

茶色の毛色を持つオス猫は、やさしい性格が多いという。なんでも茶色の遺伝子はX遺伝子でそれが影響しているという話もある。知り合いの家の猫を見ても茶トラ、茶白のオス猫はみなフレンドリーでおおらかだ。人懐っこい子が多く鬱陶しいくらいという話もちらほら(^^;)

「だいすけ」も来月で1歳。まだまだ子どもで慣れてくるに従って大胆な行動をとるようになった。身軽なので「ふく」が行かないところにも登ったりするし、階段を駆け降りたり登ったりするスピードがすごい。夜遅くそれをやられるのが私の悩みのタネになっているが、「ふく」と隔離すると走り回らないので時々隣の部屋に夜だけ閉じこめられている(「ふく」は閉じこめても自分でドアを開けてしまう。案外賢い)。

「だいすけ」を見ていると、ゴンに似たところを発見する。毛色が似ているので当然なのだが、くつろいでいる時の様子などはけっこう似ているのだ。その反面、全く違うところも発見し、ゴンをなつかしく、愛おしく思い出す。違う猫なのだからあたりまえのこと。「だいすけ」は彼らしくのびのびと育ってくれればいいと思っているところだ。

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オモチャが大好き。遊び方はなかなか男らしい(^^;)

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気鬱の日々
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・・・テンジクネズミ(「モルモット」の方が有名?)。 抱いてくればよかった・・・
 

今更五月病でもないのだが、どうも最近気分がすっきりしない・・・というか何事につけ沈みがちである。PHOTO WEEKの最中にもあれこれ気になるニュースがあったのだが、それについて書こうと思ってもなかなか気持ちが乗らない。気力不足!それにつきる。

気鬱の原因は多々あり、ごく個人的なこともあれば身の回り、社会で起きていることもいくつかある。このようなことは誰にでもあることで、誰でもが気分の浮き沈みを感じながら生きているのだと思う。病気ではないからそのうちなんとか・・・とは思うが、できるなら早く抜け出したいものである。

そんな中、少し気力を出して(出し惜しみ?)書いてみようか。前々から気になっていたことなどを。

まず、「報道の自由度ランキング」というものがあるのをご存知だろうか。国際NGO・国境なき記者団が毎年まとめているもので、日本は対象である180カ国の中で72位。昨年は61位。一昨年は59位である。年々、日本の報道の自由度は低くなっているのは一目瞭然だ。

結果を見るまでもなく、私は年々マスコミが流す情報に不信感を募らせている。マスコミを縛る様々な法律、政策があるのも承知しているし、マスコミだけが悪いとも思っていない。今や一般的に流される情報は、政府にとって都合がいいことか、どうでもいいことがほとんどだ、と言うと言いすぎだろうか。それを諾々として受け入れている国民にももちろん非はある。不満ばかり言って動こうとしない私たち大衆にも非はあると思う。

そう思ってきたから、自分ができる範囲で自分の意見を公開してきたし、立場を明らかにしてきた。しかし、それだけではだめだということはわかっている。もっと動かなくてはと思いつつ、私事に振り回され、自分自身に言い訳をし・・・の繰り返しが情けない。

その情けなさに加えて、誰がどう動いてもこの国は(国民は)変わらないのではないかという虚しさが否定しても否定しても浮き上がってくる。諦めてはだめだと思うが、いささか疲れてきたのもまた事実だ。疲れに負けないようにしなくてはと思う。

ちょっと憂さ晴らしに一言言ってしまおうか。東京オリンピックなぞやめてしまえー!!(^^;) ケチがつきすぎているというのにまた賄賂疑惑である。しかも外国から指摘されてはじめて明らかになったのである。オリンピックは聖なるものでも何でもないし、ロスアンゼルス大会あたりから商業主義が当たり前のようになっているが、あからさまにバレてしまってはね。潔く辞退して、オリンピック準備に費やす予定の人材を東北や熊本の復興に回してもらいたいものだ。

ここ数日真夏並の気温になっていることも気鬱の原因のひとつかもしれない。今年はめでたくエアコンを新調したので(やったね!)試運転を予て少し使ってみようかな。おっと、朝顔の種まきも遅れているので早くやらなくちゃ!

| - | 14:36 | comments(0) | - |
野毛山動物園
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・・・今年で65周年。私より先輩だわぁ・・・
 

先週、久しぶりに横浜市中央図書館に行ってきた。以前予約した本の順番が回ってきたという通知をもらったからである。そのようなことがなくても度々行きたいのではあるが、習慣的に行くにはちょっと遠い。横浜市には図書館が非常に少なく、何かと派手になりがちなイメージづくりの裏には文化的なレベルの低さがほのみえるように思っている。

図書館に行ったついでに、近くにある野毛山動物園に行ってみた。この動物園は横浜市内にある3つの動物園(野毛山、ズーラシア、金沢)の中でも一番古く、無料で入れる貴重な動物園だ。前に行ったのはいつごろかと思い出してみたのだが・・・息子がまだ小学校にあがる前に連れて行った記憶はある。キリンに触りたくて父親に肩車をしてもらっている姿がかわいかった。すると20年以上行っていないのか?と、思ったが、家人と一度行っていることを思い出した。

まだズーラシアができる前で動物の数も今より多かったように思う。ズーラシアは今年で13年ということなので少なくとも13年以上は行っていないというのが正確なところだろう。そして年月は流れていてもこじんまりとしているが気軽に、ゆっくり楽しめる野毛山動物園の良さをあらためて実感した。

息子と行ったときに見た象(はま子さん)も、家人と行った時にいたフタコブラクダ(ツガルさん)ももはやいない。スター的な存在を欠くが、3月にサンシャイン水族館から譲り受けたというミナミコアリクイのアサヒちゃんが人気者になりそうだ。行った時は残念ながら寝ていたが、サンシャインで見た時は両手を広げるような動作がかわいかったっけ。

こじんまりと、と書いたがさほど狭いわけではない。ゆっくり見て歩けば1時間はあっという間に過ぎてしまいそうだ。平日でも子ども連れやカップルなどほどほどの人出もあり、寂れた感じがないのもよかった。ズーラシアが出来た時、野毛山動物園からも多くの動物たちが引っ越して行ったと記憶する。レッサーパンダも昔はたくさんいたのだが、先日見たのは1匹のみ。しかも下半身の毛が抜けておりちょっと痛々しい姿だった。元気はよさそうだったので大事に至るものではないと思うのだが。その他印象に残った動物はというと・・・

ライオンの顔が優しいのにはちょっと驚いた。ズーラシアで生まれたラージャー(♂)で、立派なたてがみの堂々たる姿である。しかし、目が優しい。裏側(屋内)にも回れるので入ってみると、生まれてからの様々なエピソードが写真とともに紹介されていた。くいしんぼうでおっちょこちょいで、そして幼い時から飼育員に育てられたので人間が好きらしい。優しい顔つきのライオンというとちょっと悲しいような気もするが、動物園で生まれ動物園で生涯を終えるのであれば、それもまたいいのではないかと思った。

チンパンジーの1匹が隅の方に座り自分の手をじっと見たまま動かない姿も印象的だった。手がゴツゴツしていて病気かとも思ったのだが、とにかくじっとして自分の手をひたすら眺めていた。人間の気持ちを動物に投影するのはあまり好きではないのだが、やはりどこかやりきれない思いがわいてきた。

小さいが爬虫類館もあるし、鳥も見ていておもしろい。カグーという鳥の動きがなかなかよかったし、ちょこちょこ飛び跳ねながら餌を食べるコンドルもなんだか愛嬌があった。

地元に対する愛着というものをほとんど持たない私ではあるが、野毛山動物園は横浜市の大切な財産だと思う。これからも多くの人に愛される動物園であることを祈りたい気持ちだ。

*「木と草と花と・・・」、更新。
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狂騒の若冲展
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明日までで終わる「若冲展」が信じがたいほど混雑しているようだ。ギリギリまで迷っていたが、今回は行かないことに決めた。「240分待ち」「320分待ち」のニュースが流れたら、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。長時間並んで見るだけの価値がないということではない。それだけ並ぶなら会場も芋洗い状態であろう。満足できる鑑賞など期待できないのがわかっていて並ぶのが馬鹿馬鹿しいのである。

もともと並ぶことが嫌いなせいもあるが、4時間、6時間並ぶなどなど信じがたい。並ぶだけで疲労困ぱいしてしまうのはわかりきっているし、そのような状態で若冲をきちんと鑑賞できるとは思えない。若冲を見たくて遠くから来た人は並ぶほかないのかもしれないが、ご苦労様なことだと思う。

若冲だけでなく、超有名な作品が来日すると似たような状態になる。人気があるのは悪いことではないが、ここまでくると展覧会の運営そのものに疑問を感じてしまう。今回は会期も約1ヶ月と短く鑑賞希望者が凝縮されたのかもしれないが、近年とくに人気があることはわかりきっているのだからもっと柔軟な運営の仕方があってもいいのではないか。たとえば、ゆっくり見たい人だけの日を設定し予約制にするとか。映画のように入れ替え制にして会場に入れる人数を限定すればストレスはかなり少なくなる。確か金曜日は午後8時まで入れるようだが、もっと遅い時間帯まで延長してもいいと思う。整理券を発行すればいいという意見もネットで見かけたがそれもいいだろう。

ある程度混雑している展覧会に行くと、当たり前だがいろいろな人たちが来ていて面白くもあり、鬱陶しくもある。よく見かけるのは、グループで来ている中高年。女性の方が多いが、バカに偉そうな男性がリーダーとなって女性たちに解説しているのも見かける。子ども連れもけっこういるし、納得いくまで作品の前から動かない孤高の?高齢者もいる。

鑑賞の仕方はいろいろあっていいとは思うが、作品を観にきたのかおしゃべりしにきたのかわからない人たちを見かけると正直言って苛立つ。自分のことしか考えていないので、一つの作品を見終わるといきなり方向転換するので私は何度も足を踏まれている(私は列に並ばず後方から観ていることが多い)。

私は本当に観たいと思ったら、ある程度時間がかかってもできるだけ観に行くようにしている。都内にもいい企画展がたくさんあるのだが、テレビや新聞で話題にならないと人はあまり来ない。おかげでゆっくり観られるわけだが、「320分待ち」とのギャップを思うと少々淋しい。まだまだ「話題になっているから一度は見ておこう」という人が多いということだろう。

本物を観るのはあきらめたので、三の丸尚蔵館で買ってきた「動植綵絵」の図録を見て我慢することにした。これは10年前に開催された「動植綵絵〜若冲、描写の妙技」として開催された時のもので、私はその時あたりから若冲に興味を持ち続けている。本物と印刷物では格段の違いはあるが、大混雑に揉まれながら観るよりはいいかなぁ・・・

| - | 10:26 | comments(2) | - |
22日は猫に語らせる日・・・5月担当:ふく
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みんな、おはよう。ふくだよ。ふくちゃんだよ。お待たせ!

ふくは、らいげつで1さいになるもんね。もう、おとなのなかまいりだもんね。でも、こないだ「ぺっとくりにっく」というところにつれていかれて、しらないうちにおなかをさかれてしまった。おなかに「ちゃっく」みたいなきずあとができたよ。ねているあいだだったからいたくなかったけど、そのあとつけられた「えりざべすからー」っていのが、すごーくうざかったもんね。

だって、あれをつけていると、ごはんがたべにくいし、いつもとおれるところがとおれなくなるもんね。かいだんをのぼるときも、ひっかかってはやくのぼれないもんね。でも、ふくはそんなことでめげないもんねーだ。「えりざべすからー」をつけたまま、いつものいきおいではしったりたべたりしていたよ。それをみていたすみごんたちはおおわらいしながら、「ふくちゃん、ぜんぜんきにしないね。おおものかも。」っていってたよ。「おおもの」ってなに?えらいっていうこと?それなら、あたりまえだもんね!

そうそう。ふくには「こぶん」ができたよ。「だいすけ」っていうんだよ。すみごんたちやみかんは「だいちゃん」ってよんでいて、くろいおばちゃんは「しんいり」ってよんでる。でも、「こぶん」なのでふくは「だいすけ」ってよびすてしているもんね。あたりまえだもんね!

「だいすけ」は、こないだまで「のらねこ」だったらしいよ。だから、ちょっとしたことでビビるよ。でも、もうずいぶんなれてきて、すみごんにべたべたしているよ。ふくよりやせていて、かおもちいさいからよわっちいやつだとおもっていたら、ごはんのときはちがうよ。ふくよりたべるのがはやくて、ふくのごはんもとろうとするよ。「おやぶん」にたいしてすごくしつれいだもんね。でも、ふくはえらいから、わけてあげているもんねー

ふくには、「じまん」できることがいっぱいあるけど、きょうはえらんで「じまん」するもんね。ふくは、「すききらい」がないもんね。「よーぐると」だってたべるもんね。どんな「かりかり」でももんくいわずたべるし、「なまにく」なんてだいすきだもんね。だから、ふくのとどくところにおいてあると、「らっぷ」をやぶいてたべちゃうもんね。ついでに「なまにく」がはいっている「とれい」もこなごなにくいちぎっちゃうもんね。

あと、ふくは「とってこいあそび」ができるよ。「ぽんぽん」をすみごんがなげると、はしっていってそれをとってきてすみごんのまえにおとすもんね。またなげてもらって、またとってくるもんね。くろいおばちゃんが「それって、いぬのやることだよ。けっ!」っていったけど、ふくはきにしないもんね。だって、おもしろいもんねーだ。

もうひとつの「じまん」は、「といれ」だもんね。ふくは、うんちをするときすなのうえじゃなく、「といれ」のふちにのって、おしりだけすなのうえにだしてやるもんね。すみごんが「ふくちゃん、にんげんのといれもつかえそうだね」っていうけど、たぶんつかえるもんね。みんなは、ふくのこと「あらっぽいざつなやつ」だとおもっているかもしれないけど、そうじゃないもんね。ふくは「きよう」で「せいけつ」なねこなんだもんねーだ。

らいげつは、「こぶん」の「だいすけ」のばんだよ。しんいりのくせに、もう「ぶろぐ」をかけるなんてなまいきだとおもうけど、ふくとおないどしなのでゆるしてやるもんね。きたときは「がりがり」だったけど、このごろすこしふとったよ。しっぽがすごくながくて、「ふくちゃんの2ばいはあるね」とほめられているのがちょっとくやしいもんね。ふくのしっぽはみじかいけど、そのぶん「ぶっとい」もんねー!「ほそくながく」より「ふとくみじかく」のほうがかっこいいんだもんね! じゃ、ばいばい。

<ついしん>
うえのしゃしんにうつっている「ぼーる」は、いぬのおもちゃだもんね。でも、おっさんが「おしおきぼーる」ってよんでいるよ。わるいことをしたときになげつける「どうぐ」らしいよ。でも、「ごむ」でできているからあたってもいたくないし、ころがるからおもしろくて、ふくはおもちゃにしているよ。ふくに「おしおき」なんてしようとおもっても、むだだもんねー!

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「だいすけ」ともちゃんとあそんでやっているもんね。てかげんしてやっているもんね。

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すみごんがともだちからもらってきたもんね。ふくとにているけど、くろいもようのばしょがちがうもんね。こんど、すみごんが「てなおし」して、ふくににているようにするっていってたもんね。

| - | 07:49 | comments(6) | - |
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