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日々の内側
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白い椿
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まだまだ花の少ない季節、白い椿「雪舟」が二番目の花を咲かせている。

これは、以前咲季山草軒にお邪魔した時、“白い椿が欲しい”と呟いたのを覚えていてくださって、わが家にやってきたもの。筒咲き小輪、そして白。私の好みにジャストフィットした椿である。

白い花が一番好きだが、椿に関しては赤い花も捨てがたいと思っている。しかし、私が言う「赤い椿」はヤブツバキに限定されるといってもいいだろう。濃い照葉の中で咲く一重の赤い花。いかにも椿らしい椿、というより椿の原点を見るようでいいなぁと思う。

「雪舟」は、松江のヤブツバキから採集された種から生まれたものらしい。赤い椿から白い椿が生まれる不思議を感じつつ、この清楚な花を毎日見ている。花容はふんわりと丸みがあり、白もどこかぬくもりを感じさせる白だ。島根県出身の絵師・雪舟にちなんで名付けられたというが、名前にぴったり合った花である。

今は若い苗の状態で、直径5〜6ミリの枝が1本まっすぐに伸びているだけ。椿の盆栽というものもあるが、盆栽仕立てにせずある程度大きく育ててもいいかなと思っているところだ。少しずつ鉢増ししていけば、数年後には一枝切って飾れるくらいにはなるだろう。

私は時折、もし自分の庭というものを持ったなら、と空想する。それは夢といってもいいが、かなう可能性は低いだろう。しかし、空想の中であれこれ想像し、植えたい木々や草を考えるのは楽しい。それはたぶん、落葉樹中心の庭になるであろう。ヤマザクラも欲しい。白梅もいいな。薔薇はごく少し、原種の一重の薔薇がいい。そして、白い椿。

| - | 14:52 | comments(0) | - |
食事のスタイル
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今朝、朝食のパンをかじりながらふと思った。わが家の食事スタイルはずいぶんと自由気ままだなぁ、と。

わが家といっても大人2人だけだ。しかも、すでに老境に入ったといっていいかもしれない年齢の2人。しかもしかも、忙しく共働きしているわけではなく、特に忙しい時をのぞけば2人ともほぼ1日中家にいる。

こういう家庭の場合、たいては主婦と呼ばれる女性が食事の支度をするのではないか。買物も従って主婦主導で、冷蔵庫の中など食料品の管理も同様だろう。

しかしわが家では、基本的にそれぞれがそれぞれの食べるものを作る(作るというほどでもないが)。そう決めたわけではなく、自然とそうなった。朝食はたまに私が用意することはあるが、昼食に至ってはほとんどが好き勝手な状態である。中途半端に残ったご飯で家人がチャーハンなどを作った時には2人で食べるし、私が自分用に作ったものを食べきれない時には、残りを食べてもらったりもする。

家人はいろいろな持病持ちでしかも胃を全摘しているので食事にはある程度気を使わないといけない。体調も日々違うので、自分の体質や体調に合わせた食事は自分で作るのがごく自然なのだと思う。子供のころから食事の支度をしてきたので、なまじ口に合わないものを食べるくらいなら自分で作った方がいいと思っているのかもしれない(私が作ったものもたいていきちんと食べてくれるが)。

夜は夜で、食事らしい食事を2人ともしない。それぞれ好きな酒を飲みながら適当に何かをつまむ。冬場は家人の出番が多く、おでんや鍋の用意をしてくれる。出かける事が多い私は、時々弁当を買ってきたり、つまみになるものを買ってくる。それを2人で食べる。外食も一般的な家庭よりは多いと思う。

私は料理が特別嫌いなわけではないし、食材に興味がないわけではない。が、なんとなくなりゆきでこういうスタイルになってしまったので、けっこうズボラを決め込み、普通の主婦に比べたらずいぶんとラクチンな思いをしているに違いない。

家族のあり方も食事のスタイルもこれがいいというものはないと思う。自分たちが自然に受け入れられるかたちならこれでいいのではないか。と、思いたい私であーる。

| - | 17:27 | comments(0) | - |
「忘れたふり」
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東日本大震災から5年という歳月が流れつつある。そんな中、高浜原発4号機が再稼働をはじめた。

福島で何が起きたのか、なぜ起きたのか、誰の責任か、その後なにを国はやってきたのか・・・そのような検証も曖昧なまま。はではでしいイルミネーションを見るにつけ、当初意識的に行われていた節電も今や忘れられているとしか思えない。東電は相変わらず営業を続け、私はそこから電気を買って暮らしている。

もう5年なのか。まだ5年なのか。それは人によって受け止め方が違うだろう。しかし、この5年の間に事故当時の鮮やかな記憶は確実に薄れ、私たちはあの時感じた理不尽さや怒りを忘れかけている。自らを省みてもそう思える。

しかしそれは、本当に忘れかけているのだろうか。それとも忘れかけているふりをしているのだろうか。

毎日新聞2月26日夕刊の特集で辺見庸さんが取り上げられており興味深く読んだ。東日本大震災からまもなく5年という節目をむかえるに当っての意見であり、日本の国民性に言及している。

辺見さんの感覚では、東日本大震災は戦争経験に近い、という。なんとなくわかるような気がする。私も何度か書いてきたように、あの災害は自然災害であると同時に人災であり、人災の方が人々の未来をも大きく変えそうな予感がしている。自然災害からの復興より、人災からの復興の方がはるかに難しいような気がしている。

その上で、辺見さんは現政府について、戦時と似ている空気をうまく利用しているといい、その例として政権が憲法九条の改正よりも先に憲法に「緊急時代条項」を新設する必要があると主張していることをあげている。「緊急時代条項」を調べてみると、「戦争や大災害などが起きた時、首相に権限を集中させる条項」のようだ(こんな暢気な書き方をしていて情けない)。「国民の安全を守るため」という手あかのついた大義名分の元、首相が「緊急事態」と判断したら国民は国や公共施設の支持に従う義務を負うことになる。

ここまでくると、さすがの私も危険だと思わざるをえない。かつての戦争で国民が追わされた義務が即時にイメージされ、危ないことこの上ないと感じる。しかしその一方で、日本の国民はそういった政権の思惑にすんなり従ってしまいそうにも思われ、なんだかやりきれなくもなる。

というのも、私はこの5年、日本人の国民性についてイヤでも考えさせらえることが多く、希望をなかなか持てずにきたからだ。とくに日本人の「忘れっぽさ」には驚きを隠せない時もあり、これでは同じことをまた繰り返すのではないかとの不安が常にある。

辺見さんは言う。「みんなで『花は咲く』を歌って、なんとなくまとまる気持ち悪さ。」「原発事故の責任をあやふやにしたまま、『花は咲く』で覆い隠すかのように原発も武器も輸出する。3.11の時に予感した以上のことが、5年後にはっきり起きている。予感以上の速度で。

『花は咲く』はいい曲だと思う。震災で傷ついた人たちの心を癒す歌なのかもしれないとも思う。しかし、この歌を歌って、「なんとなくまとまる」気持ちになり、それで済ませているとしたらこれはおかしい。こういった歌が登場し、歌い継がれていくとしたら、なぜそうなったのか=事故の記憶と責任について常に覚えていなくてはいけないと思う。

辺見さんはさらに手厳しく指摘する。

「(日本人は)忘れたふりをして昔を残しておく。そのそぶりに非常にたけている。過去の過ちも責任もあいまいにして、忘れたふりをするには、鉛のような無神経さが必要。それが日本人の意識の底にはずっとあると思う。

日本人が本当に「鉛のような無神経さ」を持っているのか、今の私には言及できない。しかし、本当に「忘れる」ことと「忘れたふり」をすることを単純に比較すれば、「ふり」をしている方があくどい。汚いものにはフタをして、きれいなものだけを愛でて、聞きたくない意見には耳を閉じ、気分よくしてくれる意見は歓迎し・・・もしそうだとすれば、やはり同じようなことは起きるだろう。同じ轍を踏むことを繰り返すなら、神経が鈍い、無神経だと言われても仕方ないだろう。

| - | 12:28 | comments(0) | - |
病院通いも一段落
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・・・まだ北海道の写真で失礼!美術館出入り口にあった小さな除雪車?・・・
 

先月書いた通り、今月は「通院月間」。3ヶ所の病院に計8回通ったことになるが、今日はその最終日だった。結果的にはたいしたことにならず一安心しているところだが、この2ヶ月弱は私にとって肉体的にも精神的にもけっこうつらいものがある日々だった。

救急車で運ばれるという突発的な出来事からはじまったので、今思えば仕方なかったとしか言いようのないことが多い。が、経験から学べたこともあったのでこれでよしとしたい。覚書として残しておきたいので、前に書いたこととやや重複するが1月7日からのことをざっとまとめてみたい。尾篭な事柄も出てくるのでご注意されたい。

■1月7日未明

寝ていて腹痛を感じて起きる。トイレに行くが周期的に痛みがあるだけで便通はなし。寒い時期だし薄着なので少し落ち着いたところで蒲団に戻る。以後これを数回繰り返す。依然として便通はないが痛みがどんどん強くなり絶えがたくなってくる。ふと「救急車」という言葉が頭に浮かぶが、これくらいのことで呼ぶのもいかがなものかという考えもあってさらに様子を見る。痛みはさらに強くなり、呼吸が乱れて汗びっしょりになる。眩暈もしてきて脚に力が入らず動きづらくなってくる。覚悟を決めて階段を這うようにして上り(トイレは階下、寝室は階上のため)、家人に救急車を呼んでくれと頼む。しばらく様子を見て家人が救急車を呼び、5〜10分後に来る(痛くて時間的な感覚なし)。歩けないので担架のようなものに乗せられ救急車へ。K病院に運ばれる。

私がかなり痛がっているからなのか、CTを撮る。呼ばれて診察室に入ると「便秘ですね!」と言われる。なるほどCTを見ると便秘状態である。浣腸をしますかと聞かれたのでしてもらうことにするが、次に呼ばれるまで待っている間にトイレに行くと下痢。念のため浣腸もしてもらうが、やはり下痢。薬(便秘用)を処方されて帰宅。

■1月8日

前日帰宅後、下血。朝まで続いているので心配になり、車で再度病院へ。血液検査をし、内視鏡検査の予約をとるよう言われる。前日のCTで卵巣に「できもの」があると指摘されたので婦人科の予約もとるように言われる。29日の再診予約。内視鏡検査の予約は2月15日。婦人科は2月12日。ともに1ヶ月以上先。

■1月29日

消化器科再診。診察の前に二度目の血液検査をする。前回の検査(1月8日)と比較して、“だいぶよくなっている”と言われる。内視鏡検査後の再診予約をする(2月26日)。

■1月下旬から2月上旬

処方された薬を飲みながらほとんど家で過ごす。腹部の痛みは徐々に軽くなってきたが、今度は胃の具合が悪くなってくる。つかまれるような痛みがほぼ1日中続く。市販の胃薬を飲むが全く効かず。2月上旬に旅行を予定していたので心配になるが、動けないほどではないので食事に気をつけながら過ごす。旅行を無事終えて帰宅しても胃痛は治らないので、今度は胃痛をやわらげる鎮痛剤を買ってきて飲んでみる。たしかに痛みはかなり軽減されるが不安は残る。

■2月12日

婦人科の検査。卵巣と子宮を内診してもらう。卵巣は少し腫れているが、とりたてて治療する必要はないとのことで安心する。ついでに子宮ガン検診をしてもらい帰宅。19日に結果が出て子宮ガンもクリア。

■2月15日

大腸の内視鏡検査。ポリープも癌もないが、ただれている(炎症を起こしている)場所が数ヶ所かるという。組織検査をしたので結果が出るまでわからないが、「虚血性大腸炎」だったのではないかとの所見。

■2月20日

胃の痛みがだいぶやわらいできて、何かを食べたいと積極的に思うようになる。「美味しい」という感覚を久しぶりに感じて嬉しくなる。

■2月22日

予約した上でKWクリニックを受診。K病院の対応に納得できないものがあったこと、いずれにしろセカンドオピニオンをもらった方がいいと考えたことによる。ここはだいぶ以前、友人が高校時代の同級生が横浜市でクリニックを開業しており評判もいいようだ、と教えてくれたクリニック。うろおぼえで検索して友人に確認した。もともと消化器系が専門とのこと。院長に診てもらう。

これまでの経緯を話すと、話だけで「虚血性大腸炎」なのではないか、と。同業者として倫理的に他の病院を悪くいうつもりはないようだが、どう見てもK病院の対応が遅いという感は否めないようだ。血液検査の結果を見せると一瞬沈黙。たぶん炎症の程度を示すCRPの数値、白血球数などを見てのことだと思うが、通常の炎症では考えられない値だったようだ。「これは相当つらかったでしょう」と言われ、なんだかやっと自分のつらさをわかってくれる医師と出会えたという気持ちになった。

院長いわく、症状から「虚血性大腸炎」はまっさきに疑われるものであり、その場合通常点滴を行い、2〜3日の絶食を指示するという。私は点滴もせず絶食も指示されなかったが、結果的に絶食状態が2日間続き、それが偶然よい方向に向かったというわけだ。

すでに胃の痛みはほとんどなくなっていたが、触診してもらい、どうせだからということで来月胃カメラを飲むことになった。市の健康診断もしていなかったので、健康診断、肺ガンの検診も同じ日にすることになった。

■2月26日

K病院へ。内視鏡検査の最終結果を聞きに行ってきた。大腸の4ヶ所から組織をとって検査したが、いずれも悪性のものはなく、先日の状態は“ちょっとした炎症”でしょう、とのこと。「虚血性大腸炎」という診断もなかった。あれが“ちょっとした”とは恐れいるが、もうこれでK病院ともお付合いしたくないので何も言わずに診察室を出た。

学んだことはおおむね以下のとおり。

(1)大きな総合病院は万能ではない。

医師の質や病院の方針などにもよるが、まずは信頼できるかかりつけ医を見つけることが重要。また、時には各診療科間の連絡がうまくいかず無駄に待たされる。

(2)診療に納得がいかなかったら、別の道を探してみるのもよい。

よい病院、よい医師というのも人によって違うが、自分が納得できる医師を探す努力はすべきだと思う。今回は、友人に以前紹介されていたクリニックがよかったので幸運といえる。

私が納得できなかったのは、当人は死ぬほどつらかったにもかわからず当初は「便秘」の一言で済ませられたこと。2回の血液検査の結果はだいぶ違うものだったが、ほとんど説明されなかったこと(どの値が何を意味し、どう変化したか等々)。再診、検査とも時間がかかりすぎること。

(3)医師のちょっとした一言が患者にとっては重要であることを医師自身が知っているかどうか。

今回、まずCTで卵巣の異常が発見されたわけだが、ERの医師の「できもの」という言葉が私にとってはかなり気になるものだった。私の感覚では「できもの」=「(良性悪性は問わないが)腫瘍」である。激しい腹痛ももしかしたら大腸に原因があるのではなく、卵巣の腫瘍のためなのかもしれないとも考えた。

また、以前ごく軽いものではあったが子宮ガンを経験しており、親類縁者にも癌で死亡した人が多いことから、自分もいずれ癌になると普段から思っている。もしかしたら卵巣癌なのではないかという不安が検査結果を聞くまで常に頭の片隅にあった。結果的には「腫瘍」ができているのではなくただ「腫れて」いるだけ、しかもあまり心配するほどのものではないことがわかって安心したのだが、「できもの」という一言をなにげなく使った医師に対して不信感を持った。

消化器系の担当医の対応も納得いかなかった。8日に下血で診てもらったのだが、次の診察で下血については何も聞かれなかった。3週間以上も間があいたので当然出血は止っているものと考えたのだろうが、わかりきったことだとしても一応聞くべきなのではないだろうか。

また、数値からして明らかにひどい炎症を起こしていた(KWクリニック院長に言われなくても調べればわかること)にもかかわらず点滴も絶食指示もしなかったこと。だからなのか“ちょっとした炎症”で済ませたこと。炎症はもう治まっているし、患者は無知なのでまあいいか、程度にしか思っていないのではないかと疑ってしまう。

なにはともあれ、つらい2ヶ月が一応のところ終わったようで気分的にはずいぶん軽くなった(医療費がどんどんかかったため財布もさらに軽くなった)。当分は体力回復、体力増強に努めたいと思っている。

それでなくても体力がないのはわかっているが、今回の件でさらに貴重な体力を失ったことを実感している。激しい痛みというのはかなりエネルギーを消費させるし、2日間絶食したから当たり前なのだが、当初は身体がふわふわ不安定になっていた。体重を量るのが恐くてすぐには計れなかったが、絶食が終わって2日後くらいに恐る恐る計った40キロを切っていた。体脂肪率たるや1桁になっていて、おおげさではなくギリギリの線で生きているのではないかとさえ思ったものだ。

その後できるだけ食べるようにし、具合がいい時は動き、痛みがある時は無理せず横になるようにしてきた。体重はほぼ元に戻ったし、体脂肪率も現在12%くらいまで上がった(それでも少なすぎだが)。整腸剤だけ飲み続け、他の薬はもうやめようと思っている。

身体のどこかが痛い、具合が悪いというのは実に憂鬱なものだ。なにかやりたいと思うことがあっても、その気力が殺がれる。なにをするにも心から楽しめない。何を食べても「美味しい」と感じない。実に味気なく、不甲斐なく、そしてつらい。やはり、健康が一番!である。

| - | 14:22 | comments(4) | - |
気になる言葉づかい
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・・・ばんえい十勝にバックヤードにある広大なソリ置き場。通路には蹄の跡が・・・
 

少し前、立て続けに言葉づかいについての記事を見かけたので今日はそれについて少し。いずれもコンビニやレストランで店員が使う言葉づかいについてで、「バイト敬語」と呼ばれているらしい。

まず、「よろしかったでしょうか」と「○円からお預かりします」「お会計の方、○円になります」。

調査(文化庁「2013年度国語に関する世論調査」)によると、この言葉づかいに違和感を感じる割合は「○円からお預かりします」が気になるとした人の割合は55%。「お会計の方、・・・」は63.5%だったそうだ。「から」と「方」が気になるということだと思うが、気にならないと答えた人の中には耳慣れてしまったので気にならなくなったという人がかなり含まれているような気がしないでもない。

気になる人が過半数を占めるという調査結果だが、一部の専門家は間違いとはいえないという意見を持っているようだ。某大学の教授は、「ピンポイントで対象を指さないことによって丁寧な表現とする方法の歴史は古い」とし、その例として「北の方」(高貴な人物の奥方)、「御前」などをあげている。そのものではなく、それの周辺を表す言葉(方、前)を使い対象を曖昧にすることがマナーであるという考え方が昔からあった、という。

しかし、この説明はなんだか納得できない。「北の方」と「お会計の方」(この場合“ほう”と読みますよね?)の関連性にピンとくるものがない。「北の方」にしても「御前」にしても相手が人物であるのに対して「お会計」は・・・あまりに飛躍しているような気がしてならぬ。

また、別の教授は、「よろしかったでしょうか」という表現には相手への配慮があって誤りと断じることはできないとしている。「よろしいでしょうか」という表現は相手の判断をストレートに確認する表現だが、「よろしかったでしょうか」という表現の背後には「あなたの判断はもう聞いたけれど、私の認識はこれで間違いないか」と自分側のこととして確認するという気遣いがあるというのだ。うーん、これも納得できない。「よろしいでしょうか」だって十分丁寧な表現であり、これで十分だと私は思う。「よろしかった」を過去形ではなく、自分側の事柄として認識して使っている人なんて一体いるのだろうか?

いずれも私にとっては、重箱の隅をつつくような説明にしか感じられない。もはや珍しくもない表現なのでいちいち目くじらを立てたり指摘したりはしないが、今でも聞くたびに違和感を感じる。他のことならけっこうアバウトな私ではあるが、言葉については慣れるということがあまりない。

次は「大丈夫」。こちらの方がちょっと驚いた。

「大丈夫」という言葉の語源は「立派な男」であるそうな。そこから派生して「しっかりしていて危なげがない、安心できるさま」を表す言葉として使われてきた。しかし最近の若い人の中には全く違う意味で使っている人が多いらしい。

たとえば、何かに誘われたとする。それを断る時に「大丈夫です」と答える。私が誘った方であれば、「え?何が大丈夫なの?」と聞き返してしまうだろうが、はっきり断ると相手が気を悪くしたり傷ついたりするかもしれないので、やんわり断る表現として「大丈夫」を使っているようなのだ。

この場合の「大丈夫」は英語の「No,Thank you」に当るという見方もあるようだが、最初に「No」と断っているのだからこれにも納得できない。気遣いをするなら、「大丈夫」なんて簡単なひとことで済ませるのではなく、まず誘ってくれたことに対して礼を言い、差し障りのない理由をつけて断ればいいではないか、と思う。「ありがとうございます。でも、今日はちょっと先約があるので残念ですが・・・」と答えればそれでいいではないか。

曖昧な一言で済ませてしまうというところに、ちょっと問題があるような気がする。コミュニケーション能力の問題なのか、ボキャブラリーの問題なのかはわからないが、言葉とは相手に通じてこそだろう。妙な気遣いは妙な誤解を生む。

日本語には曖昧な表現が多く、外国の人にとってはそれが違和感の原因になったり習得する難しさになったりする。しかし、それが日本語の個性であり悪いことではないと思っている。日本人らしい優しさ、気遣いを感じさせる曖昧表現も多く、もちろん心からの表現である必要はあるが、これからも残って欲しいと思う。しかし、やはり曖昧な表現をしていい時とそうでない時はあろう。相手が違和感を感じたり不快な思いをしたりするのであれば、やはり避けたほうがいいと思うのだがどうだろう。

| - | 11:53 | comments(0) | - |
ピンク!
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小学校にあがる前くらいまで、私はピンク色が大好きだった。当時住んでいた家の斜向かいに小さな和菓子屋があり、そのウインドウに並べられたいくつかの菓子のうち、ピンクの「すあま」をよく買ってもらった。食べてみると、ただ甘いだけでさほど美味しいとも思えないのに、どれがいいかと問われるとつい「すあま」を指さしてしまうのだった。

そんな私の最大のあこがれは、ピンク色の薔薇の花束だった。6畳一間に家族4人が暮らすというささやかな生活だったが、私はピンク色の薔薇の花束が欲しくてしかたなかった。誕生日近くになると、寝たふりをして寝言を言っているつもりになって「ピンクのばら〜」を何度か繰り返したが、全く効果はなかった。今思えば、たとえ奇跡的に買ってもらえたとしても、4人分の家財道具が詰め込まれた6畳に置き場などなかったであろうし、ちぐはぐなことこの上ないのは明らかだ。しかし、私は夢見るようにピンク色の薔薇に憧れたのだった。あの気持ちは何だったのだろう。

小学校にあがるようになると、私のピンクへの憧れは一気に醒めていった。母が娘たちのために選ぶ洋服は、グレー、紺、臙脂などが中心でピンク色の洋服は着た事がなかった。妹は活発な子供ですぐに汚すからという理由で男の子のような格好をさせられていたが、私はおとなしく洋服を汚して叱られたことはない。が、ピンク色の服はタンスのどこにもなかった。そして私はそれを不満にも思わなかった。

当時一番好きだったのは水色だ。夏休み前に妹とおそろいで買ってもらったワンピースを私は今でも脳裏に浮かべることができる。水色のギンガムチェック。ウエストの切り替えでギャザーを寄せた、よくあるデザインだ。胸元の切り替えは無地の水色でピンタックが数本あしらわれていた。小さな丸い襟も無地の水色で、周囲は細いレースで縁取られていた。ウエストには共布の太いリボンが付いていて、それを背中でふんわり結ぶ。よそ行き着として滅多に着られなかったが、そのワンピースを着て、レースのついた白いソックスを履き、映画やデパートに連れていってもらうのが楽しみだった。

大人といっていい年齢になってからも、ピンクを選ぶことはほとんどなかった。むしろ、ピンクは苦手な色(嫌いな色、ではない。ここ重要!)になっており、洋服のみならず身近に置くものでもピンクは避けた。本の背表紙がピンク色だと買おうか一瞬迷ったりもした。どうしても読みたい本であれば買ったが、読み終えて本棚に収める時は背表紙を奥にしてしまっていた。何故だかわからぬが、ピンク色のものが目に入るとどうも落ち着かないのだ。

中年と言われる年齢になると、少し余裕が出てきたのか衣料品に限ってピンクを採用することがたまにあった。しかしそれも面積的には少ないもの、たとえばソックスとかスカーフとか、そんなものだけだったように思う。またピンクといってもいろいろあるが、私が選ぶのは濃いピンク、鮮やかなピンクで、昔々憧れていたような淡くてとろけるようなピンクは依然として避けていた。これは今までずっと続いており、自分の部屋をぐるりと見渡してみてもピンク色のものはほとんどといっていいほどない。

薔薇を育てるようになったころ、それもごく初心者だったころは様々な品種に手を出したのでその中にはピンク色の花を咲かせるものもあった。しかしそれは、花色がピンクだから選んだのではなく、興味をもった薔薇がたまたまピンク色の花を咲かせる薔薇だったというだけだった。

数年すると、私は薔薇を花ではなく葉で選ぶようになり、葉が気に入って欲しいと思う薔薇の花がピンク色だと少し残念な気持ちになった。白ならよかったのに、と勝手なことを考えたりもした。バラ園やよその庭で咲くピンク色の薔薇は素直に綺麗だと思える。ピンク色の薔薇ならではの魅力さえ感じる。しかし、身近に置くとなるとピンクはやはり避けるようになり、ベランダで咲く薔薇は白、淡い黄色、紫色などばかりになった。あれほどピンク色の薔薇に憧れていたというのに不思議である。深層心理を探ればなにか理由がみつかるかもしれないが、ただ「好みの問題」だとしておいた方が気楽だ。ただ時々不思議だなぁと思う。

最近は花屋で花を買うことがめっきり減ったが、季節を感じさせる花をみかけると時々買ってきてデスクの上に置く。今は先日買った菜の花が満開。菜の花は満開の時よりも、つぼみが大勢を占めるくらいの時が私にとっての見頃なので、目の前にあるのも明日あたりまでだろう。無邪気な黄色が大好きで、毎年今くらいになると一度か二度は買ってくる。もう少ししたらミモザもいい。

1月、体調の悪さに気が重くなっていたころ、気分転換にと白いヒヤシンスと葉に白いふちどりがある白いチューリップを買った。ヒヤシンスは前にも書いたが香りにアレルギーを起こすので申し訳ないが廊下、トイレ、ゴン壇(ゴンの遺骨と写真が飾ってあるところ)に移したが、チューリップはつぼみが硬くて当分楽しめそうだった。

しかし、つぼみが緩んでくるに従って白だと思っていた花の先端がピンク色を帯びてきた。いやな予感を感じながらそのまま様子を見ていたが、微かだったピンクがどんどん広がって、花全体がピンクといっていいほどになってしまった。それはそれで優しく美しいのだが、どうにもこうにも落ち着かなくなってきた。しかし、ゆるりとよじれるような葉やカーヴを描く茎の線はなかなかで、私はそのまま落ち着かなさを我慢することにし、旅行に出かける時もそのままにしておいた。

帰宅するとさすがに3本のうち2本は花びらが散りかけていた。残りはまだ散りそうになかったが、思い切ってそこまでにして捨てた。今度からチューリップを買う時には気をつけなければと思いつつ。

もう少ししたら、いたるところで次々と花が咲き、春らんまんになる。花屋にもすでに桃の花が出ており、梅に続いて近所でも桃や桜が花盛りとなるだろう。運動不足を少しでも解消するため、できるだけ外に出ていろいろな花を楽しみたいと思う。しかし、自分の目の前にピンク色の花を置くことはこれからもしないであろう。私の場合、ピンクは他所で楽しむに限る。

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「同性愛者たち」
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時々間に別の本を読みながら、「井田真木子著作選集」を読み続けている。現在第二集を読み始めたところだ(巻末近いエッセイから読み始め、本編?である「小蓮の恋人」に取りかかったところ)。第一集に収録されている「同性愛者たち」は久しぶりの再読となり、以前読んだ時とは時流が変わったと実感している。

私がかつて読んだのは、文庫版で「もうひとつの青春〜同性愛者たち」と改題されたものだ。井田さんはエッセイで自著が文庫化される時は必ずすべて見直して適宜手を入れると書いているので、タイトルも変えたと思われる。内容の違いは比較していないのでわからないが細かいところ以外は同じだと思う。

「同性愛者たち」は1994年に出版されているから、今から22年前ということになる。このテーマを扱うきっかけは、1991年に「アカー(通称。正式には「動くゲイとレズビアンの会」)のメンバーが東京都の公共施設である「府中青年の家」の利用拒否を巡る裁判のニュースを知ったことにあった。井田さんがそのニュースを知ったのは同年2月だが、同じ年の6月に「アカー」のメンバーとサンフランシスコのゲイ・パレードに同行している。つまり、取材をすでにはじめている。驚くべき行動力だと思う。

今でこそ、「LGBT」という言葉がごく普通に使われ、同性間の婚姻を認める自治体も出てきているが、1990年代彼ら(同性愛者たち)を取り巻く環境は過酷であった。そのような中、それぞれ全く違う地域、家庭環境で自分たちの性的指向について悩み、もがいていた若者たちがいた。ある者は新宿三丁目にいりびたり、ある者は同性愛者であることをひたすら隠しながら。不安や絶望は彼らにとって日常であったと思われる。

そんな彼らがそれぞれの紆余曲折を経ながら「アカー」を知り、参加するようになる。参加したから、仲間を見つけたから、といってすぐに救われるわけではない。メンバー間の様々な軋轢、自分の生活と会の活動の両立の難しさ、等々様々な問題含み、波乱含みの状況の中で彼らは生きていた。井田さんは彼女独特のスタイルで彼らを取材し、行動を共にし、3年後に完成させたのだ。

「同性愛者たち」は、以下の献辞からはじまる。

非凡で多難な人生を選ばざるをえなかった、

平凡な七人の同性愛者と、

その多くの友人にこの本を捧げます。

そして、「七人」の名前と簡単なプロフィールが続く。当時同性愛者であることを実名をもって公表することはかなり勇気がいることだったに違いないが、活動を通し、また井田さんとの接触を通して彼らは実名公表を選び、覚悟を新たにしたのではないだろうか。

私は若いころから、同性愛についてはごく自然に受け入れていたと思っている。不思議な存在ではあったが、だからといって嫌悪感を持ったり否定したりする気持ちを持ったことはない。若さゆえの興味本位で知ろうとしたことがなかったとはいわない。が、それはそれでよかったと思っている。知ろうとしなければ理解することもできない(私がどの程度理解しているのかはわからないが)。

生理的な嫌悪感を持つ人も少なくないと思う。私にだってそういう感覚はあるが、同性愛者たちに対しては持たなかった。生理的なものは頭でいくら考えてもどうすることもできないから、同性愛者たちに嫌悪感を感じること自体は「生理的に虫が嫌い」であるのと同じことだと考え、それはそれでいいと思っている。しかし、だからといって、嫌悪感を持っているからといって、その存在を否定するのは間違っていると考える。

性的な事柄は、頭で理解しようと思ってもなかなか理解できないものだ。また、理解できないものがあるのが当たり前だし自然だと思う。だから、私はそのような存在について知りたいと思う。生理的な嫌悪感を催す存在については、かかわらない方がお互いのためだと思うが、かかわらずとも存在を認め知ろうとすることはできるだろう。

残念ながら私んはゲイの友人・知人はいない。今まで何度か私の中には男性的なものがあると指摘されたことがあるが、それと関係しているかどうかはわからぬ。が、ゲイの友人がいたらいろいろなことを聞き、話してみたい。もちろん人は選ぶが、今まで友人・知人を選んできたのと同じように選ぶだけだ。気の合うゲイの友人がいたら楽しいだろうなぁと今まで何度か思ったことがあるが、今でも同じだ。

最近、「王さまと王さま」という絵本の話題をネットで見かけた。昨年夏に出版されたらしいが、王さまが王女さまではなく同性である王さまを愛した物語のようだ。絵本は子供だけのものではないが、子供時代にこのような本に出会うことは大切だと思う。私が子育て世代であれば迷わず子供に与え、一緒に読むだろう。

「アカー」のその後が気になったので調べてみると、現在も活動しているようだ。井田さんが取材した7人はどうしているのだろうか。その中の1人である永田雅司さんは代表理事として創立25周年にメッセージを寄せているのでお元気なのだろう。自らエイズに感染していることをカミングアウトした大石敏寛さんはfacebookをやっておられるようだ。もはや中年を迎えた彼らが幸せな時間を過ごされていることを祈りたい。

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22日は猫に語らせる日・・・2月担当:ふく
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ふく!!ふくだよ!ふくちゃんだよ!

うふふん、きょうから「ねこぶろぐ」にさんかすることになったもんね。うちには、ちゃしろのおばちゃんと、くろっぽいおばちゃんがいるんだけど、くろっぽいおばちゃんはいじわるで、ふくにはさんかさせないほうがいいってすみごんにいったんだよ。でも、2ひきじゃさびしいっていうことで、ふくもさんかすることになったんだもんね。そいでもって、きょうは「ねこのひ」だもんね。そのひが「ぶろぐとうばん」なんて、ふくはやっぱり「きょううん」のもちぬしだもんねー

ふくは、6がつのまんなかくらいにうまれたので、げんざい8かげつだよ。でも、もうからだのおおきさは、みんなとおんなじくらいだもんね。もう、りっぱな「おとな」なんだもんね。いじわるされたって、ふくはぜんぜんおちこんだりしないもんねーだ。

ふくは、たべるのがはやいよ。ちゃしろのおばちゃんの2ばいくらいのはやさでたべられるよ。ちゃしろのおばちゃんは、たべるのがすごくのろいよ。だから、ふくがおてつだいをしてあげようとおもって、おばちゃんのごはんをたべるとおこられる。ひどいときには、ふくだけ、べつのへやにとじこめられちゃう。ひどいとおもうもんね。おてつだいしてあげているのにさ。

ふくは、すききらいがないよ。えらいでしょう。なんでもたべるよ。にんげんのたべものもだいすきだよ。だから、ふくのてがとどくところにおいてあるものは、みーんなたべちゃうよ。ふくろにはいっている「おかし」だって、ふくろをくいちぎってたべちゃうもんね。まえに、てーぶるのうえにあった「つくだに」っていうのもたべたよ。しょっぱかったけど、ふくは「そだちざかり」だから、くちにはいるものはなんでもたべちゃうもんね。

ふく、あそぶのだいすきだよ。でも、あそんでくれるねこがいないよ。だから、かべをおもいきりつめとぎするよ。しろいかべがみがちぎれて「ゆき」みたいにつもっているよ。すみごんは、それをみるとおおきなためいきをつくよ。でも、ふくはなんにもわるいことしてないもん。ねこにつめとぎはつきものだもんね。

ふくは、「ごみ」もだいすきだよ。だいどころに「なまごみ」のふくろがおいてあると、したをかじってあなをあけちゃうもんね。なかにはいっているもののにおいがきになってしかたないから、やっちゃうもんね。ときどきおこられるけど、ふくのいるところにおいているほうがわるいんだもんね。ふくは、ちっともわるくないもんねーだ。「ぷらすちっくごみ」がはいっているふくろもすきだよ。とくに、「にく」や「さかな」がはいっていたいれものがだいすきだよ。だから、みつけると、ふくろからだして、こなごなにくいちぎってやるもんね。おもしろーい。

こんなげんきなふくだけど、ねるときは、すみごんのおふとんのなかでちゃんとねるもんね。さいしょは、なかにはいっているんだけど、すぐにあつくなっちゃう。だから、すみごんのまくらにあたまをのせてねるんだもんね。すみごんは、「ふく、まくらをとらないで!」っていうけど、ふくだってはんぶんねているからわからないもんね。はんぶんくらい、ふくがつかってもいいとおもうもんね。「ねるこはそだつ」っていうらしいから、ふくはまだまだそだつもんね。このうちでいちばんでっかくなるんだもんねーだ。

らいげつは、ちゃしろのおばちゃんだよ。みかん、っていうへんななまえらしいよ。このおばちゃんは、あんまりいじわるじゃないし、いつもしずかだから、ときどきふくにうなってもゆるしてあげてるよ。えらいでしょう。さいきん、やせたらしいよ。ふくのせいだっていわれるけど、ふくはなんにもしていないもんね。ふくはぜんぜんわるくないもんねーだ! おしまい。

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PHOTO WEEK・・・十勝・帯広2016<7>
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今回の旅では、企画・段取りはほとんど私。運転と支払いは家人。やはり彼がいないと成り立たない旅だといえる。感謝感謝。普段は一つ屋根の下にいても同じ部屋にいることはけっこう少ない。旅は感動を共有するたいせつな非日常である。
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PHOTO WEEK・・・十勝・帯広2016<6>
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飛来地の白鳥を見るのは初めてだが、やはり白鳥には雪がよく似合う。これを見てしまうと、公園の池でぽっかり浮かんでいる白鳥が嘘っぽく見えてしまいそうだ。
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