昨日ゴンが予告してくれたので、今日から少しゴンについて書こうと思う。なにせ「えこひいき」していたのでこれまでにも何度か書いているが、締めくくりでもあるので。あまり長々と続けるつもりはなく3〜4回程度の連載にしようと思っている。最初にお断りしておくが、今日の記事の文末に「みもこころもかるくなった」ゴンの写真を小さめに掲載する。そういった写真が苦手な方はご注意願いたい。
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ゴンがいなくなって1週間が過ぎた。ひどく長い1週間だった。楽しい時間は早く過ぎ、つらい時間は延々と続くように思えるというが、本当にそうだなぁと実感した日々だった。が、つらいといっても激しい悲しみに襲われてつらいというようなものではなくて、精神的にも肉体的にも何かが抜け落ちたような頼りなさを感じ続けているといった感じ。大切な存在であった者をなくした時、人はみなこんな感じになるのかもしれない。
ゴンの誕生日は一応11月1日となっているので、コンビニのロールケーキの真ん中のクリーム部分に小さな旗を立ててお祝いした。クリーム類が大好きで、ケーキを皿の上に置いた時からおおはしゃぎ。押さえていないと写真を撮れないくらい元気だった。今年は予期せぬ新入りが7月に来て、何かとゴンの体調に気を配る日々が続いていたが、誕生日を無事迎えることができてよかった、と一安心していたのだった。
しかし、4日から元気がなくなった。動くことが少なくなり表情も暗い。食欲もあまりない。が、こういうことは今までにも何度かあったし、病院に行って診てもらっても「特に大きな問題はない」と言われ点滴の1本も打ってもらって返ってくるとすぐに元気になっていたので、さほど心配はしていなかった。
翌日、家人が1人でかかりつけの病院に連れていった。血液検査をし、注射を打ってもらって帰ってきたようだが、検査の結果白血球が多くなっているので身体のどこかで炎症が起きているのではないか、とのことだった。夏くらいから目立って心臓が弱くなっていたのが気になっていたのだが、さらに心拍数が多くなりそちらも心配になってきた。5日も食欲はもどらず、さらに衰弱してきているように見えたので6日の夕方また病院に連れていった。この日からほぼ1日おきの通院が始まり、すべて2人で連れていった。
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6日はレントゲン、超音波エコー検査、採血など時間をかけた診療だった。レントゲンなどの結果を見ると癌などの腫瘍は見つからなかった。ミネラルバランスが崩れていたのだが、さらに悪くなっておりカリウムの数値もよくないとのこと。頭を少し傾ける姿勢になっており、もしかすると脳になんらかの異常があるのかもしれない、また老齢猫に多い甲状腺機能亢進症も疑われた(ほぼ確定)。体重は2.2kg。
担当医である鈴木先生(ゴンのお気に入り)から、一日入院させて点滴をしたいとの申し出があった。通院での点滴は皮下に針を刺して行うが、血管に直接点滴する方が効果的で、そのためには入院が必要とのことだった。ほんの少しの時間だが迷った。いつもと違う場所にいるというのは猫にとってかなりのストレスになるので、心臓への負担が心配だったのだ。が、結局お願いすることにして翌日電話連絡することになった。
ゴンを病院に預けて車に乗った途端、自分でも驚くほど動揺した。入院中に息を引き取ることも全くないわけではないことを念押しされて迷ったわけだが、それでもなんとかなってほしいと思い入院を決めた。が、決めた途端に恐くなったのだ。思わず病院に戻って連れて帰ろうかとも思った。が、これで最後にするから、と自分を納得させて帰宅。
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7日、病院からの電話が9時半ころにあり、食欲が少し戻ったので迎えにきてほしいとのこと。喜び勇んで迎えに行く。診察室に入ると、ケージの中でゴンがもらった缶詰を食べていた。前脚には点滴が固定されていたが、動きも少しよくなってきたように見えた。点滴をはずすと危険とのことでエリザベスカラーを付けて帰宅。
帰宅後も食欲はあり水も飲みトイレにも行くが、エリザベスカラーをつけていることもあり何をするにも頼りない。歩き方もよろよろしている。それでも食べる意欲が戻ったことがとても嬉しく、あれこれ美味しそうなフードを揃えた。以前のように1度に多くの量は食べられなくなっていたので、一日に何度も少しずつ食べる、を繰り返していた。
9日、前回から予定されていた診察へ。この日からわが家の車を使えなくなり(故障など)タクシー通院となる。元気なころなら、キャリーに入れられて家から出た途端大声で鳴きはじめ、帰宅するまで鳴き通すゴンだったがその元気もなく、弱々しく訴えるのみになってしまったのがひどく淋しかった。見た感じは前回よりよくなっているようだが、体重は食べているのに2.15kgに落ちていた。引き続き投薬をし、様子を見ることになった。
10日になると食欲が落ち始め、じっとしていることが多くなってきた。エリザベスカラーがいかにも邪魔そうだし、はずしても点滴を気にする様子もないので思い切ってはずす。顔のまわりが水やら何やらで汚れていたので拭いてやり少しさっぱり。一日置いて12日午前中に診察。点滴をはずしてもらった。食欲が落ちているのは心配だが、表情などは一番悪い時よりいいように見えているので、また様子を見て14日に連絡の上連れていくことになった。
13日、エリザベスカラーも点滴もなくなったので鬱陶しさは解消したようだが、食欲は戻らず。全く食べないというわけではなく、時々欲しそうにするので少しだけ器に入れてやると食べる。が、途中で食べるのをやめ、その場に横になってしまう。食欲もあまりないのだろうが、「食べる」という基本的な行為でさえ心臓への負担になっているように見えた。テーブルの上がお気に入りなので好きなようにさせており、床→椅子→テーブルの動線で登っていたが、この日は椅子に登るのに2回失敗した。滑っただけのようにも見えたが、筋力もかなり落ちているようだった。
寝ていることが多いので、un filサイトの更新作業をすることにして午後ほとんどを自室で過ごしていたが、上の部屋で寝ているはずのゴンの声がした。ドアを開けると自室の前に横たわって私を呼んでいた。抱いて上の部屋に戻り、もう少ししたら家人が帰ってくること、私も作業を終えて近くにいくこと、を伝えるとおとなしく寝ていた。
今年に入って、特に夏以降はさらに痩せてきていたが、この1週間でさらに痩せてしまった。抱き上げても「体重」といえるような重みを感じることができず、身体が相当つらいだろうことは予想できた。息を荒げるということは全くなかったが、心臓はもう限界にきているような気がした。翌日病院に連れていくことにし、いつものように就寝したが、夜中に何度かゴンが私の体の上を行き来し、少し落ち着かない様子だった。ゴンだけ首輪に鈴がついているので、歩くとすぐにわかる。しばらくすると鈴の音がしなくなったので気に入った場所で寝ているものと思い眠りについた。
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14日6時22分、目が醒めた。具合が悪くなってからというもの、起きるとすぐにゴンを探して身体に触る習慣がついていた。ガリガリに痩せていたが、息遣いを感じると「ああ、今日も生きていた」と嬉しく思った。が、この日はほとんど心拍を感じない。驚いて撫でてみると少し手足を動かしたのでまだ意識はかろうじてあるようだが、もうこれはだめだなと思った。急いで家人を起し、蒲団の上にモコモコのブランケットをしいてゴンを抱いてそこに移した。
抱き上げた時下半身が少し濡れていたので、オシッコをもらしたようだった。覚悟をしなければ、と思い、2人でそっと声をかけたり撫でたりしていた。もうほとんど動けない状態だったが、それでも微かに手足や尾を動かしたり、口元を動かしたりしていたので、返事をしているように見えた。6時40分、最後に3回ほど口元を歪ませ、息を引き取った。すぐに口元はもとに戻り、穏やかな顔になった。約16年の生涯だった。
まるで私が起きるのを待っていてくれたかのような最期だった。ここ数年老齢のせいもあってか幼児が母親を求めるように私を追いかけつづけていたゴン。少し離れたところで寝ていても、私が部屋に入っていくとわざわざ出てきたゴン。ぐったり横になりながらもまっすぐな視線を送ってよこしたゴン。最期もちゃんと見てほしいと思っていたのだろうか。あるいは、ちゃんと見せることにより私の中に後悔を残さないようにしたのだろうか。
7時前にLINEで息子に連絡を入れておくと、予想外にすぐ電話があった。調度アルバイトが休みの日だったのですぐに行くとのこと。ペットの火葬から霊園までやっている業者に連絡し、午後迎えにきてもらうことにした。息子は10時ころ帰宅。小学生のころからずっと一緒だったのでゴンは家族のような友だちのような存在だ。午後1時前、業者が来訪。
持ってきた段ボールに私が編んだブランケットを敷き、ゴンの亡骸を入れた。ゴンがうちに来たとき付けていた毛糸の首輪を首のところに置き、キヨスミシラヤマギクを数本一緒に入れた。業者は黒いワンボックスカーで来ており、マンション前に停めているのが見えた。3人で階段の踊り場に立ち、業者の車が見えなくなるまで見送った。土曜日だったのでお骨を受け取れるのは火曜日以降とこのとだった。外は雨。
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17日、2人でゴンのお骨を迎えに行った。相変わらず車がないので電車とバス、約1時間かかったがよく晴れた気持ちいい日だった。最寄りのバス停近くに大きなケヤキの木があり、バスを待っている間絶え間なく葉を落としていた。
君想うとき落葉降りやまず
昔なにかの本で見かけた、自由律俳句なのか詩なのか記憶にない一文がふと頭に浮かんだ。ずっとずっと降りやまぬ落葉の中にいたいような気持ちになった。
寝る前に私が本を読む時はいつもここにいた。まっすぐで力のある視線。11月8日。
心臓は限界を過ぎていたと思う。こんなに痩せちゃたが穏やかに旅立った。11月14日。