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鈴の音
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今、私のデスクの上には2枚写真が入る折り畳み式の写真立てが置いてある。もちろん、ゴンの写真が入れてある。その写真の前にゴンが最後に身に付けていた首輪がある。その首輪には鈴がついている。27日の記事でも触れているが(写真も掲載しているが)、身に付けていたものというのは亡き者の気配をいつまでも留めているような気がして身近に置いておきたくなる。が、手に取ってみるかというと、今まではなかなかそれができなかった。


というのも、首輪の鈴の音を聞くと、写真を何枚見ても感じないくらいの淋しさに襲われるからだ。音だけではないのだが、目に見えぬものが見えるものより強く気持ちに訴えかけてくるという経験を時々する。とくに音と匂いは、とっくに忘れていたと思った様々な記憶を驚くほど鮮やかに呼び覚ます。


前にも書いたが、わが家の猫の中で鈴をつけていたのはゴンだけだったので、鈴の音はゴンの気配の象徴でもあった。その音を聞くと、気配がいきなり濃くなってくる。それなのに気配だけでゴンはいない。ゴンの不在をこれほど明らかにする現象はないので、なかなか手に取ることができなかったのだ。


鈴は古来、神への呼びかけに使われてきたという。15個の鈴がついた「巫女鈴」(神楽鈴)は、巫女が舞う時に使われたものだそうで、これも神との交信という意味があるのではないかと思う。身近なところでは、魔物や害を及ぼすであろう獣を除けるために使われており、熊除けの鈴などはその代表かもしれない。


鈴にもいろいろな素材が使われており、土の鈴や木に鈴もある。が、やはりよく鍛えられた金属の音が私は一番いいと思っている。鋭く澄みきった鈴の音は、魂を揺さぶる力を持っている。


また、かたちもいろいろだ。ころんと丸い一番一般的な鈴だけでなく、牛につけるカウベルや教会の鐘、寺社の梵鐘も広い意味では鈴なのかもしれない。


風鈴もまた鈴である。人の手で音を出すのではなく、風が鳴らす音・・・なんともいいものだと思う。私は以前から南部鉄の風鈴の音が好きだったが、昨年山梨の友人宅を訪れて以来、明珍火箸の風鈴の音に心惹かれている。先日もまたお邪魔してその音を聞いてきたが、やはりいいなぁと思う。


去年の11月9日の記事にも書いたが、明珍火箸が触れ合うあの音は、晩秋から冬にかけてが一番似合うと勝手に思っている。乾いた大気の中に響く澄んだ音。今たまらなくあの音が聞きたい。


*11月も今日で終わりか・・・早いなぁ・・・

*12月はなにかと気ぜわしくてあまり好きではない。

*でも今年1年の締めくくり。元気に過ごしたい。

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ゴンのこと<7>We Will Meet Again
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この1週間、ゴンのことを書きながらビル・エバンスの「You Must Believe In Spring」を聴いている。


このアルバムはエバンス晩年の傑作と言われており、黄金期とはまた違う魅力が溢れているように感じる。その魅力を突き詰めていくと、そこには「死」があるように私には思える。


酒、麻薬など不摂生を続けたエバンスの晩年には「死」の気配が満ちている。「緩慢な自殺」と言われる自らの「死」の前に、長年苦楽をともにした内縁の妻・エレインと兄ハリーを自殺という形で失うという過酷な経験をしながら、「I Will Say Good Bye」「You Must Believe In Spring」「We Will Meet Again」の3作を作り上げた。これらは『死への3部作』とも呼ばれているようだが、消える直前に炎が一瞬燃え盛るような輝きを感じさせる。


私が聞いているのは、「You Must Believe In Spring」に収録されている「We Will Meet Again(For Harry)」。亡きハリーに捧げられた美しい曲である。


三島由紀夫の「豊饒の海」4部作の第1部「春の雪」で、主人公・松枝清顕は死の間際、親友である本多繁邦に「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と言い残す。「豊饒の海」は輪廻転生をテーマとする長編で、本多は後に滝の下で清顕の生まれ変わりである 飯沼勲に出会う。


 私は、いつどこでゴンとまた会えるかは予言できない。しかし、この曲を聴きながら、いつかまた会うであろうゴンのことをずっと思い続けるだろう。


*「ゴンのこと」は今日で終わり。長々とお付合いありがとうございました。

*今までゴンをあたたかく見つめてくださった皆様に心から感謝いたします。


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ゴンのこと<6>約束
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・・・最も好きな写真のひとつ。私に話しかけるゴン・・・

ゴンについて書くのも今日と明日の2日になった。それでもまだまだ、書き足りないような気もするが、キリがないのでとりあえず明日で終わりにしたい。明日は写真をメインにしようと思っている。


ゴンが逝って2週間が過ぎた。昨日も書いたが、いつもとほとんど変わらぬ淡々とした日々を送ってきたが、時折ふっと「これで済むはずはない」という予感めいたものにとらわれることがある。ほんの一瞬のことだが、ゴンが本当にいなくなってしまったということを実感として強く受け止めなくてはならない時が来るのではないか、と。ただぼんやり過ごしているわけではないのだが、予想していたよりずっと冷静でいる自分が不思議なのかもしれない。



恋は盲目という。ゴンに対する気持ちは「恋」ではなかったが似たところはあったと思う。ありえないと知りつつ、私は自分の寿命の何年か分をゴンに与えられたらと何度も願った。3年分でもいい、5年分でも、10年分でもいい。それをゴンにあげることができるならどんなにいいだろう。そう思った。


また、これも馬鹿馬鹿しいことなのだが、ゴンに対して「かわいいね!」と限りなく言い続ければゴンの寿命が伸びたらいいのに、と思ったこともある。もちろん、心から「かわいい」「愛おしい」と思うからこその言葉だが、そんな時に限って言霊を信じたくなる自分がおかしくもあった。


つまり、それほど私はゴンとの別れが恐かったのだ。


夜眠る前に、本を読むのが私の習慣だ。枕元のスタンドを点灯すると、まっさきにゴンがやってきて灯と私の間に横たわる。影になって本が読みにくくなってしまうのだが、そんな時はゴンの背中を撫でながら「今日もお互い元気でいられてよかったね」と心の中でつぶやき、こんな日々がいつまで続くのだろうと思い、指先に感じるやわらかくてあたたかい感触を失う日が来るのを恐れた。



しかし、実際にゴンが旅立ってしまったら、激しい心の動きに揺すぶられて身も世もなくなるなどということもなく、少なくとも表面的には落ち着いた気持ちを持ち続けている。自分でもそれが不思議なくらいで、この2週間何故なのだろうかと考え続けてきた。


私が落ち着いて入られるのは、もしかしたらゴンがそうなるようにしてくれたのかもしれない、と思うことがある。


 人間と人間以外の動物(以下「動物」)がどれくらい心を通わせることができるのか、人によって様々な考え方があろう。が、私は人間同士よりも解り合えることがあると思っている。人間同士だと、どうしても相手が発した言葉や態度など人間特有のものにとらわれがちだが、人間と動物の間にはそのような枷はない。ただひたすら感じ取るだけだ。言葉が通じないことにより、魂で通じ合えるような気がしている。


私自身が言うことなので「思い込み」であると言われても致し方ないし、全く気にもしないのだが、ゴンは私の最大の理解者であったと今でも思っている。そして私も、ゴンの最大の理解者であった、と。猫ブログでゴンに「オイラとすみごんわ、らいせをちかいあったなか」などと言わせているが、それはとりもなおさず私の「思い」であった。16年という歳月がそうさせたのではなく、たぶん出会った時からこの予感めいたものはあった。確かに、あった。



家人と時々話すのだが、ゴンの逝きかたはとても見事だった。具合が悪くなってから10日での旅立ち。異変に気付いてから20分。10日間で少しずつ覚悟をさせ、20分でその覚悟を納得させた。長々とわずらい気をもませ続けることもなく、かといって知らない間に旅立つこともせず、最後までこちらの気持ちに応え続けようとしていた。こんな逝きかたはなかなかできるものではないと思う。


すばらしい16年間の中で、ゴンは私に様々なことを教えてくれた。ゴンは私にとって恋人であり友であり師であり、そして「らいせをちかいあえる」存在だったと私は信じている。私が自分でも意外なほど落ち着いていられるのは、ゴンがいつでも私の近くにいて、再会できる時まで見守ってくれているからなのかもしれない。


息を引き取る直前の、言葉にならぬ言葉、声にならぬ声を私は聞いた。「また会おうにゃ」。


 ゴンとの再会を約束した以上、私も精いっぱい生き抜かなければならない。それでなくてはゴンに合わせる顔がない。今はそう思うのみである。

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ゴンのこと<5>残したもの・残されたもの
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ゴンは猫だから持ち物とてなく、目に見えるもので残したものをいえば首輪くらいのものだ。


 わが家の猫の中で首輪に鈴をつけているのはゴンだけだった。だから、真っ暗な中でも鈴の音がすれば、ゴンの気配を探ることができた。ドアごしに鈴の音がすれば、廊下でゴンがこちらの気配をうかがっていることがわかった。


ゴンに限らず、今まで猫たちが使った首輪はすべて保存してある。一番ゴンに似合ったのは「ダヤン」のチャームがついたティファニーブルーの首輪で、以来その色がゴンのイメージカラーとなった。その首輪は、家人がゴンの形見として持っている。


お気に入りの首輪(人間が気に入っているだけだが)が傷んできたので同じものを、と思ったが探してもない。で、次に選んだのが淡い草色の首輪だ。これは息子が形見として持ち帰った。


最期につけていたのが写真の首輪で、なんとかイメージカラーに近いものを探して求めたもの。これは私が持っており、今はデスクの上の遺影の前に置いている。



わが家では新しい猫グッズ(猫用のベッド等々)を買ってきた時、しばらくのあいだは「ゴンのもの」にすることになっていた。ゴンが新しい物が好きですぐに使ってみる性格だったこともあるし、最年長者優遇という意味もあった。


しかし時間が経つにしたがって、当然ながら誰のものということもなくなり、全く使わなくなってしまったものもあれば、他の猫が気に入ってよく使うようになったりしている。物欲、所有欲など所詮人間だけがもつ性癖なのだとつくづく思う。


今月はじめにゴンが体調を崩して食欲がなくなった時、できるだけ食べてほしくて食べやすいよう工夫された足付の食器(フードボウルと水用ボウル)を買った。ゴンがいなくなってしばらくは何も入れずテーブルの上に置いていたのだが、今は「みかん用」になっている。


ゴンを偲ばせるものといえばそれくらいだが、目に見えぬものをたくさん残してくれたからこれでいいのだと思う。



あとに残された猫たち・・・みかん、まめこ、ふく、の様子だが、さほど変わったところはない。仲がよかった猫が旅立つとショックで様子が変わってしまう猫もいるようだが、わが家の場合は目立った変化はない。


みかんは、当初少し落ち着かない感じがしたが、すぐにいつも通りになった。「みもこころもかるく」なったゴンの近くにいくかと思ったが行かず、少し離れたところでじっと見ていたのが意外だったが、もしかしたら夜の間に最後の挨拶を済ませていたのかもしれない。


一番変わったのは、まめこかもしれない。うちの猫の中では最も警戒心が強く排他的な猫だが、ゴンが大好きだった。そのゴンがいなくなってしまったのは、新しくきたチビのせいだと言わんばかりに、ふくを攻撃しはじめたのだ。以前からふくを見ると追いかけたりしていたが、その頻度が高くなり執拗になってきた。わずか4匹とはいえ数の上でのバランスが崩れたことも関係しているのか・・・「こいつ、許さん!」とばかりに攻める姿を見ていると、まめこはまめこなりにゴンの不在を悲しんでいるのかもしれないと思われてくる。


全く関係ないといった様子なのは、ふく。まだまだ子どもだし、好奇心がかなり強くてオモチャになりそうなものを一日中探しているようなので、ゴンがいなくなってもあまり気にならないらしい。できること、行けるところがかなり多くなってきたので怒られてばかりいる。



残された人間たち・・・私と家人は、相変わらず毎日ゴンを話題にしつつ、いつもと同じような日々を過ごしている。


家人は独り言が多い人なのだが、とくに酒が多少入ると独り言の最後に「なあ、ゴン」が入る。ゴンがその場にいてもいなくても「・・・・・(愚痴・罵詈雑言・弱音などなど)、なあ、ゴン」というのが、もはや癖になっており、言っている本人も無意識であることが多いように思われる。


独り言にまで付き合えないので、ゴンもたいていは返事もせずにいたが、聞いてはいるのだろう。たまに返事をしたりして笑わせてくれた。この「なあ、ゴン」は、これからもずっと言い続けていくような気がする。


私とえば、こうして日々ゴンについて書いているくらいで、ほぼいつもと変わらぬ暮らしである。朝起きるとリビングに設けた「ゴン壇」(骨壷、写真、花、フードと水の小さな器、家人の猫ひげコレクション、鈴木先生からのハガキ)に向かって「おはよう、ゴン」と挨拶し、ことあるごとに写真に向かって話しかけている。


たいせつなものを失った(ゴンは私の所有物ではないが)重みは、これから押し寄せてくるのかもしれない。が、いつかまた会えると私は思い込んでいるので、きっとそれにも耐えていけると思う。ねえ、ゴン。


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ゴンのこと<4>優しき孤独者
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ゴンについての連載は3〜4回にしたい、と先日書いた。が、あえなく前言撤回(^^;)。ある程度気が済むまで書いてみようと思うので、今週いっぱいとしたい。興味のない方はささっとスルーしていただいて一向にかまわない。


ゴンは、今まで書いてきたように(ずっと以前に遡っても)、気のいい、おおらかな、懐の深い猫であった。猫、というより向田邦子さんに倣って「男」と呼ぼうか。オス猫としては中肉中背、身体はさほど大きくなかったので、外見からは堂々たる男には見えなかったと思う。が、性格は包容力のあるわが家の猫たちのリーダーであった。


 そして、優しさやおおらかさ以外に、ゴンにはもうひとつ別の一面があった。それこそが、私がゴンを自分にとって「特別な猫」だと思う所以でもある。


ゴンは、「孤独」を知る猫だった。「孤独」については、いつか書こうと思いつつ以前として書いていない。しかし、私の人生におけるとても大切なテーマなので、必ずいつか書く。詳しくはその時に、ということにして今回は私が感じたゴンの「孤独」について少し書いてみたいと思う。



ゴンと私は、誰にも断ち切ることができない強い絆で結ばれていた、と今でも思っている。が、だからといって始終共にあったわけではないし、腹を割って話すことはあってもベタベタ密着した間柄ではなかった。時には互いの「孤独」を優先させることもあり、互いにそれが快適な関係だと考えていたと思う。


もともとゴンは人の膝の上に乗りたがる猫ではなく、近くにいても微妙な距離をとる猫だった。その距離感が絶妙であり、私にとって最も快適なものであった。互いの気配を感じとることができ、かつ鬱陶しさを全く覚えない距離。ゴンはそれを生まれつき理解していたと思っている。少なくとも、私にとって何が快適なのかを理解していたのは間違いない。


猫に対する思いはひとぞれぞれで、対しかたも同様である。常に猫に触れたいと思い、密着度の高い付き合いを好む人がいてもそれはそれでいいと思っている。が、猫に対してだけでなく、私は他者とは一定の距離を持ちたい人間なので、愛情=密着度だとは全く考えていない。むしろ、私にとっての愛情とは、距離を隔ててなお互いを感じ取るものなのだ。


ゴンはそれをよくわかっていたし、自らもそう感じていたと思う。



距離感を保ちつつ、ゴンはここぞという時、私にそっと寄り添ってくれた。誰にも言えぬ不安や恐れ、どうにもならぬ現状などに半ば絶望しかけ、呆然と空を見上げるしかない、ということが人生には何度かあるだろう。私にもそういう時は何回かあった。そんな時に限って、ゴンはいつのまにか私の隣に来て、身体が触れるか触れぬかの場所に座った。


私がゴンに気付いて顔を見ると、何も言わずに私の目を見つめた。名前を呼ぶと、小さな声で答えた。身体にそっと触れると、やさしいぬくもりで応えてくれた。ゆっくり、ゆっくりゴンを撫でながら、私はもう少し生きていこうと思ったものだった。本当に優しい猫だったと思う。


寝ている私の上に乗ってきたり、寒い季節は蒲団の中に入ってきたりしたことも多々ある。猫が来ると嬉しいには嬉しいのでそのままにしておくが、一定以上の時間が経過すると重さを鬱陶しく感じたり、身体を動かすことができず微かな不快さを感じたりするようになる。そんな時ゴンは、私が「ちょっと重たいかも」「身体を動かしたくなってきたな」と思う直前に私から離れる。愛しい重さ、愛しいぬくもりの余韻を残しながら、自分は自分の場所に行くといった様子で。なんとも心憎い猫でもあった。



ゴンが日だまりで休んでいると周囲がさらに明るくなるように見えた。じっと横顔を見ると、寝ているようで寝ておらず目を細めながら静かにじっとしている。静かな静かな横顔であり、声をかけることさえ躊躇われる凛とした「孤独」が漂う横顔であった。私はその横顔が大好きで、長い間更新をしていない「本家」=todayのトップにゴンのプロフィールを採用している。オンマウスで振り向く工夫はしているが、「沈思黙考」しているかのような横顔がなんともいい。


ゴンとの付き合いにおいて、私は自分が思う「孤独」とは本当の「優しさ」がなければ成立しえないことを学んだ。ゴンにはそのつもりは毛頭なかったのだろうが、私は私で勝手にそう思っている。

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ゴンのこと<3>愛される理由
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・・・この2匹が一緒に寝ていると、どうしてもゴン(右)が甘えているように見える・・・

ゴンは人からも猫からも愛される猫だった。


昨日も書いたが、ゴンはわが家に来た当日から臆することなく人になじんだ。中学生のころ子犬をもらってきたことがあったが、数日間は母親恋しさなのか見知らぬところに来た不安なのか、よく鳴いていた。ゴンもうちに来るまで母猫や兄弟と一緒だったのである程度慣れるまで淋しがるだろうと予想していたが、それは杞憂に終わった。


ひとつには、うちにくるまで恐い思いをしてこなかったということが考えられる。元の飼い主にもかわいがられていたのだろう。人間が恐いものだと感じる体験をしていなかったのだと思う。が、猫も人間同様個体差があり、警戒心が強く臆病な性格の子猫ももちろんたくさんいる。ゴンはもともと大らかな性格に生まれついたと思っている。


古い友人Tは自他共に認める犬好き、犬派だったが、わが家に来てゴンに会ったら猫好きになったと言っていた。猫好きというより「ゴン好き」になったと彼女は言っていたので先日ゴンの旅立ちを知らせるために電話したら、電話口で泣かれてしまった。数カ月前電話で話した時、久しぶりにゴンに会いたいと言ってくれていたのだが残念なことになってしまった。


友人だけでなく、わが家に来る人すべてにフレンドリーだった。エアコン取り付けなどの業者にも臆することなく「なにやってるのー?」というような顔をして近づき、声をかけられることが多かった。猫好きな業者の人にはかわいいと言われ撫でられることもあった。



人間だけでなく、猫たちからも愛された。多頭飼いする時にまず心配なのは、先住猫と新入りが仲良くできるか、だと思うのだが、わが家の場合その心配が現実になったことがなかった(今年新入りのアイツは例外)。みかんは、生後1ヶ月くらいでわが家に来たが、初対面の時少し驚いた様子を見せていたが、その後はすぐに仲良くなった。


みかんも恐い世界を知らないので子猫時代は「お転婆」「おしゃま」な猫で、まだ赤ん坊だと思っていたのに初日からゴンのフードの皿に顔を突っ込み横取りした。ゴンはあっけにとられながら怒ることなく食べさせていた。


ゴンも若かったので(当時2歳半くらい)、追いかけっこなどもよくしていた。みかんもゴンを母親変わりだと思っていたのか常について回り、あまりにうるさいとゴンはみかんが行けない高いところに避難していた。


かと思うと、一緒にぴったりくっついて寝ており、しつこいくらいゴンがみかんの毛繕いをするのでみかんが「もうやめてー!」と言っていることもあった。毛色が似ていることもあり、お似合いの2匹であった。


まめこが来た時も、ゴンはやさしく対応した。まめこは近所で泣き続けているところを発見して保護した猫で、わが家に来るまでかなり恐い思いをしてきたらしく人間に対する警戒心が強かった。が、猫に対してはそうでもなく、自分から近づいていくようなこともあった。そんな時みかんは身を除けるのだが、ゴンはやさしく受け入れたのでまめこにとってもゴンは母親代わりのような存在になった。


まめこはゴンの肉球をちゅぱちゅぱ吸うことを覚えて夢中になったが、その時のゴンの顔がおかしかった。「オイラ、どうしたらいいのにゃ?」というような、戸惑い顔に思わず笑ってしまったものだ。くすぐったいと思うのだが、しばらくはまめこの好きにさせておき、そっと手を引っ込めるゴンであった。


そんなゴンだったので、みかんもまめこもゴンが大好きだった。猫はメス同士は母娘・姉妹は別にしてなかなか仲良くなれない。これは野性的な本能によるものだと思う。みかんとまめこが一緒にくっついて寝るということは未だにないが、ゴンとみかん、ゴンとまめこ、という組み合せは当たり前のようにあった。ゴンとみかんが猫ベッドで寝ているところににまめこが割り込みぎゅうぎゅう詰めになっていたりもした。



老年といわれる年齢になるにしたがって、ゴンは他の猫たちに興味をあまり持たなくなったように見えた。一緒に寝ることも少なくなったように記憶する。とくにここ1〜2年は、他の猫より私の方に気持ちが向いてきて何かというと近くにいたがるようになっていた。


 みかんやまめこは相変わらずゴンが大好きで、時々一緒にいたいような素振りを見せていた。そんな時もちょっと鼻と鼻で挨拶したりするくらいで、いたってクールなゴンであった。寒い季節になると猫たちは固まって暖をとることが多いが、若い時ほど長時間一緒に寝ていることは少なくなり、気付くと離れてひとりで寝ていたりした。いったいどんな心境の変化だったのだろうか。


しかし、忘れられないであろう光景がひとつある。ゴンが旅立つ前日のことだ。


 すでに歩き方がよろよろしてきて激ヤセしていたので、他の猫たちもいつもと違う気配を感じてあまりゴンに近づかなかった。避けているというより、そっと見守っているようにも見えた(今年来たアイツを除く)。よろよろしながらもゴンは寝る場所をあちこち変えていたが、ふと見るとみかんが寝ているところによろよろと歩いていき、みかんに寄り掛かるようにして横になったのだ。


 狭い場所なので窮屈そうだったが、みかんの背中に寄りかかって気持ちよさそうに寝ていた。目覚めたみかんは動くことなくじっとゴンの好きなようにさせていた。起すとかわいそうなので写真は撮っていないが、ゴンにはやはりみかんを頼りにしているところがあったのだと思った。



ゴンは人にも猫にも愛される猫だった。なぜなのか・・・


16年間ゴンを見てきたが、ゴンには人であれ猫であれ、気持ちを開放させる力があったからだと思われてならない。


 なにか言いたげな表情。こちらの気持ちを感じ取っているように見えるしぐさ。適度なまぬけさで笑わせ、懐の深さで受け入れ、まっすぐな視線で自分を表現した。さすがに新入りのアイツの元気さにはついていくことができず鬱陶しく思っていたようだが、自分から攻撃をしかけることもしなかった(できなかった、とも言えるが)。「拒絶」という言葉はゴンの辞書にはなかったのか・・・と思えるほど、広い心の持ち主だったことは間違いない。


 あくまでそれは人間である私の目から見たものであり、たぶんゴン自身はそんなこと関係なく常に自分らしくあっただけに過ぎないのであろうけれど・・・


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ゴンのこと<2>若かりしころ
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・・・8年前の写真なので若いというより中年か。顔がまだまだふっくらしている・・・

ゴンは、2000年3月にわが家にやってきた。そのころ私はまだ離婚しておらず、偶然今住んでいるところからほど近いマンションに住んでおり、当時会社の同僚だった人が住む三鷹から車に乗せられてやってきた。


3匹生まれた子猫の中から1匹を選ぶにあたり、私は迷わず「茶トラ」を選んだ。実家にいたときも猫は何匹か飼っていたが(面倒は親が・・・(^^;))、茶色い毛色の猫は飼ったことがなかった。ほかにも理由はあるがそれは機会があれば。


「茶トラがいい」と言うと、元飼い主は一瞬躊躇した。奥さんが一番かわいがっている子猫だという。が、いずれにしろ手放さなくてはいけないのはわかっていたので、すぐに快諾してもらった。誕生日を聞くと、11月だけど何日かわからないという。奥さんなら知っていたのかもしれないが、私もけっこういいかげんなので、それ以上は聞かなかった。だから、うちでの誕生日は11月1日となっているが、もしかしたら11月半ばかもしれないし、月末なのかもしれない。だから、16歳を目前にしながらの「惜しい!」旅立ちだったかもしれないのだが、そんなことはどうでもいいだろう。


うちに来た当時のゴンは生後4ヶ月くらい。しばらくの間遊び盛りの暴れん坊状態だったが、人を噛んだり引っかいたりということは全くなく、来た当日からわが家になじんで可愛らしさを振りまいた。うつぶせになって本を読む息子のオシリの上で丸くなって寝てしまったりして、猫ってこんなにすぐになつくんだっけ?と不思議に思うほどだった。恐いもの知らずといえばそうなのだが、およそ人見知りらしきことをせず、終生誰にでもフレンドリーであった。



今でも家人とたまに話題にするのだが、ゴンほどいろいろなことを「しでかして」くれた猫もいなかった。カーテンレールにつるしておいた洗濯ハンガー(ピンチがついているやつ)に乗ったはいいが、降りられなくなってしまったり(下の写真参照)、前夜のお湯をぬくのを忘れていた浴槽に飛び込みびしょぬれになったり、テレビの上からテーブルに飛び降りたはいいが、家人のノートPCの上に降りてしまって液晶を割ったり、同じくテレビの上からゲロり、下においてあったファクスをオダブツにしたり(よりによって給紙口に向かって吐いたため)・・・・一時は「デストロイヤー・ゴン」などと呼ばれたりした。


困ることも多かったはずなのに、一瞬驚いた後笑ってしまうような、ため息つきながら「しょうがないなー」と言って終わりにせざるをえないような、妙に憎めない得な性格のヤツであった。


人間の子どもも、女子より男子の方が行動の予測がつかないが、猫も同じだと思う。予測がつかないのを「おもしろがる」か「こまるか」で違うと思うが、私は前者なのでゴンの行動にはいつも笑わせてもらい、楽しませてもらった。思わぬところで寝ていて驚いたことも再三あり、そんな時に声をかけるととぼけた顔をして返事をする様子が可愛かった。



ひとつだけ困るというより心配だったのは、脱走癖だ。元の飼い主は家への出入りを自由にしていたらしく、ゴンも母猫について外を出歩いていたらしい。だから、うちに来てからも隙をついて脱走した。


 初めて脱走した時は大慌てだ。家の周りをあちこち探したが見つからず、あきらめかけていたら近所の白くて大きな野良猫の後について当たり前のように歩いていた。名前を呼ぶと振り向いたが「この人だれ?」みたいな顔をしてそっけない。一緒にいた猫が「おまえ、飼い猫だろ?帰れや」というようにゴンを見た。さらに呼ぶとしかたないなという顔をして戻ってきた。あの野良猫、たいしたやつだ。


それからも何度か脱走したが、自分から帰ってくることも、こちらが発見して抱きかかえて連れ帰ることもあった。帰ってきたと思ったら「○○食品」(○○は私の名字)と印刷された佃煮のフタをくわえてきたりして、大笑いしたこともあったし、小さなスプーンをくわえてきたこともあった。


老齢になってからはさすがに落ち着いた生活態度だったが、それもここ2〜3年だったと思う。中年になってもどこか若い(子供っぽい)ところがあったと思う。だからエピソードは数多くあるのだが、主立ったところを書いてみた。



今あらためていろいろ思い出してみると、ゴンは私のところに来てからずっと、周囲にいる人の気持ちを明るくしてくれる存在でありつづけた。ひだまりで寝ている姿をじっと見ていると、そこだけさらに明るく、あたたかく感じられた。


フレンドリーなのは人間に対してだけでなく、猫に対しても同じだった。みかん、まめこの2匹との様子は明日。


*2000〜2005の様子は、こちら

*それ以降(2012まで)、こちら

*本当に若いころの写真は解像度が低くてサイズも小さい。少しだけコラージュ!

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ゴンのこと<1>最後の日々
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・・・11月13日。旅立つ前日だが、まだ自力でテーブルに登っていた・・・

昨日ゴンが予告してくれたので、今日から少しゴンについて書こうと思う。なにせ「えこひいき」していたのでこれまでにも何度か書いているが、締めくくりでもあるので。あまり長々と続けるつもりはなく3〜4回程度の連載にしようと思っている。最初にお断りしておくが、今日の記事の文末に「みもこころもかるくなった」ゴンの写真を小さめに掲載する。そういった写真が苦手な方はご注意願いたい。



ゴンがいなくなって1週間が過ぎた。ひどく長い1週間だった。楽しい時間は早く過ぎ、つらい時間は延々と続くように思えるというが、本当にそうだなぁと実感した日々だった。が、つらいといっても激しい悲しみに襲われてつらいというようなものではなくて、精神的にも肉体的にも何かが抜け落ちたような頼りなさを感じ続けているといった感じ。大切な存在であった者をなくした時、人はみなこんな感じになるのかもしれない。


ゴンの誕生日は一応11月1日となっているので、コンビニのロールケーキの真ん中のクリーム部分に小さな旗を立ててお祝いした。クリーム類が大好きで、ケーキを皿の上に置いた時からおおはしゃぎ。押さえていないと写真を撮れないくらい元気だった。今年は予期せぬ新入りが7月に来て、何かとゴンの体調に気を配る日々が続いていたが、誕生日を無事迎えることができてよかった、と一安心していたのだった。


しかし、4日から元気がなくなった。動くことが少なくなり表情も暗い。食欲もあまりない。が、こういうことは今までにも何度かあったし、病院に行って診てもらっても「特に大きな問題はない」と言われ点滴の1本も打ってもらって返ってくるとすぐに元気になっていたので、さほど心配はしていなかった。


翌日、家人が1人でかかりつけの病院に連れていった。血液検査をし、注射を打ってもらって帰ってきたようだが、検査の結果白血球が多くなっているので身体のどこかで炎症が起きているのではないか、とのことだった。夏くらいから目立って心臓が弱くなっていたのが気になっていたのだが、さらに心拍数が多くなりそちらも心配になってきた。5日も食欲はもどらず、さらに衰弱してきているように見えたので6日の夕方また病院に連れていった。この日からほぼ1日おきの通院が始まり、すべて2人で連れていった。 



6日はレントゲン、超音波エコー検査、採血など時間をかけた診療だった。レントゲンなどの結果を見ると癌などの腫瘍は見つからなかった。ミネラルバランスが崩れていたのだが、さらに悪くなっておりカリウムの数値もよくないとのこと。頭を少し傾ける姿勢になっており、もしかすると脳になんらかの異常があるのかもしれない、また老齢猫に多い甲状腺機能亢進症も疑われた(ほぼ確定)。体重は2.2kg。


担当医である鈴木先生(ゴンのお気に入り)から、一日入院させて点滴をしたいとの申し出があった。通院での点滴は皮下に針を刺して行うが、血管に直接点滴する方が効果的で、そのためには入院が必要とのことだった。ほんの少しの時間だが迷った。いつもと違う場所にいるというのは猫にとってかなりのストレスになるので、心臓への負担が心配だったのだ。が、結局お願いすることにして翌日電話連絡することになった。


ゴンを病院に預けて車に乗った途端、自分でも驚くほど動揺した。入院中に息を引き取ることも全くないわけではないことを念押しされて迷ったわけだが、それでもなんとかなってほしいと思い入院を決めた。が、決めた途端に恐くなったのだ。思わず病院に戻って連れて帰ろうかとも思った。が、これで最後にするから、と自分を納得させて帰宅。



7日、病院からの電話が9時半ころにあり、食欲が少し戻ったので迎えにきてほしいとのこと。喜び勇んで迎えに行く。診察室に入ると、ケージの中でゴンがもらった缶詰を食べていた。前脚には点滴が固定されていたが、動きも少しよくなってきたように見えた。点滴をはずすと危険とのことでエリザベスカラーを付けて帰宅。


 帰宅後も食欲はあり水も飲みトイレにも行くが、エリザベスカラーをつけていることもあり何をするにも頼りない。歩き方もよろよろしている。それでも食べる意欲が戻ったことがとても嬉しく、あれこれ美味しそうなフードを揃えた。以前のように1度に多くの量は食べられなくなっていたので、一日に何度も少しずつ食べる、を繰り返していた。


9日、前回から予定されていた診察へ。この日からわが家の車を使えなくなり(故障など)タクシー通院となる。元気なころなら、キャリーに入れられて家から出た途端大声で鳴きはじめ、帰宅するまで鳴き通すゴンだったがその元気もなく、弱々しく訴えるのみになってしまったのがひどく淋しかった。見た感じは前回よりよくなっているようだが、体重は食べているのに2.15kgに落ちていた。引き続き投薬をし、様子を見ることになった。


10日になると食欲が落ち始め、じっとしていることが多くなってきた。エリザベスカラーがいかにも邪魔そうだし、はずしても点滴を気にする様子もないので思い切ってはずす。顔のまわりが水やら何やらで汚れていたので拭いてやり少しさっぱり。一日置いて12日午前中に診察。点滴をはずしてもらった。食欲が落ちているのは心配だが、表情などは一番悪い時よりいいように見えているので、また様子を見て14日に連絡の上連れていくことになった。


13日、エリザベスカラーも点滴もなくなったので鬱陶しさは解消したようだが、食欲は戻らず。全く食べないというわけではなく、時々欲しそうにするので少しだけ器に入れてやると食べる。が、途中で食べるのをやめ、その場に横になってしまう。食欲もあまりないのだろうが、「食べる」という基本的な行為でさえ心臓への負担になっているように見えた。テーブルの上がお気に入りなので好きなようにさせており、床→椅子→テーブルの動線で登っていたが、この日は椅子に登るのに2回失敗した。滑っただけのようにも見えたが、筋力もかなり落ちているようだった。


寝ていることが多いので、un filサイトの更新作業をすることにして午後ほとんどを自室で過ごしていたが、上の部屋で寝ているはずのゴンの声がした。ドアを開けると自室の前に横たわって私を呼んでいた。抱いて上の部屋に戻り、もう少ししたら家人が帰ってくること、私も作業を終えて近くにいくこと、を伝えるとおとなしく寝ていた。


今年に入って、特に夏以降はさらに痩せてきていたが、この1週間でさらに痩せてしまった。抱き上げても「体重」といえるような重みを感じることができず、身体が相当つらいだろうことは予想できた。息を荒げるということは全くなかったが、心臓はもう限界にきているような気がした。翌日病院に連れていくことにし、いつものように就寝したが、夜中に何度かゴンが私の体の上を行き来し、少し落ち着かない様子だった。ゴンだけ首輪に鈴がついているので、歩くとすぐにわかる。しばらくすると鈴の音がしなくなったので気に入った場所で寝ているものと思い眠りについた。




14日6時22分、目が醒めた。具合が悪くなってからというもの、起きるとすぐにゴンを探して身体に触る習慣がついていた。ガリガリに痩せていたが、息遣いを感じると「ああ、今日も生きていた」と嬉しく思った。が、この日はほとんど心拍を感じない。驚いて撫でてみると少し手足を動かしたのでまだ意識はかろうじてあるようだが、もうこれはだめだなと思った。急いで家人を起し、蒲団の上にモコモコのブランケットをしいてゴンを抱いてそこに移した。


抱き上げた時下半身が少し濡れていたので、オシッコをもらしたようだった。覚悟をしなければ、と思い、2人でそっと声をかけたり撫でたりしていた。もうほとんど動けない状態だったが、それでも微かに手足や尾を動かしたり、口元を動かしたりしていたので、返事をしているように見えた。6時40分、最後に3回ほど口元を歪ませ、息を引き取った。すぐに口元はもとに戻り、穏やかな顔になった。約16年の生涯だった。


まるで私が起きるのを待っていてくれたかのような最期だった。ここ数年老齢のせいもあってか幼児が母親を求めるように私を追いかけつづけていたゴン。少し離れたところで寝ていても、私が部屋に入っていくとわざわざ出てきたゴン。ぐったり横になりながらもまっすぐな視線を送ってよこしたゴン。最期もちゃんと見てほしいと思っていたのだろうか。あるいは、ちゃんと見せることにより私の中に後悔を残さないようにしたのだろうか。


7時前にLINEで息子に連絡を入れておくと、予想外にすぐ電話があった。調度アルバイトが休みの日だったのですぐに行くとのこと。ペットの火葬から霊園までやっている業者に連絡し、午後迎えにきてもらうことにした。息子は10時ころ帰宅。小学生のころからずっと一緒だったのでゴンは家族のような友だちのような存在だ。午後1時前、業者が来訪。


持ってきた段ボールに私が編んだブランケットを敷き、ゴンの亡骸を入れた。ゴンがうちに来たとき付けていた毛糸の首輪を首のところに置き、キヨスミシラヤマギクを数本一緒に入れた。業者は黒いワンボックスカーで来ており、マンション前に停めているのが見えた。3人で階段の踊り場に立ち、業者の車が見えなくなるまで見送った。土曜日だったのでお骨を受け取れるのは火曜日以降とこのとだった。外は雨。



17日、2人でゴンのお骨を迎えに行った。相変わらず車がないので電車とバス、約1時間かかったがよく晴れた気持ちいい日だった。最寄りのバス停近くに大きなケヤキの木があり、バスを待っている間絶え間なく葉を落としていた。


君想うとき落葉降りやまず


昔なにかの本で見かけた、自由律俳句なのか詩なのか記憶にない一文がふと頭に浮かんだ。ずっとずっと降りやまぬ落葉の中にいたいような気持ちになった。


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寝る前に私が本を読む時はいつもここにいた。まっすぐで力のある視線。11月8日。


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心臓は限界を過ぎていたと思う。こんなに痩せちゃたが穏やかに旅立った。11月14日。

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22日は猫に語らせる日・・・11月担当:ゴン(羽根付き)
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みなさん、おはようございますにゃ。ゴンですにゃ。ことしもあといっかげつとちょっとになりましたにゃ。


さむくなってきたので、こたつにはいっているなかまや、ストーブのまえをじんどっているなかまがおおくなってきているとおもっていますにゃ。おそとのなかまわ、これからきびしいきせつをむかえるので、できるだけあったかいばしょをさがして、なんとかふゆをのりきってほしいとおもっているところですにゃ。


ところで、とつぜんだけど、オイラのブログはきょうでさいごになりますにゃ。っていうのも、オイラ、こんげつの14にちに「げんえきいんたい」をしましたにゃ。1にちに「16さいのたんじょうびいわい」(コンビニのロールケーキなんてケチだにゃ!)をしてもらったんだけど、よくじつからぐあいがわるくなり、ついにみもこころもかるいせかいにいくことになったのですにゃ。


きょうのだいめいの「はねつき」って、なんだかギョーザみたいでオイラわちょっといやだったんだけど、すみごんが「ゴンくんわ、てんしのわよりはねのほうがにあう」というので、なっとくしましたにゃ。いまわ、はねつきなのですきなところをふわふわしていますにゃ。まだ、こっちにきてから1しゅうかんなので、すみごんたちのちかくをふわふわしているんだけど、みんなにわみえないらしいにゃ。


すみごんといっしょにくらしはじめてから、16ねん。いろいろなことがあったけど、だいたいしあわせな「ねこせい」でしたにゃ。そのつもりわないんだけど、オイラ、いろいろこまることをしでかしたらしいけど、すみごんたちわ、わらってゆるしてくれましたにゃ。


 わがやの「ねこチームのリーダー」としてさいごまですごせましたにゃ。かわいい(?)いもうともいたし(ことしきたチビはべつ!)、「えこひいき」もしてもらったし、おいしいものもいっぱいたべましたにゃ。「ねこぐっず」もあたらしいのはまずオイラがつかうことにしてくれたし、なんといっても、いちばんオイラがすみごんとおはなししましたにゃ。


 びょういんでわ、「すずきせんせい」というわかいおんなのせんせいにみてもらえましたにゃ。オイラわやっぱりおとこなので、わかいおんなのひとがすきですにゃ(すみごんわのぞく、とかいておかなくちゃにゃ)。


オイラのブログわきょうでおしまいだけど、あとわ、みかんたちにまかせますにゃ。ちびすけ(ふく)もさんかしたいといっているようですが、はんだんわ、オイラのあとをついでわがやのリーダーになったみかんにまかせますにゃ。オイラもたまーに「こうりん」するかもにゃ! はねもはえたことだし、そろそろこっちのせかいをぼうけんしようとおもっているんだけど、まいにちすみごんたちがなんどもオイラのなまえをくちにするので、「りちぎ」なオイラわどこにもいかずにふわふわしていますにゃ。


ときどき、オイラもへんじをするんだけど、すみごんたちにわきこえないみたいですにゃ。でも、すみごんとオイラわ、「らいせをちかいあったなか」なので、すみごんわ、わかっているとおもいますにゃ。


でわ、みなさん、いままで「ひらがな」だらけのオイラのブログをよんでくれてありがとうございましたにゃ。のこったわがやの3びきとすみごんをよろしくおねがいしますにゃ。あしたから、すみごんがオイラのことをかくといっているので、よかったらよんでくださいにゃ!

| - | 08:11 | comments(6) | - |
PHOTO WEEK・・・秋・光・影<7>
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何年も、何年も、この椅子は主を待ち続けているような気がする。日は昇り、日は沈み、そして季節は秋から冬へ・・・
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