8月ももう終わりそうになっているが、自らに課した原爆小説のうち最後になった「屍の街」がいまだ読みきれていない。正確に言うと、「屍の街」は読み終えたが同じ本の中に入っているもうひとつの作品「半人間」を読み終えていない。どちらの作品とも私にとって手強い作品で後回しになっていた。
今年は林京子作品をいくつかはじめて読んでみた。その中でもとくに印象的だった「二人の墓標」について少し書いてみたい。
この物語もまた原爆・・・というより被爆者たちの信じがたい体験を描いている。目を覆いたくなるような人々の様子は何度読んでも印象的で、あのようなことが実際あったことが信じられないくらいである。しかし実際にあったことなのだと毎年思い、思い続けるためにまた読む。
「二人の墓標」で私が心惹かれたのは、女性同士の複雑な心理の描写だった。タイトルになっている二人とは同じ村に住み同じ工場に動員されていた若子と洋子のこと。仲良しということになっていた二人は同時に被爆し、若子だけが生きて故郷にたどりつく。同じ村なので当然洋子の消息を聞かれるが若子ははじめは黙り込み、洋子の母親の必死の問いに思わず生きていると言ってしまう。
しかし若子は洋子が死んだのを知っていた。女学校から万が一の時は集まるように言われていた場所に二人ともたどりつき、ともに過ごしていたのだ。若子はたいした傷もなかったが、洋子は背中にガラスがたくさん突き刺ささる重傷を負い、次第に弱々しくなっていく。背中のガラスの破片を抜いてあげようとした時、若子はそこにウジがわいているのを見る。もう洋子の命は長くないということを若子は知る。
洋子は若子に一人で逃げるように言う。しかしそれは洋子独特のいじわるであることを若子は知っている。同じ村の同じ年齢の女学生同士。二人は仲良しだと思われていたが、若子は洋子に傷つけられてきた。運動会の競争で洋子はいつも一等賞で、常にビリの若子を「だめな人ね」と言った。若子の家は村長の家として代々続いているが、実際のところ洋子の家の方が金持ちだった。勝ち気な洋子は、命からがら逃げ延びた場所で若子と遭ったとき、自分がこれほど傷ついているのに若子はたいしたことなく済んでいることが不服そうだった。
洋子は徐々に死につつあった。背中のウジが地面に落ち、それを若子が足で踏みつけるのを黙って見ていたが、うつろな目をして殺してはだめだ、そのウジ虫が自分になる、と呟く。若子は怖くなって駆け出す。「一人にしないで」と叫ぶ洋子を残して。
翌日若子は人々の列についてまた洋子がいるであろう場所を通る。そして洋子が死んでいるのを見る。「だけど、あたしには関係ない」とつぶやいて若子はその場を後にした。
奇跡的な若子の帰還を村人たちは喜んだが、やはりみな洋子の消息を知りたがる。とくに洋子の母である好は執拗に問い続け、若子は嘘をついてしまった。好は急いで若子を探しに向かい、洋子が一人死んでいるのを見つける。すでにウジに食い荒らされた洋子の体をさらしで巻き、好は洋子を連れ帰る。
村に連れ帰り、わざわざ坂の上にある若子の家まで遺体を運んでくる。好の意図は何か・・・若子は布団の上に起き上がり身体を硬くさせる。好は、洋子は若子が言った通り山の窪みで一人死んでいたという。しかし、若子は生きているかと問われた時にうなずいただけだ。誰かが若子と洋子が一緒にいるところを見たのだろうか・・・いや、いるはずはないと若子は自分自身に言い聞かす。
若子は徐々に弱り、母親であるつねの目にも死は近いと思われた。死んでしまったと思っていた若子が帰還してから、つねは若子を死なせるものかと思い、看病に全力を尽してきた。そして、洋子とのあいだに何かあったとうっすら気付きながら、若子を最後まで守り抜こうとしていた。
村の人々の同情は死んでしまった洋子に集まっているように見えた。しかし、つねは万が一若子が洋子を見捨てて一人帰ってきたとしても、誰も若子を責めることはできないと思う。物語の最後近く、つねが好の家に向かう場面がある。娘を亡くした母親と生き残った娘を持つ母親。一人は自分の娘は置き去りにされて死んだと思い、もう一人の母親は自分の娘に罪はないと思う。母親同士の静かな戦いがそこにはあった。一部引用したい。
「噂は、ほんなことですか。知っとるなら教えて下さい」
新しい位牌に手を合わせていた好は、
「ほんなこと?それは若ちゃんが知っとんなるでしょうに。あたしも、それを若ちゃんの口から聞きたかです。あたしが知っとるほんなことは洋子が、たった一人で、山で死んどった。そいだけです」数珠に手をかけたまま、つねを見た。
「若子に逢わせたかって好さんはわざわざあの日洋ちゃんを連れて来てくれましたね。 若子は、洋ちゃんを一人、山におきざりにはせん。好さんも信じとるけん、つれて来 てくたとでしょう」
「・・・ばってん、洋子が山におる、そう教えてくれたとは若ちゃんです」
つねは、洋子によく似た好の、濡れたように光る目をしっかり見すえて、
「ひどすぎます。若子も誰かに聞いたとでしょう。噂は嘘です。若子は一人で、たった一人で逃げたとです。洋ちゃんと一緒ならあの子も、どげん心丈夫やったか」
これがほんなことです、とつねがいった。
「そんなら、それがほんなことでしょう。洋子は、もう死んでしもうたとです。聞きようもありません」
「ただでさえ、若子一人助かったことで、同情は洋ちゃんに集っとです。洋ちゃんが死んだとは、若子にはかかわりなか、よかですね、好さん」
「二人の墓標」(「祭の場・ギヤマン ビードロ」に収録)より引用。
衰弱した若子は妄想を見るようになり、布団のまわりに洋子がたくさんいると言い出す。いくら「仕方なかったんだ」と思っても、やはり若子は洋子を置き去りにした後ろめたさから逃れることはできない。山の窪地で洋子を置き去りにしてからというもの、頭の中にハエがたくさんいてうるさくてしかたない。「ハエを殺してね」とつねに頼み、かあさんがみんな殺してやると答えると血の気のない顔に微かな微笑みを浮かべ息を引き取った。
女学生同士、そして母親同士。それぞれの複雑な心理がからみあい、ぶつかっていく人間模様は女性作家ならではのリアルさだと感じた。地獄絵のような状況下でも、人々はそのような人間関係から逃れることはできず、知られることのなかった個人的なドラマが無限にあったのだろう。それをこの物語から教えてもらったような気がしている。