6月も今日で最後。紫陽花の花も盛りを過ぎて、これからは夏の花が主役となる。真夏の花という印象を持っているサルスベリや夾竹桃も今年は6月から咲き始め、季節感が薄れてきているのかと思うと淋しくもある。
先日近くの団地あたりを散歩していて、見たことがない花を見つけた。黄色い花である。しかし、かなり上の方で咲いているので、萩の花にかたちが似ているようにも思うが、定かではない。葉は奇数羽状複葉で、鋸歯がある。あまり厚い葉ではない。目を凝らしてみると、黄色い花の中に赤い部分が混じっているようにも見える。が、これも定かではない。
名前を知らない木や草に出会うと、帰宅してから調べることにしている。ことにしている、というと習慣とか自分に課した義務のように聞えるかもしれないが、そうではなく調べないと気が済まないのである。わからないままにしておくのがなんとなく気持ち悪いというか。
「名も無き花」などという表現があるが、たいていの植物には名前がある。はじめて発見された新種でない限り、名前はある。「名も無き」ではなく単に自分が「名を知らぬ」だけだ。人間の都合で付けられた名前なので植物にとってはどうでもいいことなのだろうが、人間の言葉しか理解しえない人間である私にとっては、やはり名前は大切なものなのだ。少し大げさだが同じ星に生きる者として、彼ら彼女らの名前を知り覚えておくことは、ひとつの礼儀のようにも思われるのだ。
こういった感覚は子どもの頃からのもので、小学生の時から木や草が多いところに出かける時は小さな植物図鑑を持っていった。道端で出会った草ひとつひとつの名前を調べて覚えることが楽しかった。春の野原で咲いているのは、「小さな青い花」ではなく「オオイヌノフグリ」だ。野山を歩いているうち知らない間に衣服につくのは、単なる「ひっつきむし」ではなく「イノコヅチ」の仲間だ。河原で風になびいているのは、ススキではなくオギだ。
最近は図鑑の他にもインターネットという便利な道具があって、様々なキーワードで検索することにより植物の名前を調べることができる。ヒントらしきもの、たとえば花の形から何科の植物であるのか想像がつく場合など、があればいいのだがまったっくヒントがないとかなり難儀する。先日見かけた黄色い花を咲かせる木の名前もそうであった。「黄色 木 花 夏」などのキーワードで調べても見たことがあるものばかりがヒットする。
仕方なく分厚い樹木の図鑑を最初から点検していく。700ページ以上をパラパラとめくっていくがわからない。もう一度ネットで調べてみる・・・しつこく調べていったら、やっとわかった。「モクゲンジ(木樂子)」という全く知らない、名前を聞いたことがない木であった。わかったので図鑑の索引を見たらあった。該当ページを見たが、写真が小さく気付かなかったらしい(^^;)
ムクロジ科モクゲンジ属で花期は7〜8月頃。本州日本海側と朝鮮、中国に自生。寺院のよく植栽され種は数珠に利用される。寺院に植栽されているのも見たことがなかった。気付かなかっただけかもしれない。とくに木については花や実がないと気に止めないことも多いし、葉だけの状態だとさらに同定が難しい。とにかくわかってよかった、よかった。
人の名前を覚えるのが苦手ですぐに忘れてしまうのに、動物や植物の名前はまあまあ覚えている。自分の頭の中のことだが、なんとなく不思議である。