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この樹なんの樹?
15-0630

6月も今日で最後。紫陽花の花も盛りを過ぎて、これからは夏の花が主役となる。真夏の花という印象を持っているサルスベリや夾竹桃も今年は6月から咲き始め、季節感が薄れてきているのかと思うと淋しくもある。


先日近くの団地あたりを散歩していて、見たことがない花を見つけた。黄色い花である。しかし、かなり上の方で咲いているので、萩の花にかたちが似ているようにも思うが、定かではない。葉は奇数羽状複葉で、鋸歯がある。あまり厚い葉ではない。目を凝らしてみると、黄色い花の中に赤い部分が混じっているようにも見える。が、これも定かではない。


名前を知らない木や草に出会うと、帰宅してから調べることにしている。ことにしている、というと習慣とか自分に課した義務のように聞えるかもしれないが、そうではなく調べないと気が済まないのである。わからないままにしておくのがなんとなく気持ち悪いというか。


「名も無き花」などという表現があるが、たいていの植物には名前がある。はじめて発見された新種でない限り、名前はある。「名も無き」ではなく単に自分が「名を知らぬ」だけだ。人間の都合で付けられた名前なので植物にとってはどうでもいいことなのだろうが、人間の言葉しか理解しえない人間である私にとっては、やはり名前は大切なものなのだ。少し大げさだが同じ星に生きる者として、彼ら彼女らの名前を知り覚えておくことは、ひとつの礼儀のようにも思われるのだ。


こういった感覚は子どもの頃からのもので、小学生の時から木や草が多いところに出かける時は小さな植物図鑑を持っていった。道端で出会った草ひとつひとつの名前を調べて覚えることが楽しかった。春の野原で咲いているのは、「小さな青い花」ではなく「オオイヌノフグリ」だ。野山を歩いているうち知らない間に衣服につくのは、単なる「ひっつきむし」ではなく「イノコヅチ」の仲間だ。河原で風になびいているのは、ススキではなくオギだ。


最近は図鑑の他にもインターネットという便利な道具があって、様々なキーワードで検索することにより植物の名前を調べることができる。ヒントらしきもの、たとえば花の形から何科の植物であるのか想像がつく場合など、があればいいのだがまったっくヒントがないとかなり難儀する。先日見かけた黄色い花を咲かせる木の名前もそうであった。「黄色 木 花 夏」などのキーワードで調べても見たことがあるものばかりがヒットする。


仕方なく分厚い樹木の図鑑を最初から点検していく。700ページ以上をパラパラとめくっていくがわからない。もう一度ネットで調べてみる・・・しつこく調べていったら、やっとわかった。「モクゲンジ(木樂子)」という全く知らない、名前を聞いたことがない木であった。わかったので図鑑の索引を見たらあった。該当ページを見たが、写真が小さく気付かなかったらしい(^^;)


ムクロジ科モクゲンジ属で花期は7〜8月頃。本州日本海側と朝鮮、中国に自生。寺院のよく植栽され種は数珠に利用される。寺院に植栽されているのも見たことがなかった。気付かなかっただけかもしれない。とくに木については花や実がないと気に止めないことも多いし、葉だけの状態だとさらに同定が難しい。とにかくわかってよかった、よかった。


人の名前を覚えるのが苦手ですぐに忘れてしまうのに、動物や植物の名前はまあまあ覚えている。自分の頭の中のことだが、なんとなく不思議である。

| - | 14:59 | comments(0) | - |
芦毛の怪物
15-0629

昨日の宝塚記念、多いに笑わせてもらった。馬券を買った方には少し申し訳ないが、人気投票でダントツ1位に押され宝塚記念3連覇が期待されていた芦毛の怪物、ゴールドシップがまたしても彼らしさを発揮!ゲートが開く直前に立ち上がり、大きく遅れてその後ものびず15着に終わった。関係者の落胆はいかばかりであろうか。が、人間の思惑どおりにならない馬が好きな者としては、多いに楽しませてもらったといえる。


私は競馬のにわかファンなので、ゴールドシップの父親であるステイゴールドが現役で走っていたころのことを知らない。が、後からいろいろ調べてみると、かなりのやんちゃで気が強く・・・というより気性が激しく扱いづらい馬だったらしい。


馬体も小さく見栄えがせず、なかなかG1を勝つことができなかった。しかし能力がなかったというわけではなく、「シルバーコレクター」と言われたように常に2番手、3番手のレースが多かった。そんな馬はある種の人々にとってたまらなく魅力的らしく(私もそのタイプ)、人気はあったらしい。G1未勝利のまま引退かと思わせておいて、ラストランとなる香港ヴァーズで優勝。有終の美を飾った。


 今年の2月、大動脈破裂で21歳の生涯を閉じたが、現役時代より種牡馬としての成功の方が輝かしいというのもなかなかよいではないか。メジロマックイーンを父にもつ牝馬との間に生まれた産駒にはドリームジャーニー、オルフェーブル、そしてゴールドシップなどがいて、「黄金の配合」などと言われているらしい。


ゴールドシップについては天皇賞(春)の時にも記事を書いたが、その後ネットでいろいろ調べていたらnetkeiba.comで柏木集保さんという方のコラムに出会い印象に残った。天皇賞(春)はファンの後押しが最大の勝因としながら、宝塚記念についても触れている。以下引用させていただく。


3連覇のかかる宝塚記念で、ゴールドシップは信頼できるか。「もう大丈夫だ」、などと思ったら甘い。横山典弘騎手は、今回は道中から再三ムチを入れ、ゲキをとばしたが、レース前はゴールドシップに気分を損ねることなくちゃんと走ってくれるよう、「お願いする」立場だった。でも、もうコンビの横山典弘は、さすがにゴールドシップと理解し合う関係になったのか。横山典弘騎手が分かったのは、あいつとは手を取り合って喜ぶような関係にはなりえない、という結論だったかもしれない。おまけに、ゴールドシップも同じように思ったかもしれない。


ゴールドシップは人びとの想い察知をできるようになっている。「悪いと思ったから、天皇賞・春はちゃんとがんばったでしょ」「今度は、また宝塚記念ですか。もう2度も勝ってるんで…」となって少しも不思議はない。だいたいゴールドシップは、他人に自分のこころまで読まれるのは大嫌いである。天皇賞・春で、「ゴールドシップは売ってないよ」。そう思って嫌った人びとも、やっぱり今度は買ったほうがいいかな、となりそうな宝塚記念で、ゴールドシップがどんなレースを展開するか、けだし見ものである。阪神芝は【6-1-0-0】。たぶん1番人気である。

nitkeiba.com 2015.5.4


まさにその通り!パドックでも落ち着いており、入場してからもずっとおとなしく、ゲートにもすんなり入って「これはいけるぞ!」と思った人が多かったのではないだろうか。しかし・・・結果は見事にその期待をはずした。柏木氏の分析も見事ならゴールドシップの「らしさ」発揮も見事である。


柏木氏は天皇賞(春)で、ゲート入りをさんざん嫌がって他の馬を困らせながら自身はつぶらな目のままでいるゴールドシップを見ている。レース後のクールダウンでも、「勝ち誇った素振りも、疲れた様子も見せず」キラキラした瞳でカメラを見たりしていた、と書いている。


今回の宝塚記念の前日、テレビでゴールドシップへの取材がレポートされていたが、メンコをはずした顔はとてもかわいい。そのかわいさと気性の難しさのギャップがゴールドシップの魅力でもあると思う。


ゴールドシップはすでにG16勝を達成しているので、間違いなく名馬である。しかし、これほど個性的な名馬はかつて存在したのだろうか。「無事これ名馬」という視点からも間違いなく名馬なのだが・・・先だってのダービーで強さを見せつけたドゥラメンテ(この馬も扱いが難しそうだが、ゴールドシップはさらにその上を行っている気がする)がケガで半年休むというニュースが流れている。人並み(馬並み?)外れた身体能力と人間の予想を超えるレースっぷり。


父親のステイゴールドは晩成タイプだったというから、息子もまだまだ走れそうだ。これだけの馬なので、それほど長く現役でいるということは考えにくいが、まだしばらくは楽しませてもらいたい。父も空の上から昨日のレースを見ていて、「フフフ。さすが我が息子!」と笑っていたような気がする。


*写真は最近みかけた、やんちゃ坊主。

*遊び足りないのか、帰ろうとするパパに抵抗!

*引きずられても抵抗! 肩車されてものけぞって抵抗!

*あまりに暴れてオムツ丸見えなのが、かわいらしい。


| - | 09:28 | comments(0) | - |
乱読生活
15-0628

天候が不順だったり何だったりで家にいる時間が多い今日このごろ。なんとなくさぼり気味になっている読書にでも少しは身を入れてみようかと思い、いつもながらの乱読を。


しかし、「乱読」と書いて改めて思う。たいていの読書は「乱読」ではないのか・・・系統立てて手当たり次第に読むのが「乱読」であれば、趣味としての読書は大抵の場合「乱読」では?などと思うのだが如何に。仕事に関する読書やたまたま関心を持ったテーマについて系統立てて読むことはあっても、それはむしろ特別な場合で多くの人が行っている読書は「乱読」あるいは「乱読」に近いものなのではないのか・・・それとも、興味の対象がコロコロ変わる私のような人間が手当たり次第に読むのが「乱読」なのか・・・


まあ、どうでもいいといえばどうでもいいことである。本を読むという行為が楽しければスタイルはあまり関係ないだろう。むしろ、これを読んだからには次にはこれを、というような読み方の方が堅苦しくて私には合わないから、死ぬまでこんな読書の仕方なのだろうと思う。


本はできるだけ新たに買わないようにしている。もちろん例外はあるが、どうしても読みたい、しかも今すぐ読みたいと切実に思う本だけを買うことにしている。図書館が近くにあればいいのだが、電車に数十分乗った後延々と歩くようなところにしかないので、新しく買った本以外は手持ちの本の再読か、買ったまま読んでいない所謂「積ん読」されたままの本を読むことになる。


最近(といってもここ1ヶ月くらいの間)で面白かったのは、写真に写っている「倉橋由美子の怪奇掌篇」と新刊の本である「鴨居玲 死を見つめる男」(長谷川智恵子)か。「倉橋由美子の怪奇掌篇」は以前小山田二郎展に行った時に見かけた本で、表紙に小山田氏の絵が採用されている。会場で手に取ることができ、パラパラのページを繰ってみて面白そうな本だと思った。


1985年に出された本なので今はもちろん絶版となっている。新潮文庫にもなったようだがそれも今は絶版かもしれない。宝島社文庫の「大人のための怪奇掌篇」が同じものなのかもしれないが未確認である。私が持っているのは潮出版から出た単行本で、ネットの古本屋で見つけた。表紙の一部に気にならない程度のヤケはあるが帯も残っており比較的いい状態の古書だと思う。


帯には、「カニバリズムや幽霊屋敷や瓶の中の出来事などあやかしの世界が現実の日常世界と交錯し、一瞬、戦慄が走る!」とある。


この文章だけ読むとなにやらグロテスクな内容を想像してしまいがちだが、実際はさほどそういった印象は受けない。登場人物たちの多くがいわゆるハイソサエティに属する「お上品な」人たちだということもあるし、生々しくグロテスクな表現がほとんど見当たらないことにもよると思われる。それゆえかえって不気味でありぞっとするわけだが、なにやら昔話や「今昔物語」などの説話に共通するものがありそうな気がする。私はけっこうこういった怪奇物語は好きなので面白く読み終えた。


もう1冊あげるとすると、たぶん展覧会に合わせて出版されたと思われる鴨居玲についての本。著者である長谷川智恵子氏は鴨居が専属契約を結び公私共に親しく交際した日動画廊の現社長である長谷川徳七氏の妻で副社長を務める方。


 鴨居玲に関する伝記的な本は今まで2冊ほど読んでいるが、いずれも客観的な視点で調査され分析された部分が多い本だ。それらについてはまた別の日に書くこともあるかと思うが、今回取り上げた「鴨居玲 死を見つめる男」は、今まで読んだ本では知ることのできなかった鴨居の様子や妻と別居していた鴨居を支えた女性が撮った写真(彼女はカメラマン)などが多数掲載されており、なかなか面白かった。


鴨居玲については、近いうちに展覧会に行く予定にしているので、見た後でまた書きたいと思っている。


上記2冊以外で読んだのは・・・少し前にも書いたが神戸の連続児童殺傷事件に関する本2冊、何故か「金閣寺」(三島由紀夫)、何故か「斜陽」(大宰治)、「フォーカスな人々」(井田真木子)、「アッシャー家の崩壊」「モルグ街の殺人事件」(ポー)、「家族という病」(下重暁子)などなど。手当たり次第に読んでいる割にはさほどの量ではない。


なにせ常に「何か」読みたいと思うのだが、「何が」読みたいか決まるまでに時間がかかることがあって困る(^^;) ピンとくる本がなかなか見つからず、本棚の前で悪戦苦闘する(前後2列に収納しているため)ことなど日常茶飯事だ。持っている本を簡単に一覧できたらさぞかしストレスが減るだろうなと思うが、現実的には土台無理な話。悪戦苦闘の乱読生活はまだまだ続く。

| - | 11:20 | comments(0) | - |
大倉山記念館〜慶応義塾大学日吉キャンパス
15-0627-1

東急東横線「大倉山」駅で下車し、長い急坂を上り、木々の緑に囲まれた階段を上った先に見えるのが、いかにも由緒ありそうな大倉山記念館。実業家で東洋大学学長も務めた大倉邦彦氏により1932年に創建された。創建当時は「大倉精神文化研究所」の本館としてだったが、1981年横浜市に寄贈され「大倉山記念館」という名称になった。


 設計は、長野宇平治氏。北海道銀行本店、横浜正金銀行東京支店などを手がけた古典主義建築の第一人者だ。


設計に当たり、大倉氏は「東西文化の融合」という理想を掲げる。それに共鳴した長野氏は、古典主義にとらわれることなく古代ギリシア以前の「プレヘレニック様式」を用いながら東洋の意匠も取り入れた。外観は「洋風」だが、たとえばホールに取り入れられた神社建築の木組みなど「東洋」の様式に思いがけなく出会うことができる。


記念館としての開館以来、地域に密着したイベントを中心に様々な催しが行われている。見た目はかなりアカデミックな印象なのだが、市民に愛され利用されている貴重な施設だと感じた。広いとはいえない集会室に置かれているテーブルや椅子も重厚な雰囲気。古いものだと思うがよく手入れされている。


先日はかなり久しぶりに行ったのだが、前回は図書館にまっしぐらだったので気付いていなかった様々な意匠が目に飛び込み、こんなに見どころが多い建築物が身近にあったのだと遅まきながら気付いた次第。特に気になったのが吹き抜けのエントランス上部のテラコッタ彫刻。あまり近くまで行けなかったので詳細はわからないが、獅子と鷲が並んでいる。交互に並んでいるのだがポーズが違うのがおもしろく、機会があったらもう少し近づいて鑑賞したい。


帰宅して少し調べてみると、「プレヘレニック様式」とはギリシア文明以前エーゲ海で栄えたクレタやミケーネ文明の建築様式とのこと。通常の古典主義様式ではギリシア文明の建築が基礎となっているが、それ以前のスタイルということだろうか。最大の特徴は根元が細い柱で、大倉山記念館内にもこの特徴が行かされている。


外観正面のピロティはギリシア神殿のようなデザイン(前回の写真参照)。私は気付かなかったが、ここの柱も根元に向かって細くなっているらしい。ペディメント切り妻屋根と柱の間の三角形の部分。日本建築の「破風」に当たる部分)には八咫鏡(やたのかがみ)と鳳凰、螺旋、円盤、ペルシア的なロゼットがあしらわれている。


私が気になった獅子と鷲だが、これは一体一体向きも表情も違うもので、作者は水谷鐵也氏という彫刻家だそうだ。エントランスのどこから見ても必ずどれかの像と目が合うとのことだが、視力がいい人でないとわからないかもしれない。



話は変わるが(関係性はあるのだが)、ピロティの円柱を見ていたら慶応大学日吉キャンパスの建物を思い出した。


 日吉駅前の長い銀杏並木を登った突き当たりに記念館があるのだが、その手前に芝生の広場があり(手入れは今ひとつ!私が子どもの頃はもっときれいだった)、その左右に「白亜」という言葉がよく似合う2棟がある。よく似ているが、第一校舎(高等学校)の方が見どころが多いかもしれない。大倉山記念館よりモダンな印象だが、こちらも歴史的に価値ある建築物だと思う。子どもの頃なじみの遊び場であり、通学途中毎日見た建物なのでなんとなく愛着がある。


慶応義塾大学日吉キャンパスといえば、その下に日吉台地下壕があり先の戦争中は連合艦隊司令部が置かれていたことが知られている。


最近マスコミに公開されニュースでも伝えられたが、「日吉台地下壕保存の会」に入ると見学会に参加できそうだ。また、校舎の一部は海軍に提供され寄宿舎として利用されていたらしい。それ以前は慶応大学予科の生徒が入居する寄宿舎だった部分で、鉄筋コンクリート3階建てに40人が暮らし展望風呂のような共同浴場もあった。旧制高等学校の学生寮としては破格の豪華さだったと思われる。


実は・・・だいぶ前のことなのでこっそり書いてしまうが、私はこの展望風呂がある辺りに行ったことがある。当時すでに立ち入り禁止区域になってはいたが、けっこう簡単に入れたのだった。展望風呂に隣接する寄宿舎であった建物には人の気配があり、どのように利用されていたのかはわからないがとにかく全くの廃虚といった感じではなかった。展望風呂は高いところにあるので見られなかったが、戦後は米軍に接収されローマ風呂の浴槽部分はバーカウンターとして使われていたそうである。見たかった・・・(^^;)


日吉という町は小学校に上がる前から29歳まで20年以上暮らした町だ。今でも隣町に住んでいるのでやはり縁がある場所だと思っている。放射線状に広がる駅前商店街は様変わりし、大学構内もずいぶん変わった。競泳用プールがあったところには「協生館」という立派な建物が建ち、古びていた校舎も次々と建て直されて明るい雰囲気になった。しかし、あのキャンパスは戦争遺産でもある。残すべきものはしっかり残し、保存し、機会があれば公開してもらいたいと思っている。


*大倉山記念館の建築については、こちら

*慶応義塾大学日吉キャンパスについて参考にしたサイトは、こちらこちら

*日吉台地下壕保存の会は、こちら


15-0627-2

| - | 08:22 | comments(0) | - |
松元ヒロ&矢崎泰久トークライブ
15-0625

だいぶ前にチケットを購入していた「松元ヒロ&矢崎泰久トークライブ」に行ってきた。場所は隣町にある大倉山記念館。早く着きすぎたので建物の中をざっと見たが、横浜市の有形文化財にふさわしい価値ある建築物だと再認識した。建物のことは後日に回すとして、今日はトークショーについて。


午後7時から2時間強のトークライブは多いに盛り上がった。さほど大きなホールではないので定員は100人にも満たない。ヒロさんのコアなファンも多いらしく、トークの合間合間に拍手が聞えたりもしていい雰囲気だった。


私がヒロさんを始めて見たのは何年か前の立川志の輔さんの独演会。落語の入る前にヒロさんが出てきてあの時は確かニュースの音源に合わせてパントマイムを見せてくれた(マイムニュース、というらしい)と記憶している。それがけっこう面白くて名前を覚えていたら、ラジオのゲストとしても何度か出演。今回のチケットもラジオでトークライブがあると聞いてさっそく申し込んだものだ。


松元ヒロさんは、パントマイマーとして芸人生活をスタートした方で、コントグループ「ザ・ニュースペーパー」の結成に参加後、ピン芸人として独立。立川談志に気に入られ、小沢昭一の奥様に気に入られ、ということからもわかるように、独特の魅力を感じさせる方である。


東京都知事選挙では宇都宮氏を応援。最近では「憲法くん」というネタが人気で、昨日も政治的な話もかなり出た。かなり鋭いことを言っているのだが、芸と人柄によって過激だという印象は受けにくい。むしろ、すとんと響いてくるものがあり、舌鋒鋭い憲法擁護論には眉をひそめる人たちにも受け入れられそうな気がする。


しかし、スタンスははっきりしており、それゆえ「テレビに出られない芸人」とも言われている。おもしろいということでテレビ局の人たちが何人も見に来るそうだが、終わった後で「いやぁ、おもしろかったですよ。絶対うちには出せません」などと言われるそうだ。ヒロさんの芸を観たければライブで見るか、動画サイトを探すか、ラジオに出た時に聞くか・・・そんなところだろうか。残念だとは思わない。政権にすり寄ったり萎縮してわけのわからぬ自粛をしているマスコミなんぞ相手にしない方がいいと思う。


トークのお相手の矢崎泰久氏は、ジャーナリストであり「話の特集」を出版し編集長を30年間務めた方である。こちらも歯に衣着せない物言いが魅力の人で、現在も「週刊金曜日」などで連載企画を持っている。天皇や国家権力に対して徹底した批判的精神を貫き、敵も多いが慕う人も多いのではないかと思われる。御年82歳だが、頭の回転が速くヒロさんとの軽妙なやり取りがおもしろかった。著作も多いので読まれた方もいらっしゃるのではないかと思う。


トークライブに満足して帰ってきてあらためて思うのは、今の時代、真実あるいは真実に近いことを知るにはメディアを選ばなければならないということだ。あるいは、自分で実際に動いて情報を得ようとしなくてはいけないということだ。テレビの前に座って相も変わらぬニュース番組を見ているだけではダメだということだ。マスコミに触れるなということではない。マスコミが発信する情報も得ながら、鵜呑みにせず(そんな人いるのか?)他のメディアからの情報を積極的に取ろうとしなければ、ということだ。


ネットの功罪が言われて久しいが、ネットニュースなど「功」の部分は多いに利用すべきだと思う。ラジオもテレビよりよっぽどマシだと私は思っている。


夏至も過ぎて蒸し暑くなってきた。もう来週から7月である。苦手な(嫌いな、ではなく)夏がやってくると思うと少し憂鬱だが、なんとかやり過ごそうと思う。大倉山記念館には図書館があり以前利用したことがある。図書館がとても少ない=本当は文化度が低い横浜市を嘆いても仕方ないので、近いうちに行って何冊か借りてこよう。今年の夏は読書三昧にしようかな?


*松元ヒロさんの動画、たとえばこれ。宇都宮氏応援の時のもの。

*「憲法くん」の一部だと思われる動画は、これ。いいです。

*ラジオに出演された時の様子は、これ

*独立系ラジオ番組「ラジオフォーラム」、要チェックです。


| - | 11:09 | comments(0) | - |
秘密の花園
15-0624

先月、野村和子さんのバラ講座に行ったことは5月15日の記事で書いた。テーマは「庭園におけるバラ」で、バラが出てくる文学作品としてバーネットの「秘密の花園」が取り上げられており、さっそく読んでみた。


子どものころ読んだことがあるような・・・ないような・・・記憶もかなり薄れていて、ほとんど初めて読むに等しい。絵本も出ているが、私は岩波少年文庫版で読んだ。


子ども向きの作品ということになっているが、優れた作品はたとえそれが子ども向きに書かれていても十分大人にも楽しめる。それを再確認することができた。私はもはや夢見る少女ではないし(当たり前!)少女時代も若いころもロマンチストというよりもリアリストに近かったので、この年齢になってじっくり読む方がよかったかもしれないとも思えた。


物語の筋はよくご存知の方も多いと思うので割愛するが、決して「いい性格」とはいえない主人公の少女が親をなくして引き取られたイギリスの片田舎の屋敷が舞台である。その屋敷には入ることのできない庭があるのだが、入口が分からない。主人公メアリはコマドリに導かれるようにその入口を発見し、鍵も見つける・・・このあたりはワクワク・ドキドキする場面だ。


恐る恐る入った庭園は荒れ果てていたが、よく見るとまだ息づいている植物たちもある。枯れているように見えたバラもよく見れば硬い新芽をつけている。そんな庭を、メアリはディコンという動物たちの言葉が分かる少年の助けを借りながら少しずつ手入れしていく。


本の中には様々な植物、動物たちが出てきてそれが私にとって非常に魅力的だった。モノクロの挿し絵はところどころにあるのだが、想像を邪魔するほどではない。言葉による表現が豊かであればあるほど、絵は不要かもしれない。ただ、少年向きの本なので挿し絵があるのだろう。


絵本版もあり、バラの講座で野村さんも紹介してくださったが、その絵は下手ではないがちょっと物足りない感じがした。野村さんもそうおっしゃっていたが、本を読んでみてなるほどと思った。ただし、絵本の場面は原作に忠実な秋の風景になっているのでそれはそれでいいのかもしれない。春のシーンが描かれていたら、また違う印象を持ったかもしれない。


作者のバーネットは、「小公女」「小公子」の作者として有名だが、「秘密の花園」は出版当時はさほど話題にならなかったらしい。しかし、時を経てなお色あせない魅力があるのは確かで、子どもだけでなく多くの大人たちに読んでほしい本だと思う。


岩波少年文庫、けっこう私は好きで他の本も数冊持っている。字が大きいし(^^;)読みやすいのだ。次は何を読もうかな?


*絵本版は、こちら

*文庫もあり。こちらとかこちらとか。

| - | 10:40 | comments(0) | - |
ペンディング
15-0623

18年前、神戸で起きた連続児童殺傷事件。その犯人だった男性が「元少年A」という著者名で手記「絶歌」を出してから2週間が経とうとしている。


 10日の記事の最後に少し興味があると書いたが、今のところ読む予定はない。興味はあるが、読もうと思うまでいかない。これはこの本に限ったことではなく、書店や書評で見かけて気になる本の中にはそういった本がいくらでもある。ある日突然読みたくなることもあるので、気になった本は一応Amazonのリストには入れてある。


この2週間、様々なメディアがこの本の出版について取り上げている。冷静な評論もあれば主観に過ぎる意見もある、というのが今のところの印象である。事件が事件なだけに注目度は高く、注目度が高いということはよくも悪くも様々な意見が出ることが多いので当然のことだと思われる。


 それらを手当たり次第読みながら、とりあえず私は事件のあらましをもう一度確認しておこうと思い、「少年A 14歳の肖像」(高山文彦・新潮社)と「暗い森ー神戸連続児童殺傷事件」(朝日新聞大阪社会部)を再読した。この2冊は2002年に購入しているので(Amazonが教えてくれた!)再読といっても2度目ではなく何度目かだと思う。


事件から5年経過して何故これらの本を読みたいと思ったのかは13年前のことなのでわからない。もしかしたら、難しい年ごろに突入しつつある息子のことが頭にあったかもしれないし、もともと精神的な異常性について興味をもっているのでたまたま見かけたから読んだのかもしれない。


個人と新聞社という違いはあるが、客観的な取材に基づいて書かれた本である。この2冊以外にも、被害者児童の親や加害者の親、少年鑑別所の法務教官だった人などがこの事件や「少年A」について本を出しているが私は未読。何冊も読むほどの関心がなかったのかもしれないし、他に読みたい本がたくさんあったので忘れてしまったのかもしれない。もしかしたら、何冊本を読もうと、この事件の本質のようなものはわからないと思ったのかもしれない。


「絶歌」について私が目にした意見は、立場や考え方により多様でまとめることもできない。が、少し感想を書いてみたいと思う。


被害者児童の父親が非常に憤慨し本の回収を出版した太田出版に送ったというが、子どもがあれだけ悲惨な殺されかたをした親の気持ちを思えば当然といえば当然だろう。逮捕されてから加害者とやり取りを続け、何故息子が殺されなくてはならなかったのかをずっと考え続けてこられたのだと思う。そして、18年という歳月の中で、少しずつ気持ちも落ち着いてきたのではないかと思うが、何の断りもなく出版されたのではたまらないだろう。自分だけでなく、亡き息子までが踏みにじられたように感じたのではないか。


しかし、回収を求めるとなるとなかなか難しい・・・というか複雑な心境になる。気持ちはわかる。しかし、そこには例によって「表現の自由」が絡んでくる。相手がどんな人間であろうと、表現することそのものを他者が断ち切るということについてはいささかの抵抗を私は感じる。


書店によっては扱わないという判断をしたところもあるようだが、それはそれで自由であり態度を明確にしたということはいいことだと思っている。また、読みたくなければ読まなければいいし、読んだ上で批難するのもまた自由だとも考える。が、表現するという行為を否定することにはやはり・・・


出版社の思惑も少し気になるところである。私はこの本が出されることを知った時、まずどこの出版社かが気になった。最初は幻冬舎あたりかと思っていたら違ったが、もともとは幻冬舎から出る予定だったと後で知り、やっぱりなと思った。幻冬舎によると、「少年A」の方から出版の打診があり社内で意見を重ねていたが無理だと判断、社長である見城氏の知りあいである太田出版に話を持っていったということだが、出版の主導権は幻冬舎が握っているのではないかと推測している。


特に悪い印象を持っているわけではないが、幻冬舎という会社 は一癖も二癖もある出版社だと感じていたので、センセーションを起すであろう本に食指を伸ばすと思ったわけだ。つまり出版もまた商売であり、利益を追求するために人の心を傷つけることも多いにありうる・・・というか多いにあることが現実だろう。この現実を良しとしているわけではないが、現実は現実。


本当に「少年A」が書いたのか、という指摘もある。出版社側は手を入れていないと言っており、本を読んだ人たちの感想(「あまりに自己本位」などなど)を目にすると、やはり本人が書いたのかとも思われる。が、本当のところはわからない。わからないなりに本に対する意見を言うのであれば、やはり読まなくてはいけないのだが、なんとなく読む気になれずにいる。


ということで、この本についての意見、スタンスはとりあえずペンディングということにする(^^;) 読みたい本、読むべき本が山積みなのでずっと読まないかもしれない。その場合はずっとペンディング。


*「地獄の季節ー酒鬼薔薇聖斗がいた場所」も読んだかも。見当たらないけど。

*犯人の手記なら、「無知の涙」(永山則夫)の方が読みたいかな。

*そんなことより、今日は沖縄の慰霊の日。私たちに何ができるか・・・


| - | 10:16 | comments(0) | - |
22日は猫に語らせる日・・・6月担当:みかん
15-0622

みなさん、おはようございます。6月担当のみかんです。去年の6月はまめこが担当でしたが、案の定すみごんは忘れていて、まめこが怒っていたのを覚えています。あれからもう1年。早いですね。


6月は梅雨の真っ最中で、このごろ雨の日が多いです。でも、台風の時やゲリラ豪雨の時の雨と違ってシトシト静かに降っています。私たち家猫には影響ないわけですが、外で暮らす仲間たちはどうしているだろう・・・と昼寝に突入する前のウトウト時などに思います。寒くはないので冬の雨よりいいと思うけど、皮膚病になりやすい時期なので困っている仲間もいると思うんですよね。


皮膚病といえば、すみごんが全身かゆかゆ病(単なる老化現象みたいですが)になって、2ヶ月くらい体を掻きむしっていました。最近ようやく落ち着いてきたようで、あまり掻かなくなりましたが、掻きむしりが最もひどい首の後ろから背中、肩にかけては無残な傷跡が残っています。今年の夏は背中が少しでも開いた服やノースリーブは着られないと嘆いています。この間も少し襟ぐりが開いた服を着て出掛けましたが、暑いというのにストールをぐるぐる巻いていました。ご苦労様なことです。


あたしたち猫は、時々バシバシ身体を掻きますが、毛皮が爪から皮膚を守ってくれるのでたいていは何ともありません。が、たまーに、毛が薄いところを掻いたり、強く掻きすぎたりすると傷になります。でも、毛があるから傷はまったくといっていいほど目立ちません。人間って、案外不便なものですね。


今月はすみごんの誕生日があり、またひとつ年をとりました。白髪も一段と増えて、鏡を見るたびに嘆いています。いつも美容院に行って染めてもらっているのですが、去年くらいから染めると猛烈に頭の皮膚が痒くなって気が狂いそうになるらしいです。で、なんとか自分で目立たなくしようと試行錯誤中らしいのですが、やっぱりプロのようにはいかないとあたしは思っています。少しずつ染まる、というトリートメントをお試し中ですが、あれってどうなんでしょうね。


あたしたち猫は年をとってもあまり毛色は変わらないですね。でも、黒猫さんには白髪が出るとか聞いたことがあります。でも、人間に比べたら見苦しくないです。人間も、全部白髪とか白髪と黒い毛がほどよく混じっているなら年相応でなかなかステキだと思うんですけど、根元だけ白髪っていうのはね。ちょっとね。全部白髪になるまでカツラをかぶっていたという人もいるらしいんですが、根性がないすみごんにはできそうにないとあたしは思っています。


あたしたちのことですが、相変わらずです。ゴンは時々食欲がなくなったりしますが、相変わらずうるさいです。鼻筋に斜めのしわを寄せてすみごんに「めしー!」「なでろー!」とか訴えています。すみごんはゴンに甘いのでその度にカリカリをあげたり、ミルクを作ったり(猫用の粉ミルク)、特別なおやつ(レトルトパウチ)をあげたり、もう至れり尽くせりでちょっと過保護なのではないかと思います。あたしとまめこなんて、放置状態です。放っておいても大丈夫だと思っているらしいんですが、あたしたちだってもうナイスミドルなのでいつ病気になったって不思議じゃないのに。


それにしてもっ!今日の写真は何なんですかっ!実は、今日猫ブログの日だということは忘れていなかったすみごんですが、あたしの写真がないということで慌てて撮ろうとしました。あたしだって、そうそう都合がいいようには動けないし、普段から自分の家の猫の写真を撮っていない自分が悪いと思っているので、動きまくってやりました。


 そうしたら、こんな写真が撮れてしまい、すみごんはおもしろがって「この写真を使おう!」なんて言いました。ちょっと失礼だと思うわ。ぷんぷん。


さて、来月はプリプリ小太りになってきた、まめこの番です。忘れられてしまう方に100円!


<追加6/23>

みかんがあんまり怒るので、追加写真を。水の中に手を入れてなめる!こんな飲み方しないでほしい・・・水がすぐ汚れるし。

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| - | 09:46 | comments(4) | - |
PHOTO WEEK・・・MOA美術館<7>
15-0621

美術館敷地内にある光琳屋敷は、1985年に復元されたもの。光琳自らが書いた図面、大工仕様図、茶室起し図(すべて重要文化財)に基づき、数寄屋建築の権威の監修で建てられたとのこと。であれば、限りなく実物に近いといっていいのではないだろうか。室内には入れないが、稀代の数奇者・光琳の美意識が随所に感じられる施設である。

*「木と草と花と・・・」、更新。
| - | 06:23 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・MOA美術館<6>
15-0620

光琳屋敷の軒先に吊るされていたこれは・・・変わったかたちの杉玉か??と思ったが気になっていたので調べてみると、これは「そば玉」と呼ばれているものらしい。素材は杉だが、中央に竹細工をあしらい、鼓のようなかたちになっている。
これは、戸隠地方の蕎麦屋で新蕎麦が出る時期に吊るされるらしい。なるほど、光琳屋敷の一番奥に「二條新町そばの坊」があった。中央の竹は戸隠特産の根曲がり竹だとか。
| - | 08:22 | comments(0) | - |
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