いつも不思議なのだが、PHOTO WEEKをやっている最中にいろいろ他のことを書きたくなる。今月もあれこれ考えさせられることが多く、少し時機を逸した感があるかもしれないがその一部をこれから書いていこうと思う。
世界水族館協会(WAZA)からの警告を受け、日本動物園水族館協会(JAZA)がイルカの追い込み漁による入手禁止などを入れた内部規定を策定する方針を明らかにした・・・とのニュースについて。
JAZAはなんとなく苦肉の策として受け入れた感があり、和歌山県太地町で昔から漁をしている人たちが憤慨しているという話に同情的な雰囲気を感じさせる記事もいくつかあった。なるほど生活の糧でもある仕事を否定されれば誰しも困るし腹も立つと思う。代々受け継いできたその仕事には常に危険が伴っていたかもしれないし、それゆえ自分たちの仕事に誇りを持っているのかもしれない。
しかし、「文化だから」という理由を大上段に構えて反発するのはいかがなものか、と私は思っている。
鯨漁についてもいろいろ考えることはあるのだが、今回はイルカについてのみ思うところを書く。恥ずかしながら私は、水族館でショーに使われているイルカたちがすべてでないにしても追い込み漁で捕獲されたイルカだということを知らなかった。また、イルカが「食用」にされていることも知らなかった。スーパーで「イルカ」のプライスカードを貼られて売られているところもあるらしい・・・げげげ。
水産資源に恵まれている日本は大昔から漁で生計を立てたり、漁で獲れたものを糧として食してきた。それ自体は自然なことなので否定するものではない。しかし、いくらでも他に食べるものがある現代において、水族館で「きゃー!かわいい!」と言いながら見ているイルカを食うのか?私にはどうもそのあたりの感覚が理解できない。また、「きゃー!かわいい!」と思うイルカがどのような方法で水族館に来たかなど考えもせず(考えもしたくないのかも?)、ただ楽しけりゃいいという姿勢があるとすれば、それもまた理解できない。
また、昔からの文化でありそれを生業にしている人たちがいるからイルカ(あるいは鯨)を獲ったっていいじゃないか、という主張にもピンとこないものがある。生業にしている人たちが困るという理由がまかりとおるなら、経済発展や技術革新の波に
飲まれて消えていった職業のことも考えねばなるまい。
彼らの多くは、抵抗しながも、「時代の波」に抗いながらも打ち勝つことができず、別の道を探したり妥協したり絶望してしまったりしてきたのではなかったのか。これこそ「文化」だと思える技をもった職人たちがいったい何人消えていったことだろうか。
豊かな自然、と人は簡単に言うが、日本人はその豊かな自然をあまりに無造作に、無分別に踏みにじってきたように思えてならない。動物園にしても水族館にしても、そこに行かなければ見られない動物たちを知る場所としては貴重な存在だが、そこをエンターテイメントの場所として位置づけなくては成り立っていかない状況を思う時、「文化」人としてのレベルがまだまだ低いと思わざるをえなくなってしまう。
そういう場所がなくなればいいということではない。が、楽しみの裏側に何があるかを知ろうとする意識、現状の問題点を正視する意識は必要であると思うし、人の楽しみのために動物を利用するのであれば人が開発した技術を駆使して人工繁殖に取り組み、野生動物にはできるだけ手を出さないで欲しいと願う。
私はもともと、動物たちが芸をするのを見るのがあまり好きではない。水族館などに行った時、成り行きでたまにショーを見ることがあるが、「すごい、すごい!」と思いながらも心のどこかで後ろめたいような、心から楽しめないようなものを感じる。高く高くジャンプするイルカたちは健気だが、狭いプールより大海原を思い切り泳いでいる方がいいに決まっていると思ってしまう。
水族館で生まれたイルカは外の世界を知らないからまだいい。外から連れてこられて芸を仕込まれるイルカを思う時、やはり人間は業が深いと思わざるを得ない。イルカショーで経営が成り立っているのなら、イルカの人工繁殖に全力を注ぐ以外ないのではないだろうか。また、水族館に行く側もショー以外にもっと興味を持ち、海に生きる生物たちの神秘を楽しむ姿勢をもっと持ってもらいたいと思う。
*「木と草と花と・・・」、更新。
*ダービー行きはいろいろアクシデントあり、で中止に。
*一応予想だけ書いておこうかな。予想というより応援する馬。
*人気のドゥラメンテはやんちゃそうなのでけっこう好きだが・・・
*悲願のダービー制覇を狙う海老名騎手のタンタアレグリア
*実力十分だと思われるサトノクラウン
*カメハメハ産駒はけっこう好きなのでレーヴィミストラル
*大逃げに期待したいスピリッツミノル
*ディープ産駒がいないところが、ミソ(^^;)