久しぶりに映画の話。といっても、新しい映画を見に行ったのではなく家でDVD鑑賞。
好きな映画にもいろいろあって、「共感した」「感動した」等々理解した上で好きになる映画もあれば、「よくわからないけれど何故か好きな」映画もある。どこが好きなのかと聞かれると答えに困るのだが、強いていえば「雰囲気」が好きなのだろうか。何度見ても「理解」を超えたものを感じるのだが、そういう映画はもともと「理解」されることを目的に作られていないのだろうとも考える。
そんな映画の代表である「ツィゴイネルワイゼン」をまた観た。また、というより今度でたぶん5回目くらいだと思う。しぶとく何回も観る映画はいくつかあって、そのうちのひとつだ。
この映画は鈴木清順監督の「浪漫三部作」のひとつで最初の作品だ。内田百蠅痢屮汽薀機璽討糧廖廚縫劵鵐箸鯑世燭噺世錣譴討り、タイトルの「ツィゴイネルワイゼン」は「ジプシーの旋律」という意味で、登場人物の一人である中砂の生き方に通じる。
映画に出てくるのはごく限られた人物だ。男2人と女2人。男は陸軍士官学校独逸語教授の青地、その友人でかつて同僚でもあった中砂。女は青地の妻と中砂が妻にした女と妻の死後迎えた元芸者(大谷直子が2役)。あとは、盲目の旅芸人3人と、中砂と妻の間に生まれた娘・豊子。
旅先で知りあい関係を持った芸者とそっくりな妻を迎えた中砂は、妻の死後その芸者を後添えにしつつ、相変わらず放浪生活を送っている。妻は自分にうり二つだという女が何者か知りたがり、嫉妬しながら限りなくコンニャクをちぎる。
青地は一見まともに生きている人間で、中砂やその妻、そして自分の妻に翻弄され続ける。梅の花が咲くとアレルギーを起こして身体に赤い湿疹ができる青地の妻は、ある日腐りかけの桃をおいしそうに食べる。青地の妻の妹は重病を患って入院しておりもう先がない。
ある日青地が見舞いに行くと、中砂と姉(青地の妻)が一緒に来たという。2人の関係を疑う青地・・・娘を残したまま、中砂は旅先で死ぬ。麻酔薬を吸入したとかであっけなく。
中砂の家も疎遠になった5年後、青地は切り通しで娘を連れた中砂の妻(元芸者)に会う。しばらくすると、中砂の妻が突然青地家を訪れ、夫が貸しているはずの本を返してほしいと言う。ドイツ語の専門書のタイトルと著者名を芸者だった妻はすらすらと言う。しばらくしてまた本を返して欲しいと言う。三度目は「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを返して欲しいと言う。
妻が言うには、中砂の娘・豊子がうわごとのように父と会話することがあり、本やレコードもその時娘の口から聞いたことだという。豊子はある日突然青地の前に現れ、「おじさんの骨をちょうだい」と言う。青地と中砂は、先に死んだ方が残った方に骨を与えるという約束をしていたのだ。
恐ろしくなった青地は石の太鼓橋を渡る。死の世界から来たような豊子が怖くなったのだ。死の世界から逃げてきたと思っていたのに、目の前にまた豊子が現れる。船に白い菊の花を積んだ豊子が青地を迎えにきていたのだ。そして、いきなり映画は終わる。
現実と非現実の交錯が、監督の「美意識」の中で絡み合い、もつれ合い、何が現実で何がそうでないかがわからなくなってくる。そんな不思議な映画である。
ちなみに、私は「浪漫三部作」すべてを観ている。松田優作主演の「陽炎座」、沢田研二主演の「夢二」もやはり幻想と現実の間を行き来する不思議な映画だが、やはり一番好きなのは本作。久しぶりに音楽の方の「ツィゴイネルワイゼン」を聴こうかな・・・
*藤田敏八さん、だいぶ前に亡くなっていたのね・・・
*「木と草と花と・・・」、更新。