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日々の内側
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桜写真
15-0331

毎年この時期になると桜の写真を撮る。いつも似たような写真になってしまうのでもう撮るのはよそうと思うのに花が咲くと出掛けて行って撮ってしまう。帰宅して写真を確認する。ああ、また同じだ、とがっかりする。そんな繰り返しを毎年続けている。


昨日、桜の恐ろしさについて書いたが、写真に関しても桜は恐ろしい・・・というより手強い。かなり手強い。


ただ美しく咲き誇っているところを切り取ろうとするなら、昨今機能性が目に見えて向上したカメラのこと、プロでなくてもそれなりの写真は撮れるであろう。また、それはそれで健全な、まともな写真の楽しみかたなのかもしれないとも思う。


たぶん写真に求めるものが私の場合は違うのだろう。だから何度撮っても不服なのだと思う。では、桜の何が撮りたいかと自問自答してみても、明確な答えが出てこないのは情けない。言えるのは、桜の美しさ、儚さ、の奥に感じる何かなのだが・・・


その答えを知りたくて私は毎年桜を撮っているのかもしれない。昨日も気に入っている桜の大木の下に行って首が痛くなるほど見上げなければ見えない桜を見ながら考えた。が、今年も答えは出なかった。うーん、やっぱり手強いぞ、桜!


*数年前もこんなに(?)苦労していた(^^;)証拠写真をあらためて見てみた。

*カラー(といっても淡墨に近い)は、こちら。サムネイルをクリック!

*モノクロは、こちら。同上。

| - | 10:02 | comments(0) | - |
狂気の桜
15-0330

映画に同じタイトルがあったと思ったが、映画の方は「凶気の桜」だった。ともあれ、この季節はなぜか「狂気」というものを感じてしまう季節である。


東京・横浜地域は今日あたりでソメイヨシノが満開になりそうだ。ここ数日の高温で散り始めている木もあると聞く。先週土曜日は地元の公園で例年開催されている「桜まつり」があり、昼ごろからお囃子の音やら何やら賑やかな気配が我が窓辺まで届いた。咲き誇る桜の下で集い、しばしの非日常を楽しむという習慣はいつごろ始まったのだろう。


平安貴族が花を愛でる宴を催したのは知っているが、現在のように老若男女一般庶民が花見をするようになったのは江戸時代ころからか。


現代の花見の様子を見ていると、「花よりだんご」でとにかく集まって呑んで騒ぐ方が主目的になっているように思える。それが悪いというわけではないが、テレビのニュースなどで見る上野公園の様子などは、私には「狂気」を感じさせる。いい大人があれほどハメをはずすというのは尋常ではない。まあ、この場合の「狂気」は他愛ない「馬鹿ばかしさ」に近いが。


何度も書いているが、私は「桜」に陽気なイメージを持っていない。あの咲きかたは尋常ではない。葉が出るより先に花が一斉に咲く花木は桜以外にもたくさんあるが、桜の咲きかたはどこか気違いじみてみえることがある。そんなことを思っていると、映画「桜の森の満開の下」のシーンを思い浮かべる。


どこからともなく風の音が聞える桜の森を修行僧の一団が通り過ぎようとしている。桜の枝は揺れどこからともなく風が巻き起こり吹き過ぎる。と、それまで整然と並んで歩いていた僧たちが狂ったようにあがきはじめる。持っていたものや身に付けていたものを放り投げて、散り散りに走っていく。まるで恐ろしい何かから逃げるように。あの映画は(原作も同様)桜というものが持つ「狂気「を表現していると思う。この「狂気」は花見時の乱痴気騒ぎとは全く違う、本当に怖い「狂気」である。


わが家の近くにも先に書いた公園以外に桜の木はたくさんある。農家の庭先には見事な河津桜や紅枝垂れもある。今まで何度も写真を撮りにいったが、いつも同じような写真になってしまうので年々撮る意欲は弱くなるばかりだが。昨年も花の終わりが近づくころ一度だけ行ってみたが、きれいだと思うもののとりたてて感動はしなかった。


一ヶ所だけ、以前から気になっている場所がある。わが家からほど近い山の斜面にソメイヨシノの大木が数本あり、そこは花見ができる場所ではないのでいつも静かなのだ。人間2人がすれ違えるくらいの細い道が斜面の下にあり、桜の木を過ぎると昔からこの地に住む一族の墓が数基。昼間でも薄暗く、夜一人で通るのははばかられる。


公園の木よりだいぶ大きなソメイヨシノが斜面の下に向かって枝を伸ばしている。花が終わりに近づくと、花びらが文字通り吹雪のように降り注ぎ、飛び交う。そんな時その道にたたずむと、やはり「花の下は果てがない」と言いながら消えていった山賊のことを思い出す。


調べてみて知ったのだが、陰陽道では桜は「陰」で、宴会の「陽」と対を為すそうだ。人が全くいないところで満開の桜を見ると少し怖くなるのはそういうことか、と妙に納得してしまった。毎年花見で騒いでいる人たちも、一度はたった一人で満開の桜の下に立ってみるといい。それまでとは違う桜の妖しい力を感じるかもしれない。


北向きの仕事部屋の窓から、桜の森が見える。薄紅色の雲が厚くかかっているかのようである。手前には小さな公園があり、春休み中の子供たちが元気よく遊んでいる。桜と公園の間には花桃が濃紅、桃、白の花を賑やかに咲かせている。この森は、風が強く吹くと木々が大きく揺れて轟々と音を立てる。今日は穏やかに晴れてのどかな雰囲気だが、空がにわかに曇って風が吹き荒れたら・・・・あの桜は・・・と、ふと想像してみる。子供たちの声はいつしか消えている。

| - | 14:39 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・海岸美術館にて<7>
15-0329

庭の奥まったあたり、木の下でじっと下を見つめていたフクロウ。こうやって、庭園の四季をみつめているのか。
| - | 09:23 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・海岸美術館にて<6>
15-0328

近くに椿の木はなかった・・・ということは、美術館の誰かがそっと水に浮かべたであろう白い椿。水は空を映し、花はしばし息づく。

*「木と草と花と・・・」、更新(昨日)
| - | 09:02 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・海岸美術館にて<5>
15-0327

白と藍の伝統柄タイル。「青海波」「ちどり」・・・海岸美術館ならではの選択かな?

*昨日行った落語会(遊馬の会・お江戸日本橋亭)はなかなか充実していた。
*思わぬ発見があるから、寄席はいいね!
| - | 06:55 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・海岸美術館にて<4>
15-0326

写真を覆うガラスに室内が写り、屋外が写り、他の作品が写り、そして私が写る。これは面白い!と遊んでみた。

*昨日は久々に材木座海岸へ。
*お天気がよくて海がキラキラして気持ちよかった!
*が、風が強くてじっとしているとまだ寒い。ウインドサーフィン向きの日。
*その後面白いこと数々。あー楽しかった!
*しかし、よく歩いた。帰宅して万歩計を見たら18510歩!
| - | 08:31 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・海岸美術館にて<3>
15-0325

ガラス作品がいくつか、窓に近いところに展示されている。やはりガラスは自然光で見るに限るとあらためて思う。

*あ、「猫に語らせる日」を忘れていた!今気付いた!
*仕方ない。今月はお休みということで。許せ、まめこ。
| - | 07:25 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・海岸美術館にて<2>
15-0324

照明をほとんど使わず自然光のみなので、屋内にはやさしい暗さがある。中央に置かれた大きなベンチの存在感・・・
| - | 08:32 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・海岸美術館にて<1>
15-0323

まだ2度しか行っていないが、海岸美術館は静かでいい場所だと思う。個人(浅井慎平氏)の美術館ということもあるだろう。美術作品を鑑賞するだけが美術館ではない、と思わせてくれるのもいい。

*「木と草と花と・・・」、更新。
| - | 07:51 | comments(0) | - |
房総の海 房総の風
15-0322

一昨日の金曜日、車で千葉方面にお出かけ。久里浜からフェリーに乗って金谷、そして千倉の海岸美術館へ。道の駅「ちくら潮風王国」にて食事をし、大山の千枚田を見て、またフェリー。


明るい海を見たいと思っていたので期待したのだが、あいにくこの日は曇り空。でも、時折のぞく晴れ間に波がキラキラ輝いて、久しぶりの海と風を堪能した。房総にしても湘南にしても、思い切り明るい海を楽しめるところが身近にあってよかった。日本海好きな私であるが、時には明るい海を見ながらぼーっとしていたい時もあるのだ。


私はだいたいあまり泳げないし、水に対する恐怖感のようなものも持っている。海の近くに住むか、山の近くに住むかと問われれば、迷わず山を選ぶと思う。たいして大きな山でなくていい。人の手が必要最小限入っているような照葉樹林がメインの山なら理想的だ。


そんな私ではあるが、恐れる一方で(恐れているからこそ?)「水」に対する憧れのような、言葉ではなかなか表現するのが難しい感覚を持っている。海にしろ川にしろ湖にしろ、「水」を見ているのが好きだ。空と水だけの風景を見ていると気持ちが柔らかくなるような気がする。絵葉書になるようなどこぞの美しい海でなくてもいい。そこいらの平凡な、できれば観光地化されていない海。電車で気軽に行ける範囲で見られる川。そんなところに行って「水」の流れをぼんやり眺めている時間がいい。


一昨日は比較的風が穏やかな日で、海岸美術館の庭園の日だまりの中にいると、つくづく「春が来たなぁ」と感じた。千倉の海も穏やかで、春の海風にしばし吹かれてきた。今は「花摘み」観光が盛んのようで、ストックやキンセンカを摘むことができるようだ。風の中に、微かにストックの甘い香りが混じっているように感じたのは錯覚だろうか。


菜の花が満開だった。どこを走っていても菜の花が眼に入るといっていいくらい。畑、庭先、道端・・・栽培しているのかどうか定かでないものも多く、無邪気な黄色い花を溢れるように咲かせていた。菜の花畑に入ると、お世辞にも「いい香り」とは言えないにおいを感じるが、これもまた春の香りなのだろう。


それにしても、フェリーはいいなぁ。久里浜から金谷までは約40分だが、もっともっと乗っていたい気分。遠くに見えるいろいろな船を見るのも楽しい。タンカーあり、LNG運搬船あり、客船あり、コンテナ船あり・・・海には眼に見える道がないから、一見どこか頼りないような、考えようによっては成り行き任せのロマンのような、そんなものを感じる。


まだ海が見足りないから、来週あたりふらっとどこかに行ってみるかな。お天気次第かな。


*金谷のフェリー乗り場「食彩市場」で野菜をゲット!

*すごく太いごぼうが100円!インゲンもたっぷり入って150円!

*観光地で野菜を買うのが楽しみになってきた。年のせいか?

| - | 12:05 | comments(0) | - |
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