いつもと同様、今年のバレンタインにも息子と家人にチョコレートを買った。今年は、自由が丘にある「マリベル」のもの。普段あまりチョコレートを食べないので全く詳しくないのだが、特別の機会にいろいろなチョコレートを見ると、「芸術品」のような(味もデザインも、そしてお値段も!?)チョコレートってあるもんですな。
今年は自分用に買うのはやめにしておいた。息子たち以外にもちょっとしたお付合い上余分に買う必要があり、自分の分の予算をそちらに回したため。以前にも増して緊縮財政の昨今なのである。
自分のものを買わなかったからなのか、スーパーの菓子売場のチョコレートが目に付き久しぶりに買ってみた。
あっという間に一箱食べてしまった。次にスーパーに行った時、またしても目に入ったので買おうかと思ったが、待てよ、と思いとどまった。このままずるずると食べ続けてしまいそうなので、その予感がしたところでストップをかけたのである。
砂糖には魔力があると思う。中毒性といってもいいかもしれない。その言葉が過剰であれば習慣性とでもいおうか。とにかく、一度はまると明らかに過剰摂取してしまいがちだと思うのだ。そして、砂糖の過剰摂取は身体によろしくないということを身をもって知っており、体調管理を意識的にしていかなくてはならない年齢になったのだから砂糖の摂取についてはある程度神経を使わなければならないと思っている。
だいぶ前のことになるが、金平糖をやたらと食べていた時期があった。金平糖だけしか食べないのではないが、気付くと金平糖。あんな甘いだけのもの、と思いがちなのだが、甘いだけ(=砂糖の味だけ)だからそうなったと考えている。チョコレートのように砂糖が原料のひとつでしかない菓子よりも、砂糖だけの方が中毒性があるのではなかろうか。自分でもなぜこんなに食べ続けるのかと思いつつ、あのトゲトゲの、単純な甘さしかないものを食べていた。
当時は、自分の身体についてはほとんど注意を払っていなかったに近いので、さほど砂糖の過剰摂取による弊害も意識しなかったのだが、今思い出してみるとやはり体調はあまりよろしくなかったように思う。口の中や胃が荒れたように思うし、なんとなく生活がだらけていたような気がする。
砂糖の弊害については、様々なことが言われている。また、単純な誤解を指摘する声や、今まで知らなかった砂糖についての知識も知ることができるようになった。たとえば、脳の働きに「糖」が必要だという話。実際、仕事が忙しくて頭を使うことが多い時、甘いものが食べたくなるから、糖分摂取は頭にとって必要なことなのだろうと思っていた。が、脳に必要なのは「ブドウ糖」で、食べ物を分解して身体の中で作られる糖分のことらしいことがわかった。また、過度に精製された白砂糖がよくないことはうすうす知っていたが、だからといって黒砂糖や三温糖などが全く問題にならないかというとそうではないことも。
そういった砂糖に否定的な情報の中には、脅迫されているように感じられるものもあることは事実だ。脅迫におびえて砂糖を一切摂らないというのは極端だと思うし、なかなか難しいことだとも思う。ただ、砂糖の性質を正確に把握しておくのは重要なことなので、昨日も書いたが情報を広く集めた上で自分なりのスタンスを決めていきたい。
ただ、経験的に言えることは、砂糖をあまり摂らなくなってからの方が体調はいい。料理に使うことは滅多になく、コーヒーなどの飲み物にも砂糖はもともと使わない。たまに甘いものをおやつに食べるくらい。それくらいにしておくといいような気がする。加工食品などには砂糖を使っているものが多いし、外食すれば何にどれくらい砂糖が使われているかわからない。私たちは自分が思っているより多くの砂糖を身体に入れていると思うので、わかる範囲で控えていた方がいいというのが私のスタンスである。
あまり過剰な反応はしたくないが、かといってズボラはもっとよろしくない。砂糖は魅力的だが、魅力があるからこそ危ない。せいぜい、たまーに魅力に酔いしれるくらいが健康管理には肝要だろう。
まあ、もともと私は食べ物にあまり執着しない方だし、一度限りの人生だから食べたいものは食べ尽くす!という考え方も多いにアリだと思っている。ただ、やりたいことはまだ多々あるので、そのためには身体が資本。だから、身体の声に耳を傾けながら、砂糖とは付き合っていきたいと思っているだけ。