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砂糖の魔力
15-0228

いつもと同様、今年のバレンタインにも息子と家人にチョコレートを買った。今年は、自由が丘にある「マリベル」のもの。普段あまりチョコレートを食べないので全く詳しくないのだが、特別の機会にいろいろなチョコレートを見ると、「芸術品」のような(味もデザインも、そしてお値段も!?)チョコレートってあるもんですな。


今年は自分用に買うのはやめにしておいた。息子たち以外にもちょっとしたお付合い上余分に買う必要があり、自分の分の予算をそちらに回したため。以前にも増して緊縮財政の昨今なのである。


自分のものを買わなかったからなのか、スーパーの菓子売場のチョコレートが目に付き久しぶりに買ってみた。


あっという間に一箱食べてしまった。次にスーパーに行った時、またしても目に入ったので買おうかと思ったが、待てよ、と思いとどまった。このままずるずると食べ続けてしまいそうなので、その予感がしたところでストップをかけたのである。


砂糖には魔力があると思う。中毒性といってもいいかもしれない。その言葉が過剰であれば習慣性とでもいおうか。とにかく、一度はまると明らかに過剰摂取してしまいがちだと思うのだ。そして、砂糖の過剰摂取は身体によろしくないということを身をもって知っており、体調管理を意識的にしていかなくてはならない年齢になったのだから砂糖の摂取についてはある程度神経を使わなければならないと思っている。


だいぶ前のことになるが、金平糖をやたらと食べていた時期があった。金平糖だけしか食べないのではないが、気付くと金平糖。あんな甘いだけのもの、と思いがちなのだが、甘いだけ(=砂糖の味だけ)だからそうなったと考えている。チョコレートのように砂糖が原料のひとつでしかない菓子よりも、砂糖だけの方が中毒性があるのではなかろうか。自分でもなぜこんなに食べ続けるのかと思いつつ、あのトゲトゲの、単純な甘さしかないものを食べていた。


当時は、自分の身体についてはほとんど注意を払っていなかったに近いので、さほど砂糖の過剰摂取による弊害も意識しなかったのだが、今思い出してみるとやはり体調はあまりよろしくなかったように思う。口の中や胃が荒れたように思うし、なんとなく生活がだらけていたような気がする。


砂糖の弊害については、様々なことが言われている。また、単純な誤解を指摘する声や、今まで知らなかった砂糖についての知識も知ることができるようになった。たとえば、脳の働きに「糖」が必要だという話。実際、仕事が忙しくて頭を使うことが多い時、甘いものが食べたくなるから、糖分摂取は頭にとって必要なことなのだろうと思っていた。が、脳に必要なのは「ブドウ糖」で、食べ物を分解して身体の中で作られる糖分のことらしいことがわかった。また、過度に精製された白砂糖がよくないことはうすうす知っていたが、だからといって黒砂糖や三温糖などが全く問題にならないかというとそうではないことも。


そういった砂糖に否定的な情報の中には、脅迫されているように感じられるものもあることは事実だ。脅迫におびえて砂糖を一切摂らないというのは極端だと思うし、なかなか難しいことだとも思う。ただ、砂糖の性質を正確に把握しておくのは重要なことなので、昨日も書いたが情報を広く集めた上で自分なりのスタンスを決めていきたい。


ただ、経験的に言えることは、砂糖をあまり摂らなくなってからの方が体調はいい。料理に使うことは滅多になく、コーヒーなどの飲み物にも砂糖はもともと使わない。たまに甘いものをおやつに食べるくらい。それくらいにしておくといいような気がする。加工食品などには砂糖を使っているものが多いし、外食すれば何にどれくらい砂糖が使われているかわからない。私たちは自分が思っているより多くの砂糖を身体に入れていると思うので、わかる範囲で控えていた方がいいというのが私のスタンスである。


あまり過剰な反応はしたくないが、かといってズボラはもっとよろしくない。砂糖は魅力的だが、魅力があるからこそ危ない。せいぜい、たまーに魅力に酔いしれるくらいが健康管理には肝要だろう。


まあ、もともと私は食べ物にあまり執着しない方だし、一度限りの人生だから食べたいものは食べ尽くす!という考え方も多いにアリだと思っている。ただ、やりたいことはまだ多々あるので、そのためには身体が資本。だから、身体の声に耳を傾けながら、砂糖とは付き合っていきたいと思っているだけ。

| - | 21:28 | comments(0) | - |
メディア・リテラシー
15-0227

今日の朝日新聞に掲載されていた「池上彰の新聞ななめ読み」では、去る23日に行われた皇太子さまの記者会見について触れられており、新聞によって記事の内容が違っていることが指摘されていた。


 内容といっても、記者会見のリポートなので大幅な違いがあるというものではないが、微妙な部分だが非常に重要なこともある。特に「憲法」や「戦争」についてどのようなコメントがなされたかは国民にとって正確な情報が欲しいところである。


池上氏はまず、朝日新聞と毎日新聞の記事を比較している。戦後70年を迎えたことについての皇太子さまのコメントについて、朝日では 「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から、悲惨な体験や日本がたどってきた歴史が正しく伝えられていくことが大切」であるとの言葉が紹介されている。


 対して、毎日では「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」となっている。つまり、毎日新聞を読んでいなければ、「日本国憲法」が戦後の平和に重要な役割を持ってきたと皇太子さまが明確に認識していることを知ることができない。ちなみに読売新聞、産経新聞には(当然ながら)この部分の発言は掲載されていないという。


このように、1つの事実を伝えるといっても伝えかたは様々である。従って受け取りかたも様々になる。私は若いころマーケティング会社にいたので特にそう思うのかもしれないが、前にも書いたように同じデータでも分析者によってかなり違う分析が成り立つ。伝える者の経験や価値観、時には政治的な傾向や個人的な事情により記事は変わってくる。


 先の会見についても、どのような言葉に注目するかは記者に任されているわけで(会社の方針が大きく働いているだろうことは容易に想像できるが)、それだけを「事実」として受け取ってしまうことはかなり危ないことだと私は思っている。


以前から似たようなことを書いていると思うが、私は情報収集にあたって単一メディアにのみ頼るのは非常に危険だと思っている。単一のメディアからでは知ることができる内容に限度があるだけでなく、実際は何があったのか知りえないことも多いと思うからである。あまりに間口を広げてしまって頭の中が整理できなくなっては元も子もないが、自分の頭の能力と相談しながら、複数のメディアに触れ、自分の中で本当は何が起きたのか、起こっているのか、私たちはどうすればいいのか、などなどを考えていかなくては・・・と思う。


最近、「メディア・リテラシー」という言葉をよく聞く。意味は、「情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと」(wiki)。「能力」というと敷居が高いようにも思えるが、私はそうは思わない。学歴などとは関係なく、意識的に複数のメディアに接し、自分の頭で物事を考えるようにしていればある程度のメディア・リテラシーは身に付くのではないかと思う。


個人的には、テレビよりラジオを重要視している。なぜなら、局側の理由によってテレビをはじかれた人たちをラジオは受け入れているからである。また、国内メディアについては比較的簡単に知ることができるが、海外メディアが何をどう伝えているかは意識していないと忘れがちだが、福島第一原発の事故以来海外メディアの重要性を実感している。


最後に、もうお気付きのことと思うが、「新聞ななめ読み」のコラムは以前池上氏と朝日新聞の間でいざこざがあったコラムである。大騒ぎになって朝日も意識を改めたのか・・・心底あらためたのかはわからないが、掲載が復活したのはいいことだと思っている。


 最初からそうしていれば、朝日の株ももっと上がったのにね。自らに対して厳しい意見をどのように扱うかで会社や個人の品性がある程度判断できると思っているので、もし心底改めたのであれば、今後もこのままのスタンスでいてほしいと思っている。マスメディアに対してはあまり期待していないけれど。


| - | 20:21 | comments(0) | - |
薮の中
15-0226

川崎で起きた中学校1年生の殺人事件は、個人的な理由から特別な痛みを感じる悲しい事件だった。個人的な理由は2つある。


ひとつは、遺体が発見された現場を私はかつて訪れたことがある、ということ。事件をめぐる報道で写真が出たかもしれないが、現場は川崎河港水門の近くの河川敷である。この水門のデザインがおもしろいのでかつてカメラを持って自転車に乗り出かけた。


 穏やかな陽射しが溢れる平日のことで、釣をしている人の近くに猫がじっとすわっていたことを憶えている。途中で買ったおにぎりを河川敷で食べたのだが、近所のひとらしき数人がのんびり散歩しており、まことにのんびりした雰囲気だったことを思い出す。そんな場所であんな事件が・・・と思うとなにやら寒気のようなものを感じる。


もうひとつは、今回の被害者である少年が引っ越してきたばかりであり、上級生と付き合っており、何らかのいざこざがあったらしい話が出ていること。今回の事件とは較べようもないくらい些細なことだが、我が息子も以前少し似たようなことに巻き込まれたことがあり、親として他人事ではないのである。


離婚して息子と2人暮らしをはじめたのは、くしくも川崎市内であった。それまで住んでいたところ(横浜市内)とは少し雰囲気は違ったが、小学校5年生の息子は割と順応性がある子供だったのでなんとかなると思っていた。当時私は都内にある印刷会社の制作部門に勤務しており、朝は7時を少し過ぎたころ、夕方はどんなに急いでも7時近くにならないと家には帰ってこられなかった。


ある日、自宅アパートの前で息子の担任教師に出会った。挨拶もそこそこに担任が最近あった出来事について説明してくれた。息子はクラスメートや上級生、そしてその兄である中学生と閉門後の学校に忍び込んだそうである。なにをしたくて忍び込んだのかわからないが、子供が考えることなのでそう複雑な理由はなかったと思われる。


見回りの教師に見つかりみんなで逃げたが、息子ともう一人がつかまった(昔から要領が悪い子であったことよ)。教師に問い詰められ、息子たちは事の顛末(誰と一緒だったか、など)を白状した。どのような話が教師からあったかわからないが、自分たちが悪いことをしたことを認め謝ったので、息子たちは放免された。


息子はそんなことがあったことを私に言わなかった。学校側も親を呼ぶほどのことではないと判断したのか連絡もなかったので、私は全く知らなかった。そして、それで一件が終わっていれば知らないままだったかもしれない。


担任教師がアパートの前にいたのは、忍び込み事件(!)があって以来、一緒だった上級生やその兄の中学生が執拗に息子につきまとうようになり、怖くなった息子が学校に電話をかけたので見回りをしているためだった。


 息子は気が弱いところがあるが、なにが悪いことかくらいは判断できる。もう、一緒に忍び込んだ子供たちとは付き合いたくなかったらしい。ドアのチャイムが鳴って誰が来たかわかっても決してドアを開けなかった。すると彼らは乱暴にドアを叩き始め、罵詈雑言を言い始めたらしい。部屋に一人でいる息子はさぞ心細かったであろう。それでもドアを開けず学校に連絡した判断は幼いながら正解だったと今でも思っている。


忍び込んだだけならいざ知らず、息子に対してそういった態度をとったので小学校から中学校の方に報告があったらしい。その際どんな話がなされたのか私は全く知らなかったのだが、あとから知った事実により私はその小学校に対して大いなる不信感を持つことになった。


というのは、その中学生は受験を控えており推薦入学が決まりかけていたらしいのだが、小学校の担当教師が中学校に説明しに行った時、「相手の親(つまり私)はとても怒っていて、お宅の息子さんの推薦もダメになるかもしれないと言っている」というようなことを言ったらしいのだ。私は見回りに来てくれていた担任から話を聞いてはじめて知ったくらいだし学校からも呼び出されていないので、その中学生のことなどほとんど知らないというのに・・・


なぜそれがわかったかということ、ある日中学生の親ともう一人の小学生の親が子供たちを連れてわが家に怒鳴りこみに来たからである。午後10時を過ぎたころで時間的にも非常識と言わざるを得ないのだが、最初から感情的な物言いで腹が立つというより驚いてしまった。中学校からかなりのことを言われたらしく、お宅のお子さんのせいでうちの子の進学がダメになるかもしれない、というようなことを言い、息子を出せと詰め寄った。


両親ともに来ていたので、大人4人と子供2人。それらで息子ひとりに詰め寄るつもりか、とあきれ果てたが、話を聞いてみると私が言いもしないことが小学校から中学校に伝えられ、親に伝わったことがわかった。それにしても、我が子がやったことを棚に上げて何という態度か。


私は奥の部屋にいる息子は決して出さず、自分は小学校には行っていないし、事情を知ったのはごく最近であることを冷静に説明した。もちろん推薦入学のことなどその時まで全く知らなかった、と。そして、こんな時間に大勢で押し掛けてきて、小学生の子供一人に詰め寄るというのはどう考えても非常識ではないかと言った。親たちはそれ以上は何も言えなくなり、黙って帰っていったが私の方は暗澹たる気持ちになってしまった。


息子には担任が気を配ってくれているので心配しないでいいと言ったが、しばらくの間は学校に行くのさえ嫌だったのではなかったかと思う(行きたくないとは決して言わない子だったが)。その後学校側と何らかのやりとりがあったかどうかはわからないが、私が知る範囲ではそれ以上何もなかったのが幸いであった。


学校も学校なら教師も教師。親が親なら子も子。人のことはあまり非難したくはないが、それぞれが自分の立場優先で安易に事を運びすぎると思った。担任の教師がいい人で、その後もしばらくは見回りに来てくれたり、何かと息子に気を配ってくれたのでなんとかその小学校は卒業できたが、中学入学を機に私はその街から引っ越した。


 もと住んでいた場所に近いところに気に入った物件があったのでそこに決めると、息子は昔の友だちにも会えると言って大喜びだった。前に通っていた小学校はおおらかな校風で隣接する特別支援学校とも交流があり、勉強だけでなく社会的なこともいろいろ学びながら息子はのびのびと育っていたのに・・・しかたがないとはいえ、離婚してそんな環境から息子を離してしまって・・・かわいそうなことをした、と自己嫌悪にも陥ったものだった。


離婚した時から、私はなにがなんでも息子は自分が守る、と思ってきた。その一件があり、決意はさらに強くなった。しかし、「子供を守る」というのは簡単なことではないことも知った。子供を守っているつもりでも、実は自分の立場を守っていることもある。守っているつもりになって本当はそうでない自分をごまかしてしまうこともある。人はできるなら自分の非を認めたくないものである。そのためには自分を偽ることだって平気でやると私は思っている。


今回のような悲惨な事件が起きると、親や学校の責任や周囲の無関心などがまず取り沙汰される。もちろん、原因は被害に遭った子供の周囲にある。が、真相を知ることはなかなか難しいと私は思う。


 親、学校、教師一人一人、その他の周囲の大人たち、同級生、上級生・・・それぞれの事情を正確に知るのは難しい。これから少しずつわかってくることもあるだろうが、マスコミのほとんどが警察の発表をほとんどそのまま流すに過ぎないと思うし、テレビのワイドショーは、興味本位で食いつきやすい事柄にテーマを絞ってしつこいほどやいのやいの言うだけであろうから。そして多くの人々は一時的に原因と思われる対象を非難することに熱中するが、時間が経てばなかったことのように忘れてしまうだろうから。


芥川龍之介に「薮の中」という作品がある。王朝時代を背景にした強盗殺人事件を扱いながら、いったい真相はどうだったのかの様々な解釈やら論議やらを巻き起こしたらしき作品だ。「真相はわからないものだ」というのが芥川の意図だったという説もあるようだが、はてさて。しかし、昨今起こる実に悲惨な事件の数々についても、真相は薮の中だという印象を持つのは私だけだろうか。


その薮の中を丁寧に探り、冷静に分析し、明確な対策を考え出さない限り似たようなことがまた起こりうる・・・そう思うとまたしても暗澹たる気持ちになる。そしてそれをやるのは、それができるのは、一体誰だろうかと考えてみる。たぶん、大人も子供もひとりひとりが自分の中の薮の中から出る勇気を持たなければならないのかもしれない・・・

| - | 12:12 | comments(0) | - |
黄色、恋しや・・・
15-0225

春が近い。いや、すでにもう春なのか。2月の後半から3月上旬にかけてのいかにも早春らしい雰囲気を楽しむ日々がやってきた。


ここにきて、黄色い花がとても見たくなっている。菜の花やミモザを見かけるとつい手がでてしまう。今出ているミモザは銀葉アカシアがほとんどだと思うが、黄色い泡のような花を見ると「春だなぁ」とつくづく思う。


2012年2月23日の記事にカラーカウンセリングのことを書いたが、私のピュアカラー(本質的な性質をあらわす色は黄色である。過去の記事と重複するがカラーカウンセリングで扱う黄色という色は、空や光の象徴とのことだ。灰色の冬空にも倦んだ気持ちが光を求めるのは、ごく自然のことなのかもしれない。


私は自他共に認める冬好きだが、春が嫌いなわけではない。重く閉ざされたところから開放的な空間へ飛び出したいという気持ちは冬好きとて多いにあるのである。ことに昨今かなり気持ちの上でダメージを受けているので、こんなことではいかーん!と自分を叱咤激励する意味でも、意識的に明るいものを見たり感じたりするのはいいことだと思っている。


 カラーカウンセリングで言われた黄色をピュアカラーに持つ人の性質は、


「知性」で動くより「感性」で動き、ひとつの道を真摯に貫くタイプではなく、その時々で自分のスタンスを変える。数多くのものの中から1つを選ぶのは苦手で、その中からいくつかを選んで組み合わせたり別のものにしたりする。見通しがきく性質だけに、何ら見通しが立たない状況が苦手。人間関係を大切にし、時間をかけてじっくり信頼関係を築いていこうとする・・・等々。


だそうなので、見通しがある程度効く明るい世界へ踏み出していきたい気持ちが強くなっているから、黄色という色に心惹かれてしまうのかもしれない・・・などと自己分析してみたりしている。


花はまだしも、洋服など身に着けるものに黄色を選ぶことはなかった。が、カウンセリングの結果に納得する部分が多かったので、以来時折黄色いものを選ぶようになった。もちろん選びはするが、かつての自分が選ばなかった色を選んだ結果不愉快になるならいざ知らず、なんとなく気持ちが明るくなるような快適さを感じたので、しばらくは黄色いものに注目したい。


昨日は、息子が以前勤めていた店のオンラインショップで半額になっていた長袖の黄色いTシャツを注文した。ここ数ヶ月、部屋着にするユニクロ製品以外に洋服は買わないでいたのだが、色違いを持っていて着心地と色の褪せ具合が気に入っていたので。同じ素材の半袖Tも持っているが、さらっとした肌ざわりが暑い季節にここちよく、友人ともどもファンになっているのだ。


注文した後、滅多に電話してこない息子から電話があったのでそのことを言うと、「オレに言ってくれれば安く手に入ったのに」と。息子がかつてお世話になったところなので、できるだけ利益があがる形で購入したいと思っているが、次回は遠慮なくお願いするかな?


こうなったらもう(ヤケになっているわけではない)、早くあたたかくなって黄色いTシャツを着て海を見に行きたい。明るく穏やかな海を見れば、気持ちもいっそう晴れ晴れとするに違いない。


*「木と草と花と・・・」、更新。

| - | 11:34 | comments(0) | - |
自分のブログを持つ、ということ。
15-0224

今更だが、便利な世の中である。便利すぎて、これでは人間が堕落してしまわないかという懸念さえ抱きかねないくらい便利な世の中である。


インターネットの世界も、ここ20年くらい(かな?)で大きく変貌した。20年くらい、というのは私がネットの世界で何らかのかたちで表現活動をしはじめた時期に基づいているから、異論はあるかと思う。しかし、今日の記事にとって年数はさほど重要ではないのでこの際見逃していただきたい。


かつては、自分のwebサイトを持とうと思ったらけっこうな手間がかかった。私より前のネット世代はHTMLというネットで何かを表現する時に使う言語を理解し、使えるようにならなければサイト構築はできなかった。


しかし、HTMLを知らなくてもサイトを作れるようなアプリケーションが出てきた。いわゆるオーサリングソフトというやつだ。「ホームページビルダー」などのソフトが続々と登場し、サイト構築の敷居はかなり低くなったといえるだろう。そのソフトを使ってサイトらしきものを作成すればそれでお終いというわけではなく、次はそれをネット上の自分が使えるスペース(自分で契約したサーバーの中)にアップロードしなければならない。アップロードはオーサリングソフトの中にたいていは入っているFTP機能を使う。今考えるとかなり面倒である。


しかし、面倒だということを「ある程度の高さの敷居があること」だと考えるなら、その敷居を超える努力と覚悟を持った人たちだけが自分のサイトをネットの上に持てた、ともいえる。別にその人たちがそうでない人たちより偉いとか賢いとかいうのではない。たいていの人が取れる資格も、取ろうという意欲とある程度の努力と面倒な手続きなどをする気持ちがなければ取ることはできない。それと同じである。


私もこのブログを利用する前は、自分でサイト構築をしアップロードをしてきた。そのために金もある程度使ったし、勉強もした。当時掲示板のレンタルがはじまったばかりだったと思うが、それはもう便利なものだった。掲示板を貸してくれるサービスに申し込み、送られてきたアドレスに行けば自分の掲示板ができているのだから。もちろん管理はしなくてはいけないが、1から作り上げることに較べたら格段の便利さ、手軽さだと思う。自分のサイトのトップページなどにその掲示板の住所(URL)をリンクさせておけば、誰でも簡単に掲示板を見たり読んだり書き込んだりすることができるのだ。


しかしまた、便利になったということは、敷居が低くなったということであり、敷居が低くなればそれまでよりいっそう多くの人がそこに集まるということになる。今まで以上に様々な価値観、様々な道徳観、様々な常識・・・がネット世界に溢れるのである。当然、ネット上における人間関係のトラブルは激増し、感情的で無意味に見えるやりとりが多く見られるようになる。


それでもネット世界はふくらみ続けるのであろうし、それは別に悪いことではない。しかし、ブログという非常に便利なサービスを利用するということはどんなことだろうかと、考え込むことも多くなってきた昨今である。SNSなどについてはまた別の性格があるので、とりあえず今日は話題に含まないことにしたい。


ブログといっても実に内容は様々であるし、だからこそ面白いともいえると思う。犯罪に当該する内容、個人的な誹謗中傷、あからさまな宣伝、未成年に見せたくないもの、など初めから悪意もしくは社会的に問題のあると思われる意図を持って作られたものを除けば何をどう掲載してもそれは個人個人の自由だろう(ということは、個人個人に責任が発生するわけだが)。


旅行に行った時の記録をまとめる人。撮った写真を掲載する人。日々思ったことを書く人。本、映画、音楽、美術など趣味的な内容にふれる人。自分の活動を発表する人・・・本当に多彩である。ざっと目を通せばそれでいいブログもあれば、じっくり読みたくなるものもある。自分の知識を豊かにしてくれるものもあれば、実用的な情報を得るのに便利なものもある。


内容はそれぞれ多彩でいいと思うのだが、表現しネット上に公開するに当たっての心構えといっては大げさだが、意識のようなものに時折疑問を持つことがある。以前にもいろいろ書いているので重複することもあるかと思うが、不特定多数に向けて自ら情報を公開しているということを意識しているのかと疑問に思うブログもあるし、記事に対して寄せられたコメントの扱い方に疑問を感じることもある。


というのは、私事で恐縮だが昨年の秋の経験が今でも頭のどこかに引っかかっているからだ。


ネット上では珍しいことでもないと思うが、私としてはかなり奇妙な経験だったと言わざるをえない。ある人のブログの記事にコメントを書いたのだが、そのレスポンスが・・・いきなり感情的なのである。なにも私はブログの持ち主について非難したわけではなく、書かれていることの中の「孤独」という言葉に反応し、自分なりの孤独感をごくあっさり書いた。すると、まるで「あんたに孤独のつらさがわかってたまるものか!」と言わんばかりの返事が書かれており、正直言って驚いた。


しかし、人は思わず知らず誰かの「地雷を踏む」ことはある。その地雷がどのような地雷かわからなくても、相手の反応で「地雷」であることくらいはわかる。私のコメントの何が地雷を踏んだのかわからなかったが、ネットという顔が見えないところ(先方とは実際に何度か会って話をしたことはあったが)で感情的なやり取りをしてもしかたないと思い、「いつか機会があったら話しましょう」というようなコメントを返した。私としては実際相手が話したくないことを無理やり話そうとは毛頭考えておらず、その場を静めるために書いただけなのだが、相手はさらにヒートアップ。もう何も書かない方がいいと判断してそれ以上は書き込まなかった。


たぶん地雷は「孤独」にあると思う。それはわかっている。が、「孤独」といったかなり抽象的な概念については、様々なとらえ方があっていいと私は考えている。しかしブログの持ち主にとってはそうでなく、自分が思う「孤独」とは全く別のことを書いた(かもしれない)私に腹を立てたのであろう。


そのやり取りはまあ、それはそれでいいと思う。先ほども書いたが決して珍しいことでもないような気もするから。しかし、これは私の悪い癖なのかもしれないが、わからないことをわからないままにしておくのが気持ち悪いのだ。わからないままにしておいた方が賢明なこともある。それはわかっているのだが(^^;) で、あの時の自分のコメントのどこが悪かった(相手に対して)のだろうと考えようと思い、該当する記事を見に言ったら見事にコメントはすべて消されていた!まあ、びっくらこ。


ブログの管理人には管理人としての権限が与えられているので、自分で書いた記事を消すだけでなくコメントを削除するのも自由といえば自由である。どんなコメントを削除するかは管理人の常識によるだろうが、自分にとって不愉快なものは徹底的に削除する、と見られても仕方がないような削除の仕方はあまり感心しない。


 自分のコメントだから言うのではなく、私と全く関係のない人のコメントについてもそういうことがあったら同じように考えると思う。不愉快であろうと何であろうと、おふざけや不真面目な気持ちで書かれたコメントでなければ、私は残すし、それがいくら自分が気に入らないとはいえコメントを寄せてくれた人への誠意であり、不特定多数が見るネットという世界で何かを書く人間の責任でもあると考えているからだ(コメントを書いた人から削除依頼があった場合を除く)。


実際のところは、そのあたりの基準はかなり曖昧であり、私の考え方に賛同できない人たちがいても全く不思議ではない。あくまでも私自身の考え方であり、人に押し付けるつもりは全くないことだけはお断りしておいた方がいいかな?


*PHOTO WEEKが明けたと思ったら長文の連続ですみません・・・(^^;)

*昨日はRさんにお誘いいただき、ホイッスラー展に。

*特別興味があったわけではないが、気に入った絵もいくつか。

*やっぱり行ってみないとわからないものですなぁ。

*でも、「ジャポニズムの巨匠」というのは、ちょっと違うような気もする。


| - | 17:33 | comments(2) | - |
春は、来る。
15-0223

一気に春が来たような朝である。ベランダに出ると大気の中に春の粒子がふんだんに混ざっているようなやわらかさを感じる。まだ三寒四温の陽気は続くのだろうが、冬と春がせめぎ合うようなこの時節が私はけっこう好きだ。


2月は好きな月なのに、昔からあまりいいことがない。具体的にどんなことがあったのかというとほぼ忘れているのだが、何かあったときに「2月って・・・」と思ったことは憶えている。いいことがなかった、といっても劇的な不運に襲われたということではなく、大切なものを失ってしまった程度のことだ。


それは恋だったり、後生大事にかかえていた自分のある面だったり、大切な誰かだったり、お得意様だったり、愛着のあるものだったり・・・そんなあれこれを失うことが多かった月、それが2月なのだ。


先々週は、突然2つの訃報が入った。いずれも予想だにしないことだったので、まず驚き、戸惑い、しばし呆然としていた。今でも気持ちの整理が完全についていない状態だと自覚している。悲しみというものは、これからじわじわと、にじみ出てくるようにやってくるのだろう。


最初の訃報は、友人のご主人のもの。iPhoneに留守電が入っていた。友人の息子さんからの連絡で、「父が急死しました」と。その友人とはそれほど頻繁に会うこともなく、会っても家族の話などほとんどしないので息子さんとは話したこともない。ご主人もどんな方なのかお会いしたことがないのでわからない。


ただ、何をするにも全力投球で、がんばりすぎるほどがんばって身体を壊すような友人を、あたたかく見守る包容力のある方なんだろうな、と想像していた。「私がわが家の掟!」というようなことを友人はかつて言っていたような気がするが、苦笑しながらも掟に従いながら、バランスのとれた家庭を支えているのはもしかしたらご主人の方なのかもしれないとも思っていた。


長い間美術の教師としてのキャリアを積み、個展やグループ展も何度か開催してきた友人である。定年退職後は自宅で美術教室を開き、今でも表現することの楽しさ(もちろん苦しさも)に情熱を傾ける人である。俳句のキャリアも長く参加している同人誌を送ってもらったこともある。物事に対する確かな視点を持ち、的確な評論をする人でもある。しかし、感性が豊かな分、理性ではいかんともしがたい感情に苦しまれているのではないか。


ついこの間還暦を迎え、お祝いに赤いハンドウォーマーを送ったらとても喜んでくれていたのに・・・スキー場で誕生日祝いをすると嬉しい気持ちいっぱいのメールをくれたばかりだったのに。先々週は体調も今ひとつだったので、お通夜と告別式は遠慮させてもらい、自宅へお悔やみの花を送るだけにした。一段落ついた今、友人はどうしているのか。



もうとつの訃報が入ったのは、その2日後。これこそ私が最も聞きたくなかった訃報だった。そう、我が同志・Nの訃報である。


昨年末、同志Tと病院に見舞いに行ったときの印象は、意識はまだ戻らないが危機は脱したといったものだった。Tは今年になってからも会社の同僚を連れて見舞いに行っており、その時の様子も聞いていた。少し痩せたが、様子は前と変わらないので、これから少しずつ良くなってくれることを期待している、と。それがまさか・・・とTとの連絡で使っているLINEの画面を見て一瞬目を疑った。Tもかなりショックを受けているらしいことは容易に想像できた。


通夜は16日、告別式は17日に執り行われ、両方とも参列させていただいた。小さな祭壇の中央には、娘さんの結婚式の時に撮ったのだろうか、正装して微笑むNの写真が置かれていた。脇の目立たないところには、数枚の写真が貼られたパネル、娘や息子に送ったカード、愛用のモデルガン、そして「マジっすか?」と大きく書かれた扇子が置かれていた。


写真を見て、私が知りあうずっと前のNがけっこう痩せていたことを知った。私がはじめて会った時はすでに「小太り」状態だったので昔からそうなのかと思っていたのに。家族と一緒の写真、会社の旅行でニューヨークに行った時の写真、などもあったが、どれも「カッコつけ屋」のNがそこに写っていた。


「マジっすか?」の扇子は、私がNにあげたものだった。その時すでに私はフリーになっており、Nの会社(私がもといた会社)から仕事をもらっている時期だったと思う。打ち合わせの予定も決まっていたある日、HANDSで扇子のディスプレイを見かけたのだった。夏のはじめだったと思う。Nの誕生日が近かったので、白い扇子に筆文字で様々な流行語が書かれている扇子の中から、「マジっすか?」を選んだのだった。


意外なことに、Nはこの扇子を私からのものだったことをTには言っていなかったようだ。ただ、「バカに気に入って見せびらかしていたよ」とTから聞き、少し傷んだところをNらしく几帳面に補修してある扇子を見て涙が出そうになった。が、泣かないで見送ると決めていたのでぐっと我慢。Nは強気な私を長年好きでいてくれたと思うので。


告別式の日は曇りがちで時折雨がぱらつく寒い日だった。ゆうに3年は履いていないスカートというものを履いた私はすでに家を出て数分で足の指が攣りそうになったが、緊張感でなんとか持ちこたえた。出棺の時、ご家族の方がTと私によかったら骨上げまでどうぞと言ってくださったので、友人・知人の中で2人だけご家族・ご親族に混ざって堀内斎場まで向かった。Tと2人でNの骨を壺に入れ、私たちはそこで失礼することにして帰宅した。


骨を見ているというのに、まだNがもうこの世の人ではないということが信じられない・・・というか、その不在を実感することができない。告別式の翌々日、Nは夢の中に出てきて「一度死んでしまったけど、生き返った」と何事もなかったように笑って言った。告別式の時、Nのまるみのある優しげな声を2度ときけないのかと一瞬思ったのだが、それが伝わったのだろうか。夢の中ではあるが、私はたしかにあのNの声を聞いた。



梅はそろそろ満開を迎えるだろう。早咲きの桜が咲き始めたとニュースが伝えている。餌を求めてベランダまで来ていたヒヨドリも来なくなった。近所の畑は新しい植え付けのため耕され陽射しを浴びている。クリスマスローズのつぼみが大きくなって頭をもたげはじめた。花屋の店先に菜の花や桜が出てくるようになった。


大好きな誰かの大切な人がいなくなっても、春は来る。

生涯の友と決めた人がいなくなっても、春は来る。

あなたがいなくなっても、私がいなくなっても、

春は、来る。


| - | 10:32 | comments(0) | - |
22日は猫に語らせる日・・・2月担当:みかん
15-0222

みなさま、おはようございます。今年はじめての、みかんです。今日は22日なので「猫に語らせる日」であることは当然ですが、今月の22日は「猫の日」でもあります。そんな月にあたしが担当できて嬉しいです。やっぱり日ごろの行いでしょうか。


そろそろ春が来ると期待していますが、まだまだ寒いです。あたしはいつもあんかを入れてもらった猫ベッドの中でくつろいでいます。まめこもほぼ同様ですが、ゴンは年寄りの癖に落ち着かず、いつもふらふらさ迷っています。寒いというのに元気といえば元気なので、まあいいのかもしれません。


先ほど、久しぶりにゴンとまめこのバトルがありました。あたしは椅子の上に置かれている猫ベッドの中で眠っていたけれど気配は感じたので遠くから冷静に観察していました。すみごんがゴンのために用意した寝床(ふとんの上に古いダウンジャケットを敷き、その上にレンジでチンするあんかを乗せたもの)にまめこが寝ていたのですが、ゴンがいきなり「どけよ!」と言ったらしいです。


まめこはピキピキのくせに強情なところがあり、スピーディな猫パンチで抵抗しました。ゴンも久しぶりに先輩らしいところを見せようと思ったのか、まめこのパンチの半分くらいの早さのパンチをいくつか繰り出しました。いつもなら2〜3回パンチの応酬があったら、それでおしまいになるのですが、今日はゴンがけっこうがんばり、最終的にまめこが逃げました。とりあえず、ゴンの勝ちです。


まめこが逃げた後、ゴンは誇らしげに寝床に置かれたあんかの上で寝ていました・・・が、3分後に見てみると、もうその場所はまめこに占領されており、ゴンはまめこの後ろにちんまりと寝ていました。ゴンがまめこに譲ったのか、まめこがひそかに横取りしたのか、あたしは見ていなかったのでわかりません。でも、ふたりとも暢気に寝ているので一応話がついたというところでしょうか。


あたしたち3匹は仲良しというわけではありませんが、かといって険悪な間柄でもありません。以前も書いたと思いますが、三すくみの関係です。あたしもまめこも基本的にゴンが好きですが、ゴンはあまりあたしたちに興味はないようです。


 でも、まめことは一緒に寝ないけれど、あたしとは時々ぎゅうぎゅう詰めになって眠ることもあります。やはり毛色が似ているので安心感があるのでしょうか。それとも、本当はあたしが好きなんでしょうか。兄と妹みたい、と言われることもありますが、あたしの気分としては出来があまりよろしくない息子を持ったような感じです。


ゴンは今年の11月で16歳になります。オス猫で15歳以上というのはけっこう珍しいのではないでしょうか。いくら食べても太らないのはちょっと羨ましくもありますが、すみごんは少し心配しているようです。でも、元気というかうるさいくらいです。いつも、「ハラ減った!」「バター、くれよ!」「何食っているんだよー!」などと言いながら、すみごんにつきまとっています。一度にたくさん食べられないので、一日中少しずつカリカリをもらっていて、あたしも欲しいなと思う時もあります。でも、「みかんはデブだから我慢ね」と言われるのがわかっているので、最近は出て行かないことにしています。


デブといえば!まめこが少しずつ太ってきました。あたしのデブ加減にばかり注目していると、今にあたし以上にデブになるかも・・・とひそかに期待しています。ゴンの背中は撫でるとゴツゴツしているそうですが、まめこはむっちりむちむちだとか。ふふふ。あたしレベルになるのも時間の問題だわ。


来月はデブ予備軍のまめこの番です。どうぞ、お楽しみに。

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