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日々の内側
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ヒヤシンスの香り
15-0131

今、デスクの上では淡い紫色のヒヤシンスが強い香りを放っている。最初3本買ってきたのだがなんだか物足りなく、翌日同じものを2本。5本もあると、部屋の中は香りでいっぱい!


昔は一年を通じて花を買っていた。花屋の前を通るたびにチェックし、季節感のある花を中心に選んできた。しかし、ここ数年めっきり花を買うということをしなくなった。懐具合もあるが、欲しいと思う花が少なくなったのである。花屋が変わったというよりも、私の好みが変わった・・・変わったというよりも、より好みが絞り込まれたといったところだろうか。


例外的に花を買うことが多くなるのが、冬から春へ移行する時期。冬好きの私ではあるが、春を感じさせる花を見ると欲しくなることが多い。ヒヤシンスの前はミモザを買った。ミモザにもいろいろあって、一番一般的なのは銀葉アカシアと呼ばれているものだと思う。今年見かけたものはたしか「パールアカシア」というものだと思うが、銀葉アカシアなどのように小さな葉が集まっているタイプ(ネムの木のように)ではなく、丸みを帯びた葉が一枚ずつついている。花は銀葉アカシアとあまり変わらないと思うが、葉のかたちが違うので微妙に雰囲気が違うと思った。


春、しかも早春となると、なんといっても黄色い花だろう。黄色の明るさが生長の季節到来にもっともふさわしいと思う。テータテートという小さなスイセンの黄色も愛らしい。


ヒヤシンスは球根植物の中でも好きな方だ。出回る期間が短いということもあって、白か薄い紫色が出ると買うことが多い。小さな花が集まって咲くという様子に弱いこともあるが、やはり魅力は香りにあるのではないだろうか。強すぎると思う人がいるかもしれないと思うほど強いが、私にとってはあまり気に障る香りではない。


品種もいろいろあるようで、小さな花がみっしり重たそうについているものも見かける。たまに、どこぞの庭先で植えっぱなしにしたと思われるヒヤシンスが花数少なく楚々と咲いているのを見かけるが、原種に近い品種にはそういうものもあるらしい

ので、放置状態とは限らないと知った。


ヒヤシンスは中東原産で、もともとは青紫色の花を数輪咲かせるものだったらしい。園芸大国オランダで品種改良されたダッチ・ヒヤシンスと、フランスなどで改良されたローマン・ヒヤシンスの2系統があったようだが、花数の多いダッチ系が主流となりローマン系はすたれたという。しかし、原種に近いローマン系は香りが強く野趣に富むため見直されつつあるという話もあり、私としては多いに見直して市場に出回るようにしてほしい。


より大きい花を、より多くの花を・・・というのが品種改良のメインストリームになっているのは否めない。そういったものを求める人が多いのだろう。が、昔からの品種や原種もたいせつに残してほしいと思う。私のようにそういったものを好む人たちも一定数いると思うし。


ヒヤシンスという名前は、ギリシア神話に出てくる美少年ヒュアキントスに由来するという。アポロンとヒュアキントスの仲に嫉妬したゼピュロスが風を起こしてアポロンが投げた円盤をヒュアキントスに当て、額に円盤を受けたヒュアキントスは死んでしまった。大量に流れた血から生まれたのがヒヤシンス。それゆえか、花言葉は「悲しみを超えた愛」だとか。


名前の由来を知ったからではなく、ヒヤシンスは紫色が最もヒヤシンスらしいような気がする。濃い紫色なら原種に近いものの方がしっくりくるが、目の前にあるような淡い色ならオランダ系のものもなかなかいい。しばらくの間、部屋の中を漂う香りを楽しみたいと思う。


*花の色は、「木と草と花と・・・」で。

| - | 11:34 | comments(0) | - |
かわいいおやつ
15-0130

先日、前から気になっていたものの買ったことがなかったお菓子「クルミッ子」をついに食べた。リスの絵がかわいらしく、大きさも負担感がなく、ちょっとおやつにつまむには最適だと思っていたが、予想以上においしかった。


和菓子の類いだと思っていたが、キャラメルにクルミをくだいたものを入れ、それをクッキーではさんであるもので、緑茶にも紅茶にも合う。クルミの食感もよくペロリと食べてしまった。


百貨店のデパ地下に行くと全国各地の銘菓を集めたコーナーというものをよく見かけるが、「クルミッ子」はその常連であろうか。新宿の伊勢丹でも見たし、今日は横浜のそごうでみかけた。私が買ったのは、日吉東急だが、買うまでこれが鎌倉に店を構える「紅谷」のものだとはついぞしらなんだ(「紅谷」自体をしらなんだ)。


スイーツ関係にはうといので知らなくても不思議ではないのだが、こんなに美味しいならもっと前に買っていればよかったと思っている。


時々とても甘いものが食べたくなるが、どちらかというと洋菓子より和菓子がいい。そういう年齢になってきたのだろう。普段の食事では滅多に砂糖を使わないので、おやつくらい砂糖をふんだんに使ったものを食べてもいいことにしている。


 あ、久しぶりに鈴懸の「鈴乃○餅(すずのえんもち)」が食べたくなった。小さなどらやきのような形をしている、これもまた「かわいいおやつ」だ。都内では新宿の伊勢丹でしか手に入らないと思ったが・・・わざわざこれだけを買いに出掛けるのもなぁ(^^;)今度新宿に行く用事があったら忘れずにゲットしてこよう。


*リスのキャラクターに私は弱いことが判明(^^;)

西光亭のクッキーもすぐ買いたくなるし。

*今日は雪の中をお出掛け。寒かったー!

| - | 20:55 | comments(0) | - |
冬木立
15-0129

風が冷たい。明日は雪の予報が出ている。数日前、4月並というあたたかい日があったが、1月下旬はまだ寒くあってほしい。キーンとした空気の中の冬木立をもう少し見ていたい。


木が好きだ。生活の中の素材としての木も好きだが、たぶんそれ以上に木そのものが好きだ。だから、木が見えるところに住みたい、田舎暮らしはなかなか実現しそうにないが、首都圏でも木が多いところに住みたい、そう思い続けて今の住まいに落ち着いている。


南側のベランダから市民の森の木々が見える。高木はほとんどが落葉樹なので、今は葉を落として裸になっている。ベランダに吹き寄せられている枯葉を見るとコナラが多いようだ。それ以外に知っているのは、ミズキ、ヤマザクラくらいだろうか。他の樹種も知りたいと思うのだが、木が大きすぎて細かいところまで見えない。


ヤマザクラの木も大きくて空を見上げるように顔をあげないと花が見えないが、それでも大好きな花が身近で咲く喜びを毎年感じている。


木は美しい。一年中美しいと思う。花が目立つ木は花時だけ注目されがちだが、新緑の季節の木々はみなみずみずしく生きる喜びを語っているかのようである。硬い冬芽が次第にゆるみ、それぞれに個性的な若葉を広げはじめるのを見ると、なんと愛おしい存在であることか、と思う。


しかし、冬の木々を見ているうちに、もしかしたら木の美しさの究極は冬の姿にあるのかもしれないと思えてきた。葉もない。花もない。しかし、それゆえ樹型が明瞭で木の個性が露になる。すらりと枝を伸ばす木もあれば、複雑に枝を交錯させる木もある。ゴツゴツした木もあれば、頼りないほど繊細な木もある。それがよく見えるのが冬。


人間は、人間の感覚で「春を待つ」等々と言うが、木にしてみれば硬い冬芽をもちながら北風の中にたたずんでいるのも単にそういうバイオリズムだからというだけだろう。眠っているように見えても着実に栄養を蓄積し、自分たちが生きるのに最もふさわしい状態でいるにすぎない。まだ寒いのに葉を広げそうな木を見ると、少しハラハラしてしまうのだが、そんな私の余計な思いをよそに彼らは自分たちの流儀を貫いていく。 その凛とした姿が最もよくわかるのが冬ではないだろうか。


丸谷才一氏の本に「樹型譚」という作品があったと記憶する。短編集だったか随筆集だったか・・・私の本棚にもあるはずなのだが、ざっと眺め渡したところ見当たらない。今度じっくり探して再読してみようと思う。

| - | 09:36 | comments(2) | - |
俯瞰
15-0128

イスラム国による人質事件のニュースが次から次へと流れてくる。人質のうちひとりは残念ながら処刑され、もう一人は取引の材料にされている。多くの日本国民が関心を持ち、ことのなりゆきを見守りながら、テロの恐ろしさや卑劣さを感じ、「I AM KENJI」のボードを掲げている。


今回のことだけではないが、このような一大事件が起きた時の人々の反応を見ていて、懸念というか疑問というか、どこか腑に落ちないことを感じることがある。


テロを憎むことも、人質の無事解放を願うことも悪いことではない。むしろ当然のことである。それは私も全くその通りだと思う。しかし、たとえばイスラム国という無法者が誕生したのは何故なのか、彼らが何故今このような方法で脅威を与えているのか、私たちの国の政権は何をしてきたか、等々といった歴史や背景について、知ろうとしているのか、あるいは知った上で一斉に同じような反応を示しているのか、正直言ってわからないのである。


テロ反対を叫ぶ人たちもいろいろだろうと思う。俯瞰的な視野で考えて危機感を感じている人たちも、もちろん一定数存在すると思っている。が、「人質にとられて殺されそう」→「許さざるべき行為だ。人質もその家族もかわいそうだ」というようなごく単純な感情の流れで行動している人たちもまた、一定数いるような気がする。


個人的には、今回の人質事件は日本の政治的な態度を試されているように思える。国際外交も非常に大切だが、戦争が大好きな大国のご機嫌をとっている限り、このようなことはまた起こりうるのではないかと心配だ。


今更ではあるが、やはりどんなに悲惨な出来事でも、俯瞰して見つめながら冷静に判断するよう、私たちは努力すべきではないだろうか。人はたやすい方に流れがちだ。もちろん、私自身を含めての話である。が、安易に流されているうちに取り返しの付かない事態になりそうだ。危機感が諦観になる前に、なんとかしないといけないと思うのは私だけだろうか。


| - | 09:30 | comments(0) | - |
むごたらしい背中
15-0126
・・・府中の公園にて。風が強かったので凧がよくあがっていた。気持ちいい!・・・

私の背中が現在「むごたらしい」状態になっている(T.T) ひっかき傷だらけ。もちろんやったのは自分である。


少し前に身体が痒くなってしかたない、と書いた。冬の乾燥によるものかと思っていたが、ある方に老化によって皮膚が薄くなり刺激に対して過敏になっているのかもしれないとも言われ、それもアリだなと思っている。


ここ数ヶ月は身体のあちこちが痒いというよりも、背中上部(首の下あたり)が痒く、気をつけていてもかきむしってしまい、傷ができてかさぶたになるとまた痒く、かきむしり・・・の繰り返しで現在のようなむごたらしい様相になってしまったのだ。きっかけは、洋服(たぶんTシャツ)の襟元についているタグだと思う。以前からこのタグが気になる方で、できるだけ切り取るようにはしていたのだが容易に切り取れないものが多い。面倒なのでそのままになっている服もけっこうあるのが災いしたのか。


昼間は痒いと思ってもできるだけ掻かずにいようと努力する。時々痒み止めの薬を塗る。爪を短く切る。その程度の対策は講じているのだが、何か考え事をしている時など気付くと掻いている。また、寝ている間にも思い切り掻いているようで、朝起きると背中がヒリヒリしたりする。


背中なので普段は見えない。で、先日家にiPhoneのカメラで背中の写真を撮ってもらった。なんとまぁ、むごたらしい!こんな状態では襟ぐりが少しでも開いた服は着られないから、薄着になる季節までには直しておかねばならない。


ということで、今日は皮膚科へ。実は頭皮湿疹にもしつこく悩まされ、その上また指にしもやけができてしまったのでいずれにしても行かなくてはならなかったのだが。しもやけ用・背中用にステロイド剤の軟膏、頭皮湿疹用にステロイドのローション。しもやけ用にビタミンE剤を処方してもらった。少しおさまるといいのだが。来月あたりは耳鼻科に行って花粉症の薬をもらわねばならないし・・・医者にはできるだけ行きたくないのになぁ。


私は男性でも女性でもきれいな背中を見るといいなぁと思う。つるつる・すべすべの背中・・・今の私の背中からはほど遠い。夏までに直すべく努力するしかないが、それにしても老化現象っていろいろあるのね。とほほのほ。

| - | 18:03 | comments(4) | - |
どこか愛らしい妄想
15-0125

小山田二郎展の図録冒頭にある、ねじめ正一氏の文章がなかなかいい、と昨日書いた。今日はその話。


ねじめ氏の母上は認知症であるらしい。その母親とのやりとりが記されているのだが、「認知症の親の面倒を見る」ことの悲惨さではなく、それを超えたところにある息子と母親との強い結びつきのようなものを感じたわけだが、それ以上に母上の言葉がなんともユニークでそれに興味をそそられた。


もちろん、認知症の人を介護するということは、やってみなければわからない苦労が多々あることと思う。新聞やテレビでも介護に疲れた子供が親の首を絞めてしまったとか、認知症の老妻を殺して夫も自殺してしまったとか、そんな悲しい出来事を何度伝えていることか。


正気でない人の面倒を見るというのは、いかにストレスが多いことか。普通の理屈が全く通じないし、通じたと思ってもすぐに忘れてしまうし、あらぬ憎しみをもたれてしまったり、突然いなくなって心配させられたり、他人に迷惑をかけて謝り続けたり・・・それはもう本当に大変なことだと思う。


しかしまた、介護を通じて親との関係性を築き直したり、苦しみながら許すことを知ってやすらかな気持ちになったり、生きることを真剣に考えたり、とその苦労を超えて介護を続けている人たちも少なくないように思う。


それはともかく。ねじめ家には小山田二郎の絵があるのだという。「盲人達」という絵だ。その絵はねじめ氏の父親が昔月賦で購入したもので、以来常に見えるところに飾ってあったとのことだ。父親が脳溢血で倒れた時も、臨終を迎えた時も部屋の中にあった・・・と。


しかし、母親の認知症が進んだ時、ねじめ氏はその絵を風呂敷に包んでしまいこんだ。絵のエネルギーが強すぎて母親に悪い影響を与えるのではないか、と思ったからだ。


その絵は、3人の盲人たちが暗闇の中を歩いている絵である。少し長くなるが、絵の雰囲気がよくわかるのでねじめ氏の文章を引用する。


この絵は三人の盲人達が暗闇を歩いている。三人のゴゼが日本的な山道を歩いているようにも見えるし、中東の砂漠を歩いているようにも見えるし、日本海の荒海の浜辺を歩いているようにも見える。背景も、うねっている砂紋のように見えるし、闇が流れているようにも見える。「盲人達」という絵は見るこちら側の目を安定させてくれない。

先頭を歩く盲人は、レンガ色のオシャレな布を被っているが、顔つきは男にも見える。

その後ろを、黒とオレンジの混じった布を被った盲人の女性が、歩いていて、足下には月の光が射している。いちばん後ろを、青とオレンジと白の混じった布を被った盲人の女性が、左手を上げながら歩いている。三人とも間違いなく亡霊である。

それこそ、孤独をとことん突き詰めたときに立ち現れる亡霊こそ小山田二郎の世界である。小山田二郎が唯一愛することができたのが深い闇を背負った亡霊だけである。

(小山田二郎展図録掲載「野蛮ギャルドファンキー小山田二郎」より引用)


そのような絵なので、息子は母の目に触れないようにしたのだが、母は絵がないことに気付くと「正一、正一、いやだ!いやだ!いやだ!」と叫び出した。母親の「いやだ!」は妄想を喚きだす前兆で、突然血圧が上がって気分が悪くなっている息子に母親は訴える。


「正一、小山田さんの絵が見えないよ。小山田さんの絵を見せておくれ」


仕方なく押し入れから絵を引っ張り出してまた壁にかけると、母親は暗くて見えないと言い出す。部屋を明るくするために、縁の下から灯りがついた電球を2個持ってきてくれと言う。そしてそれから妄想を語り始めるのだ。


「大きな葉っぱが私の顔にバサッと落ちてきて、私は振り払ってんだけど、包帯を顔に巻かれて入院したの。そうしたら、そうしたら何が起きたと思う。チカエさん(小山田二郎の妻)がきたんだよ。チカエさんが追いかけてきたんだよ。それがどんなかっこうだったと思う」


「・・・電球だよ。電球でも灯りのついていない電球には価値がないからね。縁の下に入ったところに犬と椅子がいっぱいあるから気をつけて。この間、私は縁の下で一00匹の犬と一00個の椅子に囲まれて灯りのついた電球を取れなくてたいへんだったんだ・・・」


「灯りのついた電球は中村さんちの縁の下にあるんだ。くれぐれも寺川さんちの縁の下にいってはダメだよ。寺川さんちの縁の下には値段の高いアサリを売っているタチの悪い漁師が住みついていて、寺川さんにの縁の下のアサリは全部腐っているから買っちゃダメだよ・・・」


「正一、お願いがあるんだけど。この小山田さんの絵も私も二日前に死んだことにしてくれないかい。死んだことをみんなに知らせておくれ。これから死ぬかと思うと、怖くなってくるけど、もう二日前に死んじゃったと思うと、気が楽になってくるね。」


「・・・小山田さんの絵は正一に一生くっついていって味方をするつもりなんだ。正一、私はどうすればいいの。私も小山田さんの絵にくっついていけばいいんでしょ。もう死ぬことなんか怖くないから、春朗らかにやりましょう。私の手を握りながら春朗らかにやりましょうって言って頂戴。絵のために尽しますと一言付け加えて言って頂戴」

(同)


息子は母の左手を握り、「朗らかにやりましょう。絵のために尽します」と大きな声で言う。嬉しそうな顔をして母親はすぐに眠りはじめる・・・


「またか」とうんざりしながらも、母親の妄想に根気強くつきあい、返事をしていく息子。その息子だけが頼りなのだろう、次から次へと問いかけ、命令し、希い、そして安心して眠り、生き 続けていく母。壮絶といえば壮絶だが、私はこの母上の妄想の中に、人間としての愛らしさのようなものを感じた。


どこか愛らしい妄想・・・と書いた時、私はあ、と気付く。そう、小山田二郎の絵がそうなのだ。暗さ、厳しさ、激しさなどの中に奇妙な愛らしさがあるのである。ねじめ氏は母親の妄想の中に、小山田氏の絵の本質を見たのではないだろうか。だから、一見絵とは関係ないような認知症の母とのやりとりを長々と書いたのではないだろうか。そう思えてならない。


| - | 17:17 | comments(0) | - |
モノクロームの中の青〜小山田二郎展
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昨日、府中市美術館で現在開催されている「小山田二郎展」を見に行ってきた。生誕100年を記念する回顧展だそうで大規模な個展は3回目とのこと。今後いつ見られるかわからないので、これは絶対にはずすまいと思っていた。


府中市美術館は、わが家からだと少し時間はかかるが好きな美術館のひとつである。京王線・東府中の駅から歩いて20分くらいだろうか。公園(都立府中の森公園)の中にあり、公園入口を入ってから美術館までのアプローチも気に入っている。


小山田二郎という画家の名前を私は知らなかったが、日本の画壇では特異な存在として有名な人らしい。特異だというのは、その作風、暮らしぶり、そして風貌からの印象であろう。先天性ウェーバー氏病を持って生まれ、手術するも治らなかったということが少なからず画家の人生に影響を与えたことだと思われる。展覧会会場や図録に写真が掲載されているが、ウェーバー氏病の特徴である痣だけでなく、下唇が異様に腫れた顔貌は一度見たら忘れられない。


そのコンプレックスゆえかどうかはわからないが、預けられた祖父母の親戚に当たる日本画家・小堀鞆音やその弟子に水彩画のてほどきを受けたという。その時、未来の画家はまだ5歳。画家を志し帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。父の反対に合いやむなく「図案科」に入ったが、後に「西洋画科」に転入。父からの援助を断たれて退学

せざるをえなくなった。


戦争中は画材が手に入らないこともあり一時制作を中断し会社勤めもするが、33歳の時に画家として立つことを決意。自由美術協会の会員になり作品を出品しはじめる。その後順調に(少なくとも年譜をたどると様々な展覧会に出品、個展も開催している)作品を発表し続けるが、57歳の時に妻と娘を置いて突然失踪し別の女性と暮らし始める。


77歳で没するまで様々な病に苦しめられるが、生涯を通じて家族や友人・知人には恵まれていたようだ。


以上はいわば前置きに過ぎないのだが、いささか長く書きすぎてしまった・・・画家のみならず作家はやはり「作品」である。


とにかく存在感のある作品が多かった。決して明るい絵ではない・・・晩年はカラフルな色彩に満ちた絵も描いているが題材などを総合的に見て「明るく楽しくなるような」絵ではない。そもそも、そういった絵が好きだということもあるが、私はやはり展覧会の第二章「人間に棲む悪魔」に展示されている1952〜1960年代の作品に強く惹かれた。


100号を超える大きな作品が多い。大きさだけでなく、モノクロームの中になんともいえない「青」を入れ、無数のスクラッチをほどこした作品群。絵の前に立つと魔力のようなものを感じて動けなくなりそうな・・・そんな感覚を久しぶりに覚えた。もしかしたら、広島で見た鴨居玲以来かもしれない。あの「青」・・・なんともかんとも魅力的な「青」


とくに印象的だったのが、人間、信仰、神への風刺から生まれた「ピエタ」「母」「愛」の三部作や生涯を通じて描き続けた「鳥女」だ。たとえば「愛」という絵は黒い服を着た大きな女性(聖母)が空を覆うように立ち、両手を大きく広げ鋭い爪を立てて人間たちを掬い取ろうと・・・もしかしたら襲いかかろうとしているように見える絵だ。


 「鳥女」については画家本人がかつて語ったところによると「人間の内部に棲む悪魔性とか、不安とか、矛盾とか、死の意識とかを、心理的に象徴づけたい私の素朴な願い・・・」ということらしい。人間でもあり鳥でもある「鳥女」。化け物のようでもあるが、その視線はあくまでも透徹しており、どこかユーモラスなところも感じさせる不思議な魅力を持っていると思う。


幼いころから親しんできた水彩画もまたいい。色の出しかた、重ねかたの技術が高いのだろうが、そんな専門的なことがわからなくてもいいなぁと思える絵である。子供を題材にした絵も多く、暗さ、風刺などの中にも人間に対するあたたかな気持ちを持ち続けていた人なのではないかと思わせる。


話は逸れるが、図録冒頭に寄せられているねじめ正一さんの文章「野蛮ギャルドファンキー小山田二郎」がなかなかいい。これについては後日書きたいと思っている。


*多くはないが本の装幀や挿し絵もあった。

*手に取って読みたいと思った「倉橋由美子の怪奇掌篇」、中古で注文!


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| - | 10:14 | comments(4) | - |
「ロースさんのセーター」
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一昨日、21_21 DESIGN SIGHTで開催されている「活動のデザイン展」に行ってきた。久しぶりの六本木だったがあいにくの雨・・・(^^;)


お目当てはTVの紹介で見たいと思った「ロースさんのセーター」。オランダに暮らすロースさんが編んだ500枚以上のセーターのうち60枚が展示されているのだ。そして、彼女のセーターを身に着けた様々な人々がフラッシュモブで集まり彼女を囲むフィルムが流されている・・・この活動こそが今回の作品。


ガイドブックによると、ロース・ヴェーンストラさんがセーターを編み始めたのは1955年。主に家族のために編んでいた。18歳で最初の子供を産んだそうだが、その時代は子供たちの服は自分で作らなくてはならない時代だったそうだ。その後ロースさんは思い思いの色、サイズ、デザインのセーターを編み続けてきたが、誰も手を通さないまま保管されていたようだ。


「私が編み続けているメインの理由は、それが好きだからというより、むしろ手で何かしらしている必要があるからです。そうでなければ、私にはとても高くつきます。手が空けばタバコを吸い過ぎてしまうんです・・・」とのことだが、彼女の母も祖父母も常に編み物をしていたというから、これはもう血統なのかもしれないと思う。


 私自身、ある程度編み物を続けた後一端やめると、なにか手が淋しいような感覚を覚える。ロースさんの場合、相当年季が入っているわけなので「編む」という行為が食べたり寝たりするのと同じように当たり前のものになっているのではなかろうか。


展示されているセーターはカラフルでとても楽しい。凝った編み方のものもあれば、シンプルなものもある。サイズは平均的に大きめだが、それはオランダ人の体格ゆえだろう。


ロースさんのニットコレクションを取り上げ、撮影し本にしたのは、オランダのデザイナー・アーティストであるクリスティン・メンデルツマさん。


「製品と原材料の生涯を掘り下げ、産業化によって身近でなくなった、あるいはすたれてしまったプロセスに対する認知を取り戻すことをこれまでの作品で扱っている(ガイドブックより)」作家だ。ニットコレクションの本も欲しいと思ったが、すでに完売とのこと。うーん、残念。


ロースさんのセーターを見ていたら、なにやら私も編みたくなってきた。ここ数年、小さなものしか編んでおらず、セーターなどの大物はちょっと敬遠していたのだが。だいぶ前に買っておいたイギリス(スコットランドだったかな?)の毛糸でとりあえずベストでも編んでみようかな・・・


*会場の様子が動画にアップされている→こちら

*すべて撮影可なのが嬉しい企画展だった。

*帰りに「おつな寿司」に寄ってお土産を。六本木に行ったらこれだね!

*ランチもやっているのね。これは行かなくちゃだわ。


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| - | 09:06 | comments(2) | - |
22日は猫に語らせる日・・・1月担当:ゴン
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みなさん、あけましておめでとうございますにゃ。もう22にちだけど、ことしはじめてなのでごあいさつするにゃ!ことしも、この「ねこぶろぐ」をよろしくですにゃ。


にんげんわ、いちにちちがうだけで、「しんねんだ!」といっておいわいするにゃ。まいとし、ふしぎだにゃー!とおもうですにゃ。いつもとちがうものをたべて、いつもより「さけ」をいっぱいのんでいますにゃ。オイラたちにわ、とくにとくべつなものはなかったですにゃ。にんげんのこどもわ、「おとしだま」っていうのをもらうらしいのに、オイラたちにわなんにもなしですにゃ。「さしみ」くらいだせ!と、まめこがいっていましたにゃ(うそ。じつわ、オイラ)


ことしのおしょうがつわ、すみごんのともだちがきてくれましたにゃ。そして、3にんでさんざんのみくいしていましたにゃ。とちゅうで「さけ」がなくなって、さむいよなかにコンビニまでかいにいきましたにゃ。まったく、「さけのみ」っていじきたないですにゃー!  オイラ、ちょっとばかしあきれてしまいましたにゃ。


オイラとみかんわ、きちんとおきゃくさまをおもてなししましたにゃ。まめこわ、あいかわらずどこかにこもってでてきませんでしたにゃ。あいつわ、しぬまでがらにもなく「ひとみしり」するとオイラはおもいますにゃ。せいかくなので、こればっかりわしかたないですにゃ。


らいしゅうにも、おきゃくさまがあるらしいですにゃ。すみごんの「ねこともだち」でおつきあいがながいときいているので、オイラ、いまからおもてなししようとはりきっていますにゃ。「さすが、わがやのせったいがかり!」とすみごんわいうけれど、「せったいがかり」なのでわなくて、ねこのリーダーとしてのせきにんかんからオイラわがんばっているんですにゃ!オイラ、えらい!


さいきんのオイラわ、はらがへってしかたないですにゃ。たべてもたべても「ハラヘリ」ですにゃ。そして、たべてもたべてもふとらないですにゃ。にんげんのおんなのひとにわ、うらやましがられそうなオイラのたいしつですにゃ。にゃはは。


 すみごんわ、「ゴンくんわ、さきがみじかいからすきなだけたべさせてあげる」といいますが、「さきがみじかい」なんてえんぎでもないですにゃっ!オイラがいなくなったらおおなきするくせにまったくかわいげのないおんなですにゃ。でも、すきなだけたべさせてもらえるのわ、ありがたいと「ぎりがたい」オイラはおもっていますにゃ。


きょうも、もう2かいメシをもらいましたにゃ。1かいぶんがすくないとオイラわおもっているんだけど・・・すこしハラヘリがおさまったので、オイラわこれからちょっとひるねしながら、おきゃくさまの「せったいけいかく」をねることにしますにゃ。


らいげつわ、「しょくじせいげん」してもちっともやせないみかんのばんですにゃ。さいきん、「ミートみかん」なんてよばれていますにゃ。みなさん、おたのしみににゃ!

| - | 09:13 | comments(2) | - |
CAFE MEURSAULT
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・・・窓を背にして座っていたので窓越し風景を撮るの、忘れた!・・・

かなり気に入る店というのは数少ないが、そういった店はブログなどで広く紹介したいような、いやいや自分のお気に入りとしてナイショにしておきたいような、そんな気持ちになる。が、やはり紹介して興味を持って行かれた方が気に入ってくださる方が嬉しい。ということで先日も少し書いた浅草のCAFE MEURSAULT(カフェ・ムルソー)のことを。


この店は1980年開店ということだから、かれこれ35年やっていることになる。私が知ったのは10年くらい前だと思うので、最近ではないにしてもさほど昔のことでもない。今はネットで検索すればすぐに見当たるが、もともとどこへ行くにもあまり調べて行かないので行き当たりばったりで出会った店である。


ここ数年、浅草方面には気の合った友人と行くことが多くなったが、以前はたいてい一人。カメラを持って気の向くまま歩くのが好きで、浅草寺方面よりも隅田川沿いをよく歩いた。右岸を歩き橋を渡って左岸へ・・・少し気分を変えて1本違う道へ・・・そんなことをしている時に手描きと思われる美しい看板?を見つけた。「ムルソー」という名前も気になって入ってみて以来、行けば立ち寄る店になった。


私が行くのはたいてい平日なので空いているし、なんといってもリバーサイドという好立地。大きな窓から隅田川や行き来する船を見られるとあって自ずと長居になる。が、店のスタッフはたまにしか姿を現さず放っておいてくれるので気詰まりな気分にならないところもまたいい。


ケーキが売り物のようだが私は食べたことがない。先日食べたキッシュが美味しく、他の料理もそこそこイケるのではないかと思っている。


一昨日はワインを飲みながらドライフルーツとナッツの盛り合わせを食べたが、枝付きのレーズンやキーウィなどなかなか洒落ている。カフェだがワインやビールもあるし、やはり私は飲みながらのんびりしたくなる。


「ムルソー」というとカミュの「異邦人」をまず思い浮かべたのだが、調べてみると南フランスの村の名で白ワインの産地らしい。店の名はその村由来かな・・・いずれにしても居心地のいい空間だ。


おすすめは暗くなる時間帯で、昼間とは全く違う川辺の風景を楽しめる。行き来する船の照明が川面に映ってきれいだ。橋にも照明が付きロマンチック!?吾妻橋に近いので、時間が合えば隅田川ラインを使って浜離宮や日の出桟橋まで束の間のクルーズを楽しむのもいいと思う。


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| - | 11:42 | comments(0) | - |
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