バタバタしているうちに大晦日に突入。掃除の仕上げをし買物に行き、これから台所に立ち続ける予定。その合間を縫って・・・というほどのことでもないが、いつもよりディスプレイに向かう時間が少ない中で、今年一年をおおざっぱに振り返ってみる。
今年も年初に掲げていた(自分の中で)目標を達することができず多いに反省すべきだと思っている。反省では生易しいと思えるほど情けなく感じており、来年こそと自分に言い聞かす。その他では、やはり仕事量が激減して不安なことも多かった。これは来年も続くであろうから覚悟しなければならないと思っている。
また、今年は身近な人が60歳にもならないのに亡くなったり、仕事仲間であったNが心筋梗塞で倒れたり、と人の命を考えることが多かった。直接面識がない人、有名人なども続々と鬼籍に入り、その度に命のはかなさを知る思いだった。
昨日は、N同様仕事仲間だったTとNの病院まで行ってきた。緊急搬送された病院から転院し、自宅近くの病院に入ったことを聞き、年末の慌ただしい時期ではあったがなんとしてもNの顔を見ておきたくなったのだ。Nが今どのような状態なのか情報があまりなく少し不安だったが、それでも年内に顔を見たかった。
こじんまりした病院の個室にNは入っていた。奥様が出迎えてくれ、倒れた時の状況や最近の様子を話してくれた。卓球をしていて倒れたとのことだったが、偶然近くに応急措置ができる人がいたのですぐに心臓マッサージをしてくれたそうだ。心筋梗塞の場合、倒れてから(心臓がとまってから)どれだけ早く処置できるかがとても大切なので、ラッキーだったといえよう。ただ、救急車が到着するまで思いの外時間がかかったらしく、その間に脳がダメージを受けたのではないかと医者は言っているそうだ。
Nはまだ意識不明の状態だった。倒れてから1ヶ月半・・・当初は自発呼吸もできずにいたが、今は自分で呼吸している。ICUに入っていたころは、脳へのダメージを可能な限り少なくするため低体温状態にしたりもしていたらしいが、未だに意識は回復していない。ただ、数日前から目を開けるようになったとのことで、私たちが行って声を掛けたりしている間に何度か目を開け、うつろながら目を動かしていた。本当は聞えているのかもしれない、聞えてはいるが反応できない状態なのかもしれない・・・つい希望的な考えをしたくなる。
少しずつ、少しずつでいいから、意識さえ回復してくれればいいと願いながらTと病院をあとにした。お互いに、今年中にNの顔を見たかったんだよねと確認しながら。
来年95歳になる伯母は、もう外出できなくなったと弱々しい声で言う。が、毎日三度の食事の支度をきちんとし、同居人や親類の健康を気づかう。自分より若い者の死を何度も見ているので、いつお迎えがきてもいいと思っているようだが、寿命というのは誰にもわならない。布団に入って眠りにつくとき、目を閉じたらもう目覚めないのではないか、と漠とした不安を感じると言っていたことを思い出す。
脳脊髄液減少症で長年闘病している友だちは、最近のブログで「フランダースの犬」について触れている。この悲劇的だととらえられがちな物語を、彼女は彼女らしい感覚でとらえている。「死」でしか救われない命もある、と彼女は言う。しかし彼女は自殺を認めない。与えられた命を精いっぱい生きた果てに静謐な「死」があるのであれば、ネロのように懸命に、すべてに感謝して生き抜きたい、と。彼女が引用した原作(翻訳)の末尾の文章が印象深い。
「この世にながらえるよりも二人にとって死の方が情深かった。
愛には報いず、信じる心にはその信念の実現をみせようとしない世界から、
死は忠実な愛をいだいたままの犬と、信じる清い心のままの少年と、
この二つの生命を引き取ったのである」
いつだったか、つらい時や苦しい時自らに言い聞かせるおまじないのような言葉として「自分は死ぬ」を上げていた人がいた。誰しも必ずいつか死ぬ。そしていつ死ぬかは誰にもわからない。そう思うと、なんとなく肝が据わるというか、落ち着くような気持ちになる、というのだが、わかるような気がする。
「死を想え」の由来や解釈はさておき、必ず死ぬ運命にあることを日々考えていれば、毎日は少し違うものになるような気がする。今年最後の記事なのに「死」なんて不吉!と思われる向きもあるかもしれないが、私はそうは思わない。「死」は不吉なものではなく、誰にも訪れるものであり、「死」を考えることは「生」を考えることだと思っているからだ。
来年はもっと「死を想う」時間を増やし、生きていることに感謝し、生きているうちにやりたいことをやろう。さよなら、2014年。