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日々の内側
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死を想え
14-1231
・・・Nのために急いで作ったN似のゆきだるま(^^;)早く見てほしいな・・・

バタバタしているうちに大晦日に突入。掃除の仕上げをし買物に行き、これから台所に立ち続ける予定。その合間を縫って・・・というほどのことでもないが、いつもよりディスプレイに向かう時間が少ない中で、今年一年をおおざっぱに振り返ってみる。


今年も年初に掲げていた(自分の中で)目標を達することができず多いに反省すべきだと思っている。反省では生易しいと思えるほど情けなく感じており、来年こそと自分に言い聞かす。その他では、やはり仕事量が激減して不安なことも多かった。これは来年も続くであろうから覚悟しなければならないと思っている。


また、今年は身近な人が60歳にもならないのに亡くなったり、仕事仲間であったNが心筋梗塞で倒れたり、と人の命を考えることが多かった。直接面識がない人、有名人なども続々と鬼籍に入り、その度に命のはかなさを知る思いだった。


昨日は、N同様仕事仲間だったTとNの病院まで行ってきた。緊急搬送された病院から転院し、自宅近くの病院に入ったことを聞き、年末の慌ただしい時期ではあったがなんとしてもNの顔を見ておきたくなったのだ。Nが今どのような状態なのか情報があまりなく少し不安だったが、それでも年内に顔を見たかった。


こじんまりした病院の個室にNは入っていた。奥様が出迎えてくれ、倒れた時の状況や最近の様子を話してくれた。卓球をしていて倒れたとのことだったが、偶然近くに応急措置ができる人がいたのですぐに心臓マッサージをしてくれたそうだ。心筋梗塞の場合、倒れてから(心臓がとまってから)どれだけ早く処置できるかがとても大切なので、ラッキーだったといえよう。ただ、救急車が到着するまで思いの外時間がかかったらしく、その間に脳がダメージを受けたのではないかと医者は言っているそうだ。


Nはまだ意識不明の状態だった。倒れてから1ヶ月半・・・当初は自発呼吸もできずにいたが、今は自分で呼吸している。ICUに入っていたころは、脳へのダメージを可能な限り少なくするため低体温状態にしたりもしていたらしいが、未だに意識は回復していない。ただ、数日前から目を開けるようになったとのことで、私たちが行って声を掛けたりしている間に何度か目を開け、うつろながら目を動かしていた。本当は聞えているのかもしれない、聞えてはいるが反応できない状態なのかもしれない・・・つい希望的な考えをしたくなる。


少しずつ、少しずつでいいから、意識さえ回復してくれればいいと願いながらTと病院をあとにした。お互いに、今年中にNの顔を見たかったんだよねと確認しながら。


来年95歳になる伯母は、もう外出できなくなったと弱々しい声で言う。が、毎日三度の食事の支度をきちんとし、同居人や親類の健康を気づかう。自分より若い者の死を何度も見ているので、いつお迎えがきてもいいと思っているようだが、寿命というのは誰にもわならない。布団に入って眠りにつくとき、目を閉じたらもう目覚めないのではないか、と漠とした不安を感じると言っていたことを思い出す。


脳脊髄液減少症で長年闘病している友だちは、最近のブログで「フランダースの犬」について触れている。この悲劇的だととらえられがちな物語を、彼女は彼女らしい感覚でとらえている。「死」でしか救われない命もある、と彼女は言う。しかし彼女は自殺を認めない。与えられた命を精いっぱい生きた果てに静謐な「死」があるのであれば、ネロのように懸命に、すべてに感謝して生き抜きたい、と。彼女が引用した原作(翻訳)の末尾の文章が印象深い。


「この世にながらえるよりも二人にとって死の方が情深かった。

愛には報いず、信じる心にはその信念の実現をみせようとしない世界から、

死は忠実な愛をいだいたままの犬と、信じる清い心のままの少年と、

この二つの生命を引き取ったのである」


いつだったか、つらい時や苦しい時自らに言い聞かせるおまじないのような言葉として「自分は死ぬ」を上げていた人がいた。誰しも必ずいつか死ぬ。そしていつ死ぬかは誰にもわからない。そう思うと、なんとなく肝が据わるというか、落ち着くような気持ちになる、というのだが、わかるような気がする。


「死を想え」の由来や解釈はさておき、必ず死ぬ運命にあることを日々考えていれば、毎日は少し違うものになるような気がする。今年最後の記事なのに「死」なんて不吉!と思われる向きもあるかもしれないが、私はそうは思わない。「死」は不吉なものではなく、誰にも訪れるものであり、「死」を考えることは「生」を考えることだと思っているからだ。


来年はもっと「死を想う」時間を増やし、生きていることに感謝し、生きているうちにやりたいことをやろう。さよなら、2014年。

| - | 16:16 | comments(0) | - |
公共広告って・・・
14-1229
・・・ご近所のチョビくん。相変わらずいい味だしてます・・・

少し前から、ACジャパンのラジオCMに妙な違和感を感じている。テレビ版もあるようだが、テレビはあまり見ないので未見。


そのCMというのは、全国キャンペーンとして展開されている「おとなもほめよう」だ。サイトによると、このキャンペーンは以下のねらいをもって展開されている。


「大人になると子どもの時のようにはあまり褒められません。けれど、褒められるとやる気になったり、自信が持てたりします。それはきっと、自分の頑張りをちゃんと見てくれていた人がいるって気づくことができるからなのではないでしょうか。毎日「あたり前」に頑張っている大人こそ、もっと褒めようとシンプルなメッセージで訴えます。」


いや、いいたいことは、わかる。わかるし、間違ってはいないと思う。しかし、こういうことを「公共広告」としてキャンペーンに乗せるということに私は妙な感覚を覚えるのだ。つまり、こんなこと(軽いこと、という意味ではない)を公共の電波を使って「公共」の名のもとに流すって・・・なんだかバカにされているような気がしないでもないのだ。


褒められて怒る人は少ない。やはり嬉しいことが多い。しかし、それは心からそう思った時に出た褒め言葉に対してであって、人間関係を円滑にしたい等々といった目的の元に発せられた褒め言葉には人の心を動かす力はないのではないか。その「心」の部分に「広告」という手段が入り込んできたことに対する抵抗感なのだろうか。


個人的には「公共」の広告として流すのであれば、もっと現実的、具体的なものが欲しい。たとえば、「自転車は左側を走ろう」とか「ケータイマナーをもう一度考えよう」とか「公道はみんなのものでアンタのものじゃない」とか(^^;)「電車の中で物を食うな」とか(^^;)(^^;)


なんだかこんなことを書いていたら、日本人って一昔前より人間としてレベルが低くなっているような気がしてきた。いや、たぶん確実に低くなっていると思う。今年もあと残すところ2日だけで、こんな時に考えたくはないことなのだが。


今日は用事があって隣町まで買物。明日は急遽予定が入ってしまったので掃除関係はできなくなったので大晦日までバタバタすることが決定!やれやれである。


*「公共広告機構」時代の方がいいCMやっていたような気がする。

| - | 19:42 | comments(0) | - |
午年最後の競馬!
14-1228
・・・ジャパンカップの日、やっと席をみつけた居酒屋。いい雰囲気!・・・

しつこいようだが、私は動物の中で猫と馬が一番好き。猫のそれとは全く違うが、馬の美しさにはいつも感動する。ということで(^^;)、今日は午年最後の競馬として有馬記念を買ってみた。


結果は・・・ダメ!でも少し惜しい!


このブログには書かなかったが、先月末、競馬の大先輩Sさんと一緒にジャパンカップを見に行った。これまでは大井と川崎の競馬場にしか行ったことがなかったので(渋いでしょう?)、まあその広さと観客の多さには驚いた。熱気ムンムンといった感じで、こちらにもそれが伝染してしまいそうだった。


私は競馬の超初心者で馬券の買い方をやっと覚えた程度。しかし、それでもなんとなくではあるものの奥の深さがわかったような気がしているし、のめりこんでしまう人がいるのもさもありなんと思う。


なにせ走る馬も乗る人も生き物だし、複数で走る(有馬記念は16頭)ので駆け引きもあり、アクシデントもあり、予想外のことがいっぱいだ。競馬に限ったことではないが、レースは生き物だと思う。生き物は予測が難しい。難しいから、おもしろい。


私はもともと賭事にはまるタイプではないらしく、また才能もないのはよくわかっている。なので、馬券は買うが常に遊ぶつもりでほんの少ししか金をかけない。賭け方も賭ける金額も本当にしょぼい(^^;)でも、そんな軽い気持ちで楽しむ人が多くなれば、競馬業界ももっとうるおうと思う。特に地方競馬は大変だと思うので、来年もせいぜい小さく多く楽しませてもらおうかなと思っている。


少し惜しい、と書いたのは、三連単(1位、2位、3位の馬を着順で予想する馬券)を逃したから。1位と3位は当たっていたが、2位がダメだった。私が2位に指定した馬は5位だった。うーん、惜しい?実はジャパンカップの時も三連単の2位をはずしていたのだった。2位選びは難しいのか。


それにしても勝った馬は強かった。中山競馬場ははじめていという牝馬でこのレースがラストランとなることが決まっていたが、牡馬を尻目に堂々と優勝した。ジェンティルドンナ・・・「女王」と呼ばれるにふさわしい名馬だと思う。


さて、有馬記念も終わったし、今日は風呂の掃除をしたし、明日は洗面所とトイレとベランダ(雨だったらやめる)の掃除をする予定。30日には全体の仕上げをして31日はゆっくりしたい・・・と思っているが、毎年大晦日までバタバタしているから当てにはならないなぁ。とほほ。

| - | 16:16 | comments(0) | - |
フェアトレードの紅茶とチョコ
14-1227

先日出掛けた際、駅の構内にある売店に特設コーナーが出来ていてフェアトレードの紅茶やチョコレートを売っていた。People Treeが扱っているもので、チョコレートはクリスマスの時期になると時々見かけた。パッケージのイラストがなかなかいいなぁとは思いつつ、今まで買ったことがなかった。


今回はそんな気分だったのか、紅茶とチョコレートを2種買ってみた。チョコレートは特別好きだというわけではなく、たまにスーパーで見かけると買う程度。バレンタインの時、自分用に買ったことはあるが1ヶ月に1度か2度食べる程度だろうか。


しかし、このチョコレートはなかなか美味しかった。「オレンジ」と「レーズン&カシューナッツ」を買ったがどちらもGOOD! 家人にも分けようと思いつつ、編み物をしながらついつい全部食べてしまった(^^;)


紅茶はダージリン。フレーバーティもあったが、やはり最初は基本的なものに。これも美味しくいただいている。


今年はフェアトレードを含めてエシカルな買物を以前よりしたと思う。また、口に入るものを考え直し、できるだけ国産のものを、流通経路にも気を配って買うようにしてきた。そういったものは外国産のものや価格訴求のものより値段が高いことが多いが、食べられる分だけ買ってきちんと食べきるようにし、無駄を徹底的になくそうと考えている。食べられる量そのものが年々減ってきているし、もともと「粗食」が好きなのでまあいいか、と思っている。


それにしても、このチョコや紅茶のパッケージデザインはなかなかいいではないか。エシカル、フェアトレードという考え方はいいが、味やデザインが今ひとつではなかなか手が出ない。食品なら素材に納得がいけば買うかもしれないが、それ以外のものはなかなか・・・作り手と使い手の両方が納得できるもの、それがフェアトレードだろうし。


さて、こうして記事を書いている部屋の温度は15度だ。けっこう寒い。足下だけの暖房なので厚着をしてしのいでいるが、15度くらいならなんとかしのげる。ユニクロのフリースがけっこう暖かいし軽いので重宝しているが、はてあの会社のブラック企業疑惑はどうなったのであろう。労働条件が厳しいところはたくさんあるが、できるならそこまで考えてものを選びたい・・・のであるが、現実的にはなかなか難しい(^^;)


話はがらりと変わるが、昨夜は日本橋のお江戸日本橋亭で落語を聞いてきた。地元の店で落語を聞かせてくれている三遊亭遊馬さんがトリを務める定席で遊馬さんの師匠である小遊三さんも出られていた。座敷にぎゅうぎゅう詰めで閉口したが、会そのものはとても楽しくリーズナブル(前売り1500円)だと思った次第。


遊馬さんは今年度の文化庁・芸術祭「大衆芸能」部門で大賞を獲得!それもあって昨日は多いに盛り上がっていた。今年で芸歴20周年だという。今後が楽しみな噺家だ。


| - | 17:01 | comments(2) | - |
日本人は「絶望」するのか。
14-1226

朝日新聞のオピニオンページ(12月25日)で、「ポリタス」というオンライン政治メディアが取り上げられていた。


「『総選挙』から考える日本の未来」をテーマに様々な分野の、年齢の、思想の人がちが意見を寄せている。新聞ではその中から数人を選んでその意見を紹介しているが、特に印象に残ったのが森達也氏の意見だった。


選挙前から様々な場面で「選挙に行こう」「投票すべきだ」等々の意見が出されたが、投票率はご存知のとおり。こんなことを言ってはいけないと思いつつ(なぜ言ってはいけないと思うのだろう・・・それも問題だ)、自分の中の「失望」が「絶望」に変わりつつあるのを感じていた。そんな折に読んだ森氏の意見はすべてを肯定できるかどうかは熟慮せねばならぬが、おおむね納得いく・・・というか「そうかもしれない」と思わせるものだった。


森氏は選挙には「もう行かない」派。“もう投票しなくていい。僕はもうあきらめた。”人である。しかし、いともたやすくあきらめた人ではないだろう。そういった結論を出した根底には、深い「絶望」があるのかもしれないと思う。以下部分的に引用する。


権力は暴走する。腐敗する。それは世の習い。そのために権力を監視する装置としてメディアがある。でもこの国のメディアは今、その機能を放棄しかけている。ほぼ現政権の広報機関だ。だから権力も気が弛む。暴言が頻発する。武器輸出三原則を防衛装備移転三原則と言い換えて変更する。現職閣僚がヘイトスピーチを行う団体幹部と記念写真を撮る。あまりに露骨で稚拙だ。ところが大きな問題にならない。だから事態は加速する。


だからもう投票には行かなくていい。落ちるなら徹底して落ちたほうがいい。敗戦にしても原発事故にしても、この国は絶望が足りない。何度も同じことをくりかえしている。だからもっと絶望するために、史上最低の投票率で(それは要するに現状肯定の意思なのだから)、一党独裁を完成させてほしい。その主体は現政権ではない。この国の有権者だ。

ポリタス・森達也氏「もう投票しなくていい」より)


森氏は「絶望が足りない」と書いていたが、日本人はいつか「絶望」するのだろうか。「絶望」というのはただごとではない。何かを真剣に考えぬいた揚げ句の果てでなければ沸き起こらない感情だと思う。あの原発事故をまるで「なかったような」ことにしようとしているような年末の馬鹿騒ぎを見るにつけ、「絶望」する前に滅びてしまわないかと思ってしまう今日このごろだ。


*LEDだって使えば電気代かかるんだよね〜


| - | 11:28 | comments(0) | - |
くるみわり人形
14-1225

クリスマスという特別な日を背景とした物語は数多いことだろう。題名にクリスマスという言葉が使われていなくても。ふと思い立って本棚を調べてみたら、私の手元には「すずの兵隊さん」と「くるみわり人形」があった。


「すずの兵隊さん」はアンデルセンの作品で、クリスマスプレゼントに送られたすずの兵隊の中でただ一人、材料が足りなかったために片足になってしまった兵隊の話。部屋に置かれていた紙製のバレリーナに恋をするが、ある日窓から落ちてしまい、様々な危機をくぐりぬけて元の持ち主の元に戻った。それなのにその家の男の子は片足の兵隊を暖炉の中に投げ込んでしまう。その時、紙製のバレリーナも風にあおられて暖炉の中に・・・家の者が後で見つけたのは、バレリーナのベルトに使われていたベルト飾りとハートの形をしたすずだった、というなんとも悲しい話だ。


「くるみわり人形」は、チャイコフスキーが組曲を作り、バレエの題材にもなった作品だが、原作をきちんと読んだかというと読んではいなかった。いつ絵本を買ったのか記憶にないのだが、絵だけ見て文章の方は読んでいなかったようだ。私は時々こんないいかげんなことをする。いつかその気になったら読めばいい、というか、そんな日が来ることを漠然と予想して本を買うことがあるのだった。


今回は絵だけでなく文章の方も読んでみた。作者であるホフマンが友人の子供のために即興で作ったという話もあるが、即興でこれだけのものを作れるとは驚きである。多々あるクリスマスプレゼントの中から奇妙な人形を見つけた少女。その人形を愛おしく思った少女が見たネズミの王様とオモチャたちとの戦争。くるみわり人形がなぜ醜い姿になったかという過去の物語・・・現実と夢の世界が交錯し、どちらが本当なのか戸惑うような不思議と魅惑的な作品である。


この年齢になってもそう感じるのだから、多感な(私にもそんな時代がありました)年ごろに読んだら、今よりもっと楽しめ、もっと様々な想像をし、もっと夢の世界を広げられただろうにと今更ながら残念に思う。


なんとなく知っているつもりでいて、本当はほとんど知らない。そんな物語がいくつもあるような気がする。組曲やバレエは原作に触発されながらもかなり脚色されていると思うので、やはりこの本を買っておいてよかったと思っているところだ。


私の部屋にも、なんだかんだと集まったガラクタのような、宝物のようなものがたくさんある。私が照明を消して部屋を出た後、それらが動き出してケンカしたり宴会したり・・・そんなこともあるかもしれない・・・などという想像をしてみるのも楽しいではないか。


ロベルト・インノチェンティの本、もっと見てみたい。

| - | 20:22 | comments(0) | - |
クリスマス・イヴか・・・
14-1224

ここ数年、クリスマス当日にそれらしき記事を書いた記憶がない。全く関係ないことばかり考えているとみえる。


今年も同じようなもので、クリスマス&年末商戦で賑わう街には全く出掛けず、いつもと同じような日々をいつもと同じような気分で過ごしている。が、ラジオを聞いていてもテレビをちらっと見ていてもSNSをのそいてみても、そこいらじゅうにクリスマスはあって・・・


子供が小さいころは、クリスマスをそれなりに楽しんだと思う。12月に入るとツリーを出して息子と一緒に飾り付けをし、イヴの夜にはその根元部分にプレゼントを置き、鳥の唐揚げを作り、ケーキを食べ、と世間並みのクリスマスを過ごした。


狭い部屋に暮らしていたというのにツリーはけっこう大きなものだった。当時は共稼ぎで経済的な余裕も今よりずっとあったので、イミテーションながら本物に近い雰囲気のもので、たしかドイツからの輸入品だったと記憶する。小学校低学年だった息子の背丈より大きかった。オーナメントは木製の素朴なものを中心にして、ガラス製の凝ったデザインのものや息子が気まぐれに作ったものを飾った。豆電球のコードをぐるぐる巻き、夕方点灯して息子が寝てから消した。


そんなツリーも、猫がいたずらするので飾らなくなった。朝起きると、ガラスのオーナメントが必ず1つは落ちていて割れているのだ。とにかく危ないし、人間が寝ている間にツリーを倒されてはかなわないのでそれ以降は押し入れの中に保管したまま。息子が小学校を卒業した時、お世話になった学童保育所に寄付した。


私が子供のころは、ツリーなど飾りもしなかったし特別なご馳走を食べた記憶もない。ケーキくらいは食べたかもしれないが、あとは普段の食事だったと思う。プレゼントは伯母がくれた。毎年クリスマス前になると何が欲しいか聞いてくれるので、絵本が欲しい、オルゴールが欲しい、などおおざっぱなリクエストをした。どのようなものが届いたのかは25日の朝にならないとわからないので、イヴの夜はワクワクしてなかなか眠れなかったものだ。


今日の夜も、ワクワク眠れない子供たちがたくさんいるのだろうか。昨日の話ではないが、「昭和」の時代のクリスマスより格段にゴージャスに、大掛かりになったクリスマスではあるが、世知辛さも格段に感じる昨今。子供の気持ちは「昭和」のころと変わらずにいると思いたい。

| - | 10:57 | comments(0) | - |
岩崎俊一さんを悼む
14-1223

今朝ニュースサイトの「おくやみ」を見ていて、あれ!?っと思った。岩崎俊一さんが亡くなったという。


広告についてことさら興味のない方々はご存知ないと思うが、コピーラーターで数々の名コピーを作った方である。と、偉そうに私も言えない。なにせ、コピーライターとして岩崎さんの名前を記憶していたわけではないので。


私が岩崎さんを知ったのは、東急沿線で配布されている情報誌「SALUS」の連載エッセイだった。「大人の迷子たち」というタイトルのエッセイは現在出ている2015年1月号(166号)で54回続いていた。つい先だって電車の中で読んだばかりだったので、なおさら訃報には驚いたのだった。昨年から闘病中ということをエッセイの中でも明らかにしていたという話もあるのだが、私はその号を読んでいなかった。


コピーライターなのだから当たり前かもしれないが、決められた文字数の中で毎回とてもよくまとまった・・・なおかつ面白いエッセイを綴られていた。享年67歳ということなので私より10歳ほど先輩で、ちょうど団塊の世代に当たる。私の記憶では、広告についての話はなく、日常の中で感じたことなどが多かったように思う。


たぶん最後の連載になった54回のタイトルは「昭和30年代を目撃した人間の責任」。「大人の迷子たち」が書籍化されることになり、その時誰かにこのシリーズの重要なテーマは昭和ですね、と言われたことから始まる。ご本人は全く意識されていなかったらしいが、意表をつかれた後で思い返してみれば鋭い指摘だったと書いている。


ご自分が子供だった昭和30年代と現在を比較し、「増え続けるモノ」と、家事労働の軽減による「家族の絆の弱体化」、この2つがはっきり見え出したのが昭和30年代であり、「その頃を思い返すと、とても便利に清潔になった生活を喜びつつ、なぜか取り返しがつかない気持ちになるのはなぜだろう」と続けている。


岩崎氏は10年ほど前、東急沿線を対象に某社のポスター広告を手がけたことがあったという。約3年続いたその広告で使ったのは谷内六朗さんの絵。週刊新潮の表紙のために描いた1300枚以上の中から選んだという。駅貼りポスターなので沿線を利用する人にしか見てもらえなかったことを残念に思い、ポスター展の開催と書籍化に野心を燃やしていたとのことだ。


その思いは、もうすぐ叶うことになった。今月の27日から来月5日まで「昭和展」という名称で開催される。61枚の絵を展示する大規模なものとのこと。もうすぐなのに・・・岩崎さんは開催決定を喜びながら旅立たれてしまった。


エッセイは以下の言葉で締めくくられている。まだまだ、いろいろなことを書きたかったに違いない。ご冥福を祈る。


「昭和30年代と平成20年代の両方を知る人生。僕が書き残すべきことはとても多いと思っている。」


「昭和展」は、12月27日〜1月5日まで。池袋西武にて。詳しくは、こちら
「大人の迷子たち」は、こちら
| - | 17:12 | comments(0) | - |
22日は猫に語らせる日・・・12月担当:まめこ
14-1222

みなさん、こんにちわ。まめこなの。さすがにすみごんも、こんげつはわすれなかったの。あたりまえだけどね。


このごろ、すごくさむくて、まめこはふだん「ねこベッド」のなかにあんかをいれてもらって、そのなかにいちにちじゅういるの。うえから、ふかふかのもうふみたいなのをかけてもらって、「おこもり」しているの。まめこは、くらくてせまいところにいるとおちつくの。


さいきん、まめこは「ちゅうねんぶとり」だってゆわれているの。とくに、オッサン!「こでぶ」「たんそく」って、まめこのわるぐちをゆうの。すごくしつれいなの。まめこがうしろあしのおていれをしていると、「まーちゃん、あしがみじかい。ふふふ」って、わらうの。きーっ!ねこのあしのながさなんて、みんなにたりよったりなのっ!まめこがとくにみじかいわけじゃないのっ!


ゴンはやせているから、あしがながくみえるだけだと、まめこはおもうです。みかんなんか、からだがふといから、あしがからだのなかにめりこみそうなのにさ、まめこばっかり「たんそく」ってゆわれるのは「りふじん」だとおもうです。


こんげつは、いちねんのさいごのつきなんだってね。せけんでは、「ねんがじょう」とか「おおそうじ」とかいって、みんないそがしそうにしているのに、すみごんは「やるきがでないー」とゆって、なーんにもしていないの。おおそうじは、まいとしギリギリになってあわててやっているけど、あれって「おおそうじ」になっていないとおもうの。おおざっぱだもん。でも、おおそうじのときはバタバタするので、まめこはおちつかなくていやなの。まめこがねているうちに、しずかにやってくれないかなぁ。


「おせちりょうり」っていうのも、すみごんはつくらないの。「おぞうに」だけ。でも、ことしは「くろまめ」をにてみようとかゆって、きのうテストでつくっていたよ。「くろまめ」といえば、まめこの「にくきゅう」だよ。つやつやでやわらかいんだから。すみごんがどんなにじょうずにつくっても、まめこの「にくきゅう」にはかなわないとおもうです。


きのうのよるは、すみごんとオッサンがおでかけしたの。ふたりでおいしいものをたらふくたべてきたみたいなの。まめこたちがいえでひもじいおもいをしているってゆうのにさ。「さむい、さむい!」とかえってきたけど、おそとのねこさんたちはもっとさむいの!すみごんなんか、いえのなかでも「きぶくれ」して、そのうえ「だんぼう」までつかっているの。にんげんって、ぜいたくだなとまめこはおもうの。


それでは、みなさん、ことしもまめこのブロブをよんでくれてありがとうなの。らいねんもよろしくなの。らいげつは、さいきんボケたのか、いつも「めしくれー!」とゆってうるさがられているゴンなの。よろしくね。みなさん、よいおとしを!

| - | 08:14 | comments(2) | - |
年賀状か・・・
14-1221

昨日息子が小さいころ描いた絵の話をしたら急に見たくなってしまい、ゴソゴソゴソ・・・出てきた、出てきた!丑年のものがないけれど、子、寅、卯、辰の4年分。


息子は絵を描くのが好きだったが、いわゆる「上手な絵」ではなかったと思う。しかし、のびのびした感じやユニークな発想が私は好きで、小学校のころから描いた絵はほとんど保管している。年賀状シーズンになるとリクエストし、写真のような年賀状になった。


「元気がいいウサギを描いてみて」のリクエストに応えて描いたウサギはいかにも元気よさそうで私は一番好きだ。寅は猫との違いを出すまでに至らず、やけに可愛らしいトラであるのがほほ笑ましい。


あらためて見てみると、今は亡き元夫であった人も、楽しんで年賀状のデザインをしていたように思われる。原画の雰囲気はそのままに、やはりプロらしくカッコいい仕上がりだ。


元夫であった人は、高校時代までを北海道で過ごし、卒業してから東京に出て桑沢デザインに通った。子供のころから絵が上手で、道内のコンテストで一等賞を何度か取ったと聞いた。義母であった人が嬉しそうに当時のことを話してくれたことを思い出す。


桑沢に通いながらすでに仕事を受けていたらしく、学校を途中でやめて広告デザインの世界に入った。代理店などを点々としているうちに私と出会ったわけだが、機械(Mac)を使わずにグラフィックデザインをした世代で、そういった人たちは手書きの絵も上手かった。ささっとラフデザインを描けたし、全体の雰囲気をグラフィック(=最もわかりやすく伝えやすい視覚的手段)で表現することができた世代だ。


私が言うのもおかしいが、仕事はできる人だった。ただし・・・世渡りは下手な方で、晩年は一人でなんとかかんとか仕事を続けていた。Macへの移行にも苦労したようだった。仕事がなくなったり会社がつぶれたりして同居人としてはハラハラもし、別の仕事を探した方がいいのではないかと思ったこともあったが、本人は頑としてデザインの仕事しかしようとしなかった。なんと頑固な!と当時は腹も立てたが、今となってはその気持ちがわかるような気もする。


なにも残さずに往ってしまった、と思っていたが、こうして手作りの年賀状が手元に残っていた。息子と父の合作が残っているなんてステキなことではないか。いつか息子の手にこれらを渡したいとは思っているが、しばらくは大切に保管しておこうと思う。

| - | 07:24 | comments(4) | - |
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