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日々の内側
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PHOTO WEEK・・・掛川花鳥園<1>
14-1130

なんともユニークなお顔の「カラフトフクロウ」くん。“円盤型”と表現される顔の形、小さい目がほかのフクロウたちと大きく違っていて忘れられない風貌。

*掛川花鳥園は、こちら
*「富士花鳥園」というのもあるみたい。同じかと思ったら違った(^^;)
*園内の様子も似ているし、経営母体は同じか? こっちも行きたい!
| - | 07:07 | comments(2) | - |
さよなら、犬太郎
14-1129
・・・亡くなる2日前の犬太郎。悠然と歩いているように見える。ご主人様撮影・・・

友人Kさん宅の犬太郎(仮名)が27日に亡くなった。14歳半だったという。


犬太郎は、Kさんと共通の友人Sさんの実家で飼われていた。が、Sさんのご両親が亡くなったり病気になったりしたのでKさんが引取り、5年という年月が経過した。今年になって老いが目立ってきたということだったので、8月にお邪魔し顔を見てきた。


まだ田畑が多く残る穏やかな環境は犬にとって理想的とも思えた。毎日の散歩は、飼い主にとって義務でもあるが楽しみでもあったのではないだろうか。真冬や天気が悪い日は大変だろうが、気分転換にもなったのではないかと思う。私も遊びに行った時散歩に同行しリードを持たせてもらった。犬を散歩させるのは高校生の時以来。ここちよい力を感じたことを思い出す。


犬太郎は、無駄吠えしないようしつけられていたので、鳴き声がうるさいということは全くなかったようだ。あまりに吠えないので番犬には向かないと冗談めいてKさんは言っていたが、晩年も大きな病気をすることもなく、その点でも飼い主孝行だった。


頑固なところがあり、細い道を散歩しているとき対向車が来ても「わが輩はわが輩の道を行くでござんす!」と、除けようともせず、飼い主を困らせた。その様子がブログ(すでに更新終了)に掲載され、その場にいない読者は「それは大変だろうなぁ」と思いつつ笑ってしまうのだった。今ではかつて困らせたその性格さえなつかしく思い出されていることだろう。


血統書をもつ柴犬だったが、よく見かける柴犬よりも身体が大きくもっさりしており、それが個性にもなっていた。時々秋田犬ですかと聞かれたという。男尊女卑思想の持ち主で(!)、Kさんのご主人を敬愛していたらしい。が、私が遊びに行った時は、迷いながら尾を振り、笑顔(?)を見せてくれた。人が好きなのだろう。ぼうっとしていることが多くなった晩年も、誰かが遊びに行くと表情がイキイキしたとのことだ。


飼い主が途中で替わり、犬太郎なりにつらい思いもしただろう。しかし、土の上をゆっくり散歩する毎日を過ごし、長患いもせず、なにより飼い主にかわいがられていたのだから幸せな生涯だったと思う。


Kさん宅の庭には、まだ住む者がいなくなった犬小屋があるのだろう。その中には、まだ犬太郎が愛用した毛布が残っているかもしれない。犬太郎が残した「モノ」はそれくらいなのかもしれないが、たくさんの思い出は消えることがないだろう。


犬太郎のご冥福を祈る。犬の可愛さを再認識させてくれてありがとう。そして、さようなら。

| - | 05:22 | comments(2) | - |
芹沢銈介美術館
14-1128

日本民芸館で芹沢銈介作品を見て以来、ずっと行きたいと思っていた美術館に昨日行ってきた。


美術館に行く前に、Mちゃんに聞いて以来行きたかった「掛川花鳥園」へ。フクロウの展示が充実しており、フクロウ好きとしては行かねばなるまい!と思って。花鳥園については、日曜日からPHOTO WEEKとしてご紹介したいと思っている。


さて、芹沢銈介美術館。地方にある美術館は最近様々なメディアで取り上げられているのでご存知の方もいらっしゃると思う。遠くの美術館(たとえば金沢の21世紀美術館など)はなかなか行くことができないが、関東・東海エリアだったら日帰りで行けるので、興味をもったらできるだけ行くことにしている。芹沢銈介美術館もそのひとつ。


登呂遺跡公園の一隅という意外な立地である。静岡生まれなので県内ではあるのだが、何故この地?と不思議に思っていたが、行ってみれば静かでいい雰囲気だ。昨日は時間的に無理だったので入れなかったが、登呂博物館も隣接している。


建物の設計は白井晟一(故人)。芹沢の全面的な信頼に応え、自身が最も愛した京都・高山寺の石水院にちなみ、この美術館を「石水館」と命名したという。その名の通り、石と水、そして木という天然素材がかもしだす重厚かつ閑静な建物で、作品をゆっくり鑑賞するにふさわしい。昨日は閉館間近の時間だったので建物や庭をゆっくり見ることができなかったが、次回(もう行く気でいますよ、私ったら)はもう少しゆっくりしたい。


館内は芹沢の代表的な作品の展示と、今開催されている「蒐集家 芹沢銈介〜選択という名の創造」の展示。


企画展では日本のみならず世界中から集めた「芹沢好み」の収集品の数々を見ることができる。インドの布、古いビーズの首飾り、祭礼用の仮面、イギリスのスリップウエアや椅子など多岐にわたるコレクションは見ごたえがあり、芹沢の「眼の仕事」のすばらしさを堪能できる。


常設(入れ替えはあると思うが)展示では、あの大胆にし繊細、素朴にして洗練されているデザインの数々と絶妙な色づかいを見ることができる。私はもともと「型染」という技法で作られたものが好きだが、確かな技術と自由奔放な創造力が調和した作品の数々は実に見ごたえがある。


染色作品に限ったことではないが、写真ではわからない質感、微妙な色というものがある。当たり前のことだが、実物を見るといつも実感し、その実感が「本物を見に行こう」という意欲に繋がっていく。今回はまたしても家人に車を出してもらったが、静岡駅からバスも出ておりタクシーでも10分という立地なので、興味を持たれた方はぜひ行ってみていただきたい。


写真は、売店で求めたポストカードの一部。「冬」「風」の文字をデザインしたものと沖縄の紅型を思わせる「津村小庵文帯地」。「風」のデザインは1976年パリで開催された芹沢銈介展のポスターにも採用されている。


ちなみに、来年からは芹沢が生涯ただ一人の師として尊敬していた柳宗悦との交流をテーマとする「柳宗悦と芹沢銈介〜美と暮らしがとけあう世界へ〜」が開催される。うーん、行きたいぞ。また、おねだりか??

| - | 11:34 | comments(0) | - |
汁物三昧 鍋物天国
14-1127

だいぶ気温が下がってきた。春から秋のはじめにかけて毎朝の習慣になっていた、生野菜たっぷりの朝食もちょっと身体を冷やしそう・・・ということで、温野菜サラダに変更することにした。が、毎日毎日数種類の野菜をゆでる(あるいはレンジでチンする)のも面倒・・・ということで、最近は汁物や煮込み料理をたっぷり作って数日間それを食べることが多い。


写真は少し前に家人が作ってくれた、けんちん汁。もともとは寺で僧が作る精進料理だったという話もあり、肉類は一切使わない。その代わりというわけではないが、ごま油(わが家の場合は太白)をたっぷり使うので、こくがある。


大根、にんじん、ごぼう、里芋など根菜類が中心なので、いかにも冬の汁物といった感じ。その他はキノコ、豆腐など。ショウガも入れるので身体があたたまるのもいい。


けんちん汁の前は、私が数回連続して作った。カレー、豚汁、野菜スープ。カレーははじめて使うカレーパウダーを使い(ナイルレストランのものらしい)、にんにくとショウガをたっぷりすり下ろして作ったのだが、どういうわけか食後に頭痛が・・・(^^;)単なる体調なのか、それともスパイスの何かが作用したのかわからないが、カレーを食べて頭痛になったなんてはじめて。


けんちん汁の次は、やはり家人作のポトフ。そろそろ少なくなってきた北海道のジャガイモ(箱買いしてきた)をゴロリ、タマネギ半分ゴロリ、でこれもあたたまる。味付けがシンプルな方が飽きないということを、このポトフでも実感した。


それ以外にも、酒の当てとして湯豆腐やおでんを数回食べている。どちらも「鍋物」の中では1,2を争うほど好き。酒が進むのが少々困るが、おいしけりゃよし。そういえば、なにかのCMで「小鍋立て」が粋だとか言っていたような気がするが、小さな鍋をはさんで日本酒を飲みながら話す、というのはなかなかよい。話題も自然と穏やかなものになるのは鍋が成せる技か。夏だとこうはいかないね。


さて、今日はちょっと遠出してくる。どこに行くのか・・・お楽しみに!

| - | 06:45 | comments(0) | - |
悪童日記
14-1126

昨日からの雨がさらに強くなって、今日は一日中雨、という天気予報。しかも気温も低く、風が強いため体感気温は12月のものとか。そんな中、映画を観に行ってきた。


寒い雨の日に出掛けるのは億劫だろうと思われるかもしれないが、目の前に「楽しみ」がぶらさがっていると私はホイホイ出掛けていく。天気予報を素直に信じ、ぬくもり系インナー2枚、セーター2枚の上にキルティングのコートを羽織り、ストールぐるぐる巻き、靴下2枚重ねてひざ下までの長靴を履き、準備万端で出掛けけてきた。めざすは贔屓の黄金町J&B。外に出たら確かに寒いが、一昔前の11月下旬なんてこんなもの・・・なんてことないわ!といった感じ?


観たのは先日ちょっとご紹介した「悪童日記」。原作は手に入れていたものの未読で映画が先になってしまったが、この際順番なんぞどうでもよし。原作は原作、映画は映画だと思っているし、映画を観たことにより原作を読む気持ちになるのだとしたらこれもまたいいことだと思うことにしている。


現時点では、原作は読んでないし、映画のパンフレットは買ってきたもののまだ読んでいない。とうことで、映画を観た感想めいたことのみにしておく。


主人公は双子の男の子だちである。時代は第二次世界大戦中。場所はポーランド・・かな?戦場から帰宅した父親が息子たちにノートを渡す。自分はまたすぐに出かけなくてはならない、だがおまえたちのことを知りたいから日記を書いてほしい、勉強もしっかりやってほしい・・・そんなことを言い残して出掛けていく。母親は危険を避けるため、息子たちを20年以上寄りつくことがなかった母親のところに連れて行き、いつか迎えにくると言い残して去る。


でっぷりと太った祖母(息子たちにとっての)は気難しく、「働かなくては食べさせないよ!」と言い放ち、双子はそれまで経験したことがないような過酷な環境におかれる。


彼らは自分たちが生きるためにしなくてはいけないこと、現在目の前で怒っていることを日記に記していく。彼らは生きるために自分たちに「訓練」を課す。大人たちからの理由もわからない暴力に対するため、彼らは自分たちを鍛えることにする。互いに殴りあい、ベルトの無知で打ちあい身体を鍛える。空腹に耐えるため、数日間の絶食をして鍛える。


日記に記される彼らの言葉は非情なほどクールだ。気絶するほど殴られても、その辛さをあれこれ書くことはない。


彼らにとって最も辛いのは殴られることではなく、一心同体とも思われる自分たちが分離されることなのだ。2人なら何でも耐えられる・・・互いに訓練しあい、生き残るために何でもできる。


もちろん、訓練の日々の中で様々なことが起きる。自分たちを酷使している祖母が倒れる。脳梗塞のような症状だ。重たい身体を2人でなんとか運んで助ける。まともな靴がないので足がこごえそうで、教会にいき神父に恐喝まがいのことをして金をもらう。その金で長靴を買いに行く。一人分しか買えないと靴屋は言う。交代で履けと言われたとき、それは無理だと彼らは言う。何故なら2人はいつも一緒だから。「魔女」と周辺の人からは呼ばれている風変わりな祖母のもとにいると言うと靴屋は同情して2人分の長靴を彼らに渡し金をとらなかった。


教会の手伝いをしているという美しい若い女性が彼らに目をつけて教会まで連れて行き、風呂に入れてやり、食事を与える。彼らは警戒する。この親切は、おかしいと。窓の外が騒がしくなる。ナチがユダヤ人たちを連行していく行列が通りすぎていくのだ。窓からその若い女が顔を出し、パンを見せびらかしながら言う。「靴屋がまだいる!」ナチの軍人は靴屋に乗り込んでいく。双子は大慌てで靴屋に行く。店の中はひどく荒されており、靴屋は頭を打ち抜かれて死んでいた。


双子は以前、祖母の家の近くで出会って助けようとしたものの死んでしまった兵士の持ち物である武器を秘密裏に保管しており、手榴弾のようなものを録り出して教会の女がいつも使っているストーブの中に入れておく。爆発して女は顔にひどいやけどを負う。双子は警察につかまって半殺しのような目に合うが、以前知りあい彼らの様子に好感をもったナチ将校に助けられ祖母のもとに帰ることができる。


離れ離れだった母親が突然迎えにくる。赤ん坊を抱いて。その赤ん坊の父親らしい男が運転する車に早く乗れと言う。双子は行かない。あれほど恋しかった母親なのに。双子は祖母との暮らしを選ぶ。折しも爆撃が激しく、母親は抱いていた赤ん坊とともに爆撃されて死ぬ。祖母は庭に遺体を埋めた後、発作を起こして倒れるが、またしても双子が助ける。


突然父親が現れる。捕虜になっていたので繰るのが遅れたという。妻の死を信じられず埋めたところを掘り起こす。赤ん坊が出てくる。「これは何だ?」・・・離れていた間に妻がしていたことをはじめて知り、がく然とする。心身ともにやつれ果てた父親は他の地に行こうとする。戦争は終わったとはいえ、まだ周囲は不穏な雰囲気で、その地を離れるには危険が伴う。双子は地雷があちこちにあるがそこしかないという場所を父親に教え、逃亡を手伝うことにする。彼らは日記の最後に記す。最後の訓練・・・「別れ」。それは父親との「別れ」なのか、それとも・・・


子供が主役の映画の中には見るに値いするものがけっこうある、と以前から思っている。いわゆる「恋愛映画」よりもずっと面白く、また優れている作品が多いと思っている。この作品も然り。純粋ゆえ残酷でもある子供の視線が様々なシーンで表現されていて見ごたえがある作品だったと思う。これはぜひ原作を読まねば。


今日、冷たい雨の中を出掛けたのは、映画以外にももうひとつ目的があったのだが、それはまた後日。もうすでにけっこう酔っぱらっているし(えっ!まだそんな時間じゃないよ、と言わないで〜)、明日は明日でまた出掛ける予定があるので、このあたりで勘弁していただくことにしたい。感想めいたもの、とはじめの方に書いておいたが、ほぼあらすじを書くだけになってしまいお恥ずかしい次第。映画については、原作を読み終わり何か書く時にまた少し触れてみたいと思っている。


| - | 21:39 | comments(0) | - |
不眠症
14-1125
・・・深川江戸資料館内「於し津」さんの住まい。杵を図案化したデザインもよし・・・

先日新聞の書籍広告欄に掲載されていた「ぼくは眠れない」(椎名誠)に目が留まった。


椎名誠さんの著作を読んだのはかなり昔。10代の終わりか20代前半だっただろうか。軽妙な文章が面白く何冊かは読んだと思うが、内容はというと時間の経過もありほとんど憶えていない始末だ。


しかし、文章からもマスコミなどに登場する椎名さんの様子、推測されるお人柄などにも好感を持っており、私なりのイメージを持っていた。そのイメージと「35年間、不眠症」という帯の文章との間にあるギャップの大きさたるや・・・ギャップが大きかったので目に留まったともいえるのだが。


もうすぐ読み終わる本を横に置き読み始めた。内容は著者にとって深刻この上ないものなのだが、文体ややはり文章ににじみでる人柄によって親近感を感じさせる。35年間という不眠症のベテランであり、物書きゆえの好奇心もあり、主治医に様々な質問をしたりご自分で調べたりなさっていて、その内容も興味深い。


この本を読もうと思ったのは、先に書いたギャップゆえということもあるが、私本人が「不眠症」に近い状態を経験しているから、椎名さんの経験を知りたくなったということもあった。


本を読めば私の「不眠症らしき」ものなど実にたいしたことはないのだが、「眠りたいのに眠れない」というあのつらさはよくわかる・・・思い出しただけでもぞっとする。ぞっとするが、現在でも「眠れない」ことはあり、それを感じ続けてもいるから、なんだか他人事ではないのだ。大きな違いは、私は睡眠導入剤を使うほどひどい状況ではなく、時々この症状に悩む程度だということ。この差はとても大きいのだろう。


もともと寝つきは悪かった。ひどく疲れていたり、ひどく酔っぱらっている時以外は、寝つくまでに時間が必要で、寝る前に本を読む習慣を持っているのも、読んでいるうちにだんだん眠くなることを期待してのこと。私は常に数冊の本を平行して読んでいるが、眠る前に読むのは眠くなりそうな本。それを選んで読んでいる。


それでも眠れないことはあり、電気を消して眠る努力をあれこれしても眠れないことはある。そんな時は、思い切って起きてしまい、仕事部屋に行ってネットを徘徊したりDVDを観たり編み物をしてみたりする。2時間くらいして眠くなればまた寝るし、眠くならなければ朝までそのまま起きている。


眠らないまま朝を迎え、朝食をとるとさすがに眠くなる。とくに忙しくない時は、素直に布団に入り眠る。ただしできるだけ長時間眠らないようにする。「夜は眠り朝目覚める」というリズムをくずしたくないからだ。用事がある時はそのまま起きていて用事を済ませるが、さすがに夕方になると眠くなるからその日は早寝。たいていは、すんなり眠れるから、私の「不眠症らしき」ものなどたいしたことはない。


しかし、このような状態に落ち着くまでに、少なくとも1つの難関があった。その難関をなんとかクリアしたので今の自分がいるような気もしている。


かれこれ15年くらい前になろうか。私は突然「睡眠障害」なるものを経験した。夜の11〜12時にはなんとか眠りにつくのだが、2〜3時間すると起きてしまうのだ。疲れているはずだしトイレに行きたいわけでも咽喉がかわいたわけでもないのに、ぱっと目が醒めてしまう。そして、それ以降眠れない。「早朝覚醒」というのがあるそうだが、早朝というよりまだ夜中である。


当時離婚したばかりで、仕事も忙しく転校した子供のことも心配で心身ともに疲れることが多かった。職場の始業時間は8時半だったが8時過ぎには行っていないと目をつけられてしまうような会社だった。経済的な地盤を失うわけにはいかないので遅刻してはならないのであった。


 簡単な朝食の用意をし、子供を起こし、食事をきちんと食べたところを確認し、慌てて家を出る・・・そんな毎日だったと思う。仕事も、プランナー兼ライターとして忙しく、クライアントとの打ちあわせやプレゼンテーションなど時間に追われることも多かった。


そんな日々の中で眠れなくなる・・・それは恐ろしいことだった。なんといっても体力がないと子供と2人の生活は続けられない。必死な思いで眠る努力をした。ワイン1本飲み干しても眠れない。眠れたとしても相変わらず2時間後には目が覚める。さて、どうしたらいいのだろう・・・それでも現実が優先されるので、ほぼ1ヶ月くらいその生活をしていた。


しかしやはり限界はある。日中頭がぼんやりしたり、簡単なことを忘れたり、軽いパニック障害のような状態になってみたり、様々な場面で支障を来すようになってきた。仕方ない・・・神経内科を受診することにした。


問診の後出されたのは、抗うつ剤、抗不安薬、睡眠導入剤。こういった薬を飲むのははじめてなので、まず休日前に恐る恐る飲んでみた。抗うつ剤は出されたがとりあえず飲まずにおき、抗不安薬を飲む。「不安」は数々あれど、薬を飲まねばならないほどの「不安」なのだろうか・・・自問自答しながら。


 睡眠導入剤も飲んでみた。たしかに朝まで眠れた。しかし、眠りに引きずりこまれていくあの感じ、そして寝起きの時に感じるあの感じがなんとも気持ち悪かった。こういった薬にも相性があるようなので、一概に言えることではないと思うが、私の場合はそうだった。椎名さんがはじめて睡眠導入剤を飲んだ時は、全く違うようだ。なんとも気持ちいい感じになったそうである。


その後、抗不安薬は一定期間飲み、睡眠導入剤はどうしても眠らなければ自分がもたないと思った時のみ、しかも休日の前夜のみ飲んだ。やはり「いやな感じ」だ。できるなら飲みたくない・・・そんなことを思いながらしばらくそんな日が続いた。


いつごろだったかはもう憶えていないが、ある時私はふと思った。人間の身体は眠る必要があれば眠るように出来ているのではないだろうか。薬に助けられないと眠れないというのは錯覚なのではないだろうか。「眠らなければ」という脅迫観念を一度捨ててみる必要があるのではないだろうか。薬で眠らされるなんて、いやだ!などと。


それ以降、抗不安薬は飲み、睡眠導入剤はやめた。抗不安薬も飲んだり飲まなかったりだったので、しばらくしてそんな飲みかたでは意味がないような気がしてやめた。美味しくもない酒を無理やり飲むのもやめた。眠る努力をするのもやめた。


するとどうだろう。少しずつではあるが、以前より長い時間眠れるようになったのだ。起きた時の感じも悪くない。なんだ、こんなことだったのか、薬なんて私には必要なかったんだ、きっと。そう思えると嬉しかった。私は若いころから頭痛持ちなので、鎮痛剤だけは常に持ち歩き必要と感じたら飲むが、それ以外の薬はできるだけ飲まないようにしている。薬をのまずになんとか乗り切れると思った時は心底嬉しかった。嬉しいと同時にそれは確信として私の中に残り今に至っている。


もちろん、深刻な「不眠症」とは私が経験したようなものではないと思う。ごく軽かったからこそ自分の力で乗り切れたとも思っている。


朝まで眠れなかったら、眠らなくてもいい。天気がいい日なら、ベランダに出て朝日を浴びる。朝食後も眠れなかったら、また外に出て太陽の光を浴びる。できるだけ動く。血行をよくし、きちんと食べる。そうしているうちに必ず眠れる・・・と今は思っている。


*ちなみに昨日はぐっすり!(^.^)

*夜、蕎麦屋で日本酒2合飲み、風邪気味だったので葛根湯を飲んで寝た。

*おかげで風邪らしき症状もなくなった。よかった、よかった。

| - | 09:39 | comments(0) | - |
観たい映画あれこれ
14-1124
・・・最近はとんと見かけなくなった駄菓子屋。谷中散歩の時にはいつも立ち止まる・・・

映画を観に行くと、そこで上映を予定されている作品や他で上映されている作品のフライヤーが嫌でも目に入る。私が行くのは主にミニシアター系だが、それゆえ好みに合いそうな作品の存在を知らされることが多く、あれも観たいこれも観たいとなって困る。


本にしても同じだ。もう本を増やすのはよそう、もし手に入れるなら厳選して買おう・・・そうは思うものの好奇心にかられて買ってしまうこともままあり、私の部屋の本は着実に増え続けている。買っても読む方が追いつかないと妙なストレスを感じてしまうので、できるだけAmazonのリストに入れておき、「よし、これを読むぞ!」と思った時にポチッとな・・・ということにしているが、次から次へと読みたい本が出てきてなんだか困る(^^;)


いくら自由になる時間が多いといっても、映画を観たり本を読んだりする以外に使わねばならない時間が多いわけだし、時間以前に財布がついていかない。観たい読みたいと思っている作品のうちいくつかを経験できればいいというくらいのスタンスでいきたいと思っている。


今日は軽く!観たい映画を覚書として記しておこうと思う。内容は書かないので、興味を持たれた方はリンク先を参照していただきたい。


●「花の億土へ  石牟礼道子ラストメッセージ

 “未来はあるかどうかわからないけれども、希望ならばある。文明の解体と創世記が、いま生まれつつある瞬間ではないか。”


●「無知の知

 “私は私自身が「原発」について「何も知らない」ということを知っている。だからこそ、聞いて見たかった。そして福島に行ってみなければならなかった。”


●「千年の一滴 だし しょうゆ


●「イラク チグリスに浮かぶ平和

 “戦火の人生。それでも、日々は続いていく。”


●「石川文洋を旅する

 “戦場カメラマンが見たベトナム、アメリカ、そして沖縄”


●「わたしたちに許された特別な時間の終わり

 “「映画を完成させてね。できればハッピーエンドで」それが友人の最後の言葉だった”


●「山口冨士夫 皆殺しのバラード


●「悪童日記

 “僕らは書き記す。この目に映る、真実だけを”


すべて観たいがたぶん無理かもしれない。「イラク・・・」のフライヤーの裏面を観てぎょっとなったことは書いておきたいと思う。曰く「この戦争を日本が支持したことを憶えていますか?」そうだ、アメリカの家来である日本はこの戦争を支持したのだ、自衛隊を派遣したのだ、と思った時、「集団的自衛権」への危機感が募る。


 「悪童日記」は以前古本屋で原作(翻訳)を入手しているのだが未読。映画の方が先になってしまうかもしれない。

| - | 08:12 | comments(0) | - |
フタバから遠く離れて II
14-1123

晴天の日曜日、ポレポレ東中野まで行ってきた。「フタバから遠く離れて<第二部>」を観るために。


普通、映画を観るにあたっては平日を選ぶ。土日は混雑が予想されるので、レディースデーとはいかないまでも平日ばかりである。しかし、今回に限っては日曜日。なぜなら、映画上映後に監督である船橋淳氏と京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏のトークセッションが予定されていたから。原発事故以降、小出氏の発言には注目してきたし著作も1冊だけだが読んでいる。ぜひともお話を聞いてみたかったのだ。


映画は、とにかく重い内容である。前作「フタバから遠く離れて」と同様だが、あれから2年の歳月が流れてなお双葉町の人たちが置かれている状況はほとんど変わらない・・・というか考えようによってはさらに絶望的な状態に追いつめられているかのようにさえ見える。


あの事故以来、結局のところ傍観者でしかない自分を不甲斐なくも思い、もどかしくも思ってきた。しかし、そんな気持ちの裏に「当事者にならなくてよかった」というエゴが隠れているのを私は正直に認めよう。認めた上で、「忘れてはならないこと」があること、政府やマスコミによってマスキングされようとしている「忘れてはならないこと」が厳然と目の前にあることを考えつづけていたいと思うし、機会をみて発信しつづけていこうと思う。福島で作られた電気を思う存分使い続けてきた罪滅ぼしにもならないだろうけれど。


前作「フタバから遠く離れて」は2011年4月埼玉県加須市に双葉町の住民の方々が役所機能もろとも引っ越してきたところから始まり、その後の9ヶ月を追った作品である。国際的な評価も高く、以降世界40カ国以上で上映されてきたとのことだ。


 第二部は、2012年正月から2014年夏にかけての記録である。埼玉県・加須市の避難所、いわきの仮設住宅に暮らす元双葉町民の方々を中心に、避難場所だけでなく気持ちの上でも分断してしまった町民の悲劇的な状況や役所機能を移してまで町民を守ろうとした震災当時の町長・井戸川氏がその立場を追われることになった状況、町民の気持ちを無視した中間貯蔵施設受け入れなど、「希望」の「き」の字も出てこない状態に暗然とせざるをえない。


暗然とせざるをえないが、だからこそ、すでに過去のものとして忘れようとしている人たちに観てほしいのである。


今日の午後1時からの上映は立ち見が出るほど人が集まっていた。が、トークセッションなどがない回は入場者もまばらなようである。この映画の認知度がまだまだ低いためかもしれないが、重苦しい内容の映画は観たくないという人も一定数おり、もっと楽しいこと、もっと希望に満ちたもの、たとえばクリスマスイルミネーションを見にいったりディズニーランドに行ったりすること、に気持ちが向いている人がいるかと思うと何やら情けなくなる。


前作が世界中で上映されていることを先に書いたが、上映後のトークセッションで聞いたドイツでの反応がひどく耳に痛い。


ドイツでの上映後、監督はドイツ人にこんな質問を投げ掛けられたという。「日本はヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマと原子力に傷つけられてきたというのに何故また原発を動かすのか」また、こうも言われたという。「日本は倫理と経済を混同している。そんなところはアメリカに似ている」まさにその通りで、そう言われた時に監督が感じた衝撃がわかるような気がする。


映画の内容を長々と書くよりも、観てほしいと言う方を選ぼうと思う。現在は東中野で上映されているが、これから全国に回ると思うので、機会があったらというよりも機会を作って観ていただきたい。自分たちの国で何が起きているのかきちんと知るために。


*「フタバから遠く離れて II」の公式サイトは、こちら

*ポレポレ東中野は、こちら

*前作はDVDも出ている。こちら

*本も出ている。前作はこちら。今回のものはこちら


| - | 19:44 | comments(0) | - |
22日は猫に語らせる日・・・11月担当:みかん
14-1122

みなさん、おはようございます。8月以来のみかんです。寒くなってきて、もう冬間近といった感じですね。


今月はすみごんもこの日を忘れませんでした。といっても、1週間くらい前から毎日あたしが忘れないよう注意していましたから当然といえば当然です。これで忘れてしまったら、いよいよボケが始まったということになりますね。


1週間も前から注意喚起するなんてしつこい!とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、このところすみごんは忙しくて(仕事に、ではなく遊びに忙しい。やれやれ)、家にいる時間が少なくなっています。やれどこに行く、誰と会う、といいながらホイホイ出掛けていくので、やはりしつこいくらいにしないとダメだという判断でした。


ところで、朝晩などはとくに寒くなってきたので、寒がりのあたしはどうやってあたたまるかを一日中考えています。夜は体の表面温度が高いオッサンのふとんの中に潜り込み、日中はあちこち移動しています。レンジでチンする猫用あんかがわが家には3つあるんですが、そのうち2つは古くて劣化し、すぐに冷たくなってしまいます。早く新しいのを買ってきてほしいです。


残りひとつと電気あんか(これも猫用)はありますが、2つなので誰かがあぶれます。このところあたしの勝率は高く、あたたかい場所を確保しています。オッサンはまめこに甘いので、毎日タオルケットやバスタオルを使って通称「まめこの巣」を作り中にあんかを入れるのですが、まめこはすぐに入らずウロウロしているので、あたしが利用しています。


 あたしは一度決めたらテコでも動かないし、巣穴の大きさをまめこに合わせてあるのであたしが入るとみっちり。誰も入れません・・・と思っていると時々ゴンが無理やり入ってきます。


ゴンが考えていることなんて、あたしにはすぐにわかるんです。あたしの頭をしつこくなめて、追い出したいんですよ、本当は。このゴンの「なめ出し」作戦は昔ほど威力がなくなりました。あたしが出ていかないと仕方なさそうな顔をしてそのままあたしの横に窮屈そうに寝ています。あたしとしても、せっかく一人でゆっくり寝ていたのに邪魔なんですが、年長者なので我慢しています。あたしが本気で「のしかかり」の技をかけたらゴンなんてすぐに降参しそうなんですけどね。


でもご安心ください。ゴンにはすみごんという強力なパトロンがいて、なにかと便宜を図っていますから。ふかふかの布団の上にふかふかの綿毛布を重ね、その上にふかふかの猫用ブランケットを敷き、保温力がまともなあんかを乗せてもらっています。ゴンは殿様のようにくつろいでいます。


ちょっとかわいそうなのは、まめこ。せっかく用意したのに使わずあたしに場所をとられるのを見て、オッサンからは「まめこは、バカ」と言われてしまうし。たまに椅子の上でくつろごうとしていても物音に臆病なのですぐに降りてしまうし。時々寒い階段の上でうずくまっているので、見かねたすみごんがまめこのために場所を作って呼んでも、ちょっと見ただけで使わないし。まあ、まめこの臆病で気難しいところは直らないと思うので仕方ないような気がします。


けっこう前から、すみごんとオッサンの間で「わが家の猫は三つ巴」という話で盛り上がっています。猫の力関係が三つ巴ということです。つまり、ゴンはあたしに対しては強いけれど、まめこには弱い。あたしはまめこには強いけれどゴンには弱い。まめこはゴンには強いけれどあたしには弱い。ということですね。


三つ巴といえば「ジャンケン」だ、ということで、これから2人でジャンケンする時にはグー(あたし)、チョキ(まめこ)、パー(ゴン)ということにし、掛け声を入れることにしたようです。


 たとえば、「ジャンケン、ゴン!」と言いながらパーを出す、というように。まじめで手堅いあたしがグー。いつもピキピキしていて動きが速いまめこがチョキ。のほほんと天然なゴンがパー。とまあ、けっこうそれぞれの性格にも合っていると思いますが、2人がそうしてジャンケンをしているところを誰かが見たらどう思うんでしょうね。「こいつら、大丈夫?」なんて思われないかしらね。


 最近、夜飲みに出掛けて帰りに買物などをすると、荷物持ちのジャンケンをしているようなんですが、「ゴン!」だの「みー!」だの言いながらジャンケンし大笑いしながら夜道を歩くオッサンとオバサンって・・・いい年をしてそんなことする人っているんでしょうか。ああ、あたしはあまり見たくないです。


来月はもう師走ですね。それでなくても慌ただしいのに、すみごんは忘れないでしょうか。まめこもいいかげん頭に来ているようなので、あたしと同じように1週間くらい前からしつこく言った方がいいと思っています。


みなさん、風邪などに気をつけてお元気で。また来年お会いしましょう。


| - | 09:53 | comments(2) | - |
カンタと刺子
14-1121

行こう行こうと思いつつ先延ばしにしているうちに終了間際になってしまった「カンタと刺子」展に行ってきた。場所は久しぶりの日本民藝館。


カンタ、刺子については今年7月15日の記事でも少し触れたが本格的な実物を見たのは初めてに近い(特にカンタ)。カンタとは旧ベンガル地方(現在のインド西ベンガル州とバングラデシュ)で作られた刺子のことで、「カンタ」とはベンガル語で「刺す」という意味。基本的に白い布(薄手の綿を何枚か重ねたもの)を使い、藍で染めた青、茜で染めた赤の糸を使って様々な図柄を刺繍し、背景部分にもさざ波のような細かい刺子を施す。


 図柄は生命の木、蓮などの花、魚、馬、象、孔雀をはじめとする鳥などの動植物から人間、祭の山車、裁縫や料理に使う道具まで多岐にわたる。祭礼用に

作られたものもあるが、それぞれの家庭で使うものを一家の主婦たる女性が丹念に刺したものも多い。


写真でもある程度わかってはいたが、実物を見てその細かさに驚いた。いったいどれくらいの時間をかけて刺したのか。目が疲れるだろうなぁ、肩が凝りそうだなぁとか自分を省みての感想もぽつぽつ。また、専門家の図案というよりも一般家庭の主婦が考えた一見稚拙な図案がいきいきとした印象を与え、刺した女性たちの家族に対する気持ちを見るような気もする。


写真に写っている「民藝」の表紙に使われているカンタは、この展覧会のポスターにも使われており、素朴な絵柄がなんとも楽しい。中心の花は蓮で、少しざっくりと刺してあり布が微かに見える。それがまるでクレヨンで描いたような雰囲気を醸し出し、いい味わいになっている。


今回出品されたカンタは、優品のコレクションを誇る岩立フォークテキスタイルミュージアムの収蔵品。大きな作品からバッグなどの小さな作品まで70点を見ることができる。これだけまとまって優れたカンタを見る機会はなかなかないと思うので、少々お疲れ気味ではあったが行ってよかったと思っている。


刺子は「津軽のこぎん」「南部の菱刺(青森)、「荘内の刺子」(山形)などが出品されていた。カラフルなカンタとは対照的な藍と白の細かい手仕事も多くが普通の家の主婦が日常生活の中で作り出したものであり、「用の美」そのものだと感じた。とにかく使い古された藍が美しい。


企画展以外の展示もゆっくり見てきた。とくに嬉しかったのは行こうと思いつつ見逃した芹沢銈介さんの染色作品が1室にまとめられており、数は少ないが実物を見られたこと。少し驚いたのは、私が偏愛する「二笑亭綺譚」(式場隆三郎著)の装丁を芹沢氏がやっていたことだ。実物(たぶん初版かなにか。とても丁寧に作られた布張りのもの)も展示されており、とてもいい感じだった。


 少し考えてみれば、山下清さんをバックアップし、ゴッホに関する本を著している式場氏(本業は精神科医)なので、芹沢氏との交友があっても不思議ではないのだが。モダンでありながら時に大胆、時に可憐な芹沢氏の仕事、なにか機会があればまた見たいと思う。


それにしても、最近は見たい展覧会や映画などが多すぎる。会期が長いものは後回しにしたいと思っているが、終了近いものもあってなんとなく気ぜわしい。まだ師走にはなっていないのに・・・困ったものである。


*それにしても2人連れのオバチャンたちのうるさかったこと!

*展覧会なのに・・・自分たちのことしか考えておらんな。

*「大儀なき」どころじゃないでしょ・・・全くの自己都合でしょ。



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