先日、なんとなくぼうっとしていたら昔出会った猫たちのことが次から次へと頭に浮かんだ。
わが家には現在もうすぐ15歳になる猫を筆頭に3匹の猫がいるし、猫友だちの家にお邪魔して愛猫たちに会ったことも何度かある。が、なぜかふと思い出すのは外で出会った猫たち・・・ほとんどが野良猫として生きていた猫たちである。
自分で飼っている猫たちはもちろん可愛い。断然かわいい。よその人が飼っている猫たちもかわいい。が、「猫」という動物の魅力を最も私に感じさせてくれるのは、野良猫として生きている猫たちであるように思う。私は単に「かわいい」存在よりも、どこか踏み込めないところを持った野性的な存在に惹かれるようだ。彼らと一定の距離をとりながら、認めあえる仲になれたらいいと思う。
だからだろうか。彼らの生活が厳しそうだからといって、彼らを保護しようとは思わないのだ。見るからに弱っている場合は何らかの行動をとるが、たとえば世話をしている人がいるとか、ファミリーで仲良く暮らしているとか、そんな場合は少し離れたところで静かに見守っていたいと思う。野良には野良のプライドがあり、もしかしたら人間の奢りかもしれないが、私はそれをできるだけ尊重したいと思うのだ。
そんな姿勢で見てきた野良猫たちだが、思い出に残るのはやはり何度か姿を見かけた猫たちだろう。顔見知りになって、声をかけると挨拶しに来てくれた猫たち・・・彼らのことは一生忘れないと思う。
近くの公園で暮らしていたコトラ、ウスミケ、アカノスケ、サト・・・彼らは20年以上公園の猫たちの面倒をみていたKさんが毎日世話をしていた。何年か前まで公園経由で駅まで行っていたので、彼らと会うことも多く、私たちの姿を見かけたり名前を呼ばれたりすると出てきてくれたものだ。それぞれ適当な距離を保ちつつ、彼らは公園の暮らしを続けていた。元気な顔を見せてくれると嬉しかった彼らも、すでにもういない。Kさんから彼らの最期の様子を聞いたのはもう数年前だ。
このマンションの敷地内に夜になると現れていた「ケムタン」。サビ猫に近い毛色で額に明るい茶色の模様があった。猫好きな居住者の人と話をしていた時、「顔に毛虫がついているのかと思った」とその人が言って以来、私たちは「ケムタン」と呼んだ。マンションの長い外階段に彼女が現れると、別棟に住む猫好きの人が餌を持って出てきて、そっと食べさせていた。家人も時々ドライフードをやっていて、入院中は彼に代わって私もフードをあげたりしていた。が、そのうち「野良猫に餌をやらないで」という貼り紙が出され、こちらが遠慮がちになったのを知ってか知らずか、「ケムタン」は敷地内に来なくなった。すぐ近くの空き家の縁側にいるところを数回みかけたが、その後ふっつり消息を絶った。
突然わが家があるマンション3階に現れたみすぼらしいキジ猫、「じー坊」。痩せこけて臭かったが、人懐こくて放っておけなかった。運良く家人のお母さんが引き取ってくれることになり、獣医に見せて健康診断をしてもらい、歯肉炎でダメになった歯を抜いてもらい、去勢手術もして都内某所に旅立っていった。かわいがってもらって、立派な体格ときれいな毛並みになったが、悪性のリンパ種を患って闘病の末亡くなった。顔の片方が腫れるという症状が何度か出て、治療に通ったが最期は力尽きた。愛嬌があるので獣医のところでも人気者でだったが、治る見込みはないと言われており、精密検査も何度か受けたが効果的な治療法はなかった。
駅に行く途中の坂道脇の路地で出会った「まこりん」も忘れ難い。白地に黒いブチのあるオス猫で、とても人懐こかった。見た目が可愛らしいので、通り掛かりの人にも人気があって餌をよくもらっていたようだった。母猫と兄妹猫と一緒に行動しており、路地に面した家で毎日ごはんをもらっているようだった。他にも何匹か野良猫がいてコミュニティのようなものがあり、雨露しのげる場所もあるのでそのまま見守っていたのだが・・・ある時期から姿を見かけなくなり、次に見た時にはもう手の施しようがないくらい衰えていた。
オス猫なのでどこかに流れていったのかと諦めていた時、近くの小さなお稲荷さんの脇で痩せさらばえた「まこりん」を見つけた。出掛けるつもりで通りがかったのだが、それどころではないということで獣医に連れて行った。医師は楽観的なことは言わなかった。それでも生命力を頼みにしていたのだが、翌日悲痛な鳴き声を数回発して「まこりん」は旅立ってしまった。
その「死」がはっきりしている猫もいれば、行方知れずになってわからない猫もいる。が、すでに時間はかなり経っているから、みんなもうこの世にはいないだろう。もっと何かしてやれたのではないかという思いもあるが、仕方なかったのだという思いもある。無理やり自分を納得させ、思い出だけは持ち続けたいと思う猫がほとんどだ。
しかし、今でも悔いだけが残る猫がいる。なんで手を貸さなかったのだろう、何を私は躊躇っていたのだろう、と。写真の猫、「モッピー」だ。
「モッピー」との出会いは10年以上前に遡る。私と家人が今よりずっと歩くことを習慣にしていたころ、隣接する市の市営住宅あたりを散歩している時に出会った。大規模な建て替え工事がすでに決まっていたが、当時はまだ住人もある程度残っていて、長屋スタイルの平屋が数棟残っていた。そのひとつの前に無造作にがらくたが放置されており、そこで「モッピー」はのんびり昼寝していた。
雑巾のような目茶苦茶な毛色なので、はじめはそこに猫がいるとは気づかなかった。すぐ近くに別の猫がいたので、そちらに気を取られていたということもあったと思う。が、少し落ち着いて辺りを見回すと、のほほんと寝ている雑巾猫が目に入った。
その時は寝ているのを起こすのも悪いのでそのままにしておいたが、その後何度か「モッピー」には出会うことになった。行くたびに、市営住宅あたりは人が少なくなっているようだった。子どもたちが遊んでいただろう公園には雑草が生い茂りはじめ、何匹かいた猫たちの姿もなかなか見かけなくなってきていた。そんな中、「モッピー」は静かに現れ、人懐こそうな目でこちらを見た。最初の出会いの時は寝ていたのでわからなかったが、次に会ったとき、私は「モッピー」の目がとても美しい青色であることを知った。
最後に会ったのは、数年前の1月。何日か前に雪が降って、それがまだ少し残る寒い日だった。もう猫には出会えないかもしれないと思いながら久しぶりに出掛けていったのだが、予想以上に市営住宅は閑散としており、住人のほとんどはすでに移転しているように見えた。最初に「モッピー」を見かけたところに行ってみたが、家にはもう人の気配はなかった。とりあえず名前を何度か呼び、通り過ぎようとしていた時、うち捨てられた車の中から「モッピー」が出てきた。そして、訴えかけるように鳴き、近くに寄ってきた。
あの時何故、私たちは「モッピー」を連れて帰ろうとしなかったのだろうか。ドライフードをやっただけで「またね!」と言い、後ろ髪を引かれるような思いを持ちながら立ち去ってしまったのだろうか。その時は無理だとしても、できるだけ早く行って連れて帰ることができなかったはずはないのに。ほとんど人がいなくなり建て替え工事が目前に迫っているというのはわかっていたのに、何故・・・
10年以上も経過してから、こんな気持ちになるなんて情けない。あの時私たちは・・・少なくとも私は、わが家の猫たちのことを考え、狭い集合住宅で3匹飼っているのにそれ以上増やすことの煩わしさを無意識にしろ感じ、「モッピー」に“たいへんだろうけど、がんばって”と心の中で言いながら何かをごまかしていた。
連れ帰っても、どれくらい「モッピー」が生きられたかはわからない。歯の数も少なそうだったので寿命が近かったのかもしれない。が、そう思うことも言い訳にしか過ぎない。たとえ数日後死んでしまうことになったとしても、おなかいっぱい食べられる環境くらい「モッピー」に与えてもよかったのに。人なつこい「モッピー」とぬくもりを分けあう時間をもつべきだったのに。
「モッピー」を思う時、あのきれいな青い目が目に浮かぶ。切ない鳴き声が聞えるような気がする。申し訳ないという思いだけが湧き上がる。そんな感傷にしばし浸った後、私は思う。2度と同じ過ちはするまい、と。「モッピー」に対する永遠の悔いを胸に、これからも猫たちと付合い、できるだけのことはしたい。