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日々の内側
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ステキなノリモノ
14-0531

最近・・・というよりここ10年以上、そこいらの道路を走っている自動車を見てつくづく思うこと。「変なデザイン!」


私が若かったころに比べ機能面では格段に進歩したと思われるが、デザインの面から見るとむしろ退化しているのではないかと思われるほど、みっともないデザインの車が多い。稀に、「お!いいな!」と思う車があると、それはかなり古い車だったり外国車だったりする。一体何故なんだろう。


私は自動車の免許を持っていないし(もはや超少数派)運転をしたいとも思わないが、工業デザインとして自動車を見るのはけっこう好きだ。しかし、もうほとんど期待しなくなってきた。テレビCMを見れば、奇を衒っているだけに見えるものか生活感まるだしのものしか見当たらない。もちろん、自動車は生活の道具として使われることが多いわけなので当たり前のことだとも思う。が、そういう車ばかりになってしまうとおもしろくない。


最近乗り物としておもしろいと思うのは自転車である。今まで私にとって自転車は、実用を目的とした道具にすぎなかった。今でも前後に大きなカゴをつけた自転車は愛用している。が、なんだか実用というより移動手段としてのみ使うステキな自転車が欲しくなってきた。


中目黒などを歩いていると、ステキな自転車があちこちに停めてある。路地裏などの静かなところにひっそり停めてあるそのたたずまいがなかなかいい。以前ならステキだなと思うだけだったのだが、最近は欲しいと思うようになってきた。キケンだ!が、欲しいと思っているだけならまあいいか、といったところ。


自動二輪の免許を取り250CCのバイクを買った時、母親に「なんで何の役にも立たないものにそんなお金を使うの」と言われ、「役に立たないからいいの!」と答えた。実際のところ、買物など日常生活の役には立たないが、ツーリングなど移動の道具としては多いに役立つのだが。高速道路だって走れるし。


数年来自転車ブームらしく、数十万円はすると思われる高級自転車を見かけることも珍しくなくなった。私にはそんな高価なものは必要ないが、自分で納得できるデザインの自転車が欲しい。6段くらいのギアで、カゴなどいっさい付けず、身ひとつで走る!気持ちいいだろうなぁ。


写真は、先日谷中の雑貨店でみつけた手作り感満点(^^;)の自転車。フレームの色はメタリックグリーン。どこだか忘れてしまったが、発展途上にある国で作られたもので、精巧な作りとはお世辞にも言い難い。チューブのゆがみなんてもう笑ってしまいたくなるほどひどいものである。フレームなど金属部分は空き缶を使っているらしく、よく見るといろいろな文字が印刷されているのがわかる。模型ともいえないような安っぽい作りだが、この安っぽさがまたいいんですなぁ。

| - | 09:52 | comments(0) | - |
祈りとかたち・・・鈴木空如
14-0530
・・・記事と全く関係ないが、クラゲを見ていると悟りの境地に・・・なわけないか・・・

「法隆寺 祈りとかたち」展、やはり行ってよかったと思う。法隆寺といえば国宝級の文化財がごまんとあるわけだが、今回の展覧会ではどちらかというと地味なものが多かったように思われる。言い方を変えれば一般観光客を呼び込む目玉にはなりづらいところがあるが、好きな人にとってはたまらないもの・・・そんな感じだろうか。


なにを言うか!と言われてしまうかもしれない。地味なんてとんでもない!と。もしかしたら私の印象は的外れなのかもしれない。なにせ百済観音とか釈迦三尊像とか救世観音とか、学校の美術の教科書に載っているものを念頭に置いた幼稚な印象だとは自分でも意識している。そこんとこに免じてお許しあれ。


仏像はさほど大きなものはなかったが、やはり重みが違う。ぐるりと回って鑑賞できる展示もよかった。誰かさんの影響からか、なぜか毘沙門天などに踏み敷かれている邪鬼が気になってしかたなかった。かなり辛い体勢なのだが、どこかユーモラスで踏まれて喜んでいるように見えなくもないところがおもしろい。


私にとっての圧巻は、金堂壁画の模写群だった。鈴木空如による第一号大壁(釈迦浄土図)、第六号大壁(阿弥陀浄土図)、第三号小壁(観音菩薩像)、第四号小壁(勢至菩薩像)、第二号・第五号小壁(ともに菩薩半跏像)、第八号小壁(文殊菩薩像)、第十一号小壁(普賢菩薩像)。その他、藁谷実、新井政明など藝大関係者たちが1980年代に描いた模写。ほぼ実物大と思われる壁画の模写に囲まれた展示空間は、いつまでもそこにいたくなるような不思議な魅力に満ちていた。


とくに、鈴木空如については孤高の仏画作家として新日曜美術館(5月18日放送。ゲストに我らがみうらじゅん氏が出ていてびっくり)で紹介されていたので、とりわけ興味深く鑑賞した。


今回の展覧会図録でも紹介されているが、鈴木空如は秋田県の寒村にある農家に生まれ、独学で絵を勉強していたが19歳の時(明治25年)に上京。明治26年に東京美術学校に入学願書を出すが選考後で間に合わず、そのまま明治27年の日清戦争に応召されてしまう。ようやく入学できたのは明治31年、25歳の時。卒業後も研究科に進み、終生仏画を探求する仕事に没頭した。


仏画が儀軌(仏教の儀式の規則)から離れていくことを憂えていたといい、仏教美術を「正しく」次代に継承していくことを目指していたということだ。そして彼は生涯で3回、金堂の壁画模写をしている。実物大の壁画模写を一人で黙々と成し遂げたことは、他の壁画模写が助手や弟子を使った集団作業であったことと対照的であり、「作品を残す」というよりも、なにか「祈り」に似た思いをもって成された仕事であるように思われる。


鈴木空如以外の作品でとくに印象に残ったのは、藁谷実氏の第六号大壁模写(観音菩薩像)で、「美しさ」という意味では最も美しい作品だと感じた。どこかで見たことがあると思って調べたら、やはり切手になっていた。誰もが認める美しさなのだろう。


例によって図録を買ってきたので、少しずつゆっくり見たり読んだりしている。図録は重くて負担感があるが、展示期間が長い展覧会などではタイミングによって見られない作品もあり、全容を知る上でも私には必要なものだ。また、時を経て展覧会や作品を思い出した時にすぐに調べることができるので便利でもある。図録ばかり集まると収納にも困るわけなのだが・・・


| - | 09:56 | comments(0) | - |
ギャラリー・マルヒ〜だから路地はおもしろい〜
14-0529

今日はSさん(私の友だちにはSさんが多い。私もSだし・・・)と、上野の東京藝術大学美術館で開催されている「法隆寺 祈りとかたち」展に行ってきた。法隆寺は中学校の修学旅行で行った後、20代のころ妹と訪れたのみ。


大好きな百済観音にもういちど会いたいので、いずれゆっくり行きたい場所ベスト3に入っている寺だ。また、少し前にテレビの美術番組で金堂消失前に三度も壁画を模写したという鈴木空如を特集していたのを見て、壁画にも興味があったのだ。展覧会については後日ゆっくり書きたいと思うが、今日は展覧会を観た後のことについて少し。


方向もばっちりということで(私ひとりがそう思ってただけ)、藝大美術館から谷中方面に向かった。つい先日訪れて「キケンなエリア」だと感じたエリアに再び潜入したわけだが、あらためて根津・谷中エリアは路地がおもしろいと思った。今まで何度も行っているが見逃している路地がたくさんあり、そこには変わらぬ人々の暮らしと新しくできた店やギャラリーなどがある。そういったものに出会うのも楽しく、路地裏散歩の妙味を少しだけだが味わえた一日だった。


写真はとても細い路地にマルヒの看板を見つけたので立ち止まって見ていたところ、オーナーらしき男性が声をかけてくれたので訪れたギャラリー。なんでも、今年2月に火事で焼け出されてしまった商品を展示しているという。火事といえば悲劇的な出来事であり、興味本位で見たいと思うのは申し訳ないような気もするが、展示しているという以上それは折り込み済みだろう。いそいそと路地を入り、入口で靴を脱ぎ、中を拝見した。


ギャラリー・マルヒは「大正6年(1917年)に建てられ、関東大震災、東京大空襲の戦火をくぐり抜け、生き残った古民家をリノベーションした」(ギャラリーのリーフレットより)建物で、展示物のインパクトも強かったが建物内部の雰囲気がとてもよく、こんなところがあったのか!と嬉しくなった。


現在開催されている「EXPO 2.11 carbonized」は、今年の2月11日、隣家からのもらい火により全焼した「EXPO」という店の商品と火事で焼けただれた店内の様子を写した大きな写真の展示。商品はレトログッズというか、一昔前のフィギュアや人形、人体模型などがメインで火事に遭遇する前の店内の様子を写した写真から、商品点数はかなりの数に及んでいたと思われる。


ほとんどカーボン化しているものから奇跡的に生き延びたものまでいろいろだが、火事という不測の事態をくぐり抜けたものだけがもつ迫力のようなものがあった。おそらく火事に遭う前に見たらさほど気に留めないものもあるかと思うが、それらは災いの色を纏うことにより以前よりずっと存在感を増しているのではないかと思われた。


オーナーにとっては大変衝撃的な事件だったと思われるが、焼け跡の写真をプロに撮ってもらい展示する当たりは、なかなかのものだと思う。店舗再開の目処もたったようでなによりである。


ギャラリー・マルヒは、様々な作品展示やイベントのレンタルスペースなので、時々チェックしてみたいと思う。週末はカフェになるそうなので、近くに行かれた時はのぞいてみてもおもしろいかと思う。


*「EXPO 2.11 carbonized」は6月8日(日)まで。12:00〜19:00 月曜定休

| - | 22:51 | comments(0) | - |
スキマの植物図鑑
14-0528

少し前のことになるが、ラジオ番組に「スキマの植物図鑑」という本の著者である塚谷裕一さんがゲストとして出ていた。「スキマの」と聞いただけで「お!」と思った。なぜなら、以前から散歩で出会う「スキマの植物」たちを私は偏愛しているからである。


「ど根性大根」なるものがニュースで取り上げられ、しばらくの間「ど根性」で成育する植物が話題になったことがある。いつのことだったか・・・たしかに「スキマ」から生えて育つ大根はすごいと思うが、「スキマ」に入り込んでたくましく生きる植物は見慣れていたので、ニュースで伝えられるほど驚くこともあるまい、とも思った。


興味のない人には目にも入らないのだろうが、少し注意して歩いていれば「スキマの植物」は至るところにある。アスファルトの割れ目、道路と壁の間、コンクリートブロックの隙間・・・土などなくても、砂や埃がわずかに堆積していればそこは発芽の場となるのだ。そして、一端発芽したら、奥へ奥へと根をのばし、葉を広げ、時に花を咲かせる。


「ど根性」というのは人間の視点での話で、植物たちにとっては、できるだけ多くの種を飛ばし、その落下点のひとつが「スキマ」であり、気温や湿度などがちょうどよかったため発芽したにすぎない。全くもってたくましく、そしていじらしい生き物だと思う。


実際のところ、一端根を下ろしたら地上部分は排除できても根こそぎ取り去るというのはなかなか難しい。彼らの多くが「スキマ」から下に深く根を張っているので、たとえばアスファルトであれば周辺をひっぱがさないと根は抜けないと思われる。そういう意味で、「スキマ」は植物たちが生き残りをかけた場所であり、その作戦は成功していることが多いのではないかと思われる。うまく成功している事例を見かけると、心中で「よしよし、よかったねぇ」と声をかけているが、ごく稀に(たとえば駐車場の大幅改修工事などで)アスファルトごとごっそり撤去されているのを見ると少し悲しくなる。


ともあれ、「スキマの植物」に目を向け、感心し、写真などを撮るのは少数派だと思っていたので、植物学の専門家が図鑑を出していると聞いて嬉しかった。Amazonの「ほしい物リスト」に入れたままだったので、昨日注文してみた。届くのが楽しみ。著者の塚谷さんにはこれ以外にも興味深い著作がある。おいおい読んでみたい。

| - | 11:50 | comments(0) | - |
「イネ」と「シダ」
14-0527

我が狭いベランダも見回してみれば所狭しと植物の鉢が並んでいる。バラの鉢を大幅に減らしたが、減ったら減った分ほかのものが増える。今は山野草や盆栽風の小さな木の鉢がずらり。つくづく、植物からは離れられないと思う。


バラにはまったきかけは小さなミニバラで、ある日花屋の店先にあったものに目が向き買ってきたことだ。それまでバラにはほとんどといっていいほど興味がなかったのに・・・なぜ目に付いたのかいまだにわからない。が、それ以来最初の1〜2年は様々な品種を、それ以降は原種や原種の交配種を育ててきた・・・とここで思うのは、「育てる」という言葉から感じる違和感。たぶん、私は植えて、水や肥料をやり、時には殺菌・殺虫薬をまき、たまに植え替えはしたが、「育てていたか」というとなんだか違うような気がする。自分の目に都合がいいように彼らをいじり、自分の趣味に付き合わせていただけではなかろうか。そんな気がする。


植物を身近に置いて鑑賞するということは、特に都心に近い限られたスペースであればあるほど彼らに負担を強いることになる。ましては人はそれぞれに美意識という面倒なものを持っているので、自分の好みに合わせようとする。それは仕方のないことだと思うが、その分常に「申し訳ないな」という思いを持っていなければ、と自分自身には言い聞かせている。もちろん、他人にこの考えを押し付けるつもりはない。


前置きが長くなってしまったが、山野草を再び育てはじめて再確認したことがある。自分が特に好きなのは「イネ科」の植物と「シダ」の仲間だということだ。


これには、「花より葉に固執する」という私の嗜好が深く関係していると思われる。私にとって、早春の芽出しから若々しい新葉が鑑賞できる初夏までが一番いい季節だ。次いで秋の紅葉、冬枯れの時期。花が咲くものはやはり咲いてほしいが、盛りだくさんに咲く必要は全くない。


イネ科の植物は主役にはなりにくいが、たいせつに持ち込むと独特の味わいがある。ほとんど植え替えをしないがそんなことものともせず、鉢底を押して株を盛り上げてくる。すらりとした葉は涼しげで穂は繊細な個性を見せ、秋にはひかえめに紅葉する。周りにおいてある鉢に咲いた花の種が飛び込みイネ科の鉢で思わぬ出会いをすることもあるが、何が飛び込んでもおおらかに受け入れる。


今うちにあるのは、フウチソウ(風知草。ウラハグサとも)の青葉種、斑入り種、ワイルドオーツ(外来種。オオコバンソウ、ニセコバンソウなどとも)、トワダアシ(十和田葦。名前の由来不明)、メカルガヤ(雌苅萱。寄植)、キシュウオギ(紀州荻。イタチガヤ、ソビとも。寄植)、ヤクシマススキ(屋久島薄。小型)、カリヤスモドキ(刈安もどき)、ヤクシマザサ(屋久島笹)、ヤダケ(矢竹)など。こんなにあるのに、まだ欲しいものがあるほどイネ科好き(^^;)


シダの仲間は多湿の環境を好み気難しいものもあるので、イネ科のものほど持っていない。庭の木々の下などでは容易に育つものもマンションのベランダでは苦しむことがある。あまり無理はしたくないので育てやすいものだけ。


クジャクシダ(孔雀羊歯)、シノブ、ヤシャゼンマイ、フギレホウライシダ(ヤマアジサイと寄植)、コガネシダ(黄金羊歯。寄植)くらいか。コガネシダは寄植の脇役としてよく使われ、秋になると黄葉する。これを「カタヒバ」と呼ぶこともあるが、本来の「カタヒバ」はもっと大型で、コガネシダは「イヌカガヒバ」と呼ばれる外来種ではないかと思う。


近所を歩いていても、どこかを散歩していても、空き地や駐車場の片隅にいい姿のイネ科植物を見かける。渋くていいなぁと思う。アスファルトの割れ目などから生えているスズメノカタビラなどを見てもいいなぁと思う。ここまでくるとイネ科フェチかもしれない(^^;)


写真は近所の道路脇に群生し穂をあげているチガヤ。風に揺れる姿は季節感たっぷりで好ましい。


*「木と草と花と・・・」、更新。

| - | 15:41 | comments(0) | - |
立川流落語会
14-0526

昨日の記事でも触れたが、立川流落語会に行ってきた。立川流の落語は、志の輔師匠の独演会に何度か行ったことはあるが、あとはCDなどの音源のみで実際の高座を見たことはなかった。見たいとは思っていたが、談春、志らく、談笑師匠など立川流を代表するような真打になると、なかなかチケットはとれず、半ばあきらめていたのだった。


今回はたまたま国立演芸場に行った時にフライヤーを見つけ、チケット発売日に電話購入した。国立演芸場開場三十五周年記念と立川流創立三十周年記念を冠とする落語会で、発売日の午前中に電話したというのに二日目はすでに完売状態。迷ったあげく三日目のチケットを取った。


出演と演台は立川笑二(出来心)、談吉(孝行糖)、談奈(近日息子)、志らく(看板の一)、談笑(堀の内)中入り後は談慶(権助魚)、談之助(三国志)、小菊(俗曲)、左談次(阿武松)。午後1時開演、4時少し前までの“たっぷり”楽しめる落語会だった。


すべてを見終わってまず思ったのは、談志という毀誉褒貶のある落語家が残したものの大きさだ。昨日見た数人を見ただけでも、それぞれ個性豊かであり落語会そのものが多彩である。とくに談志が「最も才能がある」と言っていたという志らくの上手さ、独特の雰囲気を持つ談笑のおもしろみ、左団次の渋く粋な雰囲気を味わえたことは大きな収穫だった。あれで木戸銭3100円は安い。


ちなみに「看板の一」の「一」は「ピン」と読み、私が今まで聞いたことがあるものはもう少し長い噺だった。が、さすが志らく、濃密な内容で短い時間を感じさせない芸だったと思う。「阿武松」は「おうのまつ」と読み相撲取りの人情噺。噺の中にちらっと今現在話題になっていることを入れながら、江戸っ子の人情をさりげなく感じさせてくれた。


このところ落語からは少し遠ざかっていたのだが、また行きたくなってきた。立川流を中心に少しアンテナを張ってみようと思う。七月に行われる圓朝祭初日も行きたい。チケット、まだあるかな?


写真は国立演芸場の売店で見つけた落語協会公認キャラクター「はなしか」のてぬぐい。何色かあったが、あえててぬぐいらしからぬサーモンピンクを。


*耳の後ろと後頭部に湿疹ができて痒い!
*午前中皮膚科に行ったら3時間待ちだって。一度家に帰ってまた出かけた。
*ネットで順番が確認できるのは便利なんだけどね・・・
| - | 17:56 | comments(0) | - |
本棚のカオス
14-0525

仕事部屋の窓に向かって右側の壁に、幅60センチの安物本棚が4つ並んでいる。本棚なので主に本を収納しているが、本の手前のわずかなスペースに細々としたものが置かれていてカオス状態になっている。前回ご紹介したアヒルの添配のように、気の向くまま手に入れた様々なものが所狭しと。


一年に何度か、いらないものを捨てたり別の場所にしまったりするものもあるが、基本的にそのまま放置状態でもはや本と一体化しつつあるが、あらためて見てみると自分の好みというか、気分というか、そんなものによって集まったものたちのハーモニーのようなものがなくはない・・・ような気がする。見慣れているのであまり意識したことはないが、いったいどれくらいのものがあるのか書き出してみることにした。左側の本棚から番号を振って下から機械的にリストアップ。


<本棚1>

シャボン玉液(いただきもの。熊の絵がついたかわいいもの)、ガラスのペーパーウエイト(乳白色で少しゆがんだタマゴ型)、少し古い鉄のロウソク立て、軽石でできた線香立て、伯母からもらった古い香水の箱(マイ・シン)、猫足のガラス製キャンディボックス(ビンテージ。中は大磯などで拾ってきた小石)、ガラスの多用途の丸い器(ガラスが分厚いので重い!)、猫の顔型の鈴(いただきもの。箱入り)、熊よけのベル、足つきの小さな黒い器、マスタードなどが入っていたと思われるフランスの古い瓶、鉄製の皿(以前は灰皿として使用)、ガラスのフタ付きキャンディボックス(少し古いもの。中はジュズタマの種)、モノクロ彩色のこけし、古いウズラ型水滴、古いとちん(窯道具)、ヒトデの殻(?)、コウイカの骨(背中のボード。浜辺でゲット)


<本棚2>

フタ付きの小さなガラス製保存容器(中は古いビーズ類)、猫足(アンティーク。たぶん鉄か銅。ネジでとめられるようになっている。何に使われていたかは不明)、ころんとした形の須恵器、大きめの石2つ、鉄製の猫の置物、青森で発見されたはにわの小さなレプリカ、鉄製の古いマドレーヌ型3つ(フランスのビンテージ。中は地元鉄板焼き屋ではし置きに使われている落花生、藤の種、いただきものの何かの実、バラについていた蜂の巣)、活版印刷で使われていたアルファベットや数字の木製ブロック(8個)、古い台付きの皿(李朝ということだったが安かったので偽物に違いない。わかっていて購入。乗っているのは近所で拾ったドングリなど)、家の形をした小物入れ(セラミック)、小さな盆栽鉢(白地に焦茶のストライプ)、国芳の猫フィギュア、青森の小林さんにいただいた小さなリンゴ(中に超小型の独楽が入っている!)旭山動物園で限定販売されたオオカミのフィギュア、アヒルの添配、不動明王の添配、どこかで拾ったカシパンウニの殻、江ノ島で買ったウニの殻(ピンクとグリーン)、ウニの殻で作られたピンクッション、岩のようなデザインの花器、ヴェロニカさんの器(中はスイセン・タリアがドライになったもの)、ガラスのフタ付きキャンディボックス(ビンテージ。中は一円玉)、息子が小さいころ川原で拾った顔面石(!)、古いトイアイロン(金属製、無着色)、手彫りのカットガラス製一輪挿し(アンティーク)


<本棚3>

カットガラスのふた付き小物入れ(ビンテージ)、カットガラスの皿(ヨーロッパトウヒの大きな松ぼっくりなどが入っている)、ガラス製密封容器(中は猫毛玉)、どこかで拾った大きめの石3つ


<本棚4>

小さな茶色のガラスの小瓶(ビンテージ)、ジャムの容器に入ったバラの花びら(ドライ)、息子が小学生のころ歯医者で作ってもらった人さし指の石膏型、多肉植物の形をした小さなキャンドル3つ、プリンの容器3つ(中味は椿の種、ドングリなど)、小さな招き猫、きれいなビーズを閉じこめたオブジェ、築地波除神社のお守り(酉の市の限定販売・かっこめ)、プリンが入っていた白いミルク缶型容器2つ、世田谷ボロ市で買った和菓子の型(木製。松の型)


書きだしてみると、まあすごいことになっている。特に本棚1と本棚2がすごい。が、「古いもの」「何かの容器」「拾ってきたもの」が中心だということが判明。拾ってきたものはほとんどが木の実や石や貝など自然からの贈り物だと思っている。これからも・・・増えるのかなぁ(^^;)


*昨日は久しぶりに地元の寿司屋へ。

*クロムツ、アカイカ、シャコ、貝(何だったけ)を刺し身で。にぎりは関アジ。日本酒3杯。美味しかった!

*今日は午後から立川流の落語会へ。楽しみ。

*「木と草と花と・・・」、更新。

| - | 07:54 | comments(0) | - |
小さきことはうるわしきかな・・・添配
14-0523

「添配(てんぱい)」というものをご存知だろうか。盆栽を飾る時に使う小さな置物のことだ。


主に席飾り(盆栽展などで見かける主木を中心とした飾り方)をする時に使われていることが多く、季節感を出しながら主木を引き立たせる役割をもっているものだと私は理解している。


種類はいろいろあるが、「添配」として作られたものだけなのかというとよくわからない。「添配」に使えそうな小さな置物であれば、何を使っても自由なのかもしれないと思う。盆栽の展覧会というものをあまり見たことがないので自信は全くないのだが・・・(^^;)


よく見かけるのは動物(鹿、鶴、雉、雀、蟹、蛙、亀、かたつむりなど)や藁葺き屋根の小さな家、舟(渡し舟や帆掛け船など小さな舟)、地蔵や菩薩などの仏、などだろうか。材質は銅などの金属、陶磁、木製など。


私が趣味で作っている鉢は盆栽らしい盆栽でもなく、どこぞの同好会に属しているわけでもなく、従って席飾りなどする予定もない。が、時折みかける小さな置物に心惹かれることはあった。買おうとは思わなかったが、なかなかよくできている小さなものというのは魅力的である。


先日何気なくオークションの盆栽カテゴリーを見ていたら、ちょっといい「添配」があった。写真のアヒルである。アヒルの「添配」はあまりみかけたことがないので、もしかしたら「添配」として作られたものではないかもしれない。値段も手ごろだったので(確か1000円)落札してみた。


幅3センチくらいの小さなもので、金属製のため見た目より重い。塗装をしてあるが、古いものなのかそれが部分的にはがれていてそれが味わいになっている。体は白で足はオレンジ色だ。首を後ろに向けている様子がかわいらしい。


昨日の夕方、刑事ドラマの再放送をつらつらと見ていたのだが、事件にかかわっていると思われる少年が「必要のないものが家の中にあると、ほっとするんだよね」と言っていた。少年の家は生活保護を受けており、「必要最小限」のものを持つことしか許されていない、というわけだ。生活保護の基準がいかに厳しいかを思わせたが、それ以上に「なくても困らないもの」をあえて持つことの意味を考えさせられた。


私の周りには、そんなものが溢れている。多すぎる、と思うこともある。置き場所にも保管場所にも限度があるのだから、今後はできるだけ入手しないようにすべきで、むしろ減らしていかなくてはいけないのだとも思う。が、あまりに徹底すると味気ないことになる。こんな小さなアヒルでも、毎日の暮らしにささやかな彩りをもたらしてくれると思うのだ。言い訳・・・かなぁ。

| - | 17:10 | comments(0) | - |
22日は「猫に語らせる日」・・・5月担当:みかん
14-0522

みなさん、こんにちは。みかんです。すみごん家3兄妹の真ん中で、今年4月に12歳になりました。


わが家での私のイメージは「賢くてまじめ」です。でも、ここ数年は望ましくない「デブ」というのが加わり、私は内心憤慨しています。デブといっても5キロあるかないかですよっ!


すみごんが先月書いておいてくれたので私も納得していますが、このブログでは「しっかり者で少々厳しい」キャラとして記事を書きます。普段は・・・そんなに厳しくないし、茶白猫の特徴である「おっとり」した性格だと自分では思っています。が、すみごんが「ブログではそれぞれ分かりやすいキャラづくりをした方がおもしろい」と言うので、素直な私はそれに従うことにします。


先月はゴンが、キバが片方だけだの年をとっただのと愚痴をいいつつ、足が長いとか自慢していましたね。兄貴分だし先輩でもあるので呼び捨ては失礼かと思いますが、人間だって大人になれば年の差ってあまり感じませんよね。一回り近く年齢が違う夫婦もタメ口をききますよね。あれと同じで、私も呼び捨てにしています。また、あいつはそんなこと一向に気にしないし。


そもそも、私いつも思うんですが、ゴンって得な性格だと思います。私たち(私とまめこ)にはけっこうクールなくせに、すみごんには上手に甘えます。また、どこか“天然”なところがあって、何をしても許されてしまうというところもあります。男子に時折みかけますが、ちょっとアホっぽいことをすることがあり、それもまた人間には好まれるところです。その点、まじめな私や憶病者のまめこは少し損をしているのではないかと思うわけです。


でも、なんだかんだ言っても私は掌に乗るほど小さい時にこの家に来て、ゴンに面倒みてもらったり(主に毛繕い)、遊んでもらったりしましたから恩義は感じているし、やっぱり好きなんだなぁと思います。昔は親のような存在でしたから。すみごんが「恩というのは与えたり売ったりするものではなく、受けたと感じ、忘れずにいるもの」と言っていましたが、私もその通りだと思っています。


茶白猫だと先ほど書きましたが、ゴンも茶白です。ただ私が茶:白の割合が6:4くらいなのに対して、ゴンは8:2くらいです。また、ゴンの毛質は平均的な猫の毛質だと思いますが、私のは少し太くてまっすぐでさらさらです。だから、びっくりした時のシッポの形が「見事」だとすみごんは言います。クリスマスツリーみたいなんですって!


まじめな性格だからか、私は便秘症です。これでもけっこうデリケートなんですよ!で、以前トイレで用を足せなくなり(つまり・・・その・・・催した時に催した場所でやってしまうという・・・)キッチンマットの上とかテーブルの下とか爪トギの上とかに時々作品を残してしまいました。で、医者に連れていかれておシリをほじられました。情けなかったです。そして、獣医でしか買えないらしい処方食というものになりました。


私は食べ物についてはあれこれうるさいことを言わない性質なので、なんでもおいしくいただきます。が、いつもいつも同じカリカリだといささか飽きてきます。そして、むら食いのゴンやまめこが残したものをきれいにしてあげています。


今日の写真は、すみごんの膝に乗るといつもやられる「宇宙人顔」です。なんでも耳を後ろに引っ張りながら隠すと昔流行した「E.T.」とかいう映画に出てくる宇宙人みたいになるそうです。私は頭をなでられるのがとても好きなので、すみごんの好きなようにさせていますが、猫として「これってどうよ」と思うこともあります。ただ、普通に撮るとどうしても「恐い顔」になるとすみごんが言うので、今回はこの写真で許してあげることにしました。


来月は、自分の番はまだかとうるさいまめこです。まめこは今年8月で10歳になり、もう立派な大人というか、オバサンです。それなのに「あのね、まめこね、」と幼稚な文章を書きます。それも一応キャラということで大目にみてあげてくださいね。それでは来月をお楽しみに!

| - | 15:11 | comments(4) | - |
谷中を変えるな!
14-0521

519日朝日新聞夕刊第一面の「薄れゆく谷中の原風景」という文字が目に飛び込んできた。古い建物が開発で存続の危機を迎えているという記事で、掲載されている写真に写っている大木には見覚えがあった。昨年知人の個展を見た後、ひとりであちこち歩いた時に出会った木だ。


記事によれば、その木は樹齢90年のヒマラヤ杉。その一角に開発話が持ち上がっているという。2012年に大阪の不動産業者が付近一帯を購入したが、立ち退きを拒否する住民との話しあいが長引いているらしい。


町会連合会や有志の「守る会」が昨年6月から7000人以上の署名を集め保存を訴えることにしているらしいが、さて、どうなることだろう。


写真を撮り始めて以来、とくに街でのスナップが好きな私は谷中にも何度か足を運んだ。そして、その変化を行くたびに感じて残念に思ってきたが、これは谷中に限ったことではない。たとえ土地の所有者がそのままにしたいと思っていても固定資産税や相続税が大きな負担になりやむなく手放すことになったところが多いと思われる。そしてその後にできるのは、どこにでもあるマンションや商業施設である。


「文化財」の指定を受けていないとしても、日本人として残しておきたい風景や建築物はたくさんある。それらが「維持できない」という理由でどんどん手放され無味乾燥した風景に変わっていくのを見るのはつらいことだ。そのつらさを感じる時、この国は「文化」のとらえかたが貧しいなと思う。


新聞では政府が今年度から建築基準法の規制緩和に動き出したと伝えている。古い建物は現在の建築基準法に適合していない「既存不適格」物件なので、大規模な改修などを行う場合は現行基準に合わせることが求められているのが現状。それを実行しようとすると、たとえば木製の壁や格子の材質を変えたり、踏み幅の狭い階段を撤去したりする必要があるそうだが、そうするとその建物自体の持ち味が失われてしまうこともある。そこで、国宝や重要文化財以外でも地域の専門家の判断で改修できるよう規制を緩和しようというものらしい。


いいことには違いないだろうが、個人的には根本的な対策にはなっていないような気がする。古い建物や町並みをできるだけそのまま保存する手段を積極的に探ってほしいと思い、これだけ技術が進歩しているのだから可能なはずだと思っている。それには地元自治体だけでなく、国としての動きが必要だろう。


都心のスノッブな街がどんどん変わっていくのを見ても、もはや何も感じなくなった。が、いわゆる下町と呼ばれる地域の、人々の生活がにじみ出ているような町並みが変わっていくのはとても淋しい。なんとかならないものか。


写真はたぶん新聞に掲載されたと思われる木が写っているもの。昨年6月の撮影だ。付近には寺が多く、軒が低い家が連なっていていい感じだ。私が通りかかった時、古い家の前で外国の男性が近所の人と楽しそうにおしゃべりしていたが、記事の中で紹介されているアメリカ出身の日本画家の方かもしれない。古い建物はどこかアトリエめいていたので彼のものなのかもしれない。


日本で活動している外国のアーティストの中には、現代の日本人より日本人らしい感性を持っている人が多いと前々から感じていた。彼らの目に、変わりゆく原風景はどのように写るのだろう。

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