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日々の内側
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聴覚過敏気味・・・
14-0430

数年前、眩暈が心配になったので耳鼻科で診てもらったことがある。その時聴力検査もしたのだが、私は耳がとてもいいらしく「20代の聴力」と言われていい気分。小さな声でブツクサ言っても聞こえるんだから!などと威張っていた。


実際、メゾネット上階のリビングでテレビをつけていても、下階の玄関でガサッと音がするとそれが聞こえるし、同じく下階の猫トイレで猫がトイレの砂をゴソゴソさせていても聞こえる。目は悪く鼻の利きも人並みなのだから、耳がいいというのは嬉しいことだ・・・と思っていた。


が、考えてみると、あまり聞えすぎても時には困ることもある。聞かない方がいいことまで聞えて不愉快になったり音に苛立つことも多かったり。やはり普通のレベルが一番いいのだろう。


このところ、少し聴覚過敏気味で気分がモヤモヤすることが多くなっている。以前から食器と食器が当たるガシャッという音を聞くと耳に響いて動悸がすることもあったが、最近はそれに加えて子供たちのはしゃぐ声がダメなのだ。


私がいつもいる部屋は北斜面の高いところにあり、斜面の一番下には公園がある。公園にいる人は考えもしないのだろうが、地形のためか音がよく響くのだ。幼稚園くらいの子供たちよりも、もっと活発な小学生くらいの子供がグループになって遊びにきていて、にぎやかなことこの上ない。


子供は外遊びが一番!だと日ごろから思っているし、静かに蘇と遊びしている方が不自然だ。そんなことはわかっているのだが、頭でわかっていても耳が反応してしまう。冬の間はまだ遊ぶ子供たちも少なかったのだが、暖かくなってきたと同時にいきなり増え、春休みなど大変だった。日が長くなるに従って、夕方6時くらいまでは騒いでいるので窓を閉めて静かな音楽を流したりして対応している。


あと、どうしても気になってしまうのが、同じマンションのどこからか聞えてくるピアノの音。曲を演奏しているというより、教本に従って練習しているといった感じなのだが、それが1時間以上続く。昼間だしそれくらい文句を言う筋合いではないと思うのだが、どうにも気になって不愉快になる。その音はリビングにいると聞えるのだが、テレビやラジオをつけていてもその音だけが耳に響いて困ってしまう。


知人に脳脊髄減少症の闘病生活を長年している人がいるが、私などとは比べようもないくらい音に悩まされているようだ。学校に隣接するところに住んでいるらしく、運動会前後はたまらないとブログに書いていた。子供たちの声だけでなく、指導する教師の声、笛の音、徒競走の時に使うピストルの音などに悩まされ、運動会が終わるまで相当辛いらしい。


騒音問題はマンションで起きるクレームの中でも一番やっかいなものだと聞いたことがある。音の出所を特定するのが難しいことに加えて、不愉快に思う音は人により様々だからだろう。が、壁一つ隔てて何人もの人間が暮らしているのだから、生活音についてはできるだけ寛大である方が望ましいと思っている・・・のだけれど。


今日は一日中雨で公園は静かだ。時折車の音が聞える他は、鳥の鳴き声しか聞えない。シジュウカラとウグイスがよく鳴いている。夕方になってからはカラスだ。雨の日くらいしかこの静かさを味わえないので、ラジオも音楽もつけずに過ごした。


音については気にし始めるとさらに気になるものなので、できるだけ気持ちを他のものにそらしてやり過ごすしかないと思っている。とほほ。


| - | 16:23 | comments(2) | - |
「そこのみにて光輝く」
14-0429

前々から見る予定にしていた映画「そこのみにて光り輝く」を観てきた。最近よく行く映画館ではなく、横浜MM地区にあるロードショー館。今は便利なもので、ネットでチケットを予約することができるので、それを使っていい席をキープ!(といっても、あまり混んでいなかったが)。


原作は、ここ数年注目している佐藤泰志。作家の生涯を追ったドキュメンタリー「書くことの重さ」も以前こちらで紹介したが、原作の映画化は「海炭市叙景」に続き二度目。「海炭市・・・」がどれだけ話題になったのか私は知らないのだが、今回の二作目はTVなどでかなりパブリシティを行っており、たぶん人気が高いらしい俳優が主演しているということもあり、認知度はそこそこあるのではないかと思われる。


原作とは若干登場人物の職業などが違ってはいるが、函館を舞台として「底辺」に近いところで生きている人たちの日常を描いた作品である。それぞれが行き場のない思いを胸に秘め、それぞれが孤独である。その孤独と孤独が出会い互いを求めた時、そこは「光り輝く」場所になる。彼らの存在そのものから、柔らかい光が静かに生まれてくる・・・そんな感じだ。


砕石場で働いていたが事故で部下を死なせてしまい仕事を辞めた達夫。事故のトラウマに悩まされ、無為な日々を送っている。ある日パチンコ屋でライターを貸したことから拓児という若者に出会う。おしゃべりでちゃらちゃらしている拓児は強引に自分の家に達夫を連れて行く。海岸縁のあばら屋で暮らす拓児の家族に出会った時から、達夫の中で何かが変わる。


寝たきりなのに性欲だけは異常な父。疲れ切った母。そして、家族を養うため人には言えない仕事をしている姉、千夏。


それぞれが行き詰まっている。行き詰まっているが、拓児と千夏は、行き詰まっているからこそ何かを求めている。そして達夫も・・・


監督は1977年生まれの呉美保。脚本は1971年生まれの高田亮。音楽は1974年生まれの田中拓人。主人公・達夫に1982年生まれの綾野剛。千夏に1981年生まれの池脇千鶴。拓児に1993年生まれの菅田将暉。若々しいスタッフによる映画だが、私のような中年が観ても十分見ごたえがある作品に仕上がっていると思う。原作ももう一度読んでみよう。


*原作は、こちら

*作者につての本は、こちら


| - | 13:19 | comments(0) | - |
ビールの季節
14-0428
・・・サッポロの回し者では決してないですぞ!・・・

朝夕はまだヒンヤリしているが、春もたけなわの昨今。日中は初夏を感じさせるようになってきた。ということは・・・そう、ビールの季節到来!である。


なにビールなら一年中飲むぜ!という方も多々あろうと思うが、私の中ではこれからがビールの季節なのである。最近寒い時にビールを飲む気持ちにならず、もっぱら焼酎のお湯割にしていた。が、1〜2週間前からお湯割を飲みたいと思わなくなってきた。つまり、ビールの季節になったのである。


ビール、ビールと繰り返しているが、さほど大量のビールを飲むわけではない。美味しく飲めるのは最初の1〜2杯で、あとは惰性で少し飲むだけだ。炭酸が少々苦手といういこともあり、ずっとビールを飲み通すということはめったにない。そこでやめるか、別の酒に行くかだ。


好きなビールは、やはりエビスだ。味にうるさい方ではないし微妙な味の違いをはっきり表現できるかというと自信は全くない。が、美味しいと感じるのはやはりエビスなのだ。他のビールを試してみると、美味しくないと感じたり味に違和感を感じたりする。ビールらしいビールだと思う。ここ15年ほどわが家はもっぱらエビスだが、真夏になると黒ラベルにする時がある。さっぱりしていて暑い季節にぴったりだと思う。


好みの問題だが、メーカー順位を付けるとしたら、まずサッポロ。次にキリン。まあ、いいかとサントリー。これしかないなら仕方ない、とアサヒ。これは当分変わりそうにない。


先日テレビでサッポロの数量限定商品「まるごと国産」というビールを紹介していて、ちょっと飲んでみようかと酒屋に行った。今どきの酒屋はけっこう商売が厳しいらしく、食料品一般を扱うカタログ販売に転換したらしく店の中にはほとんど商品がなかった。


諦めかけて帰ろうとすると店主が「お探し物は?」と尋ねてきた。商品名を言うと知らない様子。テレビで見たというとレジ台に乗せてあったノートパソコンで調べてくれた。なんと私が行ったのが発売日の前日。そりゃ、ないわけだ・・・が、酒屋が新発売のビールを知らないって・・・あり?提携先の問屋が情報を流していなかったのだろうか。それとも数量限定商品はあまり売る気がないのだろうか。


とにかく入荷したら届けるということになり、届いたその日にさっそく飲んでみた。まずまずだった。癖がなくすんなり飲めるが風味がいい。埼玉県産の大麦「彩の星」と富良野産ホップ「リトルスター」のみで作られているまぎれもない純国産ビールというところもいい。テレビではサッポロの社員みずからが素材づくりに携わっていると伝えていたが、そういうモノづくりの姿勢も評価したい。


値段はエビスと同じで、ビールとしてはやや高い。が、大量にガブガブ飲むわけでなし、自分で金を出して買うならやはり好きなものを選びたい。


話は変わるが、ビールを美味しく飲むには器も重要。缶のままワイルドに飲むのも雰囲気によってはいいのかもしれないが、普段はやはりグラスに移して飲む方が美味しい。備前焼のビールカップを冷蔵庫で冷やして飲む、なんていう人もいるかもしれないが、私のおすすめはワイングラス。縁が薄いと味も微妙に変わって、なかなか美味しく飲めるのだ。お試しあれ。

| - | 10:40 | comments(0) | - |
タリア、タリア、タリア
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早春の気配を感じるようになると、スイセンの花が見たくなる。秋に準備して球根を植えておけばいいものを、それをすっかり忘れているうちに年が明ける。そして、お手軽だということも手伝っていわゆる「芽出し球根」を買ってくる。少しだけ芽が出たビニールポット植えの苗だ。


今年は黄色い花が周囲をぱっと明るくしてくれるミニ・スイセン「テータ・テート」(ティタティタ、とも。tete a tete)をさっそく園芸店で買ってきた。teteは古いフランス語で「頭」という意味を持ち、頭を寄せ合って内緒話をしているような姿から名付けられたとのことだ。鮮やかな黄色で色としては苦手な分野に入るのだが、鮮やかな色が少ない早春の冷たい空気の中でみると気持ちが明るくなる。


ちょうど園芸番組で「芽出し球根」を特集していて、房咲きのかわいらしいスイセンが芽を惹き、こちらも園芸店で「芽出し球根」を求めた。「セイルボート」という小降りの園芸品種で花が香る。葉がとても細いところも気に入った。


スイセンをネットでいろいろ調べていて、「タリア」という品種に出会った。私が最も好む白い端正な花で、ぜひ実物を見たいと思ったが時機を逸していたため、手に入れるのは無理かと思われた。が、しつこく(!)調べていたら、5ポットセットではあったが販売しているところが見つかり、めでたく入手。


届いてさっそく植えたのだが、「テータ・テート」や「セイルボート」が早咲きだったのに比べて、成長はいたってゆっくり。もしや今年は咲かないのでは!?と不安になったが、暖かくなってきたら急に伸びはじめて花を咲かせてくれた。他のスイセンと一緒に大きな鉢に植えていたので、うっかり写真を撮るのを忘れているうちに花時が過ぎようとしている。球根を太らせるためには長々と花を咲かせているのはご法度だと思うので、きれいなうちにカットしてトイレの小窓近くに飾った。


数日バタバタしていたら、気づけばタリアは枯れていた。水は残っていたので、水切れで枯れたわけではなさそうだ。そして、その枯れた花を見て、私ははじめて驚いた。なんと美しいことか、と。


みずみずしい花が美しいのは当たり前。が、枯れてなお美しい花、枯れた時に別の美しさを見せる花は非常に少ないのではないだろうか。薄紙のような花びらは光を通し「副花冠」と呼ばれる筒状の花びらに、鉢で咲いていたころは気づかなかった臙脂色の筋が入っている・・・


白い花をこよなく愛する私は、その花に微かな衰えが兆すのを黙って見ていられないところがある。たいていは、それを感じた途端に切り花であれば廃棄し、鉢植えであれば切る。が、枯れたタリアの花は捨てるに惜しく、写真を撮っておくことにした。


ほこりだらけになったライトビューアーを引っ張り出してきて逆光で撮ってみると、水を吸い上げていたであろう脈がはっきり見える。小さくなり少し縮れた花びらの表情がリズミカルである。


植物を育てていると、思い掛けないことを知らされる。美の発見もまたしかり。私はまだ、枯れたタリアを捨てられずにいる。


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| - | 09:42 | comments(0) | - |
旅は道連れ
14-0426

昨日も春らしいいい天気で、気持ちのいい朝を迎えた。数日間待っている仕事の資料も来る気配がないので、思わず「どこか行こうよー!」と言ってみた。ここしばらく、新しく手に入れた車(車そのものは、けっこう古いコレ。1967年のものらしい)の調整に忙しかった家人だが、ようやく小休止を得たようでOKが出た。「どこ行く?」「うーん、奥多摩!」ということで、奥多摩に行ってきた。ラッキー!


奥多摩周辺は、これまで何度か行ったことがある。若いころは会社の人たちとバーベキューに、付き合っていた男とドライブに、親類と子供連れで、夫婦で・・・場所はそれぞれ違うが同じエリアで行くたびになつかしい思いがよぎる。


若いころは全く考えていなかったのだが、以前行ったことがあるところを再訪すると、一緒にいる人間がいなくなった時のことを考えることがある。一緒に旅行(というほどのものではないとしても)するということは、時間を共有するということであり、共有した相手がいなくなったという事実を確かめざるをえないということが、今後ますます多くなっていくのだろう・・・などと思うわけだ。


ここ数年、一人旅もいいもんだな、と思うようになった。すべて自分が決めなければならないのだが、その緊張感も気持ちよく、またいつ何をしても自由だという開放感もある。機会があれば今後も一人旅をしてみたいとは思っているが、誰かと一緒というのもまたいいものだ。というより、身近な誰かと一緒に旅行することの方が断然多かったので、今までどおりの旅行もできる限りしていきたいと思う。が、道連れがいる旅行がいやになったというわけではない。


友人との泊まりがけの旅行はしたことがない。機会がなかったわけではないと思うが、やはり気遣いが鬱陶しかったのかもしれない。妹とは伊豆、奈良と二度旅行し今でも一緒に行きたいのだが、事情があってしばらくは無理そうだ。


やはり一番多いのは、その時のパートナーである男性との旅行で、南は広島、北は北海道まで様々なところに行った。パートナーといえども気は使うのだが、同じ気を使うのでもその方が楽だったのかもしれない。


相手がいなくなった時のことを想像する、というのも、元夫であった人が数年前に他界してからかもしれない。単に別れたというなら、今もどこかに生きている可能性の方が高いからあまり考えないのだが、人生のある時点で旅行という非日常の時間を共有した人間がもういないというのは、微かな痛みを伴う感慨を催させる。


それが元夫だからというよりも、もういない人だからだろうと思う。生きていくということは、周りの人たちを失っていくことでもあるという当たり前のことを感慨深く思うのは、やはり旅行という行為が成せることか。


妹は結婚して20年くらいになるが、今まで一度も夫婦で旅行したことがないという。それには事情があって本人も納得はしているのだが、そういったことを話す時は淋しそうである。自分で選んだ人生だから、と自身に言い聞かせているようだが、なんだか可哀想になって「でも、どこかへ行ったら行ったで、一緒に行った人がいなくなった時に思い出すと辛いかもよ」などと余計なことを言ってしまった。


「そうかもね」と妹は言ったが、彼女も私も、思い出せば辛いこともあるだろうが、それ以上に楽しくなつかしいのだということを知っている。それなのに上っ面の慰めにそんなことを言った自分が情けなかった。


それが日常茶飯事であれば鬱陶しいが、誰かと時間を共有するということは楽しいことである。共有するのは時間だけでなく、感動であったり悲しみであったりするが、生きている以上誰かとかかわっていくのが人生なのだから。


家人とはこれからもどんどんどこかに行きたい。そして彼がいなくなったら(縁起でもないが、年齢から言ってそれが妥当だし誰しも必ず死ぬ)微かな痛みとともにいろいろなことを思い出すのだ。妹ともいつか旅行に行きたい。数々の苦労話を笑いながらして、姉妹ならではの親密な時間を共有したい。あと10年くらいしたら息子と旅行に行きたい。そして、私がいなくなったら、微かな痛みとともに思い出してほしい。

| - | 08:53 | comments(0) | - |
盆栽は“残酷”か
14-0425

先々週のことだったか、最近知ったちょっと変わった園芸店で思いがけず好きな木に出会った。


その店は、冬から早春にかけてはクリスマスローズを、今ごろはクレマチスを取りそろえているが、その品揃えがマニアックである。クリスマスローズなら原種や原種の交配品種が多く、有名ナーサリーのものも多い。クレマチスは「壺型」の花を持つ原種に近い品種などレアなものをそろえており、遠方からもそれらを求めて来店する客も多いようだ。今まで見たこともない南アフリカの球根植物などもあって、行くたびに新鮮な出会いを経験している。


私が行った日は、クリスマスローズがひと息つき、さてこれから壺型クレマチスが大量入荷される時期だった。2つあるビニールハウスには主にクリスマスローズがぎっしり置かれているが、外の売り場には分野を問わず店主が心惹かれたものが並んでいる。売れ筋とか流行とか、そんなことを度外視したような品揃えが楽しい。


入口近くには大きな鉢に植えられた「フウリンツリバナ」がたわわに花を咲かせていた。ツリバナは私も持っているが、「フウリン」は持っていない。小さめの苗もあったが、見ると接ぎ木苗だったので簡単に諦めた。盆栽として育てるなら実生か挿し木苗でないと根元が気になって仕方ないのだ。


ふと、その隣に目を移すと見覚えのある花をまばらにつけた鉢植えがあった。「あ、フォサーギラだ」と思った。が、私が持っているフォサーギラとは枝ぶりが違う。もっと華奢で葉も小さい。私のは「Fothergilla majorという品種で、枝ぶりがしっかりしており花も大きい。「Fothergilla gardenii」という品種もあることは知っていたのでたぶんそれだと思った。


自分の財布でやりくりできるなら、欲しいと思った。Fothergilla gardenii」の苗はネットでも購入できるが、植物は自分の目で見て買うのが一番いいから。


店主に「あれ、フォサーギラですか?」ととりあえず聞いてみた。「いやぁ、フォサーギラを知っている人は珍しいね」と答え。「うちのとはちょっと枝ぶりが違うけれど、何という名前ですか?」「何だったかなぁ。ずいぶん前に手に入れたので・・・マイヨールかな?」「マイヨールは私も持っているんですが、あれとはちょっと違うんですよね。ガーデニー?」「あ、ガーデニーかもしれないね。」「あれ、おいくらですか?」

「えっ!あれ、欲しいという人もいなかったから値段は考えていなかったなぁ。えーと、鉢が0000円、木が0000円、土が・・・」とおおまかな値段を教えてくれた。


鉢か・・・鉢はグレーのしっかりしたテラコッタ製だったが、私は植えかえるつもりだったのでどうしようかと思った。買うことに決めた時、「鉢は植え替えるのでいらないんですけど」と言うと「肥料もやってあるし、植え替えるの?」と。「ええ、もっと浅い鉢に植え替えたいと思っているんです」と答えると、「えー!かわいそうだよ!」という答えが返ってきた。


なるほど、見ればあまり手入れはされていないとはいえ、かなりの年月育てているのはわかる。たぶん鉢の中も根詰まりの状態になっているはずだ。もっと大きな鉢に植え替えるならいいが、より小さい鉢に植えるのは植物にとって「かわいそう」なことだ・・・というのは、一般的な植物好きの考え方からするとわかる。


しかし、「盆栽」として育てたいと私は思っているので、その考え方には背を向けなければならないのだ。が、説明するのも面倒なので、鉢ごと買って帰ってきた。後から考えるとそれで正解だったと思う。なぜなら、鉢から抜くのにたいへんな労力が必要だったから。根がびっしりと詰まっていて抜くまでに30分はかかった。鉢を割ってしまおうかとさえ思ったが、なんとか抜くことができたが、それを忙しい店主にやってもらい、なおかつ鉢抜きの価格で買って帰るということはちょっと後ろめたい。


枯れた枝を切り、伸びすぎた枝を整理し、根鉢(鉢の形になった根のかたまり)を慎重に崩す。土が固まって崩せなくなってきたので、バケツに水を入れてその中にどっぷり漬け、しばらくしてまた根を崩す。悪戦苦闘し、最終的に根を3分の1くらいまで詰めてやや高さのある平鉢に植え替えた。私としてはちょっと冒険だったが、もともと性質が強いと思われたこと、古い根は残していても成長に関係ないと思われること、枝を整理したので根もある程度切り詰めても大丈夫だと思われたこと、などにより決断した次第だ。これが「吉」と出るか「凶」と出るか・・・けっこうな賭けである。


そんな賭けをした後、ふと思う。普通の感覚だったら、やはり私の行動は“残酷”だと思われても仕方ないかな、と。そして、盆栽は、そういった意味で“残酷”なものなのかな、と。


しばらく考えた後、一応の結論に達した。盆栽にもいろいろあるが、確かに“残酷”な盆栽もある。が、“残酷”でない盆栽も確かに存在する。私はそれを目指そう、と。


技術や奇を衒った姿を誇る盆栽は“残酷”かもしれない。見ていて不自然だし、作り手の意図があからさますぎて下品だと思うこともある。が、上手の手になる盆栽には“残酷”どころか、人と植物がここまでかかわれるのかと感じるものがある。


うまく表現できないが、「宇宙」という言葉さえ出てきそうなくらいである。毎日きめこまかく会話し、時には駆け引きし、機嫌を取り、諌め、ケンカし、仲直りし・・・そんな人間と植物の関係が数年どころか数十年続いている・・・その結果としての盆栽には目を見張るものがある。


私がそこまで出来るとは言えないが、近づこうと思うことは大切だと思っている。件のFothergilla gardenii」には、「ハロルド・エプスタイン」という名札が付いていた。調べてみると、わい性のFothergilla gardenii」のようである。


まずは出自を明らかにしてあげることはできた。植え替えた後は2〜3日日陰で養生し、今は午前中だけ日が当たる場所に置いて様子を見ている。10日くらい経過したが出始めた新葉は枯れる様子はない。注意深く観察し、葉が今より目に見えて展開しはじめたら薄めの液肥を与えようと思っている。来年花が咲かなくてもいい。とりあえず鉢に定着してくれれば気長に「盆栽」として育ててみたい。


鉢から抜くのは困難なほど放置されていたこと、枯れた枝もそのままになっていたこと、それらも考えようによっては“残酷”なことである。人が植物を「自分のもの」とすること自体が“残酷”なことだとしたら、自分の“残酷”さをできるだけ償いたいと思う。大切に育てること。それしかないと思っている。


*結局少し負けてもらったんだけどね(^^;)

*考え方は違っても植物が好きな人と話すのは楽しいものですね!


| - | 20:09 | comments(0) | - |
「二郎は鮨の夢を見る」
14-0424

アメリカの大統領が来日し、銀座の有名鮨店に行ったそうな。「今まで食べた中で一番おいしい鮨」と言ったそうな。


マスコミでは具体的な店名を出していないようだが、あの店は知る人ぞ知る「すきやばし次郎」だ。と、知ったかぶりをしてみたが、実は割と最近までこの店の名前を知らなかった。銀座の鮨屋など一生縁がないと思い込んでいるので興味の対象外だったのだ。


知ったきっかけは、映画「二郎は鮨の夢を見る」。なにかの映画のDVDを借りた時に予告編があり、だいぶ後になってから借りた。


検索すればすぐわかると思うが、数寄屋橋交差点に面するビルの地下にある“ミシュランガイド東京で5年連続三つ星をとった店”として有名である。酒や肴は一切扱わず、江戸前の握りのみ。緊張感が漂う清潔な店の主人は、映画制作当時87歳の小野二郎さん。


映画は山本益博氏へのインタビューなどを交えながら、小野二郎さんの極度にストイックな仕事ぶりと鮨に対する思いを伝えている。


監督はなんとアメリカ人のデヴィッド・ゲルブ監督。子供のころから何度か日本を訪れて鮨を食べ、大学時代に鮨をテーマにした映画を作りたいと思ったという。卒業後、世界最高の鮨職人の映画を作ろうと考え、山本氏に出会い東京の鮨屋を食べ回った。そして行き着いたのが、「すきやばし次郎」。が、簡単に撮影許可はもらえず、心を許してもらえるまで何度も足を運び、ようやく撮影にこぎつけたという。


アメリカ人の監督作品であるから、まずアメリカで公開されたに違いない。ということは、大統領もこの映画を見た可能性はある。見ていなくても映画の存在は知っていた、と考えていいように思う。これも、やっとこぎつけた来日に際してこの店が選ばれた理由のひとつであろう。


それにしても考えさせられてしまう。鮨は日本を代表する料理である。鮨が嫌いだという人はなかなかいないと思うし、外国の人に対して自慢できるものでもある。が、なぜ今まで日本人がこういったテーマの映画を作ろうとしなかったのか・・・


日本人は自国の文化をおろそかにしていると近年とみに感じている。鮨のことだけでなく、様々な分野でそういった現象が起きているのは残念でならない。


と、ここまで書いたら俄然鮨が食べたくなってきた。いつもはまず刺し身を肴に酒を飲み、仕上げに2種類くらいの握りを頼むというスタイルなのだが、たまには握り一本もいいかな。今は何がおいしいのだろう。ああ、鮨が食べたい(^^;)

| - | 07:19 | comments(0) | - |
TANGO LIBRE
14-0423
・・・パンフレットより。どうです、かっこいいでしょう!・・・

今日は水曜日。水曜日はレディースデー。ということで、映画を見に行ってきた。行くのは相変わらずJack&Betty。近いということもあるが、ミニシアター系で上映される映画は上映期間が短く(1週間、なんていうのもザラ)、DVDになるかもわからないので絶対に見たいと思ったら何をさておいても行かないと後悔することになるので。


見たのは「TANGO LIBRE」。タンゴの映画というだけで見ることに決めたのだが、やはり見に行って正解。いい映画だった。じーん。


「リブレ」とはスペイン語で「自由」を意味する。自由なタンゴ・・・とは何かを考えるに、基本的な動きをマスターしつつ踊る時は「思いのままに」踊るタンゴということなのではないかと思う。パンフレットによれば、タンゴはアルゼンチンのブエノスアイレスから発生し、最初は男性のソロ。次に2人で踊るものになり、のちに男女が抱きあって踊るようになったということだ。


一般的にイメージされるタンゴは、スリットが深く切れ込んだドレスを着た女性と正装に近いスタイルの男性が踊るドラマチックなダンス、というものだと思うが、もともとは男性のダンスだったのだ。アルゼンチンで生まれたタンゴがヨーロッパに渡り確立されたのが、コンチネンタル・タンゴ。アルフレッド・ハウゼ楽団で有名な「碧空(あおぞら)」や「ジェラシー」などが代表だ。日本ではどちらかというとコンチネンタルの方がよく知られているのかもしれない。


この映画の主な舞台は刑務所である。刑務所の看守をしている主人公がタンゴ教室で出会った女性に心惹かれるが、ある日囚人の面会に彼女が来ていることを知る。気になってしかたないが、まじめで几帳面な主人公は、彼らをちらちらと見ることしかできない。彼女は2人の囚人に面会する。一人は夫。もう一人は夫の友だち。彼ら3人にはある秘密があるのだった・・・


三角関係に割り込むような形になってしまった主人公が最後にとった行動とは・・・そこが見どころであり痛快でもあるのだが、これはヒミツにしておこう。


タンゴを踊るシーンがたくさん見られるかと思っていたのだが、なかなか出てこない。途中で欲求不満になりかけたのだが、見終わってみれば満足。シーンとしてはあまり長くないが、囚人たちが運動場で一斉にタンゴのステップを練習するシーンがいい。


女房がタンゴの教室に行っていると聞き、「やめてしまえ!」と言いながら気になる夫はアルゼンチン出身の囚人を探す。やっとみつけたその男は、いかにも強そうでヤバそうな男。はじめはとりあってもらえなかったが、ついにタンゴのステップを教えてもらうことになる。周囲は冷ややかな目で彼らを見、冷やかしたりもしていたが、タンゴの魅力に惹かれていく。そして、タンゴを通してピリピリしていた雰囲気が和らいでいき、あたたかいものが流れてくる。


俳優はみなよかったが、存在感たっぷりで印象的だったのはタンゴを教える囚人の役をやったチチョ・フルンボリ。個性的なスタイルでタンゴを踊るダンサーとして活躍している人だという。彼が相手役の囚人と踊ってみせるシーンの足の動きのすばらしいこと!


大好きな映画「タンゴ・レッスン」にも男性だけで踊るシーンがある。私は社交ダンスの一種目のようなタンゴよりも、本能のままに踊る「タンゴ・リブレ」が好きだ。


*DVDになったら買うかも・・・(^^;)

*「木と草と花と・・・」、更新。

| - | 18:40 | comments(0) | - |
22日は「猫に語らせる日」・・・にしようかな?
14-0422

今となっては全く更新していないのだが、わが家の猫に語らせていた猫ブログがあった。「あった」と過去形にしてしまうが、消去したくても管理会社が外国に移ってしまい、方法がわからず放置しているだけ。みっともないのでそのうちなんとかしたいのだが・・・


そう思いつつ数年経過したわけだが、その間にもわが家の猫たちをあたたかく見守ってくださっていた読者から「あれ、よかったのに」と言っていただくこと数回。ありがたく思いながら何もしてこなかったが、ふと、このブログで月一回程度やってみてもいいかなと思った次第である。いつまで続くかわからないが、とりあえず(!)毎月22日は「猫に語らせる日」にしたいと思う。


猫に登場してもらう前に、3匹の書く文章の特徴を簡単に説明しておきたい。以前からご存知の方もいらっしゃると思うが念のため。


●ゴン(長男・14歳・茶白・三鷹市生まれで横浜市育ち・性格はおっとり人懐こい)

ゴンは漢字が使えないので、読みにくい文章になりがち。よって句読点を多く使うように指導。語尾に「にゃ」を付け、自分のことを「オイラ」と言う。「てにをは」の「は」を「わ」と書く。わが家の惣領ということを意識しており、時々偉そうな口をきく。何事においても根に持つことがなく忘れっぽい(^^;)


●みかん(長女・12歳・茶白・鶴見の獣医に保護後わが家へ・性格は慎み深くまじめ)

ほとんど人間と同じ文章が書ける。わが家で一番賢い(はず)が、でしゃばることがない。が、キャラづくりのためキツメの物言いをする。実際はそうではないことを最初に書いておかなくてはかわいそう。幼いころはやんちゃだったが、今ではやさしいお姉さんである。ただし、小デブ。


●まめこ(次女・9歳・キジ・近所で保護・性格はビビリだが主張する時は強い)

わが家の末っ子で野良時代のトラウマをかかえている。人間に対しては極端に用心深いが、ゴンは大好き。暗く狭いところが好きなので性格が暗いと思われがちだが、甘えん坊のところもあり。毛並みは艶やかで美しく、飼い主から「綱島小町」と呼ばれてまんざらでもない。自分のことを「まめこ」と呼ぶ。


では、やっぱり初回はこの方でしょ。ゴンさん、どうぞ!


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にゃはー!はじめましてのひとわ、はじめまして。おひさしぶりのひとわ、おひさしぶりですにゃ。ゴンですにゃ。


ごぶさたしているうちに、オイラすこしとしをとりましたにゃ。ことしの11がつで15さいになりますにゃ。さすがにけなみがボサボサになってきて、たべてもたべてもふとりませんにゃ!(しょくじせいげんしている「みかん」とわ、ここがちがいますにゃ)。


としをとるのわ、いやですにゃ。きょねん、オイラの「キバ」がぐらぐらになってしまい、ぬいてもらいましたにゃ。「かたキバのオトコ、ゴン」なんて、すみごんわいうけど、なんだかふけこんだきがして、オイラなさけないですにゃ。


あと、「めやに」がでてとまらなくて、いつもきたないかおになっていますにゃ。「としよりわ、きれいにしないときらわれるよ」と、すみごんわいうけど、じぶんでわどうしようもないですにゃ。「なみだやけシート」というので、ときどきふいてもらってますにゃ。


ねこの15さいわ、にんげんにかんさんすると76さいくらいらしいですにゃ。りっぱな「こうきこうれいしゃ」として、オイラわいきているのですにゃ。まあ、すみごんわ、ふだんからオイラをひいきしてくれているので、まあまあまんぞくしていますにゃ。すみごんがなんにちもいえにいないと、オイラわ「げんどう」がおかしくなるので、りょこうにもいかなくなりましたにゃ。すみごんとオイラわ「いっしんどうたい」なので、とうぜんですにゃ!


オイラのさいきんのきょうみわ、もっぱら「たべもの」ですにゃ。おいしいものをいっぱいたべたいですにゃ。オイラ、あまいものもけっこうすきで、とくに「あんこ」と「クリーム」がすきですにゃ。ただし、スーパーやコンビニでうっているやすものでわなくて、しにせの「わがし」や、ゆうめいてんの「ケーキ」がいいですにゃ。ほんとわ、チーズもすきなのに、「しょっぱいからダメ」といってくれないですにゃ。けち!もう、たべものにしかきょうみない「としより」なんだから、ちょっとわ、あまくしてくれてもいいとおもいますにゃ!


ところで、オイラ、じまんしたいところわいっぱいあるですが、きょうわ「あしのながさ」をちょっとじまんするにゃ。


オイラわ、ねことしてわ、あしがながいですにゃ。しょくごの「おていれ」をしているとき、うしろあしをびびーん!とのばしますにゃ。すると、すみごんが「ゴンくん、あしがながくてカッコいい!」とほめますにゃ。にゃはは。


オイラ、うえすとわきりっとしまっているし、「モデルたいけい」ですにゃ。ちなみに、たいじゅうわ、4キロですにゃ。ちなみに、みかんのたいじゅうわ、4.6キロですにゃ。デブですにゃ。


もっとかきたいけれど、すみごんが「ながくなりすぎると、よんでもらえなくなるよ」と、おどすので、このいらへんでゆるしてやるですにゃ。じかいわ、デブのみかんがとうじょうしますにゃ。おたのしみににゃ!にゃははーい!


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サムタイムな夜
14-0421

先週の水曜日(16日)、ブログ友だちのsoukichiさんに初めてお会いし、彼女の行きつけであるライヴスポット「SOMETIME」に連れていっていただいた。「SOMETIME」は吉祥寺駅からも近い路地裏の地下にあるジャズスポットで、こじんまりとした感じのいい空間だった。


その日はsoukichiさんご贔屓の竹内直さん(ts)のカルテットで、他の面々は片倉由子(p)、井上陽介(b)、江藤良人(d)。


私がいつも聴いているジャズは外国の、しかもすでに故人となった人のものばかりだったし、もともとさほど詳しくはない。が、そんなこと気にせずにリラックスして聴くのがジャズだと思っていることに加えて、ジャズに限らず臨場感あるライヴこそ「生きている音楽」だと思うので楽しみにしていた。


ギネスを飲みながら、ゆるゆると聴いた。ソロが終わると適度な拍手が聞こえる親密な空間はとても居心地がよく、時々目を閉じて聴いていた。竹内直さんのサックスは使い込まれたものがもつ存在感たっぷりで、その音もどこか渋い優しさのようなものがあるように感じた。


いつごろからだったか忘れてしまったが、ジャズを聴いているといつしか耳がリズムセクションに向くようになった。この日も気づけばベースの音に耳を澄ましていた。井上陽介さんは演奏が始まるとごく自然に音楽に身を任せているように見え、時折見せる笑顔がとてもチャーミング。ベースというと、どちらかというと目立たない存在であまり体を動かさないという印象を持っていたが、井上さんは曲のテンポや流れに「身を任せている」といった感じで体を動かす。それが新鮮であり、心惹かれた。


今もあるかどうか知らないが、一昔前にはジャズ喫茶というものがあり、一度だけ行ったことがある。ライヴスポットではなく、客のリクエストに応じてレコードをかけるのだが静かなことこの上ない。


注文を聞きにくる店の人もそろそろと音を立てずにやってきて、小声で注文をとる。客もできるだけ小さな声で「コーヒー」などと言う。目を閉じてのめるこむように聴いている客が多く、みなさんジャズには相当な思い入れがあると思われたが、

「ジャズって、こうやって聴くものなのかなぁ・・・」という疑問を持った。もっとリラックスして聴いた方がいいのではないだろうかと思ったのである。以来ジャズ喫茶には一度も行っていない。


ジャズにもいろいろあり、それにふさわしい聴き方にもいろいろあるのだろう。自分が快適だと思う聴き方をすればいいのだ。


私は、家では一人ぼーっとしながら、ライヴはやはり「サムタイム」のような居心地のいい空間で聴きたいと思う。連れていっていただいてよかった。次回を楽しみにしたい。


話は変わるが、「SOMETIME」は吉祥寺に異業態の店をいくつか展開する「麦グループ」のひとつ。開店が1975年というから、私が三鷹に住んでいたころはすでにあったということになる。店の前まで行った時、「あれ、もしかしたら昔からあったかも」と思ったが、やはりそうだった。「FUNKY」はたぶん有名な店で聞いたことがある。吉祥寺は若い人に人気のある街だが、大人が楽しめるスポットも多い。もう少し近ければいいのに・・・

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