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日々の内側
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がぶんじょうばづらいよ
14-0331

4〜5年前から花粉症なるものになって、毎年早めに診察を受けて薬を服用している。その年によって花粉飛来の時期や量は違うが、1月中には耳鼻科に行き2月、3月と薬(抗アレルギー剤など)を飲む。朝晩2回なのに忘れがちだが、1回忘れたくらいでは大丈夫のようだ。


今年も1月末には受診して薬をゲット。2月末に薬だけもらいに行き、それで済むと思っていた。が、ヤクが切れて3日ほどしたらくしゃみ、鼻水が出始め、今朝はかなりひどかった。目も痒くなってきた。今月は何かと個人的なイベントもあるので仕方なくまた耳鼻科に行ってきた。


それにしても花粉症はやっかいだ。私はまだ軽症の部類らしいのだが、それでも鬱陶しくてたまらない。薬を飲むと多かれ少なかれ眠気が出てくるが、のべつまくなしに鼻をかむことに比べたらずっと楽である。私よりひどい症状の人はさぞかし苦労しているのではと推察する。客商売の人なども気を使うシーズンだ。


少し前まで、若い人より中高年の方が花粉症になりにくいと思っていた。自分が花粉症になるまで、「今の若い人の食生活がいけないのでは?」などと思うこともあった。が、もはや誰でもかかる可能性がある季節症状だと思うに至っている。


原因についてはいろいろな説があるようだ。ということは、決定的な原因が解明されていないということだろう。私の若いころにはなかったのだから、ここ30年くらいの間の環境の変化などによるのかとも思うが・・・


アレルギー物質に対する抗体には限度があり、その限界を超えると花粉症になるという話を聞いたことがあるような気もするが、その抗体の強さは年齢と関係あるのだろうか。私や妹(50代後半)は花粉症になったが、母(80代)はいまだに症状がないし伯母なども大丈夫だ。ちなみに家人(60代半ばになろうとしている)も今のところ大丈夫。60才くらいを境として何か違いがあるのだろうか。


おもしろいのは息子が花粉症ではないことだ。彼は乳児の時にアレルギー性喘息と診断され、小学校を卒業するころまで毎日薬を服用し、吸入もしていた。中学生になったころからアレルギーの度合いが低くなり薬は必要なくなった。子供のころの治療が関係しているのだろうか。体質というのはなかなか変わらないと思うのだが、アレルギー体質の息子が花粉症になっていないとは!


もらってきた薬を昼に飲んだらやっと効いてきたようだ。死ぬまでこんなことをしなければいけないのだろうか。春の憂鬱はこんなところにもある。


| - | 15:02 | comments(0) | - |
増税直前
14-0330

明後日から消費税が8%に上がる。駆け込み需要を狙う企業が多い中、ここぞとばかりに買い走る人もいれば考慮の末に購買を見合わせる人もいる。各メディアでは増税についての様々な人の見解を紹介し、消費者に対するアンケートを行ったりもしている。増税前に買った方がいいモノ、あるいは慌てて買う必要がないモノは何か。増税前に買ったモノは何か。などなど。


わが家といえば、いつもと全く変わらない。とくに買いためたものもなければ、慌てて買ったものもない。もっと考えれば多少は買いためておいた方がいいものもあるかと思うが、厳密な家計管理を今までしてこなかったというアバウトさもあり、淡々としたものである。


昨日、少なくなってきたトイレットペーパーを買おうとドラッグストアに行ったら、いつもは数種類の商品がぎっしり詰め込まれている棚がガランとしていた。2種類の商品が数セットずつ並んでいただけ。好みのものを選ぶ余地もなく、不承不承ピンク色の妙な香りがついたものを買ってきた。


東日本大震災の時は米がなくて困った。みなが必要なものを必要な分だけ買っていればそうはならないと思うのだが、どれだけ蓄えたかに価値観を持つ人たちが多いということだろうか。たまに利用する酒屋がこっそり一袋売ってくれたので助かったが、なんだか異様な事態だなと思ったものだ。そうそう、あの時もトイレットペーパーが2〜3個になるまで買いに行かなかったら全くなくなっており、常連になっていた店に少し分けてもらったっけ。


早々と買いだめに走る人たちからすれば、「グズグズしているからいけないのよ」となるのだろうが、必要以上に買いだめをして必要なものが手に入らない人の困惑を他人事のように眺めているよりも、必要な時に必要な分だけ買うほうを今後も選ぶだろう。


景気に関しては全く楽観的な考えを持っていないので、これからは今まで以上に薄い財布のヒモをさらにきつく結ばねばと思っているところだ。世知辛さばかりが身にしみる。とほほ。

| - | 18:05 | comments(0) | - |
記憶の中に眠る花
14-0329

花盛りである。公園のソメイヨシノは5分咲きを超えているように見える。今日は「桜まつり」が開催され、花よりナントカの人々が集まり催し物に興じていた。木にとって周囲を踏み固められることは決していいことではないが仕方ない。明日の雨でひと息いれられるといいのだが。


外を歩いているといろいろな花が目に入り、花についてつらつらと考えることもまた多くなる。花・・・というか植物はみな好きだが、特別な花はいくつかあるものだ。


特別な花にもまたいろいろあって、「特別好きな花」以外にも「記憶の中にいつまでも残っている花」もある。それらは特に好きな花ではないこともあるが、それでも時節が来ればその花を思い、そのころを思う。


先日散歩をしていて沈丁花の花を見かけた。昔は庭木としてけっこう見かけたが最近はあまり見ない。強い香りは苦手な人もいるかもしれないが、私には思い出深い花である。


東京都内のひどく狭い家から現在の実家に引っ越してきて数ヶ月。小さいながら庭と呼べる場所があり、そこに沈丁花があった。当時(50年くらい前)、千葉や埼玉などから植木の苗を背負って売りに来る人がいて、母は沈丁花と椿を買った。いい年のおばあさんだったので、なんだか買わずにはいられなかったようである。沈丁花はごく普通のありきたりのものだったし、椿は桃色八重の「乙女椿」でこれもまたありふれたものだった。


あまり日当たりがよくなかったので椿の花付きはよくなかったが、沈丁花はよく咲いた。あまり手を入れなくてもこじんまりとまとまる株姿で毎年気づくと咲いていた。実家を建て直す時に掘り上げてまた植えたらしいのだが、移植に弱い樹種なので枯れてしまった。今でも沈丁花の花を見、香りをかぐとこじんまりとした平屋の家とじめじめした庭を思い出す。


ごく最近、地元の川原に行ってみたら菜の花が満開だった。河川敷を整備する時に種をまいたもので、まとまってよく咲いていた。小さな子供を連れた若い母親がシートを敷いて手製の弁当を広げていたり、のんびりした光景が広がっていた。


菜の花周辺を歩くと決していい香りとはいえない香り(におい、といった方が適切)がした。そのにおいをかいだ時、また昔を思い出した。


まだ実家の周辺に田んぼや畑がたくさんあったころ、菜の花の畑もあったのだ。畑の周辺は防犯のためなのか木瓜の木が生け垣のように植えられていて、ほとんどが朱色の少し暑苦しい花だったのだが、一部に白い木瓜もあった。


祖母が乳がんで入院していたころのこと。たぶん、もう先は短いと母は知っていたのだろう。見舞いに行く日の朝早く、はさみを持って一緒に畑に向かった。おばあちゃんに花を持っていきたい・・・花を買う金くらいあったはずなのに、なぜよそ様の畑の菜の花だったのか。母に聞いても今さら思い出さないだろうが不思議である。


子供ながら後ろめたさを感じつつ、こっそり菜の花畑に入って2、3本いただき、白い木瓜も一枝か二枝採ってきた。たぶんハサミも持っていたのだろう。好きだった祖母に会える、喜んでもらえるという気持ちと悪いことをしてしまったという気持ち。その複雑な気持ちをかかえながら病院に行った。


早朝なので誰かに見られる危険も少なかったのに、私は身体をかがめて菜の花畑に入っていった。その時、あのにおいがむっとするくらい漂っていた。菜の花のにおいは、どこか後ろめたさを感じさせるおいなのである(^^;)


写真は、父が種から育てて毎年満開のプランターをいくつも並べていたサクラソウ。濃いめのピンクの、洗練されているとは言い難い花で特に好きではないのだが、それでもこの花を見ると華やかな花が好きだった父を思い出し泣きたくなる。

| - | 16:32 | comments(0) | - |
盆栽鉢について
14-0328

草物盆栽をまた手がけるようになって半年近くが過ぎた。手がけるといっても、やりはじめたばかりなのでまだ「盆栽」の体を成していない。すべてがこれからだ。


以前山野草を育てていたころとは、やはり微妙に考え方や好みが変わっているのに気づいた。以前はとりあえず育てて飾れるものは飾るというスタンスだったが、今回ははじめから「盆栽」的な育てかたをすることを基本にしている。


どこかに似たようなことを書いたと思うが、いわゆる山草会などに属する人たちの山野草栽培は、その植物が好む環境を重視して育て、たくさんの花を見事に咲かせたり難しい植物や珍しい植物をきれいな状態で展示会に出したり・・・そんな感じだと私はとらえている。


根が多いもの、深いものには地上の姿がたとえ小さくても大きな鉢を使うことが多く、見た目にはアンバランスだが、それで植物が元気に育ち、よく増え、花を多くつければよしとする・・・ことが多いと思う。


それに対して「盆栽」的な育てかたは、植物の好む環境に細心の注意を払いつつも、鉢とのバランスを重視する。また、鉢はたんなる「器」ではなく、植物を支えながらひとつの世界をつくり出す重要なパートナーとして考える。ゆえに、高価な鉢は単なる「植木鉢」の域をはるかに超える価格であり、懐に余裕のある趣味人はそれらを吟味して盆栽ライフを楽しんでいる。


が、何でもそうであるように、高ければよいというわけでもない。数万円の作家鉢よりも、素人が無心に作ったものの方がいい場合もあると思う。それをどう見極めるかはその人の美意識によるので、あくまでも私の考え方だが。


以前から手元において時々眺めている「四季の盆栽」に加えて同じ九霞園の園主による(代替わりしているが)「盆栽 春夏秋冬」を見ていると、鉢選びの洗練に驚く。骨董に近いのではないかと思われる鉢もあれば、土鍋のフタを使っていたりするのだ。また、かなり高価な鉢にいわゆる「雑草」を植えて野趣を楽しんでいるのも好感が持てる。ありふれたものはとかく価値が下がりがちだが、よい器と合わせることにより趣がぐっと変わるのだ。


私は金もないので高価な鉢はいずれにしろ買えない。が、吟味する目だけは養おうと思っている。既成概念にとらわれず、様々な鉢を使ってみたい。基本的にあまり主張しない鉢が好きで釉薬がかからない焼き〆の鉢を一番多く持っている。が、釉薬がかからない分、土の味わいが感じられるものを、と思っている。


写真は最近オークションでかなりの安値で手に入れたもの。モノクロ写真なのでわからないが、盆栽鉢にしてはかなりカラフルなのだ。鉢作家の父を持つ娘さんの作品らしいが、父親譲りの発色の良さを活かしながら若い女性ならではの自由さが感じられる。けっこう大きな鉢で、小さめのどんぶりくらいの大きさ。さて、何をこれに合わせようかと楽しく悩んでいるところだ。何か植えたら、「木と草と花と・・・」でご紹介したい。


*「木と草と花と・・・」、更新

| - | 15:12 | comments(0) | - |
「ルートヴィヒ」
14-0327

昨日水曜日はレディースデー、ということで映画を見に行ってきた。ちょっと久しぶりだ。このところ見たいと思っていた映画を立て続けに見逃したので、昨日は2本!


1本は「ルートヴィヒ」(ピーター・ゼア監督。2012年ドイツ)。「ルートヴィヒ」といえばヴィスコンティ監督のドイツ三部作のひとつ「ルートヴィヒ〜神々の黄昏」を私は偏愛しており、同じ人物にスポットライトを当てた映画とあればぜひ見なくてはと思っていた。


結果からいうと、「格」が違うという感想を持った。もちろんヴィスコンティ版の方が格上である。今回の映画も悪い出来ではないとは思う。ただ、俳優陣やロケーションを見ると、ヴィスコンティ版を何度も見た目には物足りない感じがする。


ヴィスコンティの場合はすでに著名な監督であったし、何といっても彼が貴族であったことが作品に高貴な雰囲気を与えている。こればかりは他のどの監督が撮っても物足りなく感じるかもしれないので、今回の作品とまともに比べる方が酷なのかもしれないと思う。というか、私はたぶんヴィスコンティ版の素晴らしさを再確認したくて、今回の

作品を見たのかもしれない。


当時ヨーロッパで最も美しい王と言われたルートヴィヒ二世は、やはりヘルムート・バーガーでなければならない。あの冷たい美貌の奥に揺らめく狂気は、ヴィスコンティの秘蔵っ子であり恋人でもあった俳優が、監督のために一心に演じたからこそ可能だったように思われる。今回の映画ではルートヴィヒの若いころと晩年を別の俳優が演じているが、ヴィスコンティ版ではヘルムート・バーガーが一貫して演じ、晩年の病的に太った国王を見事に表現している。


従姉のエリザベート(こちらもかなり有名な人ですね)も、やはりロミー・シュナイダーでなければならないと思うし、トレヴァー・ハワードのワーグナーもよかった。ルートヴィヒ二世が作った城でのロケは両作品ともに行っているが、ヴィスコンティ版の方が細部までこだわりを感じさせ充実している。撮影の途中で倒れ、必死に復帰して仕上げたとのこと。監督としてもかなり思い入れがあったのではないかと推測している。


今回の映画は上映時間143分で最近の映画としては長い方だと思う。が、ヴィスコンティ版は当初4時間に及ぶものだったらしい。配給会社からの要請で監督自ら3時間くらいに短く編集、その後別の人によって140分に短縮され上映されたといういきさつがある。ほぼ半分になってしまったわけだが、2006年、完全復元版として再度公開されている。


私がはじめて見たのは、おそらく短縮されたものだ。三越に作られた小さな映画ホールで二度見た。その後レンタルのビデオを借りたり、自分でビデオを借りたりして、今は完全復元版のDVDが手元にある。近いうちにもう一度見てみようかと思う。


「退廃の美学」・・・とでもいうものがヴィスコンティの作品のベースにはある。新しい作品にはそれがない。そのあたりが私の評価の大きなポイントとなっているのだろう。


*2本目は、「ファッションを創る男〜カール・ラガーフェルド」

*ロボットのようなオッサンでした(^^;)

*さすがに2本目が終わるころにはオシリが痛くなった・・・

| - | 15:09 | comments(0) | - |
タネのデザイン
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桜の開花宣言が出て、世の中は春一色になりつつある。昨日久しぶりに近所を散歩したのだが、桜に先駆けて様々な木の花が咲き誇っていた。梅はもう終わりに近いが、土佐水木、日向水木は満開。桃も昔からある素朴な品種は満開。花桃や花海棠はつぼみを膨らませ今にも咲きそう。木瓜も雪柳も庭梅も満開。家々のプランターではパンジー、ビオラを初めとする草花が満開。満開すぎて見ているとちょっと疲れるくらいだ。


久しぶりに持った一眼レフが重く、薄着してきたつもりなのに歩いていると汗ばむくらい。一時間ほど歩き続けると、もう花は十分!という気持ちになってきた。世の中の人たちが「花見」の算段をしているのに、私は花に飽き始めていた。


そんな時に通りかかった空き地に、華やかな春とは全く関係のないかのような枯れた色が広がっていた。前に何が建っていたかも覚えていないのだが、少し前から空き地になっていた。雨ざらしになった土が乾いて、さすがの雑草も枯れていた。そこに、見たことがあるような草の枯れ姿があり、花に飽きた私の目を惹きつけた。


草といっても1メートル以上に伸びている。園芸品種なのか、それとも雑草と呼ばれているものの類いか分からない。葉が残っていればまだヒントになったのかもしれないが、枯れた太い茎にタネがたくさんついているだけである。見たことがあるような気がするのだが、それが何だったのか思い出せない。


そんな大きな枯れ草が2種類あり、その枝などを持ち帰ってきた。通り過ぎる人たちがちらりと不審げな目を向けるのがわかった。ほとんどの人にとってどうでもいい単なる枯れた雑草の周りをぐるぐる回りながら写真を撮り、揚げ句の果てにその枝を折っている中年女・・・いかにも不審である(^^;)


さて、持ち帰ってあらためて見てみると、植物のタネ(タネそのものももちろん、子房というのだろうか種の入れ物にあたるものも)はなんと絶妙なデザインなのだろうと感嘆した。


そのデザインにはみな「意味」があり、植物にとって「デザイン」など関係ない。風に飛ばされやすい「デザイン」。動物に運ばれやすい「デザイン」。鳥の気を引きやすい「デザイン」。私は人間なので「デザイン」として見てしまうのだが・・・


写真の植物は小さな丸い種を入れる袋が放射状に集合している。これが子房だろうか。けば立っていて服などが触れるとくっつきそうだ。逆さにすると種がさらさらと落ちる。うーん、よくできている。


これ以外にも凶暴そうな「デザイン」のものも持ち帰ってきたがそれも名前がわからない。人の名前はすぐに忘れてしまうくせに、植物の名前がわからないとどうにも気持ち悪い。どなたかご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えていただきたい。


種の「デザイン」も見事だが、枯れた姿がまたよかった。あたたかな春の陽射しの中、そんなものは関係ないとばかりにたたずむ孤高な姿。その姿を見ていると疲れが少し薄らいだような気がした。


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| - | 08:35 | comments(0) | - |
「ガロ」を偲ぶ
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安西水丸さんが亡くなった。お名前のとおり、「水のように」淡泊で洗練された画風だった。さほど熱心な読者ではなかったが、好きな作家であった。ご冥福を祈りたい。


訃報の中に「ガロ」の文字を見てなつかしくなった。50才以上の方しか記憶にないかもしれないが、団塊の世代が若かりし頃、多彩な才能が集ったいわば伝説の漫画雑誌だ。創刊は1964年。貸本漫画の出版をしていた長井勝一氏よる。白土三平の「カムイ外伝」連載の場とすることを目的とされたとのことだが、貸本漫画作家への作品発表の場の提供、新人発掘といった役割も担った。


私は団塊の世代より10年弱遅れて生まれたので、最も輝きを放っていたころの「ガロ」は知らない。だいぶ後になって、もはや「幻の漫画雑誌」になりつつあった時期と思われるころ、この雑誌を手に取り好きになった。


作家それぞれが個性的であり、最低限の制約の元で自由に作品を描いているといった印象だったと記憶している。「ガロ」で知り、単行本を何冊か買った作家も数人いる。「ガロ」の執筆陣リストを見ると、何度かの引っ越しを経てもなお手元に単行本が残っている作家の名をいくつか見つけることができた。


白土三平(「カムイ伝、カムイ外伝は妹が全巻持っている)、杉浦日向子、つげ義春、鈴木翁二、安西水丸、しりあがり寿、花輪和一、丸尾末広、森雅之・・・


「カムイ外伝」の連載が終わると「ガロ」は売り上げ部数を次第に落とし、1970年代になるといつつぶれてもおかしくない状況だったという。が、雑誌としての魅力や長井に対する思いから、援助があったり原稿料がいつ入るかわからなくても作品を発表する作家が存在した。マイナーなサブカルチャー・メディアとして一部の人たちには評価されていたと思われるが、内情は文字通り「糊口をしのぐ」状態だったのだろう。


1980年代後半、発行元の青林堂がPCソフト開発会社の「ツァイト」に売却される。メディアミックスなどを積極的に行い原稿料も支払えるようになったとのことだが、以前の「ガロ」とはどこか雰囲気が違うものになっていたのではないかと思われる。時代はインターネット社会に急速に向かっていた。


インターネットを積極的に利用しようとする人たちと、「ガロ」はネットにはそぐわないとする人たちの内部軋轢、長井の死去、「ツァイト」の倒産、などにより「ガロ」は2002年12月発売号を持って事実上の廃刊を迎えた。


個人的な考えでは、「ガロ」は現在のコミック雑誌市場では生きていけない・・・というより、そこには似つかわしくないと思う。廃刊ももしかしたら遅すぎたくらいだ。が、その大きな功績は忘れてはならないと思っている。


何冊か持っていた「ガロ」も、いつのまにかなくなってしまった。引っ越しの時に処分したと思われる。惜しいことをした。これだから本を処分するのは嫌なのだ。でも・・・ぶつぶつ(^^;)


| - | 10:27 | comments(0) | - |
「紙の本」
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ネットのニュースサイトで書評や本の紹介を読んでいると、その最後に「紙の本で読む」という言葉が出てきて違和感を感じている。要は今まで通り書店で販売されている「本」で読むか、「電子書籍」で読むかを選べるようになっているということだ。


が、「電子書籍」は「書籍」とは名ばかりの単なる「文字データ」でしかないと私は思っており、「本といえば紙に決まっているじゃないか」と思ってしまうわけである。


「電子書籍」が便利なことはわかる。出かける時も本をバッグに入れわすれることはないし、スマホやタブレットがあればいつでも読める。「モノ」としての「本」に興味がなく、書かれている内容のみが重要であると考える人にとっては価格も「本」より安いしとても便利なものであろう。


が、私自身は液晶画面の文字を追いつづけることはちょっと辛いし、何よりも「モノ」としての「本」が好きなので場所ふさぎだと愚痴を言いつつもずっと「紙の本」を読み続けるだろう。


今はなかなか見当たらなくなったが、昔の本は内容だけでなく紙質、書体、表紙の素材やデザイン、しおり、などにこだわりを感じさせるものがけっこうあった。作家自身が装丁家を選ぶこともあっただろうし、自分の好みを「モノ」としての本づくりに反映させようとしていたのではないかと思う。それを感じながら読む楽しみは今でも持ち続けている。


単行本の時はいい感じだったのに文庫になったら品のないデザインになってしまった、という経験も何度かしているが、文庫はまあ仕方ないとあきらめている。内容をほとんど知らずに装丁が気に入ったという理由で買った本もいくつかあるが、レコードのジャケ買い同様あまり失敗はない。そんな思わぬ出会いも古本屋に行くと今でもできそうだ。


大きな地震がきたらひとたまりもないなぁ・・・と心配しつつ、私の本棚は「紙の本」で溢れ、これからも少しずつその数を増やしていく。


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| - | 11:14 | comments(0) | - |
引き際・やめ際
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今更なんだという感じだが、mixiを退会した。入会したのは何年前だったのだろう・・・ほとんど利用していないにもかかわらず今までズルズルとそのままになっていたが、思うところあってこの際きっぱり退会することにした。


思うところといってもたいしたことではない。半世紀以上生き、身の回りをそろそろ整理しはじめなければと思う年齢になったこともあるし、何事も行動に移すのに時間がかかるようになったことへの反省もある。


今まで続けていたのは、数少ないマイミクと呼ばれる人たちの近況を知ることができたからであるが、それらの人たちも自分のブログを持ったりfacebookをはじめたり、と活動の場を広げている。そちらの方で淡いお付合いをしていければいいと思うし、なによりmixiとはどこか相性の悪さを感じていた。それをズボラゆえそのままにしていただけだ。


たぶん使い方の問題なのでこれは個人的な感想にすぎないと思うのだが、mixiにはどこかウエットな部分があるように感じている。閉ざされた場での和気靄々はひとつ間違えると感情に走りがちな土壌の上にある。そんな環境の中で会話することに微かな違和感を感じていた。あそこで楽しくできるならそれはそれでいいのだが、楽しくないのに何故私は続けていたのだろう。


その理由はうすうすわかっているのだが、書くほどのことでもないので書かない。それより、退会の手続きをしたらけっこうすっきりした。遅きに逸した行動で引き際・やめ際としてはみっともないが、そんなことを気にする人もいないであろう。


振り返ると、私は自分の中の何かを「切り放つ」ことにかけては早い方だったと思う。比較的判断が早いのだ。それが「軽率」であったと反省する時もあるが、そうでないことの方が多かった。人間、いつも何かに迷いながら生きていると思うが、だからこそ先が見えてる事柄に対して何もせずにいるのは嫌なのだ。「見えている」という判断が間違っていることもあるが、間違いのツケは自分が払うのだからそれもよい。


話はがらりと変わるが、このブログを有料版にした。もうネット関係に金を使いたくはなかったのだが、広告がどうにもこうにも目障りなのだ。文字だけだったらまだしも、お世辞にも上品とはいいがたい画像が出てくると辟易してしまう。有料版は写真が複数アップできたりデータ容量が無制限だったりするが、あまり見た目は今後も変わらないと思う。そのうち何か面白そうなことを思いついたら遊んでみたい。


*サイドバーにFacebookとtwitterのリンクを入れました。

| - | 11:31 | comments(2) | - |
PHOTO WEEK・・・港湾地帯<7>
14-0322
| - | 06:58 | comments(0) | - |
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