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日々の内側
copyright sumigon all rights reserved
PHOTO WEEK・・・冬の影<6>
14-0228

落ち葉の絨毯の上に、木々の影が長く伸びる。しばし休息の時。2月も終わり、春はもうそこまで。

*「木と草と花と・・・」、更新
| - | 09:25 | comments(2) | - |
PHOTO WEEK・・・冬の影<5>
14-0227

思わぬところで、思わぬ影に出会う。だから、散歩はやめられない。
| - | 09:55 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・冬の影<4>
14-0226

武骨な鉄骨の影とネットの影が織りなすひとときの調和。そこを通る時、ちょっとだけドキドキする。
| - | 09:09 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・冬の影<3>
14-0225

真冬でも花を咲かせる菊。周辺だけほんわかとした空気が流れている・・・
| - | 09:52 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・冬の影<2>
14-0224

カメラをタテに構えることが多いので、「シェーッ!」をしているように見える。どんなにまじめな顔をしていても、シェーッ!ざます。
| - | 11:40 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・冬の影<1>
14-0223

淡い西日の中で影が長く長く伸びる。その輪郭はどこか儚げで、微かな不安を胸にきびすを返す。
| - | 10:13 | comments(0) | - |
猫との距離感
14=0222

狭い集合住宅の中に人間2人、猫3匹。3つある部屋のうち2つは猫立ち入り禁止なので、彼らの行動範囲は和室、リビング(キッチン含む)、廊下(階段含む)、風呂場(たまたまドアが開いている時)、トイレ(人間が出てくる時)くらいで時々かわいそうになる。が、猫たちは少なくとも私の目にはさほど不満があるようでもなく、人間の目には毎日同じような生活を送っている。


一番上の雄猫はわが家に来る前の家では出入り自由にしていたようで、私の元に来てからも隙を見て外にでようとしていた。主にベランダからで、ほんの少しの間窓を開けておいたとか、きちんと閉まっていなかったとか、人の不注意をすかさず見つけて外に出る。本当は出してやりたいが、集合住宅でしかも両隣が犬を飼っているのでそちらのベランダに行ってもらっては困るのだ。3階なので下に飛び降りるということはないだろうが、誤って落ちる危険性はなきにしもあらず。だからたまに抱いてベランダに出る以外、彼らは風の中に潜む季節の香りをかいだり、体中日光浴したり、土のにおいをかいだりすることができないのだ。


猫は環境にこだわる・・・今まで自分がいた環境の変化を嫌う、という話もあり、特に雌猫は保守的なので外に出たがらない。が、彼らの中には「野生」というものが微かであっても残っていると思うので、やはり人間としては狭い場所に閉じこめているようで申し訳なく思う。


少し前からそっと訪れているサイトがあり、その家の猫の様子を知るのを楽しみにしている。田畑や雑木林の多い地方のようで先日の雪はひどかったとのことなので、どちらかというと北の方か。猫は野良猫が半分家猫になったという様子で、出入り自由になっている。家に入りはじめてあまり年月が経過していないようで、外見は野良猫によくある野太い感じで私が好きなタイプだ。出入りしているので毛並みもきれいとはいいがたいが、くつろいでいる時の表情がとてもいい。


最近の記事では、その猫の変化について触れられていた。発情期に入り、いそいそと出かけていくところまでは以前と同じなのだが、最近はちゃんと帰ってくるらしい。それまでの発情期はろくに食べず出たらなかなか帰ってこなかったらしい。


それがきちんと帰ってきて、夜は人間の布団の中に入って眠る。少しずつ家にいる時間が長くなっていきそうだが、基本的に猫が好むようにしているあたり、いい距離感だなと思う。野に育った猫にとって理想的なのではないだろうか。


棄てられそうになったのでもらった猫。棄てられて保護されていた猫。親とはぐれて鳴いていた猫。わが家の猫たちはそんな猫だが、時々彼らは幸せだろうかと考えてしまうことがある。寒い季節、野良猫たちはなんとか寒さをしのげる場所を探し、身体を出来るだけ小さくして厳しい季節の終わりを待つ。それはそれは厳しい生活だが、彼らは思うままに生きている。


私は彼らに常に尊敬に似た気持ちを持っているが、わが家の猫たちに対して持つのは微かな後ろめたさともしかしたら人間に対してよりも強い愛着のみである。


うたたねをしている猫をなでながら、「おまえは幸せなの?」と心の中で聞いてみる。猫は何も答えず咽をごろごろ鳴らすのみ。家の中ではできるだけ自由にさせているつもりだが、何かと制限が多い日々を送る彼らだ。うるさく鳴いたり、粗相をしたり、何かを壊したり・・・いろいろなことをやってくれるが、彼らには彼らの理由なり言い訳なりがあるはず。できるだけ声を荒げることなく、今までの距離感をずっと保ち続けること。私にはそれくらいしかできそうにない。


*今日は「猫の日」なので、こんな話題(^^;)

| - | 11:41 | comments(0) | - |
キケンなクリスマスローズ
14-0221

いかんいかん!と最近の私を誘惑しつづけるクリスマスローズについて思う。数年、バラを中心に育ててきて、魅力は感じつつもさほど興味を持っていなかったというのに・・・私がスルーしている間に市場には原種や原種のハイブリッドがたくさん出回るようになっており、一昔前のクリスマスローズ観をくつがえされてしまった。


この誘惑のはじまりは、ネットで原種のクリスマスローズを見かけてその渋さに惹かれ、値段も手ごろだったことから購入したことに始まる。買ってはみたものの、育てかたをほとんど知らない。そこで、書店に行って「どうせもうクリスマスローズは買わないだろう」と一番小さな本を購入。


家に帰ってじっくり見てみると、原種中心のガイドブックであった。あらあら、渋い花好みのツボを刺激するものがたくさんあるではないか。でもまあ、見ておくだけにしよう。そう思っていた。


そんなある日、いつもお世話になっている咲季山草軒から信頼できるナーサリーのクリスマスローズ大量入荷のお知らせが・・・どれどれ・・・さすが選び方がいい。ある程度の幅を持たせつつ、山草野草好きの心をつかむセレクションだった。あれがいいかな、これもいいな、と考えた後思い切ってポチろうとしたら少しの差で売り切れに。

ここであきらめて買わなければいいものを、次の候補をポチる当たりが貧乏人の常である。


今ごろ花付きで出回っているクリスマスローズは、品種の違いはあるがさほど大きな草丈ではない。が、これがまた大きくなるんですな!しかも、根がとても張る植物なので、鉢がみな大きめ。よく園芸番組や雑誌でクリスマスローズをコレクションしている人の庭を紹介しているのを見かけるが、庭植えはともかく鉢で育てている人のものを見るとたいていは大きなスリット鉢で育てている。あれが一番育てやすく理想的な鉢なのだろう。


根が張りやすいということは、少なくとも一年おきくらいに植え替えなければならないということかと思う。また、寒い地域の植物なので、夏の暑さや土中の蒸れには注意が必要だと思われる。適切な土を多めに使うのが一番楽な栽培方法だと思うが(鉢植えの場合)、基本的には庭植えにした方が管理が楽そうである。


つまり、盆栽的な育てかたには限りなく向かない植物だといえよう。それなのに魅力があるとは皮肉な話である。盆栽は「持ち込み」(長く植え替えないで、自然にまとまるのを待つ)を身上とする。植え替えないでいる間にいろいろな草が紛れ込んだりして調和の美が出てくる。草の姿も引き締まってくる。それを鑑賞するのが盆栽だと私は思っているので、クリスマスローズに浮気している場合ではないのである。


それなのに、ああ、それなのに。渋い紫色の花もいいなぁ・・・などと思いながらネットをさすらっている私。いかんいかん!と、自分に喝を入れているところだ。やれやれ。


*「木と草と花と・・・」、更新。

*きれいだなぁと単純に喜んでいられるのも今のうち?(^^;)

| - | 21:20 | comments(2) | - |
ハンセン病の現在
14-0220

以前にも書いたが、「いのちの初夜」(北条民雄)を二度続けて読んで以来、もっと知りたいという気持ちから何冊かの本を読んだ。つい先だって少し触れた「いのちの火影」(光岡良二)、「ハンセン病 重監房の記録」(宮坂道夫)、「差別とハンセン病」(畑谷史代)などだ。これは「いのちの初夜」の衝撃があまりに強かったので、その背景をもっと知りたいと思う気持ちが強かったからともいえるが、「差別」の中でも特殊だと思えるハンセン病についてもっと知りたいと思ったことによる。


知れば知るほど、ハンセン病(およびその患者)に対する差別がいかに理不尽だったかが浮き堀りになる。病そのものの苦しみだけでも相当なものであるのに、まるで「ハンセン病患者は国民として認めない」といわんばかりの国の仕打ちや立場を悪くするのを恐れてか、最も変わらなくてはならない医療現場さえ患者たちを救おうとはしなかった現実を思う時、腹立たしさとともにとてつもないやりなさのようなものを感じた。


が、私もまた、ハンセン病とその患者たちへの差別を「過去のもの」という意識で考えていたのではないだろうか・・・ということに最近気づいた。高齢を迎えたハンセン病患者たち、療養所という名の隔離施設に集められ(自分から入所した人は多いが、その多くが家族に迷惑がかかるからという理由であったという)、死ぬまでそこにいる運命を背負わされてきた患者たちの現在を私は知ろうとしてこなかった。


それに気づいたのは、一昨日放送されたラジオ番組による。TBSラジオの「荻上チキSession22」が、「シリーズ・ニッポンの差別・第一弾」としてハンセン病をとりあげていたのを偶然耳にしたのである。途中からだったので、翌日ポッドキャストで再度じっくり聞いてみた。


番組では、メインパーソナリティの荻上チキ氏とアシスタントを務める南部広美さんが、ハンセン病の療養施設であり現在資料館を併設している多摩全生園を訪れることから始まる。ハンセン病の取材歴20年という崎山敏也記者をガイドとして東京都下の東村山を彼らが訪れたのは雪の日・・・ということはごく最近である。前半はハンセン病の歴史や患者がたどってきた道を簡潔に紹介、後半は今でもハンセン病差別に反対する(というよりも理解を広げる)活動をしている神美知宏さんをゲストに迎えて現在ハンセン病患者がかかえている問題を明らかにしている。


前半部分は、すでに何冊かの本を読んでいたので知っていることが多かったが、後半で神さんがお話しになったことに心を動かされた。


施設に入居しつづける高齢の患者たちは、常にいつ死ぬかという現実とともに生きている。そして彼らが心の奥で望むのは、死ぬ前に故郷に帰ってみたい、墓参りに行きたいということだそうである。家族に迷惑がかかるという理由で名前を変えさせられ、家族もまた周囲からの差別を恐れてひた隠しにし、もはや「いなかった人間」として生きざるをえなかった彼ら・・・今なお、故郷に帰ることも許されない彼ら。なんと悲しいことだろうか。


ハンセン病に劇的な効果があり完治を可能にしたプロミンの治らい効果が発表されたのが、1943年。一般的に流通するようになるまである程度時間がかかったかもしれないが、日本では2001年に「らい予防法」(1931年に制定された「癩予防法」を1953年に改定した法律。なんと1996年に廃止されるまで施行が続いた)が違憲であるという判決が出るまで、患者たちは戦前と変わらぬ待遇で過ごしたのだ。らい予防法が廃止されてからも、2003年に熊本でハンセン病元患者宿泊拒否事件が起こり、2000年代に入ってもまだ差別は厳然と残っていたことがわかる。


神さんの話で印象的だったのは、現在のハンセン病療養施設がかかえる人手不足である。以前は、症状が軽い患者たちが重い患者の看護をしていた(それだけでなく、様々な労働を施設内でしなくてはいけなかった)。が、今や患者のほとんどが高齢者であり、ハンセン病が完治したとしても高齢者としての病いや不具合をかかえている。その「元」患者たちへの人的援助がひどく貧しいようなのだ。対策として地域の高齢者施設との共同運営や保育園との合併なども行われているようだ。


しかし、それらはむしろ今まで社会とのつながり持ち、ハンセン病に対する知識や興味を持ってもらおうという目的でなされるべきことだと思うのだが、現実的には運営そのものが危ういという大きな課題をつきつけられているようだ。


国は最後の一人まで責任を持つべきであろう。たぶん多くの人がそう思うと考えるのだが、そもそもこういった問題があるということを知っている人が少ない・・・ハンセン病や患者たちが経てきた歴史が風化しつつある・・・それが一番の問題なのかもしれないと思うし、神さんも多いに危懼しておられた。


私がこうして長々と書いてもほとんど何の足しにもならないと思うが、それでも微力ながら彼らを応援したいと思う。とにかく、まずは知ってもらうところから、だろう。今の時代、検索すればいくらでも出てくる。少しでも多くの人に興味をもってもらいたいと思っている。


●荻上チキSession22(ポッドキャスト)・・・http://www.tbsradio.jp/ss954/podcast/

●神美知宏さんについて・・・

http://www.jinken-osaka.jp/essay/vol27.html

●元患者・山内さんんへのインタビュー・・・

http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/59/jyoho59_interview.htm

●ハンセン病の語り部・佐川修氏の話・・・

http://www.excite.co.jp/News/society_g/20120328/Cyzo_201203_post_10252.html?_p=1

●「もののけ姫」にもハンセン病とおぼしき人たちが登場・・・

http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mononoke/monolink04.htm

●多摩全生園・・・

http://www.hosp.go.jp/~zenshoen/


| - | 20:19 | comments(2) | - |
信念の男
14-0219

久しぶりにTSUTAYAの実店舗に行き(DISCUSも利用している)、ドキュメンタリーの棚を見ていて「ゆきゆきて、神軍」(企画・今村昌平 監督・原一男)が目に入った。タイトルだけは知っていていつか見ようと思っていてそのままになっていた作品だ。


この作品は公開当時かなり話題になったのではないかと思うし、数々の賞も獲っているので見たことがあるという人、おおまかな内容は知っているという人は案外多いかもしれない。なにやら右翼っぽいタイトルだが、これはなんというか一人の男の、しかもとびきり強い信念を持った男の闘いとも思える日々を追いかけたものである。


内容はリンク先ででも見ていただけばいいので紹介しないが、とにかく「正しい」とか「間違っている」とか、「共感できる」とか「不快である」とか、そういった尺度を飛び越えた感があって、そういう意味でおもしろい作品だと私は思っている。


信念の男、奥村謙三氏のWikiにおける肩書きは「アナーキスト」だ。商売のもつれから殺人事件を起こして服役、その後皇居の一般参賀の時に天皇をパチンコで狙い逮捕。懲りることなくポルノ写真に天皇一家の顔写真をコラージュしたビラをまいて逮捕。田中角栄を殺すと明言し殺人予備罪で書類送検(不起訴)。などなど華々しい!経歴の持ち主である。


この奥村氏は、かつての戦争で最も厳しい闘いを強いられたニューギニア戦線に参加し、生き残った一人でもある。戦況の悪化に伴い海路を断たれ、食料補給がなくなり孤立した日本軍は想像を絶する日々を送っていたという。人肉を食べたという話もあり、戦争をしているというよりも生き残りをかけた極限のサバイバル状態だったのかもしれない。


奥村氏は自分が所属していた独立工兵隊第36連隊の残留隊で、部下2名の射殺事件があったことを知る。そして、殺害された二人の兵士の遺族とともに、処刑に関与したと思われる隊員や上司を訪ね、真相告白を迫る。


最初は柔らかな口調が続くが、相手の態度によってはいきなり暴力を振るったり、自分で蹴飛ばしておいて救急車を呼んだり、警察に電話したり、と時々支離滅裂状態になり、申し訳ないが笑ってしまいたくなるシーンもいくつかあった。


軍人教育を受けた人は、高齢になっても若いころの価値観を棄てきることはできないのだろう。また、負い目があればなおさら口を固く閉ざす。しかし、奥村氏は諦めない。何度も訪れ、泣き落としに近いことまでしながら、少しずつ真実を明らかにしていく。その姿は時に滑稽に映るが、信じたことをやり通すという信念の強さは驚異的である。ファナティックな人を見ると、いわゆる「イタい人」だなと思うこともあるが、もう「イタい」も「イタくない」もないのである。


こういう人を撮り続けたスタッフはさぞ大変だったろうなと想像していると、案の定いろいろな話が出てくる。突然突飛なアイデアを出してきたり、もう(撮影を)やめようと言い出したり、自分は映画のご本尊なのでやられているシーンはカットしてほしいと言ったり・・・やめたいと言ったそばからまたやると言ったり・・・それでも結局映画は完成したということは、作り手にとってもある種の魅力があった人物だったのだろう。


この作品を仕上げ、監督とともにニューギニアに行き再度撮影するのだが帰国当日になってインドネシア情報省にフィルムを没収され、続編ともいうべき作品が日の目をみなかったことは残念だ。映画にも協力的で献身的に夫とともに生きた夫人は奥崎氏より早く亡くなっている。その時夫は、刑務所の中。部下の射殺命令を出したと結論づけた元上司を殺そうと改造拳銃をもって乗り込み、応対にでた息子を打って殺人未遂罪で逮捕されたのだ。


映画のキャッチコピーは、「知らぬ存ぜぬは許しません」だという。あそこまでやる人というのはめったにいないと思うし、問題も多いと考える。が、「知らぬ存ぜぬ」を冷笑しながらも結果的に 見過ごしている私たちに突きつけるものもまた多い作品だと思っている。


*「草と木と花と・・・」、更新。


| - | 16:36 | comments(0) | - |
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