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ヒミツはダメヨ!
13-1130

昨日の早朝、新幹線に乗る前に売店で新聞を買った。本も持っていったのだが、なんとなく読む気になれなかったので。買ったのは東京新聞。マスコミに対しては不信感いっぱいの私ではあるが、新聞の中では一番まともなのではないかと思っている。最近あったあれこれに対するスタンスからそう感じているだけだが。


一面に「秘密保護法 廃棄案求め声明」とあり、分野を超えた学者たち31人が「特定秘密保護法案に反対する学者の会」を結成し声明を発表したという記事があった。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・名古屋大特別教授もその一人でコメントが紹介されていた。


学者たちだけでなく、この法案に反対する声が様々なところから聞こえている。それなのに強引に可決した政府。何のための誰のための政府なのかと思った人は多かったに違いない。


日本の安全保障に関する情報のうち「特に秘匿することが必要であるもの」を「特定秘密」と指定し、取扱者の適評価の実施や漏えいした場合の罰則などを定めることを目指す法案。


これが「特定秘密保護法案」というものらしいが、“特に秘匿することが必要”だと判断する者とは誰なのか。信頼できるかどうかわからない誰かさんが「これはヒミツ!」と決め、この人には「ヒミツ」を教え、あの人には教えず、それでもどこからか「ヒミツ」が漏れたら漏らした者を徹底的に探し出して罰する・・・子供のともだち付合いならいざしらず、これが国家レベルでやられると考えるとひたすら怖い。


今日の東京新聞に福島の原発の技術者だった人のコメントが掲載されていたが、あの事故だってかなりの情報が隠されていた(現在も)はずだ。そもそも原発そのものが「ヒミツ」を抱えすぎている。公開すべき情報を「ヒミツ」にしたゆえの被害は計り知れないのではないかと思う時、この法案が成立することに恐怖を覚える。


益川教授は、この法案成立に伴いなしくずしに変わっていくであろう社会に触れ、国民に警鐘を鳴らしている。電話取材とのことで短いコメントなので、引用しておく。私たち一人一人が「自分のこと」として考えなければならないと改めて思う。


国民が危機感持たねば 益川敏英・名大特別教授

政治をやる上で、秘密にし続けなければならないことはありません。外交や国防に関する内容であっても、後から必ず公開されるのが大原則です。無制限に秘密を指定できる法案を通せば、恐ろしいことが起こります。国民は、政治の決定プロセスが明らかにならないことに、だんだん慣れてしまうでしょう。社会というのはなし崩し的に変わる。安倍晋三首相の施策からは「日本を戦争ができる国にする」という意図が透けて見えます。今回、専門分野を超えてこれだけの学者が集まったのは、国民全般の生活に関わるからです。それだけの危機感を持たなければならない問題なのです。

(2013年11月29日東京新聞朝刊第1面)


原発こそ秘密ダメ 福島作業員ら秘密保護法案に危機感

| - | 16:10 | comments(0) | - |
SNSとの付合い方
13-1128
・・・だいぶ前からご近所の軒先に下がっているハリセンボン。ボロボロ(T.T)・・・

私も一応(!)、ソーシャル・ネットワーキング・サービスとやらを利用している。お付合いというほどのこともないが、知りあいが何人かいるというのでmixiを、これまたなんとなくfacebookを、という具合に必要性に迫られてという理由もなくなんとなく。


使い方によっては有効なネットワーク構築や情報収集ができると思うのだが、それも考え方次第。ネットワークを充実させるためには様々な気遣いや労力が必要なわけだが、私はもうそれが面倒になってきている。ある程度(ごく狭い範囲)の知り合いの近況や興味の対象を知ることができればそれでいいといったところだろうか。


mixiではほとんど何もしていない。「友人」も少ない。このブログをリンクさせているだけある。もともと自分の日常の細々としたこと(しかも当たり障りのない)をあれこれ書く趣味がないので、そういったことに対する会話にもあまり興味がない。が、たぶん多くの人にとって他人の日常はおもしろいのだろうし、私もそれはわからないでもないのだ。ただ、自分がそうしないだけ。


facebookはmixiよりなんとなくドライな感じがして気楽でいいと思う。「いいね!」をクリックされれば短いコメントも必要なのかもしれないが、「いいね!」する方もされる方も軽い気持ちでしているところがあると思う。それ以上何かあればコメントを書き込むだろうし、その場合のみ何か返せばいいといった感じなので、mixiに比べてささいなトラブルが起きにくいのではないか・・・と思うが、使い方があっさりしているので本当のところはわからない。


最近はfacebookの利用の方がやや積極的。「友人」がシェアしたりリンクしたりしている情報を見るのもおもしろいと思っている。どんな友人かにもよるが、自分と生活も職業も価値観も違う人がどんなことに興味を持っているかがわかるので、視野を広げるといった意味で利用価値があると感じている。


もう少し若くて、あるいはもう少し積極的に社会とかかわっている生活をしていれば使い方も違っているかもしれない。テンションが低くなっているようで情けないが、まあ、無理しないで自分なりの使い方をしていればいいし、それだけのものであるような気がしている。


*明日は仕事で大阪へ。6時半ころ家を出ねば!

*いろいろ気を使う必要があるようで、ちと憂鬱・・・ふぇ〜

*土地勘がないと、どことなく不安ですなぁ。

| - | 20:30 | comments(2) | - |
「ノーコメントbyゲンスブール」
13-1127
・・・プログラムの中面より・・・

予告どおり「ノーコメントbyゲンスブール」を観に行ってきた。水曜日のレディースデーなので混むかな?と思っていたのだが、ガラガラ(-_-;) マイナーといえばマイナーな人だし(日本では)、ル・シネマ〜アップリンクと上映されてきた作品なのでこんなものかもしれない。


ゲンスブールのことをよく知っているかといえば、一般の人よりやや知っている程度だと思う。20年前彼を特集した「STUDIO VOICE」を持っていて、評伝である「ゲンスブール〜出口なしの愛」を読んだことがあり(なんと入院中に!)、アルバムを何枚か聴き、そのうちのいくつかは今でも聴いている・・・そんな感じである。


どこがいいのか・・・まず、声が好き。若いころの歌を聴くと「だみ声」と言われたとは思えないのだが中年以降の酒とタバコによって荒れ果てた感がある声が好きなのだ。「不良」という一言では片づけられない屈折した自己表現のあり方も好き。ご本人は外見にかなりのコンプレックスを持っていたようだが、もともと絵に描いたような美男子が好みでない私はかえって“うらぶれ感”のある外見も好みである。そして、やはり彼が作った曲が好き。


が、悲しいことにフランス語を解しないので、主に曲想に限ってという条件をつけざるをえない。訳詞は読んでいるがやはりフランス語がわからないと洒落た韻の踏み方や比喩の巧みさなどはわからないだろう。


この映画は、さまざまな場面で自らを語っているゲンスブールを次から次へと見せていくドキュメンタリーである。生い立ちや両親のこと、女性関係、自らの中にある二面性・・・ある程度彼を知っている私にとってとりたてて目新しいものではなかったが、観たことがない映像の数々を見られたことはよかったと思う。


ゲンスブールについて改めて説明するつもりはない。ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキンなど魅力的な女優との恋愛や結婚、ロリータ趣味などが有名だが、それよりも一般的にはフランス・ギャルやフランソワーズ・アルディに曲を提供し、日本でもヒットしたことを覚えている人の方が多いかもしれない。前者は「夢見るシャンソン人形」として、後者は「さよならを教えて」として。


見終わった思ったのは、やはりいい男だなぁということ。ただし私のような人間には所詮縁のないタイプの男であり、縁があっては困ってしまうかもしれない男である。しかし、魅力的であることに変わりはない。


*YouTubeのミックスリストはこんな感じ。

http://www.youtube.com/watch?v=--BTGqJmhow&list=RDNuZklVrHspM


| - | 21:00 | comments(0) | - |
魅惑の江戸園芸
13-1126

少し前、厚物の菊には興味はないと書いたが、「趣味の園芸」をなんとなく見ていたら「江戸菊」なる菊が紹介されており、その奇抜な姿に驚いた。


日本において菊はもっともなじみの深い植物だと思う。野菊から園芸品種までいくつあるのか把握している人は皆無に等しいのではないだろうか。園芸菊の中でもいわゆる「古典菊」というジャンルがあって、「嵯峨菊」「肥後菊」くらいは名前だけは聞いていたが「江戸菊」は知らなかった。が、江戸時代は園芸がたいへん盛んだった時代だということを考えれば全く不思議ではない。


江戸菊の特徴はなにといってもその咲き方だろう。まるで強風に一気にあおられたような花弁の動きがすごい。しかも開花しはじめてから10日間ほどかけて一つ一つの花弁が徐々に曲がっていくという。その表情の変化も見どころのひとつになっているらしい。そして例によって江戸っ子たちはその花の様子を「芸」ととらえ、「丸抱え」「乱れ抱え」などの名前をつけて楽しんだらしい。


きちんと整っているものより、微妙な案配で乱れている方を好むという私自身の性格もあってか、江戸菊にはちょっと心惹かれるものがあった(育てたいとは思わないが)。


それにしても!今年の7月から9月まで開催されていた「花開く江戸の園芸」(江戸東京博物館)を見逃したことが今更のように悔やまれる。映画にしろ美術展にしろ見逃したものは多いが、ほとんど諦めることができる私である。が、この企画展は悔しくて悔しくて我が身を呪いたくなるくらいだ。


現在、「古典園芸植物」と言われているものは予想していたよりはるかに多く、その多くが江戸時代に大きく発展した。


花を楽しむものとしては、菊、朝顔、東洋蘭、桜草、撫子、蓮・・・だけでなく雪割草、福寿草、花菖蒲、透百合(!)などなど。葉を楽しむものは、万年青(おもと)、石蕗(つわぶき)、東洋蘭、富貴蘭、松葉蘭、棕櫚竹・・・のみならずヤブコウジ、カラタチバナなどなど。樹木では椿、桜、牡丹、楓・・・石榴(ざくろ)も古典園芸植物だそうな。


江戸時代の好事家たちは、珍しい色、形を求めて品種改良をしながら、それらの「芸」を楽しみ、高額で売買していたという。品種改良といっても今のように遺伝子までいじるなどということができるはずもないから、育てているものの中から変わったものを見つけてそれを増やしたり、交配させたりといった方法だったはず。


また、大名の次男三男のみならず、庶民も自分たちに可能な範囲で園芸を楽しんでおり、プラントハンターとして名高いロバート・フォーチュンが江戸を訪れた時、そのレベルの高さに驚いたということだ。


今の園芸技術にも園芸品種にもあまり興味を持てないでいるが、江戸時代の園芸について俄然知りたくなってきた。近いうち図書館にでも行っていろいろ探ってこようかな。

以下、覚書。


■江戸時代に著わされた主な園芸書、本草書、図譜、番付(Wiki)

  • 「百椿集」安楽庵策伝 1630年頃
  • 「桜譜」 1647
  • 「花壇綱目」水野勝元 1681
  • 「牡丹名寄」 1688年 ボタン299品種記載
  • 「錦繍枕」伊藤伊兵衛 1692年 (世界最古のツツジ、サツキ専門書)
  • 「花譜」貝原益軒 1694
  • 「花壇地錦抄」伊藤伊兵衛 1695
  • 「増補地錦抄」伊藤伊兵衛 1695
  • 「花壇菊花大全」養寿軒雲峰 1712
  • 「怡顔斎桜品」松岡恕庵 1713年頃
  • 「花壇養菊集」志水閑事 1715
  • 「広益地錦抄」伊藤伊兵衛 1719
  • 「草花図譜」 1723年〜1740年頃
  • 「地錦抄附録」四世伊藤伊兵衛 1733
  • 「草木弄葩抄」1735
  • 「扶桑百菊図」狩野素仙 1736
  • 「菊経」松平頼寛 1755
  • 「絵本野山草」橘保国 1755
  • 「梅品」松岡玄達 1760
  • 「花彙」小野蘭山 1765
  • 「芍薬花品評論」中瀬助乃進 1793
  • 「浴恩園桜譜」松平定信 1795年頃
  • 「橘品類考」 1797年 (カラタチバナ、ヤブコウジ書)
  • 「万年青番付」 1799年 (現存最古のオモト番付)
  • 「花譜」市橋星峯 1811年 (サクラ図譜)
  • 「草木育種(そうもくそだてぐさ)」岩崎常正 1818
  • 「養菊指南車」 1819年 (肥後菊栽培書)
  • 「牽牛花(あさがお)水鏡」 1821
  • 「浴恩園蓮譜」松平定信 1822
  • 「草木奇品家雅見(そうもくきひんかがみ)」金太郎 1827年 (斑入り、葉変わり植物図譜)
  • 「本草図譜」 1828
  • 「通賢花壇抄」 1828
  • 「草木錦葉集」水野忠暁 1829年 (斑入り、葉変わり植物図譜)
  • 「金生樹譜別録」「金生樹譜万年青部」栗原信充 1833
  • 「長生草」秋尾亭主人 1835年 (長生蘭(セッコク)図譜)
  • 「桜草勝花品」蕈溪主人 1835
  • 「松葉蘭譜」栗原信充 1836
  • 「東都撰錦蘭相撲見立」 1838年 (錦蘭(ミヤマウズラ)番付)
  • 「桜草作伝法」 1840年頃 (サクラソウ専門書)
  • 「長楽花譜」 1841年 (雪割草(ミスミソウ)図譜)
  • 「蒲公英銘鑑」 1841年 (タンポポ番付)
  • 「百品楓図」 長谷川延年 1842年 (カエデ図譜)
  • 「東都岩桧名寄取組」 1843年 (イワヒバ番付)
  • 「菊花壇養種(きくかだんやしないぐさ)」 1847
  • 「花菖培養録」松平菖翁 1852年 (ハナショウブ専門書)
  • 「風蘭見立鏡」 1855年 (富貴蘭(フウラン)番付)
  • 「桜草見立相撲」 1862年 (現存最古のサクラソウ番付)
  • 「本草要正」 1862
  • 「撫子培養手引草」長谷静香 1863年 (ナデシコ専門書)
  • 「覇王樹」 1867年 (サボテン番付)
| - | 18:16 | comments(0) | - |
主なき家
13-1124

今にはじまったことではないが、特に最近、住人がいない家が目立つように思う。こちらが気にしているから目に付くのかもしれないが。


わが家の近くにもすでに3軒。そのうちの1軒は引っ越してきた時から空き家になっていて、いまだに(引っ越してきてすでに10年ほど経過している)壊されもせず残っている。その家からアパート1棟おいて一戸建てが2軒。両方とも今は空き家になっている。少し前まで古い自転車が門の前に置いてあったのだがそれも知らない間になくなった。庭木は手入れをする人がいないためか以前より衰えた姿になっている。


今日久しぶりに近所を散歩したのだが、空き家はすでに珍しいものではないという認識を持った。


土地の権利の問題なのかわからぬが、やはり10年以上放置されているアパート(寮かも)は相変わらずそのままで蔦がからみ邦題になっている。それ以外にも、ちょっと庭が荒れているなと思って家屋を見ると雨戸がすべて閉まっていて中に人がいて生活しているとは思えない。


そういえば、埼玉にある従兄弟の家もだいぶ前から空き家になっている。母の兄の家だったもので、長兄だったので母は「本家」と呼んでいた。子供のころは正月になると伯父や伯母、従兄弟連中がその本家に集まった。まとめてお年玉をもらえるのでそれはそれは嬉しかったものだ。正月以外にも何度か泊まりがけで遊びに行ったことがあるので、今はどうなっているのかと時々思い出す。


従兄弟は2人とも結婚しているが子供はない。それぞれ持ち家をかまえているので、埼玉の家に住むつもりはないらしい。仕事に趣味にと忙しく暮らしており、考えなくてはと思いつつ家の処分は後回しになっているのかもしれない。


高齢化・少子化はこれからもどんどん進みそうである。日本全国で空き家は増え続けるのだろうか。


私は「廃虚」が好きなので崩れ落ちそうな空き家を見つけると興味本位でじっと見たりしているが、そこにはそこに住んでいた人たちの平凡かもしれないがそれなりに感慨深いドラマがあったのではないかと思い、なにやら複雑な心境になるのであった。


*写真もけっこう撮ったのだが、Facebookにアップしただけでいいや。

| - | 17:17 | comments(0) | - |
フエキくん
13-1123
・・・たまにはこんな加工をしてみた。なんとなく、手探りで(-_-;)・・・

先だって大阪に行った時、新大阪駅構内にある土産物店でなつかしい顔をみかけた。名前は思い出せなかったが、目がくりくりした、黄色い、赤い帽子をかぶった、犬。なつかしいと思い出される方も多いのではないだろうか。そう、フエキ糊の容器である。


帰ってきて調べたら、この糊は幼稚園児などに向けた「どうぶつシリーズ」で、「シリーズ」という割には他の動物のものはないようだ。ただ、色違いがいくつかある模様。発売が昭和50年となっているので、私はすでに大学生。この「どうぶつシリーズ」の糊は実際に使ったことはないが、たぶんどこかで見かけていたのだろう。キャラクターの名前は「フエキくん」。


私が子供のころ使っていたのは、主に黄色いチューブタイプのものかシンプルな黄色い容器に入っているもので、これらの糊は発売当初からでんぷん100%の安全性を特徴としている。早くから詰め替え用の糊も用意されていたようだ。


製造販売しているのは不易糊工業株式会社。前身である「足立商店」創業が明治19年(1886年)というからこれはも立派な老舗である。明治時代にはゴム工業に進出したりチューインガムを作ったりしたがうまくいかなかったが、「不易糊」を商標登録しスタンプインキ、墨汁を手がけた。戦後も糊や墨汁を中心に業績を伸ばし、今ではオフィス用品だけでなくハンドクリームなども販売している。


平成20年(2008年)にフエキくんをキャラクター化してフエキくんグッズを次々と発表。コラボ商品「フエキくん練乳みるくプリン」まである。私が新大阪で見つけたものは中にチョコレートが入っている。マーブルチョコを大きくしたようなのがいくつか。プリンにまで手を出すつもりはないが、シンプルでなつかしい雰囲気のあるフエキくん、なんとなく応援したいような気分だ。


それにしても、単価は決して高くないが生活に根ざしたロングセラーを持っている企業は強いな、と思った。不易糊工業株式会社も時代の流れの中で窮したこともあっただろう。それでもまじめなモノづくりをしてきたのではないかと推測する。なんでもかんでもキャラクター化してしまう風潮にはあまり賛成できないが、フエキくんはよし!がんばれ、フエキくん!


*フエキくん、出身は大阪なのね。だから新大阪で会えたのね。

*大阪駅にはフエキグッズ売場があるんだって。

*月末に仕事でまた大阪に行くんだけど、寄っている時間あるかな?

| - | 16:34 | comments(0) | - |
小菊と草紅葉と・・・
13-1122

「菊の節句」(重陽の節句)は9月9日だが、そのころたいていの菊は咲いていない。11月に入って冬も間近いことを感じるころになると、ふと通りかかった庭先の小菊に目を奪われる。ほのかに流れてくるその香りも、どこかなつかしい。秋の澄んだ空気には、やはり菊の香りがよく似合うと思う。


最近残念に思うのは、以前ならいたるところで見かけた小菊がなかなか見当たらないこと。家菊と呼ばれる園芸品種が多いと思うが、畑の端っこや庭先でのびのびと咲いている姿をよく見かけたのに。


展覧会やコンテストに出すような厚物にはあまり興味がないが、半ば放置されたように伸び邦題になっている小菊はやはりいいなぁと思う。買ってきた当初はコンパクトな鉢植えだったのかもしれないが、地植えにすると予想以上に伸びる。それを「仕立て」たりしないでそのままにしておくと少し乱暴だが野生の血を感じさせるような姿になって、野草好きには好ましく思える。


今年は木々の紅葉があまりきれいではない、という話を何度か耳にした。夏の酷暑で葉が傷んでしまったり、気温の変化がめまぐるしかったり、さまざまな理由で木々も美しい紅葉を見せることができなかったのではないだろうか。特に都心の街路樹などは温暖化の影響をまともに受けているのではないかと心配だ。


葉が色づくのは木々だけではない。「草紅葉(くさもみじ)」も季節感豊かな彩りで目を楽しませてくれる。私が住んでいるマンションの隣には引っ越してきた時からそのままになっている空き地があり、夏にはススキやらオギやらが旺盛に茂る。


秋になればそれらの草紅葉が見られるので楽しみにしていたのだが、不定期に草刈りが行われており、今年はその時期が遅かったので今は何もない枯れ草色の空き地になっているい。地主や業者には季節感など関係ないのだろうが、せめて12月になってからやってくれればいいのに・・・などと勝手なことを考える。


我がベランダでもささやかな紅葉を見ることができる。今年は盆栽仕立てにしている最中のツリバナがきれいだ。いつになく実もたくさんつけてくれ、そのうえ繊細な紅葉まで見せてくれるとはなかなか見どころの多いヤツである。モミジのように真っ赤にはならないが、私にはそのくらいがちょうどよい。ハゼの木も少しずつ紅葉をはじめた。これは小さな鉢に実生で育てた寄せ植えを数年前に買ったもので、育ちが悪いものを少しずつ間引いていったらなかなかいい感じになってきた。


風知草も黄色からオレンジ色へときれいな草紅葉をみせてくれている。日当たりがあまりよくないところに置いたままだったのにけなげなものだ。来年はもう少しいい環境に置いてやりたい。野草や盆栽はマンションの狭いベランダでもきれいに色づいてくれるものも多い。もともと花より葉が好きな私としては秋もまたわくわくするシーズンなのである。


写真は数年前にお邪魔したsakiさんの庭で咲いていたキヨスミシラヤマギク。黒っぽい茎はすらりと伸び、小さな薄紫色の花を咲かせる。シオン属だと思うが、野菊の中でも最も好きな菊である。

| - | 12:28 | comments(0) | - |
流星ひとつ
13-1121

例によって一気に読ませる力を持っている。「流星ひとつ」(沢木耕太郎)。出版されてからずっと気になっていたのだが、この“もしかしたら読めなかったかもしれない本”を、しばし楽しんだ。


8月に亡くなった藤圭子さんが28歳の時、31歳だった著者が試みたインタビュー。沢木は、新しいノンフィクションのスタイルとしていわゆる「地」の文章のない、会話だけの構成で書き上げた。が、きっかけとなった対象の引退宣言という状況を慮り、原稿を製本化して藤に送っただけで出版は思いとどまった。そして34年の年月が流れた。


「一杯目の火酒」から「最後の火酒」までの8章。誤解の多かった藤圭子のなにも飾らない真摯な姿が最初の章から明らかに感じられた。それは意外といってもいい姿であった。


浪曲師の両親とともに全国を回った幼い日々。盲目の母親に対するひたむきな愛情。歌うことになったきっかけ。芸能界への嫌悪感。そして、ポリープの手術をして変わってしまっ自分の声に苦しんだ日々。デビュー当時は何も考えずに歌っていたからよかったんだ、という率直な物言い・・・「怨歌」を歌った歌手(「火酒」は「歌手」を意識しての言葉か?)の口から出てくるとは思えない言葉だった。


しかし、普通の耳には心地よくさえなった手術後の声に悩んだ、というのはわかるような気もする。他人にはわからないとしても、自分にはわかるその違い。決して慣れることのできない違和感。それはそれとして歌い続けるには藤圭子は正直すぎた。


自分を取り巻く人々や芸能界への嫌悪感を露にするが、それに「悪口」という印象はない。そんな世界にい続けた自分が悪い、という自らの責任に帰する潔さがある。歌や声から感じられる暗さはほとんどといってなく、時にはあっけらかんとした時にはいじらしい28歳の女性がそこにいた。


仕事柄、「取材」というかたちで人の話を聞くことがある私にとっては、インタビューする側とされる側の気持ちの交錯も興味深かったし、一人の魅力的な女性の存在を知ることができて嬉しくもあった。


それにしても、「精神を病んでいた」と報じられあのような最期を遂げたことを思うと、「自分に正直であり続けること」の難しさをひしひしと感じる。遅ればせながら、心からご冥福を祈る。


*共感できるレビューを見つけたのでご紹介する。こちら

*「夢は夜ひらく」って最初は園まりさんだったのね・・・

*だから「圭子の」がついていたのね。個人的にはこちらの方が断然好き。

*JASRAC(日本音楽著作権協会)には20以上の作詞者が異なるバージョンが登録されているとか。

| - | 17:07 | comments(0) | - |
なつかしき“普通の味”
13-1120

昨日、前々から気になっていた「ごん太鮓」(保土ヶ谷)に行ってきた。近くに職場がある友人のブログを見て、ぜひ食べてみたいと思ったものがあった。


保土ヶ谷(当時は「程ヶ谷」)は東海道の宿場町として栄えたところ。歌川広重は今の相鉄線・天王町付近にある帷子橋(かたびらばし)を「東海道五十三次」で描いているし、葛飾北斎も「富嶽三十六景」で題材としてとりあげられている。江戸時代はけっこう有名だったようだ。


しかし、時代は流れて今はかつてのにぎわいはない。旧東海道の商店街を歩いても閑散としている。古い建物がそのまま残っているところもあり、昔ながらの金物屋などもあるが、それらに混ざって中華料理店、カフェ&バーなる店などが雑多に並んでいる。コンビニやファストフード店はない。注意して歩くと、ところどころに史跡であることを示すプレートがあるが、多くの史跡がそうであるように昔を想像することは難しい。


お目当ての店は保土ヶ谷駅東口にある。店名は近くにある「権太坂」(駅伝で有名ですね)からきているようだ。店の前の道路際には「保土ヶ谷名物 道中いなり」の古風な看板。私が食べたかったのもこの「道中いなり」だ。


小さな店である。入るとすぐ右手に小さなショーケースがあり、戸をあけると座席が4つだけのカウンターがある。この店は持ち帰りを前提としていると思われるが、昨日は席が空いていたのでお目当ての「道中振り分け弁当」を注文。太巻きがふたつ、道中いなりがふたつのセットで私にも食べられる量だ。


特徴は何といっても「道中いなり」のかたち。昔東海道を行き来した旅人が持っていた振り分け荷物を模してあり、ひとつはあげの表側、もう一方は裏側を見せるようになっている。中央は甘辛く似たかんぴょう。


食べてみると中身も違っていた。表を見せている方にはゴマ入りの酢飯。裏の方は何もまぜていない酢飯。そしてこのふたつは繋がっておりふたつのものをかんぴょうで結んだものではない。

作り方を考えてみたのだが、たぶん味をしみ込ませた1枚のあげをタテ半分に切り、その半分にまず飯を詰めてくるくるっとねじった後に飯が入っていない方を裏返しにして飯を詰める・・・そしてかんぴょうで結ぶ、という作り方ではないだろうか。とにかく凝っている。


かたちは凝っているのだが、味はいたって普通。この「普通の味」がいいのだ。よくあるようで、今はあまりお目にかかることがない。正直な味とでもいおうか。なにも厳選した天然素材にこだわっている、というようなものではなく、昔からある調味料だけで淡々と作っている、そんな感じ。そのシンプルさが、なんとなくなつかしい。


また、どうやら作り置きしないらしく、注文してから作ってくれるのがいい。素材はもちろん作り置きしてあるが、太巻きを巻いたりあげに酢飯を詰めたりするのは注文が入ってから。店に置いて合った1色刷りの「鮓カタログ」を見ると(描かれている絵がまたいいのだが)、「電話でのご注文を承っております。前もってご注文をいただけましたら、お待たせすることなっくお渡しできます」とある。


店は感じがいい老夫婦がやっており、ご主人は職業柄か鮓についてはかなり詳しそうだ。「ばってら」の語源(オランダ語で、細長い船のことらしい)を教えてくれた。あまり忙しくない時間帯ならいろいろなお話を聞けそうである。家人と2人で行ったので別のものも注文したのだが、ちょっと食べきれなかったので「道中いなり」を追加注文して詰めてもらった。家に帰って空けてみると、詰めかたがとても丁寧。おざなりに「詰めました」というのではなく、きちんと見た目を考えて詰められている。心がこもっている、と感じた。


メニューが季節によって若干変わるようだが、いなり、巻すし、押すしを中心にいろいろな詰め合わせがある。貝のかたちをした「はまぐり寿司」、いわしのお寿司「光りげんじ」(!)などユニークなものもあってあれこれ食べたくなる。「花見弁当」もあるので、来春はこの弁当を持ってひっそり花見でもしたい、いや同好の士を誘ってぜひ実行したい。


*ごん太鮓

 横浜市保土ヶ谷区岩井町124 045-741-7500

   10:00〜19:00 木曜日定休

 http://tabelog.com/kanagawa/A1403/A140301/14013808/


| - | 09:08 | comments(0) | - |
警鐘は聞こえているか
13-1119

このところ天気がよく、気持ちいい日が続いている。朝晩は寒いくらいだが、冬好きな私としては気分的には悪くない。ただ、寄る年波のせいか肉体的には寒さについていけずにいるのか、あちこちに微かな痛みを感じる。


昨冬は膝が急に痛くなってリウマチの検査やヒアルロン酸の注射までしたのだが、結局ただの神経痛だったようでケロリと治ってしまった。が、今年はよくなりかけていた五十肩(左)が最近後戻りしているような気がする。だいぶ前に車に轢かれた右足の親指もうずく。やれやれ、である。


それでも、初冬の明るい陽射しを浴びているベランダの植物を見ると気持ちが和む。日なたで寝ころぶ猫を見ても穏やかな気持ちになる。


が、こういった平凡ながら穏やかな日常も、ある日突然大きな不安の雲に覆われかねない。これが現実である。


福島第一原発4号機の核燃料取り出しが始まった。この作業に伴う危険は以前からさまざまな所で指摘されていたが、廃炉にするためにはやらざるをえない作業なのであろうか。今まで一度もやったことのない危険な作業が来年の12月まで続くと思うと、何をしていても完全に楽しむということができなくなってきたように思う。


少し前、ネットのニュースに原子力技術者のアーニー・ガンダーセンという人が2012年の取材時に語ったことを掲載していた。曰く、


「4号機プールは地上32メートルの高さにあります。取り出し作業中、燃料を入れたキャスクと呼ばれる専用の輸送容器をクレーンから落とすようなことがあれば、大量の放射性物質が漏れ出て、日本が分断されかねません。首都の東京も壊滅の危機に直面することでしょう。燃料取り出しは危険なギャンブルなのです。1回だけなら、そのリスクに挑戦して成功を収めることができるかもしれません。ただ、取り出し作業は少なくとも50回以上繰り返さないといけない。それだけの回数を連続して成功させる自信は、廃炉の専門家でもある私にもありません」(週プレNews 11.14)


福島第1原発4号機の原子炉建屋プールには1533体の燃料集合体があるそうだ。これは通常の原発の2基分以上に相当するとのこと(4号機の原子炉圧力容器設計者で元原発事故調査委委員会メンバー・田中三彦氏)で、そこに含まれる放射能の量はセシウム137換算で広島型原爆の数千発分だという。万が一これが漏れ出したら、東日本の広い地域が汚染される。もちろん、東京もそれに含まれる。


作業はすでに始まった。賽は投げられた。始まるまでに鳴らされたであろう警鐘はどれくらいの国民に届いていたのだろう。私自身を含めて、知識不足に甘んじて声をあげずにいた者たちは、この危険なギャンブルの成り行きを息を潜めて見つめつづけることしかできないのかもしれない。


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