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日々の内側
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熊谷守一美術館
13-0531

以前から行きたいと思っていた「熊谷守一美術館」に行ってきた。ここは、モリ(熊谷画伯)が1932年から住んでいた場所で、亡くなった後娘さんの榧(かや)さんが美術館として公開した。当初は個人での運営だったようだが、作品の散逸などを防ぐため豊島区に寄贈し、今では豊島区立の美術館となっている。


意図したことではないが、先日行った岡本太郎記念館に続いて作家が作品を創造し生活したところに行ったことになる。こじんまりとしていて、どこかに亡き人の気配が残っているような気がして、なかなかいいものだと思った。


熊谷守一美術館では年に一度全展示室で作品を展示しており、今年は今月24日から6月末まで「熊谷守一美術館28周年展」が開催されている。美術館所蔵の作品はもちろん、他からの作品もいくつか展示されていて普段より多くの作品に触れることができる。


今回もメナード美術館、名古屋市美術館、そして個人蔵の作品が加わり、ほどよく見ごたえのある展示になっていたと思う。絵画だけでなく彫刻や書もあり、見たことのない作品にも出会えて嬉しかった。


熊谷画伯の絵を見ていつも思うことなのだが、あれだけ単純化されデフォルメされていても、たとえば花であればそれが何の花なのか一見してわかるところがすごい。対象の本質を見抜いているからこそのことだと思う。そして、蟻やカマキリや蝶やカエルや鳥や猫や・・・対象に対する愛情が感じられてほんわりした気持ちになれる。墨で描かれたと思われるカラスの絵がとてもよかった。


美術館は副都心線・有楽町線の「要町」が最寄り駅だ。東横線が副都心線に乗り入れてからグチばかりこぼしていたが、今回は初めてその恩恵を受けた。なにせ乗換なしで行けるのだから。グチばかりこぼしておらず、恩恵を受けるために行動半径を広げればいいのだ!と思った次第である。

| - | 20:24 | comments(0) | - |
「明日の神話」と「表現」
13-0530

先日知り合いがグループ展をやっているとのことで青山まで行ってきた。早めに行ったので、帰りに懸案であった「岡本太郎記念館」に寄ってみた。太郎さんが亡くなるまで使っていたアトリエ兼自宅ということで、作品の数々を鑑賞するというよりも太郎さんの気配を感じる場所といった印象。吹き抜けのアトリエもそのまま展示場所として見ることができる。


現在記念館で開催されているのが「PAVILION」という企画展。これはChim↑Pom(チンポム)というアーティスト集団と記念館のコラボ企画で、その発端は2011年5月のある事件にある。


私としたことが全くノーチェックだったのだが、2年前の5月1日、渋谷のマークシティに展示してある「明日の神話」の右下に何物かが「いたずら」をしたという事件だ。通るたびに見上げていたのだが、右下と左下にわずかな空間があることに気づかなかったのだが、そこにベニヤに描いた絵が貼り付けられており、絵そのものに「いたずら」をしたわけではない。


その「いたずら」が発覚した直後から「悪質ないたずら」として話題になったとのことだが、記念館の館長である平野暁臣氏は「一見して壁画と太郎に敬意を払っていることがわかる。それはあきらかに悪ふざけではなく表現だった」とし、取材に対しても一貫していたずらと切り捨てるべきではないと答えたとのことだ。


同月18日にChim↑Pomが自分たちがやったと明らかにし、その後館長と彼らはじっくり話し合い、この企画が実現したという。


リンク先を見ていただければわかると思うが、Chim↑Pomが付け足した絵は福島第一原発の事故を想像させるもので、第五福竜丸の被爆をテーマに描かれている「明日の神話」とテーマが共通する。「明日の神話」は試練を乗り越えて再生する人々のたくましさを表現したとされているが、もしそうであるなら付加された原発事故の絵はそれを揶揄しているようにも受け取れないことはない。


しかし、それが「表現」である以上それが何を意図したものかは二の次でいいと私は思う。作品というものは作者の手から放れた時から独り歩きをするものだ。どのように受け止めるかは見る側に任されていいと思うのだ。また、すぐれた芸術家は何も言わず作品を世に出し、これこれを表現したなどとは言わないのではないかとも思う。


個人的には悪意は感じられない。むしろ「おもしろい」と思う。不謹慎かもしれないが、「表現」として「おもしろい」というのが率直なところだ。Chim↑Pomの絵は即日撤去されたとのことだが、見たかったなぁと思う。


写真は、記念館のアトリエに展示されている(たぶん)Chim↑Pomの手になる原画。


●岡本太郎壁画に原発の絵 渋谷駅、美術館集団が掲示 http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051801001252.html

| - | 16:30 | comments(0) | - |
原子の村
13-0529

他に書きたいことがなくはないのだが、なんだか我慢できない。あまりにお粗末で馬鹿馬鹿しくて情けなくて恥ずかしくて腹立たしくて・・・


もちろん、今月23日に起きた東海村での被曝事故のことである。放射性物質上昇の警報が鳴ってもそれを止めて実験を続け、さらに何度か鳴り放射性物質の濃度が通常の10倍になっていることを知り換気扇を回し、数値が下がったのでそのまま研究を続け、また上がったのでしぶしぶ運転を停止し、汚染を確認したので立ち入りを禁止し、施設内にいた55人は放射線量を測定することなくいつもどおり帰宅し、その一部始終を方向したのは翌日になってから。


結果的に30人が被爆していたというが、一体全体この日本原子力研究開発機構という組織はどんな意識を持って研究をしていたのか(今後もするのだろうが)、ちょっと信じがたい状況が明らかになっている。彼らにとって1999年に起きた臨界事故の教訓など何も残ってはいないのだろうし、東日本大震災で起きたことも所詮他人事でしかないのだろう。


東海村臨界事故は実に悲惨な事故だった。犠牲になった3人(うち2人は死亡)にとってはもちろん、そこで行われていたことそのものが悲惨だったと思う。思わずそれを思い出して本棚から「朽ちていった命」を取りだし読み返してみた。


この本は、臨界事故に遭遇した作業員とその治療にあたった医療スタッフの想像を絶する闘いの記録である。83日間という日々の中で、患者の状況はみるみる悪化し、今まで見たことも治療したこともない患者を救いたいと思いながら悪戦苦闘するスタッフたちは緊張と不安と疑問と失望の中で全力を尽くしている。


病院に運び込まれた当初、看護士と笑顔で話していた患者はとても大量の放射線を浴びたとは思えなかったという。一番強く被爆した右手が赤く腫れていた以外、外見上はとくに変ったところはなかった。が、間もなく次々と異常が出てくる。高線量被爆により染色体が破壊され新しい細胞が作られなくなる。白血球が極端に少なくなり、ちょっとした感染も命取りになりかねない状態になる。妹から造血幹細胞の移植を受けるが、一時持ち直したもののまた白血球は減少しはじめ、59日後心停止。スタッフの懸命な延命治療により蘇生するが、腎臓、肝臓など多臓器に不全が起こり事故から83日後に死亡。この作業員と一緒に仕事をしていた人も事故から211日後に多臓器不全で死亡。


普段は意識しないが、新しい細胞が作れないということは人間の身体にとって致命的であることがよくわかる。そして、当時最新の医療とスタッフの能力を結集してもなお、救うことができなかったという厳しい現実。


この事故が厳密に管理された中で「想定外」に起きたものであったとしても悲惨なのに、現実的にはずさんな作業に甘んじていたから起きたという二重の悲惨さがそこにはある。マニュアルどおりやっていては効率的ではないということで「裏マニュアル」なるものがあり、当日は裏マニュアルよりさらに改悪した手法で作業が進められていたというのだ。その体質がちっとも変わっていないということではないか。


東海村のホームページをふと見たら、「東海村民憲章」に「わたくしたちは、ゆかしい歴史と原子の火に生きる東海の村民です」という文章があって唖然としてしまった。「原子の火に生きる」という宣言の背景には、どうしようもなく腐り切ったような組織が存在している。この事実から目を背けてはいけないと思っている。


*臨界事故の画像検索をしていたら、こんなサイトが。

*悲惨な画像があるので嫌いな方は見ないほうがよろしいかと。

*YouTube・・・http://www.youtube.com/watch?v=pXxV8nDau4Q&feature=player_embedded

| - | 19:33 | comments(3) | - |
憲法問題
13-0528

連休所感でも少し書いたが、もういくらなんでも「日本国憲法」をきちんと読まなくてはならないゾと思い本を買った。


どの本がいいかわからないでいたのだが、先日の同窓会で会った元クラスメートがその後私のブログを読んでくれて紹介までしてくれたので、その本を読むことにした。たぶん、憲法関係の本は著者の憲法に対するスタンスにより解説などが大きく違うような気がするが、とにかく全文を読むことを目的としていたのであまり細かいことにはこだわらないで読むことにした。


読んだのは「見てわかる日本国憲法」で写真がかなり使われていて読む方が疲れないよう工夫されている。各章ごとに区切りを付ける意味もあるのかもしれない。


まことにお恥ずかしい話だが、この本を読む以前私が「日本国憲法」から連想することがらは「基本的人権」「戦争放棄」「象徴としての天皇」くらいなものだった。小学校から高校までの間に学ぶ機会はあったのだろうが、それから数十年経るとこれだけが残ったということか。こんな知識で憲法改正について云々できるはずもない。


一通り読んでみても、すべてがすっきりしたわけではない。しかし、なんとなく今現在の自分が取るべきスタンスはわかってきたように思う。それは条件付きではあるものの、現在の時点において改憲はすべきではないというスタンスだ。


とくに9条は変えるべきではないと思う。


・日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


近年、「強い日本」に対する安易な憧れが巷に蔓延しているような気がしている。「強い」とは、「武力」によって「強い」ことではないと思うのだが、諸外国の脅威に対して「武力」で対抗できることが「強い」とは絶対に思いたくない。戦争好きなアメリカという国の金魚のフンのような国にはなってほしくない。


また、96条についても非常に慎重な態度を持たねばならないと思っている。これは改憲についての条文だが昨今の投票率の低さを思う時、国民はさほど国会議員を信頼しているとは思えない。今の憲法では「総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し・・・」となっているが、この条件を緩めるのは非常に危ないように思う。


また、たとえ国会が承認したところで、それを国民投票にかけた時の条件がおかしいと思う。国民投票の過半数の賛成があれば改正できるとあるが、この「過半数」とは「有権者数」ではなく「有効投票数」なのである。投票しなかった人たちはいないに等しいという条件なのに、「国民の過半数」とはいえないだろう。


そんなこんなを思う時、改憲云々の前に、投票率を恥ずかしいレベル以上に上げることに注力してもらいたい。それとも、日本の国民は自分たちの生活はすべて人まかせでいいと思っているのだろうか?何もせず文句だけ言っていていいはずはない。

| - | 20:02 | comments(0) | - |
犬と猫と人間と2
13-0527

前作から4年。「犬と猫と人間と2」が61日から公開される。今回は震災後の動物たちを追ったもので前回の監督・飯田基晴さんがプロデュース、宍戸大裕さんという方が監督している。


前回は人間の都合で捨てられた犬や猫、今回は震災の被害を受けた動物たちを扱っているので、見るのに覚悟がいる映画だと思っている。私は動物が辛い思いをしているのを見るのが苦手で、下手をすると対象が人間の時よりも衝撃を受け落ち込む。だから前回も見ようか見るまいか悩んだのだが、監督の視線が優しくて見てよかったと思った。その監督のプロデュース作品なら、と今回も見る予定でいる。


予告編にもあるが、今回の震災で被害を受けたのは人間だけではない。多くのボランティアたちがペットを救援するために被災地に行ったと思うが、それでも一般的には動物たちは二の次にしか考えられていないような気がする。が、とくに原発事故においては、動物たちは人間以上に理不尽な被害を受けていると私は思っている。


そこで生きることになったのも、放射能の曝されることになったのも、人間ゆえのことだからだ。そして物言わぬ彼らだから、あるいは「商品」でしかないから、黙々と生き静かに死んでいく・・・そんな姿を人間はじっと見つめなければならないのではないかと思う。


先日「被爆の森から チェルノブイリの生態系」というDVDを借りてきて見た。動物だけでなく植物もまた人間同様被爆し、影響を受けているというのは当たり前のことだが、無人の場所での出来事は忘れられがちである。


そこで根気よく研究を続けている人々がいることを嬉しく思いつつ、その研究なつきつめたところ何のためなのかと・・・つまり究極的には人間のためなのかと・・・いう気持ちも正直言って頭を過った。が、ウクライナ人であるガシュチャクさん(博士)の姿を見ているうちに彼がいかに彼の地の自然を愛しているかが感じられ、そんな人がいることを素直に喜びたいと思うようになった。


日本において、被爆地での研究はどうなっているのだろう。チェルノブイリでは事故直後から25年以上経過してなお研究しつづけている人々がいるが・・・お粗末なことになってはいないだろうか?


●「犬と猫と人間と2」公式サイト http://www.inunekoningen2.com/

| - | 05:36 | comments(0) | - |
江ノ島に行ってきた
13-0526

先週、久しぶりに江ノ島に行ってきた。平日だがかなりの人出。江ノ電の「腰越」で降りて魚のフライ、コロッケ、ビールを買って海岸で食べ、江ノ島まで歩いていったのだが、暑くて暑くて!


江ノ島の楽しみはいろいろあると思うが、私の場合は猫に会うことと一時代前からあるような土産物をひやかすこと。洞窟や海はついでに見られればいいという程度だ。今回猫にはあまり会えなかったが(時間帯が早すぎた)、かなりツボにはまる「いやげもの」的な土産物を見つけることができたし、岩場の潮だまりで小さな生き物たちに出会えて楽しかった。


小さな潮だまりの中にウミウシの仲間と思われるものを発見し、干上がるとかわいそうなので大きな潮だまりに移したのだが、その時手の平の中で丸くなる姿がとても愛らしく貴重な体験だったと思う。


猫たちは表通りではなく裏道の釣りエサなどを売っている店がポツポツあるあたりに行くと会うことができる。表通りにいる猫は人馴れしていてのんびりしているが、裏の方にいる猫たちはやはり警戒心があり、あまり近づいてこない。近くまで来てくれれば嬉しいが、あまり人馴れしてしまうと危害を加える人間もいると思うので、少し離れたところから様子を見ることができればそれでいい。


それにしても江ノ島の貝殻を使った土産物は楽しい。写真のような動物や人形に「傑作」がある。買ってかえるわけではないので無責任に笑って見ているだけだが。今回は以前より欲しかったウニの殻を見つけたので3個買ってきた。最後の最後に寄った店にあった。粘り強く探してよかったと思う。


帰りは同行したSさんが以前行ったことがあるという魚屋の奥にある居酒屋へ。シラスおろしが絶妙。アナゴの天麩羅も豪勢。なかなかいい店なのでまた行きたいと思う。お土産に塩辛を買ってくればよかったなぁ。

| - | 16:59 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・“flowers”展<7>
13-0525
| - | 08:23 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・“flowers”展<6>
13-0524
| - | 11:19 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・“flowers”展<5>
13-0523
| - | 06:24 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・“flowers”展<4>
13-0522
| - | 11:50 | comments(0) | - |
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