CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2013 >>
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

Interior

日々の内側
copyright sumigon all rights reserved
素材至上主義?
13-0128

昨年同様、シーズンも終わりに近づいている今になって拙サイトun filの更新をした。もっと早く、との思いはいつも頭の片隅にあったが、それを実行するに足る気力がなかったという反省しかない。自分のこととして考えても、やはり秋冬物は季節に先駆けて10月くらいには見たいと思うのだ。それを1月も終わりになってから、というのはやはりだらしないことだと思う。


が、これを今年の秋まで持ち越すのはなんだか嫌なので、まあ見ていただけるだけでいいかなと思って更新した次第である。


un filは、趣味でやっているようなものであるから、実生活にまつわるあれこれ面倒くさいことや、くだらないかもしれないが関わらなくてはいけないことよりも優先順位は下である。これで食べていけるとは思っていないし、またそうするつもりだったら売り方や価格設定を大幅に見直さざるを得ない。が、そこまでやるつもりもないので、季節はずれの更新もまあ許容範囲ではある・・・といったら、いつも買ってくださっている方々に失礼だろうか。


それはともかく、売るつもりで作るという行為の難しさをいつも感じる。利益を頭に置けば、原材料費は可能か限り抑えなければならないし、それと真逆の方向でやるなら納得のいく素材を使って高額の価格設定をせざるを得ない。が、現実的にはその間のところで右往左往しながら算段することになろう。


物造りの基本姿勢として、私は自分が納得できる素材を使いたいと思う。惚れるにふさわしい糸や布たちは、それにかかわっている間ずっとなんともいえない豊かなものをくれるような気がしている。そして、その素材の価値は、見た目も大事だが最終的には風合い(=肌ざわり、触感)だというのが私の基準になりつつある。


今回作品として出したものを見ても、糸の発色の良さに惹かれて使った素材がいくつかあるが、その中でも終始いい気持ちで作れたものは触った感じが豊かな素材だ。色が気に入っても編み心地や出来上がったものの肌ざわりが今ひとつだと満足度はそこそこである。編みながら、「この感触はいいなぁ」と思える素材が私にとって一番よい素材であるような気がしている。


そんな素材に出会う歓び・・・それを忘れたくないな、と思った今日一日。

| - | 21:59 | comments(0) | - |
双葉町を思う
13-0126

東日本大震災で被害を受けた地域、人々の苦労は想像以上のものだっただろう。私のようにほとんど影響も受けず安穏と暮らしている人間が云々できることではないと思いつつ、それでもやはり福島は、特に原発近くの地域は特別だと思っている。


たまたま、震災がなかったら行こうと思っていたバラ園があったこと(過去形にするのが適切かどうか・・・)、オーナーにお会いする機会があったこと、などから双葉町についてはどうしても特別中の特別な思いを持っている。以前このブログでも紹介した「フタバから遠く離れて」という映画を観たことも、その特別な存在ゆえだったし、今に至るまでできるだけ双葉町に関する情報は得ようとしてきた。


少し前まで朝日新聞で双葉町を取材した特集を組んでいた。たぶん、被災地の中でも特異な存在であることはマスコミも注目したのだろう。役場機能もろとも遠く離れた埼玉に移した双葉町を「飛び出した町」として取材していた。たぶん、こんな自治体は他にはないだろう。


映画上映後、監督とともの登場した井戸川町長が辞職したというニュースが最近流れた。埼玉県加須市に避難した町民と福島県内いる町民との温度差がかなり大きいことは、新聞の記事で知り心配していた。もともとは原発推進派であった井戸川氏だからこそ、原発の恐ろしさもまた知っており、自らの反省と東電や国に対する憤りから中途半端な決断はできなかったのではないだろうか。義援金を断ったり、中間貯蔵施設についての話し合いの場を欠席したりしたのも、国や東電にうまく丸め込まれるのを拒否したいという気持ちが大きかったのではないかと推測する。


しかし、遠く離れた故郷で何がどうなっているのかわからない状況に苛立ち、将来への見通しがまったくつかないままでいる町民は苛立ち、ついには町長の不信任案を出すに至る。少しでも具体的なものを欲している福島在住の町民の気持ちも分かるような気がする。


傍観者であることを身にしみて感じている立場としてははっきりした意見など言えないと思う。どちらが正しくどちらが間違っているという問題ではないだろう。どちらにもそれぞれの理があり、心情的にも共感できることはある。


が、チェルノブイリのデータをプリントアウトして映画を観にきていた人たちに配った井戸川氏の思いが、結局のところ町民には届かなかったことはやはり残念だと思う。双葉町はこれから、どんな道を歩んでいくのだろうか。目を離さずにいたい。

| - | 19:34 | comments(0) | - |
記憶の海
13-0123

「記憶」というのは、不思議なものだと思う。すっかり忘れていたよう事をある日突然思いだしたり、忘れずにいようと思った事がなかなか思い出せなくてもどかしい気持ちになったり。自分の意識を超えたところに存在する不可思議なもの・・・それが「記憶」というものだろうか。


なにかきっかけのようなものがあり、忘れていた記憶が甦るということがよくある。ごく最近私はそれを経験した。


新聞の夕刊に三鷹の跨線橋についての小さな記事の見た時、記事に添えられていたいささか不自然に加工された写真を見た時、私は今の今までほとんど思い出さなかった記憶が鮮やかに甦るのを感じた。


当時住んでいたマンションから歩いて5分くらいのところにある歩道橋が「跨線橋」と呼ばれるものだったということを私は今まで知らなかった。ただ、電車の車庫と、JRの様々な電車が見下ろせる歩道橋として記憶の片隅に眠っていた場所だ。


記事によれば、この跨線橋は1929年に完成、とある。かなり古い橋である。思い起こせば階段の古びた感じがなるほどと思わせる。ただ、当時はそんなことは考えず、幼い息子と何度も上り行き交う電車を眺めたところだという思い出でしかない。


歩きはじめてから3歳になる直前までの息子を、私はこの跨線橋によく連れていったものだ。「あずさ」「かいじ」といった絵本でしか見たことがなかった特急がくると息子は大喜びをしたものだ。オレンジ色の快速電車。車庫で静かに急速している黄色い各駅車両。午前中や午後早い時間に行ったこともあるだろうに、私の記憶の中のその橋は、西日のあたる時間帯の橋だった。


公園デビューだとかママ友だとか、そんな言葉が流行する以前のことだったが、母親が置かれる状況というのは今とさほど違いはあるまい。同じ年ごろの子どもを持つ人たちと繋がりたいと思っている人は今も昔もいるだろうと思うが、私はあまりそんなことは考えなかった。


偶然出会った近所の数人とは仲良くなりはしたが、自分から積極的に求めたわけでもなく誰も遊び相手がいないような時は、2人であちこち歩き回ったものだ。そのひとつがこの跨線橋だったことを新聞の記事を見てなつかしく思い出したというわけだ。


今まで住んだところの中で、当時の三鷹(上連雀一丁目あたり)が一番好きである。武蔵野市に隣接し、中央線の北側に位置する唯一のエリアであり、古くからある農家や屋敷林がかろうじて残っていた場所。


自転車に乗れば小金井公園でも井の頭公園でも行けたが、歩ける範囲にもたくさんの公園があり、図書館があり、畑があり・・・記憶の海の中でひっそりと眠っていたあれこれが、ある日突然浮き上がり心を動かす。不思議なことである。

| - | 22:04 | comments(0) | - |
ミトン
13-0122

去年の今ごろ、ふと思い立ってミトンを2つ編んでネットショップに出してみた。売れるとはあまり期待していなかったのだが、年末近くになって派遣先で一緒に仕事をしている方がまず自分用にひとつ、続いてプレゼント用にひとつ買ってくださった。


「すごくあったかい!」と愛用してくれているのを嬉しく見ているうちに、自分用にも編んでみたくなり、気に入っている糸を使って編んでみた。このところ出かける時はこれを持ち歩いているが、なるほどあたたかい。


編みかただが、これは小学生のころ何とはなしに自分で発見した編みかたなのだが、だいぶ後になってからかぎ針編みの編みかたとしてちゃんと紹介されているのを見かけた。棒針編みに手を出すのはまだ抵抗があった小学生のころ、ゴム編みに近い編み地を作るにはどうしたらいいか考えているうちに発見したのだが、何のことはないちゃんとそんな編みかたが以前からあったわけだ。


編みかたには「細編み(こまあみ)」「長編み}などいろいろな名称がついており、私が発見したと思っていた編みかたにも名称があるのだが忘れてしまった。ゴム編みのように横方向に伸縮性があり、その分サイズに柔軟性が出ることが特徴。手の大きさは人により微妙に違うが、これなら誰にでも比較的しっくり使ってもらえる編みかたなのだ。


小学生のころは、編んでは友人にあげたりして自分用のものがあったのか、なかったのか。思い出すこともできないが、編みたいと思い、それを喜んで使ってくれる人がいればそれで満足だったように記憶している。


ところで、ミトンというのもは実用性という面ではちょっと不便なこともあるが、あたたかく、そして見た目がなんとなくかわいらしい。私のようないい大人でも、それを手に付けると童心に帰るというか、無邪気な気分になれそうな気がする。


2つ買ってもらったのに調子づいて、少し編みためてみた。できれば今月中にネットショップにアップしたいと思っている。写真はすでにお買い上げ済みのもの。

| - | 21:20 | comments(0) | - |
捨てることは難しい
13-0121

去年の暮れ、散らかし邦題の息子の部屋を整理しながら「遺品整理ってこんな塩梅なのかしら」とふと思った。私自身にとっては何の価値もないものでも、もしかしたら持ち主には意味のあるものかもしれないと思うと簡単に捨てるわけにはいかないし、かといって迷ってばかりだと仕事が進まない。


分別することだけでも面倒なのに・・・と内心ぼやきつつ、見ず知らずの遺品整理を請け負っている業者の人たちは何を考えながら仕事をしているのだろう、などと思った次第だ。


また、もし私がある日突然死んでしまったら、私の持ち物はどうなるのだろう・・・というか、整理する人は大変だろうなぁと思った。捨てることは苦手ではないはずなのだが、減らす量よりも増える量の方が多いため年々身の回りが窮屈になってきている。これはいかん!と思うものの、なかなかすっきりとした暮らしぶりはできないでいる。


「断捨離」という言葉が一時流行ったようだが、なるほどと思いはするものの実行に移すのはけっこう難しいものなのではないかと思う。モノに対する思い入れが強ければ必要がないと思いながらもなかなか捨てられないだろうし、その思い入れを断つことが「断捨離」なのかもしれないが物事はさほど単純でもないと思うからだ。


たとえば、私の身の回りには毛糸やら布やらがたくさんあって、生活スペースを脅かしつつあるのだが、毛糸や布というモノが欲しくて手に入れたというよりも、まず何かを作りたいという思いがあってそれを実現する材料としてそれらを入手している。思いをかなえてしまえばある意味それらは必要がなくなるわけだが、形あるものとして残っているのでおいそれとは捨てられない。


そこで、ささやかなネットショップで販売してみたり、プレゼントに利用したりするわけだがそれでも残るものは残る。それらをどうしようかと考えることさえ本当は面倒なわけで、もうこんなことするのはよそうと思わないでもないのだが、何かを作りたい、何かを知りたい、見たい、聴きたい等々そんな欲望があってこその人生のような気もするのだ。


そんな煩悩といわれても仕方のない気持ちをどこでどう整理するか、どこでどのように折り合いをつけるか。これからの課題はそんなところだろうか。

| - | 22:52 | comments(2) | - |
大島渚監督を悼む
13-0119

映画の観かたはいろいろあるようだが、「監督で選ぶ」という通めいた選び方を私はしない。が、興味を持った映画を観つづけているうちに、この監督とは相性がよさそうだな、と思うこともある。大島作品はさほど観ていないが、なんとなく相性が良さそうだと思っていた。


大島渚監督というと、まず頭に浮かぶのは「反骨」の二文字である。例の「バカヤロー」発言や「愛のコリーダ」裁判など体勢や社会的な一般常識に対する激しいほどのの反骨精神を感じる監督だったし、私はそんな態度が好きだった。


有名な「愛のコリーダ」はだいぶ後になって観た。それ以前に「愛の亡霊」を映画館で見て

夢中になり二度足を運び、その後もDVDで観た。もともと「刹那的」なものに心惹かれる私ではあるが、今となってはかなり穏やかになってきている。が、若いころは若いなりに惹かれ方も激しいものだったのではないかと思う。


閉鎖的な田舎で起きた殺人がからむ不倫騒動が描かれている映画で、原作は中村糸子原作の「車屋儀三郎事件」だということだ。若い男(藤竜也)と恋仲になった人力車夫(田村高廣)の女房(吉行和子)が男と共謀し夫を殺すのだが、その亡霊に悩まされ、果ては事件が露見して厳しい拷問を受けることになる・・・


何が私をそれほど惹きつけたか、今では実感として思い出すことはできない。ただ、愛ゆえに愚かしい行為に走った男女の業のようなものから目が話せなかったような気がする。また、当時40歳を超えていたと思われる吉行和子のきれいな肉体に心底驚いたことは記憶している。


その後、「戦場のメリークリスマス」「御法度」を観たが、「愛の亡霊」から受けたようなショックは体験しなかった。が、どことなく好きな監督だなと思っていたのだった。


若松孝二監督に続き、社会に向かって「NO!」と堂々と言える人がまたこの世を去った。闘病生活が長かったようなので、ご本人はもとより周囲の方々もある程度覚悟はされていたと思うので、その死への悲しみは静かな静かな悲しみであるように思われる。私も静かにご冥福を祈りたい。

| - | 20:29 | comments(0) | - |
落語が止まらない
13-0118

暮れから正月にかけて、テレビもラジオも見聞きすることなく落語ばかりを聴いていた。それがクセになったのか1月も半ば過ぎてもまだ聴きつづけていて、なんだか中毒になってしまったような落ち着かなさを感じている。


主にニコニコ動画やYouTubeが多い。これまでさほど利用してはいなかったのだが、この時ばかりはアップしてくれた人に感謝したくなる。CDを借りるといっても品揃えが貧弱だし、買うとなると馬鹿にならない。無料でこれだけ楽しめるとは!とがぜん見直しているところ。


聴いているのは、主に一昔前の「名人」と言われている噺家が多く、桂歌丸の「真景累ケ淵」にはまったのを皮切りに三遊亭圓生のそれを聴き、円朝の三大怪談と言われている「牡丹燈籠」「乳房榎」を何度か聴き、怪談からはずれて人情話に向かい、定番的な作品(?)である「文七元結」「紺屋高尾」「井戸の茶碗」などを複数の噺家で聴き、以前パルコの「志の輔らくご」で聴いて感動した「中村仲蔵」を圓生で聴き、立川談春の「九州吹き流し」を楽しみ・・・と、今のところ古典落語を思いつくまま聴いている。


落語を聴く楽しみはいろいろあるが、言葉を扱う仕事をしているせいか、今はほとんど使われなくなったけれど味わい深い言葉のいくつかに出会うこともそのひとつだ。「料簡」「本寸法」「姿がいい(悪い)」など気に入った言葉も多い。


また、登場人物の職業や出身、人間性を巧みに話わける話術の巧みさには舌を捲く。主に出て来るのは商人、武士、町人(職人が多い)、ヤクザ者などだが、それぞれに性格があり、田舎から出てきたばかりの奉公人の土臭い言葉や酔っぱらった時のだらしない話し方など多彩で飽きることがない。


一昨日も久しぶりにTSUTAYAでCDを4枚借りてきた。品揃えが物足りないので、今度は図書館あたりに手を伸ばそうかなとも考えている。

| - | 19:34 | comments(2) | - |
深い深い海には・・・
13-0115

これもまた先週のことになるが、沼津にある沼津港深海魚水族館に行ってみた。水族館好きとしては、マニアックな水族館があると聞くと一度は行ってみたくなる。


規模はさほど大きくないし、目玉がシーラカンスだということ(別名が「シーラカンス・ミュージアム」)もあり、今ひとつ満足はできなかったが、本でしか見たことがない不思議な生き物のいくつかを見ることができたので、やはり行ってみてよかったと思っている。


深海という過酷な環境を進化しながら生き抜いてきた生物には不思議なデザインのものが多い。気味悪いもの(ダイオウグソクムシがその代表か)、ユーモラスなもの、ちょっとかわいいもの(メンダコなど)、美しいもの(ウミウシの仲間など)など多彩だが、他者の目を楽しませるためでもなければ、利を得るためでもないのに魅力的なデザインだ。それが楽しく、面白く、心惹かれる。


深海だけでなく、地球上にはまだまだ私たちが知らない生き物がたくさんいるのだろう。それらのうちいくつかは知らない内に滅びていくのだろうし、あるものはある日突然発見されるのだろう。多様な生物が存在する星に生まれたということはなんと幸せなことであろうか。


帰ってきて、以前愛読していた「へんないきもの」(早川いくを)を思い出しパラパラと読んでみた。やはり面白い。また、買ったままじっくり見ていなかった「深海」(クレール・ヌヴィアン)も出してきてまじまじと写真を眺めている。うーん、面白い!


それはそうと、深海魚水族館の売店にはあまり他では見かけない深海魚やシーラカンスのぬいぐるみがいっぱいあった。欲しいものもいくつかあったが、そういうものばかりが増えていくのもナニなのでぐっと我慢した(^.^;)

| - | 17:52 | comments(2) | - |
山下清展
13-0114

先週になるが、日本橋三越で開催されている(といっても今日まで)「生誕90周年記念 山下清展」を観に行ってきた。百貨店で催される展覧会にはさほど期待していない私であったが、今回は内容も充実しており、かつ観覧料が比較的安かったのが意外なほどだった。


山下清は「裸の大将」「日本のゴッホ」としてよく知られている人だが、その作品をまじまじと観る機会は今までさほどなかったのではないだろうか。幼い頃の大病が原因で知的障害を負ったということだが、そういった人の特性としてたまに見受けられるように記憶力、集中力が常人のそれをはるかに超えており、細密な貼り絵はほとんど自宅に帰ってから制作されたものだという。


ランニングに短パン姿で放浪する姿が有名だが、実際は着物を着ていたようだ。が、天真爛漫、ごく気ままに各地を放浪する生活の中では、泥棒に間違えられたりもしたという。知的障害についても当時は今ほど理解もなく、辛い思いも多かったのではないだろうか。


だが、それを感じさせない画風や率直でユーモラスな言葉を残しており、今それらに触れても考えさせられることが多い。


展覧会では、少年期の作品から施設に入って急速に開花した才能あふれる作品、知名度を得てからヨーロッパに旅行し制作した作品などが展示され、それぞれの横に彼の言葉を印刷した小さなパネルが併設されていた。また、生前創られたテレビ番組だろうか、「清君は・・・」というナレーションで語られるフィルムも上映されていて興味深かった。


数々の作品の中でひとつを選ぶのは難しいが、やはり私は長岡の花火が一番好きかもしれない。以前、映画「この空の花」について書いた時にも紹介したが、戦争が嫌いな山下清がこよなく愛した花火の貼り絵である。有名な言葉に「みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだ」があり、「今年の花火見物はどこに行こうかな」が最後の言葉だったという。

| - | 15:55 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK 工場地帯<8>
13-0113
| - | 15:12 | comments(0) | - |
SPONSORED LINKS