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「ライブ・アット・騒」
12-1129

最近、本を読まなくなった。情けないことである。言い訳めいたことを言おうと思えばいくらでも出てきそうな気がするが、所詮それは言い訳。それなりの意欲があれば読む時間などいくらでも作れるわけで、言ったそばから自己嫌悪に陥りそうなので言わない。


そんな私ではあるが、珍しくいいテンポで読めた本がある。「ライブ・アット・騒」(騒恵美子著)だ。「騒」はがや」と読む。そしてそれは、著者が初台で7年間開いていたライブハウスの名前である。


副題に「阿部薫、鈴木いづみ、フリージャズメンとの日々」とあるように、そのライブハウスはジャズを中心としたミュージシャンが演奏を行った場だ。阿部薫、鈴木いづみについては以前にも書いたことがあるし、最近亡くなった若松孝二監督の「エンドレス・ワルツ」でも扱われていて、知っている人は知っている人たちである。


「伝説の」「天才」という冠をつけて語られることが多いアルトサックス奏者・阿部薫と

ピンク女優から作家に転身した鈴木いずみ。子どもまでもうけながら阿部の死によって断ち切られた関係は、なるほどドラマチックである。


が、この本に出て来る二人は自分の感性に正直でありつづけた著者の目を通して見た二人であり、今まで知ることのなかった人間性が垣間見えて興味深い。


それよりも、自分語りに終始するこの本を通して、騒恵美子というこれも稀有の存在が見えてくる。彼女は自分がいいと思ったミュージシャンしか出さなかったし、その基準は「音」のみであった。有名であろうが無名であろうが、「音」が気に入れば遠いところまで聴きにいったし、気に入らなければ客が増える可能性があろうとも店に出すことはしなかった。その頑固ぶりが見事である。昨年秋、癌で逝去されたのは実に残念だ。


この本を読み終えて、あらためて自分の人生を考える。様々な雑念や欲や体裁や見栄や・・・そんなものに惑わされてばかりの自分の生き方が嫌になりもする。が、それでもなお一度きりの人生なのだと思い、もう一度背筋を伸ばして気張らなければと思うのである。


| - | 20:39 | comments(0) | - |
芝浜聴き比べ
12-1127

先々週の土曜日、三遊亭遊馬さんの独演会に行ってきた。今回で3回目。


3つの演目の最後はなんと「芝浜」。少ないながらも私が知っている演目の中で最も好きなもののひとつに入るものだ。じっくり聴かせていただいた。


私が聴いたことが(実際に見られたらよかったのに・・・)は、古今亭志ん朝、柳家小三治、そして立川談志、のお歴々のものである。今回で4人目となるわけだ。


ご存知の方も多いと思うが、「芝浜」は魚屋夫婦のお話だ。腕はいいが酒好きが高じて商売を疎かにしている亭主と貧乏ながら家計を切り盛りし、亭主を立ち直らせようとするおかみさんの二人しか出てこない。この夫婦のやりとりが楽しく、時にしんみりとさせる。


なんとか亭主を河岸に行かせたと思ったら、慌てて帰ってくる。聞けば、一時早く起されてしまったので問屋が開くまで時間を潰そうと浜で一服していると波間にただよう財布を発見。拾って中を見てみると大金が入っているではないか。海で拾ったものは魚屋のもの!と亭主は大喜びし、もうあくせく働かなくてもいいとのたまい、燗冷ましの酒をあおってまた寝てしまう。


起きたと思ったら銭湯に出かけ、友だち大勢連れて帰ってきた料理や酒を大量に注文し、また酔いつぶれて寝てしまう。次に起された時、おかみさんの様子がおかしい。商売に行ってくれという。あんな大金を拾ったんだからもう商売なんぞしなくてもいいではないかと亭主がいうと、おかみさんはあきれ顔で(たぶん)何をお言いだ、そんなのは夢だ、という。


なにを言っているんだ!そっちこそ銭のことばかり考えているからそんな夢を見るんだ!と

のやりとりが続き、ついに亭主は夢だったのかと思うに至る。とするとさあ大変。料理や酒の払いをどうすりゃいいの。あたしゃ、知らないよ、とおかみさん。窮地に追い込まれた

亭主は心を入れ替え商売に励むと誓う。そのために酒をきっぱりやめると約束する。そして、その次の日から言葉通り熱心に商売に励み、もともと腕はいいので離れていった客ももどり、新たな客も増え、三年後には表通りに小さいながらも店を出せるまでになる。


そしてその年の大晦日。その年の仕事を終え、払いもすっかり済ませてくつろいでいる時、

おかみさんが見せたいものがある、と言ってかつて亭主が拾ってきた金を出してくる・・・


とまあ、そんな話なのだが、腕はいいがだらしのない亭主としっかり者のおかみさんの様子が手に取るようにわかり、掛け合いの楽しさも多く、時にしんみりもさせ、最終的にはいい夫婦だなぁと気持ちがあたたかくなるような話である。


演目としては長い方だが、演じる噺家によって差はあるし、夫婦の人間描写や話の細部はそれぞれ違っておもしろい。


談志の「芝浜」はいかにも談志らしい感じがするし、こじんまりまとめた志ん朝の「芝浜」もすっきりまとまっている。個人的には小三治の「芝浜」が一番好きだが、同じ噺家が何度も演じているだろうから、こればかりは誰のが一番いいと断言することはできない。遊馬さんのは正統派らしさが出ていたが、ちょっと物足りない感じがした。比べる方が酷のような気がするけれど。


落語の楽しさはいろいろあるが、同じ演目の聴き比べもそのひとつだと思う。次は何を聴き比べようかな?

| - | 22:16 | comments(0) | - |
猫に好かれるには・・・
12-1124

昨日に引き続き猫の話題を。


世の中には猫に好かれやすい人と好かれにくい人がいると思う。猫が嫌いな人はこの際除外して(猫は敏感に感じ取るので猫嫌いが猫に好かれることはまずあるまい)、猫を好ましく思っている人でも好かれやすい人とそうでない人がいる、ということだ。


もちろん私見であるが、猫はいわゆる「テンションが高い」人が苦手だと思う。喜怒哀楽がはっきりしていて、それを感じさせる人。静かに話していたかと思うと、大声をあげる人。荒っぽい動きをしたり大きな音を立てたりする人。そんな人たちが嫌い、というより苦手なのだと思う。


また、好きだという気持ちに任せてぐいぐいと近づいてくる人もどちらかというと苦手だろう。猫にとって自分の領域は聖域なので、無遠慮にそこに入ってこようとする者に対しては人間でなくても警戒する。自他の領域を守りながらなんとなく付き合えそうな相手の方が猫にとっては付き合いやすい相手のようだ。


私は比較的猫に好かれやすいが、それは私のテンションが平均的に低いからではないかと思っている。覇気がない、「気」が薄い、ともいえる。テキパキ動けないのであまり音は立てない。気配を感じるのが好きなので、あえて近づいて触れようとしない。そんな性質が猫向きなのではないかと。


わが家には猫が3匹いるが、一番年下の「まめこ」は3匹の中では異色でとても臆病だ。子猫の時、雨の中で啼いているのを家人が見つけ、一緒に様子を見に行って私がつかまえ家人が抱いて帰ってきた。よほど怖い思いをしたのだろう、音に対する感覚は驚くほど鋭い。スーパーの袋からものを出す時のガサッという音も大嫌いでさっと逃げていく。人間より猫に対してのほうが警戒心が少なく、うちに来てから長い間人間には「なつかない」猫で

あった。


が、いつだったか忘れたが知らない間に私に対してはフレンドリーになってきた。なでろと鬱陶しいくらい啼いたり誰もいない時(これがいかにも「まめこ」らしいのだが)は膝の上に乗ってきたりする。最近は長居はしないものの時々布団の中に入ってきたりもする。


一方家人に対しては警戒心を解かない。嫌いなのではなく、どこか怖いと思っているのではないかと思う。手がかろうじて届く距離ならかなり甘えた仕草もするのだが、それ以上近づくとさっと逃げる。思わせぶりな憎い態度で、男性はこういうのに弱い。募る思いが受け入れられないとさらに夢中になる。するとさらに警戒される。自分を見つけ、抱いて家まで

連れてきてくれたというのに「まめこ」はつれない女なのである。


私は最年長のゴンに思い入れているので、他の2匹に対してはおざなりとはいわないが特別な気持ちをこめた態度に出ない。それが「まめこ」にとっては気楽なのかもしれないし、猫の気まぐれで「もっと自分をたいせつにしろ」と思わせるのかもしれない。


「まめこ」が一番好きなのは何といっても「ゴン」で、一緒に寝ている顔は幸せそのもの。思えば「ゴン」はメスたちにあまり思い入れず、どちらかというと冷たい態度を取るのだが、それがいいらしいのだ。「ゴン」の次は私かな?


とはいえ、最近は少しずつ「まめこ」と家人との距離が縮まってきているように思う。徐々に家人の「熱い思い」が通じてきたのか、単に慣れてきたのか(といっても家に来てすでに8年が経過)、先日は布団の中に入ってゴロゴロいっていた。少しずつでもいいから仲良しになってくれればいいなと思っている。

| - | 04:59 | comments(0) | - |
なつかない猫
12-1123

自分語りはやはりどこか感じ悪いな、ということで当分の間はやめておくことにする(何を書いても結局自分語りなのかもしれないが)。


中島みゆきの作品に「なつかない猫」という曲がある。中島作品の中ではさほど愛着がある歌ではないが、歌詞がおもしろい。おもしろいというよりも、さすが中島みゆきだと思わせるものがあって時々聴いてみる。


この歌は、なつかない猫とそれをなつかせようとしてコインを差し出しあれこれ苦労するが結局は従わせることができない男を歌ったもの。猫とコインは比喩だろう。なつかない猫は男に阿ることのない、男から見れば可愛げのない女。コインはなつかせるための罠。そんなところだろうか。猫をおびき寄せるところまできた男はコインを差し出すが、猫は手を出さない。その後の歌詞が揮っている。


こらしめなけりゃ気持ちが晴れなくなった男たち

なつかなかった罰だけを与えようとむきになる

湖よりもはるかに鎮まりかえった瞳で

猫は見てる 男たちをコインたちを


なるほどな、と思う。すべての、とは言わないが男性には誰かを(動物でも人間でも)をなつかせよう、従わせようという本能があるように思われるからだ。そして手練手管を用いてもなつかなかったとみるや、逆ギレしたかのようにこらしめようとする・・・そんな様子を微かな軽蔑を秘めて静かに見つめるのは女性たちである。女性たちの中には、そういった男性の性質を利用してなついたフリをし、利用するだけ利用してさっさと離れていく人たちもいそうだ。あっけに取られた後我に返り罵詈雑言をはいてみたところですべては終わっている・・・ような気がする。


まあ、見ようによっては単純でかわいいとも言えるわけで、そう思って多めに見ている寛大な女性方もいるだろう。いずれにしろ、女性の方が一枚上手かなとは思いますね、やっぱり(^.^;)

| - | 23:55 | comments(0) | - |
インナー・スキャン〜自分の体を分析する
12-1122

あまり使わないので不便さもさほど感じていなかったがヘルスメーターの調子が悪くなっていた。最近あちこち具合が悪くなるので、体脂肪率だけでなく推定骨量や内蔵脂肪などを計れるものが欲しいと思っていたところ、楽天のポイントが予想外に貯まっていたことがわかり注文することに決定!タニタのインナー・スキャンBC569というヤツがわが家にやってきた。


簡単だと思っていたのに登録やらデータの保存やらであたふたしてしまった。どうやら最新機器に対応する能力も鈍ってきたらしい。情けないと思いつつ、なんとか計ることができ、さて自分の体はどうなのだろうと分析するに至る。


たぶん定期的に計らないので意味はあまりないと思うが、覚書として記しておく。身長、体重はこの際割愛するとして・・・


BMI・・・14.6(やせ)

体脂肪率・・・6.9%

筋肉量・・・34.4kg(少ない)

推定骨量・・・2.2kg(平均内)

内蔵脂肪レベル・・・1.0(9.5以下が標準なので標準?)

基礎代謝量・・・985(多い)

体内年齢・・・41歳(若い!)

体水分率・・・61.6%(やや多い)


うーん・・・うーん・・・体脂肪率だけ見ればアスリート並だと思うが、少なすぎて心配である。免疫力がなくなり病気になりやすいのではないだろうか。筋肉量が少ないのは運動らしい運動をしていないので当然だと思われる。内蔵脂肪のレベルは少なすぎるのかこれでいいのか今のところわからない。基礎代謝が多いというのは、他の数値から見て手放しで喜べるものでもないような気がする。


おぼろげながら見えてきた課題は、まず運動して食欲を増進し摂取量を増やして筋肉量を増やすことか。筋肉量が増えれば体脂肪率がさらに下がる可能性もないわけではないが、これは様子を見ながらでないとわからなそうだ。骨量はもう少し増やす努力(運動と栄養)をしつつ、骨粗しょう症の検査もしつつ様子を見なければならないだろう。あとは・・・


いろいろ考えたがなかなか難しそうだ。運動したとして、果たして今より食べられるようになるのだろうか。脂肪分が多いものを年々受け付けなくなってきている食の傾向を変えることができるのだろうか。と、気分はあまり明るくないが、まだまだ長生きしたいので少しずつでも努力したいと思っている。


ついでながら、とほほなことを。手に入れた機種はSDカードが使えるもので、データ管理に便利だと思っていたのだが、私のアプリケーションのバージョンが古くて使えず・・・計ったらいちいちメモしなくてはいけないみたい。やれやれ・・・

| - | 21:17 | comments(0) | - |
太ってる?痩せてる?
12-1120

派遣先で時々一緒になる若いスタイリスト(見習いか?)が「炭水化物抜きダイエット」というのを続けている。なんでも、炭水化物さえ食べなければ他は何でも、いくらでも食べていい、という方法らしいのだが、どうにも不自然である。小さなボウル1杯くらいはあるサラダや唐揚げを平らげながらも炭水化物だけは親の敵のように食べない姿を見ていると、なにか痛々しい感じがする。


周囲は彼女より年上ばかりで遠慮というものを知っているから何も言わないが、身体によくないだけでなく懸命の努力も無に帰するのではないかという危懼を感じていそうだ。その方法を信じて疑わないように見える若き女性に向かって「そんなの無駄!」とか「効果ないんじゃない?」とか「リバウンドするよ」とかそんなことをはっきり言える人はなかなかいないだろう。


痩せたいという女心については多くの人が寛大である。「太っているね」「太ったね」という言葉を面と向かっていえる人は少数派だろう。太るには太るだけのことをしているのだと思われることがあっても、それをはっきり言うなどということはなかなかしない。


しかし、痩せていることについてはみんな鈍感だと私なんぞは思ってしまう。「痩せたね」と言われればみんな喜ぶと思っているとは思わないが、なぜ痩せたのか、痩せているのかなどは全く考えずに口にする人が多いのではないだろうか。痩せていることを悩みとするのは贅沢だという理不尽な偏見のようなものがあるように思われることもある。


だいぶ昔になるが、外国では痩せていることについても安易にコメントしないという話を聞いたことがある。なぜなら、痩せた理由が病気である場合もあるだろうし、不幸な出来事があって食事が咽喉を通らず痩せた場合もあるからだ。本人が望んで痩せたとは限らないことを考えると、「太った・痩せた」という外見についてコメントするには慎重になるべきだというわけだ。もっともなことだと思う。


痩せていることを気に病んでいる人は、太っていることを気に病んでいる人より数の上では少ないだろう。しかし、実際そんな人が私を含めて存在するのである。「痩せてるね」と言う人の多くが悪気なく、あるいは羨望の気持ちを持って発言しているのかもしれない。それがわかるからこの問題は悩ましい。


先日派遣先で「すごく痩せているけど大丈夫ですか?」「ペラペラですよ」といきなり言われた。顔は知っているが話をしたことがない人で、悪気がないことは百も承知である。「ちゃんと食べてますか?」と言われて苦笑しながら(ペラペラなんてコピー用紙みたいなこと言うなー、と思いつつ)「食べてますよー」と答えたが、正直なところ食べたくても人並みに食べられていないというのが現実である。


あまり神経質にならず、食べたい時に食べたいだけ食べればいいのだと自分に言い聞かせてはいるが、親兄弟や友人からだけでなく、初めて言葉を交わす人からも言われたにゃ・・・情けなくて泣けてきますわ。


痩せている人に対しても太っている人と同じとはいかないまでもある程度のデリカシーを持ってくれないかなぁ、と思う今日このごろ。

| - | 23:19 | comments(0) | - |
秋に生まれて
12-1119

先週の土曜日は前夫の一周忌だった。早いものだ。とくに何もしなかったが、一年前のことを思いだし心の中でやすらかな世界にいることを祈った。


前夫は10月生まれである。そして誕生日から1カ月もしないうちに他界した。秋に生まれて秋に死ぬ。そんな人生だったなと思っていたら、私の周囲には10月生まれがけっこういることに気づいた。


以前何かの折に書いたことがある高校時代の同級生で自死した彼も10月生まれだった。そして、亡くなったのがいつだったか記憶にないのだが、校庭でコスモスが咲いていたことだけは覚えているのでやはり秋だったのだと思う。


10月は暑さも去って気持ちいい陽気の日が多い。湿度が低くなって、空気に透明感が増していく。生まれるにも死ぬにもいい季節なんだな、などと妙なことを考えた一日であった。

| - | 20:05 | comments(0) | - |
大人のおしゃれ
12-1118

ファッション雑誌を買わなくなって久しい。雑誌全般も滅多に買わないが、若いころは何冊も買っていたファッション関連の雑誌はほとんど買わない。美容院に行った時、そこにあるものをパラパラと見るだけで自分で最後に買ったのはいつだったかも思い出せない。


が、時々本屋に行った時に手に取ることはある。どうやらここ1〜2年の間に「大人のオシャレ」関連の雑誌が数冊発行されているようなのだ。クロワッサンなどで時々特集していたと思うが、所謂マダム風(たとえば家庭画報など)ではなく、より一般的な視点というかどちらかというとクロワッサンの流れを組むと思われる内容の雑誌だ。


私くらいの年齢になると好みは決まってくるのであまり参考にならないかな、と思ったがそうでもない。買うほどではないにしても、考えるヒントにはなる内容がちらほらあることに気づいた。


これらの雑誌はたぶん40代以上の女性をターゲットとしている。そして顔も身体も若いころに較べたら多かれ少なかれ衰えていること、逆にそれなりの社会経験を積んで大人の女性の魅力がある年代であること、などを考慮して、「若作り」ではなく「若々しい」あるいは「魅力的に見える」コーディネートのコツを紹介している。


私も勘違いしがちなのだが、体系的にはなんとかセーフ!な洋服も、顔のことを考えないと着た時におかしい感じがする。トレンドを取り入れるにしてもさりげなくやらないとおかしなことになる。精一杯気張ったつもりでも(私は面倒なのであまり気張らないが)、逆効果で老化を目立たせてしまう結果になっているのをよく見かけたりもする。


スタイルがよく見えるとかカッコよく見えるとか若く見えるとか、ではなく、やはりその人らしい「雰囲気」が感じられるコーディネートが板につけば万万歳なのではないか、というのが私の結論。また、何を選ぶにしても選択意図がミエミエなのはよろしくない。あくまでも、さりげなく。しかし、あまりラクしない。そんなところだろうか。が、これがなかなか難しく、日々精進なのである。


あと、個人的に思うのは、靴だけはある程度いいものを履いた方がいいということ。手ごろな値段のものを着ていても靴さえちゃんとしていればある程度ちゃんと見えそう。逆に、いくら高価なものを着ていても、靴が安っぽいと全体的に安っぽく見えてしまいそう。


うーん、大人のおしゃれはなかなか難しく、だからこそ楽しいものなのである。

| - | 21:33 | comments(0) | - |
ムートンブーツ
12-1116

寒くなってくると、街ではムートンブーツを履いた女性の姿をよく見かける。あの人も、この人も、といった感じで誰も彼もがムートンブーツ(フェイクを含む)を履いている。確かにとても温かいし履きやすいので、このムートンブーツブームには頷けるものがあるにはある。


かく言う私も2足持っている。去年まではもう1足持っていたのだが、質が悪かったのかへたれてきたので処分した。今あるのはキャメル色のショート丈のものと黒に近いミドル丈のもの。ミドル丈の方は表側はツヤ加工がしてあって普通みかけるスエードっぽい風合いとは違う。


キャメル色の方は、今年から普段履きにすることにした。家の周辺に買い物などに行く時に履くだけで電車に乗るような外出時には使わない。何故そうしたかというと、あまりにもありふれていて気恥ずかしいということもあるが、街でよく見かけるタイプを履くにはちょっと年齢的に無理があるというか・・・もっとはっきり行ってしまえば、自分の年齢を考えると子どもっぽい感じがするからだ。


ムートンの温かさや質感は好きだ。が、みな同じようなあのデザインにどうも抵抗を感じてしまう。もう少し工夫したデザインのものなら欲しいと思うのだが。


そういえば、以前息子とムートンブーツの話をした時に、あまり好きではないと言ったのを思い出した。息子と同年代の女の子ならムートンブーツ姿も可愛らしいと思ったのだが、ラクしているようで嫌だとのこと。確かにあれは履いていてラクだ。たぶん息子のファッションについての価値観は「ラク」することより「カッコつける」ことなのかもしれないな、とその時は思った。


しかし、今にして思うと息子の意見もなんとなくわかるような気がする。ムートンブーツさえ履いていれば冬のスタイルはOK!のように見える女性たちがけっこう多いことに気づいたのだ。なるほどなぁ、もしかしたら息子はこういうのが嫌だったのかな、と。


巷に溢れているムートンブーツとはおさらばしたが、ブーツそのものは大好きである。今年はちょっとお高いヒール付のものを買ったのでいつ履いていこうかと楽しみにしている。

| - | 21:12 | comments(2) | - |
タートルネック
12-1114

朝晩はけっこう冷え込むようになってきた。その冷え込み具合のどこか凛とした気配に心惹かれて「やっぱり寒い方がいいなぁ」と思う今日このごろ。が、やはり寄る年波、肉体の方はそれなりに衰えてきていて、いくら気分的に寒いのがいいといってもそれなりの対策を必要としている。


もともと首が弱点ということもあり、寒さを感じ始めた頃から首はできるだけ何かで覆って保護することにしている・・・というか寒くなくても(真夏でも冷房というものがあるので)所謂巻物で首を覆っていることが多いのだが、秋冬の頼もしい相棒は何といってもタートルネックのセーターである。


私の周辺にはこのタートルネックが嫌だという人がけっこういる。曰く「チクチクして嫌だ」「首が締められているようで苦しい」「暑苦しい」などなど。わかるような気がするが、私はそのような人とは逆に首が露出していると不安感を感じてしまうのだ。


チクチクする、というのは確かに不愉快である。これは私にも経験があって、ウール素材のタートルだとチクチクしやすい。だから一時は真冬でもコットンのものしか身に付けなかったこともある。が、コットンでなくてもシルクやカシミアならチクチクしないことを知り、以来手ごろな価格の(ユニ○ロなど)のものを愛用するようになった。


また、カシミアでなくても、質のいいウールのハイゲージニットであればチクチクしないこともあることを知り、こちらにも期待を寄せている。が、まだまだ課題はあるのでった。


素材面では何とか期待できるものが増えた。が、デザインは・・・なかなか難しい。たがかシンプルなタートルネックセーターというなかれ。私が問題とするのはタートル部分の長さなのでる。


日本人は平均的に首が短いのであろうか。たいていのタートルネックは衿部分の長さが足りないのだ。二つ折りにして着ると首の上の方が出てしまう。それが不満。顎のすぐ下まで来るくらいの長さが好きなのに、そのようなものは滅多にないことに気づいた。


諦めて折り返すのをやめ、折らずに「くしゅくしゅ」とたるませる着方をしていたこともあったが、折らないと当然一重なわけで寒い。しかも素材によっては「くしゅくしゅ」とさせた形が妙に落ち着かない。やはり基本はきちんと二つ折りにすべきである、と思うものの長さが・・・


ネットなどで調べてみると、私が理想的だとする長いタートルネックのセーターもないわけではない。あるにはある。しかし、知っている限りでは輸入品か国内ブランドでも高価なものが多くて私がおいそれと手を出せないものばかりだ。


タートルネックのセーターは冬のユニフォームのようなものであるから、使用頻度も高い。だから、数枚は欲しい。だから、そんなに高価なよそ行き価格のものは買えないのである。

そんな悩み(大げさ)をかかえて悶々としていた(さらに大げさ)時、いいものを発見した。ほぼ私が求めていたもので、しかもリーズナブル。なんでリーズナブルかというと、たぶん有名メーカーではなく広告宣伝費をあまり使っていないからだと思われた。


素材は「キャッシュウール」と呼ばれる長い繊維の羊毛でイタリアのゼニア・パルファ社のものだ。細く、長く、柔らかく、毛玉ができにくく、発色がいいと言われているようで多いに期待し、早速注文してみた。価格は某有名ブランドの定番タートルネックの約1/3。しかも、期間限定のお試し価格ということでさらに値引きされていた。しかもしかも、国産である。


届いたものは想像していたものとほぼ合致するもので満足。しかも(しつこい!)売り物のキャッシュウールで作ったと思われるカラフルな袋に入っており、同じ型の色見本(印刷ではなく実物の編地)まで同梱されていた。これならネットでは分からない微妙な色もわかり、注文するのに便利である。コツコツと真面目にいいものを供給しようとしている

姿勢が感じられて好感度大!であった。


ということで、今シーズンのタートルはその会社のもので決まり!となりそう。もっと寒くなったら、タートルの上から肌ざわりのいいウールのストールをぐるぐる巻いて元気にお出かけするのだ!と、膝の痛みがなくなって妙にハイになっている私は息巻いているのであった。


| - | 22:15 | comments(0) | - |
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