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日々の内側
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高齢者の横暴
12-0731

今日は仕事で某有名ベテラン歌手のコンサートに行ってきた。仕事でなければ自分からは決して行くことがないであろう場ではあったが、それゆえどんな経験ができるのか楽しみにして。


キャリアは今年で48年ということだから、立派な大御所である。もちろん、歌は上手い。また、様々な楽器を弾きこなし新しいジャンルへの挑戦にも積極的だと聞く。いわゆる演歌歌手、あるいは歌謡曲を歌う歌手として認知されている人だが、ピアノも弾けばコットンクラブでライブもこなすらしい。


一番驚いたのは、午後2時からはじまった昼の部が終わったのが午後4時過ぎで、小一時間休んでまた夜の部をこなす体力だ。途中トークやゲスト出演を少しはさむが、ほとんど歌いっぱなしである。しかも、弾き語りでさらりと歌うというような歌い方ではないので、1曲歌うだけでもかなりのエネルギーを消費しそうなのに。還暦をとうに過ぎているとは信じがたい。


もうひとつ驚いたのが、観客として着ていたファンの元気さ・・・を通り越して強引さ・・・も通り越してどこか横暴な雰囲気さえ感じさせるエネルギーである。


コンサートが終わると握手会が予定されているのを知っているのか、最後の曲を歌い終わる前にバラバラバラと席を立つ。終わり近くに設けられた花束やプレゼントを渡す時間にはステージ裾にわらわらと群がる。握手会では握手した手を放さずに係員にひっぱがされる。ケータイ写真はNGだと言われているのに強引に撮りそうになり、止められると食ってかかる・・・いやはや、凄まじいものなのであった。ファンのほとんどが高齢者。高齢者恐るべし!


ファンであるなら、握手会の列の先頭に並ぶよりも歌を最後まで聞くのがマナーではないのか、とも思うが、歌手ご本人は慣れっこなのかもしれない。


そういえば、電車の中でのケータイマナーについても、中高年の横暴が目立つ。一昔前は若者のケータイマナーの悪さが取りざたされたが、今やもっぱら目立つのは高齢者。マナーモードにせず、大きな音量で呼び出し音を鳴らすばかりか、平気で電話に出て長々と話したりしている。「今どきの若者は・・・」ではなく、「今どきのジジババは・・・」と言われても仕方ない。


握手会に殺到するババさんたちの群れに翻弄された私としては、静かに「自分はああはなるまい」と思うのみである。闘っても勝ち目はない。おお、こわ!

| - | 23:25 | comments(0) | - |
南桂子の銅版画
12-0729

先週、水天宮駅近くにあるミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションに、南桂子の銅版画を見に行ってきた。数年前まで毎月のように通っていた撮影スタジオにも近く、以前からその存在は知っていたが入ったのははじめて。


南桂子については全くといっていいほど知らなかった。テレビの美術番組で取り上げられていて、なんとなくではあるがかつて見たことがあるような、なつかしさを覚え見に行くことにしたのだった。


南桂子の銅版画は静まり返っている。よく登場する少女はみな同じ顔をしている。髪形や服は若干違っていても、顔はいつも同じ。大きな切れ長の目の無表情な少女だ。作者自身の分身かもしれない少女は、ある時は犬や猫を抱き、花束をかかえ、遠くを見つめ、羊を連れて歩いている。そしてその画面は時間が止まってしまったかのように静かだ。風さえ吹くのを忘れてしまったように。ただよっているものがあるとすれば、それは「詩情」という言葉でしか表せないものなのかもしれない。


作者は裕福ではあるが幸せではなかった結婚生活を捨ててパリに渡り、その後晩年まで日本に帰ることなく、ただひたすら仕事に打ち込んだ女性であったらしい。85歳で帰国し、2004年、93年の生涯を閉じた。

 

手元に作品集「ボヌール」があるが、巻末に谷川俊太郎と朝吹登水子が詩や回想を寄せており、たぶんパリで交流があったのだろうと思われる朝吹が伝える南桂子の言葉が印象的だ。


「・・・私の願いは、精神的にも肉体的にも、一切の煩悩を捨てて仕事だけに生きること、あらゆる欲望を断ち切ることなの・・・」


これは並々ならぬ決意である。また、伝えられる彼女の生き方は、その言葉通り一途で一貫している。そのような生き方を選んだ人は孤独であったろうし、その孤独から生まれたものがあのような静寂であったといえるのではないだろうか。決して派手ではないが、見ているうちに画面の中に引き込まれてしまいそうな力がその作品にはあると思う。


今回の作品展は明後日で終わりだが、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションは浜口陽三と南桂子の作品を収蔵しているので、数点はいつでも見られるのかもしれない。

| - | 17:40 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・ENJOY SUMMER!<6>
12-0728

オールシーズン楽しまれているようだが、やはりウインドサーフィンには夏が一番よく似合う。
| - | 08:40 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・ENJOY SUMMER!<5>
12-0727

夏祭りの喧騒から離れて、少女たちは海を見る。ぽつりぽつりとおしゃべりしながら。
| - | 21:05 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・ENJOY SUMMER!<4>
12-0726

男の子たちはいともたやすく単純な遊びに夢中になる。それでいいのだ!単純なものほど、奥が深いのだから。
| - | 09:41 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・ENJOY SUMMER!<3>
12-0725

人影まばらな浜辺で、少女は何を見、何を思うのか。
| - | 20:02 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・ENJOY SUMMER!<2>
12-0724

みんなが思い思いに海を楽しんでいる中、仕事をしている彼ら。たぶん監視員なのだろう。ウインドサーフィンと海水浴客がニアミスしないよう、おしゃべりしながら見張っているようだ。時々若い女の子の水着姿に目を奪われても、まあ、それくらいいいよね!
| - | 18:52 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・ENJOY SUMMER!<1>
12-0723

若いっていいな、と素直に思えるようになった。彼女たちはまっすぐに夏を楽しんでいる。
それが眩しく、羨ましく、そしてステキだと思う。
| - | 20:16 | comments(0) | - |
オリンピックなんて・・・
12-0722

もうすぐロンドンオリンピックが始まる。全くといっていいほど興味がないのでどうでもいいのだがそれなりに耳に入ってくるのが鬱陶しい。スポーツそのものが嫌いなのではない。各競技に望む選手たちの精神力には圧倒されることもある。


私がいやなのは、オリンピックにまとわりつく「馬鹿騒ぎ」ぶりだ。あるいは、オリンピックに興味がないなんて、あるいは日本を応援しないなんて、非国民なんじゃないの?とばかりに言いたげな一部の空気である。ま、「非国民」なんぞという言葉も今や死語に近いが。


昨日聞いていたTBSラジオの「久米宏のラジオなんですけど」が面白かった。昨日のテーマは「オリンピックなんて嫌いだ!」で、アンチ・オリンピックの声をいろいろ紹介していて、いちいち頷くことが多かった。


中でも印象的だったのが、かつての東京オリンピックの時に失われてしまった東京の風景について寄せられた意見。今の日本橋(エリアではなく橋)の真上を通る高速道路に代表される、「江戸情緒」を残す風景がことごとく破壊されてしまったという無念が簡潔に記されていた。


たった2週間あまりのお祭りのために、長い年月を経てかろうじて残されてきたものたちが失われていく。日本人は自分たちの文化を大切にしない民族だとはわかっていても、もう二度とそんな状態を見たいとは思わないので、東京への誘致は断固として反対だ。


「参加することに意義がある」と言われた時代は遠い。様々な思惑がてんこもりになった「祭典」である。感動することは悪いことではない。が、やはりこれはひとつの「お祭り」であることを冷静に受け止めた上で感動してほしいように思う。


ましてや、今はオリンピックに夢中になっている時ではないようにも思う。原発問題、オスプレイのこと、など深刻な問題が山積みなのだ。浮かれさせておいて国民の注意をそらそうなどという情報操作がないとはいえぬ。


しばらくは、あまりテレビのスイッチを入れない方がいいかな、と思う今日このごろである。


*「ラジオなんですけど」はゲスト(スポットライトにて紹介)が面白い。

| - | 22:30 | comments(1) | - |
同じ星に生きる者として
12-0721

先日、外から帰ってきた家人が「妙な虫がいるぞ!」と言う。蝉のようだが蝉でもなく、見たことがない虫だとのこと。けっこう遅い時間で私もそれなりにほろ酔い状態だったので少し面倒ではあったが、熱心に誘う言葉に従って見に行ってみると・・・いやはや、本当に見たことがない珍しい虫が、玄関脇の外壁にそっととまっていた。


羽は枯れた木の葉のようで、角に似たかたちのものが頭の先についている。じっとして動かないので写真を試みたがストロボのない私のカメラでは感度を640まで上げてもブレブレであった。残念。


後で調べてみると(こういう時は検索能力がモノを言うのよね!)、アケビコノハであることが判明。名前の通りアケビを食草とする蛾で、前翅の長さが50mmほどにもなる大型種とのことだ。静止時には後翅がほとんど見えず、枯葉そっくりの擬態となる。私が見たのはその姿だ。


そういえば、道を隔てた市民の森の林縁にはアケビがけっこうある。が、今までこんな虫は見たことがなかった。たぶん生息しているのだろうが、気づかなかっただけだと思う。朝もう一度見たかったがすでに飛び去った後であった。残念!


その少し前には、やはり家人が呼ぶので見に行ってみると、外階段にナナフシがいた。頼りないくらい細い身体で、そのままにしていたら子供たちにつかまるか誰かに踏みつぶされてしまいそうなので、そっとすくい上げて踏まれそうもないところに放した。今でも生きているといいのだが。


今少し前、上階から仕事部屋(最近仕事に使っていないなぁ)に戻ってみると、エアコンの影に何かの気配が。そっと見てみると、ヤモリだった。私はヤモリが大好きなのだが、驚かすと悪いので知らんぷりしていたら、姿が見えなくなった。家の中にいてくれるといいのだが。エサになるような虫が部屋の中にいるとは思えないが時々姿を見せてくれたら嬉しい。


虫にしても爬虫類にしても嫌う人が多いが、生理的にダメというのはどうしようもないと思いつつ、同じ星に生きる者としてその存在を認め、できるだけ命を奪うようなことはしたくないと私は思う。それでなくても、いろいろな生き物の命をもらって生きているのだから。


写真は先日鎌倉で見つけたRASOXショップの裏。ほんの小さなスペースではあるが、KDPという捨てられた犬たちの保護活動をしている団体のPRチラシと募金箱があった。人間は地球上で最も罪深い生き物だという考えは変らないがこうした活動をしている人たち、とくに若い人たちがいるというこは一縷の望みであるように感じる。

| - | 22:32 | comments(0) | - |
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