3.11東日本大震災から296日目
年々季節感を感じなくなり、暮れの慌ただしさも新年の清々しさも「なんとなく」しか
感じることがなくなってきた。それでも2011年は過ぎようとしている。
カレンダーや手帳のレフィルは変ったが、私たちの日々は途切れることなく連綿と続いて
いる。年が改まったからといって何かが変るわけでもない。そしてだからこそ、自分自身
の中で区切りをつけていこうとするのだろう。
あの大きな災害以来、いろいろな人がいろいろな事を言い、その中から「絆」という言葉
がぽっかりと浮かんできた。「今年の漢字」に選ばれ、復興応援プロジェクトの名称になり、果てはひらがな表記ではあるが新しく立ち上げた党の名前にもなった。
唯一無二のキーワードのように、人の心を勇気づける特効薬のように、前向き姿勢の象徴
のように、「絆」という言葉が一人歩きしている・・・ように私には見える。
語源を調べてみれば、もともとは犬や馬をつなぎ止めておくための綱のことを指し、転じて
人と人を離れがたくしている結びつきを意味するようになったという。それならば、「絆」と「枷」は表裏一体であり、決していい意味だけを持つ言葉ではないと思われる。
また、たとえいい意味にとらえたとしても、それは一朝一夕に築けるものではあるまい。ある時は喜びあい、ある時がいがみあい、妥協したり共鳴したり嫌いになったり好きになったりの長い年月を経てはじめて作られるものなのではないだろうか。そしてある日ふと、その存在に気付くような・・・そんなものなのではないだろうか。白けた気分になっているのは、天の邪鬼な私だけではないような気がするのだがいかに。
さて、気休めの安易なスローガンはとりあえず横目で見ておく程度にして、今年いやというほど感じた無常の中で生きるための指針をじっくり考えようと思う。
さよなら、2011年。