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日々の内側
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11-1231

3.11東日本大震災から296日目


年々季節感を感じなくなり、暮れの慌ただしさも新年の清々しさも「なんとなく」しか

感じることがなくなってきた。それでも2011年は過ぎようとしている。


カレンダーや手帳のレフィルは変ったが、私たちの日々は途切れることなく連綿と続いて

いる。年が改まったからといって何かが変るわけでもない。そしてだからこそ、自分自身

の中で区切りをつけていこうとするのだろう。


あの大きな災害以来、いろいろな人がいろいろな事を言い、その中から「絆」という言葉

がぽっかりと浮かんできた。「今年の漢字」に選ばれ、復興応援プロジェクトの名称になり、果てはひらがな表記ではあるが新しく立ち上げた党の名前にもなった。


唯一無二のキーワードのように、人の心を勇気づける特効薬のように、前向き姿勢の象徴

のように、「絆」という言葉が一人歩きしている・・・ように私には見える。


語源を調べてみれば、もともとは犬や馬をつなぎ止めておくための綱のことを指し、転じて

人と人を離れがたくしている結びつきを意味するようになったという。それならば、「絆」と「枷」は表裏一体であり、決していい意味だけを持つ言葉ではないと思われる。


また、たとえいい意味にとらえたとしても、それは一朝一夕に築けるものではあるまい。ある時は喜びあい、ある時がいがみあい、妥協したり共鳴したり嫌いになったり好きになったりの長い年月を経てはじめて作られるものなのではないだろうか。そしてある日ふと、その存在に気付くような・・・そんなものなのではないだろうか。白けた気分になっているのは、天の邪鬼な私だけではないような気がするのだがいかに。


さて、気休めの安易なスローガンはとりあえず横目で見ておく程度にして、今年いやというほど感じた無常の中で生きるための指針をじっくり考えようと思う。


さよなら、2011年。

| - | 16:54 | comments(3) | - |
反省、山積み
11-1230
・・・4年前のタイヤ屋のチューブちゃん。先月見た時は痩せていたので心配・・・

3.11東日本大震災から295日目


寒い一日。年々大ざっぱになっていく「大掃除」は、もはや「大掃除」ではない感がある。いつもの掃除より若干丁寧にやった程度だ。本は井合変らず本棚の前に積み上げられて棚の最下段が見えない状態になっているし、毛糸や布は一向に減らずに積み上げられているし・・・


それでも、「大掃除をしなければ」という義務感から意識的に離れてみると、まあ、こんなものでいいんじゃないかとも思えてくる。ずいぶんズボラになったものだ。


今まで年末になっても、その年を真剣に振り返るということはなかった。ふと思い出すことはあっても、それらはただ、通り過ぎてきた日々の単なる記憶でしかなかった。嬉しかったことも残念だったことも過ぎてしまったこと。ただそれだけとして受け止めてきた。


しかし今年は何故か、意識していないのにいろいろなことがアタマに浮かび、自分の不甲斐なさを実感している。反省点が山積み状態で、それらをどう整理したらいいか微かな混乱を感じる。


今年の春、私は自身にある課題を与えたが、その課題に真剣に立ち向かっていったか・・・真剣味が足りなかったような気がする。自分一人の力ではどうにもならないことだということを言い訳にして、せっかくの課題に消極的になりすぎていたような。


また、悪い癖で目の前のことに煩わされてしまいがちだった。彼方の目標を見据えて今を生きるという姿勢に乏しかった。


それに・・・と、例を上げていくと嫌になるほど具体例が出てきそうである。


明日は大晦日。まだ風呂場と玄関の掃除を残しているし、雑煮の下ごしらえを明日中にしてしまおうかとも思っている。年賀状もやっつけ仕事のように仕上げて出さねばならぬ。しかし、いくつも浮かんでくる反省点をまとめ、来年すべきことを明らかにしていくことも大切だと思う。時間があれば、という物言いは好きではない。時間は作るものなのだから。


さて、今年最後の一日はけっこう忙しくなりそうである。

| - | 23:28 | comments(0) | - |
ミニスカートとハイヒール
11-1229

3.11東日本大震災から294日目


先日映画を観に行った時、久しぶりにスカートというものを身に付けた。久しぶりも久しぶり、ここ2年くらいはスカートは履いていないような気がするので「というもの」と行った方がふさわしいような気がする。


その上、そのスカートというのが膝が見える丈の、いわゆるミニである。今まで稀にスカートを履くことがあっても、たいていは膝より少し下くらいの丈のものがせいぜいで、ミニスカートなんぞ履いたのは何年ぶりなのか・・・それも合わせる靴がロングブーツではなく、脚がもろに見えるアンクルブーツとでもいうか、今流行の呼び方でいえばブーティというか、そんな靴で、ヒールの高さが8センチくらいある靴なのである。


気分転換にしては冒険しすぎた感もあるが、実際のところはいい意味での緊張感を楽しめたというのが本音。ローヒールしか履かなくなっていたので、しばらくはバランスをとるのが難しかったが、みっともない歩き方はしたくないという気持ちがほどよい緊張感となり、北風もさほど寒いと感じることなく過せたのは自分でも驚いた。


前にも書いたことがあると思うが、私はこと脚に関しては劣等感がある。子供のころから妹と較べられ私の脚は太いと言われ続けてきた。だからスカートを履く時もロングブーツと合わせるなどできるだけ脚そのものを見せないことにしていた。


それが今でも残っていて、冒険してみたもののそれが暴挙になっていはしないかという不安が少しあったというのが正直なところ。だが、もうそろそろ、人の目よりも自分が楽しみたいならそれでいいではないかと思いたいという気分になってきた。


映画に同行してくれたSさんにおだてられ、緊張感を楽しみ、帰り道はほろ酔い気分も手伝って足取りは行きよりも軽快になっていたくらいだ。こんなことなら、もう少しスカートを楽しめばよかったかな・・・これからは一ヶ月に一度くらいはスカートにしてもいいかな?と調子に乗っている私であった。

| - | 20:28 | comments(0) | - |
あの人は今・・・
11-1228


3.11東日本大震災から293日目


昨日屠殺場のことを書いたら、写真家・深瀬昌久さんのことを思い出した。屠殺場に通い、「豚を殺せ」という個展を開いたことがあるとどこかで読んだ記憶があるからだろう。


写真集や写真に関する本で深瀬さんの写真はいくつか見たことがある。モノクロームの、コントラストがひどく強い写真だった。見方によっては不吉なものを感じる写真かもしれないが、私はむしろ荒々しいまでの孤独を感じ、その孤独を精一杯受け入れているような、壮絶な姿を連想した。


私生活においてはどうだったのかは知らない。酒とは縁が切れなかった人のようで、1992年新宿ゴールデン街の飲み屋の階段から転落し脳挫傷を負い、意識が戻らないままだということだ。訃報は目にしたことがないので、まだあのまま眠ったままなのだろうか。それともすでに亡くなっているのに誰も気にとめていないのだろうか。


鴉(からす)」という写真集の評価が高く、一度見たいと思いつつまだ見てない。調べてみると「サスケ、いとしき猫よ」という作品もあるようなので猫好きだったのかもしれない。手元にある歌集「風の猫」(梅津ふみ子)では武田花さんとともに写真を担当している。


今回再度検索してみたら、「鴉」の編集を手伝った瀬戸正人さんという方のサイトにヒットした。瀬戸さんは深瀬さんに写真集に入れようか迷っていると1枚の写真を見せられたそうだ。真っ暗な空に数羽の鴉がぼんやり写っているキャビネサイズの小さなプリントで、姿形は原形を留めずもう写真とは言いがたいものになっていたという。しかし、瀬戸さんは何故かその写真に胸を揺すぶられたそうだ。ああ、私もその写真が見たかった・・・と本気で思う。


屠殺場の写真といえば、少し前本屋で見かけたことがある。表紙だけ見てギクリとし、手に取ってページをめくろうか迷った。が、手に取る勇気が必要な本で、私にはその時勇気がなかった。本橋成一さんの「屠場」である。いずれ手に取るような予感はしている。


もう一人の「あの人」は、今まで何度か書いたことがある中平卓馬さんだ。記憶をなくし、写真の現場から退いてもう長い年月が流れ、名前を知っている人も少なくなってきているのかもしれない。しかし、わが家の近くに住んでいらっしゃることもあり、常に気になる存在ではあった。


私は滅多に見かけないが、自転車で散歩をすることを日課としている家人は時々見かけるらしい。一人でいることはほとんどなく、いつも誰かと一緒だという。最も先鋭的で鋭い論客でもあった中平さんも、九死に一生を得るといってもいいほどの体験をした後は記憶も言葉もなくし何を考えているのかわからない状態になってしまっているようだ。そんな中平さんと沖縄に行った時のことを「眼の狩人」で大竹昭子さんが書いている。


先月だったか、何気なく駅前のドトールに入ってコーヒーを注文し、席について何気なく前を見ると隣りの席に中平さんが座っていた。若い男性と一緒で、目の前にはほとんど飲み終わっているアイスコーヒーがあった。向い合っているが、二人は会話らしきこともせず黙ったままだ。中平さんはいつもどおり赤いジャンパーに赤いキャップ、そしてテーブルの上にはカメラが置いてあった。


会話をすることはないのだが、時折中平さんがくすっと笑うと付添の男性もくすっと笑う。二人だけにしかわからないことなのだろう。


しばらくして席を立って店を出ていったが、改めてその小柄な身体に驚いた。1938年生まれなので今年73歳になっているはずだが、見た目はもっと年寄りにも見える。しかし、毎日のようにカメラを持って撮影行為をしているらしいエネルギーが、あの小柄な身体のどこにあるのかと驚くばかりである。


中平さんを「写真になった男」と評した人もいる。なるほど、写真について一言も語らず、ただひたすら撮ることのみに徹している、しかも無理にではなくある意味自然にそうなってしまった中平さんは、写真そのものになっているのかもしれないと思う。


あの時も、話しかけようと思いつつその勇気がなかった。あと何回、あの姿を見られるのだろうか。

| - | 23:47 | comments(0) | - |
差別
11-1227

3.11東日本大震災から292日目


派遣先にバスで向かう途中に「食肉市場前」という停留所がある。食肉市場って何だろうと思っていたら、家人が「屠殺場」があるところだと教えてくれた。


なるほど、停留所名に「屠殺場」などはつけられないだろうと思いつつ、通るたびにどんな人が降りるのか見てしまうようになった。そこで降りる人がすべて食肉市場に務めているとは限らないが、なんとなく見てしまう。しかし、当たり前だがみなどこにでもいるような普通の勤め人にしか見えない。


数日経ったころ、食肉市場らしき建物の壁に「狭山事件を許さない」(文面は不確か)旨の古びた看板のようなものが設置されているのに気付いた。やはりそうか、と思った。


「狭山事件」については複雑な問題を孕んでいるし、現在も完全に終結した問題ではないようなのでここでは書かない。しかし全く書かないと何故私が「やはりそうか」と思ったか不明かもしれないので、非常に簡単に書く。


この事件は1963年埼玉県狭山市で起きた高校1年生の女子を被害者とする誘拐殺人事件で、警察の初動捜査のミスののち、石川一雄さんという男性が逮捕された。一審で死刑判決が出たがその後冤罪を主張、無期懲役が確定し石川さんは服役(1994年に仮釈放)。


捜査の過程で様々な問題点があったのではないかという話も多々あったようだが、私の印象に残っているのは石川さんが被差別部落出身者だったということだ。この「差別」を巡って様々な団体が抗議活動を起し、その動きは大学まで及んだ。私が入学した時、大学のキャンバスには「狭山事件」を糾弾する看板があちこちに立て掛けられ、細々とではあるが学生たちがアジテーションを行っていた。


言わずもがなのことだが、仏教の思想から動物を殺すことは「不浄」とされ、長らく被差別民によって行われてきたという歴史がある。穢いこと、残酷なことを一部の人々にやらせ、一般人は平気で肉を食べていたわけだ。


今でも、例えば「私は屠殺場に務めています」と言われたら、心の中ではぎょっとするのではないだろうか。そして、その人に対してどのような態度をとるべきなのか微かな迷いを感じるのではないだろうか。差別だとは思いたくなくても、差別めいた気持ちを持つかもしれない。


私自身にもそういった気持ちが全くないとは言えない。しかし、だからこそ自分の口に入るものが、どのような過程を経て目の前にあるのか知っておくべきだとも思う。


「差別のない社会を」といった文言をよく見かけるが、この耳に優しい言葉は決して実現するものではないと私は思っている。人間はもともと「差別」したがる生き物だと思っているからだ。居直っているわけではない。むしろ、それゆえ「今度生まれてくる時があるとしたら人間以外のものに」と願うのである。

| - | 23:56 | comments(0) | - |
雪めがね
11-1225

3.11東日本大震災から290日目


クリスマス近くになると、いろいろなネットショップからDMが来る。プレゼント需要を

あおるために決まっているが、面白いものや楽しいものに目がないので一応目を通し、

興味を持てばそのサイトまで行ってみたりする。


そんな中で見つけたのが「雪めがね」なるもの。雪だるまのカタチをしたルーペで、雪の結晶を見ることができるというふれこみだ。本当に見られるのかどうか半信半疑だが、デザインがいいので家人と自分の分を購入した。


来月北海道に行く予定があるので、手持ちのチェーンにつけ首から下げていこうと思って

いる。結晶が見られないとしても、それはそれ。こういう遊び心+デザイン性があるものは

大好きだ。


それにしても1月の北海道(今回は旭川)の寒さはどんなものなのだろう。前回行ったのは

2009年の11月。その時より寒いのは当たり前だろうが、いったいどれくらい寒いのか・・・


1月の北海道なんて行ったことないし・・・と思っていたら、新婚旅行が1月の札幌だった

ことを思い出した(^.^;)


寒かったというおぼろげな記憶はあるが、どれくらい寒かったかは全く覚えていない。大倉山シャンツェや北大のポプラ並木を歩いたが、どうにもならないほど寒かったようにも思えない。


行けば行ったでどうにかなるだろう、今はヒートテックなるものもあるし!と楽観的になりつつある今日このごろ。

| - | 21:18 | comments(5) | - |
たまには医者もいいもんだ
11-1224

3.11東日本大震災から289日目


咳がひどくて安眠できないようになり、さすがの私も医者に診てもらう気になった。


今日は土曜日なので診察は午前中のみ。早めに家を出て駅近くの内科に行ったが、すでに4人がドアの外で待っていた。診療開始30分くらい前から待合室に入れてくれる医院も多いが、

今回は10分前までドアが開かず、咳き込みながら開くのをひたすら待った。


思ったより早く順番が回ってきたが、それでも30分は待っただろうか。そして、よくある

ことだが診察はものの5分とかからなかった。咽喉を見て胸の音を聴いて、「今年の風邪は気管支にくるみたいよ」と言われ、咳を鎮め、気管支を広げる薬を数種類処方してもらい、「大丈夫なのか、あれで」と思いつつ帰宅。


昼から薬を飲み始めたが、けっこう効く薬だったらしく咳が目立って減ってきてだいぶ楽になってきた。


腹筋の筋肉痛や背中、胸の痛みはまだ残っているが、このまま順調に回復してくれればと

思っている。市販の薬が全く役に立たなかったことを思うと、たまには素直に医者に診て

もらうのもいいかな、と思えてくる。ひどくなる前にそうすればいいのだろうが、なかなかね!

| - | 23:44 | comments(0) | - |
M*A*S*H
11-1223

3.11東日本大震災から288日目


天皇誕生日ということで全国的に休日。3連休になるのでどこかへ遊びに行く人も多そうだが、私は一歩も外に出ず、ひたすら自宅でゆっくり・・・というかおとなしくしていた。


借りてきたDVDの中から「M*A*S*H」を取り出して観た。テレビでも何度かやっているのだろうが、何故か観たことがなく、以前から観たいとは思っていたのだが、なかなか観るまでにはいかなかった。


背中を押したのは、映画のテーマ曲である「Suidide is painless(自殺は苦しくない)」をビル・エバンスが演奏していて、それがよかったということ(You Must Believe In Spring)。


映画はいかにもアメリカ映画らしい陽気さと歯切れよさがあって、私はけっこう好きだ。少々ブラックなところはあるが、あまりにストレートな表現よりも多少皮肉っぽいものが好きなので、これも好みに合っている。


「ミシシッピ川並の出血だ」などと軽口をたたきながら手術している医者たちも、腕は確かでありすべきことはきっちりやっている。度を越したいたずらを次々とやらかすが、決して悪びれない。痛快である。


しかし、その軽さの中に何か非常に重い、あるいはやりきれないものが潜んでいるように見えなくもない。テーマ曲の歌詞を見ると、そう思えてくるのだが・・・果たしてどうだろう。


Through early morning for I see

Visions of the things to be 

The pains that are withheld for me 

I realise that I can see 


That suicide is painless 

It brings so many changes 

And I can take or leave them if I please 


The game of life is hard to play 

I'm gonna lose it anyway 

The losing card of some delay 

So this is all I have to say 


That suicide is painless 

It brings so many changes 

And I can take or leave them if I please 


The sword of time will pierce our skin

It doesn't hurt when it begins 

But as it works its way on in 

The pain grows stronger watch I bring 


That suicide is painless 

It brings so many changes 

And I can take or leave them if I please 


A brave man once requested me 

To answer questions that are key 

Is it to be or not to be 

And I replied oh why ask me 


That suicide is painless 

It brings so many changes 

And I can take or leave them if I please


(歌詞はこちらから引用)


| - | 21:37 | comments(0) | - |
咳や、こんこ
11-1222

3.11東日本大震災から287日目


数日前から咳が出始めたと思ったら、いよいよひどくなってきた。若いころは、よく気管支炎になったもので、風邪をひいたら先ず咳に悩まされたものだったが、喫煙するようになってからというもの鍛えられたのか(いや、これホント)あまりひどい咳に悩むまではいかなくなってきた。


しかし、数年に一度くらいの割合でこういった症状に陥る。今回はその「数年に一度」なのだろう。なんとか自力で直そうと思ったが、こうなったら医者に診てもらい、しかるべき処方箋を出してもらわねばなるまい・・・と思っている。


今日は派遣仕事だったのだが、あまりに咳がひどいので責任者の方が「無理しないで」と1時間早く上がらせてくれた。心配してくれたのだろうが、他の人にうつしそうでハラハラしていたのかもしれない。もはや風邪ではないのでうつることはないと当人は思うが、端からみればハラハラものだったのだろう。


お言葉に甘えて早退してきたが、地元につけばもう7時過ぎ。どこの医院も診療時間を過ぎている。あたたかくして、明後日を待つとしよう。


激しく咳き込むので夜中も何度か目を覚まし、なんだか寝た気がしない。腹筋が筋肉痛(^.^;) そして胸やら背中やらが時々しくしく痛む。早くこの状態を脱したいぞ!

| - | 22:57 | comments(0) | - |
紙兎ロペ
11-1221

3.11東日本大震災から286日目


昨日映画館で見た「紙兎ロペ」がアタマから離れない(^.^;) 全く知らないアニメーションだったが、調べてみたらTOHOシネマズの専属?のようだ。


本編がはじまる前に短いお話が上映されるようになっているショートムービーで、YouTubeにいろいろな話がアップされていいる。


「紙兎」という名前のとおり、紙で作られた兎・ロペは高校2年生という設定。1学年先輩の紙リス・アキラ先輩との掛け合いが楽しい。


どの話も二人で映画館に行く途中の出来事として描かれていて、それが浜辺だったり道端だったり街角だったりする。「マジっすか?」「マジでー」が口癖のロペ。「やばくね?」などと言いつついつも強気のアキラ先輩。アキラ先輩の声がー!うーん、こりゃはまりそう!


●紙兎ロペ<告知編> 

http://www.youtube.com/watch?v=C2Y2QGnButY&feature=related


●紙兎ロペ<肩たたき編> 

http://www.youtube.com/watch?v=73GZDcgZZYo&feature=related


●紙兎ロペ <UFO編> 

http://www.youtube.com/watch?v=QWDyxV7mLqI&feature=related


●紙兎ロペ <海編> 

http://www.youtube.com/watch?v=V0D4NlHuNRg&feature=related


●紙兎ロペ <赤白帽子編> 

http://www.youtube.com/watch?v=QWDyxV7mLqI&feature=related

| - | 19:17 | comments(2) | - |
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