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日々の内側
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喪失感
11-1130

3.11東日本大震災から265日目


先日の前夫に続き、いつか会いたいと思っていた人が急逝した。まだお会いしたことがない方だったが、会っていろいろお聞きしたいことがあった。遠くに住まわれていたので、こちらに来る機会があれば声をかけるという話になっていたのだが、その望みも断たれた。


今回の震災で、親族や友人などを次から次へと失った人たちに比べれば問題にならないと思いつつも、やはり不幸がこう続くといやでも喪失感を感じる。直接私の生活に影響を与えるような出来事ではないが、それでもいくつかの望みが突然断たれ、呆然となった。


これからもこうしたことはあるのだろう。人生とは喪失を重ねていくことなのだろう。しかしそれは、生まれてきた以上誰もが抱える運命でもあるのだろう。


毀誉褒貶の多い人だったようだが、そのようなことは私に関係ない。ご冥福を祈りたい。

| - | 20:58 | comments(0) | - |
派遣稼業は気楽なもんだときたもんだ!?
11-1128

3.11東日本大震災から263日目


派遣の仕事をしはじめてから3ヶ月が経過した。仕事といっても週2回程度なので気楽なものである。


拘束時間は長いが(10:00〜19:00、通勤時間を入れると半日弱)、自分が与えられたことをやっていればそれでいいので気分的には正社員より楽には違いない。自分一人で完結する仕事ではないから、それなりに気は遣うが、それでもかつて経験してきた会社務めよりは格段に気楽である。


しかし、その気楽さの背後には、いつ「明日から来なくていいよ」といわれるかわからないという心もとなさがある。そう言われても文句を言えない立場であることを頭に入れておかなくてはいけない、と派遣仕事一年生は心に刻もうとしている。


私はこれまで、数社の社員として働いてきた。そして、おおむね職場には恵まれてきたように思う。不満やらやり切れなさは感じてきたが、それとて誰もが経験する程度だったと思う。理解ある上司もいたし、やさしい同僚もいたし、かわいい部下もいたから、少なくとも人間関係で悩むということはほとんどなかった。これだけでも「恵まれてきた」と言えるのではないかと思う。


今回も、おおむね気持ちよく仕事ができる職場で、少しずつではあるが長く続けられたらいいと思っている。周りはすべて私より若い人たちだが、それぞれの事情をかかえながら懸命に仕事をしていて気持ちいい。私が苦手な図々しい輩もいないし、みなさん優しい。そして当たり前だがそれぞれに個性があって、それを見ているのもまた楽しい。


とはいえ、私には発注量はかなり少なくなったとはいえ本業があるし、収入に結びつくかどうか皆目わからないがなんとしてもやり遂げたい大きな課題がある。手作りサイトの商品を作るという課題もある。


それらのバランスを取りながら生きていくわけだが、額は少なくてもやればやっただけのものをいただける派遣の仕事は小さな「重り」のようや役割をもっているような気がしている。「重り」を上手く利用することで他の仕事もやりやすくなるような、そんな気がしているのだ。


来月からは閑散期に入るのであまり出番はないと思うが、知りあった人たちと会って話をするのも楽しいのでまじめに務めていきたいと思っている。人と会い話すことは学ぶことでもある。学ぶべきものを見いだす感性を忘れたくないと思っている。

| - | 23:05 | comments(0) | - |
酉の市
11-1127

3.11東日本大震災から262日目


昨日は三の酉。毎年行く築地は波除神社まで行ってきた。小さい神社なので熊手を販売する業者も少なく、賑わっているとはいいがたかったが、それでも三々五々お参りをする人が訪れる。


毎年買うのは業者の熊手ではなく、神社の社務所で授与されている開運熊手神符「かっこめ」。小さな熊手にお守りがついたもので、これを仕事部屋の本棚に置いている。ここ数年ずっとこれを続けているが、果たして運が開けているのかどうか・・・それはわからないが、神頼みしたいような気持ちを抱えつつも、なるようにしかならないと思っていたのであまり気にしてはいなかった。


ただ、強いていえば、私は「縁」というものを忘れたくなかったのだ。


以前にも書いたことがあるが、フリーになって間もないころ、波除神社に関わる仕事をした。御鎮座350年に先駆けて企画された冊子の制作にライターとして参加、各町代表の方々や宮司さんにお会いしていろいろなお話をお聞きする機会に恵まれたのだ。


ご存知のように、築地には市場移転問題があり、築地で生まれ育った古老の方々だけでなく、築地をこれからももり立てていこうとする若い人たちも危機感は十分感じていただろう。それでも、なんとか築地を守っていこう、そして波除神社を大切にしていこうという思いがひしひしと感じられた。


当時のことを思いだしながら、お参りを済ませて「かっこめ」を求め、去年のものを返し、銀座まで歩いて帰ってきた。土曜日とあって場外売場は大混雑していたが、それを横目で見ながら人気のない裏通りばかりを選んで歩いてみた。


「縁」とは何だろう。なかなか難しい。ただ、忘れずに覚えているだけでもいいのではないだろうか、それもひとつの「縁」なのではないだろうか、などと思っている。


*カメラを持っていくのが億劫で写真はすべてスマートフォンのカメラで。

*でも、やはりまだるっこしい(^.^;)

*今度カメラを持って行ってこなくちゃ。

| - | 15:22 | comments(0) | - |
冷たい熱帯魚
11-1126

3.11東日本大震災から261日目


以前から見たいと思っていた「冷たい熱帯魚」のDVDを漸く借り、昨夜観た。映画フリークでも何でもない私なので監督の名前も知らなかったが、去年試写のレビューをラジオで聞いて、観たいと思っていた。が、TSUTAYAに行ってもいつもレンタル中で、なかなか手にする機会がなかった。


衝撃的な映画である。スプラッター映画だと思う人もいるかもしれない。とにかく残酷に人が殺されていくシーンが次から次へと繰り広げられるので、そういうシーンが苦手な人にはお勧めできない作品である。


スプラッター好きではないが、人間心理がからむ残酷な出来事を無視できないので、時々「うひゃぁ!」と心の中でつぶやきながら見続けた。


この映画にまつわる話には必ず登場すると思うが、でんでんという俳優がすごい存在感を見せている。一見人がよく社交的な人間に見えるが(事実そういう面もあるのだが)、容赦なく人を殺し、バラバラに解体し、細かく刻み、骨を焼き、肉を川に流す。それを平気・・・というより楽しそうにやる。かと思うと、無理やり手伝わせた男にド迫力ですごむ。


一人の人間の中にひそむ様々な面を、それこそ残酷なほど鮮やかに表現した演技は、文句なくすばらしいと思う。数々の映画に出ているようだが、この映画ででんでんの株はぐっと上がったに違いない。


ところで、この残酷な連続殺人事件にはモデルがある。1993年埼玉県で起こった愛犬家連続殺人事件である。


どういうわけかこの事件については覚えていなかったので(事件が発覚した1995年には阪神淡路大震災があり、続いてオウム真理教事件が相次いだため知名度が低い、とWikiにはある)、改めて概案を読んで見ると、なるほど犯人の言動をはじめとする共通点がいくつかある。殺人及びその後の処分方法、犯人が「死体を透明にする」と言いながら殺人を続けたこと、などは実際に起こった事件とほぼ同じだ。


人間は残酷な生き物である。それをとてもわかりやすく提示したという意味で私はこの映画を評価したい。


たとえ血を流さなくても、肉体をバラバラに刻まなくても、人間は残酷なことをしつづけている。ただ、それが目に見えないためにわかりにくかったり、自身が残酷な生き物に属していることを認めたくないと思っていたりする。しかし、実際は、もしかしたら誰の心の奥にも残酷性はあるのではないかと思う。その事実を強いインパクトとともに白日の下に曝したという意味で、この映画はとてもいい映画だと思う。


いろいろな見解があると思うので、観た方がいらしたらご意見を聞かせていただけると嬉しい。


*愛犬家事件の消極的な共犯者(映画では主役格)の男性が本を書いたそうな。

*すでに絶版なのか、文庫なのに高値がついている。

*読みたいんだけど・・・図書館かな?

| - | 11:27 | comments(0) | - |
ヤツデの花
11-1125

3.11東日本大震災から260日目


今年の紅葉が冴えないのでがっかりしていたら、ヤツデの花が清冽に咲いているのに

出くわして気分が変わった。


どこにでもある、地味な、主役にはなれない存在の常緑低木。たいていは庭の一番日が当たらないところに植えられていて、花が咲いていることさえ気付かれないこともありそうだ。いかにも丈夫そうな大きな葉は茂れば鬱陶しく思われがちかもしれないし、花も所謂「きれいな花」とは言いがたい。


しかし、私はこの花がかなり好きである。もともと小さな花が集まって咲く植物が好きなこともあるが、よく見ると繊細で可憐な花だと思う。また、花が少ないこの時季に目を楽しませてくれる存在として、毎年見るのを楽しみにしている。


隣接する市民の森の奥に、以前はたくさんヤツデがあった。花の時季になると、こっそり行って少しいただいてくるのを楽しみにしていたのに、いつか知らないうちにほとんど抜かれるか切られるかしてしまい、姿が見当たらなくなった。アオキはあるのに、何故ヤツデだけ処分されてしまったのか・・・残念でならない。


だいぶ前になるが、欧米では観葉植物として愛されているという記述をどこかで読んだことがある。耐陰性があるので、鉢植えにして室内で育てるのも十分可能だろう。斑入りのものは商品的価値がありそうだが、ごく普通のヤツデの地位はなかなか上がりそうにない。それでもいいのだが、できれば自生しているものは抜かないでほしいし、庭にあれば時に目をかけてやってほしいと思う。


横道に逸れるが、ヤツデは「天狗の葉団扇」とも呼ばれているらしく、それを思い出したらいきなり連想が飛んで「だるまちゃんとてんぐちゃん」という絵本を思い出した。


息子が小さいころよく読み聞かせをした本のひとつで、加古里子(かこさとし)氏のユーモラスな絵が楽しい。だるまちゃんシリーズは他にも数冊あるし、息子が大好きだった「からすのパンやさん」も加古作品だ。


処分した記憶はないので、たぶん息子の部屋のどこかで埃を被っているのだろう。今度出してもらって、久々に読んでみたいと思っている。

| - | 08:10 | comments(2) | - |
だんしがしんだ
11-1124

3.11東日本大震災から259日目


立川談志の訃報が流れた。


落語好きでなくてもその名は知っているだろう。破天荒な言動で話題を提供することが多かった人だが、亡くなってはじめて知る人となりについての話を興味深く聞いている。


自分が死んだ時の新聞見出しは、上から読んでも下から読んでも同じ「談志が死んだ(だんしがしんだ)」だな、と言っていたとか。その洒落っ気が素敵である。


数年前、友人に誘われて立川志の輔の高座を見に行って以来、時々落語のCDを借りてきて

聞くくらいの私であるから、とりたててショックだというわけではない。しかし、断片的に

耳に入るあの毒舌ぶりと、CDで聞いた「らくだ」の面白さを思うとやはり残念だと思わざるをえない。


「らくだ」の他にも「金玉医者」「白井権八」「饅頭怖い」「ねずみ穴」は聞いた。しかし、なんといっても57分40秒に及ぶ「らくだ」は、私が聞いた事がある落語の中でも圧巻である。


歯切れのいい語りがとんとんとん!と続いて、時間を感じさせない。終わってはじめて、ああ1時間近い噺だったんだなと気付く。


古典をきっちり演じられる人だったという。数々の称賛と惜別の声に耳を傾けながら、今夜はもう一度「らくだ」を聞こう。ご冥福を祈る。

| - | 19:31 | comments(0) | - |
病葉
11-1123

3.11東日本大震災から258日目


用事がある時以外はあまり出歩かなくなってしまったが、どうも気になることがある。単に気のせいかと思っていたが、やはりそうではないようおな気がする。


それは、今年の紅葉の様子。青森の透明感ある美しい紅葉を見てきたから、こちらの紅葉がぱっとしないように見えるのではないか・・・と思ったが、やはり例年よりも今年の紅葉は美しくない、というかおかしい。


夏の猛暑の影響だろうか。台風の影響だろうか。それはわからないが、木々が病んでいるように見える。紅葉の時期になってもなかなか色づかないばかりか、葉先が枯れこんでしまっていて色づかないまま枯れて落ちてしまいそうな気配がうかがえる。


近くの公園にはいろいろな木があるが、桜も今年は今一つ。モミジに至っては、未だ色づかず冴えない緑色のままで葉先が縮れている。色づいたとしても、いつもの年のような鮮やかな色は見ることができないような気がする。


枯れるべくして枯れ、落ちるべくして落ちた葉にはどこか潔さがあるが、今年は路上に落ちている葉を見てもそれを感じない。力尽きて、あるいは諦めて、はらりと落ちてしまったという印象を受ける。


それは私の内面の投影だろうか。いや、そうではないだろう。11月も終わりそうだというのにコートを着ていては汗ばむほどの陽気であるのがおかしいのだ。かと思うと急に平年並の気温になるのがおかしいのだ。


咽喉が痛い、風邪気味だ、神経痛が・・・と、この異常気象に人間たちは姦しい。木々たちは静かに病葉を落とし、自分たちの運命を受け入れ、来年への準備をはじめている。

| - | 23:58 | comments(0) | - |
FALKEのくつした
11-1121


3.11東日本大震災から256日目


だいぶ寒くなってきて、そろそろくつしたの2枚重ね履きのシーズン到来かと思われる今日このごろ。


ここ数年、ストッキングというものとは縁を切り、ヒールが高い靴を履かず、ゆったり(あるいはゴツい)靴ばかりを履く生活を続けてきた。当然くつしたもそれに合うものを求めるようになったわけだが、靴を選ぶよりは難しくないものの、たかかくつしたとはいえ満足できるものには滅多にお目にかかれない。


そんな私がこのところめっぽう気に入っているのが、FALKEというブランドのくつした。ドイツ生まれでチェコで生産されているらしい。


特長はなんといっても、左右が決まっていること。左足のつま先には「L」、右足には「R」の文字が入っているから間違いようがないが、文字が入っていなくてもカタチを見ればどちらの足用かはすぐにわかる。ちゃんと足のカタチをなぞるようなデザインになっているからだ。


指の締めつけ感がなく、いつも快適。しかもミックス調の糸で作られていて見た目もよい。今年は新色が出たようだが、基本的にベーシックな色ばかりで合わせやすい。ウール63%、ナイロン35%、ポリウレタン5%という混紡比率がなせる技なのか、チクチクしない上だらしなく伸びることもなくて嬉しい限りだ。


私が愛用しているのは「WALKIE」というシリーズだが、そのほかにもタイツやレギンス、薄手のタイプなどいろいろ揃っている。どれも履き心地がよさそうだ。


履き心地という点では5本指ソックスという選択もあるのだろうが、履くのが面倒なのと脱いだ時ちょっと・・・というのがあって(^.^;)、やはり私は普通のくつしたがいい。何でもそうだが、普段よく使うものこそ妥協せず選びたいと思っているのでこれからもずっと愛用することになりそうだ。


| - | 23:43 | comments(4) | - |
恩讐の彼方は・・・
11-1120

3.11東日本大震災から255日目


先週木曜日、私の夫であった人が他界した。11171057分永眠。享年63歳。


昨年1月に肺ガンを宣告されて以来、昨年中は抗がん剤治療を続けてきたが今年8月に脳転移。放射線治療後退院していたが再入院し、10月に入ってからは衰えが目立つようになっていた。


8月時点で「余命は3ヶ月だが、いつどうなってもおかしくない」状態であると親族は担当医から知らされていた。ある程度の覚悟を周囲にさせつつ、本人は最後まで自分の余命を知ることはなかったが、それでもどこかの時点で感じていたのかもしれない。再入院直後は家に帰りたいと言っていたそうだが、次第にその言葉も出なくなり、ゆっくりと死に向かっていった。


16日の夕方に息子が病院に行った時には、点滴のためか全身がむくんでおり医師からは週末

あたりが山場だと言われていた。今月に入ってからは意識が徐々になくなり話をすることも

なかったが、息子は時々病院に行って話しかけていたらしい。


17日の午前9時過ぎに病院から連絡があり、危篤なのですぐに来て欲しいとのこと。私も家にいたので2人で駆けつけた。弟2人と妹1人がいるのだが、私たちが一番早く、待ちかねていたように医師が点滴チューブをはずして臨終を告げた。電話があった時点ですでに命の灯は消えかかっていたのだろう。少しむくんではいたが穏やかな顔をしていた。


離婚して11年が経つ。ケンカ別れしたわけではないが、やはり離婚するには離婚するだけの理由があったのであり、胸の中に蟠(わだかま)りがないわけではない。私は比較的過去をひきずらないタイプの人間だが、それでも「楽しかったこと」と「辛かったこと」が複雑にからみあった思い出は確かに残っている。


それはお互い様だったろう。互いに恩讐ともいえるものを胸の奥にしまいこみながら、自分たちの生活を営むことに精一杯だった。


それからの日々はお互いにほとんど知らない。私は同居人を得て3人暮らしを続けているが、彼は以来ずっと一人暮らしであったし、またそれが一番似合う暮らし方だったように思う。自分のペースを決して崩したがらない人だったので、結婚というシステムの中では生きづらい人だった。


一人暮らしの気楽さを選んだということは、孤独死するかもしれない暮らしを選んだことでもある。ましてや人付き合いがいい方ではなく、両親はすでになく兄弟姉妹とも疎遠であれば。


しかし、死の瞬間は一人きりだったかもしれないが、入院生活や自宅療養生活の中で息子とふれあう時間をもてたことは、彼にとって大きな幸せだったと思いたい。


小学生のころは、月に一度泊まりがけで父親のところに息子を送り出した。中学生になってからは本人の意思にまかせていたが、どこの家庭でもあるように息子は親との関わりを極力避けるようになっていった。同居しスネをかじっている私に対してもそうであるくらいだから、離れて暮らす父親のところには滅多に行かなくなっていった。


しかし、ガンの告知を知って以来時々顔を出すようになり、とくに今年の8月からは休みをできるだけ多くとって病院や自宅に行って世話を焼いてきた。「あいつがこれほどしてくれるとは」と父親本人が驚いていたくらいだ。そして私の目から見ても、一番心の支えになっているのは息子の存在であるように思えた。


この11年、息子のことではいろいろ思い悩むことも多かった。経済的にも精神的にも正直言ってきついことが度々あった。しかし時には周囲の助けを得て、時には一人でなんとか切り抜けて今に至っている。息子には父親についての愚痴を一切言わずにきたが、言いたくなったことがないわけではない。しかし、父親を憎むような人間にはなってほしくなかったので、喉元まで出かかった言葉を何度も飲み込んできた。そして今、それでよかったのだと思っている。


葬儀は明日行われるが、私は派遣の仕事が入っているので出られない。弟2人、妹1人、甥2人、そして数少ない友人のみのささやかな葬儀になるだろうが、喪主は息子が務めるそうだ。21歳の喪主である。親族に支えられながら、立派に喪主の役目を務めてくれることを祈っている。


結婚していたころ感じた「幸福」と「不幸」を秤にかけたら、どちらが重いだろう・・・と考えてみたが答えはでない。結婚生活は15年、離婚してから11年。年数でいえば結婚していた期間の方が長いけれど。たぶん、いつになっても答えはでないのだろう。


「ごめんなさい」と「ありがとう」をなかなか言えない人であった。それなのに、病を得て後は、見舞いに行った時など必ず最後に「今日はありがとう」とはっきり言う人になっていた。静かな気持ちで穏やかに旅立ったと信じたい。


| - | 09:47 | comments(3) | - |
PHOTO WEEK 晩秋の木々<7>橅
11-1119

3.11東日本大震災から254日目

橅(椈、ブナ)かと思うが自信なし。間違いがあればご指摘いただけるとありがたい。
| - | 16:17 | comments(0) | - |
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