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Interior日々の内側
copyright sumigon all rights reserved 2011.09.28 Wednesday
ちょっと、休憩
諸般の事情により、今週いっぱいお休みします。元気ですので、ご心配なく!また、来週お会いしましょう。
| - | 18:08 | comments(0) | - |
2011.09.25 Sunday
古傷
3.11東日本大震災から199日目 数日前からめっきり涼しくなって、漸く本格的な秋がやってきたという印象。いきなり涼しくなっては再び暑さがぶり返す、というのに辟易としていた身としては、たいへんよろしいことである。 秋の初めの、空気がどんどん澄んでくるような気配。夏には猛々しい生命の香りを放っていた草や木々の葉が放つ少し枯れたにおい。毎年感じるそんな季節の気配に包まれる時間が好きだ。 ひとつだけ困る・・・というほどではないが少々ほろ苦いような感覚を感じさせるものがある。それは、他愛ない古傷。 古傷が痛むというとよく言うが、何年経っても痛むような傷とは無縁の暮らしを営んできた私なのに、気温が下がるとうずく傷がある。目に見える傷ではなく、軽い骨折の微かな後遺症とでもいおうか。 当時から笑い話として語られるほど深刻なケガではなかった。ただ、後方から徐行してきた自動車に足の親指を踏まれただけである。今でも、違法駐輪されていた数台の自転車をよけるため動線を変えた時、ゆるゆると後ろからやってきた車のタイヤが私の足の上を通りすぎていった瞬間をスローモーションのように思い描くことができる。 徐行してきたとはいえそれは一瞬のことであり、直後は痛みもあまり感じなかった。運転手が下りてきて話をしているうちに少しずつ痛みが強くなってはきたが、それでもとにかく会社には行こうと思っていた。ただの打撲程度にしか考えていなかったが、駅に向かって歩いていくうちに痛みは耐えられないものになり、急遽近くの整形外科に行くことにした。 レントゲンを見た医師はこともなげに「骨折ですね」。折れているわけではなく、親指の骨にヒビが入っているのだという。そして、冷やしてただ治るのを待つしかないのだと。 会社を1週間くらい休み、大きめの靴を履いて出社しはじめ、数回病院に通った。ほぼ1ヶ月したらほとんど痛みを感じないようになり、普段はほとんど思い出さなくなったが・・・ある日突然その傷がうずくのに気付く。 あれから10年ほどの歳月が流れたが、未だに秋口や夏でもエアコンが効き過ぎるところにいると足の親指がうずく。痛むというよりうずく。そして、「うずく」という微妙な感覚に内心苦笑し、どこか楽しんでいるような自分がいる。あの程度のケガで本当によかった。
| - | 23:57 | comments(2) | - |
2011.09.24 Saturday
ブレスレット
3.11東日本大震災から198日目 フリーランスとして仕事をし始めて以来家にいることが多かったので、腕時計をする習慣から遠ざかっていた。たまに時計を左手首につけると、どうも窮屈な感じがする。派遣先でキーボードを打つ時も何だか邪魔な気がして時計ははずしている。 そんな私であるから、もともと時計以外のものを手首につけるということをあまりしてこなかった。 つまりブレスレットなるものを愛用したことがない。細いチェーン状の時計バンドがついた古い時計をする時だけ、たまに華奢なブレスレットを重ねづけしたことがあるくらいだろうか。 もともと、アクセサリー類はビアスを除いてあまり身に付けない。指輪もこのところずっとご無沙汰である。ネックレス(ペンダント)は胸元が淋しい時たまにつける。ほとんどがシルバーのチェーンにそこそこの大きさのチャームがついているものだ。 とはいえ、やはり好みというものは、ある。基本的にビアスを除いてある程度ボリューム感のあるものの方が好きだ。たまにしか付けないからかもしれないが、存在感を主張する(限度はあるが)ものの方が好きで、よく見かける細いチェーンに小さなダイヤがついているようなものは好みではない。 写真は、珍しく気に入って何度かつけているブレスレット。ビンテージのボタンがたくさん使われているもので色はシルバー。古いものなので、少しくすんでいたり黒っぽくなっていたりするものもあるが、これがまた好みに合っている。土台は伸縮性のあるシルバー色の素材。いろいろなボタンがあるので、ひとつひとつ見ていると飽きないところもいい。一番好きなのはツバメのボタンで、いつもそれが見える位置にして付けている。
| - | 16:44 | comments(0) | - |
2011.09.23 Friday
風速
3.11東日本大震災から197日目 台風一過の昨日、テレビではその被害の模様が様々な番組で放映されていた。豪雨による浸水、洪水、土砂崩れのリポートが多かったが、私が実感したのはすでに書いたが「強風の恐ろしさ」だった。 ニュースを検索してみると、三重、静岡、神奈川、東急の23ヶ所の観測所で観測史上最高風速を記録した、とある。御前崎(静岡)で最大瞬間風速45.1メートル、都心(大手町)で36.0メートル、横浜市で35.3メートル、千葉市で34.2メートルを記録したそうだ。 「風速」だとなかなか実感がわかない。で、さらに調べて見ると風速の目安を掲載しているサイトを見つけた。 平均風速、おおよその時速、予報用語、速さの目安、人への影響、屋外・樹木の様子、車に乗っている時の状態、建造物の被害などが出ていて、これを知っているとニュースでたびたび報道される風速と被害が少しは実感できるのではないかと思う。 風速の単位は「m/s」つまり秒速だが、風速30メートルは時速110kmにほぼ相当する。この時の人への影響は、「立っていられない。屋外での行動は危険」で、「樹木が根こそぎ倒れはじめる」「車の運転を続けるのは危険」「鋼製シャッターが壊れはじめる。風で飛ばされたもので窓ガラスが割れる」「ブロック塀が壊れ、取り付けの不完全な屋外外装材がはがれ飛びはじめる」ような状態。 私が遭遇した強風がどれくらいの風速になるか知る術もないが、横浜の中でも風当たりが強いと思われる海の近くだったということ、自分の体が覚えている感覚から、たぶん瞬間的には風速30メートルはあったのではないかと思う。 屋内から出た途端、強烈な追い風に背を押されたが、押されたというよりも時速100kmくらいの勢いで飛んできたものにぶつかられたに近いのかもしれない・・・と想像するとさらに恐ろしくなってきた。 昨日の川の近くに行った家人が、川沿いの木が倒れていると言っていたので今日見に行ってみた。倒れている木は少なかったが、かなり太い枝が折れている木が相当あり、遮蔽物がないところでは風がかなりひどかったことがわかる。自宅付近にも木はたくさんあるが、群生し地盤が固くなっているためか倒れている木は今のところ見ていない。 風とは関係ないが、折れたり倒れたりしている木を見ていたら「柳に雪折れなし」という言葉を思い出した。剛直なもほほど大きな圧力には脆い、ということだろうか。一見華奢に見えてもしなやかで柔軟性があるものは強いということだろうか。私の場合、華奢に見えてしかも柔軟性がない・・・ような気がする。剛直にはなれずとも、もう少し鍛えて風に負けない体力をつけねばと思ったのであった。
| - | 17:20 | comments(0) | - |
2011.09.22 Thursday
すみごんがころんだ
3.11東日本大震災から196日目 いやはや昨日の台風、というより強風はすごかった。夜7時くらいまではずっと屋内にいたので全く問題はなかったのだが、いざ外に出たら・・・ 8月末から派遣で時々仕事をしている某物流センター(倉庫の中に撮影スタジオがある)を出た途端、強烈な追い風に見舞われ、あれよあれよと押されて転んでしまった!風をよける場所もつかまるものもない場所で強風に遭うということが、あれほど怖いとは思わなんだ。 背中には重めのデイパックを背負っていたので、やっとのことで起き上がり、立ち上がり、よろよろとフェンスがあるところまで行き、フェンスにつかまりながら少しずつ前に進むという・・・今まで経験したこともない強風体験をした。 背負っていたものの分を足したら45キロくらいになるはずだが、それだけの重さのものが(私の足腰が軟弱だということもあるが)あわや飛ばされそうになるとは!デイパックを背負っていなかったら、ころころ転がっていたかもしれない。ああ、怖かった。 今思えばちょうど悪い時に当たったようで、地元についたら嘘のように風が弱まり、すりむいたであろう膝がヒリヒリするのを感じながら家に帰った。道筋には、骨だけになった傘が何本も落ちていた。 私よりたいへんだったのは息子で、スクーターで仕事から帰る途中にこれまた転倒。顔に数ヶ所、腕や足に数ヶ所擦り傷。右腕を打撲したらしく、今朝は腕が上がらない状態で仕事に出かけた。親子揃ってなんたること!! ベランダを見たら、台の上に置いてあった大きめのバラの鉢がいくつか倒れ、そのうち一つは下(ベランダ内)に落ちていた。バラ鉢の上に置いてあった小さな鉢もいくつか落ちていた。 南側の雑木林からとばされてきた木の葉や小枝でベランダはたいへんなことに。外階段も葉と枝で埋め尽くされているほどで、掃除が大変そうだ。 私は今まで強めの向かい風の中を歩くのが好きだったが、昨日のような風はできるだけ吹いて欲しくないかなぁ。でも、今思い出すとちょっと面白かったかも(^.^;)
| - | 11:50 | comments(4) | - |
2011.09.20 Tuesday
渋谷
3.11東日本大震災から194日目 渋谷のセンター街が「バスケットボールストリート(バスケ通り)」という名前に変るそうな。思わず“ぷぷぷ”と笑ったのは私だけではあるまい。一般の評判もあまりよろしくないらしいが、「名前が変われば内容も変る」ことに期待したいのだろう。 若いころ、あれほど行った渋谷から足が遠のいてどれくらい経っただろう。頻繁に行った記憶はないが、20代のころまでは渋谷は最も買い物をした街だったと思う。当時は東急系の店よりも西武系が好きで、百貨店をはじめPARCOやSEED(というのがあったのよ)に妹とよく行ったものだった。 それよりはるか前、小学生のころスケートを習いに国立競技場に毎日曜日の早朝通っていたことを久しぶりになつかしく思い出しもした。習っていたといってもプロをめざすレッスンとはほど遠い、平凡な習い事のひとつとして通っていたにすぎない。 まだ暗い明け方に家を出て、妹と2人、スケート靴が入ったバッグを持って東横線に乗り、 まだほとんど商業施設などない公園通りを登っていった。そのころはPARCOもなく、公園通りは静かなものだった。 30代になると、もともと好きだった銀座に出たり会社がある新宿で買い物をすることが多くなった。渋谷からは足が遠のき、忘れていたわけではないが知らない間に渋谷は騒々しい街に変っていった。 以来渋谷はガキの街として敬遠する対象になり、とくにセンター街や109周辺には近づきたくなくなり、若いころあれほど魅了された公園通りやファイアー通りは色褪せ、絵や映画を観るためBUNKAMURAに行く時以外はほとんど寄りつかない場所になってしまった。 それでもなお、20代までなじんできた渋谷という街を憎み切ることはできないようだ。仕事帰りに通ることがあれば、マークシティくらいならたまには行くし、これから少しはマシになるかもしれないという淡い期待も捨て切れていない。 スクランブル交差点あたりは変わりようがないと思うが、なつかしい場所には違いないあの街が少しでも落ち着いた気持ちで訪れることができる街に変ってくれればいいと思う。 *例によって写真は内容と全く関係ない。 *センター街というイメージに近いような気がして。 *この写真はどこだったか・・・もしかして小田原?(^.^;)
| - | 22:52 | comments(2) | - |
2011.09.19 Monday
「介護」について考えてみる
3.11東日本大震災から193日目 たいていの人は、誰かに介護されたいとは思っていないだろう。人生の終末期においても、 できることなら誰に手も煩らわせることなく旅立ちたいと思っているだろう。 しかし、現実的には、そのような最期を迎えられる人は少ない。「介護」というほどでは ないにしても、多かれ少なかれ自力でできないことをするために誰かに面倒をみてもらい、 気を使いつつ、金を使いつつ一生を終える。 そう頭では分かっていても、いざ自分が何らかの形で当事者になるまで、「介護」について 真剣に、現実のものとして考えることはしない人が多い・・・のではないだろうか。少なくとも私についてはそうである。老老介護の重さやそれが原因でおきてしまった悲劇的な事件などを見聞きしても、自分のこととして現実的に考えてみるということを今までしてこなかったように思う。 最近、ほんの少しではあるが現実的に「介護」について考えざるを得ないことがあり、「介護」される側にとっても、「介護」する側にとっても、この国のシステムはまだまだ未熟だと感じるようになった。 たとえば、介護保険。申請してから認可が下りるまで1ヶ月くらいかかるのをご存知だろうか。介護を受けるまでの過程を見ても、「要支援」の状態から申請できるような人ばかりではない。 ある日突然介護が必要になる人も少なくないと思う。しかし、現状では一律に処理されている。認可が下りるまで暫定的にサービスを受けられるようにはなっているようだが、「要介護」にも5段階あってその段階に認定されるか分からないので、認可前はすべて手探り状態である。 介護の内容も基準も自治体任せのようで住む地域によって違うのもややこしい。手厚い地域もあればそうでない地域もあり、後者の地域に住む人たちはかなり苦労するのではないかと思われる。 高齢者の単身世帯はこれからも増えていくだろうが、介護保険を受けていても毎日訪問してもらえないようなシステムであれば、ある日突然死んでいるところを発見されるということがこれから何度も起きるだろう。「孤独死」が問題視されて久しいが、今なおこの国は「孤独死」を招く土壌にある。そんな気がしてならない。
| - | 18:51 | comments(0) | - |
2011.09.18 Sunday
デュエット・ソング
3.11東日本大震災から192日目 バスの中でジェーン・バーキンを聴いていたら、普段はあまり聴かないデュエットもなかなかいいなぁと思った。聴いていたのは、ジミー・ロウルズとのデュエット曲「These foolish things」で、この曲については以前も書いた記憶がある。リラックスしたゆとりが感じられる大人のデュエットで、あまりにも有名なセルジュ・ゲンスブールとの「Je t'aime moi non plus」とは雰囲気を大きく異にする。 年齢的なこともあるのだろうが、最近の私はこんな穏やかなデュエットに心惹かれる。 フランソワーズ・アルディが夫であるジャック・デュトロンと歌っている「Puisque vous partez en voyage」(あなたが旅行に行くから)もいい。 この2人は同棲するまでいろいろあったようだが、今はギタリストとして活躍している息子が生まれ、仲のいい夫婦として現在に至っているようだ。もっとも息子が生まれたのが1973年だが、それ以降も籍を入れず、結婚という形をとったのは1981年。仲がいいといっても、いわゆる「おしどり夫婦」というのとは違う関係のような気がする。 さて、フランスを離れて日本のデュエット・ソングは・・・と思いを巡らせると、カラオケで歌われているような曲はいくつか出て来るものの、好きな曲となるとなかなか頭に浮かんでこない。 しかたないのでWikiに助けを借りようとしたら、邦楽の「主なデュエット・ソング」がズラズラとリストアップされていた。やはりカラオケで人気の曲が多いが、意外な組み合わせもあって少し驚いた。昔は俳優同士(石原裕次郎と浅丘ルリ子など)や俳優と歌手(吉永小百合と橋幸夫など)が目立つが、今は何でもアリの感がある。 リストの中で、知っていて(知らない曲多し)かつ好きな曲は・・・「愛の奇跡」(ヒデとロザンナ)、「Corbett1954」(松任谷由実と来生たかお)くらいか。 そうそう。忘れていたが、好きな映画「スター誕生」(バーブラ・ストライサンドとクリス・クリストファーソン編)はミュージシャン同士の恋愛ドラマという内容なのでデュエットシーンが何度か出てきてなかなかよい。「愛のテーマ(「Ever green」)」が有名だが、私は「Lost Inside Of You」の方が好きかな。 *それにしても、YouTubeって何でもありますなー
| - | 18:33 | comments(0) | - |
2011.09.17 Saturday
PHOTO WEEK・・・野良猫と呼ばれて<7>
3.11東日本大震災から191日目 野良猫と顔なじみになることは、嬉しい経験である。しかし、その嬉しさには、いつか突然くるであろう別れへの淋しい予感がついて回る。 写真はこのブログにも何度か登場した“けむたん”ことモモちゃん。元飼い猫だったという噂があった。夕暮れ時になると、マンション敷地内の階段に姿を現してたが、やはり突然姿を消した。 野良猫との出会いと別れに、何度世の無常を思ったことだろう。
| - | 09:36 | comments(0) | - |
2011.09.16 Friday
PHOTO WEEK・・・野良猫と呼ばれて<6>
3.11東日本大震災から190日目 前にも出したことがある写真だが、好きなので違うサイズで。 私は動物ならたいてのものが好きだ。犬も好きだし鳥も好き。爬虫類だって蛇以外は好きだし(蛇は「嫌い」なのではなく、「怖い」)、両生類も、昆虫もたいては好きだ。どんな生き物も無闇に殺したくないし、傷つけたくもない。 が、「好き」にもいろいろある。「愛おしい」という感情もあれば、「憧れる」というのも「畏怖する」というのもある。 野生動物以外の、とくに家畜と呼ばれる動物たちの中で、「気高さ」を感じるのは馬と猫だけである。そして私の中で「気高さ」の評価は非常に高いので、「好き」の中でも「気高さ」を感じる動物は特別な存在となる。猫の中でも、飼い猫より野良猫に「気高さ」を感じることが多く、それゆえある意味では評価もまた高い。
| - | 23:06 | comments(0) | - |
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