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日々の内側
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月末所感
11-0831
・・・sakiさんの庭でくつろぐタコツボッティ夫婦?・・・


3.11東日本大震災から174日目


今日は徒然に、断片的に。


この国は誰が総理になろうが永遠にこんな感じなのか。国民の間で、これほど原発に対する拒否感があらわになっているというのに、「脱原発」を明言する候補者がいないとは。情けなくなることばなりで、情けないと思うことに飽き飽きしているのに、まだ当分情けないのか。


わが家の周辺には木が多い。当然ながら蝉も多い。高台なので風当たりが強く、強風が吹いた後などにはベランダに蝉が飛ばされていることが多い。すでに命を終えているものもあるが、瀕死のものもいて、触るといきなり動いて少し驚く。そっと鉢の上に置いておくと、朝には動かなくなっているものあり、いなくなっているものあり。不思議なのは落ちている蝉のほとんどがアブラゼミだ。数が多いのだおろうが、アブラゼミには飛ばされやすい理由が何かあるのだろうか。


うるさくて困っていた隣りの犬の声が、8月に入ったあたりからぱたっとしなくなった。数日間であれば、夏休みの里帰りなどに連れて行った可能性もあるが、ほぼ1ヶ月近くに及んだので飼うのをやめたか死んでしまったのか、と腑に落ちない思いだった。うるさいのは嫌だが、突然静かになると気が抜ける(^.^;)


ところが3日ほど前に犬の声が微かに聞こえたような気がした。昨日はこれまで通りかなり激しく吠える声がした。いったいどこに行っていたのだろう。昨日家人があまりにうるさいので「うるせー!」と大声で怒鳴ったらしいが、それで効果があるような人たちならとっくの昔に犬をきちんとしつけているはず。やれやれである。


横浜のみなとみらいでやっているトリエンナーレに行きたいと思っているのだが、タイミングを計りかねている。もう少し涼しくなってからにしようか。4日まで赤レンガ倉庫でDAYS JAPANの写真展をやっていてそれも見たいのだが・・・台風が・・・DAYS JAPAN、定期購読しようかなぁ。


彼らが写真を手にした切実さを 《日本写真》の50年」(大竹昭子)をゲット。中平卓馬さんは、著者にとってとても重要な存在らしい。近くにお住まいで時折見かけるので“たくまちゃん”と失礼な呼び方をしているけれど。写真についての本を読むのは久しぶり。他にも読みたい本がうんとこさあるが、予算と置き場所不足。かといって図書館は遠い。図書館が少なすぎるぞ!横浜市!


今日の写真は、以前私が持っていてsakiさんに進呈した古いタコつぼ。「タコツボッティ」というしゃれた名前をいただき、草の中でのんびり暮らしている。


徒然に書いているとキリがないので、今日はこのへんで。

| - | 11:37 | comments(2) | - |
ふるさと
11-0830

3.11東日本大震災から173日目


2ほど前、この日記に「故郷を持たない私」と書いた。が、生まれた場所、人生のうちで長い年月を過した場所を「故郷」というなら、誰にでもそれはあるということになろう。


私が生まれたのは東京・西大井である。病院は広尾の日赤だったが、両親が住んでいたのは西大井の町工場が多い気取らない町だった。小さな工場に隣接した6畳一間に台所がついている小さな平屋に小学校に上がる前の年まで過した。隣りは銭湯、小さな通りを隔てて向いは和菓子屋、近くにはあまりきれいとは言いがたい川が流れており、橋の袂に駄菓子屋があった。


工場前の道を左に行くと上り坂になり、坂の上には幼稚園バスの停留所があった。停留所の前にはパン屋があり、たまにそこで菓子パンを買ってもらった。坂の途中に知りあい(母親の)の家があり、年ごろが近い子どもがいたので時々遊びに行った。


私が覚えているのはそんなところである。今思い出すとなつかしいとは思うが、あれが「故郷」などかと考えると・・・幼いおぼろげな記憶しかないこともあり、答えが出ない。


6歳になったばかりの7月、家族は現在私が「実家」と読んでいる横浜市内に引っ越した。引っ越し先が決まるまでいくつかの家を見に行った覚えがあるが、川の近くの家を見た記憶があるもののほとんど覚えていない。


新しく住むことになった町の駅に着き、駅前の並木道を見た時の驚きは今でもよく覚えている。夏の陽射しに銀杏並木の緑が輝いていた。それまで、あれほど多くの木々をまとめて見たことがなかったのかもしれない。


以来29歳で結婚し家を出るまでの23年間、私はそこで暮らした。西大井で過した年月よりはるかに長く、また物心ついてから青春という時代を経て中年に差しかかる時期なので、記憶に残ることも多い。それなら、そこが私の「故郷」だろうか・・・もし私にも「故郷」があるなら、そこしかないだろう・・・と思いつつもどこか引っかかるものもある。


現在に至るまで、私は東京と神奈川を行ったり来たりしているだけで、生まれた場所、育った場所を遠く離れて暮らしたという経験がない。いつか遠く離れれば、「故郷」がどこなのかわかるのだろうか。

| - | 23:34 | comments(0) | - |
ああ、時代劇
11-0829
・・・中村主水がよく食べていたっけ、メザシを・・・

3.11東日本大震災から172日目


ちょっと前まで、一週間に一度くらいゴールデンタイムに時代劇をやっていたような気がする。今では、時代劇といえるかどうかわからないが大河ドラマ(何が大河か?)くらいしか見受けられないのが残念だ(あれ、水戸黄門ってまだやっていましたっけか?)。


父親の影響か、私も妹も何故か時代劇が好きでお互い独身のころはよく見ていた。そして、当時の時代劇の特徴のひとつである主人公のキメ台詞がおかしくて半ば馬鹿にしながらも暗記して楽しんだものだった。


「あっしにはかかわりのねぇことでござんす」(「木枯し紋次郎」・中村敦夫)、「てめえら、人間じゃねぇや。叩っ斬ってやる!」(「破れ傘刀舟」・萬屋錦之助)あるいはキメ台詞ではないが「大江戸捜査網」の「死して屍拾う者なし」もお気に入りだった。


大人になってからも、「必殺シリーズ」や「鬼平犯科帳」、「剣客商売」などを贔屓にしていたが、それもこれももうやっていない。淋しい限りである。今は需要がないのだろうか・・・淋しいなぁ。


そういえば、先日TSUTAYAで「闇の狩人」というDVDを借りた。原田芳雄追悼のコーナーにあって前から見たかったのだが行く度に貸し出し中でやっと見ることができた。原作が池波正太郎だということは後で知ったが、映画は原作をかなり脚色しているのではないかと思われる。


背景は徳川十代将軍家治の時代。田沼意次が権勢をふるった、「金がモノを言う」時代だ。そんな時代の闇に生きる金で殺しを請け負う稼業の者たちの物語である。必殺シリーズの母体か!とはじめは思ったが、見終わった時の印象は大きく違う。


必殺シリーズは娯楽であり、見終わったあとなんとなくスカッとする。しかし、「闇の狩人」は、そうではない。


仲代達矢演じる五名清右衛門という闇稼業の親方も、記憶を失い闇の仕事を手助けすることになった原田芳雄演じる浪人・谷川弥太郎も、清右衛門に殺された親方、芝の治平(大滝秀治)も、治平の敵を討とうと執拗に清右衛門を狙うお蓮(松尾嘉代)も、蝦夷の豊かな資源に目をつけて北前藩取り潰しを狙う田沼意次(丹波哲郎)も、そして田沼の意向を受けて谷川弥太郎(実は北前藩士・笹尾平三郎)の命を狙う下国左門(JJサニー千葉)も、みな自分たちの正義のために生きており、唯一無二のヒーローがいないのだ。


久々に娯楽作品とは言いがたい時代劇を見たというか、やはり映画ならではの、五社英雄監督ならではの作品を見たというのが単純ながら私の感想である。


そのような作品もいいが、私はやはりちょっと毛色が違う娯楽作品としての時代劇が見たいような気がする。現実逃避かな・・・


| - | 22:40 | comments(0) | - |
「晴れた日に」
11-0828

3.11東日本大震災から171日目


「原発周辺の一部地域は長期間居住困難」「汚染された廃棄物の中間貯蔵施設を県内に」・・・首相の言葉は福島の人たちにとって、さらなる重荷として感じられたことだろう。近隣地域の今後については、事故当初から様々なことが言われてきたが、政府から明確な指針が出されぬまま半年近くが経過し、その間に一縷の望みを支えに生きてきた人々のことを思うと言葉を失う。


チェルノブイリのその後を知れば、もはや無理だと覚悟を決めていた人もいるかもしれない。しかし、先祖代々、長年住みつづけてきた土地に対する愛着は、そう簡単に断ち切れるものではないだろう。いわゆる「故郷」というものを持たない私には計り知れない切なさがあるのだろう、と想像する。


伊東静雄の詩に「晴れた日に」という一篇がある。全体を読み通すと、なかなか解釈しづらい難解な詩だと思うが、分析しようと思わずに読めば、故郷に対する愛憎相半ばする複雑な思いが感じられる。一部抜粋する。


とき偶(たま)に晴れ渡つた日に

老いた私の母が

強ひられて故郷に帰つて行つたと

私の放浪する半身 愛される人

私はお前に告げやらねばならぬ

誰もがその願ふところに

住むことが許されるのでない


この詩では、老いた母は故郷には帰りたくなかった。故郷には辛い思いでばかりだったのかもしれない。やっとのことで故郷を逃れて静かに暮らしていたのかもしれない。しかし、強いられてまた故郷に帰らざるを得なかった・・・これもまた辛いことだと思う。


私が折につけ思い出すのは、「誰もがその願ふところに住むことが許されるのでない」という二行だ。


今まで、様々な事情でそのような辛さを経験した人を見ているし、自分もまたそれに近い感覚を覚えたこともある。もっと住んでいたかった。ずっと住んでいたかった。そんな場所を去らねばならないということ。福島の人たちの場合は、原発事故という社会的な出来事が背景にあり、影響を受ける人数が膨大であるためこうして話題になるが、理由はどうであれ同じような思いを胸に愛着ある土地を去った人は数知れない。


今年も残す所あと4ヶ月あまり。なんだか悲しいことばかりがある一年になりそうだ。夏を惜しむ蝉が盛んに鳴き、今日の天気はまずまずだ。地元の神社の祭りがあり、神輿が近くを通っていったようだ。お囃子の音と賑やかな掛け声がしばらくのあいだ聞こえていた。風は爽やかで(「爽やか」というのは秋の季語だそうな)、いよいよ夏が終わるという雰囲気になってきた。「晴れた日に」は、次の五行で終わる。


私は言ひあてることが出来る

命ぜられてある人 私の放浪する半身

いつたい其処で

お前の懸命に信じまいとしてゐることの

何であるかを

| - | 10:43 | comments(0) | - |
激しい雨
11-0827

3.11東日本大震災から170日目


昨日の雨はかなり激しく降ったらしい・・・豪雨の被害を受けた人たちには申し訳ないのだが、ずっと窓がない屋内にいたのでどれくらい激しかったのか知らないのであった。


昼食を食べるために外に出た時は、陽射しが強く暑かった。午後7時半ころバス停に向かっていた時は、足元が濡れる程度に降ってはいたが「豪雨」というほどではなかった。寄り道をして自宅最寄り駅に付いた時には(日付が変わっていた)すでに雨は止んでいた。


家に着いて仕事部屋に入ると、窓を開けっぱなしで出かけてしまったので、窓際の床がかなりじっとりと濡れていた。ベランダのサンダルのくぼんだところには水がたまり、根洗いの受け皿には溢れそうなほど雨がたまっていた。いったいどれくらい降ったのか・・・


少々不謹慎かもしれないが、私は激しく降る雨が嫌いではない。自分に実害が及ばないと高を括っているからこんなことが言えるのだろうと思うが、激しく降る雨を見ていると気分が高揚してくるように感じる。


強い雨足を直接見に受ければ痛さを感じるのだろうが、部屋から飛び出して思う存分雨を浴びたいような衝動を微かに感じたりする。半世紀以上の年月により溜まりに溜まった何かを、決してきれいとは言いがたい何かを洗い流したいのだろうか。


8月から9月にかけての台風がらみの豪雨を眺めていると、全く脈絡のない二つの思いが去来する。


ひとつは幼いころの記憶だ。子どものころは台風が来て風や雨が荒れ狂うと、よく停電したものだった。重い雨戸を引き出し、蝋燭を灯して家族が一部屋に集まる。「すごいね」「いつまで続くんだろうね」などと言いながら、私と妹はいつもより興奮してなかなか眠れなかった。屋根を打つ雨の音、風にたたかれる雨戸の音。自然の力を感じさせる音を聞きながら、ワクワク、ドキドキしながら夜を過したものだった。


翌朝起きると、たいていは見事に晴れ渡っていた。雨の後始末をする大人たちは決して愉快ではなかっただろうが、子どもたちは長靴を履いて元気に外に飛び出す。小さなドブ川は溢れ、水田も溢れ、前日までは土埃をあげていた道が川のようになっている。すぐに長靴の中にまで水が入ってきたが、そんなことはものともせずあちこち歩き回った。なんだかなつかしい。


もうひとつ去来するのは、雨に降りこめられた病室の光景だ。かれこれ15年くらい前になるが、2週間ほど入院していたことがあり、前半1週間は台風上陸による不安定な天気だった。


現在は建て替えられて近代的な明るい病室になっているだろうが、当時私がいた病室は古い建物特有の陰気な雰囲気が満ちた暗い部屋だった。3人部屋だったが誰もおらず私1人で、

起き上がることができない体調を恨みつつ、じっと雨の音を聞き、薄暗い窓の外を眺めていた。


日中は照明をつけていなかったので本を読むこともできず、実家に預けてきた幼い息子のことや先が見えない生活のことを考えながら、うとうと眠ってはまた目覚めるというくり返しだった。


そんな経験があるからだろうか。数年前から激しく降る雨を見ると当時を思い出し、先が見えない病人たちはどんな気持ちで雨を見ているだろうかと思うようになった。回復する見込みがあるならいい。が、それが見えない病人や残り少ない時間をなすすべなく過している病人たちは激しく降りしきる雨をどんな気持ちで眺めているだろう・・・などと。


親類縁者にそのような病人がいる時は、いたたまれない気持ちになる。私には雨を止める力もなければ病を軽くする力もない。ただ、ぼんやりと傍観しているしかできない。それがやるせなく、いたたまれないような気分にさせる。


| - | 23:57 | comments(0) | - |
水景
11-0825

3.11東日本大震災から168日目


散歩らしい散歩もしていないが、先日近所の川原に出て久しぶりに川の流れをしばし見ていた。とりたてて目を引くものもない平凡な風景だが、やはり水のある風景に触れるといいなぁと思う。


気持ちが落ち着くというか、カサカサになった気分が潤ってくるというか。これが、日ごろあまり使いたくないと思っている「癒される」という状態なのだろうか、などと思いながら空と川面を交互に眺めたりしていた。


そういえば、ずいぶん水のある風景を見ていないような気がする。まだまだ暑いので、できれば濁って澱んだ都心の運河よりも流れる水が細かな飛沫を上げるような清流の方がありがたいかもしれないが、大きな川であれば気持ちも少しずつ広がっていくかもしれない。


大きな川といえば、やはり隅田川がいい。今まで一体いくつの川を見てきたか数えていないのでわからないが、隅田川は私の中で特別な存在だ。


どこかいいのか・・・と問われると答えに悩むが、個性的な橋が多く、そのいくつかを歩いて巡ることができ、時折行き来する水上バスなどが風景に動きをもたらし、見ていて飽きない点がその理由のひとつだろう。


海ならどこがいいだろう。気軽に行けるという点では江ノ電沿線辺りが一番馴染みがある。最寄り駅から鎌倉までは約1時間あれば行けるので、ゆったり日帰りをするにはもってこいだ。夏の間は人が多いのでいつも敬遠しているが、来月になればだいぶ静かになるだろう。


今までは、どういうわけか寒い季節に行くことが多かった。でも、夏の名残が微かに残る海もいいかもしれない。9月の声を聞いたら行ってみたいと思う。


| - | 19:16 | comments(0) | - |
晩夏
11-0824

3.11東日本大震災から167日目


猛暑から開放され秋めいた気温になったと思ったら、また真夏日。が、明らかにこれまでの真夏日とは違う気配が漂っている。朝6時ころ目覚めて仕事部屋に行くと、北東に開放された部屋は以前ならすでに部屋が息苦しいほど暑くなっていた。


しかし、ここ数日は我慢できないほど暑い朝ではない。むしろ、微かに秋の冷涼な気配を含んだ空気が部屋の中に入り込んでいるような気がする。


私は夏が苦手だが、正確に言うと「暑さ」が苦手なのではない。高温多湿の気候が自分の体にもたらす変調を扱いかねて、心身ともに下降していくその感じが嫌なのである。ひたすらだるく、少しでも気を緩めると体を横にしてしまう自分。思考力も意志の力もかなり努力しないと保てない自分。そんな自分と向き合うことさえ逃げたくなるような季節。それが夏なのである。


一旦外に出て、背中をジリジリと焼くような陽射しを浴びてみれば、この季節ならではのものとして存外素直に受け入れることができる。路地に漂うどこか郷愁的な雰囲気も悪くないし、儚げな夏の花は鈍くなった感覚に清い風を送ってくれるような気もする。


要は、そのような夏ならではのものたちを全身で感じ取り、楽しむ余裕がない自分に対する嫌悪感が「夏は苦手」と言わせているのではないだろうか・・・と自己分析をしてみたりする。


それはさておき、ともかくもすでに晩夏である。ひとつの季節の終わりという意味では、私は夏の終わりが一番好きかもしれない。


苦手な季節が終わる喜びからではなく、最も鮮やかな季節である夏の終わりは、その淋しさも気疎さもなにもかも明瞭ではっきりしており、強く心に響いてくるからだと思う。


年々、季節の境目がぼんやりとしてきて、だらだらと季節が巡っている感を拭えなくなってきている。しかし、ふとした瞬間に、「ああ、夏が終わるのだ」と思うことがある。その瞬間が私は好きである。


晩夏 西日を背にして ゆっくり歩くだけです


と、10代の終わりころの日記に書いた詩とも独言とも見分けのつかぬものの一行を今でも覚えている。書きつけたノートは今どこにあるのだろうか。もう手元にはないような気もするが、その一行のみが今時分になると鮮やかに脳裏に浮かぶ。

| - | 18:37 | comments(0) | - |
ヨウシュヤマゴボウ
11-0823

3.11東日本大震災から166日目


先週のPHOTO WEEKでも紹介したが、夏の雑草の中でも特に好きなものの1つにヨウシュヤマゴボウがある。ヨウシュ(洋種)という名前からもわかるように、また別名の「アメリカヤマゴボウ」から一目瞭然のように、原産地は北アメリカで明治初期に日本に入り、各地で雑草化している。


「ヤマゴボウ」という名前でみそ漬けなどにされ販売されているものは、キク科のモリアザミか野菜として知られている普通のゴボウで、ヤマゴボウ科のこの植物とは何の関係もないらしい。というか、ヨウシュヤマゴボウの実にはアルカロイドが含まれており、その意味で毒草といえなくもない。誤食すると最悪の場合は呼吸障害や心臓麻痺を起こし死に至るらしいので注意が必要だ。深い葡萄色の実の色は美しく、ヤマブドウなどを連想して口にするととんでもないことになりそうだ。


小さな花はよく見るとろう細工のようで美しく、実が熟すに従って花穂の色が赤紫色になってくる。黒に近い葡萄色の実とその茎の色がよく目立ち、個人的には花材として重宝している。熟した実は破けやすく、手に取ると赤紫色のインクがついたようになる。洋服などにつくと落ちにくいそうで、この特性のため「インクベリー」という別名もあるそうだ。


先日、助けたくても助けられなかった野良猫のまこきちの亡骸を埋めた場所から生えてきたヨウシュヤマゴボウがあまりに見事に育っているので、花穂だけをもらいに行ってきた。

まだ花の状態のものあり、花が終わって緑色の実になっているものあり、深い赤紫色に熟している実あり、で墨色の器に活けるのもまた楽しものだった。


ヨウシュヤマゴボウは柄が大きいゆえ目立ち、空き地などに生えていると草刈りのターゲットになりやすい。あまり気に留めている人もいないだろうが、私のような奇特な!ファンは突然姿が消えてがっかりする。根さえ残っていればまた出て来るが、根こそぎ取られてしまうことが多く残念である。


まこきちが眠る場所には、以前パンジーの苗やミニバラを植えたことがある。パンジーは誰かに取られてしまい、ミニバラはあるのかないのか・・・丈高い雑草に埋もれているのかもしれない。でも、私が好きなヨウシュヤマゴボウが出てきてくれて嬉しい。文字通り草葉の陰にまこきちがいるような気さえしてくる。


| - | 19:33 | comments(0) | - |
スコティッシュフォールドの受難
11-0822

3.11東日本大震災から165日目


スコティッシュフォールドという猫をご存知だろうか。猫好きならたぶんご存知だろう。折れ耳の丸い顔がとても愛らしく、人気が高い猫種である。私も少し前まで能天気に「かわいいなぁ」などと言っていたが、そうも言っていられない事実を知った。


この事実を知らなかったことは、猫好きを標榜していた我が身を振り返り恥ずかしい限りである。今は自分の無知を恥ながら、この記事を書くことによってとくに猫に興味のない方にも知っておいていただきたいと思う。


ネットで「スコティッシュフォールド」と検索すれば、ペットショップやブリーダー、愛猫家のサイトがいくらでも出て来る。が、「スコティッシュフォールド 障害」と検索すると、全く違うサイトがこれまた山ほど出て来る。詳しいことが知りたい方は、どうぞ検索して調べてほしい。


簡単に書いてしまうと、スコティッシュフォールドという猫種は、その最大の特徴である「折れ耳」を受け継がせるための交配により遺伝的障害をもたされてしまった、ということである。


その遺伝的障害とは骨の形成不全、軟骨の形成不全という重篤なもので、様々なかたちで猫を苦しめ、飼い主を苦しめる。激しい痛みを伴うこともあり、歩けなくなることもあるというのだ。「折れ耳」同士の交配が最も危険らしいが、「折れ耳」と「立ち耳」の交配においても障害が現れる場合があり、その障害はある程度成長してから現れることが多いようなので猫にとっても飼い主にとっても実に厄介な障害だといえるだろう。


わが家の猫も時々する人間のような座り方(足を投げ出してお腹を出して座る。うちでは「オヤジ座り」と呼んでいる)は、「スコ座り」と呼ばれているほどスコティッシュフォールドではよく見られる座り方で、これは普通の座り方だと苦痛なのでそのように座っているとのこと。愛嬌のある見た目とは裏腹に、痛々しい現実がそこにある。


心あるブリーダーは、「折れ耳」同士の交配はしないというが、中には商売のため確実に「折れ耳」の子どもが獲得できる交配をしている業者もいるらしい。苦しむことを前提に生まれてくる(生まれさせる)なんて許されることではないと私は思う。


かつて、ミックス犬の残酷さについて書いたことがあるが、猫でも似たようなことがだいぶ前から行われていたということだ。全く人間っていうやつは・・・と、いつもの話になってしまうが、自分たちの利益や快楽のためにどれほど他の動物たちの命を玩べば気が済むのか。本当に悲しく、腹立たしい。


*  *  *


上記の記事とは直接関係ないが、環境省が動物愛護管理法の改正に向けて国民にもとめている意見(パブリック・コメント)の募集が現在行われている。


無理な繁殖、販売を少しでも減らし悲しい運命をたどる動物が少しでも減ってくれることを願う人たちがそれぞれのサイトで告知し、一人でも多くの人の参加を呼びかけている。私も明日までには届けようと思っているが、内容だけでも知ってほしいのでリンクしておく。


意見のまとめかたの参考になるサイトも紹介されているので、ぜひ見ていただきたい。また、環境省のメールボックスがコメント殺到でパンクしている場合もあるらしいので、メールが送れない場合はファクスがいいようだ。


●One Action for Animals 

https://sites.google.com/site/1action4animals/public_comment


●ジュルのしっぽ

http://blog.goo.ne.jp/jule2856/

| - | 11:36 | comments(4) | - |
サルビアの花
11-0821

3.11東日本大震災から164日目


一昔前までは、サルビアといえば真夏のギラギラとした陽射しによく似あう朱赤の花だった。暑さに強く丈夫なので、公園で、庭で、路地裏で、様々なかたちで栽培され、まさしく夏の花の代表選手といった印象だった。


そのサルビアは、サルビア・スプレンデンス(Salvia splendens)という園芸品種で、今はかつてほど栽培されていないような気がする。


本来サルビアとはシソ科サルビア属(アキギリ属という説も?)の植物を指すいわばグループ名で総数は500種以上と言われているらしい。ハーブとして知られているセージもその仲間で、最近はどちらかというと他の草花と無理なくなじむ花が小さめの品種がもてはやされているように思われる。


しかし、私の中で「サルビア」といえばやはりあの「サルビア」で、頭が痛くなるような鮮やかな赤がまず目に浮かぶ。そして、名曲といわれている“サルビアの花”を思い出す。


“サルビアの花”は、「もとまろ」という女性グループが歌ってヒットした曲として一般的には知られているが、オリジナルは早川義男氏が1969年に出したソロアルバムに入っていた曲だということだ。


「もとまろ」の“サルビアの花”がヒットしたのは1972年で、なんでもテレビの勝ち抜き歌合戦に出場し“サルビアの花”を歌って優勝したことをきっかけにレコード化されたらしい。そのことを早川氏が知ったのはなんと2003年のことだというから(早川氏のコラムによる)、少し驚いてしまう。


私が知っていたのは、「もとまろ」の曲と井上陽水がカバーしているものだけだったが、今回調べてみて早川氏ご本人の歌もはじめて聴いた。歌う人によりこんなにイメージが違う曲も珍しいというのが私の正直な印象である。


それはともかく、以前から私はこの歌の歌詞に、違和感というか何というか不思議な感覚を覚えていた。「もとまろ」のような若い女性の澄んだ声で歌われている曲の内容(歌詞)が、どうにもこうにも偏執的で独りよがりなのがいつも気になる。あまり深く考えずただ聴いていれば気にならないのかもしれないが、曲がきれいなだけにそのギャップが・・・


そもそも、あの血のように赤いサルビアの花をベッドに敷き詰めるという感覚が異常といえば異常ではないか。そこで死ぬまで君を抱きしめていようなんてなおさらではないか。さらに、自分を捨てて(というか片思いだったように思われる)他の男と結婚する彼女を「偽りの花嫁」と言い、「僕の愛の方がステキなのに」という。そして泣きながら花吹雪舞う道を転げながら女を(女の幻影を?)追いかけて走り続ける・・・ぞぞぞ。


男の独りよがりというと、「恋するカレン」(大滝詠一」を思い出す。こちらも降られた男の愚痴っぽい歌といえなくもない歌で、「かたちのない優しさ それよりも見せかけの魅力を選んだ」とか「降られたぼくより哀しい そうさ哀しい女だね君は」とか、まあそうでも思わないことには救われないのねと思って笑うしかない歌詞ではある。しかし、笑えるだけいい。


“サルビアの花”の歌詞は、何故か笑えない。そこが不気味なのだが、その不気味さがかえってこの曲の魅力になっているのかもしれないとも思う。男の未練、執着って恐ろしいのね!と思っていたら、なんと作詞は女性(相沢靖子さんという人)。うーん、こんな歌詞を書ける女性って・・・とまたもや考えこんでしまのだった。


*“サルビアの花”の聴き比べは、こちら

*昨日から涼しくなって、いいですなぁ。でも、また暑くなるのよね・・・

| - | 14:14 | comments(2) | - |
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