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日々の内側
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87-58-89
11-0731

3.11東日本際震災から143日目


今までわが家には血圧計というものがなかった。生活習慣病として注意を喚起されるのは高血圧で、どちらかというと低めの私にはあまり必要がないものでもあった。


そんなわが家に、手首で測る血圧計がやってきた。家人が、何かの返礼として送られてきたカタログで選んだらしい。物珍しさも手伝って一日に何度か計るのだが、やはり夏は血圧がさらに低くなってそれが最近の「なんとなく不調」の一因になっているのではないかと思われてくる。


タイトルの「87-58-89」は、ある日の血圧。とくに低い日ではなく、最近はだいたいこんなものだ。B-W-Hのサイズならナイス・バディ!なのだが、実際は薄っぺらの貧弱な体型なのでそれは望むべくもない。


おもしろがって、横になった状態、座った状態、立った状態で続けざまに計ってみると、横になった状態の時が一番高く、立ち上がるとがくんと低くなる。素人判断はよくないが、たぶん起立性低血圧というヤツなのではないかと思う。


脈拍数も立ち上がると血圧に反比例して多くなり、立ち続けているのが少々辛い。で、自然と横になってしまうのだが、なんだかこれって悪循環なのではないかと思う。


外に出て歩き出してしまえば、血の巡りも少しはよくなるに違いない。だるいので億劫になり家にこもりがちだが、まずは一日一度は散歩してみるのもいいかなと思っている。

| - | 23:56 | comments(0) | - |
原種の愉しみ
11-0730
・・・今回、葉に注目したのが“ロサ・スティポーダ”という原種・・・

3.11東日本大震災から142日目


薔薇仲間(というより先輩)のpotatoさんの掲示板が現在大賑わいだ。最近の話題は、もっぱら原種の葉やヒップについてで、同じ名前でも個体差が大きく、それが混乱の原因になりつつもその戸惑いを楽しんでいるみなさんの姿勢に共感を覚える。


薔薇に限ったことではないが、原種(野生種)は生育している地域や環境によって個体差があるものが多い。その個体差が複雑であればあるほど、「何が本当の○○○か」という問いの答えはなかなかでないが、それがまた原種好きの気持ちをとらえる。


中には、あきらかに違う名前で販売されているものもある。たとえば、私が薔薇をはじめてしばらくして注文した「ロサ・オドラータ」がそれに当たる。


「オドラータ」と呼ばれる薔薇はいくつかあるようで、それが混乱の一因になっているが、私が注文したのは「ロサ・オドラータ(ヒュームズブラッシュ・ティー・センテッド・チャイナ)」という名称で、品種説明には「四季咲き」とあった。


今はあまりみかけなくなったが、同じ「ロサ・オドラータ」として販売されていたものに、一季咲きのつる性のものがある。たぶん、ロサ・キネンシス・アルバ(白長春)だと思われるが、性質も樹型も花も全く違う。


また、「ロサ・オドラータ」という呼び方が正式名称というよりも別名として扱われることが多く、混乱は一層複雑になる。


ロサ・キネンシス・アルバもロサ・オドラータと呼ばれることは知っていたが、「四季咲き」となっていたのでヒュームズブラッシュ・ティー・センテッド・チャイナだと判断し注文。しかし、届いたのはキネンシス・アルバの方だった。


今思えば、そのような間違いはまだ単純でわかりやすい。販売元にクレームを出したところ、あっさり返金してもらった。


現在おもしろいと思っているのは、間違いというよりも個体差の大きさだ。先日行った草ぶえの丘では、同じ名前で数株植えられているものがいくつかあり、それぞれに個体番号がつけられている。出所が違うとこれほど違うのかと驚かされるものもあり、それがマニアックな興味の対象となる。葉の違い、花の違い、実の違い・・・その違いがおもしろく、その中から自分好みのものを見つける喜びもある。


それにしても、原種の薔薇には葉が美しものが多い。葉を見て一目惚れする薔薇がなんと多いことか。もっとも、葉が気にいったからという理由だけで入手していては、置くスペースが極端に小さいわが家のベランダはすぐにパンクする。枝ぶり、花、実を見てからじっくり検討する必要があると思っているのだが、なかなかそうもいかないのが悩みの種である。

| - | 21:56 | comments(0) | - |
悪たれ顔
11-0729

3.11東日本大震災から141日目


以前から私は、人間にしても動物にしても作り物の人形にしても、いわゆる「がらが悪い」顔が好きである。


人間なら「人相が悪い」「性格悪そう」と言われるような、動物なら「ブサイク」と言われるような、そんな顔に愛着をおぼえる。


誰が見てもかわいい、美しい、カッコいい・・・例外はあるものの、たいていそんな顔は苦手な部類に入る。自分自身はそんなアクが強い顔ではなく、茫洋としたとらえどころがない顔であるような気がするが。自分にはないものを求める気持ちがあるのかもしれない。


写真は、青森に行った時、十和田市現代美術館のミュージアムショップで求めた猫のぬいぐるみ。いかにもなにかをたくらんでいそうな「悪たれ顔」は一目見て気に入った。鼻のまわりのブチ模様もなかなかいい。


一昔前なら、こんな人形は見向きもされなかったに違いない。が、「ブサかわいい」などという言葉が生まれ、奈良美智さんのイラストがもてはやされる昨今、案外こんな顔はモテるのかもしれないとも思う。


実際、こんな顔した猫はいるような気がする。お目にかかってみたい。

| - | 13:03 | comments(2) | - |
夏の花
11-0728

3.11東日本大震災から140日目


「夏の花」という言葉を聞いて、何を連想するだろうか。ある人はヒマワリを、朝顔を、ある人は花火を連想するかもしれない。


私はといえば、このブログ(前身の日記を含む)でも何度か書いているように、やはり原民喜の「夏の花」になってしまう。どうしても。どうしてもそうなってしまうので、この短い小説を毎年夏になると読む。読まねばならないと思う。


愛妻を亡くした内気な作家は、故郷である広島に戻る。そして原爆に遭遇する。幼いころから「死」と親しんできた作家にとって、妻との出会いは「死」までの猶予期間であったのかもしれないという見解はなるほどと思わせる。


内へ内へと向かう彼を姉のように温かく包み込み、創作への意欲をさりげなく引き立て、病床の身になっても彼を支え続けた妻を失ったということは、作家にとって「死」への猶予期間が終わったことを意味したのかもしれない。


しかし、そんな時彼は原爆に遭う。そして、命からがら非難する最中にもメモを記し、後に「夏の花」という作品に結晶させる。


手元にある集英社文庫の「夏の花」は、原爆投下前のどこか精気を失った故郷と人々を描いた「壊滅の序曲」、原爆投下直前から直後までを描いた「夏の花」、そして原爆以降周辺に起こったことを記した「廃虚から」の3部構成になっている(一般的に「夏の花三部作」と呼ばれているらしい)。いつもなら8月に入ってから読むのだが、昨日佐倉への往復で読み終えた。


「夏の花」の冒頭で、妻を亡くし故郷に帰った男は妻の墓参りに行こうとしている。


私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。(中略)その花は何という名称なのか知らないが、黄色の小弁の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかった。


「黄色の小弁の可憐な野趣を帯び」という表現が、はじめてこの作品を読んだ時から脳裏から離れない。そして、私にとっての「夏の花」は、その作品であるとともに、名も知らぬ「黄色の小弁の可憐な野趣を帯び」た花となった。


かつての原爆では、関節被爆(二次被爆)などというものがあるなどということは知らされていなかった。というより、未知の爆弾の正体さえ誰にもわからなかった。家族や知人の安否を心配し、多くの人たちが原爆投下直後から被爆地を訪れ、間接被爆した。


間接被爆は、体に異変を感じても原因を特定しにくく、辛い思いをしている人たちは信じられないくらいの年月を過してきた。数十年経ってから被爆証明をもらえたとして、彼らが過してきた辛苦に満ちた年月は誰も補うことができない。


「夏の花」を読み、あらためて今回の原発事故のことを考える。かなり遅れたとはいえ、とりあえず非難区域を設定し、住民に間接被爆の危険性を知らせることはできた。しかし、「平和で豊かな暮らし」を実現する手段のひとつとして私たちが積極的にであれ消極的にであれ選んできたものが、これから数十年尾を引き、多くの人たちを苦しめることになるということをもう一度確認しなければならないと思う。


「原爆記念日に広島に行く」という計画は、未だ実行に移せていない。しかし、諦めずにいようと思う。生きている限り、諦めずにいようと思う。忘れずにいようと思う。

| - | 20:22 | comments(0) | - |
Leaves&Hips
11-0727
・・・暑さには弱そうだが、ヒップはなかなかいい感じ。ロサ・ペンデュリナ・・・

3.11東日本大震災から139日目


曇りの日を選んで行こうと思いつつ、なかなか行けなかった草ぶえの丘に行ってきた。


少しくらい雨が降ってもいいやと思い、レインコートとタオル(カメラを保護する)を持っていったが生憎雨は降らず、午後からは晴れてくる始末。もう少し天気が悪い方がよかったのだが・・・


今回の目的は、とにかく薔薇の葉と実を見ること。花の時季に行くと、いかに葉っぱフェチの私でも花に目が行ってしまいがちで、葉をしっかり観察することをつい忘れてしまう。実は秋に色づいてからでもいいのだが、秋までもたない実もあること、秋は秋でまた行けばいいと思っていること、等により7月にも行くことにした。片道2時間かかるが、行き慣れてしまえばたいした負担ではない。


夏休みに入ったので、子どもたちのグループや親子連れが幾組かいたが、バラを見に来ている大人は私1人。ゆっくりたっぷり見てまわることができた。


千葉も猛暑が続き、葉が傷んでいるものもかなりあったが、それでもお気に入りの葉をいくつか見つけたり、新しく植えられた薔薇の様子を見たりして楽しい時間を過した。


やはりいいなぁと思うのはスピノシッシマの仲間。やわらかい小さな葉がきれいだ。丸いヒップは品種によって色が違うが、私は赤いヒップより黒いヒップが好み。ロサ・スピノシッシマやレッドネリーがお気に入りだ。が、今回はロサ・ユゴニスの赤いヒップも葉の色合いとよく似あってステキだった。うっとり。


前からあったらしいのだが、気付かなかったのはロサ・スティポダというアジアの原種。とにかく葉がきれいなので来年の春はぜひ花を見てみたいと思っている。


樹型や葉の雰囲気が好きなロサ・ギガンティアも元気で、大きなヒップをたくさんつけていた。新しくできたサンタマリアの谷にはハイブリッド・ギガンティアがいくつか植えられているので、今後が楽しみだ。まだ名札が間に合っておらず、名前がわからないのが残念。


帰りがけに売店でY氏と話し込んでしまい、今回もバスの時間ギリギリ(^.^;) いろいろなことを教えていただき、気付けば1時間近くおしゃべりしていたことになる。ああ、楽しかった!

| - | 21:41 | comments(0) | - |
やっぱり気になる
11-0726

3.11東日本大震災から138日目


昔よりだいぶ寛大になったと思うのだが、それでも日々聞こえてくる言葉がどうしても気になることがある。


名称を当たり前のように省略してそれが普通になっていくのもどうかと思うが、そんな例はあまりに多くて書く気にもならない。今回はそれ以外の2つを挙げてみたい。


気になる言葉その1は、「だいじょうぶ」である。私の感覚では、何かの具合なり調子なりが悪かったり、突然の災禍に見舞われた者に対して発せられ、またその答えとして使われる言葉なのだが、最近はそうではないらしいのだ。


道にうずくまっている人がいる。「もしもし、ご気分が悪いのですか?だいじょうぶですか?」「ええ、だいじょうぶです」これなら、すんなりわかる。が、最近では「レジ袋はご入り用ですか?」「だいじょうぶです」とか、「リボンをおかけしなくてだいじょうぶですか?」などという使われ方をしている。もはや「要・不要」を表す言葉になっているのかと思うと、やはり抵抗を感じてしまう。


もうひとつは、もっと微妙で抵抗を感じている人が少ないかもしれないが、「そうなんですねー」というヤツ。会話の中で主に聞き手にまわった人が、「なるほど」程度の意味で使っていると思われるのだが、なぜか引っかかる。


「そういうことなんですね」「そうだったんですね」「そうなんですか!」なら全く感じない抵抗感。いかにも耳障りがよさそうなところが曲者だと思ってしまうのは、私の性格が歪んでいるからだろうか。


すべて、「ま、いっかー」で済ませようと思えば済ませられる範囲なのかもしれない。敬語も最近では尊敬語も謙譲語もめちゃくちゃで、ただそれらしく使えばOKのようになっているような気がしてならぬ。言葉も人なり。気持ちがそぐわないから、めちゃくちゃになっているのではないかと思うのは考え過ぎだろうか。

| - | 23:01 | comments(0) | - |
原田芳雄を悼む
11-0725

3.11東日本大震災から137日目


先週、最も好きな俳優の一人だった原田芳雄の訃報が流れた。すぐにでも追悼を書きたいと思ったが生憎PTOTO WEEKだったので遅ればせながら・・・


俳優としてはもちろん、歌い手としての原田芳雄もかなり好きで、このことは以前にも書いたことがあると思う。上手いというよりも、どんな曲も自分の曲にして歌いこなしてしまう稀な才能を持っている人で、とくにブルースは出色。


映画では、やはり「ツィゴイネルワイゼン」だろうか。語り手である青地の友人である中砂という男を演じ、そのエキセントリックな雰囲気を出せるのは原田芳雄しかないと思わせた。旅から旅への暮らしを重ねる旅に、狂気じみてくる中砂。現実なのか幻想なのかわからぬ世界で生きる中砂。その不思議なキャラクターを演じきれる俳優は稀だと思う。


最近のテレビドラマでは、「不毛地帯」の大門社長、「火の魚」の老作家が印象的だ。


大門は近畿商事の代表であり、会社を国際的な企業に成長させるために大本営の作戦参謀だった壱岐(主人公)を強引に入社させる。大胆な経営で会社を大きくしてきたワンマン社長であり、相場にかける情熱と自信は揺るぎないものだったが、その勘も徐々に鈍くなり大きな損失を出す。自らの老いを認めたくないという気持ちが強く、会社と大門を思い相場から手を引くことを願う壱岐に憤る。自信と不安の狭間で揺れ動く男の姿が見事に演じられていた。


一方「火の魚」では、島に引きこもった、世をすねたような老作家の役柄だ。最近自分が書く作品がつまらないものであることを知りつつ、編集者や読者を馬鹿にするように書き続けている。が、新しい担当としてやってきた女性編集者は彼の近作がいかに堕落したものであるかを明確に指摘し、プロ同士としての厳しい会話が繰り広げられる。


プライドを傷つけられた老作家は、魚拓を作ったことがあるという女性編集者に、本の表紙は金魚の魚拓にしようと持ちかけ、大きな琉金を彼女に殺させる。それは、「死」を間近に感じつつある人間が、いのちの輝きを謳歌しているような若者に対する嫉妬であったかもしれない。しかし、女性編集者はある日突然姿を現さなくなってしまう。


生意気なヤツだと思いながらも本心では彼女を気に入っていた作家は、編集部に乗り込み仔細を知る。彼女は癌が再発して入院していたのだ。彼女も自分と同じように、迫り来る「死」とともに生きていたのだった。


白い麻のスーツを着て大きな深紅のバラの花束をかかえ、作家は病院を訪れる。訥々とした言葉の中に、いかに彼女のことが好きだったかが込められており、彼女もそれを無言で理解する。永遠の別れの、切ないシーンだった。


この作品は、追悼番組として放送された。やはりいい作品だなぁという思いを強くしたと同時に、稀有の俳優がいなくなってしまった淋しさをひしひしと感じた。


命を懸けたともいえる「大鹿村騒動記」は連日満員らしい。見たいと思うが、満員覚悟で行く気力が今の私にあるかどうか・・・座れればいいのだが、立ちっぱなしがかなり辛い今日この頃、ちょっと悩んでいる。


*「ヨコハマホンキートンクブルース」いいねー

*「ミッドナイトブルース」もいいねー

*作詞をした藤竜也の「ホンキートンク」をみつけた。

*作曲者であるエディ藩のは、こちら

*「ツィゴイネルワイゼン」の原作とされる「サラサーテの盤」も大好き。

*私なりの追悼がしたくて「はなれ瞽女おりん」と「父と暮らせば」を借りてきた。

*「祭りの準備」はレンタル中。次回借りたいと思います>Mさん

| - | 21:05 | comments(2) | - |
PHOTO WEEK・・・雑草と呼ばれて<7>
11-0723

3.11東日本大震災から135日目

綿毛といえばタンポポだが、こんな小さな綿毛も見逃せない。オオアレチノギクかヒメムカシヨモギかそれとも・・・個体差もありなかなか同定が難しい。綿毛が飛んだ後の姿もなかなかいいのだが、それは次の機会に。来月も「雑草と呼ばれて」第2弾を予定している。
| - | 08:37 | comments(2) | - |
PHOTO WEEK・・・雑草と呼ばれて<6>
11-0722

3.11東日本大震災から134日目

雑草と呼ばれる草でも、あまり嫌われていないのではないかと思われるものたちがある。猫じゃらしことエノコログサもその仲間か。とりたてて美しいというわけではないかもしれないが、風にそよぐ花穂は動物の尾のようで愛嬌がある。ちなみに、わが家の猫たちはこれが大好き。おもちゃには見向きもしない時でも、コイツが出て来ると大興奮する。
| - | 10:18 | comments(0) | - |
PHOTO WEEK・・・雑草と呼ばれて<5>
11-0721

3.11東日本大震災から133日目

秋の草むらに立ち入ると、この草の種が道連れになる。いわゆる「ひっつき虫」の仲間で、最も一般的ではないかと思われるセンダングサ(もしかしたら、アメリカセンダングサ)。遠目にはやや粗めのポンポンに見えるが、どうしてどうして。隙あらばひっつく、なかなかしたたかなヤツである。
| - | 17:08 | comments(0) | - |
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