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日々の内側
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un filサイト、移行
11-0531

3.11東日本大震災から82日目


細々と続けている手作りショップ“un fil”のサイトを移行した。実は3月中くらいにはほとんど出来上がっていたのだが、諸般の事情により2ヶ月ほど紹介が遅れてしまった。


以前のサイトも自分ではけっこう気に入っていたが、今後商品が増えることを考えると、見やすく選びやすいサイトに変える必要を以前から考えており、グラフィック・デザイナーでありWEBデザインもこなすSさんに相談していた。そして、ドメインを取ってもらい、私にも更新できそうなスタイルで基本を作ってもらった。


基本は作ってもらったが、今後自分で更新しなくてはいけないのでSさんの講習(!)を受けなければならない。互いの都合によりやっと今月半ば過ぎに会うことができたというわけだ。


新しいサイトは最新更新分12点のサムネイルがトップページに出るようになっている。右側のフレームにカテゴリーが表示されるので、そこをクリックすればカテゴリー別に見ることができ、売れてしまったものは「SOLD OUT」にひとまとめにしてある。


ちょっとわかりにくいかもしれないが、新商品はSOLD OUTになっても次の更新まではトップにサムネイルが表示される。それぞれをクリックすれば販売中か売切れかはわかるので大丈夫だとは思うが・・・今後様子を見て改良した方がよければ対処したいと思う。


今回夏向きのものを10点ほどアップし、自分で更新をしてみた。なんとかなった・・・(^.^;)

いつも、ある程度まとめて更新した時は今まで購入してくださった方々にメールでお知らせするのだが、今回はどうしようか・・・と思ったがサイト移行の件もあるので今日中にでもやっておこう。


写真は、新しいサイトのURLが記載されたDM。これもSさんにデザインしてもらったもの。Sさんにはいろいろ注文を聞いていただいた上、格安のデザイン料金でやっていただいた。申し訳ない・・・そのご好意に報いるためにも、少しずつでもいいから今後も手を動かし続けていきたいと思う。どうぞよろしく!


●un fil新サイト・・・http://un-fil.com/


*すでに新商品2点の注文あり。ありがたやー

*わからない点があれば、メールフォームでお気軽にお問合せくださいませ。

| - | 07:12 | comments(2) | - |
「天国」と「草葉の陰」
11-0530

3.11東日本大震災から81日目


土曜日午前中はTBSラジオを聞いていることが多い。先日、「永六輔その新世界」で永六輔が「天国」と「草葉の陰」の違いについてちらりと触れていたのが記憶に残っている。


いわく、ごく普通の葬式(仏前)で“故人も天国で・・・”という言い方を耳にするが、仏教に「天国」という考え方はない。仏教の世界では死者がいるのは「あの世」「草葉の陰」だ・・・云々。確かにそう言われてみればそうだなと妙に感心してしまった。


テレビドラマなどでも、親を亡くした子どもに「きっとお父さんは(お母さんは)あの空の上から君を見守っているよ」というような台詞がお決まりのように出てくる。ああ、またかとは思っても別に不思議に思わなかったが、果たして死者たちがいる場所ははるかはるか上空にある世界なのだろうかと改めて考えてみるが、よくわからない。その存在さえ確かなものではないので当たり前といえば当たり前だが。


「草葉の陰」というのは、文字通り草や葉の陰(下方)を意味し、ひいては墓の下を指すという。確かに墓の下には骨がある。しかし、もし死とともに魂(というものがあるとして)が肉体を離れるなら、魂もまた骨とともに墓の下にあるのだろうか。これもなにやらよくわからない。


よくわからないことだらけだが、今の私の気分としては、親しかった人の魂ははるかはるか上空からこちらを見下ろしているよりも、身近な草や木々の葉陰からそっと見ている方がなんとなく嬉しい。


花の香りに、風の感触に、今は亡き親しかった人を思い出す時、ああ近くにいるのかもしれないと思いたい。近くにいて私を守ってほしいとまでは思わないが、その存在を親しみのある距離で感じていたいような気がするのである。

| - | 16:39 | comments(2) | - |
たからもの
11-0529

3.11東日本大震災から80日目


今月15日、陶芸家ヴェロニカさんの大地窯で行われたイベントに参加したことは、いろいろな意味で実り多い経験だったと思っている。そのひとつひとつについては、折に触れて書くこともあろうかと思うが、今日はヴェロニカさんの工房でありお住まいである場所に鏤められたものについて少し書いてみたい。


最初にお邪魔したのは去年の秋だった。晩秋の気配が訪れつつあった山梨。車を停めた道路から坂を上り、木々に囲まれた大地窯に近づくと、毛糸の帽子を被ったヴェロニカさんが笑顔で出迎えてくれた。


1階の仕事場は、陶芸家の仕事場をはじめて見る私にとって興味津々のものではあったが、はじめての訪問なのでじっくり見るわけにもいかずそのまま登り窯があるところに行った。窯焚きの時、そこは戦場になるという場所は、次野闘いまでの休息を静かに楽しんでいるがごとくひっそりとしていた。蓮を植えた水簾鉢が置かれ、蓮の実がひとつ落ちていてヴェロニカさんがそれをくれた。


2階から室内に入ると、もうずいぶん弱ってきたと聞いていた「老君」と呼ばれる犬が、やさしい眼差しで出迎えてくれた。足元が少しおぼつかない。それでも、来客を精いっぱい歓迎してくれているようで、思わず涙が出そうになった。


ヴェロニカさんの器でおいしいお茶を何杯もいただき他愛ない話をしながら私は室内を眺めた。電化製品というものがほとんど見当たらない板敷きの部屋は、ある意味で私の理想ともえいるものだった。窓枠に無造作に置かれた石や木の実や陶片・・・ひとつひとつが私にとって「たからもの」のように魅力的に見えた。


今回2度目の訪問は、バザーというかたちで様々な人が集まる場であったこともあり、私も自由に室内や屋外を歩き回ることができ、最初の訪問では見ることができなかった「たからもの」をいくつも見ることができた。それが大きな収穫のひとつだったと思っている。


一番印象に残ったのは、仕事場の壁にさりげなく掛けられていた小さな絵だ。帽子を被った男のシルエットが描かれている小さな絵で、額縁といっていいか迷うほど素朴な額に入っている。コートを来て、どこかの町を通りすぎようとしているのだろうか・・・


いつかまたヴェロニカさんにお会いする機会があれば、その絵についていろいろお聞きしてみたいと思う。

| - | 20:28 | comments(0) | - |
手の込んだ手仕事
11-0528

3.11東日本大震災から79日目


季節限定のようなかたちで薔薇サイトを続けているが、ここ数年画面右側に25枚のサムネイルが表示されるレイアウトを使っている。年を経るごとに地味な感じになってきているような気もするが、自分の好みの変遷をみるようで、それもまた面白い。


以前、このサムネイルを見て「手の込んだ手仕事が鏤められているよう」だと言ってくださった方がおり、自分ではそんなことを意識したことがなかったのでとても嬉しかった。私好みの花は小さく、葉も小さいものが多いので、サムネイルになってもそんな雰囲気が出たのかもしれない。


手の込んだ手仕事は、見るのも自分で行うのも好きだ。これだけのものを仕上げるのに、一体どれくらいの時間がかかったのか・・・その時間、作り手は何を思っていたのか・・・そんなことを想像するのもまた楽しい。


自分で何かを作る時も、一目一目、一針一針、といったスタイルで作っていくのが好きである。時間はかかるが、一目の、一針の表情がおもしろい。同じ自分の手なのに、編み目や縫い目が時々以前とは違ったりするのも人間がすることのおもしろみかと思う。


また、編み物にしても縫い物にしても、機械を使わずに作業していると糸や布の表情を手で確かめることができる。同じくらいの太さの毛糸であっても、同じウール100%であっても、原毛の種類や紡ぎ方、撚り方などにより編み心地が違う。とくに私のように簡単な編み方しかしないと、編み図に気をとられることなく糸の表情を楽しみながら作業をすすめることができる。


これからも、細々とでもいいからそのような手仕事を続けていきたいと思っているのだが、最近ちょっと身体の方がついていかない。目もそうだが、首が・・・


ひと月ほど前、首を傷めてしまった。前々から頚椎が少し変形しており、首は私のウィークポイントであることは知っていたが、左手にしびれ、軽い傷みを感じるようになった。左腕1本まるまるとてもだるくなったり眩暈を感じたりすることもあり、心配になって検査をした。


幸い脳には何も異常がなかった。首の方も入院するほどのことはないと言われ、ほっとしている。しかし、極端に上を向いたり、下を向く姿勢をある程度続けていると首が辛くなる。電球を取り換えるのが一苦労(^.^;)だし、編み物よりも縫い物をしていると首が辛くなる。

これ以上ひどくしないためにも、休み休み、ゆっくりゆっくり続けていこう。

| - | 10:15 | comments(0) | - |
わが家の草たち<4>スナゴケ
11-0527

3.11東日本大震災から78日目


草といってはいけないような気もするが(というか、草ではない)、草と似たような扱いをしているので今回は苔を紹介する。


私は苔とかシダがかなり好きである。花よりも葉が気になるタチから言って当然の帰結ともいえるのだろうが、とにかく好きで、できるなら身近に置きたいと長い間思い続けている。しかし、どちらもちょっと癖が強い。


品種を選び、栽培のコツをつかめば上手くいくのかもしれないが、とくに苔は中々手強いのである。


苔というと、薄暗く湿度の高いところに生育するというイメージがある。多くの苔が半日陰に育ち、空中湿度が高いところを好むのは事実だが、あくまでも「空中湿度」なのであって、常に水づいているところで元気に育つ苔は少ないように思う。


盆栽にしろ山野草にしろ庭にしろ、自然に生えてきた苔は手間入らずだ。しかし、どこからか採ってきて栽培しようとすると、途端に難しくなるというのが偽らざる感想である。だから、上手に苔を栽培している人を知ると、思わず「ソンケーのマナザシ」になってしまう。コツを伝授してほしいと思う。


写真のスナゴケは、苔としては珍しく日当たりが好きで乾燥にも強い。乾燥するとチリチリになるが、水を与えると元に戻る。伸びすぎたら刈り込む。それでけっこう元気に育つのだが、以前一度ダメにしたことがあるので今回はちょっと慎重になろうと思っている。


スナゴケに限らず、ありふれていて単純なものほど、いい鉢に入れてやりたくなる。今回は松下凡才の焼〆手捻りの小鉢を奢ってみた。気に入ってくれるといいのだが。

| - | 20:30 | comments(2) | - |
わが家の草たち<3>ヤクシマヘビイチゴ
11-0526

3.11東日本大震災から77日目


子どものころから身近にあったヘビイチゴ。花が咲いている時まではさほど目立たないが、実が赤くなった途端によく目立つ。田の縁で、原っぱで、空き地で、公園で・・・あまりにもありふれているので、栽培しようとはついぞ思ったことがなかった。


山野草を育てはじめ、いろいろな苗を業者から買ったりしているうちに、気候が大きく違う高山性の植物を育てることに抵抗感を感じるようになった時、幼いころから親しんできた植物たちに今までとは違う視線を持つようになった。


苦労しながら高嶺の花を望むより、足元にある可憐さに目が向くようになると、今まで気付かなかった魅力に驚くことも多かった。


ヘビイチゴもそのひとつで、旺盛に繰り出してくるランナー(匍匐茎)の表情も面白い。腰高の鉢に単植するのもいいし、平らな鉢に群生させても花時、実時は見ごたえがある。寄せ植えの脇役としても優秀で、背の高い草の足元を引き締める役割をしっかりと演じる。


今手元にあるのは、一般的なヘビイチゴをぐっと小型にしたヤクシマヘビイチゴ。先日「日草展」に行った時に入手した。花の大きさはマッチの頭?くらいの大きさで、たぶん実も直径1〜2mmくらいだろう。


今はほとんど花が終わってしまったが、切らずにそのままにしてある。赤く色づくといいなぁと思いながら毎朝熱い視線を注いでいるところだ。

| - | 10:20 | comments(2) | - |
わが家の草たち<2>ヒメフウチソウとヒメツキミソウ
11-0525

3.11東日本大震災から76日目


鉢の直径は5センチくらい。手の平に乗るくらい小さな寄せ植えだ。両方とも主役にはなかなかならない草だが、どちらも昔から大好きでみかけると欲しくなる。


フウチソウは涼感をさそう草として玄関先などに飾られていたり、花を引き立てる脇役として庭に植えられていたりする。私が最も好きなのは青葉種だが、明るい緑の黄金種、葉先が赤くなる紫種、斑入り種などがある。


夏もたけなわになると、イネ科の植物らしい穂を出して風に揺れる。「カゼクサ」という雑種扱いの草があるが、それにも通じる軽やかな穂だ。


ヒメツキミソウは、マツヨイグサの花を極端に小さくしたような黄色い花を咲かせ、タネを飛ばして近くにある鉢に飛び込むのが得意。どこに飛び込んでも邪魔にならず、人間の創意を越えた寄せ植えの面白さを見せてくれる。


これくらい小さい鉢は水の管理がけっこう難しく、私はこれまで何度も水切れさせてダメにしてしまった。日当たりがいい方がいいのだが、心配なので北側ベランダの薔薇鉢の上にちょこんと置いてある。

| - | 13:47 | comments(0) | - |
わが家の草たち<1>ヤクシマフユイチゴ
11-0524

3.11東日本大震災から75日目


未だ薔薇ばかりのベランダだが、時折デスクの上において鑑賞したい草物を少し育てている。置き場所はもっぱら薔薇の鉢の上(^.^;) それらの草たちを何度かに分けて紹介してみよう。


今日の写真は「ヤクシマフユイチゴ」として売られていたもの。フユイチゴよりかなり葉が小さい。草木の名前で「ヤクシマ」がつくとたいていは小型(時には超小型)であることが多く、「ヤクシマショウマ」「ヤクシマススキ」「ヤクシマテリハノイバラ」などかなりの数がある。


今回あらためて調べてみたが、「ヤクシマフユイチゴ」という名前はなかなか見つからず、ヤクシマ産のフユイチゴとしては「マルバフユイチゴ」があることを知った。名前のとおり葉が丸く、わが家のものとは違う。


あきらめずに探してみると、「コバノフユイチゴ」にたどり着いた。たぶん、これである。茎に小さな棘があると書かれているので、じっくり観察してみたら今まで気付かずにいたが本当に棘があった・・・と思ったら、別サイトでは「コバノフユイチゴ=マルバフユイチゴ」とあった。植物の名前はこれだから一筋縄ではいかない。


フユイチゴは山地の林下に生育する常緑小低木(なんと草ではなく低木!)。するすると伸びるつるが地を這うので、木というよりも草のような印象だ。小さな白い花を咲かせ、初冬に実が赤く色づく。小さな鉢植えではなかなかそこまでいかないのだが、紫色を帯びた

古い葉もなかなか渋く、この時期は新しい緑色の葉と同居していい雰囲気である。


林下に生育するということで、冬から春先には日に当て、夏は日陰に置いておいた方がよさそうだ。今年3年目だが、先日自宅付近で採集してきた苔を張ってみた。苔はなかなか繊細で、今後定着するかは不明だがあるとないとでは雰囲気が全く違う。


ぽてっとした鉢は、だいぶ前に奥沢の「品品」で買った焼〆。何にでも合うので3個買い、現在このフユイチゴの他、イヌビワと先日ゲットしたツワブキを植えてある。いずれも機会があったら紹介したい。

| - | 08:58 | comments(2) | - |
薔薇を見ながら“洗練”を考える
11-0523

3.11東日本大震災から74日目


昨日の話題と関係なくもないが、近ごろ“洗練”とはどういったことだろうかと考えている。


辞書で調べれば、「優雅で品位の高いものにみがきあげること」(三省堂・大辞林)とある。確かにそれはそうだと思うのだが、この「みがきあげる」主体はたいていの場合人間で、その人の価値観や美意識によってみがきあげられ方が違ってくるのは当然だ。また、それを見る者の眼もそれぞれで、何をもって「洗練されている」と判断するかは人それぞれということになってしまうのかもしれない。


しかし、そう言ってしまえば身も蓋もなくなってしまう。この「身も蓋もなくなってしまう」ことで思考をストップさせてしまっては、ちょっと悔しいし面白くない。「私見ですが」と常に断るのも億劫なので、こんな個人的なブログではやおら独断になってもいいではないかと思ってこんな日記を書いてみる。


いろいろな薔薇を見ていていつも思うのは、いわゆるモダンローズと呼ばれる改良に改良を重ねられた(あるいは交配に交配を重ねられた)薔薇は、なんで面白くないんだろうということだ。もちろん好みもあるが、それをできるだけ横に置いてみても、やはり興味をもつことはほとんどない。


何故だろう。薔薇の歴史は長く、時代が新しい薔薇ほど「みがきあげる」時間が長いとすれば、洗練の度合いも高いはずなのであるが、洗練とはこんなに退屈なものなのか、と。例外はもちろんあるが、花の形、色、大きさ、香りなどの違いがあるにもかかわらず、私には非個性的に見えることが少なくないのだ。


再び何故だろう。もしかしたら、「みがきあげる」目線に鍵があるのかもしれない。目線が「花」に集中しているのかもしれない。一個の「低木」としてではなく、「花」を生み出すという目線になるのかもしれない。そうでなければ、モダンローズの多くが似たような葉、似たような樹型であるはずがない。


見事に整った薔薇の花は時として芸術品に喩えられるが、考えて見れば「芸術」とは人間がなすものであり、「芸術」が技術や感覚を「みがきあげた」結果として生まれてくるなら、それは当然のことだろう。好き嫌いは別にして、それは人間が創った作品である。


一方、人間の手によって「みがきあげられる」ことなく今に至っている原種の薔薇は、“洗練”とは縁のないものなのだろうか。“洗練”とは対極にある“野暮”で“あかぬけず”、“泥臭い”ものだろうか。


いや違う、と私は思う。原種や原種の面影を残す薔薇を育ててみると、彼らの個性の豊かさと表情の美しさに感動することが多い。扱いに困るような枝ぶりと格闘し、年に一度きりの花を惜しみ、逞しいかと思うとはかない性質にうろたえながらも、私は彼らの中に“洗練”を見る。


私はこう思うのだ。“洗練”とは人間によるものだけではないと。薔薇に限らず、大昔から生き残ってきたものたちは、自然の手で洗練されてきたのだと。そして、私はたぶん人間の手になる“洗練”よりも、自然の手になる“洗練”に魅力を感じているのだ、と。花だけ、葉だけ、といった集中的なものではなく、植物全体に及び絶妙なバランスをもたらす“洗練”。私はそんな“洗練”が好きなのである。


写真は、Rosa primula。中国南部、トルキスタン原産。ピンピネリフォリア属の早咲きで、名前は他の薔薇に先駆けて咲くことから。葉が香ることから“Incens rose”の別名もある。現在花が終わり、新葉をどんどん展開している。赤味を帯びた細い枝と瑞々しい小さな葉の組み合わせがすばらしい。

| - | 11:43 | comments(2) | - |
デザインと機能性
11-0522

3.11東日本大震災から73日目


若いころから「デザイン」というものにはなはだ興味があって、身の回りの様々な分野で注視していた。


今思えばほほ笑ましいような、恥ずかしいような、妙なこだわりがあったこともあるが、自分の懐が許す範囲ではあるが多少無理して気に入ったデザインのものを手に入れたりもしてきた。


かつて費やしたものを「授業料」と言い訳しながら今でも「デザイン」には興味津々だが、やはり年月を経るとともに自分の「眼」も鍛えられ、また変化していく。


しかし、かなり早い時期からわかっていた・・・というより学んだことは、デザインの完成度が高いものは機能面での完成度も高いということである。


「ジャケ買い」という言葉がある。中身についてはほとんど知識がないのにレコードのジャケットだけを見て買うことをいうが、これはたいてい成功する。また、同じ「ジャケ」でも洋服の方のジャケットも、カッティングがしっかりしていて見た目が美しいデザインのものは、着ていて気持ちいい。


前置きが長くなってしまったが、今日書こうと思ったのは植物のデザイン、とりわけ「タネ」「実」のデザインについてなのであった。


春たけなわ、いやいやすでにもう初夏の雰囲気が満ち、路傍で、空き地で、公園の植え込みで、芝生で、タンポポの綿毛がのんびり風に揺れている。子どものころ、ふっと吹き飛ばして風に乗せて遊んだ人も多いことだろう。また、写真好きならマクロでこの繊細なタネを捉えたいと思ったことだろう。そして、写真に撮ってみて、あらためて自然が作り上げたデザインに感嘆する。


ご存知のとおり、私は秋になると歩きながら様々な木の実・草の実を集める。どうしてなのかを考えるに、まず第一にそのデザインの良さに心惹かれるからだろう。さんざん宣伝している無患子(ムクロジ)をはじめ、造形の妙は人の手になるものをはるかに越えると私は思っている。


また、それらは機能性もたいへん高い。というよりも、彼らからすれば種を保存することしか実やタネを実らせる目的はないのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、人間の目から見るとその機能性は驚くべきものである。


たとえば、大きな音を出してはじけるフジのサヤは、らせん形にねじれながらはじける。さやは斜め方向に縮み、内部のひずみが限度に達した時に勢いよくはじけるのだ。ただ単にパカッとサヤが開くよりも、らせん形にねじれながら力強くはじけることにより、タネはより遠くに飛ぶ。


鳥たちに繁殖の手伝いをさせるタイプの実は鮮やかな色であることが多い。ヒヨドリジョウゴ、ナンテンなど真っ赤な実や、ジャノヒゲ、サワフタギ、アオツヅラフジなどは深い青が印象的だ。


この冬、市民の森を歩いていたら階段脇に植栽されたノシランの青い実に目がとまった。ジャノヒゲなどよりも大きな瑠璃色の実で、金属的な光沢があり薄暗い森の中でも目立つ。鳥たちが餌に困る季節に色づき、繁殖を手伝わせているのだ。


カラスウリはまずあの朱色で鳥たちの目を引く。実を破ると、納豆のようにねばねばしたタネがあり、ねばねばしているので鳥たちはタネを割らずにするするっと飲み込んでしまう。そして糞と一緒に土に落とす。


と、数をあげればキリがないほど植物のタネや実は知恵者なのである。その知恵を有効に使うためのデザインは実に個性的で楽しい。未だ「なぜ、こんなデザインなの?」とわからないものもたくさんあって、それを知る楽しみというものもある。


「青桐のタネはなぜボートのような実の皮の縁についたまま落ちるんだろう」「アオツヅラフジのタネはなぜアンモナイトのような形をしているのだろう」「ムクロジの実にはなぜサポニンが含まれているのだろう」楽しい疑問がいっぱいである。

| - | 10:27 | comments(0) | - |
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