都会育ちの甘ったれた考えだと謗られるかもしれないと思いつつ、農業に対して憧れのような気持ちを持ってきた。ひとつぶの種から育てたものが立派に成長した時の充実感を憧れた。
モノやサービスを買ってもらうための文章を書くことが私の主な仕事であったわけだが、若いころならいざ知らず、年を重ねるごとに気持ちのどこかに空しさを感じるようになった。知恵を絞り書いた文章も、次から次へと跡形もなく消えていく。商業文とはそういうものなので納得もし、それでも書くことが好きだったから今まで続けてきた。しかし、自分がしていることの「確かさ」を感じることは少なく、もっと確かな手応えを感じるものへの憧れがあった。
今回の震災(地震、津波)が与えた農業、漁業への影響は計り知れない。丹精こめて耕した田や畑は荒野となり、出荷を待つばかりだった野菜は根こそぎ流され、船は崩れながら陸へ打ち上げられ、あるいはバラバラになり・・・生業を成り立たせていた土台そのものが自然の大きな力で根こそぎ消えてしまった。
しかし、と私は思う。
農業や漁業に従事してきた人たちは、私たちよりもずっと自然の力を知っていたはずである。こんな大きな地震、津波には思いが及ばずとも、自然の怖さ、厳しさを知っていたはずである。同時にそのやさしさ、おおらかさも知っていたはずである。
そう思うと、もし今回の出来事が地震と津波だけだったら(「だけ」と言うのも憚られるが)、彼らは心のどこかで納得したのではないだろうか。自然の力、自然の理不尽さを肌で感じてきた彼らは、茫然自失の時を越えた時、絶望の中でも納得し、一粒の種をまくように希望の種を蒔こうとするのではないだろうか。
しかし、地震の後に起こった原発問題は、あきらかに人災である。しかも、とてつもなく大きな、罪深い人災である。「天災があばいた人災」とどこかに書かれていたが、まさにその通りだと思う。
自分たちが守り、愛してきた土地。自分たちが恐れながらも愛してきた海。それらが果てしなく汚されていく・・・希望の種を蒔く気力さえ否定するよう禍である。
私の中にある農業に対する憧れと、私の中を流れる漁師の血が声にならぬ悲鳴をあげているような気がする今日このごろ。
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花鳥渓谷及び木村暢子さんへのあたたかいコメント、メールをお寄せいただきありがとうございました。読みながら感動することも多く、あらためてその存在の大きさを知りました。今日いっぱい受け付けておりますので、よろしければどうぞ。
写真は、昨年6月末に花鳥渓谷を訪れた時のもの。2010年7月2日の日記の写真とは違いますが、やはり最高の笑顔です。
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花鳥渓谷または故・木村暢子さんへの追悼メッセージを募集しています。
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詳しくは当ブログ3月25日の記事をご覧ください。お待ちしております。
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