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日々の内側
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重ねて、ああ勘違い(^.^;)
11-0131

一昨日の「ああ勘違い」で、「星の界(よ)」について私はこう書いた。

「歌詞を文字だけで読んでもピンとこない。習ったことも、歌ったこともないし、知らない曲なのかなぁ・・・」


が、私は讃美歌として知る前に、やはり日本語の歌詞がついた歌としてやはりこの曲を知っていたのであった。「星の界」としてではなく、「星の世界」として。「星の世界」は歌詞だけ見ればすぐにメロディが浮かんでくる。


そして、少しややこしい話だが「冬の星座」とどっちがどっちだかわからなくなってくる。久世氏も書いているが、どちらもシンプルな曲であり、夜空の星を歌った歌ということで曲想が似ているからだと思われるが・・・


星の世界


コンヴァース:作曲 川路柳紅:作詞


かがやく夜空の 星の光よ

まばたく数多の 遠い世界よ

ふけゆく秋の夜 すみわたる空

のぞめば不思議な 星の世界よ


きらめく光は 玉か黄金か

宇宙の広さを しみじみ思う

やさしい光に まばたく星座

のぞめば不思議な 星の世界よ


ということで、コンヴァースが作曲したこの曲は、杉谷代水と川路柳紅という2人の日本人が歌詞を書き、それぞれ愛唱されていたということになろう。私は偶然「星の世界」として習ったが、「星の界」として記憶している方々も多いと思う。


個人的には、どちらかというと「星の界」の歌詞の方が好きだ。「人知は果なし無窮の遠に」「仰ぎて眺むる万里のあなた」なんてたまりません!


| - | 22:56 | comments(3) | - |
マイ・ラスト・ソング
11-0130

昨日話題にした「マイ・ラスト・ソング」は、著者である久世光彦氏が死ぬ直前に何でもいいから好きな曲を聞かせてやろうと言われたら何を選ぶかをテーマとした作品だ。ひとつに絞るのも難しいし、考えはじめたらあれこれいくつかの曲が頭に浮かび、その曲にまつわる様々な人を思いだし・・・という、久世氏お得意の流れとなっている。


それはさておき、自分が死ぬ直前に聞きたい曲は・・・と考えてみたのだが、とりあえず頭に浮かんだのは久世氏が挙げていた日本の曲ではなく、クラシックかジャズになってしまった。子どものころから今に至るまで数多くの曲を聴いてきたわけで、その半分くらいは日本人が作ったり歌ったりしている曲であろうと思われるのだが、何故かなかなか浮かんでこない。


とりあえず頭に浮かんだのは、モーツアルトのクラリネット五重奏曲イ長調(K.581)の第一楽章と、ビル・エバンスの「We Will Meet Again」だ。モーツアルトには最後に聴きたい曲がいくつかあるように思い、たとえば以前にも話題にした「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(K.618)もいいなぁと思う。


が、死ぬ時に当たっては、なるべき明るく諦めながら、少し淋しさを漂わせるような曲がいいと思うと、やはりクラリネット五重奏曲になる。


エバンスの「We Will・・・」はタイトルがいい。死出の旅路に発とうとする枕元にもし数人の人が集まってくれるなら、その人たちといつかまた会いたいと思うのではないか・・・


ここまで書いて、もう1曲頭に浮かんだものがある。こちらは日本の曲だ。松任谷由実の「水の影」だ。「影」とは一般的に光源と反対側にできる物体の黒い形をいうことが多いが、辞書で調べて見ると案外その意味は広い。姿そのものを意味することもあれば、細部は明確ではないが輪郭としてとらえられる姿形という意味もあり、心の中に浮かぶ面影という意味もある。


しかし「水」という流動的な、形をとらえることができないものの「影」とは何であろうか。それが不思議でもあり、なんとなく感じとしてわかるような気もするような。


水の影


たとえ異国の白い街でも

風がのどかなとなり町でも

私はたぶん同じ旅人

遠いイマージュ水面におとす


時は川 きのうは岸辺

人はみなゴンドラに乗り

いつか離れて

想い出に手をふるの


立ち去るときの 肩のあたりに

声にならない 言葉きこえた

あなたをもっと 憎みたかった

残る孤独を 忘れるほどに


よどみない 浮世の流れ

とびこめぬ 弱さ責めつつ

けれど傷つく

心を持ち続けたい


時は川 きのうは岸辺

人はみなゴンドラに乗り

いつか離れて

想い出に手をふるの

| - | 22:26 | comments(3) | - |
ああ、勘違い
11-0129

「マイ・ラスト・ソング」(久世光彦著)を読んでいて、作者が子どものころからどうにも混同してしまう曲として「冬の星座」と「星の界(よ)」をあげていて、ああ私も同じようなことがある!と思った。


冬の星座」は音楽の教科書に出ていたことをはっきり覚えている。曲も詞も好きで、よく歌ったりリコーダーを吹いたりしていた。


冬の星座

作曲:W.S.ヘイス 作詞:堀内敬三


木枯らしとだえて さゆる空より

地上に降りしく くすしき光よ

ものみないこえる じしまの中に

きらめき揺れつつ 星座はめぐる


ほのぼの明かりて 流るる銀河

オリオン舞い立ち スバルはさざめく

無窮をゆびさす 北斗の針と

きらめき揺れつつ 星座はめぐる


一方、「星の界」は歌詞を文字だけで読んでもピンとこない。習ったことも、歌ったこともないし、知らない曲なのかなぁ・・・と思いきや、メロディーを聴いて「なんだ、そういうことだったのか!」と相成った。


星の界

作曲:C.コンヴァース 作詞:杉谷代水


月なきみ空に きらめく光

嗚呼その星影 希望の姿

人智は 果てなし

無窮の遠(おち)に

いざその星影 きわめも行かん


雲なきみ空に 横とう光

ああ洋々たる 銀河の流れ

仰ぎて眺むる 万里のあなた

いざ棹させよや

究理の船に


この曲を私は知っていた。知ってはいたが、「星の界」としてではなく、讃美歌312番(「いつくしみ深き」)として。


いつくしみ深き友なるイエスは


いつくしみ深き 友なるイエスは

罪とが憂いを 取り去りたもう

心の嘆きを つつまずのべて

などかは降ろさぬ 負える重荷を


いつくしみ深き 友鳴るイエスは

われらの弱きを 知りて憐れむ

悩み悲しみに しずめる時も

祈りにこたえて なぐさめたまわん


いつくしみ深き 友なるイエスは

変らぬ愛もて みちびきたもう

世の友 我らを捨て去るときも

祈りに答えて いたわりたまわん


つまり、私は「冬の星座」と「讃美歌312番」が同じ曲(作曲が同じ)だと思っていたのだ。いわば二重の勘違いである。やれやれ。


それにしても、「冬の星座」も「星の界」もなんと品格ある歌詞であることよ。「無窮」とは無限のことらしいが、今では全くといっていいほど使わない。が、「無限をゆびさす」より「無窮をゆびさす」の方がはるかにスケール感がある。


何でもかんでも昔の言葉がいいとはいわないが、今流行りの歌を聞くたびに自由という名を借りたある種のだらしなさを感じるのは何故だろう。口語体の歌詞が悪いとは思わないが、

口語体の中に突然「こんな言葉普段の会話じゃ使わないでしょう!」という言葉がひょんと出てきてあっけにとられたりしている。


| - | 23:27 | comments(2) | - |
ガーデンシネマを惜しむ
11-0128

今日TSUTAYAに行き、あれこれDVDを見て回っていたら「恵比寿ガーデンシネマ」のコーナーが出来ていた。この映画館で過去上映された作品をひとつのコーナーに集め特集を組んだもので、見た途端「ああ、そうだった・・・」と思い出した。


昨年末だっただろうか。ニュースでこの映画館が休館することを知った。シネコンの増加や映像の買い付け額の高騰により運営できなくなったと伝えており、軽いショックを覚えたのだった。


熱心に通ったというわけではないが、好きな映画館だった。私のところからアクセスがいいこと、写美もあって行き慣れていること、そして何よりシネコンなどでは上演しない味わい深い映画を選択していること、などによりここ数年では一番多く訪れていたと思う。


もともと私はミニシアター系の映画が好きで、若いころはあちこち通ったものだった。VTRやDVDが気軽に借りられるようになり足を運ぶ回数はめっきり減ったが、それでも「これは!」と思う映画はやはり「館」で見たいと思い続けていた。


今日特集コーナーの棚にあったものの中にも、見たことがある映画がいくつかあり、今考えてみてもいい映画だと思う。「カポーティ」「扉をたたく人」は映画館で観た後もDVDを借りて見たし、上映前の予告で知った「縞模様のパジャマの少年」はついこの間借りたばかりだ。


今日は別のものを借りようと思って行ったのだが、生憎それらは貸し出し中。そんな折に

そのコーナーを見つけたというのも何かの縁。レンタル料半額ということもあり、3本借りて

きた。「ギター弾きの恋」「夏時間の庭」「キャデラックレコード」だ。降車2本は予告を見ておもしろそうだと思った作品。外は寒いし、明日からじっくりこれらの作品を観ようと思う。


ガーデンシネマはとりあえず「休館」ということになっているが、実質的には「閉館」だろう。運営したいという企業が出て来ればまた再開したいという気持ちがこもった「休館」という言葉が切ない。


シネコン、3Dもいいが、ガーデンシネマのようなポリシーが感じられる映画館が消えていく

のは実に淋しい。時代の趨勢という言葉もまた淋しい。


*あらためて調べてみたら、ガーデンシネマは今日までだった。

*なんという偶然・・・

*さよなら、ガーデンシネマ。ありがとう、ガーデンシネマ。

| - | 23:11 | comments(0) | - |
駅伝にはまる
11-0127

年始早々、駅伝にはまってしまった。


私の実家では毎年箱根駅伝を見るのを楽しみにしており、2日、3日はテレビに釘付けとのことは以前から知っていた。が、私は全く興味がなかったので、延々と走るだけの競技をなんであんなに熱心に見ているのか、ご苦労なこった!と思っていた。


が、数年前から少しずつ「走る」ことに対する消極的な興味(自分が走るところまではいかない、という意味で)を持ち始めていたようで、今年一気にそれが表面化したようだ。


年末年始のテレビ番組はくだらないものばかりだと思っていたので、いつものようにラジオをつけながら手仕事をしていたのだが、元旦の「ニューイヤー駅伝」にはじまり、「箱根駅伝」そして「天皇杯全国都道府県対応男子駅伝」まで聞いてしまった・・・というか最初はラジオで聞いていたのだが、画像が見たくなって途中からテレビに切り替えて堪能してしまった。


マラソンは1人の選手があれだけの長い距離を走るという意味で多いにドラマチックだと思う。が、駅伝は区間区間でそれぞれのドラマがあるようで、それが多くの人を魅了するのかもしれない。実際、とくにどこを応援するということもないのに、あれよあれよという間に順位が変わっていく駅伝は目が離せず、「やられたなぁ」と思いつつついつい夢中になってしまった。


折しも、以前から見たいと思っていたDVD「風が強く吹いている」を先日借りてきた。これはDVD発売前に予告を見てみたいと思っており、手帳にメモさえしていたのに今まで何故か見ていなかった。


借りようと思っていたDVDが貸し出し中でがっかりしていた時、「そういえば!」と急に思い出し借りてきた。つい先ほど見終わったが、今まで借りて見る機会を逸していたのは、この時のためだったのかと思えるほど夢中になって見ることができた。タイムリーとはこのことだ。


詳しい内容は省くが、ある強い思いをもつ一人の大学生がやっとのことで一緒に走りたい仲間10人を集め、「箱根駅伝」に挑むというストーリー。はじめは駅伝など考えもしなかった個性的な仲間たちは、徐々にやる気を出していく。それに従って、みなの表情が変わっていく。それが実に清々しく、「男子っていいなぁ」と思わせてくれる。なにより「風が強く吹いている」というタイトルがいい。


根性なしで忍耐力のなさにかけては自身がある私なので、長距離走の選手には前々から並々ならぬ尊敬の念を抱いているが、走ることは楽しいことかもしれないと思わせてくれる映画だった。


身体を動かさずにいると、同じようなことをグズグズと考えて一向に前に進まないことが多い。そういう時は、歩くのもいいけれど、マイペースでもいいから走ってみるのもいいかなぁと思い始めているところだ。

| - | 22:58 | comments(0) | - |
身の上相談
11-0126
・・・暗闇の中に浮き上がるテニスコート。シュールな風景・・・

恋愛相談でもなく、就職相談でもなく、人生相談でもない・・・身の上相談。物心ついた時分には、たまに聞く言葉だったが、今耳にすると妙ないい方かもしれないが新鮮な感覚を覚える。


ほぼ毎日のように聞いてるラジオ番組に身の上相談のコーナーがあり、はじめて聞いた時には「まだこんなものが世間にあったのか」というものだった。しかし何度か聞いているうちに、人が抱える悩みは時代により微妙な変化を見せつつも、案外似たようなものになるものなのだという認識を新たにした。


番組では回答者が日替わりで相談者の悩みに答える。相談者は老若男女様々だが、割合からいうと女性の高齢者が多いように思う。内容は様々だが、贈与など金にからむこと、家族関係などが多い。限られた時間での相談、しかもラジオで公開されるわけだから、相談者にも回答者にも効率的な物言いが求められるわけだが、「身の上相談」と「効率」といういかにも相性が悪そうな組み合わせの中で話がどのように進んでいくか・・・けっこう聞いていておもしろい。


他人の悩みを聞いておもしろいとは顰蹙ものかもしれないが、公開されている以上そう思う人がいても仕方ない・・・というか、「他人の不幸は蜜の味」ともいうように、屈折した楽しみを感じる人だっているにちがいないと私は踏んでいる。私はというと、そこまで屈折はしていないが、ひとつの会話形式としておもしろさを感じている。


高齢者の場合、しかもその人の中でその悩みが深刻であればあるほど、話をすっきりまとめることができない。聞いていて歯がゆくもあるのだが、気持ちが先走って藁をも掴むような思いで電話をかけてきているのかもしれないと思うと、いたしかたのないことなのかもしれないとも思う。


気になるのはどちらかというと回答者の方で、支離滅裂あるいは極端な説明不足になりがちな相談者に対して、イライラしているのがなんとなく感じられると、もう少しどうにかならないのかと思う。また、回答者ではあるが、まず相談者がいいたいことをできるだけ言わせるのが基本だと思うわけだが、自分の意見を延々と話して時間がきてしまったというケースを聞いた時には、ちょっと腹が立った。時間が限られているので難しいとは思うが、言いたいことを言って「そうは思いませんか?」と畳みかけられたら、相談者は「そうですね」

としか言えないではないか。


一方、相談者の方もなかなか。「あなた、その年齢でその相談はないでしょう」というものもたまにある。たとえば、今日は40代男性からの相談だったのだが、人間関係が上手く築けないという身の上相談。自分を表に出すのが苦手で、誰とも親しくなれず上司ともぎくしゃくしている、という内容だった。


なんだか日曜日に放送している「子ども電話相談室リアル」と程度が変わらないような気がしないでもないが・・・そんな時こそ、「しっかりせい!」と相談者を一喝し、その後励ますという回答が望まれるのだが、やはりそうはできないようだ。回答者は、これまた「子ども相談室」に出てきそうなアドバイスをし、相談者は「わかりました。なんだか気持ちが少し明るくなりました」と答えた。本当か?本当に明るくなったのか?うーん。


まあ、相談というのは、ストライクゾーンにビシッと決まる回答を求めてのことではない場合も往々にしてあるわけだから、これはこれでいいのかもしれないと思いつつ、いやぁ身の上相談って面白いとまたしても面白がってしまう私なのであった。


| - | 21:18 | comments(3) | - |
織るように、編む
11-0125

編み物の醍醐味はいろいろあるだろう。1本の糸から様々な平面が生まれ、立体が生まれ、その表面は糸の材質や形態により様々に変り・・・縫い物にはない魅力も多いと思う。


編み物の正統的な楽しみは、編み物本来の性質を生かした仕事にあるのだろう。複雑な模様編みの織りなす陰影やふわりとした編み地の感触は編み物ならではのものだ。難しい(あるいは複雑な)編み方はほとんどしない私にも、それはわかる。


しかし、このところ・・・というか以前からの傾向として、私は編み物をする際に「織るように編む」ことに目が向くようだ。一度編んだものを何度も洗ってフェルテイングすれば、編み地は織り地のようになる。それがおもしろい。また、かぎ針編みでも仕上がりが布のようになると面白いと思い、小さなループのある糸を固めに編んでみたりする。


写真のバッグもそのひとつ。色や形態が違う数本の糸をまとめて固めに編むと、ツイードのようになるのが楽しくて以前から好んで作っている。また、かぎ針編みの基本中の基本ともいうべき「こま編み」も、表側よりも裏側が織り地のように見えて好きだ。


単純なものほど奥が深いということはよくあることで、棒針編みなら「メリヤス編み」、かぎ針編みなら「こま編み」が一番面白い。まあ、面倒なことはやりたくないというズボラさも、この好みには影響していることは否めないけれど。

| - | 23:20 | comments(3) | - |
ショッキング・ピンク!
11-0124

色の好みは人それぞれだが、この色ほど好き嫌いがはっきり分かれるのではないかと思われる色がショッキング・ピンクである。使い方によっては大変下品になる色で、それだけに使う側に立てば使い方が難しい色であり、それゆえ面白い色でもある。


un filのショップをご覧になれば分かると思うが、私はけっこうこの色をよく使う。色として好きかと問われれば、「時にはとても好きであり、時にはできるだけ避けたい色である」としか答えられないが。


好んで使うのは、服飾小物においてである。自分で作るもの以外でも、差し色として非常に効果的だと思っている。単色はもちろんだが、たとえばチェック模様の中にこの色があるとないとでは、柄そのものの印象ががらりと変わり、上手に使っているチェックはとても感じがいい。


単色で使う場合は、色が色だけに大きな面積(たとえばコートなど)に使うのは非常に難しい。逆に考えれば、ショッキング・ピンクのコートをステキに着こなせる人はオシャレ上級者だと思う。私はそれほど上級者ではないので、たいていは小物に留める。小物で遊ぶのはとても楽しいから、バッグやスカーフ、もっと小さなものならハンカチやポーチ。見ていてあまりくどくならない程度の大きさのもので楽しんでいる。


写真は今回更新したポーチで、ショッキング・ピンクのモヘアをリング編みにしたもの。毛糸でこの色を出すのはなかなか難しく、見つけた時は嬉しかった。届いたラベルを見てみると、イタリアの糸だったことがわかったが、きれいな色を出すことに関してはやはりイタリアが一番だなぁと改めて思った次第だ。


この糸は、よく見るとショッキング・ピンクのモヘアに白いナイロンの糸が控えめに混ざっている。その白が遠目で見ると光の反射に見え、作品全体に艶感を与えている。こういう糸を企画する人は、編み上がった時の効果をちゃんと計算しているのだろう。


ショッキング・ピンクといってもいろいろだが、若い女性向けのファッション誌にはいやというほど溢れていて、あれはどうも苦手である。また、常に目の前にあるのも苦手。本の背表紙などに使われていたら、たぶん背表紙を奥にして本棚に収める。


色については、子どものころからいろいろ(洒落?)感じ、考えてきたので書きたいことはたくさんあるような気がする。しかし、色がもつ微妙なニュアンスを言葉で表現するのはとても難しい。白でも黒でも、いろいろな白、いろいろな黒があるのだから。


色を言葉で表現することは、自分の語彙や表現力を試されることだろう。まだまだ修業不足だなと思う。

| - | 12:00 | comments(0) | - |
工場の夜
11-0123

先週金曜日に、「川崎工場夜景バスツアー」なるものに参加してきた。


午後6時半集合、9時半解散というスケジュールで、回ったのは川崎マリエン(展望台)、市営埠頭前の日本触媒、新日本石油化学付近、川崎臨港倉庫屋上、東扇島東公園など。帰り道に通る首都高速川崎線の車窓から見た東燃ゼネラル石油はだった。


ご存知の方もいらっしゃると思うが、もともと私は「工場」好き。中小零細企業の「こうば」も大好きだし、大企業の「こうじょう」ももちろん好きだ。それぞれの魅力は全く違うが、それぞれに大変惹かれるものがある。


大規模な「工場」の魅力は、なんといってもパイプが複雑に交錯した光景に代表されるデザインとしての美しさだ。人に見せることを目的とせず、ただひたすら使命を全うするためのデザイン。それはいわゆる芸術作品の対極にあるものでありながら、それにひけをとらないほど美しい。


ツアーでは、当たり前なのだろうが工場の中には入れなかった。入る機会があったらぜひ入ってみたいと常日頃思っていたので残念だったが、普段はなかなか見られない夜の姿を見られたことは大きな収穫だと思う。


今回は「夜景」なので、工場そのものの全体像は暗くてよく見えなかった。次は昼間に行ってみたい。個人で行くにはちょっと不便な場所ではあるが、いろいろ調べて様々な姿を見てみたいと思う。


写真は撮ったが、無精して三脚を持たずに行ったのでブレは避け難かった。可能な限り「人間三脚」に徹してみたものの、手ブレ補正機能なしのカメラではたかがしれている。はじめての経験なので、様子見ということにして次回を楽しみにすることにしよう。


*少しだが、Walkin’に写真をアップ。

*けっこう若い女性が多かった。ブームなので・・・

*おじさま方は、しっかり三脚持参。慣れていらっしゃいますなぁ。

| - | 11:44 | comments(4) | - |
PHOTO WEEK・・・路地猫III<7>
11-0122

個人的で独断的な印象かもしれないが、どこか憎めない愛嬌を感じさせるのはオス猫に多い・・・ような気がする。この猫も、「よぉー!よぉー!」と盛んに呼びかけてくれた。オカメ顔に黒シッポがなんともいい。
| - | 11:10 | comments(0) | - |
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