CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< December 2010 >>
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

Interior

日々の内側
copyright sumigon all rights reserved
「私はそうは思わない」
10-1231

2010年も今日で終わり。年々、年があらたまるという感覚が薄れ「単に日付が変わるだけなのに何を大騒ぎする必要があるのか」などと憎たらしいことを言っていたのも去年まで。人間にはやはりそれなりに節目を求める心があるのではないか、節目節目で自分を見つめ直すのもまたいいことなのではないかという気もしてきた。


年賀状もなんとか書き終え(印刷したものに一言ずつ書くだけだが)、きれいになった窓から空を見ながら今年一年を振り返ったり、明日からはじまる年に思いを馳せたりしている。

不安も不満もある。しかし、期待も希望もある。穏やかな日々は望めそうにないが、それでもそんな日々の中で何かを発見し、自分の中に取り込むことができればと思う。


今朝ラジオを聞きながらふと思ったことがある。


私は前々から天の邪鬼というかへそ曲がりというか、多くの人が一定方向を向いているのを見ると反対側を向きたくなる。そんな性格をいいとも悪いとも思っていないが、今朝は「案外いいんじゃない?」と思った。


時代の流れに安易に乗り「前向きだ」と言うくらいなら、その流れが果たして望むべき流れなのかどうかを見直し、もしそうではないと思ったらあえて逆行を試みるという行為が、今の時代には必要であるように思う。


テレビをはじめとするメディアは多かれ少なかれ情報操作を行っているが、そんなことに気付かず、あるいは気付こうともせず、垂れ流される情報を鵜呑みにすることが愚かであることは忘れたくない。「本当にそうなのか」とまず疑ってかかることを単に「疑い深い」といって非難する人々を私は相手にしたくない。「本当にそうなのか」と疑い、「本当は違うのではないか」と思ったら、「私はそうは思わない」と明言する勇気を持ちたい。


来年は様々な局面で自分自身が試される年になりそうだ。試すのは誰か。そう、紛れもなく自分自身であろう。試した自分に「まあまあだけど、よくやったね」と評価される年になればいいと思っている。


さよなら、2010年。


*今年1年、当ブログにお越しくださったみなさん、ありがとう。

*来年も、どうぞよろしく!

| - | 15:17 | comments(5) | - |
We Will Meet Again
10-1230
・・・秋谷の海岸で見つけたハート型の石・・・

ビル・エバンスを聴き続けている。年末お決まりの様々な喧騒から少し離れて聴くピアノの音は、ことのほか澄みきっているように感じられる。


今回借りてきた3枚の中で一番聴くのが「You Must Believe In Spring」というアルバムだ。1977年に出されたとのことなので、エバンス晩年の作品のひとつといっていいだろう。ビル・エバンスのアルバムははずれがないということで定評があるらしいが、「名盤」として挙げられるのは初期のアルバムが多いと思う。


しかし、私はこのアルバムがとても好きになった。今まで一番好きだった「Waltz For Debby(Live)」 と同じくらい好きかもしれない。中でも兄であるハリーに捧げられた「We Will Meet Again」がいい。


幼い頃からともにクラシックを学び、音楽の教師となった兄をビルは終生慕っていたのだろう。「Waltz For Debby」は姪、つまり兄の娘に捧げられた曲であり、叔父としてとても可愛がっていたであろうことが想像できる。


自分に捧げられた「We Will Meet Again」をハリーはどんな思いで聴いたか・・・いや、聴くことができなかった。聴く前に自殺してしまったのだ。ビルは兄の死後再度この曲をレコーディングしているようだが、曲が出来たのは兄がまだ生きている頃だ。しかし、直後の死を知ってしまうと、この曲の美しいメロディがどこか哀しげに聴こえてしまう。


タイトルも意味深長に思えてくる。英語の「will」はなかなか曲者で文脈をたどらないと正確な意味がわからないのだが、曲のタイトルであるから「また会おうね」程度のことなのかもしれない。


しかし、前述した事情を知ってしまうと、ビル・エバンス自身もドラッグでボロボロになっていたことを考え合わせて、「あの世でもまた会おう」という意味のように思えてくるのだ。


「春の雪」(「豊饒の海第一部・三島由紀夫)で松枝清顕が親友である本多に向かって行った予言めいた言葉“又会うぜ。きっと会う。滝の下で”さえ連想してしまうのは行きすぎというものだろうけれど。


ちなみに、このアルバム最初の曲「B Minor Waltz」は長年同棲していたエレインに捧げられているが、エレインもビルと別れた直後鉄道自殺をしている。信頼していたベーシスト、スコット・ラファロ。ハリー。エレイン・・・ビル・エバンスは愛する人の死に何度も見舞われている。いかにも繊細な神経の持ち主に見える彼は、ドラッグなしで生き続けることはできなかったのかもしれない。ドラッグを正当化するつもりはないが、その人生や曲を知るとそんな気持ちになってくる。

| - | 19:33 | comments(2) | - |
大掃除

10-1229

毎年恒例のおおざっぱな大掃除をやった。いつも思うことながら、普段もう少しこまめに掃除していればこんなに苦労はしないはず。そう思っていてもできないのにはいくつか理由はあるが、どうなることでもないので割愛する。


実家の母は掃除好きだ。料理は苦手だが、掃除は「得意」というより「好き」で、8時半までに出社しなければならない会社に勤めていたころも、毎朝掃除をしていた。気が焦っているのでハタキをかける音がものものしく、その音で起こされるのが常だった。


母と同居している妹も、子どものころのだらしなさはどこにいってしまったのか?と思うほど几帳面に整理整頓する。だから、実家に行くといつも部屋はきれいに片づいており、余計なものが一切ない。猫がいるということもあると思うが、部屋の中は味気ないくらいさっぱりしたものである。そんな2人がいる実家なので、わが家のようにバタバタした年末を過してはいないだろう。


夕方になり外が暗くなっても、案の定すべてを終了することはできなかった。これも毎年同じで、明日やり残したところをやり、大晦日は買い物をして年賀状を書く(そう。私はここ数年大晦日に年賀状を書き、年が明けるギリギリ前に投函しているのだー)。年賀状も、そろそろやめにしたいところだが、仕事のつきあいがあるので仕方なく。


さて、今年も残すところ2日。明日から天気が崩れそうだが、雪は望めそうにない。ああ、雪が見たいなぁ。

| - | 18:21 | comments(2) | - |
ショパンを聴く
10-1228

先日TSUTAYAに行った時、「あと1枚借りると安くなります」の言葉に絆されてショパンのCDを借りてきた。ビル・エバンスを3枚手に持ち、ピアノつながりということでショパン。


ショパンをまともに聴くのは久しぶりだ。CDはもっていないし、このところ聴くクラシックはモーツアルトかさもなくばバロックがほとんどで、楽器としては大好きなピアノ曲からは離れていた。エバンスから触発されたのかもしれないが、しばらくはピアノの音を聴いていたい気分になっている。


小学校時代の音楽室には、著名な作曲家の肖像画が貼られていて、数人の中でショパンが際立って優美な顔に描かれていたのを思いだす。音楽を教えてくれていた大山先生は学校内でも目立った美人で、幼い生徒たちの中には憧れの気持ちを持っていた子も少なくなかったと思う。


授業は厳しく、和音を徹底して教え込んだ。「ド・ミ・ソ」「ド・ファ・ラ」「シ・レ・ソ」など5種類くらいだったと思うが、それぞれの和音に指の形を当てはめ(例えば「ド・ミ・ソ」だったら人差し指だけを出す、「ド・ファ・ラ」だったら5本とも指を開く、など)、生徒全員を立たせて次々と和音を当てさせた。間違ったら座る決まりで、最後に残るのはいつの数人だった。


私は楽器ひとつ弾けないし歌だって上手ではない。が、音を捉えるのが比較的早いように思う。楽譜を初見で把握できるにはほど遠いにしても、2〜3回聞くとおおよそのメロディは把握できる。もしかしたら、小学校の時の訓練のおかげかもしれない。


それはさておき、普段は物静かな雰囲気だった大山先生が、ある日ショパンを弾いていたのを見たことがある。授業中ではなく休み時間だったと思うが、周囲にいる生徒たちに何の説明もせず、突然弾き始めた。あまりに激しくドラマチックな曲だったのでびっくりし、今でも記憶に残っている。有名な「幻想即興曲」だった。


ショパンというともうひとつ思い出がある。父がステレオ購入に際し、ピアノ曲集のLPを買ってきたのだ。有名な曲ばかり集めたオムニバス版というやつで、「エリーゼのために」なども入っていた。が、やはりピアノの詩人であるショパンの作品が一番多く、「小犬のワルツ」「雨だれ」「夜想曲」「別れの曲」など今でもよく耳にする曲が入っていた。


私がその中で一番好きだったのは「英雄ポロネーズ」で、どちらかというと女性的なイメージを持っていたショパンの男性的な面を見るようで新鮮だったのだろう。


それにしても、父はクラシックが好きだったのだろうか。でっかいステレオを買った記念として少しカッコつけてクラシックのレコードを買ってきたのだろうか。当時立て続けに買ってきたレコードは、タンゴ集、映画音楽全集、なつかしい日本のうたの全集(「惜別の歌」「浜千鳥」「城ケ島の雨」などが入っていた)くらいだっただろうか。


全く傾向というものが見えず、年を取ってから民謡を習い、美空ひばりにうっとりしていた父とクラシックがどうも結びつかない。もしかしたら、クラシックもタンゴも映画音楽もナツメロも、みーんな同じ程度に好きだったのかもしれない。あれこれ手を出し深く追求しないところ・・・私自身にもいえることだと思うと思わず苦笑い。


そんなこんなを思いだしながら、大掃除が終わったらまたゆっくりショパンを聴こうと思っている。


*荷物、無事今日届きました。

*昨日の夜かかってきた電話では、まだ行方知らずだったのだが。

*なんとか見つかったのね。ふ。

| - | 17:15 | comments(0) | - |
なんとかしろ!S急便
10-1227
・・・JR鶴見線「国道駅」。忘れられた、見捨てられた感がなんともいい・・・

こう見えて(どう見えて?)、滅多なことではクレームを出さない私ではあるが、今日はちょっとやってみた。


事の始まりは、12月25日に「商品を発送しました」というお知らせメールが来た商品が、未だに到着していないので配送業者に連絡したことから。25日の午後3時に届いたメールには、「商品を発送しました」とあり、顧客番号、問合せ番号が記載されており、配送業者のサイトで追跡できる旨もきちんと書かれていた。


昨日26日に届くと思われたが、届かない。日中何度かサイトで追跡しても荷受けした支店が「荷物をお預かりしました」状態のまま。受け取って配達する最寄りの支店には届いていないことになる。これはおかしい。


静岡から横浜に送るのに、一日以上かかるはずはない。絶対におかしいぞ!と思ったが、もう一日様子を見ることにした。


しかし、今日27日になっても何の音沙汰もない。サイトで調べても以前として浜松支店で「お預かりしました」状態のままである。以前にもこうこうことがあって、配達店に届いたという記録がないのに、いきなり荷物が届いたことがあり、何のための追跡なのかわからんなぁと思った。


そこでまず、配達店に電話で聞いてみた。問合せ番号を言うと、「まだ、こちらには来ていないようです」とのこと。「そんなに時間がかかるんですか?」と聞くと、「荷物をお預かりしています、となっていますが、本当に荷物を預かっているかどうかわからない」と言う。


へ?荷物を預かっていなくても、伝票のみのやりとりで預かったことになったりなんかしちゃっているわけ?いくらなんでもおかしいでしょう、そんなの。


「注文したところからは、25日に発送しましたと連絡が来ているので、そちらの浜松支店には行っているのではないでしょうか?」と言うと、「調べてこちらからお電話します」とのこと。なんだかなぁと思いつつ、とりあえず電話を切ったが、1時間しても電話がかかってこないので、今度は商品を注文したメーカーの方に直接電話してみた。


顧客番号を伝えると、確かに25日に配送業者に出した記録があるという。その後どうなったかを、配送業者に問い合わせるのでしばらく待ってくれというので、こちらも電話を待つことにした。


電話を切って5分後、今度はやっと配送業者から電話。調べているが、確かに預かっているかどうか未だにわからない、などと寝言を言う。こちらでメーカーに確かめた旨を伝えると、少し戸惑ったような口調でさらに調べてみるのでもう少し待てという。荷物ひとつの行方を調べるのに、そんなに時間がかかるものなのか。何のためのPOSシステムなのか。やれやれ・・・


しばらくしてメーカーの方からまた電話。やはりちゃんと配送業者には出しており、その後どうなっているかを業者の方に調べてもらっているのでお待ちくださいとのこと。また、通常25日に出荷したら26日には着くはずだとも言っていた。メーカー側からすれば、一旦手を離れた荷物を追跡するのは無理だろう。業者に調べさせるしかない。


それはわかるので、「ミスがあるのは仕方ないこと。ただし、どこがどのようなミスをしたかを把握したいだけ」だと伝えた。


今日の午後5時ころから6時ころにかけての遣り取りだが、午後7時過ぎても配送業者からは何も言ってこない。メーカー側が確かに出荷したと言っているのだから、私が相手をすべきは配送業者・・・S急便である。


以前から、S急便には多少不信感を持っている。誤配の話もいくつか聞いているし、「5年勤めれば家が建つ。10年勤めれば墓が建つ」と揶揄されていることも知っている。ネットで正確な追跡が出来ないというのは、荷物を預かる個々の支店、配達員の意識がいいかげんだと言わざるを得ない。


また、少し前から気になっていたのだが、我がマンション前の公園脇で、S急便の大型トラックが数台停まっていることがあり、そこで荷分け作業をやっているようなのだ。そのような作業は各支店ですべきことではないか。今日も2台の大型トラックとワゴン車1台が停まっていたので、うちに荷物もすぐに届くかと思った。が、荷物は届くことなく、配達している様子もなく、荷物の整理をしたらさっさといなくなってしまった。


自分が発送する場合は、決してS急便は使わないことにしているが、何かを買った場合、配送業者まで指定はできない。


競合が激しい業界であろうに、こんなことしていていいのか?S急便!体力だけあったってダメだぞ、S急便!私はやっぱり、きめ細かくて親切で正確なネコがいいなぁ。たいせつな荷物はネコに任すに限るという思いを強くした一件でありました。ちゃんちゃん!

| - | 20:03 | comments(2) | - |
捨てる
10-1226
・・・薔薇の枝についていた小さな蜂の巣・・・


もう今年も残す所5日。大掃除に取りかかっている家庭も多いことだろう。わが家は、毎年29日くらいにおおざっぱな大掃除をしてお終いにすることが半ば恒例になっており、今年も同じだろう。すべきことはいくらでもあるが、キリがなくなり、そのキリのなさに苛立ってくるのでいいかげんなところで妥協している。


もう何度も書いたと思うが、物を捨てるのはなかなか難しい。どちらかというと思い切りよく捨てる部類に入るであろう私でさえ、捨てられずどうしたものかと困る物をたくさん持っている。手作り品の販売などをはじめたおかげで、その素材も増えた。いつ使うか未定の布やら毛糸やらの置き場にも、もう限度を感じている。


衣類もずいぶん整理したつもりだが、まだまだ多い。本もできるだけ買わないようにしてきたつもりだが、それでも少しずつ増えている。やれやれ、どうしたものか。


物を捨てるのを躊躇うのは、物そのものに対する執着というよりも、物がまとう様々な記憶や思いを切って捨てることへの抵抗かもしれないと思う。自分で買ったものであれば、その時の気持ちや買うために費やした金。あるいはそれが自分に与えてくれた何かに対する愛着。もらいものであれば、くれた人の気持ち。そんなものをずばっと捨てることは、やはり難しい。


とはいえ、物が溢れる環境に辟易していることもまた事実。明日あたりから、少しずつ捨てる作業にとりかかろうと思っている。大げさだが、時には自分ともう一度向き合い、自分を試し、闘う一瞬があるような気がしている。

| - | 22:58 | comments(3) | - |
デラックス!
10-1225
・・・ハゼラン。「爆蘭」と書くが蘭にあらず。スベリヒユ科・・・

今日も今日とてラジオを聞いていたら、永六輔がゲストのピーコにマツコ・デラックスのことを教えて欲しいと言い、ひとしきりマツコの話が続いた。


MX-TVの「5時に夢中」をよく見ているが、一番楽しみにしているのが月曜日。マツコがレギュラーで出ている曜日である。一度見たら忘れられない巨体(178cm、140kgらしい)、バッチリ施されたメイク・・・それだけなら単なる際物だが、気持ちいいよどの毒舌とその影に潜む良識や思いやりに触れ、この人はタダモノではないと思っている。


悪い癖で、この人は!と思う人に出会うと、あまりメジャーにならないでほしいなぁと思ってしまう。このところ、JRAエッセンシャルのCFで見かけるようになり、嬉しいような淋しいような、なんとも勝手な気分になっていたところだ。


調べてみたら、すでにマツコはマイナーな存在ではなく、民放にもかなり出演しているしCFにも出ていた。私がTVをあまり見ないので知らなかっただけなのだった(^.^;)


永六輔は以前マツコに会ったことがあり、「この人はなかなか才能がある人だ」と思い興味を持っていたそうだ。数々の人材を育ててきた人の目に狂いはないだろう。続いて登場した久米宏もマツコに会いたい、番組に呼びたいと言っていた。これからますます登場する機会が増えそうで、来年はマツコにとって超多忙な年になるのではないだろうか。


個人的には、TVはあまり見ないのでラジオに登場してほしい。ラジオでじっくり話をするところを聞いてみたい。


*先日「5時に夢中」に、プロ・インタビュアーの吉田豪氏が出ていた。

*ピンチヒッターだったが、なかなか面白かった。

*TBSラジオの「小島慶子キラ☆キラ」にも出ている。

| - | 18:56 | comments(2) | - |
手仕事の値段
10-1224
・・・みなさんご存知の芒。綿毛が飛ぶ直前のふわふわしたところが好き・・・

12月に入ると、お歳暮、クリスマス、正月の需要を見込んだ売場が一斉に華やかになる。しかし、どれだけ売れているかは定かではない。企業も人も、一旦引き締めた財布のヒモはそう簡単に緩めないのではないだろうか。半ばやけっぱち、あるいは縁起担ぎの消費も考えられないことはないが、景気が順調に良くなるとはとても思えない。


今の時代、商売をやっている者はかなり苦労しているだろう。もちろん例外はあるが、その例外は一人勝ち的な例外であるように思われる。どうやったら売れるか・・・ TVで放映される成功物語は、たいていの人にとって他人事に映るのではないだろうか。


「価格破壊」という言葉を聞いて久しいが、もはや破壊の状態さえ通り越しているような気がする。淘汰が進み、生き残った者たちの間で熾烈な闘いが続いている。こんな時は、徹底的に顧客を選ばないか、毅然と顧客を選んでいくしか道はないような気がする。


しかし、いずれの道も手探りであることに変りはなく、「運」というやつもからみ、依然として先が見えないのは同じなのでは・・・私がun filというショップでやっていることは、「商売」とはいえない。もし「商売」が生きる糧を得るためのものであるとするなら。先行きが暗いとはいえ本業というものがあるからこそやっていられることであり、それだけで箸を動かすことはできない。


昨日、横浜に出たついでに高島屋に入っている手芸材料ショップ「ホビーラ・ホビーレ」に寄ってみた。オリジナルの毛糸の質の良さに惹かれて私もかなり使っているが、質がいいだけに値段はそれなりである。


それぞれの毛糸を使用して作ったマフラーや帽子の見本が置かれていて、「材料費0000円。完成品価格0000円」と表示してある。いつも気になるのは完成品の値段だ。昨日見たものは、シンプルなマフラーで材料費2200円、完成品価格9000円だった。差額は6800円だが、これでは人件費にもならないような気がする。


完成品価格に占める材料費の割合は24.4%で、大量生産品では考えられない比率だろう。

しかし、当たり前のことかもしれないが、私の場合はその割合にすらはるか届かない。内情はあまりいいたくないのだが、一番材料費も手間もかかるフェルティングバッグの場合、材料費は完成品価格の少なくとも50%を占めるだろう。今回価格を見直してそのような状態である。これを全うな「商品」として売り出そうと思ったら、どれくらいの値段になることやら・・・


こんなことを書き始めたのは、私のことを理解してもらおうということではなく、こういった状況が日本文化に大きな影響を与えているということをひしひしと感じているし、耳にも入ってくるからだ。


前にも少し書いたが、日本の伝統文化を担う職人たちが生活していけなくなっている。材料を吟味し、手間をかけ、磨いた技術を駆使して作られたものはそれなりの値段になるのは当たり前だが、それらが売れないということだ。売れないから金が入らない。自分だけでさえ食わせていけないなら、家族持ちはなおらさらである。研鑽を重ねた仕事をやむなく捨てて、全く違う仕事に就く人も多いと聞く。


文化の伝承は、一部の金持ちに任せていればいいというものではない。私たちが日々考え、行動に移していかなければならないことなのではないだろうか。海外のブランド品は無理をしてまで買うが、毎日使っている飯茶碗は100均というのはちょっと淋しくないか。


*今年は全くクリスマス気分にならない。

*イルミネーションにも興味を覚えないし、家でもなーんにもしない。

*あ、息子が唐揚げを食べたいと言っていたので、それは作ったな。

*あと、久しぶりにサザンの「クリスマス・ラブ」を聴いた。

| - | 19:09 | comments(0) | - |
ヨノナカバカナノヨ
10-1223
・・・ヤブマメ。茎のしなやかな曲線がたまらない・・・

私だけなのかどうかわからないが、朝目覚める直前、頭の中で音楽が流れていることがある。けっこう頻繁にこういうことがある。


たとえば、当時くり返しその曲を聴いていたとか、前夜寝る前に聴いたとか、そんな根拠らしきものがあることもあるが、「なんでこの曲が!?」と、半睡半醒の状態で不思議に思うこともある。心当たりが全くない曲が何故目覚める直前に私の頭の中で流れるのか・・・


流れる曲は実に様々だ。クラシックありジャズあり。ロックあり、タンゴあり。フォークあり演歌あり。今日の朝は、「世迷言」が流れていた。そう、日吉ミミが歌っていた「ヨ〜ノナカバカナノヨ〜」というアレだ。一昨日ラジオで聴いたので印象に残っていたと思われる。が、なぜ翌日ではなく翌々日の朝に出てきたのかはわからない。


ラジオのパーソナリティが「この曲は中島みゆきさんも歌っていましたね」と言っていたが、「中島みゆきさんも」というより彼女の曲なのではないか、いかにも「みゆき節」ではないか、と思った。


後で調べてみたら、作曲は中島みゆきだった。が、作詞は阿久悠。作詞作曲ともに中島みゆきだと思っていたのだが・・・しかし、さすが上手いなぁ、阿久悠。


今年もいよいよ押し迫ってきて、いろいろなところで一年の総括が行われている。昨日の忘年会でも話が出たのだが、今年は中国及び中国人に関する話題が印象深い。いまいましいこと、腹立たしいこともあるが、良きにつけ悪しきにつけ中国という国の節操のなさとしたたかさには驚くことが多かった。それが彼らの強みだと思うが、はてさてそのような手強い相手と日本はどのように付き合っていけばいいのだろう。


就職氷河期といわれているが、こちらもひどいことになっている。ラジオを聞いていても求職中の人がなんと多いことか。それも年齢を問わずである。この問題が良い方向に向かわなければ、自殺も減らないだろうなと思う。


「世迷言」が世に出たのは1978年。それから30年以上経った今、「ヨノナカバカナノヨ」はあきらかに当時より切実に響く。


昨夜、忘年会中に息子よりメール。un filの商品を購入してくださった方から電話があったとのこと。昨日到着しているはずだが、あらら、私ってば何か不手際なことをしでかしてしまったのかしら、とまず思った。慎重に行動しているつもりでも、たまにポカすることがあるのは自覚しているので。


帰宅したのが遅かったので今朝電話をかけなおした。何か不手際があればとにかく誠意をもって対応するしかないだろうと思いつつ。


予想は半分当たり、半分はずれていた。

私は住所の番号を間違えていた。見直したつもりだったのだが、見直した時も間違いに気付かなかった。校正という作業がとても苦手なのは、注意力散漫だからだろうなぁ。はずれた方はというと、思いがけず嬉しいはずれ方だった。到着したものを、とても気に入っていただけたのだ。


写真だとどうしても雰囲気が伝わりにくい。できるだけ伝わるようにしているつもりだが、不安は残る。だから、実物を見てとても気に入ったといっていただけた時の喜びは大きい。また、その気持ちを伝えようと電話してくださった気持ちも嬉しい。


昨夜は最近の私にしてはちょっと飲みすぎて少し頭痛がしていたが、この電話で頭痛もふっとんでしまった。あーあ、現金なワタクシ。


その方以外にも、商品到着をわざわざ連絡してくださり、感想を寄せていただいている。これまたとても嬉しい。私は顧客に恵まれているなぁと実感するとともに、それらの方々の気持ちに応えるためにも、今後も楽しみながら作っていこうと思う。

| - | 12:43 | comments(0) | - |
こんなの12月じゃないっ!!
10-1222
・・・これだけ何だかわからない。8日の写真の木なのだが・・・

と、たまには叫んでみる。


12月に入り、暖い日と平年並かもしれないと思える日が入れ替わり立ち替わり状態。が、「これぞ冬!」という日は本当に少ない。冬好きの私としては、暖くて身体が楽なのにもかかわらず今日のタイトルのように叫びたくなる。


いつだったか平年並の気温になった日、外に出た時思わず「ああ、冬らしくていい日だわぁ!」と言ってしまった。やはり冬は、吐く息白く、指先が凍え、鼻がツンとし、北風にさらされた頬が痛くなるようでなけりゃ!


先日家人が、以前から探していてなかなか見つけられなかったZIPPOのハンドウォーマー用部品を買ってきてくれた。数年愛用していたので、火をつける部分が使いものにならなくなってしまったのだ。


ハンドウォーマーをポケットに入れて写真を撮りにいった日々よいずこ・・・最近は家の中での手仕事ばかりしていて外に出ない日が多いが、これではいかん!という気持ちもまたあるのだ。冬ならではの光景に出会い、それを撮るためにも、そろそろ本格的に寒くなってほしい。


薔薇の植え替えは来年に持ち越すことにした。今年はおおざっぱな剪定のみをし、年が明けたらやろうと思う。一仕事というか重労働なので、その日だけは(1日では足りないだろうなぁ)、少し寒さが和らいで欲しいが・・・


勝手なことをいうな!と冬将軍に叱られそうだ。でも、冬将軍、まだ到着していないのかな?

| - | 17:14 | comments(2) | - |
SPONSORED LINKS