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カレンダー
10-1130
・・・秋谷の夕日。ちょうどいい場所に船が入ってくれた・・・

そろそろ来年のカレンダーを買う時期になってきた。ここ数年買うカレンダーは決まったものにしており、売っているところもわかっているので買いに行けばいいだけなのだが、わざわざそれだけのために出かけるのが億劫で、毎年「売切れていたらどうしよう」と思いつつ、12月も半ば近くになってから買っている。


いつも買うのは、リビング用に大きめのイノベーターのカレンダー、デスクの上に置く卓上カレンダーは伊東屋オリジナルのもので、レフィルを買えばいい。あと、伯母用のコンパクトで色柄がきれいな壁掛けカレンダー。数年前まで2人の伯母に送っていたが、1人が亡くなってしまったので今は1つだけ買えばいい。それが淋しくもあるが、今年はどんなカレンダーにしようかと迷う楽しさもある。


カレンダーといえば、このブログの写真も本家todayでカレンダーになっている。ここ数ヶ月一日も欠けずに写真が並んでいて、体調管理もまあまあできてきたかなと思っている。また、月末になってあらためてカレンダーを眺め、「今月は花の写真が多かったな」「猫の写真が少ない!」など全体的なバランスを見ることもできる。


毎日写真を選ぶ時には、ある程度バランスを考えながら選んでいるが、季節的な話題などになると似たような写真が続きがちだ。それはそれで「気分」ということでいいかなと思っている。サムネイルがずらりと並んだカレンダーも時にはおもしろいものだと思うので(自分で言ってどうする!)、たまにチェックしていただけると嬉しい。


ただし、カレンダーの方は毎日律義に更新していない。ひどい時には1週間まとめて、なんていう時もある。だから、気まぐれに見ていただければそれでいいのである。

| - | 11:25 | comments(0) | - |
初冬
10-1129

一段と日が短くなって、午後5時過ぎればもうあたりは暗くなる。11月も明日で終わり・・・冬がやってくる。


空気は乾いて、すでに初冬の雰囲気を漂わせていて、寒がりなのに冬好きな私は足下だけ暖房であたため、窓を開け放っている。


薔薇はまだ葉を落としていないものが多い。今年中に剪定し、すべての葉を摘み取る。花を咲かせているものもあり、冬薔薇を鑑賞するために切らずにおこうかどうか迷う。シノブの葉は黄葉し、もうすぐすべて落ちてしまうだろう。


清澄白山菊の花はいよいよ透明感を増し、竜胆のそれはいよいよ深い。窓辺につり下げたいくつかのリースもだいぶ枯れた色になってきた。昨日採集してきたカラスウリだけが、鮮やかな緋色で目を引いている。


すべきこと。決めなくてはいけないこと。堪えなければならないこと。それぞれの重みを計りながら外を見る。手の平を少し丸めたかたちに、ヴェロニカさんの湯のみがすっぽりおさまって、かじかんだ指をあたためてくれる。


身の回りには、小さな楽しみが無限に潜んでいるのかもしれない。それらを発見し楽しむ感性を失わずにいたいと思う。

| - | 15:54 | comments(2) | - |
火を囲む
10-1128.jpg

昨日は、アトリエ5のエツコさんの「秋の5の会」に参加。秋谷の海の家(海水浴のではないですよ。れっきとした別荘でエツコさんのアトリエでもあります)に集合した後、それぞれ薪やら椅子やらを持って海岸へ。


砂浜についた時は、ちょうど日が落ちる頃。雲のあい間から水平線に差し込む光は神々しいほどだった。あかあかとした夕日がみるみる水平線に近づき、遠い山々の向こうに沈むまではあっという間で、参加メンバーはそれぞれ見取れながらもシャッターを切った。


たき火の準備をし、さすが美術関係の方々揃いなので砂山アートを作成。この季節は地元の人たちばかりなので喧騒感もなく、徐々に暗くなっていく風景の中を犬を散歩させる人たちが影となって静かに過ぎていく。まさに初冬の光景。


着火剤があったためか、火は思ったより簡単について炎があがる。寒くなってきたので、皆で火を囲み自己紹介や雑談に花が咲いた。


火を囲むと、なぜだか人間の気持ちはおおらかになるような気がする。普段は言えないことが素直に言えたり、口から出てくる言葉がいつもより柔らかくなったり。一瞬のうちに姿を変える炎をみつめていると、心の奥底の何かがゆるゆると溶けてくるような、あたたかい何かに満たされてくるような、喩えようのない心地よさを感じる。


息子がまだヨチヨチ歩きだったころ、キャンプに行ったことを思い出した。たき火ができるキャンプ場を選び、薪を数束買い、火をおこす。薪が少なくなると淋しくなって、幼い息子と薪になりそうな枝を何度も探しにいった。松の葉を集めて火に入れると、炎は一瞬高くあがり周囲が一段と明るくなる。いつまでも、いつまでも火を見つづけていたかった。


たき火は冬こそいっそう魅力的だ。またいつか、どこかでたき火を囲みたい。賑やかに盛り上がる必要はない。ただ黙って、それぞれが火を見つめていればいい。ホットウイスキーで手をあたためながら。思い出したような途切れ途切れの会話を味わいながら。


*エツコさんも参加している「YOSHIDA HANGA ACADEMY展」開催中。

*場所はモンベル渋谷店。12月4日まで。

| - | 08:15 | comments(0) | - |
気分転換?暇つぶし?
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本職がとんとヒマで困った、困ったといいつつ手仕事は続けている。この季節になると編み物中心になるが、ひとつのことをしているとすぐに飽きてしまう性格なので、ふっと違うことがしたくなる。


少し前になるが、買っておいたMUJIの小さなトートバッグにいろいろな素材をコラージュすることを思いついた。以前試験的にコラージュしたものをバザー用に送ったところ、とてもいい感触だったので調子に乗ったということもある(^.^;)


コラージュというのはなかなか難しい。組み合わせや配置を考えすぎると、かえって面白みのないものになってしまう。若い人が作る物の中にはとても面白いものがあって、そのセンス下さい!と言いたいところだが、持って生まれたものは教えてもらって身につくものではない。せいぜい、自分でいろいろ試してみるほかはないだろう。


素材として使えるものは、まだまだありそうだ。布の切れ端などを切りっぱなしの状態で縫い付けても面白いかもしれないし、ビーズやスパンコールなどもいけそうだ。バッグ本体から気長に作るという手もある。


あといくつかやってみて、いけるかな?と思ったらショップのプレミアムにするか・・・はたまた商品化してみるか・・・まだ先のことになるが、ちょっと楽しみではある。


unfilのブログにカラーをアップしておきました。

*コメントを承認制にしたので、ご意見ご感想があればぜひ。

*今日は午前中アトリエ5のおりがみ教室へ。

*午後からはやはりアトリエ5の「秋の5の会」に参加するため秋谷へ。

*ちょっと風邪気味だけど、気力で行ってくるぞ。

| - | 07:25 | comments(0) | - |
野菊
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sakiさんのお庭を見せていただいて、あらためて小菊の可憐さ、なんともいえない風情に心惹かれた。


様々な色で落ちた木々の葉を背景に、倒れ伏すように枝を伸ばして花を咲かせている草姿全体もいい。山野草を育てていたころは、数種を持っていたが今手元にあるのはわずか3種類。もっと欲しいなぁと思った。


野生の菊にもいろいろあるが、ノジギクの系統(キク属)とノコンギクの系統(シオン属、ヨメナ属)が野菊らしい野菊といったところだろうか。野趣を残した園芸品種も多く、見ただけで同定するのが難しい時もある。


私が特に好きなのは、アシズリノジギクとノコンギクである。ノジギクの中でも小ぶりのアシズリノジギクは、白い縁取りがある小さな葉が魅力的だ。ノコンギクは変異が多いように思うが、透明感のある薄紫色の花がいかにも秋らしくていい。庭があれば、リュウノウギクもいいなぁと思う。


出所不明だが、「清澄白山菊」はノコンギクの亜種のように思うが、すらりとした姿が最近めっぽう気に入っていて、今わが家でもきれいに咲いている。sakiさんのお庭でもところどころに植えられていて、陽がよく当たるであろう場所のものは葉が紫色に色づき風情たっぷり。華奢な植物が好きな私の心を揺さぶってくれた。


10月に青森に行った時見たノコンギクの群生も忘れ難いが、野趣溢れる庭の中で他の植物と穏やかな会話をしているように咲いている姿もまた長く記憶に残るだろう。以前から、薔薇を減らして山野草に本腰を入れたいという思いがあったが、その気持ちがまた強くなってきた。さあ、どうする!

| - | 20:37 | comments(0) | - |
木々と花と草と・・・
10-1125
・・・sakiさんちのハナちゃん。御歳15歳。可愛い可愛いおばあちゃん・・・

昨日は、長年(というほどでもないが)念願だった、sakiさんのお庭を拝見しに出かけてきた。


東横線、横浜線、中央線を乗り継ぎ到着したのは、山々の紅葉が和やかな色合いを奏でている小さな駅。気温が違う。空気が違う。


想像より庭は小さいですよ、とsakiさんは前もっておっしゃったが、それはよくあること。写真だけを見ていると、切り取られた光景から想像が広がるのか、はたまたレンズの性格からか、実際よりも広く見えることが多い。


しかし、昨日に限っては、写真と実際の庭の広さに違和感を感じなかった。sakiさんご自身の写真で見かけた石組み、木々の下の様々な草、ひそやかに咲く小菊などが、どこか懐かしい表情で迎えてくれた。


私はめったに個人の庭をじっくり見たいとは思わない。とくに整然と整えられた庭は。sakiさんとは薔薇が縁で知りあい、庭にも薔薇がたくさんある。多くが地植えされてのびのびと育っており、見ていて気持ちいい。私も薔薇は好きだから、秋薔薇特有の風情を充分楽しませていただいた。


私がぜひ拝見したいと思ったのは、sakiさんの庭が薔薇だけでなく、様々な木々や山野草があるからだ。薔薇好きの庭は、そのほとんどが「主役は薔薇です。当たり前!」という雰囲気だが、sakiさんの庭の薔薇は主役然としていない。主役でも脇役でもなく、同じ場所で命を紡ぐ木々や草と一緒にいるだけよ、とでもいうような自然体でそこにある。それはまさしく私の理想のかたちでもあるのだ。


ほとんど葉が落ちてしまった木々の幹が美しい。野草の上に落ちた葉、個性豊かな小菊たち、薔薇の実、美男葛の実、ヒヨドリジョウゴ(黄実)の実、スイカズラの実・・・「日本の伝統色」で静かに満ちる庭。少し寒かったが、その寒さがまた庭の雰囲気によく似あっていて、わずかな時間ではあったが幸福なひとときを過させていただいた。


帰り際、以前個展を見せていただいた、ヴェロニカさんのお宅を訪問。sakiさんのお宅もとてもステキだったが、ヴェロニカさんのお宅も非常にユニークかつ魅力的だった。


以前ガラス工芸をやっていた人が建てたという家の1階は工房、2階は天井が高く広々とした板の間。白熱灯のやさしい灯の中にあるのは、吟味された古い家具や民芸品のような籠、窓枠には陶片や小石など。やさしいぬくもりの薪ストーブ。なんとも居心地がいい住まい

だ。


美味しいお茶、珈琲、洋梨のコンポート、採りたての椎茸!、餅などをいただきながら、ヴェロニカさん特有のゆったりしたお話が続く。流れる時間がゆったりしていて、帰るタイミングをなかなか計れず長居してしまった。


心からいいなぁ、ステキだなぁと思えるものにたくさん出会い、ステキな生き方をしている女性お二人とお話をし、心地よい疲れを感じながら帰路についた。


お忙しいところ、快く迎えてくださったsakiさん、風邪気味だったのにいろいろなお話を聞かせてくださったヴェロニカさんに心から感謝したい。


*庭の様子は、散歩サイトに。

*sakiさんの薔薇作りは、こんな本でも見ることができる。

*庭はもちろんよかったが、猫たちがかわいいー!

*外猫のオセロくん、シロちゃんものんびりくつろいでいた。

*ハナちゃんと同い年のミカちゃんにも会えてよかった。

*ヴェロニカさんちのトラちゃん(メス)は野性的でかっこいい。

| - | 13:38 | comments(3) | - |
死への準備
10-1124

「遺言を書いておこう」とか、「少しずつ身の回りの整理をしておこう」とか考えているせいか、DVDを借りにいくとソレ関係のタイトルに目が向く。結果、「死ぬまでにしたい10のこと」と「ぼくを葬(おく)る」を立て続けに観ることになった。


前者は20代前半の女性、後者は30代前半の男性が主人公で、ともにある日突然癌を宣告される。癌といっても今では早期に発見されれば望みはあるが、彼らはともに末期で余命は数ヶ月だ。衝撃に呆然となり、悲しみがひたひたとやってくる。そんな中で彼らは何をしたか。しようとしたか。


「死ぬまでにしたい10のこと」では、タイトル通り、主人公はコーヒーショップでノートに自分がすべきことをリストアップする。小さな子ども2人と夫、そして母がいる彼女は、トレーラー暮らしの貧しさを託つことなく健気に生きてきた。


「そんな自分が何故こんなことに!」と怒りを感じそうなものだが、映画では死への恐怖と闘いながらもさらに健気に生きる女性が描かれていて出来すぎといえば出来すぎの内容ではある。


しかし、リストアップした10項目のうち半分くらいを実行に移しながら静かにフェイドアウトしていくストーリーは、見終わった後で何故か「生きる幸せ」のようなものを感じさせてくれて、後味は悪くない。


「ぼくを葬る」では、売れっ子カメラマンでゲイの美男が悲劇に襲われる。化学治療を奨める医者に対して、治療をした場合の治癒率について詰め寄るシーンが印象的だ。


医者としては少しでも可能性があれば治療を奨めたい。が、本人にしてみれば、ほんのわずかな可能性のために痛みや苦しみに翻弄されたくない。治療に対する考え方は人それぞれで、わずかな可能性に賭けて奮闘する人もいるが、私はこの映画の主人公のように「ハードな治療」は望まず、痛みのコントロールを主眼にした治療を受けながら死への準備をしたい。常日頃そう思っているので、この医者とのやりとりには多いに納得した。


ジャンヌ・モロー(大好きな女優)演じる祖母とのふれあいもいい。誰にも癌に罹ったことを言っていない主人公が、祖母を訪ねて告白する。「なぜ私に?」と問う祖母。「だって、ぼくとおばあちゃんは似ているから・・・もうすぐ死ぬ」と答える孫。祖母は怒らない。悲しそうに微笑み、孫を抱く。


映画のラストシーンは、オゾン監督お得意の海である。死相さえ感じさせる主人公が真夏の海岸に出かける。周囲は水着の家族連れでいっぱいだが、彼は長袖のジャケットを着ている。丸刈りにした頭の下にはやつれた顔がある。


彼は浜辺で水着とちっぽけなゴーグルを買い、海に入る。そして浜で気持ちよさそうに横になる。日が暮れていく。人々は去っていく。彼だけが残る。オゾン監督のラストシーンは美しい。


先日、90歳になる伯母の家に行っていろいろ話してきた。「死ぬ覚悟っていうのは、なかなかできないものよ」と伯母が言った。もうこれ以上すべきことはない、心残りもない、と思ってもなかなか覚悟はできない、と言う。90歳の言葉は重い。死への準備はなかなか難しそうである。

| - | 07:35 | comments(0) | - |
米軍問題
10-1123


一時ワイドショーを賑わしていた沖縄の米軍基地問題も、すっかり影を顰めてしまった感がある。政治家の軽率な物言いや揚げ足取りがそんなに面白いとも思えないのだが・・・


私は沖縄に行ったことがないし、沖縄の米軍問題について特別注意を払ってきたわけでもない。が、少し前の移転騒動を傍観しているうちに、「なぜ日本に外国の軍隊がいるのか」という小学生が思うような疑問がするすると浮かんできた。幼稚な疑問ではあるのだろうが、問題の根本はそこにあるのではないだろうか。


先日、根岸競馬場を見に行った時、ようやく見えてきた建物を撮ろうとしたらストップをかけられた。


競馬場(といっても跡地にすぎないのだが)の脇には米軍の施設があり、そのゲートがファインダーに入る位置では撮影禁止らしい。ゲートの一部くらい写真に入ったってどうということもないと思うのだが、とにかくダメらしい。


ゲート丈夫に記載してある施設名を覚えたかったのだが、とにかく撮影禁止なので「米軍の施設」だとしかわからなかったが、検索したら遠くからこのゲートを撮った人がいるようだ。ゲートには「U.S.FLEET ACTIVITIES YOKOSUKA,YOKOHAMA DETACHIMENTI NEGISHI NAFY HOUSING COMPLEX」と記載されているようだ。


横須賀艦隊横浜文体の根岸住宅施設ということになるようだが、迷彩服を着た自衛隊と思しき男性の言葉は丁寧ながら強制的であり、「なぜ日本に外国の軍隊がいるのか」という素朴な疑問を越えて、ゲートを撮られて困ることが何かあるのか!というささやかな憤りさえ感じたのであった。


沖縄県民の憤りは、その時私が感じた憤りの何倍になるのだろう。計り知れない。


施設名が判明する前、地図になら出ているだろうと調べてみたが、どうやら地図にも米軍施設は掲載しないことになっているようだ。Googleの地図をぐぐーんと拡大すると出ているが、その他サイトの地図では見つけることができなかった。


また、地図を見たことにより、根岸一帯にある米軍住宅のゆとりある敷地には驚きを隠せなかった。どこでもいい、地図が見られるサイトで「横浜市中区根岸台」辺りを見てみるとよくわかる。豆粒のように小さい住宅が込み入った街の中で、そこだけゆったりとした空間になっている。アメリカ本土並とまではいかないのかもしれないが、狭い日本であれだけの敷地を確保しているのを見ると、複雑な気持ちになる。


そもそも根岸競馬場を含む現在根岸森林公園となっている一帯は、戦後米軍に接収され、なかなか払い下げが認められなかったという。戦争中に競馬場としての役割は終えていたが、馬場であった場所にはゴルフ場や乗馬施設が造られ、占領軍の家族立ちが優雅に遊んでいたというわけだ。


ところで、根岸競馬場の重厚な建築を設計したのは、アメリカ人の建築家J.H.モーガンである。正式な名称は「横濱競馬場」で現在残っているのは一等馬見所のみ。あとは老朽化により取り壊されたという。建物北側にはいくつかの解説プレートが設置されているが、観客スタンドがあった南側には米軍施設があるため回り込んで見ることができない。残念至極!


| - | 11:20 | comments(0) | - |
「何を使うか」より「どう使うか」
10-1122

晴れ時々曇りだった昨日より天気が悪い一日。気温はさほど低くはなく、湿り気を含んだ空気は思ったより気持ちいい。私が好きな冬は、もうそこまで来ている。


昨日の日記にも少し書いたが、カメラを持って出かける時まず決めなくてはならないのが、レンズである。予備レンズを持っていかないので、最初の判断がその日の撮影状態を左右するから、未だに悩むことが多い。


行く場所、出会うかもしれない光景などを想像しつつ、レンズを選ぶ。選ぶといっても3本しか持っていないのだが、これがけっこう難題なのである。


目的がはっきりしている場合はほとんど迷わない。「今日は花を撮ろう」「猫中心で行こう」と思った時には、迷うことなく90mmを選ぶ。野良猫の場合、驚かせたくないので長めの玉(=レンズ)の方がいいのだ。


街の風景をスナップしようと思う時は、50mmか24mmになるわけだが、どちらを選ぶかの決め手は、場所によることが多い。建築物を撮ることが多そうな時は24mmを、等身大の街を撮りたい時は50mmを選ぶことが多い。


問題は、目的が複数ある場合だ。街の風景も撮りたいが、猫がいたら猫も撮りたい。そんな時はしばし迷う。しかし、一度決めたら現場に行って後悔することはない・・・というか、後悔しないようにしてきて、漸くその訓練が身についてきたところだ。


昨日行った根岸競馬場、最初にその全容が見えた時は「しまった!」と思った。以前は建物の下1/3くらいが壁に覆われていたので、全容を収める撮影は考えていなかったのだ。少し離れて撮ることが多いと思ったので90mmをつけていったら・・・あらら、少し離れたとしても、全容はとてもじゃないが入らない。見どころがたくさんある建物だけに残念に思った。


一緒に行った家人が「90mm?使いものにならないね」と言った。確かに、建物の全容を捉えるためなら使いものにならない。が、しかし。全容を捉えるという考えを捨ててしまえばどうだろう。使い物にならないということもないのではないか。「使いものにすればいいだけのことでしょ」と私は嘯いた。


その台詞は半ば負け惜しみだったかもしれない。が、嘘でもないのだ。逆に、使いものにならないと思われる道具を上手く使えば、使いものになる道具よりも面白い結果が得られるかもしれない。その可能性は低いかもしれないが、ないわけではない。


逆転の発想などというご立派な考えを持っているわけではないが、バッチリ適した道具を使うより、考えようによっては遊べるのではないかと思えば、使いものにならないと思われた道具を使うのも楽しいではないか。個人で写真を楽しむなら、そんな遊びがあってもいいと思う。


今日の写真は、一山越えた高台にある中華義荘(中国人墓地)から撮った競馬場。こうして遠くから見ると、やはりとても価値ある建物だと思う。保存しているが活用はしていないのがもったいない。赤レンガ倉庫のような使い方はしてほしくないが、最低限の補修をして内部も公開してもらいたいものである。どうにかしてくださいよ、横浜市!


*「どう使うか」に四苦八苦した結果は明日以降に(^.^;)

| - | 16:12 | comments(0) | - |
ノイバラに親しむ
10-1121

気まぐれからリースを作り始め、どこに行くにもリースの素材になりそうなものはないかと

無意識のうちに目が動いている。街に出れば、クリスマスシーズンがそろそろやってくると

あって豪華なリースをあちこちで見かけるが、私は身近なところにある植物と親しみつつ、

地味なリースを作ることで満足している。


リースを作る以前から、毎年この時期になると川原のノイバラの枝を少しもらってきて、

デスクの上に飾ることを楽しみにしていた。温暖化の影響もあるのか、赤い実とまだ充分

みずみずしい緑の葉が同居している。しかし、猛々しさを感じる真夏の緑とは違って、鬱陶しさの微塵も感じられない小さな葉は、逞しい生命力の可憐な一面をかいま見させてくれるような気がする。花の時期よりも、私はこの時期のノイバラが好きだ。


今年も10月末に葉と実がバランスよくついた枝を少しもらってきて活けてみた。いつもはそれでお終いにするのだが、今年はリースのことが頭からはなれないので、もう一度川原に見に行ってみた。


私の観察はとてもアバウトで、ノイバラの株がある場所とそれぞれの株の大きさをおおまかに把握している程度だ。ノイバラは変異の幅が大きく、葉が7枚のものもあれば9枚のものもあることは去年知ったが、それ以上の違いには気付かなかった。


今年は少し見る目が違ったのか、いつも他のものと同じだと思っていた株に棘がないことを発見。他の株より実の数が少ないなぁ、枝を使ってリースの土台を作ろうかなぁ、でも棘があるから面倒だなぁと思って近づいてみると、なんと棘がない。これはもっけの幸いとばかりに、細目の枝を選び、その場でリースの土台を作った。


ノイバラの土台にはやはりノイバラの実。他の株から適宜実がついている枝を採集した後、いつもはいかない方に足を伸ばした。葦や芒が生い茂る辺りに、こんもり茂っている何かがある。自転車では行けないので、近くに停めて草むらにガサガサと入り込んで行くと、この辺りの川原でもかなり大きいと思われるノイバラの茂みだった。見上げるほどに枝を伸ばし、実をたわわにつけている。枝先だけ切り取っても、持ち重りがするほど実が多いのにはびっくりした。


せっかくだから、その株の枝も数本もらって帰りノイバラだけのリースを作ってみた。もともと、シンプルなものが好きなので、ノイバラのリースはなかなか気に入った。しばらく鑑賞した後、お世話になっている方にプレゼント。自分で持っているより楽しんでもらった方がいいという思いもあるが、作るまでが一番楽しいので作り終えたものにはあまり執着しないということもある。


今回は思いがけなく、身近なところで生息しているノイバラにも大きな変異があることを知った。たぶん、こういったことはノイバラに限ったことではなく、様々なものについて言えることなのだろう。いかに自分の目がいいかげんにものを見ているかを思い知った経験でもあった。


遠い里山に行かなくても、見るべきものはたくさんある。身近な植物たちと、もっと親しくなりたいと思う今日このごろだ。


*リースはすでに手元にはないが、写真は撮っておいた。

*散歩サイトの掲示板にアップしてあります。

*今日は3〜4年ぶりに、根岸競馬場を見に行ってきた。

*前回はかなりの部分を塀で覆われていたのに、今回はほぼ全容を見ることができた。

*といっても北側だけだが。観覧席が設けられていた南側は見られない。

*広角レンズをつけていけばよかったが・・・

*90mmでは全体が入らないのよね。わはは。

*でも、そんなことではめげないの。

*内部の見学会をやってほしいなぁ。廃虚関連サイトでしか見られない。

| - | 21:26 | comments(0) | - |
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